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月の降る夜  作者: 根室秀太(ろひ)
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第三話 バイオスフィアⅢ

「――で、ここが第一研究実験棟。普段の授業では使わないけれど、実習が必要なときにはここにお世話になるね」


 午前の授業が終わり、今は昼休み。

 オレは今、由宇に学校の設備を説明されながら、あちこち校舎を回っている。


 転校初日ということで担任の先生から促され教室に入ったのだが、なんという運命の采配か、由宇も同じクラスだった。

 ある意味、孤立した立場の俺にとっては、ありがたい状況だった。

 オレは新参者としての挨拶を早々に済ませて自分の席に座り、先ほど午前の授業を終えたところだった。


 この学校は、思った以上に広かった。

 さっきまでまで歩いていたのが、オレが授業を受けていた「一般教育棟」。

 全部で5クラス×3学年の生徒が一か所に集まるだけあって、それなりの規模だとも思ったが、「実験棟」はそれをさらに上回る広さだった。

 一般教育棟から5分ほど離れたエリアに、その実験施設を集約している。

 実験棟は、今由宇から案内されている「第一研究実験棟」を含め、全部で3つあるらしい。

 さらに試験的な製品をここで作成可能な「工場棟」というものもある。

 つまりこの学校には、一般授業以外の施設だけで、いくつもの校舎を建ててしまうだけのカリキュラムがあるということだ。

 その施設は一般の研究所にも貸し出されており、オレのオヤジもこのエリアのどこかにいるはずだった。

 まるで、どこかの大学みたいだ。

 いや、大学に行ったことは無いけど、イメージとして。


 馬鹿みたいに口を開けて校舎を眺めていると、由宇が肩を叩いてきた。

 いつの間にか立ち止まっていたらしい。


 「んじゃ、そろそろ中に入ってみましょ」


 オレは由宇に促され、施設の中を案内してもらうことにした。

 

 ここは、第二研究実験棟。

 主に「電気」を扱う施設で、電気回路や、発電の仕組みを学習するための実験室。回路の作成などに使われる実習室などがあるらしい。

 入り口から、そっと中を覗く。

 ハイテクな中身を想像していたのだが、思ったより古ぼけた印象だった。

 由宇に聞いてみると、ここは既に築40年を過ぎているそうで、開設当時は最先端の実験機器を集めた日本でも有数の実験施設だったのだが、今は設備を更新する金もないらしく、壊れた実験装置なんかもそのままにしてあるらしい。


 一歩、足を踏み出し、入ってみる。

 ひんやりとした空間。

 廊下を挟んで両側に、各種の実験室が並んでいる。

 実験室に入るドアには窓がなく、中を伺い知ることができない。

 廊下の照明があちこち切れているせいもあって、全体的に、かなり薄暗い。

 オレが前に通っていた高校では、少なくとも教室のドアに採光用の窓が付いており、それなりに明るかったので、えらい違いだ。

 オレはキョロキョロと首を左右に振って、配置された実験室の扉に書かれている名札を眺めつつ、前へ進んでいく。

 そこにある一つの実験室が目に留まり、思わず立ち止まった。


 扉の入り口には、黄色と黒の警戒色で構成されたステッカーが貼られていた。

 いわゆる原子力マークである。

 由宇がオレの視線に気づいたのか、扉の上に設置されている「実験中」のランプを指して、俺に説明した。

 今は消灯している状態だ。実験する際には、ここに明かりが灯るのだろう。


「あ~これね。 入口のランプがついてる時は、絶っ対に入らないでね」

「入ると、どうなる?」


 怖いもの見たさと念のため、一応聞いてみる。

 くるりと由宇がオレのほうを振り返った。

 目が据わっている。


「何も起こらないよ。 その場では、ね」


 最高の脅しをありがとう。

 オレはそこから1mほど離れて歩くことにした。

 由宇は後ろでくすくす笑っている。


「職員室もこの棟にあるよ。 なるべく、先生に呼び出されないようにしたいものだねぇ・・・

 ところで、もう専攻決めた? 明日までに提出しないとだよ」

「一応、ロボット工学にしてみた」

「へー。あそこ結構厳しいって聞いたけど、大丈夫?」


 そう。

 この学校の授業のカリキュラムにおいても、今まで通っていた高校とは全く異なっていた。

 ここは工学系の教育に力を入れており、化学、機械工学、電子制御工学、情報工学など、理系の分野に特化していた。

 また、「普通科」などという学科がないので、オレが入学する際にも自分の専攻を選んでいた。

 だから、オレはその中でも「ロボット工学」を選ぶことにしたのだった。


 アンドロイドと呼ばれるロボットが、この日本に浸透して久しい。

 育児、介護、建築、製造、化学。

 ありとあらゆる分野で、アンドロイドがヒトの仕事を手伝っている。

 流石に個人で買うには手が届かないが、それでもパッと見てそれとわかるアンドロイドが街を歩いている。

 寂れた小さなこの街ですら、そうなのだ。

 東京などの都会だと、一見してわからないような、精巧に作られたものもあるらしい。

 どうしてバランスを崩さず歩けるのだろう。どうやって目の前の人間を認識しているのだろう。

 常々疑問に感じていたその中身を、知りたくなった。

 この学校では、それを学ぶことができる。

 だから、本格的に知ってみたかったのだ。


 ―――ただ。

 今、オレはその軽率な行動を非常に後悔している。


 オレは一応理数が得意な方だったので、特に何も考えずにこの学校を選んでしまったのだが、入学初日における最初の授業で、改めて専門教育の恐ろしさを思い知らされた。


 この学校はレベルが高い。

 というか高すぎる。


 理数系の授業に限定して言えば、2年生の段階で一般高校における授業はほぼ終わりとなり、3年からは大学のように専門的な授業を受けることになる。

 オレは普通高校から転学していて年次における単位が足りていないので、補習という形で授業を受けることになった。

 この補習は通常の授業の後に行われ、夕方5時ぐらいまで続く。


 通常の授業は、それらの知識が前提となっている。

 その授業についていける為の予習復習と並行して、補習で単位をとる為の勉強(ただし、オレからすれば遥か先の勉強)を行わなければならない。


 ・・・やっべ。選択間違えたわ。マジで。


 最小二乗法ってなんだよ。

 ラプラス変換ってなんだよ。

 フーリエ級数ってなんだよ。

 脳みそから数式が溢れそう。


 いきなり初日からこんな感じだった。

 そしてこれから卒業するまで、こんな感じで高校生活が続くのだ。

 そんな落ち込んだ気分を感じ取った由宇が見かねて、気分転換に学校内を案内してくれているのだった。


「さてさて、最後にいいとこ紹介してあげましょう」


 あらかた校舎巡りを終えた由宇が、ニコニコしながら振り返った。


「いいとこ?」

「んふふ、まだ秘密です。 行ってからのお楽しみ」


 なにやら嬉しそうである。

 とっておきの場所ということなんだろう。


「結構、遠いの?」


 オレは携帯の時計を眺めながら尋ねる。

 学校中を案内してもらったおかげで、校内の位置は把握できた。

 けれどもそろそろ午後の授業が始まる時間だ。

 そろそろ潮時だろう。


「んー。 その物自体は遠くにあるけど、見るだけならすぐ近くだよ」

「?」

「まぁ、着いて来なさいって」


 由宇はオレの背中を押しながら、廊下の一角にある階段へ向かう。上へ、登るらしい。

 暗い階段を登り続けると、突き当りにはドアがあった。

 屋上か。

 そう思うと同時に、由宇がドアの前に立った。

 冷たく、重い鋼鉄製のノブを両手で握ると、由宇はなにか芝居がかったように、ゆっくりと回した。


 ドアの隙間から目に差し込んでくる、真っ白な光。

 眩しさに眩んで、目を細めてしまう。

 そして、ドアが完全に開かれると同時に吹き込んでくる風。

 冷たい潮の匂いを纏った外気が、オレ達の間を吹き抜けていく。

 急に襲われた寒さに、思わず身を縮こまらせる。


「こっちだよ」


 外に出た由宇がオレの右手を掴むと、ぐいぐいと引っ張る。

 屋上の左手奥にある落下防止柵。そこまで来ると由宇は振り返り、「どうだ」って顔でオレを見つめている。

 オレは、柵の向こうに目を凝らした。


 そこは海に面した4階建ての校舎から、東京湾が一望できる場所だった。

 青い海が、オレの眼下に広がっている。

 青い空と、青い海。

 色味の違う二つの蒼が、オレの視野に飛び込んでくる。



 そこに、巨大な宇宙船がった。



「バイオスフィアⅢ・・・」

「そ。 あれが君のお父さんが乗る船だね」


 思わず言葉を失ってしまう。

 それは、はるか遠くにあるにも関わらず、あまりにも巨大過ぎて全体を見据えることができない。

 構造物の奥は、大気に霞んでぼやけてしまうほどだ。

 宇宙船はそれほどまでに大きく、視界一杯に広がっていた。


 昔、オレたちの父や母が子供の頃に夢見た世界。

 漫画やアニメで幾度となく描かれた世界。

 宇宙船に乗って、星の海を旅する。そんな夢物語が今、現実となってそこにあった。

 雑誌や新聞では何度もニュースになっているし、オレはそれに何度も目を通した。

 でも、実際に見るのとでは訳が違う。

 オレは宇宙船の、圧倒的な存在感に声も出なかった。


 こんな大きさの宇宙船は、既存の技術じゃ打ち上げられなかっただろう。

 2010年頃から急速に発達を遂げたテクノロジーによって、人類は重力を制御するだけの力を手に入れたのだった。




 自然界には4つの力、というものがある。

 強い力、弱い力、電磁力―――そして、重力。

 それぞれの力には、その力を媒介する粒子があり、それをゲージ粒子という。

 強い力(膠着子こうちゃくし、グルーオン)とは、有体ありていに言えば原子を作る力だ。元素を形作る上で、元素が元素である為に必要な中性子、陽子などを結合させる力のことを指す。

 弱い力(弱中間子、ウィークボゾン)は、放射能や星の反応を起こす力だ。原子崩壊や、核反応が行われる力を指す。

 電磁力(光子、フォトン)とは、原子同士を繋げて分子を作る力だ。俺や、由宇、校舎、全ての物体の形を繋ぎ止めている力を指す。

 そして、重力。ありとあらゆる物体に働く力であり、4つの力のうち「最も弱い力」と言われている。地球にオレ達を繋ぎ止めている力、天体間に働く力を指す。

 重力を司る粒子「重力子グラビトン」は、存在は予言されていたが、その「最も弱い力」であるが故に、20世紀末までは誰も発見できなかった。

 その重力子が、10数年前に発見された。ネットニュースは当時史上最大の盛り上がりを見せ、世界中の科学者からの注目を集めた。

 発見できれば、利用できる。

 重力子を有効活用するための長い研究が始まり、長い年月を経て、重力をコントロールする技術が開発されたのだった。


 この宇宙船は、その「重力」をエネルギーとして宇宙そらを飛ぶ。


 バイオスフィアⅢには、重力を制御するエンジン「グラビティドライブ」が搭載されている。

 グラビティドライブによって、辺りを取り囲む物体から発せられる重力子を捕まえ束ねることによって、数億トンともいわれる自分を浮かび上がらせる為の動力としている。

 このグラビティドライブの実証試験機として作られたのが「バイオスフィアⅢ」であった。

 だからこの宇宙船には、昔のロケットにあるような巨大なブースターを必要としない。

 物体に質量がある限り、そしてその質量が大きければ大きいほど、その質量から生じる重力をエネルギーとして空を飛ぶことができるのだ。

 この星における最大の質量を持つ物体とは、もちろん地球そのものだ。

 この宇宙船は、地球が持つ莫大な質量をエネルギーとして、単独で大気圏を脱出できる。

 そして惑星間の航行には、太陽や惑星の引力と、宇宙船そのものの微小重力、そして、新たに開発された超高効率のイオンジェットエンジン、ソーラーセイルなどの補助動力群を利用する。


 もうまもなく、宇宙へ行くのに膨大なコストをかけてロケットを打ち上げる時代が終わる。

 宇宙ホテルや、月面旅行、火星のテラフォーミング(地球化)なども夢ではない時代が、もうすぐやって来る。



 ――――と、オレが愛読している「天文マップ」には書かれていた。

 以上の知識はすべて、雑誌の受け売りである。



「大きいね」

「え?」

「あの宇宙船。何処まで行くんだろうね」


 不意に、由宇が呟く。

 由宇は、遥か遠くの海に浮かぶ宇宙船を眺めながら、傍らの給水塔に身を預けていた。


「月に行って、その後は火星を経由して木星に行くらしいよ」


 これも天文マップの受け売りである。


「そのあとは、どうするの?」

「さあ・・・? 一度帰ってきて、また遠くへ行くのかな?」


 実証試験が終わった船は、一度地球に戻り、次なる航海に向けて再整備が行われる。

 バイオスフィアⅢの帰還予定は、2035年4月。その後の計画は、まだ立っていない。


「わたしも行ってみたいなぁ・・・宇宙へ」


 由宇は目を細くして宇宙船を眺めている。

 科学が進んで、人が宇宙へ行けるようになったとはいえ、それは一部の人間だけの話で。

 オレ達普通の高校生には、まだまだ無縁な話だ。

 こうやって、遠くからそっと眺めていられるだけでも幸せなのかもしれない。

 いつかオレ達が歳を取って、宇宙を旅する事が当たり前になった時代が来たとして。


 オレは、何処に行きたいと思うのだろうか。


「どお? 良かったでしょ?」

「確かに、最高だな」

「でしょ?」


 東京湾の、青い海に浮かぶ真っ白い船。

 近いうちに、この船は地球を離れて長い航海へと旅立っていく。遥かなる星の海を目指して。

 そんな船に乗った自分を想像してみる。

 それは、どんな気分なんだろう。

 長い長い旅の終わりに、何を見つけるのだろう。


 オレたちは時間も忘れて、白く輝く星の船を眺めていた。



 そこに遠くから聞こえる、チャイムの音色。

 授業の開始を知らせる、悪魔の音色だ。


「うわっ、やばっ!」


 由宇が時計を眺めながら叫ぶ。

 どちらからともなく顔を見合わせると、オレ達は急いで教室に駆け戻って行った。

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