第10話 幼き叡智、芽吹く日々
<カクヨムで先行配信してます>
季節は巡り、エルンスト本邸にも春の香りが満ちていた。
あれから三年が過ぎ、私は五歳になった。
言葉はもう自然と口をついて出るようになっている。
とはいえ、私は今も“静寂”を好む性質で、無駄なお喋りはあまり得意ではない。
代わりに、感情を魔素に乗せて伝える方法は、未だに私の中に根付いていた。
「アル兄、見てっ! またお花が咲いたよ!」
妹のソフィアが、庭園の小さな噴水のほとりで声を上げる。
三歳を迎えた彼女は、ふわふわの金髪を風に揺らしながら、両手を広げて私に笑いかけた。
「うん、上手にできたね」
私は軽く手を伸ばすと、ソフィアの魔素がまだ揺らめいている空間に、自分の魔力を流し込む。
すると、咲いたばかりの白い花弁がひとひら、柔らかく宙に舞った。
「わぁ……!」
ソフィアが瞳を輝かせる。
この妹は、私にとって最初の“他者”だった。
感情の機微、魔素の揺らぎ、言葉の響き――
幼い頃から彼女と過ごしてきた時間が、今の私を形作っている。
__________
その日の午後。書斎にて。
私は執事長クラウスが持ってきた魔法理論の古文書を開いていた。
「……五歳の子供が読むような書ではありませんが、
“坊ちゃま”にはそれが必要なようでしてな」
そう言ったのは、エルンスト家の文官、フェルノート・マルティネス。
灰色の髭を整えた老紳士で、今は私の教育係を務めている。
「ここ、“この部分”、この言葉の意味、たぶん“根”じゃなくて“源”だと思う」
私は紙面を指で押さえながら、口に出した。
フェルノートが驚いたように眉を上げる。
「……“源”と解釈されましたか。では、どうしてそう思われたのです?」
「理論式の前提に、“存在の根源”という語がある。
でも、その先に出てくる“魔素の反射”って、根じゃ説明できない。
たぶん……それは“始まり”じゃなくて、“循環”の話だから」
私はそう言いながら、指先に魔素を浮かべる。
その揺らぎは、文字ではなく“意味”そのものを形にするものだった。
「――なんということだ……」
フェルノートは思わず椅子に腰を下ろした。
「書かれていることを理解しているのではない……。
この方は、“書かれる前のもの”を、感じ取っている……」
彼は小さく呟いた。
「……まるで、魔法そのものが言葉を発する前に、その意志を聴いているかのようだ……」
__________
夕刻。中庭にて。
私は木陰の下に腰掛けていた。
風が揺れるたび、草花が囁くようにそよぐ。
そこに、ソフィアが走ってきた。
「アル兄ー! またあのお話、して?」
「どれ?」
「魔法で、光を編んで、花びらで船を作って――水に浮かべるやつ!」
私は頷き、そっと手をかざした。
光素と水素を編み、花弁を包むように漂わせる。
その形は小舟となり、噴水の水面にふわりと浮かんだ。
ソフィアは手を叩いて喜んだ。
「すごーいっ! これ、アル兄が考えた魔法?」
「うん。誰かが作った式じゃなくて、僕が形にした。
ただ……“魔法”っていうより、“感情のかたち”みたいな感じ、かな」
ソフィアは不思議そうに首をかしげたが、すぐに笑った。
「じゃあその魔法、ソフィにもちょうだい!」
私はくすりと笑って、妹の手にそっと魔素を渡す。
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夜。父との時間。
ジークフリートはいつものように執務を終え、食後に短い時間だけ、私と向き合ってくれる。
「……今日は、フェルノートから報告があった。
お前が“根源”と“源”を分けて読んだと」
私は少しだけ、視線を横に逸らした。
「うん。でも、それって特別なことじゃない。
言葉は、ただの器で……大事なのは、中に何が入ってるか、だから」
ジークフリートは静かに笑った。
「お前は……やはり“天才”だな」
「……それ、たまに怖いって言われるよ?」
「当然だ。お前が手にしているものは、“理解”ではなく“創造”に近い」
ジークは立ち上がり、私の頭に手を置いた。
「だが覚えておけ。力ある者に必要なのは、知識ではない。
“己を律する強さ”だ。お前が何を知っていても――
“それを何に使うか”が、この先すべてを決める」
私は頷いた。
それは、私の中のどこか深い場所に染み込んでいく言葉だった。
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その夜。私は眠れずに、星空を見上げていた。
部屋の扉がそっと開いて、ソフィアが顔を覗かせる。
「アル兄……ねむれないの?」
「うん。ソフィアも?」
「うん……なんだかね、星がしゃべってるみたいで……」
「ふふ、それ、魔素の共鳴かも。ソフィアの魔力も、大きくなってきたね」
私は彼女の頭を撫でた。
「……ねえ、アル兄」
「なに?」
「ずっと、いっしょにいてくれる?」
「……もちろん。ソフィアが嫌じゃなければ、ね」
「やだって言うわけないじゃん!」
そう言って、ソフィアは私の隣にぴたりとくっついた。
私は彼女の手を握る。
魔素がそっと絡まり、小さな光を生んだ。
それは、“約束”のような光だった。
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こうして、私は五歳を迎えた。
知識は、目を凝らせば手に入る。
けれど、“大切なもの”は、誰かと過ごす時間の中にしか見つからない。
魔法は、ただの力じゃない。
それは、“誰かの想い”を形にする術――
私は、今日もまた、ひとつの魔法を学んだ。
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