5.一つの国の崩壊
朝と夜が繰り返し、わたしの周囲では代り映えしない時が過ぎていく。しかし、そんな状況でも、外の噂は絶えず囁かれていたものだし、城主である千夜は、常に周囲に目を光らせているようだった。
そのまま、平穏だけど、どことなく緊迫した時が流れ続けていたある日の事、とうとう城を騒がす出来事が起こった。
南の地へ視察に向かった手下蜘蛛たちが戻ってきたのだ。
彼らは手土産をいくつか抱えていた。いずれも、道中拾ってきたと思しき物言わぬ妖精たちの亡骸であったが、そのうちの一つに、注目は集まったという。それは、滅ぼされた蜜の王国の、働き蜂の女性の亡骸だった。
閉じ込められていたわたしは直接見ていない。だが、目にしたという手下蜘蛛の一人が、その詳細を教えてくれた。
「どうやら、視察のひとたちが出会った時は、まだ生きていたそうですね」
迷に話すと、彼女はこくりと頷いた。
「アタシもその話を聞いた。まだその時は生きていて、王国で何があったのかも、彼女が教えてくれたそうよ」
彼女らの国を攻め滅ぼした樹皮の王国の女王は、視察の手下蜘蛛を門前払いにしたらしい。
その後の偵察によれば、まだ蜜の女王は死んでいない様子だったそうだが、何が起こったかははっきりしない。
だからこそ、その働き蜂の証言が、大きな情報となった。
その日、蜜の王国ではいつもと変わらない日が始まった。
働き蜂たちは、それぞれがそれぞれに割り振られた役割を担い、その働き蜂の女性は周囲に隠れ住む花の妖精たちのもとを訪ねていき、蜜を集めていた。
樹皮の王国の者たちが攻めてきたのは、その日中のことだった。
集めた蜜を倉庫番に一度渡し、再び外へと繰り出そうとしたところで、樹皮の王国の女性兵士たちに襲われたのだという。
城内では次々に血を分けた兄弟姉妹たちが殺されていき、或いは連れ去られていく中、彼女は自分たちの女王が引きずり出されていくところを目撃した。
その際、彼女は聞いたのだという。
──安心するがいい。あの者は女王でなくなるだけだ。
その言葉の意味を理解する前に、彼女もまた深手を負った。
そのまま連れ去られそうになるところをどうにか逃れ、遠くへ、遠くへと離れようとして力尽きたところへ、この城の手下蜘蛛たちに見つかったのだという。
彼女は証言を終えると、そのまま事切れたそうだ。
「もともと、蜜の王国が出来たのは、樹皮の王国の女王である雀蜂様が手伝ってくださったからだそうよ。安全な地を確保して、好きにさせていたと聞いているわ。でも、それが突然変わってしまった。城主様はそこがとても気になるみたい。ただの妖精の気まぐれとは思えない。雀蜂様は、そういう方ではないのだと」
それに、と、迷は続ける。
「アタシが羽化するより前の話だけれど、西の地でも、妖精の王国が滅んだことがあったそうなの。そこは女王蟻様と呼ばれるお方の王国だったのだけど、城主様も気づかないうちに滅んでいて、王国民だけが取り残されているそうよ。それに引き続いて今回の事だから、城主様は警戒なさっているみたい」
迷の話を聞いて、わたしはさらに不安になった。
外の世界では、何が起こっているというのだろう。
不安と共に、わたしはさらに蜜の王国に暮らしていた妖精たちの事を深く、深く、考えてしまった。
ある日突然、平穏が崩されるのはどれだけ恐ろしい事なのだろう。
その状況を故郷の花畑に置き換えてみれば、恐怖はさらに増してしまった。命を奪われた者は勿論、攫われた者がどうなったのかも想像に難くない。
蜜の王国の者たちは、花の妖精の蜜を食す蜜食妖精だけれど、樹皮の王国の者たちは、この城の者たちと同じように他の妖精を犠牲にする肉食妖精なのだと聞いている。つまりは、そう言う事なのだ。武器を手放し、降伏した者たちにも、恐らく未来はない。
では、蜜蜂様はどうしているのだろう。
雀蜂に可愛がられていたはずの蜜蜂は、今頃、樹皮の王国でどうしているのだろう。
その事を考えだすと、今度はこの城まで重なってくる。もしも、この城が三つの王国のように何者かに攻め滅ぼされるような事があったとしたら。そう思うと、悪い妄想で胸がきゅっと絞めつけられてしまう。
「城主様は、これからどうなさるおつもりなのでしょうか」
不安を隠しきれぬままそうぽつりと呟くと、迷は包み込むように抱きしめてくれた。
「もっと状況を探ろうとなさっているみたい。具体的にどうするつもりなのかも、今夜、アタシが聞いてみれば教えてくれるかもしれない」
迷はそう言うと、少し屈んでわたしに視線を合わせてきた。
「だから、今は怖がらないで。アタシの腕の中にいれば、それでいいから」
どの道それしか選択肢はない。わたしはその為にいるのだから。それに、一度、迷に抱かれてしまうと、それ以上は考える事が出来なくなってしまう。
恐らく、彼女もまた、毎夜のように千夜に抱かれているからなのだろう。彼女の手に囚われてしまえば、わたしは瞬く間に蜜を捧げるだけの花となってしまう。
「銀花……」
充満する甘い蜜の香りに負けず劣らず甘い声で、迷はわたしの名を呼んだ。その手、その声、その眼差しの導きに従っていると、今だけは怖い現実など忘れてしまう事が出来た。




