表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

嫌ってはいけない人間

作者: 二歩田 透
掲載日:2026/05/21

 その街には、「嫌ってはいけない人間」がいた。


 見た目ではわからない。


 名札もない。

 証明書もない。

 能力に違いもない。

 話し方も、服装も、歩き方も、特別ではない。


 ただ、いる。


 そして、その人を嫌ってはいけない。


 睨んだ。

 避けた。

 返事が冷たかった。

 席を立った。

 笑わなかった。

 誘わなかった。

 言葉を選ばなかった。

 相手が泣いた。

 相手が怒った。


 それだけで、名前が載る。


 昨日まで普通に暮らしていた人間が、翌朝には知らない誰かたちに裁かれる。


 説明しても無駄だった。


 そんなつもりはありませんでした。


 それは言い訳ですね。


 嫌っていません。


 嫌った人はみんなそう言います。


 ただの行き違いです。


 傷ついた人がいるんですよ。


 気をつけます。


 今さら遅いです。


 その街では、誰も本音を言わなくなった。


 正確には、本音が顔に出ないように訓練するようになった。


 鏡の前で笑顔を作る。

 うなずく角度を練習する。

 困った時の相槌を覚える。

 断る時は、三回謝ってから理由を言う。


 理由は短すぎてもいけない。

 長すぎてもいけない。


 短いと冷たい。

 長いと嘘くさい。


 ちょうどよい謝罪だけが許された。


 だが、ちょうどよい謝罪とは何か。


 誰も知らなかった。


 ある日、職場で一人の新人が泣いた。


 原因は、係長が資料のミスを指摘したことだった。


 係長は怒鳴っていない。

 机も叩いていない。

 人格も否定していない。


 ただ、赤字の数字が違います、と言っただけだった。


 新人は黙ってうつむき、午後には早退した。


 夜、投稿が出た。


 職場で人間性を踏みにじられました。

 存在を否定されました。

 もう働くのが怖いです。


 係長の名前は書かれていなかった。


 だが、職場名と部署名と役職は書かれていた。


 翌朝には、係長の顔写真が出回っていた。


 誰が出したのかはわからない。


 係長は言った。


「私は、数字が違うと言っただけです」


 誰も返事をしなかった。


 返事をすれば、巻き込まれるからだ。


 その日の夕方、係長は謝罪文を出した。


 謝罪文はさらに燃えた。


 誠意がない。

 言い訳している。

 傷つけた自覚がない。

 謝れば済むと思っている。


 係長は三日後に出勤しなくなった。


 新人の席も、空いたままだった。


 だから、誰もわからなかった。


 泣いた新人が「嫌ってはいけない人間」だったのか。

 その投稿を書いたのが新人本人だったのか。

 それとも、見ていた誰かだったのか。


 ただ一つだけわかった。


 次に誰が泣くのかを、誰も知らない。


 その街では、優しさは選択ではなく、防具だった。


 私はその頃から、人の顔を見られなくなった。


 誰が「嫌ってはいけない人間」なのか、わからない。


 そもそも、嫌ってはいけない人間とは何なのか。


 誰が決めたのか。

 どこに登録されているのか。

 本人は知っているのか。

 知らないのか。


 それすら、誰も聞けなかった。


 聞けば、疑っていることになる。


 疑うことは、嫌っていることに近かった。


 ある日、駅で人と肩がぶつかった。


 私はすぐに謝った。


 相手は黙ってこちらを見た。


 怒っているのか。

 泣きそうなのか。

 何も思っていないのか。


 わからなかった。


 私はもう一度謝った。


 相手は何も言わなかった。


 私は三度目を言うべきか迷った。


 謝りすぎると、かえって馬鹿にしているように見えるかもしれない。


 謝らないと、反省していないように見えるかもしれない。


 相手の表情を読み取ろうとした。


 その瞬間、自分が相手の内心に踏み込もうとしていることに気づいた。


 それもまた、危険だった。


 私は黙った。


 相手も黙っていた。


 電車が来た。


 私たちは別々の車両に乗った。


 その夜、ネットを見た。


 駅でぶつかられたのに、冷たい目で見られました。


 という投稿はなかった。


 私は安心した。


 安心した自分が、嫌だった。


 この街では、人を傷つけなかったことではなく、炎上しなかったことで安心するようになる。


 誰もが優しくなった。


 誰もが慎重になった。


 誰もが言葉を選んだ。


 そして誰もが、少しずつ人を避けるようになった。


 嫌ってはいけない人間がいる。


 それは、とても正しいことのように言われていた。


 だが、その正しさの中で、誰もが互いを地雷のように見るようになった。


 見えない。

 わからない。

 踏めば終わる。


 だから近づかない。


 それが、この街の優しさだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ