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その名は銀花  作者: ねこじゃ・じぇねこ
楽園から来た蜻蛉の男

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11.朽ち木の洞の中で

 木の洞の中でそのまま体を休めていると、いつの間にか外では雨が降り出していた。

 冷えを感じて震えるわたしに気づくと、迷はそっと抱きしめてくれた。そのまま身を寄せ合っているうちに、お腹が空いてきたのだろう。わたしの頬に手を添えると、そっと唇を重ねてきた。

 微かに蜜を奪われると、今度はわたしの方が我慢できなくなってしまった。自ら迷にしがみ付き、その唇を奪い、さらに蜜を流し込んだ。


 いつだったか、迷と同じ種族──蝶の妖精に言われたことがある。わたし達のような蜜花は、時に恐ろしい魔性があるのだと。

 わたしにしてみれば、蝶にこそ魔性があるものだと思ってしまうのだが、彼らは彼らでわたし達に脅威を感じているのだろう。その意味を、この日のわたしは少しだけ実感した。

 迷としては、軽い味見程度のつもりだったかもしれない。けれど、不意を突かれて蜜を流し込まれた途端、その目つきは変わった。わたしの体を一度放して、興奮気味に息を吐くと、じっと顔を見つめてきた。


「……いいのね」


 静かに頷くと、そのまま本格的な食事は始まった。


 朽ち木の洞の中は、雨のせいもあって湿っている。長い事、千夜の作った城にいるから忘れがちになってしまったけれど、こういう日の地面はぬかるんでいるため、寝そべればすぐに体が汚れてしまう。そのため、落ち葉などを用意した方がマシになるのだけれど、わたし達の間に、そんな冷静さは残っていなかった。

 脱がされた衣服が落ち葉の役目を果たしてはいたけれど、脱いだ体にはどうしても土がついてしまう。けれど、そんな汚れも迷の食欲を損なうことはなかった。

 きっと後からこみ上げてきた恐怖のせいもあっただろう。迷は狂ったようにわたしの蜜を求めてきた。捕食されるような体勢でその求めに応じ続けていると、目から涙がこぼれていった。辛いからではない。またこうやって、迷に身を捧げる事が出来ることが嬉しかったからだ。


「……迷」


 愛しています。

 その言葉は口から出なかった。


 迷のお腹がいっぱいになる頃には、わたしの心身もへとへとになっていた。衣服を着なおすことすら煩わしく感じてしまうわたしを、迷はぎゅっと抱きしめる。その温もりに包まれ、わたしはしばしの間、夢うつつの中にいた。

 脳裏に浮かぶのは、これまでの記憶が絡み合った幻想である。そんなあやふやな世界の中で、わたしは見知らぬ二人の妖精の姿を見た。蝶の手を引いて何かから逃げる花の姿。誰なのかは、夢の中でも分かった。女神の愛し子である蝶と、彼女を盗んだ花の妖精。姿も知らないその二人の姿は、わたしの想像から生まれたものだろう。その二人が逃げた理由が、今なら痛いほど分かる。わたしも同じ立場だったら、そうしていたのだろう。


「……銀花?」


 と、囁く声が聞こえ、わたしは目を覚ました。迷が着せてくれたのだろう。いつの間にかわたしは服をちゃんと着た状態で眠っていたらしい。


「迷……どうしました?」


 ややあってから返事をすると、迷は安心したように微笑んだ。


「ごめん、起こしてしまったわね。ただ、あまりにもよく眠っていたから、生きているか心配になってしまったの。蜜をたくさん吸いすぎてしまったのではないかって」


 不安そうに呟く彼女の表情に、わたしは幸福感を覚えた。


「わたしは大丈夫ですよ。まだ足りないのなら、もう少しお付き合いできるくらいです」

「よかった。そう言われると欲しくなってしまうわね。でも、今はやめておくわ。次にお腹が空いた時に、もっと美味しい思いをしたいから」

「分かりました。その時のために、蜜をしっかりためておきますね」


 迷にハッキリとそう言うと、嬉しさと気恥ずかしさで体が火照ってしまった。

 蝶にとってこれは食事であっても、わたし達にとっては恋のようなもの。花の妖精の世界で尊敬される者といえば、数多の蜜食妖精たちを手玉に取り、季節が移ろいきれぬ間に数え切れぬ恋を成就させるような者である。たくさん恋をしておけば、それだけ出来の良い子が生まれるとされていて、母がどれだけ恋をしたかで生まれた子の期待も変わるのだという。

 それでも、わたしは故郷にいた頃から、たった一人の蝶と恋をすることに拘った。今も同じだ。あの時とは違う状況だけれど、迷以外のためにこの体を許したくはない。迷に喜んでもらうために、少しでも蜜を美味しく保ちたかった。だから、わたしの心身は迷だけのもの。


 だが、迷は違う。

 その体に身を寄せて、わたしはふと心細さを思い出してしまった。


 わたしにとってこれは恋であっても、迷にとっては違う。わたしにとって、迷は代わりのきかない存在だけれど、迷にとっては違ったのだろう。迷の眼差しの先には今も千夜がいるのだろう。この体、この心は、千夜のものだ。


 女神の愛し子が誘拐された。

 最初にその話を聞いた時、わたしはふと彼女らの姿に自分たちを重ねてしまった。まだ、女神が恐ろしい人だと知る前に、女神と千夜を重ねてしまったのだ。偉大な魔女の愛する蝶を奪うとは、なんて恐ろしい罪だろう。それでも、想い叶って愛する蝶を独占できただろうその花を、わたしは少しだけ羨ましく感じてしまったのだ。


 現実はもっと恐ろしく、残酷で、恵まれたわたしの立場で羨ましがるなど罰が当たりそうなほど可哀想なものだったけれど、それでも、わたしの中にはいけない願望が顔をのぞかせていたのだ。

 このまま遠い場所へ逃げてしまえないか。千夜の所に戻らず、迷を独占できるような隠れ家にて、二人きりで暮らすことは出来ないだろうか。

 その想いが少し滲んだのだろう。気づけばわたしは迷に訊ねていた。


「……迷、これからどうします?」

「そうね。まずはお城を目指しましょう。早く千夜のもとへ帰らないと。蜻蛉たちに危害を加えられてしまう前に」


 その顔に一切の迷いはない。

 ああ、やっぱり。

 わたしは静かに納得した。迷にとって大事なのは千夜なのだ。千夜がいるからこそ、迷は幸せになれる。それならば、わたしがやらねばならない事は一つしかない。

 城に戻ろう。

 早く戻って、あの恐ろしい女神の手先たちから、千夜を引き離さねば。

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