冤罪の烙印と聖女の偽死 05
『そんなことをしている場合か?今の声でそっちに向かったぞ』
伊勢の感情のこもった大声は、雨が降りしきる静寂な路地に響き、確実に聖騎士たちを引きつけてしまった。追っ手の足音がこちらに近づくように大きくなってきた。
(感傷に浸っている場合か!時間が惜しい……このままでは捕まる!早くここから逃げるぞ!)
四季崎は再び伊勢の腕を掴むと、迷路のように入り組んだ薄暗い裏路地を進んでいった。銀鏡の声が『右だ!』『そこで隠れろ!』と矢継ぎ早に耳元で響く中、彼はその断片的な指示だけを頼りに、必死に追っ手を振り切ろうと体を動かした。
降りしきる雨の中、二人は時にゴミが積まれた木箱の影に身を潜め、時に建物の狭い隙間に体を押し込んだ。すぐそばを通り過ぎていく追っ手の足音に息を殺し、執拗な聖騎士たちの追跡をなんとか一時的に振り切ることができ、つかの間の静寂が訪れた。
息を整えるように、死角になる袋小路に入り込むと、二人はひと時の休息を得た。ようやく訪れた静寂の中で、伊勢は逃走中に押し殺していた、自身の大声が招いた事態への責任と、その深い苦悩が込み上げてくるのを感じた。そして、沈痛な面持ちで話し始めた。
「四季崎さん。ボクが……」
「伊勢。君は何も間違っていない。あの状況で、人として正しい行動をしただけだ。責任は、状況を適切に判断できなかった私にある」
四季崎は周囲を警戒するように袋小路の外を視線を向けたまま伊勢に謝った。
(あの状況で、彼女は迷わず子供に手を差し伸べた。その純粋な優しさこそが、彼女が聖女に選ばれる理由なのだろう。それが、どれほど自分を危険に晒そうとも)
四季崎は伊勢が落ち着くのを確認すると、休憩を終えるように再び彼女の腕を掴んだ。周りに、人がいないことを確認すると、袋小路から飛び出し、逃走を始めた。
いくつもの角を曲がり、狭く曲がりくねった、迷路のような裏路地を息を切らして駆け抜け、やっとの思いでセントナーレ街と港を繋ぐ、見覚えのある大きな石造りの門までたどり着いた。二人は門の手前で、最後の建物の影に滑り込むようにして一度身を隠した。
(隠れて進めるのはここまでですか……。広大な埠頭は遮蔽物が少なく、門の周辺にも聖騎士が配置されているでしょう。……こうなれば一気に港に停泊している船まで駆け抜けるしかない!)
「伊勢。ここからは全力で走り抜けます。準備はいいですか?」
ここまででも十分に走り続けていたにも関わらず、一切、疲れを見せていない伊勢は大きく頷いた。
「ボクのことは心配しないでください。絶対に四季崎さんから離れませんから!」
先ほどの四季崎の謝罪の影響か、伊勢はいつもの元気を取り戻していた。四季崎は手に持っている通信用魔道具に意識を集中させた。
「神楽もここまで助かった。後は私たちで何とかする。ありがとう」
『水臭いことをいうな。最後まで見送らせろ』
その言葉に小さく微笑み、四季崎は合図を始めた。
「3………2……1…。行きます!」
二人は物陰から飛び出し、船着き場に停泊している船に向かって、一直線に走り出した。
物陰から飛び出し、港へ続く門を通過するのを街にいた聖騎士は見逃さなかった。
「見つけたぞ! 追え!」
「 逃がすな!」
「さっさと捕まえろ!」
強まっていく雨の中、聖騎士たちは水を跳ねる足音と怒号を響かせながら、セントナーレの街から港へと殺到した。鎧をガチャガチャと鳴らし、一斉に二人を追ってきた。
(まだ距離はある! このまま行けば…… ! よし、あとはあの船まで、このまま一気に突っ走る!)
四季崎は時折、伊勢がついてこれているか、確認するように後ろを振り返ってみた。彼女は四季崎が視線を向けていることすら、気づかないほどに必死で足を動かしていた。四季崎は彼女の体力を気遣いながらも、速度を落とさず、港の濡れた木製の桟橋の上までやってきた。
目的の船まであと少し……が、うまくはいかなかった。
二人の存在を確認するとモルフェァ大陸に行く船から静かに聖騎士が降りてきた。不敵な笑みを浮かべながも歩みを進め、四季崎たちの進路を塞いだ。彼らは剣や槍を構え、すでに臨戦態勢に入っていた。
(何故、行き先がバレている?……クソ!今はそれどころではない。このまま囲まれたら、一巻の終わりだ!何かいい方法があるはずだ!)
四季崎の思考を加速させながら、周囲を見渡した。
目の前の聖騎士が剣を構え、巡航船への道を封鎖する彼らの配置と人数。目前のモルフェア大陸行きの巡航船までの距離と、隣で出航しつつある別の船とのわずかな間隔。足元は雨で濡れた桟橋で滑りやすく、利用できそうな濡れた木箱の積み方や、絡まったロープの有無。後方から迫る追っ手の速度と、その足音から推測される人数。そして、混乱する乗客や船員の動きが、逃走の障害となるか、あるいは利用できるか……。全ての情報を瞬時に分析し、活路を見出すべく頭の中を巡らせると、四季崎は決断を下す。
次の瞬間、四季崎は走るのを止め、振り返った。
「失礼するよ!」
勢いのままぶつかってくる伊勢に向かって、一言詫びた。
「え?」
視線を上げて何事かと驚いて視線を上げた伊勢の身体を、四季崎は左肩にひょいと担ぎ上げた。
「きゃっ!?な、何するんですか!?」
突然のことに彼女は赤い顔で声を上げ、驚きと羞恥であたふたして暴れようとした。
「動くと落ちますよ!」
左手で伊勢の脇を落ちないようにしっかりと支え、そのまま今まで以上に全速力で目の前の聖騎士に向かっていった。
剣や槍をものともしない四季崎の突撃に、聖騎士たちは動揺を隠せずにいた。その一瞬の隙をつき、四季崎は彼らの横をすり抜け、モルフェア大陸行きの巡航船のタラップを駆け上がった。ようやく我に返った聖騎士たちは、追走するように船へと乗り込んでいった。
四季崎はそのままさらにスピードを上げていくと船首までやってきた。
「伊勢。舌を噛まないでくださいね?」
すでに一杯一杯の伊勢にそう告げると伊勢は嫌な予感を感じ「ま、待って!」と抗議をしたが、四季崎は待たず、そのまま船首から一気に跳躍した。伊勢の長い悲鳴が空中に引きずられるように響き渡る。
船から飛び降りる行動に聖騎士たちが棒立ちで見送ってしまった。四季崎たちが出航してゆく別の船の船尾になんとか着地したのを目にすると、ハッと我に返った聖騎士たちは踵を返すように船から降りようと走り出していた。しかし、見計らったように聖騎士を乗せた巡航船は汽笛を鳴らしながら、出航を始めた。
「ありえない……」
「逃げられた!」
「船を止めさせろ!」
叫びながら、巡航船の中を右往左往しながら慌てている聖騎士たちを遠く離れたセントナーレに街の屋根の上から弓を構えながら、眺める銀鏡の姿があった。
一方、船の甲板に、衝撃を殺しながら無事着地した四季崎は、伊勢をそっと下ろすと、息を切らせながら、船尾柵に背中を預けながら座り込んだ。
下ろされた伊勢はしばらく放心状態だったが、すぐに顔を真っ赤にした。
「い、いきなり何するんですか! 恥ずかしいじゃないですか!」
伊勢は声を荒げるようにして、怒っていた。
「……はぁ…はぁ…す、すみません。ですが、他に方法がなかったんです」
四季崎は、激しく息を切らせながら、しかしそんな彼女の姿が少し面白くもあり、照れくさそうに苦笑いしながら謝った。
(ともかく、追手は振り切れた。しかし、無計画に飛び乗ったが、この船どこに向かうんだ?)
安堵と同時に、新たな不安が胸をよぎる。彼は、遠ざかるセントナーレの街の灯りと港を、複雑な思いで見つめていた。
* * *
こうして、四季崎と伊勢、二人の逃亡者を乗せた巡航船は、彼らのあずかり知らぬところで、本来の目的地であったであろうモルフェア大陸とは全く違う方向へ、港の喧騒を後に、ゆっくりと、しかし確実に大海原へと進んでいく。
その針路が示す向かう先は――
エセルニア大陸の北に位置する、陽気な歌と踊り、そして美酒が彩る水の都、『精霊ウンディーネ』の篤き加護が見守るという大陸、『ゴルゴナ大陸』である。
新たな波乱の幕開けだった。
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