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時紡ぐ英雄譚  作者: 漆峯 七々
異端者の烙印、聖女の覚醒
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異端の英雄、波乱の船上 08

長い間、物語の世界に想いを馳せ、心の中で紡いできた物語たち。 今回、その想いを形にし、勇気を出して一歩を踏み出しました。 未熟ながらも、この物語が誰かの心に響き、共感の灯をともすことができれば、 それ以上の喜びはありません。 どうぞ、お読みいただければ幸いです。

 相模のその決定的な一言に、その場の空気が凍りついた。誰もが言葉を失い、重苦しい沈黙が上部デッキを支配する。それほどまでに、彼の言葉は明確で、そして残酷だった。


「異端者っていうと……昔の世界を混乱させた魔王軍の残党の子孫だって言われているあの?」


 伊勢は、声を震わせながらも確認するように相模に尋ねた。彼女の瞳には、驚きと戸惑い、そしてわずかな恐れが混ざっていた。相模は、彼女が自分の言葉で答えを導き出せるよう、あえて何も言わず、一度だけ静かに頷いた。


「異端者の一番の特徴は元素適性率がゼロであること……ですよね?」


 伊勢は、自分の言葉がどれほどの重みを持つのかに気づき始めていた。四季崎の過去を思い、今までの自分の態度や言葉が彼をどれほど傷つけたのかを理解し、胸が締めつけられるような申し訳なさでいっぱいになった。


 その様子を横で見ていた下関は、そっと伊勢の肩に手を置き、優しく微笑みながら小さく呟いた。


「その気持ちだけで、彼はきっと救われると思うよ」


 伊勢は、涙をこらえながら四季崎に目を向けた。その瞳には、これまでの誤解と無理解、そして今ようやくたどり着いた真実への痛切な悔いと、彼への深い共感が浮かんでいた。


 そして、ふと気を失っている風運に視線を移すと、胸の奥に新たな痛みが広がった。自分がどれほど無知で、どれほど簡単に人を傷つけてしまったのか――伊勢の心に、静かな涙が流れていた。


「い、異端者ということは、四季崎さんは魔法が使えない……。じゃあ、甲板の惨状も全部……この事態を引き起こしたのは……すべて彼?……だとしたら、たとえ子供でも法を犯したのなら、彼を聖都カルマティアに着いたら聖騎士に引き渡すべきです!」


 伊勢の声が震えながらも、正義感に満ちた強い意志で響く。船の上部デッキ――テーブルや椅子が散乱し、魔法戦闘の痕跡が生々しく残るその場所で、彼女は気を失った風運を見つめていた。


 その瞬間、相模が伊勢の視線を遮るように、すっと風運の前に立った。


「…伊勢様のおっしゃる通りです。法に照らせば彼は裁かれるべきでしょう。しかし、伊勢様、どうかこの老骨に免じて今回ばかりは集治様をお見逃しください」


 相模は深々と頭を下げ、伊勢の目線に合わせて身体を屈めた。その表情には、悲しみを湛えたような微笑みが浮かんでいる。潮風が白髪を揺らし、その姿はまさに主家の不始末を憂う忠実な老執事そのものだった。


「集治様もご覧の通り、まだ十五歳の若輩者。精神的にも未熟で、感情に任せて至らぬ点もあったかと存じます。この度のことは私が責任を持って厳しく指導、再教育いたします。これに免じてどうかご容赦ください。」


 相模の切実な嘆願を受け、伊勢は何が正しいのか分からず立ち尽くしていた。彼女の心は正義と慈悲の間で揺れ動く。


 その時、横にいる下関船長が、静かに助言するように口を開いた。


「君の言う通り、法を犯した者を裁くのは正しいことだろう。しかし、伊勢くん、世の中の正しさは一つじゃない。時と場合、人によって最善は変わる。彼にとって今、聖騎士に突き出されるより、この信頼する相模さんの厳しい指導の方が将来に良い影響を与えるかもしれない。簡単に言えば、本当の『正しい道』は人それぞれ違い、見つけるのが難しいんだ」


 船長の言葉を聞きながら、伊勢の胸の奥には複雑な感情が渦巻いていた。


 正義を信じてきた自分、法の下で裁かれるべきだと信じていた自分――その「正しさ」が、今はどこか頼りなく感じられる。「でも……」と喉まで出かかった言葉を飲み込み、伊勢は視線を落とした。


 胸が苦しい。悔しさ、戸惑い、そしてどこか安堵にも似た温かさが、心の中でせめぎ合う。


 船長は相模に向き直り、「任せます」と念を押すと、再び甲板の被害を確認しに歩き出した。


 その背中を見送りながら、伊勢は自分の小さな手をぎゅっと握りしめる。


「…本当の正しさとは、何でしょう…?」


 その呟きは、悔しさと迷い、そして新たな問いへの決意がにじんでいた。潮風が頬をなで、伊勢の目にはわずかな涙が光っていた。


 それを隣で聞いた四季崎は、自分に問いかけられたかのような錯覚に襲われた。伊勢の「正しさ」に迷い、悩む姿に、自分が異端者として受けてきた数々の理不尽――嘲笑や差別、無理解、そして何度も味わった孤独――が胸の奥に蘇る。


 彼の顔には、深い諦めと虚無が浮かんでいた。誰にも届かない、誰も理解しない、そんな思いが静かに表情に滲む。


 ふと、四季崎は空を見上げた。雲間から差し込む陽光が、壊れたテーブルの上に斑模様を描く。潮風が髪を揺らし、遠くでカモメの声が響いた。デッキの上には、戦いの痕跡と、まだ拭いきれない緊張感が残っている。


 甲板での騒動がようやく一段落し、重いため息をつきながら、船長と四季崎は顔を見合わせた。


 互いに何も言わず、ただ現実に戻るように、壊れたテーブルや椅子、散乱した木片の片づけに取りかかった。


 伊勢はしばらくその場を動けずにいた。手の中のペンダントをぎゅっと握りしめ、涙をこらえながら、もう一度四季崎の背中を見つめる。彼女の胸には、正しさとは何かという問いと、誰かを許すことの難しさが、重くのしかかっていた。


 その時、甲板に通じる別の扉が勢いよく開き、若い船員が血相を変えて飛び出してきた。


「船長!こんな所にいたんですか!大変です!目的地の聖都カルマティアがもう間近に見えています!至急、操舵室に戻って着岸の指揮を執ってください!」


 船員は慌てながら船長に敬礼し、休む間もなく四季崎の元へ向かった。


「おい、四季!まだこんな所で油を売っていたのか!休憩時間はとっくに過ぎてるぞ!さっさと持ち場に戻れ!お前のせいで代理の操舵士が今にも泣きそうな顔で困ってるんだ!」


 有無を言わさぬ口調で言い放つと、四季崎の背中を軽く叩き、「ほら、行くぞ!」と襟首を掴み、抵抗を許さず操縦室へと連れて行った。


 残された伊勢は、ただ呆然とその様子を見送るしかなかった。


 甲板には、潮風と、片付けを待つ静かな惨状、そしてそれぞれの胸に残る複雑な思いだけが残された。

私の作品を読んでいただき、本当にありがとうございます!感想を聞かせていただけると嬉しいです。

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