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時紡ぐ英雄譚  作者: 漆峯 七々
異端者の烙印、聖女の覚醒
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異端の英雄、波乱の船上 07

長い間、物語の世界に想いを馳せ、心の中で紡いできた物語たち。 今回、その想いを形にし、勇気を出して一歩を踏み出しました。 未熟ながらも、この物語が誰かの心に響き、共感の灯をともすことができれば、 それ以上の喜びはありません。 どうぞ、お読みいただければ幸いです。

 四季崎は相模が剣に手を伸ばす瞬間を見逃さなかった。だが頭では警戒していても、身体は本能的な緊張に縛られて動けなかった。抜刀から切っ先が喉元に届くまでの一瞬――その速さは、これまで経験したどんな危機とも比べものにならない。防御も反撃も、考える間すら与えられない。


 心臓が大きく跳ね、全身の血が一気に冷たくなる。目の前で一閃が止まったことを頭では理解しても、身体はしばらく硬直したままだった。ほんのわずか、紙一重で身を引いたことで、翻った白いコートの胸元には鋭い切り込みが走る。生きていることを確認するまで、時間が止まったような感覚に包まれていた。


 静寂の中、四季崎はようやく浅い呼吸を取り戻し、安堵のため息をついた。裂けた胸元を手で押さえ、指先でそっと確かめる――幸い、傷は服だけで済んでいた。


(もし、あの一閃が本気だったら……)


 胸の奥に残る恐怖と、同時に命が繋がった安堵が入り混じる。潮風がデッキを抜け、冷えた汗が背中を伝う。今、自分がここに立っていられることが、奇跡のように思えた。


 一瞬遅れて、今の一閃を理解した下関が、それまでの穏やかな表情が嘘のように鬼の形相で「貴様!」と叫ぶ。隣にいた伊勢も驚いて跳ね上がった。恰幅のいい体型からは想像できない軽やかな動きで、下関は相模に詰め寄り胸倉をつかんだ。


「何を考えている!理由を説明しろ!」


 掴まれた服をまるで手品のようにするりと抜け出すと、服の乱れを直し、相模は態度を崩さず、予想が的中したことを喜ぶような笑みを浮かべて一礼した。


「ご不快をおかけし申し訳ありません。これは状況上、必要な処置でございます。何とぞご理解のほどお願い申し上げます」


 その説明では納得がいかないのか、下関の表情は今も部下への非道な仕打ちに怒りが収まらない様子だった。この思いがけない状況に伊勢はどうしたものかと右往左往し、風運も事態がつかめていない様子だった。


 四季崎がいまだに警戒を解いていないことに気づくと、相模は滑るように甲板を動き、四季崎から距離を取り、剣の間合いから外した。それで四季崎はようやく安堵の表情を浮かべた。



「改めて確認させていただきますが、貴殿はあの『無冠の覇者 四季崎 是空』様でお間違いないでしょうか?」


 四季崎は目を見開き、驚きを隠せなかった。下関もその一言ですべてを察すると怒りが一瞬で収まり、相模から離れると、困惑している伊勢の「怖い思いをさせたね」と謝った。


「その表情、間違いないようですね。その異名を知る者は限られておりますので。」


 相模が嬉しそうにしていると、下関船長がため息交じりに呟いた。


「はぁ……ほかに方法があっただろうに。」


 四季崎はその異名を良く思っていないのか、その言葉が嫌味に聞こえたのか、確認するように話した。


「あなたの立場を考えると、風運家の護衛として観戦していたということですか?」


 相模は頷いた。


「おっしゃる通りでございます。」


 状況が分からず狼狽した風運が尋ねた。


「じぃ、一体どういうことなんだ?わかるように説明してくれ。」


 相模は無言のまま、ゆっくりと風運に歩み寄った。柔らかな笑みを浮かべながらも、その奥に潜む圧倒的な威圧と殺気が、空気ごとデッキを支配していく。顔を近づけ、目を細めて静かに囁く。


「後で()()()()()話をしましょうか。」


 その一言に、風運の全身から一気に血の気が引いた。笑顔の裏に隠された圧倒的な力と恐怖に、精神は限界を迎える。魂が抜けたようにその場に崩れ落ち、風運はついに気を失った。


 相模は四季崎の元へ戻ると、しばし黙って潮風の中に立ち尽くした。どこから話すべきかほんの少しだけ迷い、やがて静かに過去を思い出すように語り始める。


「そうですね。すべての始まりは、ちょうど3年前のことです。4年に一度の祭典、大還輪廻の儀で起きたある事件から始まります」


 相模の目は遠くを見つめ、記憶の奥へと沈んでいく。


「……あの年の大還輪廻の儀。シルフ、サラマンダー、ウンディーネ、ノーム――四大精霊の領地から選りすぐりの戦士たちが集まり、己の力を競い合う祭典。私も、あの場にいました。いや、あの時の熱気、歓声、そして……あの静寂。今でも、まぶたの裏に焼き付いています」


 彼はふっと目を細め、懐かしさと痛みの入り混じった表情を浮かべる。


「その年の海闘大会にて、熱戦の末に優勝者が決まり、表彰式が始まろうとしたまさにその時、不幸にも競技で放たれた魔法の残滓に引き付けられ、海龍が突如海中から現れて会場を襲いました。観客も選手も大混乱に陥りました。」


 相模は一度言葉を切り、目をうっすら閉じ、手すりにそっと手を置いた。その手は、わずかに震えている。


「観客も選手も、皆が混乱し、逃げ惑う中……私は、ただ立ち尽くしていました。あの混乱の中で、誰よりも冷静に、勇敢に立ち向かったのが――四季崎様、あなたでした。あなたと数人の仲間が、命を賭して海龍に挑み、最後まで戦い抜いた。その姿は、今でもこの目に焼き付いています」


 相模の声は、どこか遠くを懐かしむように、静かに続く。


「けれど、その功績は複雑な事情で公にされませんでした。儀を執り行った枢機卿や司祭たちの協議で、厳重な緘口令が敷かれ、あなたの偉業は闇に葬られた。それでも、隠しきれない事実は残る。あの場であなたの戦いを目撃した者たちの間で、あなたは『無冠の覇者』と呼ばれるようになったのです。」


 相模の目には、あの日の光景が今も鮮やかに蘇っているようだった。その声には、過去の誇りと、どこか拭いきれない悔しさが滲んでいた。


 伊勢は相模の話を聞きながら、拳をぎゅっと握り締めていた。指の関節が白くなるほどの力で、デッキの手すりに刻まれた木目の感触が掌に食い込む。潮風が頬を撫でるが、その冷たさすら今の彼女には届かない。


「無冠の覇者……?」


 彼女の声は震えていた。視線は崩れたテーブルの脚へ向かい、そこに散乱する魔法の残滓を見つめる。


(その海龍を倒した人が、なぜ今は子供を震え上がらせ、甲板を破壊するの?)


 突然、彼女は四季崎をまっすぐ睨みつけ、一歩踏み出した。


「あなたの過去は素晴らしいのかもしません!でも今のあなたは――!」


 声が裏返り、涙が目尻に光る。デッキに転がる木片を乱暴に蹴散らしながら、


「力を隠して船員を装い、弱い者をいじめるなんて……英雄のする事じゃない!」


 四季崎は俯いたまま動かない。伊勢はその無反応にさらに激しく声を荒げる。


「海龍と戦った時の勇気はどこへ消えたの?それほどの力があるなら、人々を守るために、もっと正しいことに使うべきです!どんな事情があろうと、子供相手に力を振るったり、甲板を破壊したり…そんなことに力を使うのは絶対に間違っています!」


 最後の言葉がデッキに反響し、風が一時止んだ。彼女の頬を伝う一滴の涙が、砕けた木片の上に落ちた。


(英雄と暴君……どちらが本当のあなた?)


 伊勢の心臓が高鳴る。相模が語った過去の栄光と、眼前の蛮行が脳裏で激突し、正義感が鋭い痛みに変わる。


(力があるなら、なぜ……!)


 彼女は無意識に胸のペンダントを握りしめた。父の口癖のような言葉が脳裏に浮かぶ。


 その様子を見た相模はやれやれといった表情で少女に向き直り、諭すように穏やかに話した。


「伊勢様、お気持ちは分かります。しかし彼は海龍を倒し、結果的にその年の儀の優勝者より強い力を持つことを証明しました。しかしなぜ功績として認められず問題視されたのか、お分かりになりますか?」


 伊勢は潤んだ瞳をカーディガンの袖で拭いながら、しばらく考え、静かに首を振った。


「彼が精霊の恩恵を受けることができなかった――つまり、ウィスプ聖教の教義に照らし合わせてお答えするなら……彼は『異端者』なのです」

私の作品を読んでいただき、本当にありがとうございます!感想を聞かせていただけると嬉しいです。

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