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僕と彼女の話。  作者: 僕
1/3

幸せをもう一度

よろしくお願いします。

煙草で黄ばんだカーテンが風で柔らかく揺らいだ。

何日の間も電源をつけていないテレビにはうっすらと埃が積もっている。

大きく深呼吸をして、肺にたまった淀んだ空気を吐き出す。

一回、二回、三回。閉じた目をゆっくりと開けると、小さな画面にうだつのあがらない男が映っているのが見えた。

顔を近づけて顎を撫ぜると無精髭が掌に引っかかる。

最後に剃ったのはいつだったかな。いや、それよりも、最後に外へ出たのはいつだったかな。

ぽっかりと、ここ数日は空虚な靄に包まれたままだ。

今日が何曜日なのかもわからない。

ベットソファに細長いテーブル、小さな棚と小さなテレビ、それだけしかない狭いワンルーム、まるで深く暗い落とし穴の底にいるようだ。

きっと上を見上げれば、点のような空だけが見えるだろう。


一人きり、今は一人きりだ。そう彼女はもういない。

テーブルに飾られた不安定な花瓶。

そこに咲いている彼女が好きだった花、白いスズランの花弁を指先でつつく。

僕の部屋の唯一のインテリアだ。

小さく可愛いと嬉しそうにしゃべっている彼女の横顔を、僕はずっと見ていたことを思い出す。

小さな目、筋の通った鼻、薄い唇、少しふくよかな頬にかかる細い髪。

あの頃の僕は彼女で満たされていた。


強い風が窓から部屋に吹き込みカーテンがはためいた。

外を見ると、雲行きが良くない。

今夜は雨だろうか。

珍しく外に干した洗濯物が何故だか気にかかった。


五日前、彼女は僕からの電話に出なくなった。

三日前、彼女はうつむきながらさよならと言った。

何が何だか分からなくなって、僕の周りの色が無くなっていった。

それでも白いスズランは白いままだった。

二日前、彼女は僕の部屋に置いた私物を取りに来た。

僕は必死に謝った。何が悪いのかは分からなかったけれど、自分が空っぽになるのが怖くて、とにかく謝った。

でも彼女は僕の言葉を無視して、お気に入りの花の図鑑を探していた。

それで僕はもうダメなんだと悟った。だから・・・


三度風が舞い込んだ。

風は先ほどよりも強く、テーブルの上の花瓶を薙いだ。

鈍い音を立てて生まれた破片は、床に落ちて渇いた音を鳴らした。

屈んで破片を拾おうとすると、テーブルの下に彼女の探していた図鑑があった。

こんなところにあったのか、そう思いながらパラパラとページをめくる。

ちょうどスズランのページで手が止まった。

スズラン亜科スズラン属、多年草、英名Lily of the valley、谷間の百合・・・か、洒落た名前だ。

詳しく読んでみると、毒性が強く人を死に致らしめることもあると書かれていた。

また、花言葉は「幸せをもう一度」なのだと皮肉なことも書いてあった。

図鑑から目を離すとテーブルの上にスズランの花が散っていた。

そのバラバラな姿も彼女を彷彿とさせる。

違っているのは色、紅と白。

ポツ、ポツ、とテーブルからこぼれた水が滴る。

窓から見える空はいよいよ降り出すといった模様だ。

洗濯物を取り込まなければ。

いや、その前に風呂場を掃除しないといけない。

ゆっくりと立ち上がると足の裏に痛みを覚えた。

刺さった破片が紅い血に沈んでいた。

そして僕は気づいた。

割れた花瓶は、散ったスズランの花は、もう二度と元に戻ることはないのだ。

もう二度と。

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