第17話 静かな軋み
静けさが、屋敷を包んでいた。
だがその静けさは、安らぎから来るものではない。
それは、ひたひたと迫る何かを、誰もが察していながら口にせぬときに訪れる類のものだった。
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「……坊ちゃまの術式、報告書にまとめ終えました」
騎士団副長のラウルが、応接室にて報告を終える。
その向かいに座るのは、エルンスト家の主――ジークフリート。
傍には執事長クラウスと、軍務文官のマゼランも控えていた。
「七階梯級の複合魔法を即時展開、しかも制御環は一重。
魔素収束の精度、術式展開速度、いずれも神殿記録基準を超えています。……常識外の数値です」
ラウルは淡々と告げた。だが、その声の奥には、確かな“畏怖”があった。
「……異才とは、いつもそういうものだ」
ジークフリートが、グラスを傾けながら言う。
「アルヴィスは、まだ五つ。だが“すでに”中等師範クラスの術式を会得している。
その現実を見据えねば、我が家は帝国に対して“中庸の要”を保てぬ」
「――御意」
クラウスらが頭を垂れる。
「皇帝陛下より、非公式ながら勅報がございました。
“いかなる政治勢力も、坊ちゃまへの接触を控えるように”と。
同時に、陛下直轄の記録官が、近日中に視察を希望されております」
「早いな」
ジークフリートの声に、マゼランが答えた。
「……“早さ”が、この帝国の最も恐ろしい強みです」
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その頃――
アルヴィスは、書庫の一角で静かに書物をめくっていた。
内容は、結界術における“魔素の逆位相干渉”について。
幼い手には分厚い本がやや重たかったが、彼の視線はどこまでも真剣だった。
「……地属性の結界は物理遮断、空間属性は位相安定。
じゃあ、両方を組み合わせたら――」
「“転移拒絶陣”になるわ」
聞き慣れた声に、顔を上げる。
母・セシリアが、書架の影からそっと現れた。
「すごいわね、まだ誰にも教わっていないのに……理論を組み立ててる」
「……だって、誰かが入ってこられたら困るでしょう。
ソフィアを寝かせてる部屋の防衛、強化しておかないと」
セシリアは思わず笑みをこぼした。
「あなたは本当に、守るために強くなろうとしているのね」
「それしか考えてないよ、今は」
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一方、騎士団詰所。
団長のレオナール・ヴァルステルは、黙って報告書の束を見つめていた。
その表紙には、赤い封印――“機密指定・内示可”の印。
「……この子が、帝国の“未来”になるかもしれん」
そう呟いたのは、かつてジークフリートにも仕えていた先代の副団長。
「おまえが見てきたアルヴィス坊ちゃまは、どんな子だ?」
「礼節を守り、学を求め、力を奢らず、妹を愛し、母を気遣い、父を敬う子です。
――ただし、魔素の流れだけは、誰とも違う。どこか、底がない」
「底がない、か」
レオナールは立ち上がり、剣の鍔に手を置いた。
「ならば我らが支えるべきは、“力ある子”ではなく――“人である彼”だな」
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夜。
アルヴィスは書斎の椅子に腰掛け、筆を握っていた。
今日もまた、自分用の術式帳に“魔素安定式”の新しい構文を記録していた。
隣のソファでは、ソフィアがくたくたに眠っている。
「……ソフィは、私が守る」
ぽつりと呟いた声に、誰も応えない。
けれど、揺れる燭火が、それを聞いたように揺らいだ。
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静けさは、屋敷の外にも広がっていた。
帝都南街区に位置するとある古い屋敷――
「“あの子”が覚醒したそうね」
ほの暗い部屋の奥で、貴族らしき者が小さく笑った。
「帝国の中庸が動かぬ限り、我らも静観するしかあるまい。……だが、あの子が動くなら」
「――均衡が、崩れるかもしれませんな」
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静けさの中に、小さな軋みがあった。
それはまだ“音”を立てぬ。
だが、確かに“始まり”だった。
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