12.蜻蛉たちの本性
一夜が過ぎ、糸の城に戻ってみれば、そこはすでに戦場と化していた。
蜘蛛と蜻蛉。一度は共に手を取り合い、夕闇の討伐のために協力したはずの者たちが、今は骸となって転がっている。
その奥ではまだ、互いにいがみ合う蜻蛉と蜘蛛の姿があった。無益なその争いに、わたしは震えてしまった。
──ああ、城主様……。
せっかく、ここまで再建した城が、妖精たちの血で染まっていく。
今もまた、わたし達の目の前で、ひとりの蜘蛛が蜻蛉に敗れ、力尽きていくところだ。その光景を物陰から成す術もなく見守っているうちに、自ずと体が震えてしまった。
これも女神の命令だというのだろうか。あの朝焼とかいう男の命令なのだろうか。だとしたら、女神とは一体何なのだろう。楽園の使者とは何なのだろう。
少なくとも、わたし達にとっては悪魔であり、地獄のようなものに違いない。
「城主様……どこにいらっしゃるの……?」
恐ろしい光景を前にして尚、迷は小声でそう言った。
その眼差しもまた、千夜の姿を必死に求めている。恐くないはずがない。逃げ出したくないはずがない。けれど、迷が千夜を望むのならば、わたしも震えてばかりはいられなかった。
しかし、だからこそ、考えなくては。ただ闇雲に飛び出したところで、迷の望む結果にはたどり着けない。どう出るべきか。どう戦うべきか。
彼女が城から出てきたのは、そんな時だった。
「こっちだ!」
威勢よく叫び、武器を構えるのは、黒衣の妖精──彗だった。翅を持たず、蜘蛛よりもずっと小柄な彼女だが、蜻蛉相手に怯むことなく立ちはだかる。
そんな彼女を仕留めようと、蜻蛉たちは追いかけてきた。
「おのれ、猪口才な……!」
「だが、もう逃がさんぞ。故郷の姉妹兵たちのように捻り潰してやろう」
「来るなら来い! 返り討ちにしてくれる!」
彗が叫ぶと、蜻蛉たちは一斉に飛び掛かった。
蟻と蜻蛉。一見すると勝てる見込みは薄いように思えてしまう。
それでも、彗は、千夜にも信頼されているほどの戦士でもある。勝てない戦いなど、端からしないのだろう。飛び込んでくる蜻蛉たちを前に身構え、見事に迎え撃ってみせた。
しかし、安心したのも束の間、すぐに新手が彗の方へと近づいていく。どう考えても分が悪い。それにも拘わらず、彗は彼らをむしろ挑発するように吠えたのだった。
「どうした、女神の従者たちめ。蟻一匹潰せないのか?」
からかうように笑う彼女へ、蜻蛉たちは向かっていく。
それこそが彗の戦法でもあるようだった。心をわざとかき乱し、冷静さを欠かせて隙を生ませる。恐らくそれが狙いなのだろう。
蜻蛉たちはまんまとその策にハマり、かなり雑な形で突撃してくる。それを、彗はひとりひとり丁寧に討ち取っていった。
──すごい。これなら……。
と、感心しかけたその時、迷が不意に動き出した。
「迷?」
背中の翅を広げ、飛び出す彼女を目で追って、わたしはようやく気付いた。彗の死角となる場所から、新たな蜻蛉が向かってきていたのだ。
朝焼だ。
「い、いけない!」
慌てつつ、わたしもまた飛び出していった。
彗に貰ったあの石の武器を手に、朝焼の行く手を遮ろうとと前へ出る。その間に、先に飛び出していた迷が、彗の体を背後から捕らえ、そのまま有無を言わさず攫っていった。
朝焼の槍が、わたしの構えた石の武器とぶつかった。弾かれ、その勢いで、わたしはそのまま距離を置いた。
他の戦う妖精たちに比べ、わたしの動きは鈍い。
それでも、彼にとっては、およそ花の妖精とは思えない動きだったのだろう。朝焼はそんなわたしをやや驚いた様子で見つめ、軽く笑ってみせた。
「ただの生餌かと思えば。あの魔女もなかなか良い趣味をしているものだ」
「やっぱり、あなた達は味方なんかじゃなかったんだ」
恐怖を吹き飛ばすように強い口調で咎めると、彼は槍を構えたまま言った。
「味方? そんなもの初めから存在しないよ。お前たちの主人だって同じだ。好機さえあれば、彼女だって我らが楽園に手を出しても不思議ではない」
「城主様はそんな事しない!」
怒りのままに飛び掛かりそうになったその時、遠くから迷の声が聞こえてきた。
「銀花、戻ってきなさい!」
その言葉に、わたしは我に返った。
彗の戦法と同じ。安い挑発だ。もしも素直に飛び込んでいれば、呆気なく貫かれていただろう。向かっては駄目だ。そう判断し、引き返そうとしたその時、朝焼は急に動き出した。
「させるか!」
その突きを、わたしはどうにか避けた。当たらなかったのは奇跡と言っていい。奇跡だろうが何だろうが無事でいたものが勝ちなのだ。
「くそ。当たらないとは。一体、何なんだ、こいつは」
苛立つ朝焼からさらに距離を取り、わたしはそのまま傍に生えている大木の根元へと逃走した。幸い、朝焼は追ってこなかった。わたし達に構うよりも、優先すべき事があったのだろう。有難いことではあるが、不安なことでもある。
城主──千夜は今、何処にいるのだろう。
木陰で息を整え、様子を窺っていると、迷が彗と共に空から舞い降りてきた。彗はすぐさまわたしの体に触れると、ほっとした様子で言った。
「良かった。怪我はないね」
「彗こそ、大丈夫?」
「ああ、君たちのお陰で無傷だ。だが、安心してはいられない。あの男、きっと城主様を捕えに向かったのだろう」
そう言って城を睨む彗に、迷は静かに問いかけた。
「ねえ、彗。アタシたちがいない間に、何があったか教えて」
その言葉に、彗もまた落ち着いた様子で頷いた。




