16.孤高の魔女に戻っても
周囲の不安通り、それからの東との関係は悪化の一途をたどる事となった。
もとより、向こうがどんな態度を取ったとしても、千夜が許すはずもない。こちらを騙し、迷を奪おうとした上に、この城を乗っ取ろうとしたのだから。
それでも、千夜に仕える蜘蛛の中には、騒動をややこしくしたわたしや迷のことを疎ましく思う者はいるらしい。
肩身が狭い事は分かっていた。
この城にいるのは心から千夜に仕えたいと願う者ばかりではないのだから。
厳しい妖精の世界において、なるべく生き残る確率を高めたいという理由だけで働いている者も多い。そんな彼らにとって、本来ならば食糧であるはずの迷や、その迷を養うための餌でしかないわたしの存在は、お荷物でしかないのだ。
そのお荷物が、あろうことか魔女同士の関係を悪化させたのだから、疎ましく思って当然だろう。
しかし、そういう者ばかりではなかった。千夜の事を心から慕っている者は勿論の事、そうでなくとも蜘蛛によってはわたしや迷のこの度の働きを評価してくれる手下蜘蛛も複数いた。
朔もそうであったし、名前は知らないが顔見知りの蜘蛛たちもそうだった。
「いやあ、参ったね。まさか愛玩奴隷の餌だと思っていたお嬢ちゃんが、これほど活躍なさるとはね」
ある日、わたしにそう語りかけてきたのは、古くから千夜を知る手下蜘蛛の一人だった。
忘れもしない、わたしを捕え、ここに連れてきた一人である。どうやら名乗るべき名前を持たないらしく、他ならぬ千夜から銀花なんて名前を付けられたわたしに対し、嫌味を言ってきたこともあった。
そんな彼だったが、この度は様子が違った。
「ここだけの話だがね、銀花。あんたを捕えた際に、ぜひとも城主様に見せようと言ったのはオレなんだよ。いやあ、参ったな。オレがあの時そう言わなかったら、あんたもオレも今がなかったかもしれんわけだ。分からないもんだね、世の中って」
「ある意味あなたのお陰ってわけですね」
恐らく言われたいのだろう言葉を言ってやると、彼はあからさまに上機嫌になった。
「いや、はっは、それほどでもないよ」
「いえいえ、謙遜なさらず。そんなあなただからこそ、東との境界の警備も任されているのでしょう? 状況はどうでした?」
おだてながら聞き出してみれば、彼は機嫌を良くしたままあっさりと答えてくれた。
「ああ、相変わらずだよ。東から元気な蜻蛉や赤毛の蟻ども、それに、蝶なんかも武装してやって来るのさ。どうやら、少しでもこの地を探ろうと必死なようだね。だが、ご心配なく。オレらがその度に追っ払っているからね。何なら死体や生け捕りに出来た奴らはここまで運んできている。さすがは楽園育ち。栄養価の高い飯となっているよ」
ついでに恐ろしい話を聞かされつつ、わたしは彼の情報を頭の中にしまった。
どうやら、東とのごたごたはしばらく続きそうだ。西の地の事ばかりではなく、また敵が増えてしまったということだ。これでは千夜も孤高の魔女に逆戻りだ。
「これ、油を売るな」
と、そこへやって来たのが朔だった。
叱られた手下蜘蛛が慌てて逃げて行くと、朔はわたしの傍まで近づいてきた。そして、じっとわたしを見下ろすと、呆れたようにため息を吐いたのだった。
「銀花、お前の事は城主様のご判断に任せるつもりではあるが、自身の種族の事をゆめゆめ忘れぬように」
「勿論、忘れてなどいませんよ。忘れていないからこそ、このように振舞えるのですから」
「だとしても、味方相手に間諜の真似事などせんでいい。それはまた別の者の仕事だ」
「間諜の真似事なんかではありません。こうでもしないと、誰も教えてくれないので」
少々、皮肉を込めてそう言ってみれば、朔は大きくため息を吐いた。
「仕方のないやつだ」
呆れたように呟いてから、彼は続けて言った。
「それよりも銀花、そろそろ夕飯の時刻だ。部屋に戻りなさい」
彼に言われ、ようやくわたしは城の外の世界が夕闇に沈みつつあることに気づいた。
黄昏時、日が沈み、そこから暗闇に包まれる間、わたしは不安な気持ちになる。夕闇という言葉のせいもあるだろう。その色合いを糸の壁越しに感じていると、急に迷のことが恋しくなってしまった。
「分かりました。すぐに戻ります」
それから寄り道せずに真っ直ぐ戻ってみれば、迷はお待ちかねだった。
挨拶も疎かに近づいてみれば、すぐに捕まってしまった。よっぽどお腹が空いていたのだろう。ただの口づけですら濃厚だった。そのままの状態でしばらく蜜を奪われ、ようやく口を解放されると、頭がぼうっとしてしまった。
そんなわたしに迷は言った。
「勇ましく戦っている時のあなたとは大違いね」
艶っぽく囁いて、軽く耳朶を齧る。
その刺激に震えているうちに、すっかり体の準備は整ってしまった。
迷はさらに囁いてきた。
「ねえ、知っている? 蜘蛛の若手の中には、あなたの事を神聖視する人もいるのですって。城主様をお守りする守護花だって。たとえ城主様が孤高の魔女に戻ったとしても、その花がお膝元で咲いている限り大丈夫だって。どう思う?」
「こ……光栄なことです」
正直に言って、話の内容が上手く頭に入ってこなかった。
今はそれどころではない。早く楽にしてほしかった。だが、迷だって、そんな事は分かった上で遊んでいるのだろう。
涙目になるわたしを面白がり、甘い吐息を漏らしながら、まずはぎゅっと抱きしめてきた。
「正直に言うと、嫉妬してしまったの。だって、あなた、本当に勇ましかったのだもの。城主様のために戦う事が出来ている。か弱い花のはずなのにって。でも、もういいわ。だって、あなた、アタシの前ではこんなになっちゃうのだもの」
「迷……」
甘えるようにその胸に顔をうずめるわたしに、迷は軽く笑った。
「意地悪して御免なさい。じゃあ、そろそろ、いただきます」
そしてようやく、わたしの欲は満たされたのだった。




