15.全てを取り戻したくて
「迷……あれを……」
隣に居た迷にそっと声をかけると、迷は指差した先を見つめ、そのまま食い入るように凝視した。その先で、棺はさらにずれる。やがて、ぐちゃり、と音を立て、中に入っていた者の姿が現れた。触手のような蔓で、腕や体をぐるぐる巻きにされてはいたけれど、その顔がはっきりと見えた。
「城主様!」
迷が叫ぶと、その表情が微かに歪んだような気がした。
まだ意識はある。千夜は無事だ。その事を同じく判断したのだろう。迷はわたしの手からするりと抜けると、背中の翅を使って空へと飛翔した。そのまま、真っすぐ棺へと向かっていく。千夜の姿を目にして、冷静さを欠いたのかもしれない。
「迷、いけません!」
呼び止めるも、遅すぎた。迷にはもう、千夜の姿しか見えていなかった。そんな迷を見逃してくれるはずもなく、夕闇は彼女に蔓を向けた。捕まれば、ただでは済まないだろう。相手は花であろうと肉食妖精なのだ。迷のような蝶など、ご馳走でしかないのだろう。
冗談じゃない。迷が食べられてなるものか。木の棒を手に、わたしはそっと動き出した。きっと、わたしの事など取るに足らない花としか思っていなかったのだろう。その証拠に夕闇の注意は、常に迷と彗に向けられている。彼女たちのいる場所から遠ざかり、死角となる位置まで行くと、そのまま気づかれる前に飛び掛かった。
「覚悟!」
さすがに気づかれてはいたのだろう。殴りかかる直前、夕闇は即座に此方を振り返り、別の蔓を向けてきた。だが、お陰で迷は捕まらずに済んだ。視界の端で、彼女が千夜の囚われる棺までたどり着くところを見届けてから、わたしは蔓の攻撃を避けようとした。だが、思っていたように体は動かなかった。その攻撃の全てをかわせず、足を取られて転倒しかけた隙に、囚われてしまった。
「……うう」
所詮、わたしは蜜花に過ぎないのだろう。
勇気と向こう見ずは違うのだ。その言葉が頭をよぎる中、夕闇はゆっくりとわたしのもとまで近づいてきた。
「ただの生餌だと思っていたが、なかなかの気の強さだこと」
直後、夕闇は視界を逸らす。鋭い眼差しで睨みつけた先では、彗の姿があった。
わたしへと注意を逸らした隙に攻撃しようと接近していたのだろう。けれど、失敗に終わった。蔓で全てを防がれて、彗は敢え無く後退する。
全く隙がない。その動きを目の当たりにして、わたしはようやく怯えを感じた。
「そうか。あの蝶は蜘蛛の魔女……千夜の愛玩奴隷か。わざわざ危険を冒してまで取り返しに来るとは健気なものだ。随分と慕っているよう。だが、蜘蛛と蝶か。果たして千夜は、本当にあの蝶を愛していたのだろうか」
「どういうこと……」
震えながら問いかけると、夕闇は目を細め、わたしに顔を近づけてきた。
「わざわざお前のような年頃の蜜花を用意し、糸で出来た部屋に囲っていたのだろう。そうやって養われた血肉はきっと美味に仕上がっていることだろうよ。いつ食べても美味しいほどに」
「何が言いたいのです」
「分かっているくせに」
嘲笑うようなその声に、わたしは怖くなった。
「あ、あなたに城主様の何が分かるというのですか……!」
「分かるよ。何故なら、今の妾は千夜の支配者でもある。彼女があの棺に入って、どれだけの時間が経ったと思うか。時間が経てば経つほど、その心身は妾と同化していく。いずれは、その思考も、感情も、恵まれたあの魔力と共に妾のものとなるのだ。夕映がそうであったように」
そう言って、夕闇は片腕を挙げた。その動きに連動するように、女王蟻──夕映の閉じ込められている棺が震えだした。直後、何処からか妖精の姿が現れ始めた。その姿を見て、私はさらにぎょっとした。
残党兵だ。それも一人や二人ではない。
「お前たちは、かつての姉妹のお相手をなさい。あの泉で骨まで清めてやるといい」
その命令に頷くと、残党兵たちは彗に真っすぐ向かっていった。
「さて、あとはお前か。蜜花の妖精など、腹の足しにもならない。使えるとすれば、私の蜜には靡かぬ蜜食妖精どもの褒美くらいのものだろう。お前のような若い小娘はちょうどいい。その綺麗な体を八つ裂きにして、悲鳴を聞きながら蜜を楽しみたいという野蛮な輩もこの世界には多くいるものだからね」
淡々と夕闇は言った。
明らかな脅し文句ではあるが、その声に感情が伴っていない。むしろ、そこが不気味でもあった。得体の知れない者を目の当たりにしている感覚。とんでもない相手に勝負を挑んでしまったような恐ろしさ。
それでも、わたしは怯えているわけにはいかなかった。
足首が蔓に巻き付かれたまま、落としてしまった木の棒をどうにか掴むと、わたしは夕闇を振り返った。
そんなわたし、夕闇はただただ見つめてくる。
「靡いた方が、楽だというのに」
そう呟いたかと思うと、その蔓でわたしの身体をきゅっと絞めてきた。苦しくて息が出来ない。頭の中が段々と真っ白になっていく。
このまま意識が落ちるところまで落ちていけば、全てが終わってしまうのだろう。何もなくなってしまうのだろう。
そうやってこの世界では、毎日、多くの妖精たちが命を奪われ、消えていく。決して、珍しいことではない。どんなに拒もうと、逃れられない定めというものもあるものなのだ。
それでも、わたしはまだまだ足掻きたかった。
苦し涙で歪んだ視界には殆ど何も映らない。音の世界もだいぶ遠ざかっていた。けれど、消えゆく力をどうにか振り絞って、まだ手にしていた木の棒を、わたしは力いっぱい振り払ったのだ。
ゴンっと鈍い音がしたかと思うと、一気に楽になる。蔓から体が解放されたのだと気づき、前へ前へと張っていった。ようやく辺りの視界が戻ってきて、咳込みながら振り返ってみれば、夕闇が片手を支えながら静かに痛みをこらえていた。
当たったのだ。直後、新たな脅威にも気づいた。彼女の怒りがわたしへと向いている。その美しい手に痣を作った代償に、このまま命を刈り取られてもおかしくはないだろう。それでも、ただでは死にたくない。わたしもまた、ずっと身を守ってきた木の棒を構え、睨みつけた。
「この世の塵にしてしまう前に、遺言だけでも聞いておきましょうか。言ってごらん、名も無き花よ」
夕闇がそう言って、近寄ってくる。息を整えながら、わたしは彼女を睨みつけ、どうにか叫んだ。
「名も無き花なんかじゃない……銀花……それが……城主様が下さった、わたしの大切な名前……」
闘志はまだ燃え尽きていない。わたしはまだ戦える。けれど、それは意識だけの話だった。体は限界なのだろう。思うようについて来てくれない。立ち上がることもままならないまま、あっという間に夕闇はすぐそばまで来てしまった。
結局、わたしに出来たことは、その手に痣を作った事だけだった。動けないわたしの前でしゃがみ込む夕闇の顔に、絶望を植え付けられる。
けれど、そんな時だった。
何かに気づいた夕闇が、ふと振り返った。そのままわたしを置き去りに、彼女は立ち上がり、何処かへと歩み寄っていく。
その先には、迷がいる。千夜の囚われた棺がある。わたしもまた、夕闇と同じくそちらへと視線を向け、そして、はっとした。
迷が棺をこじ開けている。囚われていた千夜の体が、半分以上、外へと出ていた。




