17.魔女のみぞ知る伝説
東の魔女との静かな攻防が続くある日、わたしは迷と共に千夜のもとへと呼び出された。
玉座の前に立つことには慣れてきた。好奇心や悪意すら滲む蜘蛛たちの視線も、そろそろ気にならなくなってきた。もともとわたしも心臓に毛が生えている方なのだろう。
それに、他ならぬ城主が呼び出したのだ。誰にだってそれを阻む権限はない。だから、わたしは堂々と千夜の前に立てたのだ。
まるで生まれながらこの城に仕えているかのようにお辞儀をするわたしを静かに見つめ、千夜はすぐに迷へと視線を向けた。
「二人とも急に呼び出して済まないね。さっそくだけれど、話をさせてもらう」
相変わらず落ち着いた声だけれど、何処か疲れを感じる。それだけ、東の魔女との間に起きている諍いが深刻なのだろう。
少し不安を感じていると、千夜は軽く笑ってみせた。
「二人も知っての通り、北の地はまた多くの味方を失ってしまった。女神の支配を拒み、怒らせた代償はなかなか大きくてね。太陽が昇り、沈むまでの時刻に、命を落とさぬ者がいないくらいだ。だが、それも、すぐに収まるだろう。収めてくるからだ、私が直接ね」
つまり、また留守にするということだ。
これまでならば、その予定を直接教えてもらえることなんてなかった。せいぜい、迷だけが聞いていたくらいだ。わたしは二の次、三の次。迷の食糧でしかないのだから当然だった。それが、ずいぶんと変わったものだ。
その事実に呆然としていると、千夜はさらに言った。
「それでね。私がいなくなる前に、二人には聞いていて欲しい話がある」
「話……何ですか?」
思わず訊ね返したわたしに、千夜は軽く微笑んだ。
「魔女が魔女である理由の一つ。それが、長寿だ。母も、その母も、そのまま母も、一般的な蜘蛛に比べて長生きをしたのだという。これは、いったいどの母が体験したものなのかは分からない。が、同じく魔女になる定めを背負った娘に代々語り聞かせた、魔女のみぞ知る伝説でもある」
そう断ってから、千夜は諳んじるように言った。
「その昔、北の地を銀に染める蜘蛛の魔女がいた。魔女は美しい糸で己の領地を縛り、平穏をもたらしていた。だが、そんな彼女を狙っていたのが悪しき魔術師だった。種族は分からない。性別も分からない。何らかの肉食妖精だったらしい。魔術師は凶暴な鳥を操り、魔女を攫ってしまった。そして、魔の力を持つ棺に閉じ込めると、少しずつその心身を溶かしていこうとした。北の地はもう終わりだ。誰もがそう思ったときに、立ち上がったふたりの妖精がいた。ひとりは蝶、そしてもうひとりは花。蜘蛛でさえ恐れる事態にふたりは怯まなかった。そんなふたりを称え、主人を失った蜘蛛たちは、皆の力を合わせて、ふたりに立派な武器を授けた」
千夜がそこまで語ると、傍に控えていた朔が、周囲にいた手下蜘蛛の二人に目配せをした。すると、彼らはわたし達の前に歩みだしてきた。手にはそれぞれ何かが抱えられている。よく見ればそれは──。
「弓と剣……」
迷が呟くと、千夜は軽く頷いた。
「蝶の弓と花の剣。残念だけれど、伝説にあったものの実物ではない。これらは伝説をもとに私が再現したものだ。だけど、そこらの武器よりも頑丈だ。少なくとも、私の身に何かが起こらない限りは、壊れたりしないだろう」
呆然とするわたし達へ、千夜はしっかりとした口調で告げた。
「二人の力を貸してほしい。その弓と、その剣で、どうか私のいない間、この城を守ってはくれないだろうか」
まさか、こんなお願いを千夜にされるなんて。
驚くばかりのわたしだったが、すぐ隣にいた迷はいち早くその驚きから解放されて、千夜にしっかりと頷いた。
「確かに受け取らせていただきます」
迷の言葉に慌てて追従するようにわたしも何度も頷くと、千夜は満足そうに笑い、そして付け加えた。
「稽古は朔と彗に頼んである」
そんなやり取りのあった日のうちに、稽古は始まった。
朔も、彗も、信頼できる戦士ではあるけれど、稽古は幾分か厳しかった。だが、少なくともわたしの奮闘を笑ったりはしない。真剣に指導してくれる。そのあたりは、同じく稽古をする名も知らぬ蜘蛛の戦士たちとは違う。
いくら、城主に頼まれたとはいえ、多くの蜘蛛たちがわたしや迷に向ける目は相変わらず不快なものも多かった。勿論、それが全てではないのだけれど、状況次第ではそれが気力を大きく削ぐことになる。特に、直接ぶつかり合ったことで、朔や彗と自分との間に、結構な力の差があるのだということを知らされてしまえば尚更だった。
これまで、わたしが勝てたのは、運の良さと相手の油断が鍵だった。これらが鍵とならない場面ではどうだろう。東の魔女も、西の魔女も、すでにわたしがこういうタイプの花であることを知ってしまった。もう油断もしないだろうし、同じ手には乗らないだろう。
となったら、わたしは勝てるのか。
せっかく立派な剣を貰っても、わたしには不釣り合いに思ってきてしまう。そうなると、名も知らぬ蜘蛛たちがこそこそ笑うその態度が気になって仕方なくなるのだ。
「お疲れのようだね、銀花」
日没間近。朔に散々絞られたあと、ようやく解放されて、わたしは仰向けになって休んでいた。そこへ声をかけてきたのは彗だった。
「初めての稽古はどうだった?」
「大変だった。わたし……戦えるのかな」
「いつになく弱気だね。朔殿も初日から飛ばしすぎじゃないかな」
呆れたように言う彼女に、わたしはそっと訊ねた。
「迷は?」
「迷はむしろ、朔殿に止められているところだよ。あの人、狙いは性格だけど、結構神経質なんだね」
そう言って笑う彗はちっとも疲れた様子を見せていない。稽古の間はあれほど動いていたはずなのに。
「いいなあ、彗は。戦いに慣れていて」
「毎日稽古しているからね。でも、稽古次第で、一つ一つの力は君の方が上になるかもしれないよ」
「本当に?」
「うん。だから、めげずに明日も稽古をしよう」
彗の笑みに、わたしの中にも希望が見えた。むくりと起き上がってみれば、朔にがみがみ叱られて、渋々ながら稽古をやめる迷の姿が見えた。
魔女のみぞ知る伝説に登場するという戦士たちに、果たしてわたし達が近づけるのかどうかはまだ分からない。
それでも、千夜が期待し、授けてくれたのならば、そして、迷がそれを快く引き受け、あれほど頑張る姿を見せるのなら、わたしもまた投げ出す気には全くならなかった。
ふと、迷がわたしに気づき、手招いてくる。すぐにわたしは立ち上がり、その胸に飛び込んでいった。




