第14話 理の門を叩く日
春の終わり、陽光がやわらかく差し込む日の夕刻。
風は穏やかで、空にはかすかに桜の花びらが舞っていた。
私は、ソフィアの部屋の前にいた。
扉の向こうから、彼女の笑い声と、メイドのクラリッサの優しい返事が聞こえる。
妹の魔素は、日ごとに柔らかく、けれど確かに強くなっている。
だが、それ以上に――私は思い知っていた。
あの日。
“風と遊んだ”あの日。
私はようやく、魔法とは“優しさ”だけではないのだと気づかされた。
風の力を借りて、ソフィアの笑顔を守れた。
だが、もし、あれがただの遊びでなかったら?
もし、風が、敵意と共に牙を剥いていたとしたら――
私は、妹を、守れていただろうか。
「……今の私では、まだ“誰かを守る強さ”が足りない」
私は魔素に想いを込め、小さく自問する。
「ただ優しく魔素を撫でるだけでは、“敵意”には抗えない」
だから――
私は決めた。
戦う魔法を、学ぶ。
妹を、家族を、大切なものを守るために。
私は、父ジークフリートの執務室の扉を叩いた。
__________
重厚な書斎に父の静かな声が響く。
「入れ」
私は扉を開き、躊躇わず進み出た。
「父上。私に、“本当の魔法”を教えてほしい」
ジークフリートの瞳がわずかに細められる。
「本当の魔法、か……。その言葉の意味、わかっているのか?」
「ええ。私は今まで、魔素の繊細な触れ方や心象の投影など、“語る魔法”ばかり学んできました。でも、それだけじゃ――守れない」
私は、ソフィアの笑顔を思い浮かべた。
「誰かを“守り抜く力”がほしい。そのための、戦う魔法を」
ジークフリートは、長い沈黙ののち、ゆっくりと立ち上がる。
「……よかろう。ならば、お前に“理”を教えるにふさわしい者がいる」
彼は机の横に立てかけてあった鐘を小さく鳴らした。
数分後、重厚な扉の向こうから、杖をついた男が姿を現した。
「お呼びかの、ジーク坊――いや、今や公爵閣下か」
しわがれた声、深い紺色のローブに身を包んだ痩身の男。
「紹介しよう。アルヴィス、お前の魔導師範となる――クラヴィス・メレインだ」
クラヴィスは細い目をすぼめ、私を見下ろした。
「ふむ……これが、噂の“祝福の子”かの」
「……よろしく、クラヴィス」
私は、頭を下げた。
「ほう、礼儀も心得ておるとは。見た目ばかりでなく、中身も磨かれておるようじゃ」
彼の声は老人らしく枯れてはいたが、決して衰えてはいなかった。
むしろ、全身から放たれる魔素の“濃度”が、空間を一瞬揺らがせる。
「さて――おぬしは、魔法とは何かを学びたいのじゃな?」
私は頷く。
「よかろう。まずは、魔法体系を頭に叩き込むところから始めよう」
クラヴィスは、執務室の奥の黒板に手をかざし、魔素で属性図を描き出した。
__________
「魔法は、まず“八つの基礎属性”からなる」
クラヴィスの指が空間に描かれた魔法円をなぞる。
「炎、水、風、地、光、闇、雷、氷。これらが自然魔素じゃ」
私は頷きながら、それぞれの性質を口にした。
「炎は破壊と浄化、水は癒しと流動、風は伝達と速度、地は封印と構造……」
「そのとおりじゃ」
クラヴィスの指が、円の外側にさらに複雑な文様を描く。
「そして、精神、空間、時間、創造。これらが高位属性じゃ。
精神は心、空間は座標、時間は因果、創造は理そのもの――神話級の力ともいえる」
私は、思わず息を呑んだ。
「創造……それは、物質を作り出すのですか?」
「いや。“意味”を再構築する。存在そのものに、定義を与えるのじゃ」
その概念の奥深さに、私は震えた。
クラヴィスはさらに続ける。
「次に、魔法の“階梯”じゃ」
彼の杖が次々と文字を描き出す。
第1〜3階梯:初級魔法(生活・照明・簡易治癒)
第4〜6階梯:中級魔法(戦術・防御・回復)
第7〜9階梯:上級魔法(領域支配・広域制圧)
第10〜12階梯:超級魔法(理を操る・超広域制圧)
第13〜14階梯:禁呪(魂や時空への干渉・環境への甚大な影響)
第15階梯:神呪(体系外・創造魔法)
「おぬしの魔素量なら、第12階梯まで既に“見通して”おる。
あとは、“選ぶ”ことじゃ。どの魔法を使うか、ではなく、何を守るために使うのか」
私は、はっきりと口にした。
「ソフィアを。家族を。……そして、私自身の“信念”を」
クラヴィスは、目を細めて笑った。
「それがあれば、いつかおぬしは“神呪”にも届くやもしれんな」
__________
その夜、私は書斎で筆を取り、初めて魔術式の構築図を描いた。
“炎の渦”――第4階梯の戦闘魔法を再構築し、制御式と結界式を重ねたもの。
「これが……私の、戦う魔法の始まり」
魔素が筆先に沿って流れ、小さな紙に淡い赤の術式が刻まれた。
私は、書き終えた図式を見つめながら誓った。
優しさだけでは、守れないものがある。
ならば私は、“力”を得る。
けれど、それを誇るためではない。
――誰かの笑顔を、壊させないために。
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