異端の英雄、波乱の船上 06
長い間、物語の世界に想いを馳せ、心の中で紡いできた物語たち。 今回、その想いを形にし、勇気を出して一歩を踏み出しました。 未熟ながらも、この物語が誰かの心に響き、共感の灯をともすことができれば、 それ以上の喜びはありません。 どうぞ、お読みいただければ幸いです。
完全に部屋から人がいなくなるのを待つと、風運の仲間たちは、逃げていた若者を連れて再び現れた。彼らに伴われて、初老の男性がデッキへゆっくりと姿を現す。
老人は黒のチェスターコートを翻し、左腰に実用剣を佩いたまま落ち着いた足取りで進む。甲板の軋みさえも吸い込むような静寂をまとっていた。潮風が白髪を揺らすたび、若者たちのざわめきが不自然に遠のいていく。
彼の歩みは、慌てる若者たちとは対照的で、まるで船上の散歩を楽しむかのように落ち着いており、騒動の余韻が残るデッキの上でも、周囲の空気に流されることなく自分のペースを崩さない。
「ほっほっ、お若い方々は元気が良いですねぇ」
潮風がデッキを吹き抜け、老人の白髪やコートの裾をそっと揺らした。その穏やかな笑い声は、騒動の余韻が残る場の空気とは不釣り合いなほど静かで、逆に周囲を圧倒する存在感を放っていた。
その老人の姿を見た瞬間、風運は落ち着きつつあった様子が一変し、先ほどよりもさらに激しく震え出した。「うわぁ……」と呻きながら、今度は頭を抱えてガタガタと体を震わせている。四季崎に対する恐怖とは違い、もっと根源的で本能的な怯え――まるで絶対に逆らえない存在を前にした時の、子供のような反応だった。
(なるほど、あれが風運がさっき呟いていたじぃ……執事ということか。しかし、ただの執事ではない。歳の割に構えにも立ち姿にも隙が全くない。熟練の武人の気配……一体、何者なんだ?)
彼は一瞬だけ四季崎に視線を送り、その目に宿る試すような気配に、四季崎は思わず額に一筋の冷や汗を流す。老人への警戒心を抱き、全身の神経を研ぎ澄ませて気を張り詰めた。
しかし、そんな四季崎の緊張にはまるで気づかないかのように、風運の仲間である若者たちは、老人がどれほどの達人かも知らず、あるいは気にも留めず、無遠慮に彼に向かって叫ぶ。
「相模のじいさん、おせぇよ!早く来てくれって言っただろ!しゅうが危ない!」
野次馬がいなくなって視界が開けたことで、上部デッキの惨状を改めて目の当たりにし、「うわっ、なんだこれ……」と呟き、扉の近くで立ち止まった。
「おや?風運商会の相模殿じゃないか。集治くんをお迎えに?」
船長の声に気づいた相模は、騒ぐ若者たちの後ろから一歩離れ、まるで何事もなかったかのように落ち着いた足取りで船長の元へと向かった。
上部デッキには潮風が吹き抜け、救命筏や備品の間を縫うようにして、二人の大人が静かに対面する。
「これは船長殿。船旅の間、お酒に付き合っていただきありがとうございます。大変ためになる話が聞けて、この老体、年甲斐もなくワクワクさせていただきました」
執事――相模は、左手を胸の辺りに添え、まさに執事の鑑ともいえる完璧な深々としたお辞儀を上部デッキで披露した。
潮風が吹き抜けるテーブルと椅子の間、救命筏や備品が並ぶ船の後方で、ゆっくりと頭を上げると、人好きのするうっすらとした微笑みを浮かべる。その所作は、騒動の余韻が残るデッキに静かな品格をもたらしていた。
その間、若者たちは風運のもとへ駆け寄り、「大丈夫か?」と口々に謝りながらも心配そうに彼を囲んでいた。騒ぎの後の静けさの中、彼らの声だけがデッキに響く。
伊勢は、そんな執事の姿を見て「船長、あの人は誰ですか?」と気になって見上げるように尋ねた。船長は伊勢に視線を落とし、穏やかに答える。
「彼かい?彼は風運商会に仕えている執事長にして、集治くんの護衛をしている相模 行光さんと言ってね。昔は名の知れた剣士だったのさ」
下関船長はどこか楽しそうに伊勢へ説明をし、これで怯えている風運が救われるだろうと安堵の表情を浮かべて胸を撫でおろした。
「少し、デッキを見学させていただいてもよろしいですか?」
そう言うと、ゆっくりとした足取りで潮風を受けながら落ち着いた様子で進んでいく。
四季崎は相模を視界から外さず警戒を続けていたが、相模はふと足を止めて屈みこみ、魔法で砕けた木片が床に落ちているのを拾い上げ、じっと観察するように目を細めた。デッキの青い床面に散らばる木片や破損した備品は、先ほどの騒動の生々しい痕跡を物語っている。
「君たちは先に戻っていなさい。集治様は後で私がお部屋までお連れします」
相模は若者たちに視線も向けず、鋭い声でそう命じた。若者たちは戸惑いながらも指示に従い、デッキの階段や通路から船内へと引き上げていく。
風運もすがる思いで仲間と一緒に立ち去ろうとしたが、「集治様?」と相模に一段と鋭い声で呼び止められると、観念したようにその場にへたり込み、まるで死刑宣告を受けたかのように肩を落として動けなくなった。
「これであの……四季崎?さんを捕まえてくれますね?」
騒動が一段落し、伊勢が期待を込めて船長に問いかけると、下関船長は「こまったね」と困惑した表情を浮かべた。そのやり取りを聞いた相模は、ゆっくりと立ち上がり、四季崎の方に視線を向ける。
「ほっほっ。これはまたおもしろいことになっていますねぇ。」
相模は楽しげに微笑み、探るように目を細めた。その表情には、絶対的な強者の余裕がにじんでいる。
彼は上質なチェスターコートの裾を揺らしながら、船の上部デッキの開放的な空間を、ゆっくりと四季崎に向かって歩み寄る。
相模は、デッキの上で四季崎に近づくと、剣の間合いを保ったまま静かに立ち止まった。
その距離は、潮風と陽射しが交錯するテーブルや椅子の間――一歩踏み出せばすぐに斬撃が届く絶妙な距離感。
彼は品定めするように四季崎をじろりと見下ろし、空気がぴんと張り詰めた。
まるで、次の瞬間に何が起きてもおかしくない、そんな緊張感がデッキ全体に漂った。
そして、四季崎の胸元に付けられた名札を、自身の左手の指で軽く示しながら、にこやかにこう尋ねた。
「お名前、四季崎 是空さまでお間違えはなかったでしょうか?」
その質問の意図が掴めず、戸惑いながらも、「えぇ、そうです」と短く答えた。
返事をした瞬間、穏やかだった相模の表情が一変し、鋭い殺気が迸った。相模は静かに一歩前に出て、潮風にコートの裾を揺らしながら右手を柄に添えた。
次の瞬間、ほとんど動きが見えないほどの速さで、刀が鞘から滑り出し、デッキに一筋の光が走る。
白刃が太陽を反射し、空気が一瞬だけ張り詰める。すぐに刀は元通り鞘に納まり、「カチン」という小さな音が静かな上部デッキに響いた。
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