第2話 魔法を話す子供
「アルヴィス様、少しだけお部屋を失礼いたしますね」
部屋の扉が静かに閉じると、私の周囲は再び魔力の静寂に包まれた。
生まれてから一年と少し。
私はようやく“立つ”ことを覚えた。
この世界では一般的に一歳半ごろが“歩き始め”の頃だが、私は明らかに早かった。
転生者としての身体制御の理解と、前世の経験による感覚の残滓が、それを可能にしたのだろう。
とはいえ、身体の筋力は未熟で、走り回れるほどではない。
ただ、私はそれよりも、別のことに夢中だった。
魔法――この世界の“言語”。
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「坊ちゃま、そろそろお目覚めのお時間でしょう」
クラウスの低く落ち着いた声が扉越しに届く。
彼は私の執事であり、この館で最も信頼される教育係でもある。
その声に合わせて、私は魔素の流れを整えた。
それだけで、窓辺の小鳥たちが一斉に羽をふるわせた。
「……ふむ。今日も周囲と共鳴なさっておられる」
クラウスは目を細めて微笑んだ。
私の“意志”が、周囲の小さな生命にまで伝わっていることに、もはや驚きはないらしい。
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「……本日は、帝国評議会から来客がございます。
ですが、坊ちゃまにはご心配なく。お部屋で、あの魔導石の組み替えをお楽しみくださいませ」
クラウスはそう言いながら、小さな机の上に色とりどりの魔導石を置いた。
それぞれの魔導石には微弱な属性魔力が刻まれている。
赤は炎、青は水、黄は雷、白は光……
私は指先を伸ばし、青と白の魔導石を選び取った。
それを並べ、手のひらに置く。
そして、言葉を使わずに――“感情”を込める。
(――安心)
すると、石が淡く共鳴し、ゆっくりと空中に浮かび上がった。
私はただ、心を預けただけだった。
けれどそれで十分だった。
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その様子を見ていたクラウスは、微かに口角を上げた。
「……この年齢で“感応魔術”の初歩を行使なさるとは。まったく、ご両親のどちらに似たのやら」
それは表面上の冗談であり、事実をよく知る彼なりの称賛だった。
母――セシリア。
父――ジークフリート。
どちらも帝国でも屈指の魔術の使い手である。
だが、私の“魔法”はそれとは少し異なっていた。
それは技術ではなく、“心そのもの”だった。
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やがて、母が妹を連れて部屋に入ってきた。
「アルヴィス、ソフィアを見てあげて。あなたの妹よ」
セシリアの腕の中には、小さな命が眠っていた。
柔らかな金の産毛に、母の面影をそのまま写したような白い肌。
私はそっと手を伸ばし、妹の額に触れた。
すると――
ソフィアの小さな手が、私の指を握った。
そして、母の胸元に眠っていた精霊が、ふわりと揺れた。
「……共鳴、してるのね」
母の瞳が、私の表情を読み取って言った。
「ソフィアがあなたの“やさしさ”に応えたの。魔法の言葉ではなく、感情の手紙ね」
私は小さく頷いた。
言葉では伝えられない。
けれど、確かに“想い”は届いていた。
ソフィアの鼓動が、魔素の流れと共に、私の胸に響いていた。
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夜。
クラウスが灯した魔石灯の明かりの中で、私はベッドの上に座っていた。
その隣に母が腰を下ろし、小さな杖を取り出した。
「今日は、“心を包む”魔法を教えてあげましょう」
そう言って、母はふわりと光の糸を編み始めた。
淡い水色の魔素が空間に浮かび、小さな繭のような形を作り上げていく。
「これは“癒し”の術式。感情を安定させ、心を包む魔法よ。
でもね――大事なのは、“何を伝えたいか”なの」
私はその光に向かって、魔力を差し出す。
まだ不安定なそれは、ふらふらと揺れながらも、確かに“何か”を形にしていく。
「……すごいわ。アルヴィス。あなた……」
母の目が見開かれる。
私の魔力が、母の術式と溶け合い、“安心”と“ぬくもり”を帯び始めたのだ。
「こんな魔法……教えた覚えはないのに。あなた、自分で心を語ったのね」
私は微笑み返した。
まだ言葉を話すことはできない。
けれど、魔法ならば――想いを伝えられる。
この世界に生まれ、私は再び“語る”ことができるようになったのだ。
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扉の向こうから、父と母の会話がかすかに聞こえる。
「……魔力の流れを感じ取っているだけではない。あの子は、“感情そのもの”で術式を形にしている」
「ジーク……それって、まさか……」
「――共鳴核理論。かつて禁術とされた“心象魔術”の発芽だ」
「……でも、それは……」
「問題はない。むしろ……これは希望だ。あの子が、魔法に心を与えるなら――」
父の声が低く、しかしどこか安堵に満ちていた。
私は、胸に手を当てる。
(……ありがとう)
魔法で“声”を紡いだ。
その瞬間、扉の向こうの母が振り向いたような気がした。
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私はまだ話さない。
言葉を知らない。
だが、魔法という名の言語を使い、世界と対話している。
これは“最強”などという単純な力の物語ではない。
これは、心を伝える物語。
魔法を愛し、魔法で語る者の、旅の始まり――
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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