エピローグ
電球が赤い光で部屋を照らす。
床板の上の、乾いた血潮の層の上には、テーブル台。
人間を載せる台だ。
拘束具付きの錆びた金具が、左右両端に取り付けてある。
血で凝り固まった床の上に、1人の男が、台の上に1人の神父が、並々ならぬ様子で居る。
鎖で縛られ、台に寝かされた神父は、裸だった。
全身、痣だらけで、恐らく、異教狩りに襲われたのだろう。
胸に手を当て、血が滴るほどに、十字架を握りしめ、最後の告白を御神へ捧ぐ。
脇腹と太股が、鎖の拘束具に食い込まれ、耳障りな軋みが残響する。
深いクマ、痩せこけた頬、遠い異郷の地での、布教の苦難が顔に表れていた。
だが神に殉ずる死、迷い無く、落ち着いている。
もう1人の男は、ねずみ色のエプロンを着て、鉈の様な包丁を持つ、丸顔の中年だ。
祈りの間、刃を研いでいる。
祈りが止むと、刃の錆と血潮を拭き取り、手元に置いた。
水道で顔を洗い、棚からタオルを引き出し、念入りに顔と手を拭って、再び包丁を手にした。
血の滲んだ十字架を終始握り締め、落ち着き払った様子で台に伏せる神父。
横たわり、平静な様子で男に語りかけた。
「その包丁で奪い去られた、我が同胞の命、少なくとも安らかでは無かっただろう。」
男は、喉の奥がかすれた様な、低い声で言った。
「俺じゃねえ。
賞金稼ぎ共だ。
寄ってたかって、奴等の首を刎ねた。
死体を捨てただけだ、俺は。」
「捨てた?」
眉間にしわを寄せ神父が聞き返す。
「なぜ埋葬しない」
「したよ。
首には手ェつけちゃいねぇ。
ちゃんと、火葬もした。」
「火葬」その言葉を聞いた神父の顔は、はち切れんばかりに赤くなった。
「異教徒がァ!」
神父は激怒した。
「何故だ、何故燃やしたァ!」
「異教徒が、野蛮な異教徒がァ!
猿だ、お前は猿以下だァ!」
神父の恫喝が赤い光と共に、部屋の中に反復した。
だが幾ら動こうとも拘束具は軋むだけであり、ただ神父の肉が荒挽かれ、鎖が真紅に染まるだけだ。
鎖の軋みと神父の怒声に、皺ひとつ動かさず、男は包丁を大きく振り上げた。
狙いを首に定め、手元を固く握る。
抵抗する神父の目は、悲しみ、怒り。
感情の洪水の中、溺れる苦しみが、神父の身体を削り続けた。
男はさらに振り上げる。
神父の叫びが、残響する。
男の腕が、弓の様に伸びきった、その時、
包丁は振り下ろされた。
神父の手の甲は「く」の字に砕け、肉が骨の自制を失い、ゴム皮の様に波打った。
慎ましい抵抗は即座に打ち砕かれ、刃先は間も無く首に達した。
喉仏が鈍い音と共に刺し切られ、果実を切ったかの様に、血が噴き出した。
首元へ、刃は容赦無く突き進み、ゴリゴリと、骨が砕ける。
ゴンッ、という硬い音が、刹那の終わりを告げた。
千切られた静脈からは、黒い血がどくどく溢れテーブルを染める。
男は手際よく、脈を縛る。
テーブルの血を乾いた布で拭き取ると、尖ったフックにぶすっ、と神父の頭が刺し掛けられた。
首元から血が滝の様に爛れ落ちるが、激昂の表情は未だ顔に張り付いたままだ。
包丁をナイフに持ち替え、死に体を引き裂き皮を剥ぎ出す。
腕、肩、腹、足、4箇所の切れ目から刃を差し込み、スー、と滑らかに剃る。
べろん、と指でつまんで皮を剥がした。
皮の裏側には、蜘蛛の糸の様な血脈が、無数の網目状を描いて張り付いていた。
肉が露出し、筋肉がはっきりと見える。
白いバターの様な、脂肪の部分を丁寧に削り取り、内臓が露わになる。
管を裂いて、ぷるん、とした温かみのあるそれを、傷1つ付けずに、手のひらで丁寧に取り出した。
こちらは、しっかりとしたジップロックのパックに入れて、空気を抜いて封を縛った。
そして、1つ、また1つと丁寧に、されど手際よく、死体を解体していった。
蒸せ返る血潮の匂いが漂う部屋に、肉の軋みがこだまする。
赤い光に照らされた男の瞳は、暗く、長い闇が永遠に続くような、死の匂いを漂わせていた。
乾いた血潮がざらりと石の床板に広がっている。
鮮血が貼り付いた前掛けを着た男が、ビニールのゴミ袋に、血に泳ぐ骨肉や血肉をテーブルから集めて入れていた。
豚の様なビニールを持ち上げると、張り詰めた袋は先端に向かって、はち切れんばかりに締って伸びている。
持ち手部分を針金の様に固く結び、ゴミ袋の山の上に重ねた。
黒のビニールは1つ1つが規則正しく赤色の電球の光を反射して、崩れる事無く並んでいる。
男は前掛けを脱ぎ捨てると、棚からタオルを取り出し額と手を拭う。
FMを付け、煙草を取り出し、茶のライターで火を点けた。
生臭い血肉の匂いと混ざり合い、煙は部屋を染めていく。
空き缶を灰皿代わりに立て掛けて、ぼすぼすと吸い殻が燻されている。
FMのヒットチャートが止み、2本目の煙草に火を点けた時、ドアノブが音を立てた。
朽ちかけた扉は、音を立てて開かれて行く。
入ってきたのは身の丈およそ、165センチ、少年の色が残りつつある、暗黒街の野犬だった。
黒革のレザースーツを身に纏い、高跳靴と衝撃銃、ランナーの標準装備を備えていた。
少年は男を睨むと鋭く言う。
「この店は人の肋を売ってるのか?」
まじまじと少年を見つめ男は言う。
「坊ちゃんよ、お遣いするなら表がいいぜ。」
少年は反論する。
「俺は自分の意思でここに来てる。
金もあるし、親もいない。
それに、俺が聞いてんのは「肋骨が売っているか」だ。
何なら他の店に行ってもいいんだぜ。」
男は煙草の火を消して、平謝りで引き留めた。
「すまんすまん、思わず迷子かと思っちまったぜ。
いやぁ、肋骨なら有るんだ。
何ならタダでもいいんだぜ。」
ビニールの袋から骨々を取り出して、幾らか台に載せて置いた。
背骨とくっ付いた骨の節を、そのまま手掴みでバキバキと折る。
少年はフックの生首を見て、思わずぎょっとした。
生首は、血の抜けた表情で生気を失い、虚無としての顔立ちが、そこに刻まれていた。
溢れ出る骨髄を手拭いで拭き取ると、輪ゴムで束ね、生首を見つめる少年に差し出した。
「ピッキリ7本、もっと必要か。」
少年は少し遅れ、あぁと答えて、加えてこう言った。
「やっぱり払うよ、
これも仕事のうちだから。」
「仕事ォ?
人骨ラーメン屋でも開くのか?」
「そんなんじゃねえよ。
ま、企業秘密、だけどな。」
ハハァ、と笑い声が響いた。
新しい骨を袋の中から取り出すと、
「だったら貰わない訳にはいかないな。」
と、慣れた手つきで再び肋骨を折り始めた。
骨の折られる小君良い音がこだまする。
FMでは、ビーリング・ライの「カサブランカ」が、流れ始めた。
殺風景な屠殺場の壁面が、がさついたFMラジオの音楽を、空間を満たすかの様に反響する。
男は肋骨を麻袋一杯詰め終わると、ラジオに耳を傾ける、少年に突き出した。
「48本、人間2人分だ。」
所々、とんがる袋を受け取って、財布の中から金を取り出す。
「表の肉屋が豚骨100g、300交冊。
これくらいが妥当だろう。」
少年は、紙幣「交冊」を2枚束ね、男に手渡す。
男は札を握り締め、深々と椅子に座った。
「仕事、か。」
遠くを眺める様な呟きは、煙草の煙と共に、部屋の虚空に消えていった。
「なんか言ったか。」
「いんや、なんでも無い。」
世話になったな、と部屋を出て行こうとする少年に、男は親指を立てた。
「グットラック。
儲けを祈るぜ。」
少年は微笑み、親指を立て返す。
そして扉を閉め、漆黒の夜に繰り出していった。
静まった地下から、階段を駆け上がると、弾丸の様な雨が、コンクリートを鳴らしていた。
少年はボタン式のレインコートを起動し、体が半透明の光に包まれ、路地裏を抜けていった。
大通りに合流すると、コートを解除し、屋根付きのアーケード街に紛れ込んだ。
大量のネオン看板の煌めきは、雨の湿気で霞みがかって見えた。
道行く人々のほとんどは、1日の仕事を終え、安堵に浸る労働者だった。
道脇の出店や屋台からは、とりとめの無い家族の話や笑い話がこだました。
日々の仕事の愚痴や鬱憤は、風に流され、降り注ぐ雨に溶けてゆく様であった。
皆、各々が様々な形で、互いに疲れを癒していた。
だが、少年の仕事はこれからが始まりだ。
帰り行く人々とは反対方向を進む、少年の頭の中には、ビーリング・ライの「カサブランカ」が未だ反響していた。
一歩一歩進むにつれて、原色の輝きは失せてゆき、深い闇の影が増す。
雨は容赦なく、街道に叩きつけられ、人の数もまばらになった。
浮浪者や物乞いが、路地裏に密集し、雨風から逃れている。
そのうち、人々に見捨てられ、雨風も防げ無くなった建物が多くなる。
少年もコートを起動し、道無き道を行く。
無数の水路が交差する、下水処理場に差し掛かった。
処理場、とは言えども、町中の下水が垂れ流しになる、言わば汚水廃棄場である。
鼻に付く異臭が、雨の湿気と共に漂う。
橋の下に続く階段を、少年は降りてゆく。
ボロ雑巾の様な浮浪者が、呻き声を上げ、地べたで涎を垂らしている。
鼻の下にメンソールを塗り込み、懐中電灯を取り出して、橋の下から続く下水道を進む。
壁面に張り付いた、原色豊かな廃棄物が、歪んだ極彩色で照らされている。
蝿や鼠が、腐れきったゼリー状の何かに、玉の様に群がっている。
進んだ先は、水路の合流地点だった。
ドーム場の空間は、至る所からの汚水が、上下左右、蜘蛛の糸の様に交差し、澱みに注がれている。
水面は闇の様に底無しで、澱んだ水流が深層で呻き合う様であった。
少年は麻袋の骨を、紐の付いた鉄網へ移し替えた。
右手に紐を、犇めき合う程に巻き付け、骨入りの網を澱みへ投げ入れた。
ぶくぶく、と気泡を放ち、溶ける様にゆっくり、深くへ沈む。
突然、ぐっ、と網が沈み、紐が強く引っ張られる。
汚水に落ちそうになるが、寸での所で踏ん張り切り、腰の力で体勢を立て直した。
少年の手は締め付けられ、赤く充血する。
右手、左手、と澱みから交互に紐を引き抜く。
少年の腕の筋肉に、満ち満ちと限界が近づく。
今にも千切れそうな麻紐が引き揚がると、肋骨に噛み付く、マルカニ・フィッシュの群れが、玉の様に鉄網に張り付いていた。
エラを大きく開け、酸素に飢えながらも、本能のまま、魚は肋骨に噛み付いた。
マルカニ・フィッシュは獰猛な肉食淡水魚であり、好物は人肉。
下水道に足を滑らせれば最後、水面に浮かぶのは骨だけ、いや、骨すら全て食い尽くし、残るは髪の毛だけとなる。
少年はそんなことは気にもとめず、ナイフを突き立て、魚の腹をかっ割いた。
血の滴りを払いのけ、魚の腹を注意深く覗き込むと、眉間に皺を寄せ、魚を引っぺがし、水路に投げ捨てた。
魚の玉から1つまた1つと割いては捨て、割いては捨ててゆく。
一見、この無益な殺生は、一体、何の意味を成すのであろうか。
6匹目の魚の腹を割いた時、その目的は、明らかとなった。
開かれた腹の中には、ビニールの血潮にまみれた小袋が、詰められている。
少年のくすんだ瞳に歓喜の相が走る。
慌てて取り出し、布で血肉を拭き取った。
透明な真空パックの小袋は、白の細かな粉粒がはち切れんばかりに詰まっている。
おそらく、密入された違法薬物の類だろう。
様々な貿易品が集まるこの街でも、この類の物は高値で取引されている。
両手で袋を握り締め、満足そうに麻袋にしまった。
粉から魚に視線を移し、再びナイフを突き立てる。
今度は、次から次へと小袋が、魚の腹から溢れ出る様に見つかった。
少年は何とも言えない表情で、一心不乱に魚を捌く。
喜びや、満足感が満ち足りた表情だ。
魚の死骸は血肉に染まり、止めど無く水路へ流れゆく。
あらかた魚を捌き終えると、ナイフを拭き網を捨てて、出口へ歩み始めた。
麻袋半分、収穫を肩にかけ、少年は下水道を後にする。
流れる魚の死骸には、無数の蝿が群がっている。
橋の下の浮浪者に向かって、麻袋を投げ渡す。
どこからとも無く人が集まり、麻の袋に群がった。
全員が全員見苦しく、狂気、いや、ただ欲に身を任せ、他人をあざ蹴り引っ掻き、取っ組み合う様にして奪い合っていた。
階段を登り終えると、みすぼらしい千鳥足の飲んだくれが少年にぶつかった。
ただの飲んだくれではない。
収穫に見合った報酬を、衝突の瞬間、少年に握らせた。
飲んだくれは階段を駆け下りると、棒を振り回し、浮浪者どもを追い払った。
後に続き、幾人かのランナーが駆け込み、浮浪者どもを始末した。
少年は遠目に見て、その場を後にした。
大通りの人影もまばらに消えて、商店の明かりも消え始めていた。
代わりに、アングラバーやギャング喫茶、売春宿などが、赤い暖簾を立て始めた。
行き交う人々の多くは、酒盛りを終えたほろ酔いの労働者だった。
ゆったりとした歩みの中を、少年は掻き分け、ずかずかと進んでいった。
もう、彼の頭の中に「カサブランカ」は響いていない。
手に入れた金の使い道、頭の中はそれだけであった。
ポケットの中の札束を握り締め、少年は歩み行く。
街は、今静かに眠りにつく。
だがその裏で、今宵も多くの血が流され、多くの金が行き交う。
火花散る撃鉄の音が、地下深くこだまする。
人は眠っている間も呼吸をする。
たとえ虫を吸い込もうとも、眠りは止まないのだ。
降りしきる雨は、一体何時止むのだろうか。
永遠に続くかの様な暗雲が、月に覆いかぶさり、その光を陵辱しているかの様であった。