第15話 才能の輪郭
陽光が穏やかに差し込む訓練場。
その中心で、私は静かに立っていた。
「――アルヴィス坊ちゃま、準備はよろしいですかな」
老魔導師クラヴィスが、ゆっくりとした足取りで杖を地に突いた。
その視線は、とても真剣だった。
「ああ、始めよう」
私の声は落ち着いていたが、胸の奥には確かな高鳴りがあった。
今日は、正式な訓練の初日。
属性魔法の基本すべてを学ぶ“感応試練”が、今から始まる。
周囲には、数人の騎士団の上級士官と、母セシリア、執事長クラウス、そして数人の魔法文官たちが控えていた。
ただの訓練のはずなのに、妙に多くの目が私に注がれていた。
いや――それは当然なのだろう。
祝福の儀で見せた奇跡。
その真価を、この場で見極めるために。
「では、まずは風じゃ。身を軽く保ち、感応に集中するのじゃ」
私は、右手を前に伸ばし、魔素の流れに意識を沈めた。
一陣の風が吹く。
魔素に私の意志が溶け込む。
“流れて、舞え”
風は即座に応えた。私の足元から滑らかに吹き上がり、
訓練場の空気全体を静かに、しかし確かに揺らした。
「……風属性、反応時間一秒以下。精度、神殿基準を大きく超えております」
背後の記録官が思わず息を呑む声が聞こえた。
だが私は、その声に反応する余裕すらなかった。
すぐに次の属性――地。
私は地面に手をかざし、術式を展開する。
「構築、起動――〈岩盾〉」
瞬時に、私の前に人の背丈ほどの岩の盾が隆起した。
その表面には、歪みもひび割れもない。魔素は密で、計算も正確。
「……次。水を」
クラヴィスの声に、私は深く頷いた。
水。
癒しと再生、そして“包容”の属性。
私は小さな水球を浮かせ、治癒系の初級魔法を模倣する。
その水球は、まるで心臓の拍動に合わせるように、
ふわりと脈打ち、そして柔らかに光を宿した。
「これは……第3階梯の治癒模倣式。だがあの方は、詠唱すらしていないのか……」
誰かがつぶやいたのを、私は聞き逃さなかった。
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光、闇、雷、氷。
そして精神属性に触れた時――クラヴィスが、初めて杖を強く地に突いた。
「やめい!」
その声に、魔素が揺れた。
「……いま、魔素が暴れかけたのを感じたかの?」
「……はい。精神属性は、私の“感情”に強く引きずられる……」
「その通りじゃ。精神属性とは、最も“心”を映す高位魔法。
制御できなければ、他者どころか己をも呑む」
クラヴィスの声は、静かに、だが深く重かった。
「……おぬしの才は、すでに“常軌”ではない。
だがそれを使う覚悟と制御がなければ、それは“呪い”になる」
私は息を呑み、ただ頷いた。
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訓練の終盤。
私は小休止として、中央に戻り、水を口にした。
遠くで見守っていたセシリアが、微笑みながら近づいてくる。
「……わかってはいたけど、あなたの中に、あれほどの強さがあったなんて」
「……強さ、なのかな」
「ええ。“恐れ”を抱かせるほどの強さよ。でも、あなたはそれを振るわなかった。
だからこそ、私はあなたを誇りに思うわ」
私は少しだけうつむき、息を吐いた。
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その後ろから、小さな足音が近づいてくる。
「アル兄!」
ソフィアだった。
彼女は、走り寄ると迷わず私の膝に飛びついてきた。
「すごかった! 風、ばーって! 氷も、ぴかってしてて!」
「ありがとう」
私は、彼女の柔らかい髪に手を乗せる。
その瞬間――
私は、心から安堵していたことに気づいた。
誰かが恐れても。畏れても。
この子だけは、何も変わらずに、私を“兄”として見てくれている。
訓練の片隅で、執事長クラウスが呟く。
「……“才”とは、祝福であると同時に、孤独の兆でもありますな」
老魔導師クラヴィスは、それに答えるようにぼそりと返した。
「それでも、“畏れられる子”が、“愛される子”であり続けるなら――
その未来は、まだ救い得るのじゃ」
空は高かった。
魔素はまだ私の指先に残っている。
けれど、それはもはや私を焦がす火ではなかった。
それは、確かに――
“誰かのために在るべき才覚”として、輪郭を持ち始めていた。