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その名は銀花  作者: ねこじゃ・じぇねこ
蜘蛛の魔女に拾われて
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2.新しいお役目

 名前を頂いたからには、覚悟を決めなければ。

 いまだ解かれぬ拘束に不自由さを感じつつテクテク歩きながら、わたしはそんな事を考えていた。

 美しいあの城主が何を理由にわたしに名前をくれたのか、その意図はまだはっきりとしていない。けれど、だいたいは見当がついていた。

 きっと、食料調達係を任されるのだろう。

 世間を知っていると胸を張れるほど、この世の事を理解している自負は全くないけれど、糸の張り巡らされた美しきこの城に暮らす肉食妖精たちのことくらいは噂に聞いている。

 周辺に暮らす妖精たちから蜘蛛様と崇められる城主を始め、ここで暮らす肉食妖精たちの武器は糸である。その糸で憐れな蜜食妖精を捕らえてしまう。

 憐れな彼らを呼び込むための餌となるのは、正直に言って心苦しさもあった。故郷でよくまぐわった蝶の翅の女性を思い出してしまうからだ。

 彼女もまた名も無き蝶だった。けれど、わたし達の間に名前なんていらなかった。

 きっとわたしは彼女に恋をしていたのだろう。体に溜まる蜜の全ては、どうしても彼女に捧げたかった。だから、彼女にしか体を許さなかったし、その末に子が宿った際は、間違いなく彼女が運んできた子だと心から喜んだのだ。


 彼女のような蝶の獲物が来てしまったらどうしよう。

 想像するだけで、わたしは動揺してしまった。

 それでも、逆らっては駄目だ。心を殺して、感情を殺して、自分が生き残ることだけを考えなくては。

 何度も、何度も、自分に言い聞かせ、それでも躊躇いの全てが拭い去れぬまま、悶々とした状態でわたしはある部屋に通された。

 ここが、新たな仕事部屋となるのだろうか。

 だが、そう思って顔を上げてすぐに、わたしは呆然としてしまった。


「メイ様、少し宜しいですかな」


 先程まであれほど横柄だった手下の一人が、紳士のように膝をついて挨拶をする。その眼差しの先にいるのは、明らかにここの血筋の者ではなかった。背中に生えた透明感のある翅は、蝶のもの。そう、蝶の翅を持つ蜜食妖精がそこにいた。

 メイと呼ばれた彼女がこちらに視線を向ける。わたしの姿を見て、一瞬だけ表情を変えたが、すぐに無表情に戻った。黙ったままの彼女に、手下は言った。


「城主様からの贈り物です。銀花という名前がついております。どうぞ、お好きになさってくださいませ」


 そう言って差し出される形で、わたしは背中を押された。

 戸惑いが強かった。これは、一体、どんな役目なのだろう。よもや、新たな危機に直面しているわけではないだろうか。

 嫌な予感が頭を過る中、メイは静かに手下たちへと告げた。


「ありがとう。確かに受け取りました」


 すると、手下たちは一礼をし、速やかに去っていってしまった。

 あれほど憎らしく、煩わしかった彼らの存在が、こんなにも恋しくなってしまうなんて。

 二人きりにされた緊張感の中でそんなことをつくづく思っていると、メイは音もなく近づいてきた。


「ギンカ、だったわね」


 ぽつりと言う彼女に、わたしは慌てて答えた。


「は、はい。銀色の花と書いて、銀花ぎんかだそうです。城主様が、つい先ほどつけてくださりました」

「そう。銀花。憶えたわ」


 淡々と言いながら、彼女はわたしの頬に手を添える。無理やり視線を合わせられたその瞬間、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が、全身を駆け巡っていった。

 今からわたしは、この人に抱かれるのだ。

 予感というよりも期待に近い。本能的な渇望で、思考が縛られていく。


「アタシの名前は、メイ。迷うと書いて、めいというの。蛹の時に、このお城の近くにぽつんと捨てられていて、このお城に拾われたのよ」

「迷……様……」


 覗き込んでくるその瞳に吸い込まれそうになりながら、手下たちに倣ってそう呼ぶと、迷は静かに言った。


「様はいらないわ。どうか、迷と呼んで」

「──迷」


 躊躇いつつも従うと、迷は嬉しそうに目を細めた。


「ありがとう、銀花。ここはとても安全な場所で、城主様も優しくしてくれるけれど、ちょっとだけ寂しかったの。ねえ、銀花。あなたの蜜を貰っていい?」

「それは……勿論」


 もう耐えられなかった。潤んだ瞳も、紅潮した頬も、欲望を隠しきれていなかっただろう。きっと、はしたない表情になっていたはずだ。それでも、迷は意地悪な顔ひとつせず、わたしに囁いたのだった。


「よかった。じゃあ、いただきます」


 愛らしいその囁きと、耳元への口づけを最後に、わたしの意識はしばし飛んでしまった。

 その抱擁を受けながら、静かに床へと倒されて、脳裏をよぎるのは故郷での思い出だった。同じような容姿の、同じような美しさを持つ名も無き蝶に、家族の見ぬところで抱かれながら、目に焼き付けたのがその背中に生えた美しい翅だった。

 あの時に似ている。そう感じた瞬間、忘れかけていた悦びが全身を駆け巡っていった。毎日のように蜜を捧げたあの頃。やがて子が宿った時、あの人が運んでくれたのだという実感が、そのまま喜びに繋がった。


 けれど、あの頃にはもう戻れない。

 蜘蛛の魔女に囚われてしまったからだけではない。

 わたしは二度と、故郷に帰らないと誓ったのだから。

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