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その名は銀花  作者: ねこじゃ・じぇねこ
蜘蛛の魔女に拾われて
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3.故郷を去った理由

 銀花という名前を貰ってから、何度か昼夜を繰り返す頃になると、段々とこの城のことや、ここで暮らす妖精たちのことが理解できてきた。

 たとえば、城主の事。糸を操る美しい肉食妖精であり、この城のある北の地の妖精たちに蜘蛛様と呼ばれ、恐れられていたことくらいしか知らなかったが、その本名が千夜ちよであることや、だが、その名を口にしていい立場の者はこの城の中において誰もいないことを、わたしは段々と理解していった。


 だから、なのだろうか。城主──千夜には、いつも暗さがまとわりついていた。「北の地におわすのは孤高の魔女」という言葉をどこかで聞いた覚えがあるのだが、実際に見つめる彼女の姿は、孤独という言葉の方が相応しいように思えた。

 決して、彼女が弱音を吐いているところを見たわけではない。それでも、いつも彼女に付き従っている老爺以外の若い手下たちの態度から感じる明確な立場の違いを目の当たりにする度に、わたしは立場も忘れて無性に彼女に寄り添いたくなってしまうのだ。

 けれど、それはわたしの役目ではない。彼女を癒す係は別にいる。わたしの役目は、その癒し係を飢えさせないことだった。


 糸の張り巡らされた小部屋。日当たりはよいが、決して出口のないその場所で、わたしは仰向けになったまま息を整えていた。そんなわたしからそっと離れ、迷は口元を拭う。甘い香りの充満する中で、わたしは力なく彼女の様子を見つめていた。

 もうだいぶ、このお役目にも慣れてきたものだ。毎日の朝夕、肌を重ねる回数も増えてくると、お互いの事もよく分かってきた。慣れてくればマンネリ化するのではという心配は大間違いで、わたしの体は日に日に、迷のためにどうすれば美味しい蜜を渡せるのかという方向で整えられていった。

 このお役目のことは好きだ。その理由は、迷が蜜食妖精として決して乱暴ではないからかもしれない。

 だが、その一方で、ふとした瞬間に胸を締め付けられるような瞬間があった。

 今もまた、迷の姿を見つめながら、わたしは昔の事を思い出していた。


「どうしたの?」


 そんな感情が表に出ていたのだろうか。迷に真っすぐ訊ねられ、わたしは慌てて身を起こした。開けた衣服をそっと着なおしながら、目を逸らしつつ答える。


「ちょっと昔の事を思い出していただけです」

「昔の事って?」


 興味を持たれ、わたしはさらに躊躇った。だが、おそらくこれからずっと一緒にいるだろう相手。そろそろ自分の事を話してもいいかもしれない。そう思い、わたしはちゃんと答えたのだった。


「故郷にいた頃のことです。はじめて蜜の渡し方を教えてくれた蜜食妖精も、あなたのように綺麗な蝶の女性でした」


 すらすらと口から出た誉め言葉は、単なるお世辞などではない。この世に創造主というものがいるならば、蜜食妖精たちの姿は花の妖精にとって好ましいものとして創られたといわれている。それが納得できるほど、わたしもまた、彼らの姿は好きだった。しかし、その中でも迷は、引きこまれるような魅力のある容姿をしていた。


「光栄ね」


 迷は静かに微笑むと、さらに訊ねてきた。


「あなたの故郷ってどこにあったの? ここの近く?」

「ここより南東にある小さな花畑です。東にある女神の楽園と、このお城のちょうど間あたりに位置する温かな場所で、家族と暮らしていました」

「南東の小さな花畑のことね。聞いたことがあるわ。でも、ずいぶん遠いのね。花の妖精ってか弱くて寂しがりが多いから、蜜を出すような大人になったあとも、お母さんや兄弟姉妹と一緒に暮らし続けるのでしょう? あなたはどうしてここへ?」

「それは──」


 思わず口籠ってしまった。

 その理由を口にするのは少々気が重かったのだ。恥じらいというよりも、劣等感の方が強い。心情的な重石が辛くて、即答は出来なかった。

 けれど、どうせ帰らない場所だし、迷の知らない世界の話だ。二度と外の世界には戻れないという諦めが、わたしの心の壁を取っ払ってしまったのだろう。結局、わたしは覚悟を決めて、打ち明けたのだった。


「惨めになってしまって」

「惨め?」


 思ってもみなかった答えだったのだろう。迷は首を傾げた。その眼差しから逃れるように俯いて、わたしはさらに打ち明けた。


「年頃になって、蜜を出すようになって、当然ながら今みたいに当時、わたしのことを気に入ってくれていた蝶と毎日密会していました。程なくしてわたしのお腹に宿ったのが、彼女の運んできた命でした。でも、その子をわたしは産めなかったんです」


 ──悲しいけれど、よくある事だ。気を落としてはいけないよ。


 そう言って慰めてくれたのが、伯父だった。母の兄である彼もまた、長く故郷に暮らしていた。母や祖母を始め、他の家族たちも口々に励ましてくれて、わたしはこの場所に生まれてよかったと心から思ったのだ。

 だが、それから後、次の子も、また次の子も、わたしの体では育たなかった。その度に、家族たちは慰めてくれた。蜜が吸えればそれでいい蜜食妖精たちも、全く気にしていなかった。けれど、弟妹たちもまた大人になり、蜜を生むようになってくると、いよいよわたしは肩身が狭くなっていった。


 きっかけは、妹の懐妊だった。姉たちがこれまで何度も子を宿し、産み、甥や姪が増えていくことは慣れていた。けれど、年上の姉と、年下の妹では、感じるものが全く違った。妹は無事に出産し、新しい姪が誕生する頃には、わたしは自分の中に宿っているどす黒く、汚い感情に気づいてしまったのだ。

 もしかしたら、わたしは、心の何処かで妹の慶事を喜べずにいたのかもしれない。

 赤裸々に、心情を打ち明けると、迷はそっと訊ねてきた。


「それが、故郷を飛び出した理由?」


 わたしは頷いた。


「母や祖母は止めたりはしないと言いましたが、弟には止められました。危険だって。それでも、わたしはあのままいられなかったのです」


 そして、飛び出した結果が、今に至る。

 本当は後ろめたい理由だったが、私はそれを隠したくて、勇気を試したいだなんて言ったのだ。

 それを弟に、「向こう見ずだ」と言われたことに関しては、否定できない。実際にそうだろう。結果的に丸く収まっているのは、運が良かったからに過ぎない。


「そう」


 迷は短く相槌を打つと、ふと手を伸ばし、わたしの頬に触れてきた。


「だったら、ここが新たな居場所ってことね。銀花。故郷での悲しみも、恋しさすらも、アタシが忘れさせてあげるわ」


 唇を重ねられると、食事が終わったばかりだというのにわずかに蜜が沁みだしてきた。けれどそれよりも、温かな抱擁が心地よかった。

 ああ、彼女の言う通り。ここが、わたしの新しい場所なのだ。

 銀花という名前と共に、その事を強く実感し、わたしは心から幸福感を覚えたのだった。

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