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プロローグ

私の名前は池田京子。半年ほど前までどこにでもいるごく普通のOLだった。

「だった」と言ったところからお察しいただけると思うが、今はそうではない。いや私自身はどう足掻いても平凡な人間でしかないのだけれど、私を取り巻く環境というか境遇が一変して、私を普通という言葉から遠ざけた。


半年前、この剣と魔法のファンタジーな世界にトリップしてしまったことによって。


通勤途中の電車の中でうたた寝して目が覚めたら異世界。そんな心臓に悪い方法でトリップしてしまった私だが、正確にはこちらから召喚されたらしい。

わざわざ異世界から人を喚ぶには当然それなりの理由があって、今この世界は魔族の侵攻に脅かされ、各国の騎士も歯が立たず、云々。そんな話を延々と聞かされる内に「まさかね」とは思ったけれど、本当にそのまさかだった。

勇者になってくれ、と言われた時、初めて目の前が真っ暗になるという経験をした。


だがしかし、先述の通り私はどこまでも平凡な人間で、勇者なんてご大層なものになるような器ではない。

勇者には不適格であると判断された私は、紆余曲折の末、王都から遠く離れた片田舎の更に隅、魔族の侵攻とやらもまだ及ばないような小さな村の外れで暮らすことになった。

「全て悪い夢だったら」……などと思わない日はなかったが、いくら身体を抓っても目が覚めることがない以上、なんとか生きていかなければならない。勇者になれないただの異世界人の面倒を見てくれるほどこちらの世界の人間は親切ではなく、私は村人から持ち主のいない畑を譲り受け、農業をして生計を立てることにした。実家が農家だったので一番確実な職業がそれだったのだ。


科学がほとんど発達していないらしいこちらの世界では、当然機械などは存在しない。料理も洗濯もそして農作業も、全て自分の手でやらなくてはいけない。当然苦労はしたが、それにさえ慣れてしまえばこの場所での暮らしはそれなりに平穏だった。

魔法を使うには高等教育が必要らしくて私はまだ自分を喚び出した召喚術以外にそれらしいものは見たことがないし、動物も作物も元いた世界とあんまり変わらない。たまに流れてくる「どこどこの町が魔族に襲われた」なんて噂話さえ無視すれば、なんだか日本の田舎に引っ越しただけみたいだ。

……そんな風に考えてた時期が私にもありました。


「キョーコ、向こうの水やり終わったよ」


麦わら帽子を透過してじりじりと頭を焼く太陽の下、汗を拭って草むしりをしながらぼんやりと今までのことを思い返していると、上から私を呼ぶ声がした。

顔を上げれば、そこには私に向かってにっこりと笑いかける金髪碧眼のキラキラしいイケメン。片手でボロボロのバケツを抱え、服が土埃で汚れていても、全く霞むことのない紛う事なき美形だ。恐ろしいことに、この暑さでも汗一つかいていない。


「ありがとうございます、クリスさん。後は自分で出来ますので」

「ううん、もう少し手伝うよ。草むしりすればいい?」


私がやんわりと示したお引き取りくださいの意思を華麗に受け流して、彼、クリスさんは返事も待たずに勝手に草むしりを始めた。いや、そりゃ手伝ってくれるのはありがたいけど、正直落ち着かない。イケメンは苦手だ。今までの人生でイケメンという生き物に縁がなかったために、これほど近くにいられると緊張する。

それに、彼が近くにいると落ち着かないのは別の理由もある。それは、彼の背中に生えた一対の翼だ。

私が異世界にいると強く意識させられる存在。日本ではあり得ない翼を持った男性。彼は魔族なのだ。


勇者なんてものを異世界から召喚しようとするくらいだから、人間と魔族の争いはかなり深刻なはず。しかも魔族は魔王が治める土地に固まって暮らしているらしいので普通に人間の領土にいることはまずないらしい。なのに彼はこんなところでのんびりと、人間の畑の手伝いをしている。

手伝われている張本人の私も、この状況をよく分かっていない。全くもって不思議である。


「キョーコ、見て」


不意に近くからクリスさんの声が聞こえて、再び顔を上げる。

いつの間にやらすぐ傍に来ていたイケメンのドアップにびっくりするのと、彼が手に持っていたものを私に向かって差し出したのはほぼ同時だった。


「これ、綺麗に色がついてたよ。食べ頃だと思う」


彼が両手で包み込むように持っていたのは、向こうのトマトによく似た野菜。トマトと同じく夏が旬だ。彼の言葉通り、見事に真っ赤に色づいて美味しそう。

何がそんなに嬉しいんですかというくらい嬉しそうにクリスさんがにこにこしているから、私もつられて少し笑った。


「それ、よかったらあげますよ」

「……いいの?」

「いつも手伝ってくれてるお礼です」


それに、彼がその野菜をとても気に入っているのを知っているから。

クリスさんはぱぁっと顔を輝かせて、それと呼応するように背中の翼が小さくはためいた。こういう時、やっぱり作り物じゃないんだなぁと思う。


「ありがとう、キョーコ。大事に食べるね」


こっちの農業には疎い私が作ったものだから、そこまで美味しいわけじゃないだろうけど、彼はそう言ってちっぽけな赤い実を慎重に胸に抱えた。

自分が作ったものを、こうして喜んでくれる人がいる。日本で忙殺されていた仕事ではなかった充足感だ。それを与えてくれるから、私はこの人……この魔族?が苦手だけど好きだった。


異世界トリップをしてから半年。私は今日も、照りつける太陽の下、翼のあるイケメンと平和に農業をしている。

そしてその生活は、意外と悪くないと思っている。


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