第12話 公爵家の密会
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エルンスト邸の空気が、静かに、だが確実に変わっていた。
それは、“祝福の儀”でも、“記憶灯”の創造でもない。
先日の魔導学院による適性試問――
あれが、帝都にひとつの“波”を投げ込んだのだ。
表向きは何も起きていない。
だが、貴族たちの視線は明らかにこちらへと向き始めていた。
「――陛下のお言葉を預かっております。エルンスト公には、近くお召しがあるでしょう」
そう告げたのは、アグレイア帝国の象徴たる皇帝の使者だった。
午前の応接間。
ジークフリートとセシリアが、格式ある衣装に身を包み、穏やかに応対していた。
私は、その会談の場にいなかった。
だが、父の書斎の奥――魔素の流れが集中する“感応の間”で、空気の揺れを感じ取っていた。
騎士の魔素は直線的で、緊張が走っていると硬直する。
文官の魔素は波のようで、警戒すれば小刻みに震える。
そして、母の魔素は……どこか、柔らかく、それでいて鋭い。
私はその感覚を通じて、今、この屋敷に何が起きているかを知っていた。
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「“あのお方”のお噂は、すでに帝都でも随分と……」
皇帝の使者は、婉曲な言い回しで切り出した。
“あのお方”とは、言うまでもなくアルヴィス――私のことだった。
「噂など、風が運ぶものです。
実像を語るのは、いずれ本人が為すべきでしょう」
ジークフリートは短く、だが重みある声で応じる。
セシリアがその空気を和らげるように、微笑を添える。
「私どもとしては、あの子を“誇り”には思っておりますが、
“帝国の未来”などという大仰な言葉は、まだ早うございましょう」
使者は一瞬、言葉を失い、すぐに表情を整えた。
「……なるほど。中庸にして寡黙。まさに“均衡の要”にふさわしきお応え」
その言葉に、ジークフリートは何も返さず、ただ杯に口をつけた。
使用人棟では、クラリッサたちがひそひそと会話を交わしていた。
「今日もまた、使者が三組……明日は五組ですって」
「なんかもう、“坊ちゃま”がいるだけで帝国の勢力図が揺れるみたいねぇ」
「でも、坊ちゃまはまだ五歳ですよ? おやつのぶどうを先に食べちゃうような……」
「それが“恐ろしい”って話よ。何もせずとも、世が勝手に動いてしまう。
――だからこそ、この屋敷が、あの子の“盾”でなくちゃいけないのさ」
クラリッサのその言葉には、ただの誇りではなく、
“守る者”としての意志が宿っていた。
午後の密会は、帝都北方のリステール伯爵家の使者。
少し若い男で、口調も軽快だったが、その内側には“見定める目”があった。
「……率直に申します。次代の帝国を担う子息として、我が家は“関係”を築いておきたい」
「ふむ、関係とは?」
「たとえば、書簡のやり取り。幼年期からの“同盟”は、未来の礎となりましょう」
「ほう。子供同士にしては随分と政治的な“遊び”だな」
ジークフリートが目を細めた。
その声音には、明確な警告があった。
「……我が子は、まだ筆も覚えたて。
書くべきは“名前”であり、“関係”ではない」
使者は一瞬たじろぎ、やがて笑みを引っ込めて頭を下げた。
「ご無礼を……エルンスト公のご英断、肝に銘じます」
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その日の夜。
私は、母の部屋で静かに絵本をめくっていた。
ソフィアは既に眠り、私は一人、灯りの下で文字を追う。
セシリアが私のそばに来て、そっと髪を撫でた。
「……今日も、あなたのおかげで屋敷は平穏だったのよ」
「……僕は、何もしてないよ?」
「それでも、あなたが“ここにいる”というだけで……世の中は、いろんな顔を見せてくるの」
私は本を閉じ、母を見上げた。
「それって……面倒なこと?」
「面倒でもあるけど、幸せなことでもあるのよ。
あなたは“誰かの希望”になれる人。でも、それはときに“呪い”にもなる」
「呪い……?」
「あなたは、望まれる存在になった。
でもね、私は“あなたらしくある”ことを、何より望んでいるわ」
私は頷いた。
「……ありがとう、母上。じゃあ、僕は……明日も、僕でいるよ」
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夜更け。書斎。
ジークフリートは、クラウスと共に一日の報告をまとめていた。
「どの家も、決して表では仕掛けてこない。だが、“踏み込み”は確実に強まっている」
「ええ。しかし、いずれ必ず“距離”を弁えるようになります。
あの方がただの天才で終わらないと知れば、誰も軽々しくは触れられません」
「……それを“証明する”のは、我が家の役目だ」
ジークはゆっくりと立ち上がった。
「子が祝福を受けたなら、家は“盾”にならねばならん。
その役目に、私情も躊躇も要らぬ」
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星のない夜。
私は、窓辺で空を見上げていた。
今日の空は、黒一色。
けれど、私はその奥に、確かに“灯り”を感じていた。
言葉では届かないもの。
数字では測れないもの。
――それこそが、“世界”の本当の形。
私はそっと、魔素を指先に浮かべる。
「……明日も、僕は僕であるように」
それは、誰に誓うでもない、小さな祈りだった。
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