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その名は銀花  作者: ねこじゃ・じぇねこ
蜘蛛の魔女に拾われて

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4.遠い地で起こった出来事

 囚われて以来、二度目の満月を拝んだ頃になれば、ここでの暮らしもだいぶ慣れてきた。

 わたしの見ていない場所では、きっと今も誰かが罠にかかって囚われていて、その体がここの城主である千夜を始めとした肉食妖精たちのための有難い糧となっている事は分かっている。

 だが、その事への恐怖にも随分と慣れてきてしまった。


 肉食妖精は毎日どこかで他の妖精たちを捕らえ、食べて暮らしている。それは仕方のない事。わたしがいちいちその事実に心を痛めることはない。

 わたしが知る世界は、この場所だけでいい。城主の愛玩として暮らす迷の健康にさえ気を配っていれば、それでいい。度々、自分にそうやって言い聞かせてきたおかげか、気分もだいぶ楽になった。


 そうなってしまえば、わたしの身の回りの世話をしてくれる手下蜘蛛の男女にも、だいぶ慣れてきてしまった。

 そのおかげもあるだろう。彼らとは雑談もできるほどに慣れていき、この城どころか、故郷で咲いていた頃とはまた違った視点の情報を知る事が出来るようになっていった。


「迷はお聞きになりましたか? 南の地で異変があったらしいのです」


 ある日の食事の際、わたしはそんな話を迷にした。

 これもまた、ここで働く蜘蛛の一人から聞いた話だった。


「ほんの少し前まで、南にはふたりの魔女が二つの王国を築いていたそうなのです。片方は樹皮で出来た黄金の城で、もう片方は蜜で出来た黄金の城。それぞれの女王でもあらせされたおふたりは、とても仲が良かったそうなのです。けれど、この度、樹皮で出来たお城の女王様が、蜜で出来たお城を攻め滅ぼして、もう片方の女王様をさらってしまわれたそうなのです」


 何があったのかまでは、伝わっていない。

 だが、恐ろしい話でもある。

 ほんの気まぐれでこんな事が起こってしまうのが妖精の世界なのだ。

 もしかしたら、わたし達だって、城主たる千夜の心変わりでこの日常を失ってしまう可能性はある。


「雀蜂様と蜜蜂様のお話ね」


 迷は静かにそう言った。


「知っているわ。城主様はいま、何があったのかを慎重に調べていらっしゃるのよ。雀蜂様の気まぐれとは思えない。蜜蜂様が雀蜂様を怒らせるようなことをしたとも聞かない。それで、何があったのかを探らせるため、情報を集めていらっしゃるの」


 そして、迷は軽くわたしの頬に唇を当てて、ため息交じりに呟いた。


「南の地は遠い異国でもある。でも、城主様が警戒しているのには、きっと理由があるのでしょうね」

「迷でも、その理由は分からないのですね?」

「ええ、そうね。アタシはただの愛玩だもの。今は可愛がって貰えているけれど、城主様の気が変わればきっと、立場も変わってしまう。その程度の存在だから、城主様が何を考え、何のために動いていらっしゃるかは分からないの」


 そんな事はないと否定したいところだったが、それは出来なかった。

 雀蜂と、蜜蜂のように、永遠に変わらないものなんてあり得ない。もしも、迷がこの立場を失ってしまう日が来たら、わたしの役目もそこで終わるのだろう。

 勿論、そんな事はあり得ないと城主である千夜を信じたいところだけれど、絶対にないとは言い切れない。


「でも、なんにせよ」


 と、迷は続けた。


「アタシは城主様が心配なの。気高く振舞ってはいるけれど、その何処かに不安が見え隠れするのは、きっとアタシの気のせいではないはず。だからこそ、アタシが、せめて城主様の気を紛らわせるお役目を果たせたらって、そんな事をいつも考えているの」


 その表情には、一切の偽りを感じなかった。

 ともすれば、自分を殺して食べてしまうかもしれない相手ではある。しかし、求められる度に、褥を共にしているうちに、情が生まれたのだろう。

 そんな彼女に抱かれるわたしも同じだった。


 最初はたまたま捕まっただけだった。故郷を去るその理由に後ろめたいものがあって、そこを紛らわすために出た言葉が「勇気」で、それをすぐに弟に見破られたのか、「向こう見ず」だと言われた。そのことを痛感せざるを得ない状況に陥って、けれど、運がよくて助かった。その幸運の果てに待っていたのが、この幸福だった。

 もしかしたらわたしは、欲望とは別に、迷の事が好きになってしまったのかもしれない。迷が、恐らく千夜を好きになってしまったように。

 迷が千夜の心を癒せることを誇りに思っているように、わたしは迷のためだけに咲けることを誇りに思っていた。


 でも、それだけに、不安は頭を過る。

 千夜は何を恐れているのだろう。この城の外では、何が起こっているのだろう。

 それは、ここに来るまでには考えた事もない不安でもあった。思い返せば、それまでわたしは、すぐには自分の身に差し迫らないような事象を、今ほど深く考えたことがなかったかもしれない。

 妖精の世界は厳しい。さっきまで無事に暮らしていても、数分後にはこの世にいないかもしれない。だから、その時々の事を考えて生き抜き、快と不快の感情を行き来ながら暮らしてきたのだ。

 でも、ここは違う。安全で、守られた場所に置かれたからこそ、わたしはわたしの知らない場所の出来事に耳をそばだて、未来を不安に思い始めていたのだ。


 けれど、だとしても、今のわたしはただの生餌。

 出来る事は、迷に抱かれ、蜜を捧げることだけだった。

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