6.蟻と雀蜂の戦い
きな臭い話が再び舞い込んできたのは、あの時運ばれてきた働き蜂の亡骸が食糧庫からすっかり消えてしまった頃の話だった。
南と西の境にて、樹皮の王国の兵士たちとかつて西の地にあった亡国の残党兵と思しき妖精たちが戦っていたのだという。
空を飛ぶ翅を持つ樹皮の王国の兵士たちが有利だったようだが、我が身も顧みずに地上をひたすら進軍していく亡国の兵たちの動きに圧倒され、幾人かは犠牲になってしまったとのことだ。
幸いにも、樹皮の王国が攻められることはなかった。それ以上の進軍は無理だと気づいたのか、残党兵が引き返していったからだという。
その様子をまざまざと語ったのは、偵察として送られていた手下蜘蛛たちだった。彼らの話は瞬く間に城内に広がり、わたしの耳にも入ってきた。
「どうやら、今回の残党兵の襲撃こそが、樹皮の王国の女王様の心変わりに繋がったのだと言われているようです。彼女らの動きを前々から把握していて、それで、せめて蜜の王国の女王様だけでも庇護するべく、連れ去ったようなのです」
食事の時間、床に寝かされながら、わたしは迷に話した。
偵察が耳にした話によれば、樹皮の王国の城内では今も、蜜の王国の女王であった蜜蜂は生きているらしい。
幽閉されたまま、自分の国の王国民たちがひとりずつ食べられていく悲しみと罪悪感に、心を病んでしまったそうだ。
それでも、樹皮の王国の女王の気持ちは変わっていない。たとえこのまま蜜蜂の心が壊れてしまったとしても、命さえ守れるのならばそれでいいのだろう。
全ては残党兵たちの動きのせいでもある。遠い地の事とはいえども、戦えぬ花の身であるわたしにしてみれば恐ろしい話だった。
力と力のぶつかり合いが、他の者たちの平穏まで奪ってしまうなんて。
「迷はどう思いますか?」
「どうって?」
抱擁と共に、迷は訊ね返してきた。
「その……西にあったという国の残党兵たちは、いったい何が目的で樹皮の王国を攻め入ろうとしたのでしょうか。女王蟻様はもう、いらっしゃらないらしいのに」
すると、迷はわたしの身体に覆い被さりつつ、囁いてきた。
「城主様が教えてくださったことよ。残党兵たちは、自分たちの意思で動いているわけではないのですって。彼女らは女王蟻様でもない、何者かの指示に従っていて、そのために南へ進軍していったようなのですって」
「何者か……それって誰なのです?」
「そこまでは分からないみたい。ただ、不吉な影はじわじわ広がっているの。残党兵たちを先導するように飛ぶのは蝙蝠の妖精だったのですって。その蝙蝠が時折、この城の近辺まで来ているらしくって──」
「この城の?」
震えてしまうわたしを、迷はすぐにぎゅっと抱きしめた。
「ああ、銀花。ごめんなさい。余計なことを話してしまったわね。どうか今の話は忘れてちょうだい。何も心配せず、あなたはここで咲いていればいいの」
でも、と言いかけたが、それ以上の言葉は出なかった。
知ったところで、わたしには何も出来ない。
わたしの役目は、迷の食事に付き合う事だけなのだから。
食事に誘う蜜食妖精の前に、わたしの身体は無力だ。軽く触れられただけで全てを迷に委ねる気になってしまうのだから。
それでも、ほんのわずかな維持と、知りたいという頑固な欲求が消え切らなかったのだろう。迷が蜜に口をつける前に、わたしは彼女に言った。
「お願いです、迷。もっと……教えてください」
迷はわたしの顔を見つめ、静かに言った。
「食事の後でなら」
きっと、お腹が空いていたのだろう。
それからは、話す間もなく食事は続いた。この城に来て以来ずっと、この体は迷のためにある。蜜を奪われていく度に、わたしの心は満たされていく。その間だけは、外の怖さを忘れることが出来た。
けれど、迷のお腹が満たされて、蜜もあまり出なくなってしまうと、わたしの頭には再び冷静さが戻ってきた。
息を整えるわたしからそっと離れようとする迷の腕を、わたしはぎゅっと掴んだ。驚いたのか、その目が僅かに見開き、背中の翅が微かに揺れる。
「約束……しましたよね?」
縋りつくようにそう言うと、迷はため息交じりに頷いた。
「ええ、覚えているわ。知りたいのなら、教えてあげましょう」
そして、渋々ながら迷は教えてくれた。
もともと、西の地は神秘の地とも言われていた。きっと、日が沈む際に、幻想的な光が差し込み、美しい光景が広がるからだろう。
けれど、女王蟻の姿が消えてしまって以降、その美しい世界がどうなっているのか、城主である千夜も把握していないらしい。
「城主様は他の領域がどうなっているのか偵察隊を送るそうなの。それで定期的に、異変がないかを調べているそうなのだけれど、西に行った者たちは戻ってきていないのですって。だから、西はいまでもよく分からないまま。分からない状態のまま、今回の事件が起こってしまったのですって」
さらに不気味な動きは続く。
残党兵を率いていたと思しき蝙蝠の妖精が、西の地とこの北の地の境を飛び回り始めているというのだ。
それがどういうつもりなのか。疑うとすればそれは一つ。
「これから、どうなってしまうの……」
頭を過るのは、蜜の王国の末路の話だ。滅ぼしたのは樹皮の王国の雀蜂ではあるけれど、もしも、残党兵に攻め込まれでもしたら、わたし達に待っているのは彼女らが辿った未来ではないのかと、そんな不安を覚えずにはいられなかった。
「大丈夫よ、銀花」
迷はわたしを抱きしめながら言った。
「何も起こらない。城主様を信じましょう」
けれど、何故だろう。不安はなかなか消えなかった。




