異端の英雄、波乱の船上 05
長い間、物語の世界に想いを馳せ、心の中で紡いできた物語たち。 今回、その想いを形にし、勇気を出して一歩を踏み出しました。 未熟ながらも、この物語が誰かの心に響き、共感の灯をともすことができれば、 それ以上の喜びはありません。 どうぞ、お読みいただければ幸いです。
少女が上部デッキに踊り出ると、その惨状に普段みんなで食事に使っているデッキが面影を残さないほどボロボロになっていることに驚き、どこか悲しげに唇を噛んだ。整然と並んでいたはずの木製テーブルや椅子は散乱し、脚が折れた椅子が亡霊のように傾いていた。夕食時に笑い声が響いていた場所が、焦げた木片と裂けた帆布の墓場と化していた。
船長は少女に強く急かされて走ってきたらしく、肩で大きく呼吸が乱れ、額や首筋にびっしりと汗を滲ませていた。恰幅の良い身体には、その急な運動がかなり堪えた様子がありありと見て取れる。
ぜえぜえと深呼吸を繰り返しながら、船長は金色のボタンが煌めく紺色の立派なセーラースーツの胸ポケットから清潔そうな白いハンカチを取り出した。まず自分の額の汗を丁寧に拭い、続いて首筋の汗も拭き取った。その仕草には船乗りらしい実直さと、長年培われた威厳が感じられた。足元には磨き上げられた黒い革靴を履き、全体的に威厳ある船長の風格を漂わせていた。
少女は、船長の息が整うのを待つ間も、呼吸を乱すことなく、まだ無事な机や椅子を一つひとつ丁寧に元の位置へと戻していた。少しでも元通りにしようと静かに動き続けている。椅子を起こし、倒れた備品を拾い集めては、周囲の惨状をそっと見回していた。
(さっき、人が落ちるような音がして覗いた時にはこんな事になっていなかったのに……どうしてこんな酷いことでできるの?それにこの辺には魔法の気配を感じる……じゃあ、こんなことしたのは……)
少女は戻しながらもこの状況を作り出した人物が誰なのか気づいたようだった。
全ての机や椅子を元に戻し終えると、少女は乱れたカーディガンを無意識に直しながら、静かに深呼吸をひとつついた。ふと見ると、船長もすっかり呼吸が落ち着いており、丁寧に白いハンカチを胸ポケットにしまい込むと、セーラースーツの裾や襟を軽く整えて身だしなみを正していた。
四季崎は、この惨状について説明しようと船長のもとへ歩み寄ろうとしたが、それよりも早く、少女は乱れた髪をかきあげながら船長へ歩み寄った。少女の表情には、片付けを終えたばかりの安堵と、これから事情を問いただす強い意志が混ざっていた。船長はそんな少女の勢いに少し驚きながらも、落ち着いた様子で彼女の話に耳を傾ける体勢をとった。
「船長さん!あの人です!あそこにいる黒髪の男が、この子を一方的にいじめて暴力を振るい、さらに魔法で甲板をこんなひどくした張本人です!見てください、この惨状を!この子は怯えてしまっています!今すぐあの男を捕まえてください!」
少女は真剣な眼差しで船長を見つめると、次には四季崎に射抜くような視線を向け、そのまま真っ直ぐに指を差した。突然、鋭く指をさされたことで、四季崎は呆然と立ち尽くす。潮風がコートの裾を翻し、彼の影が甲板に長く伸びた。少女の指先は、彼をまっすぐに示している。
少女の表情には、ただの怒りや疑念だけでなく、強い正義感と責任感がにじんでいた。船長もその緊張感を敏感に察し、思わず少女と四季崎の間に割って入ろうと身構えた。上部デッキには潮風が吹き抜け、静まり返った空気の中で、少女の指差しが一層際立って見えた
「下関船長!違います!これには……」
四季崎は弁明するように大きな声で反論しようと口を開いた。しかし、下関船長はすかさず鋭い視線を四季崎に向け、片手をさっとかざしてその言葉を制した。船長のその仕草に、緊張感をもたらした。
四季崎は思わず言葉を飲み込み、その場で動きを止めた。
船長の威厳ある態度に、少女も一瞬だけ動きを止め、周囲の空気が静まり返った。潮風がデッキの椅子やテーブルの間を抜けていく音だけが、しばしその場に響いていた。
「四季崎。少し黙っていなさい。まずは、彼女から話を聞くまで……」
下関船長は四季崎に向けて鋭い視線を送り、片手をしっかりと上げてその言葉を制した。
そのまま少女の方に身体を向けると、彼女の素性を見抜くようにじっと観察し、落ち着いた声で問いかける。
「君は成人の儀に参加する子だね?えぇーっと、名前は?」
少女は、四季崎を早く捕まえてほしいという思いが抑えきれないのか、足元でうずうずと身を揺らしながら、今にも前に出そうな勢いで船長の問いかけに応えようとしていた。
「伊勢、伊勢 巫琴です。それより早く彼を捕まえてください!」
下関は少女を落ち着かせるように、ゆっくりとした口調で促しながら、彼女の興奮が収まるのを静かに待った。先ほど四季崎に向けた鋭い視線とは対照的に、伊勢には柔らかく穏やかなまなざしを向けている。
「そうか、伊勢くんか。一つ聞くが、四季崎くんが魔法を使っているところを、君はちゃんと自分の目で見たのかい?」
船長は声こそ穏やかだが、問いかけの芯は鋭く、伊勢の本心を確かめるような口調だった。伊勢はその言葉に言葉を詰まらせ、気まずそうに小さく首を横に振った。
「伊勢くん」
下関は伊勢の視線に合わせるように腰をかがめ、真剣でありながらも優しさのこもった眼差しを向けた。そのまなざしを受けて、伊勢はどこかドキッとしたように視線を彷徨わせる。
「それは……えっと……見て…ない……でも!この惨状には魔法が使われています。そこの金髪の男の子は成人の儀前です。だから!だって、成人の儀前の戦闘魔法を禁じる聖教法に反することです!法を破るなんて、絶対に信じられません!」
伊勢は自分を納得させるように、言葉を紡ぎながら必死に訴えた。その様子を見ながら、下関は静かに四季崎へ視線を送る。
四季崎は「分かっているでしょ?」と言いたげに、両肩を竦めてみせた。
「うーん、俺が知る限り、四季崎くんがそんなことをするわけないと思うんだがね?」
上部デッキの一角――普段は穏やかな団らんの空間が、今は緊張と誤解に包まれていた。
下関はどう説明しようかと頭を掻きながら、まずはデッキに隣接した部屋に集まった野次馬たちの方へと歩み寄った。「はいはい。お騒がせしたね」と声をかけ、手を大きく振って解散を促す。
その声は船上のざわめきにしっかりと響き、乗客たちはしぶしぶとその場を離れていった。退屈な船旅の中での思わぬ騒動に興味津々だった面々も、楽しみを奪われたような不満げな表情で、下に繋がる階段へと降りていった。
しかし、すべての者が素直に去ったわけではなかった。
デッキの隅には、先ほど風運とつるんでいた若者たちが、まだこちらの様子をうかがいながら残っている。彼らは半ば警戒しつつも、事の成り行きを見届けようと、遠巻きに視線を送っていた。
さらに、その一角にはもう一人、初老で紳士風の男が静かに立っていた。彼は背筋を伸ばし、落ち着いた態度で両手を軽く前で組み、目を細めて事の顛末を観察している。口元にはうっすらと意味ありげな微笑を浮かべ、騒動の中心を冷静に見つめていた。
その姿は、他の乗客とは異なる余裕と品格を漂わせており、周囲の空気にもどこか特別な緊張感をもたらしていた。
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