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前世は国を救った伝説の勇者なんだけど、その生涯は記録と違って割と地獄で、それを夢に見てしまった少年のお話

作者: ふうこ



 夢を見た。



 初恋の人である隣の家のお姉さんが結婚する、という話を母から聞かされた夜のことだった。

 布団を被って泣いて、泣きつかれていつの間にか眠った夜に見た夢だ。


 僕は勇者だった。伝説の救国の勇者伝説の『勇者』だった。100年前に魔王を倒して国を救い、その後王女と結婚して国を継ぎ現在の繁栄の礎を築いたとされている人だ。現在にも続く立憲君主制の基礎を作ったことでも知られていて、学校でも必ず彼の業績の数々を習うし、国に生まれた子はだれだって小さい頃から勇者の伝説を寝物語に聞かされて育つ。

 いつだって民衆に寄り添い悪を許さず世を正す正義のスーパーヒーローだ。


 そう認識していたんだけど。


 夢の初め、彼は泥だらけで地面を這いつくばっていた。炎に包まれる生まれ故郷から、彼はそうやって逃げ出した。

 魔物に襲われ人々は無惨に殺され、そんな人々を助けることもなく、彼は奉公に出されていた主家の金蔵から金を盗んでそれを隠せる限り服の中に隠し持って一人きりで逃げたのだ。自分が恋していた主家のお嬢さんが魔物に食われているのも、そのまま見殺しにした。むしろそうやって生まれた時間で、彼は自分だけが逃げおおせた。


 そうやって逃げた先の街で、彼は武器屋の娘に恋をした。

 彼女の気を引くために、持ち逃げした金を使い武器を求めた。けれども彼女には恋人がいて、彼はあっさりふられてしまった。振られて消沈しているところで、街は魔物に襲われた。彼は再び逃げようとしたけれど運悪く魔物と行き合い対峙せざるを得なくなった。偶然が重なって、彼の剣は魔物を屠った。武器屋が彼に売ったのは、素晴らしい業物だった。ほぼほぼ剣の力と運の力で、彼は魔物を制したのだ。

 魔物は群れのリーダーで、長を失った群れは乱れ、戦っていた勇敢な人々によって街を追われた。

 彼は功績を讃えられて、王都へ招かれることになった。勇者として。


 魔王退治を王から依頼されて、彼は断ろうとした。当然だ、別に勇敢でも強くもないのだ。

 だがしかし、そこで彼は王から紹介された同行者に恋をした。聖女だ。

 彼女の持つ清らかな美しさに恋した彼は、二つ返事で魔王退治を引き受けた。

 同行者は他にもいたが、彼の目には映っていなかった。大概失礼な男だった。

 旅は困難を極めたが、一行は魔王の城にたどり着く。


 旅が困難だったのは何と言っても彼が行く先々で街娘に恋したからだ。惚れっぽい男は年柄年中女に惚れてはその尻を追い回しては振られ、しかし結果としてなぜか魔物を退治したり退けたりしていた。不運と幸運がないまぜな男だった。

 魔王と対峙し、止めとばかりに、男は魔王にも恋をした。魔王は美しい女性だったからまぁ順当だった。

 しかし魔王だったので、当然そのまま戦いになった。男の一途な思いに絆されて、魔王は最後に自分から男に命を差し出した。魔王も長い戦いで疲弊していたのだ。嘘のような本当の話だ。


 魔王――恋した女性を自分の手で殺してしまい意気消沈する彼だったが、魔王を倒した功績は本物だ。王国に仲間――聖女、剣士、魔法使いの3人と共に凱旋し、それでは、と改めて旅の最初に惚れた聖女と思いを遂げようとしたが当然聖女は彼の所業を全部見ている。なびくわけがない。聖女は共に旅した剣士と旅の間に思いを育て、凱旋の後に結ばれた。

 つまり男はここでも振られた。


 彼は勇者として祭り上げられ、街には彼に恋する女があふれた。しかし、街にはいけなくなった。王城で拘束されることになったのだ。彼の認識としてはそうだったが、実際は魔王を下した功績で王女の婚約者になったからだ。当然、王配として必要な最低限の教育が急ピッチで行われることになった。缶詰すぎる缶詰だった。そりゃもう詰めに詰められた。勉強なんて禄にしたことがなかった男は朝から晩まで寝る間も惜しんで礼儀作法をはじめ、国の歴史や周辺諸国との関係から経済まで必要な知識を詰め込まれた。そうして頭がクラクラしている間に婚約式も結婚式も行われ、終了した。


 王女は美しい人だった。そして、立派な人だった。

 常に凜とした眼差しで未来を見据え、屈することなく、諦めることのない人だった。

 まぶしすぎて、彼は王女から目を逸らした。恋することは出来なかった。そんな思いを向けられるような相手ではなかった。

 彼女の横で彼は死ぬまで必死で生きた。誰からも侮蔑の眼差しを向けられないように、彼女の足かせとならないように、彼女がただ、彼女らしく笑える世界を作れるように。


 彼は不器用な男だった。

 別段優れたところもなかった。

 勇者としての旅路の討伐の功績は殆どが仲間によるものだったし、王となってから成したことも殆どが妻の成したことだった。




 誰にも言えない。

 見た夢の内容をざっとメモ書き用のノートにまとめてから、僕は溜息をつきながら顔を上げた。

 一人称視点の記録映画のような夢だった。起こった出来事を淡々と見せられていったが、彼の感情は最後まで明確には分からなかった。だって音がないんだもの。彼が勇者であることも、他の仲間と共に旅立つところをみてようやく「ああそうか、彼はあの勇者なのか」と気付いたくらいだ。

 固有名詞は全部省いてある。勇者とか書けない。書きたくない。相手の女の数、両手両足の指じゃ足りないぞ。こんなのただの惚れっぽいアホじゃないか。


 そしてこの男がまさか自分の前世だなんて。


 一生を走馬灯の様に体験して目覚めた時は大変だった。顔が涙と鼻水でボロボロで、気付かずそんな顔のまま現れた息子に母は「げっ」と呻いて手元にあったタオルを投げつけてきたくらいだ。さっさと顔を洗っといでと怒鳴られた。


 切っ掛けはなんだろうなぁ、とペンを指先でくるくる回した。

 やっぱり昨日母さんから聞いた話がそうだろうか。隣の家のアンナ姉ちゃんの結婚話だ。

 幼馴染みで3つ年上のアンナ姉ちゃんは、僕の憧れの人で初恋の人だ。小さい頃にプロポーズぶちかまして、姉ちゃんからは「大人になっても私のことが好きだったら結婚してあげてもいいよ」と返事を貰った。僕が5歳で彼女が8歳のときのことだ。

 以来ずっと、僕は彼女が好きだった。誕生日のプレゼントもかかしたことはなかった。明日には15歳で成人だ。成人したら大人で、彼女の出した条件を満たせる。そしたら改めてプロポーズだ! ……と思っていた矢先のことだったのだ。結婚式は成人式の翌日だってさ。お相手は隣町の商家で、姉ちゃん的には玉の輿らしい。姉ちゃんは美人だし気立ても良いから順当だ。

 そんな人が居たなんて、昨日まで知らなかった。


 ペンを仕舞って仕事に戻る。学校は1週間程前に卒業した。僕の家は薬屋で、家業は小さな頃から手伝ってきた。調薬は10歳から仕込まれて今では一応一人前の仕事が出来る。難しい薬は父さんが、売場の整理や運営は母さんが、比較的難易度の低い薬の量産は僕が、今はそれぞれ担当して店を回している。

 トントンと薬草を刻んで刻んでペースト状に。熱を入れると飛んでしまう成分もあるから、きちんと消毒した平容器にそのまま詰めて塗り薬の出来上がり。これが当店の売れ筋薬だ。3種の薬草を配合していて、軽度の切り傷に最適の傷薬。簡単な解毒もしてくれるので、傷を洗えないときでも化膿を防いでくれる優れものだ。


 あー、癒やされる。地道な作業、大好きー……。もう何も考えずこうしてずーっと調薬してたーい……。


 僕の前世が勇者とか、なにかの間違いじゃなかろうか。

 平凡を地で行く顔と背丈と体格に、学業も剣術も体術も全部平均を絶妙に下回ったり上回ったりする平凡だ。今年の卒業生は全部で100人ちょうどだったけど、僕の順位は50位だった。それを知ったときの両親の顔たるや。「まぁ、私達の子だしね」という母と、「俺の子なんだからもうちょっとなぁ……せめてあと5つくらい順位が上ならなぁ……」と思っているのだろう父だった。


 色々思い描いていたバラ色の未来は本当に僕が勝手に思い描いていただけの未来だった。

 恋した人と結婚して、店を継いで、のんびり生きていく予定だったのだ。

 夢の内容を思い出す。夢だったけど全部実体験さながらだった。

 たくさんの恋をして、失恋して、それを繰り返して、最後はただ1人恋しなかった人と結ばれた。

 今世がどうなるのかは分からないけれど、思い描いていた未来はもう望めないだろうなとは思った。

 人生設計、やり直さないとな。




 成人式は順当に終わった。

 家業を継がない人でまだ就職先が決まっていない人は集まって慰め合ったり相談したりしていたし、決まっている人はそれはそれで集まってまったり今後の予定なんかを話していた。僕はそちらに加わりながら、デカい予定変更があったから全体的に言葉は濁して誤魔化すように笑ってた。初恋の人にプロポーズする予定だったのにその人は明日結婚でーす、なんて笑い話にもならないよ。


 しかも今日出発する前に母さんから「あ、その服明日の結婚式でも着るんだから汚すんじゃないわよ」と言われた。僕、この服を着て明日のアンナ姉ちゃんの結婚式にも出るらしいよ。出席すること自体その時初めて知ったんだけどね!

 姉ちゃんの嫁入り先は武器屋なんだってさ。なんでも、勇者様が終生愛用した剣を売った伝説の武器屋で、それを打ったのもその武器屋の主人だったんだそうだ。その血を継いだ姉ちゃんの婿さんも、すごい優秀な鍛冶師で、王都の鍛冶師の大会で優勝したこともある人なんだってさ。ようやく情報解禁されたとばかりに、昨夜母さんから聞かされた情報だ。相手の人は腕前もだけど顔もイケメンであまりにもモテて大変で、結婚する相手がバレると嫌がらせされるかもしれないから、ギリギリまで情報を伏せてたらしい。冗談みたいな話だなと思ったけど、姉ちゃんから借りたんだと見せられた受賞時の雑誌の記事に載った写真は確かにめちゃくちゃイケメンだった。


 武器屋の末裔がこんなイケメンで、勇者の生まれ変わりの僕がこんな平凡……ちょっとだけ理不尽を感じる……。まぁ血筋とかそんなんも関係なく、ただの生まれ変わりだからなぁ。こんなもんかな。最初の方の勇者は大分情けなかったし、……旅の途中の勇者も結構情けなかったし、旅が終わった後の勇者も割と情けないままだったけど……あれ? つまり勇者は情けない男だった? そんな馬鹿な?


 アンナ姉ちゃんの結婚式は隣町で行われた。盛大な結婚式で、姉ちゃんは綺麗なドレスに身を包んで、婿さんは立派な衣装に身を包み、腰にはすごい剣を下げていた。なんでも、勇者の剣のレプリカで、実際に勇者の剣を打った伝説の鍛冶師が打った彼の家の家宝だそうだ。滅多なことでは外に出すこともないものだそうだ。


 高らかに鳴らされる鐘の音と共に始まった式は、式のクライマックス、誓いの言葉を交わし合う2人の前に1人の女が乱入したところから歪んだ方へと動き出した。

 皆死んじゃえと狂ったようにわめきちらす1人の女が、角笛を吹いたのだ。

 何の音も鳴らないそれに、周囲の人は笑いながら女を抑え、連行した。女の口が歪に笑っていたのに、気がついたのは僕だけだった。その笛の正体を知っていたのも僕だけだった。血の気が引いた。全部壊したと思っていたのに残っていたなんて。魔物を寄せる、魔笛という名の魔道具だ。魔物にだけ聞こえる不快な音で魔物を寄せる。その範囲は非常に広い。勇者として旅する最中に何度かその笛の被害にあった街に寄ったり助けたりしたけれど、どの件でも悲惨なことになっていた。

 ……――僕の生まれた街も、あの笛のせいで、滅びたんだ。


「逃げて! みんな! 逃げて!!! 急いで!!!!!」


 突然叫びだした僕を、みんなが吃驚して、それから笑った。アンナ姉ちゃんは狂ったように叫びだした僕を見て泣いた。私の結婚式よ、祝ってくれないの? と婿さんの胸に顔を埋めた。婿さんはそんな姉ちゃんを庇うように抱きしめて僕を睨んだ。父さんに羽交い締めにされ母さんには口を塞がれた。


 その直後、遠くから悲鳴が聞こえてきた。あっという間にそれは近づき、会場に魔物が乱入した。


 悲鳴と怒声と血しぶきが交差した。逃げようとする人が折り重なって倒れていく。子供の泣き声が響く。姉ちゃんと婿さんは2人で揃って腰を抜かして祭壇の前に座り込んでた。その眼前に、巨大な魔物が迫った。


 避難させようと僕の体を引きずる両親を振りほどく。2人の元へ駆け寄って、婿さんの腰から剣を奪った。「それは……!」と奪い返そうとする彼を突き放し、アンナ姉ちゃんを庇うように僕は魔物の前に立った。


 足が震える。手も震えている。怖くて怖くてたまらない。

 魔物となんて戦ったことはない。剣術も体術も成績は平均よりはちょっと低くて、学業の成績でようやく全部の平均がど真ん中なのが僕だ。暴力は嫌いだし、喧嘩だってしたことない。アンナ姉ちゃんに結婚してって言ったのだって、姉ちゃんが僕をいじめっ子から守ってくれた時だった。


 姉ちゃんは婿さんを抱きしめていた。庇うみたいに。婿さんは震えて姉ちゃんにしがみ付いていた。まるで小さい頃の僕みたいに。

 それをちらりと横目で見て、ああ姉ちゃんはやっぱり僕の恋した人だ、と思った。

 たくさんの人の顔が目の前を過った。たくさんの、僕が恋した人の顔だ。どの人もみんな優しくて強かった。そして最後に、姫様の顔が思い浮かんだ。もっとも、姫様なんて言ったら怒られちゃうんだけど。彼女は僕がそう呼ぶことが好きじゃなかった。思い浮かんだ彼女の顔はもうしわくちゃのおばあちゃんで、僕が病に倒れて死ぬ間際に、僕の頭をそっと撫でた時の顔だった。


 力を込めて、剣を握った。両手で柄を握りしめて、正眼に構えた。


 僕は勇者の生まれ変わりだ。彼の記憶を継ぐ者だ。だからと言って特別な能力があるわけじゃない。勇者だって、勇者と呼ばれてはいたけれど、特別な力があった人じゃない。大変に不運で幸運な、ただの平凡な男だった。


 それでも。


 牙を剥き襲いかかってきた魔物に剣を振るう。その切っ先が正確に魔物の弱点を抉り斬り裂いた。咆吼が上がり、地響きを立てて地面に落ちた魔物を認め、僕はそのまま走り出した。

 人に襲いかかる魔物達を一匹ずつ丁寧に屠っていく。僕は平凡だ。あの時共に戦った剣士の様に強くはないし、聖女の様な癒やしの技も使えないし、魔法使いの様な強い魔法だってご縁がない。だから、弱点をつく。奢らず油断せず、一匹ずつ各個撃破で倒していく。人が傷つかないように、傷つく前に、魔物を屠る。懐かしいあの日々、旅の中でしていたように。


 会場の外は、街の自警団がやって来て片を付けてくれていた。結局僕が倒したのは会場で暴れた4、5匹程度だ。それでも返り血で来ていた服は真っ赤に染まり、動きにくい礼服で無理矢理動いたからだろう、あちらこちらが裂けていた。


「っはー……」


 血まみれの服の袖で汗を拭った。全身がべたべたして気持ち悪い。体も、無理して動かしたからギシギシしている。


「お、おま、おまえ……」

「剣、ありがとう。助かった」


 声を掛けてきた婿さんに剣を返した。いやほんと、助かった。記憶の中にある通りの剣だったのが大きかった。実に振りやすかったし使いやすかった。体が違うのを補って余りあるって感じだった。流石は伝説の剣のレプリカ。


「だ、だいじょうぶ、なの……?」

「……うん、ちょっと、さすがに、……だめ、かも……」


 アンナ姉ちゃんに声を掛けられて、限界がきた。記憶はあるけど、体は違う。無理矢理イメージ通りに動かして、動かないのも無理矢理どうにかしていたから、体が芯からズタボロだった。

 僕はそのまま倒れて、気を失った。




 倒れた僕は熱を出してそのまま寝込んだ。体中の筋繊維が断裂し、翌日から痛みにのたうち回ることになった。凄まじい筋肉痛だった。寝たきりでトイレにさえも立てなかったから母が大笑いしながら大人用のおむつを引っ張り出してきたときには殺意を覚えた。薬屋って、こういうときに用意が万端過ぎて嫌になるよね! 大人しくされるがままになるしかないくらいには消耗していたので大人しくされるがままになった。人生には時に諦めも肝心だ……。軽く死にたくなったけど。


 最初の2日は高熱でうなされた。筋肉痛が完全に癒えるのに、結局、5日ほど時間がかかった。

 その間、家に色んな人が来た。近所の人とか、婿さんちの人とか。

 近所の人はお見舞いで、災難だったねぇって。弱いんだからそういう時はすぐに逃げなきゃ駄目だよって怒られたりした。

 婿さんちは、婿さんが「魔物を倒したのは自分だ」と吹聴したのを謝ると同時に口裏合わせてくれってお願いされ、少なくないお金と一緒にお菓子や果物を差し入れられた。婿さんちは有名な武器屋だから、魔物に腰抜かして成人したばっかりの子に庇われたっていうのは外聞が悪いんだってさ。魔物の血がついた剣は婿さんにそのまま返したから、婿さんはそれをみんなに見せて自分が倒したって嘘吐いたんだって。会場は魔物でパニックで僕らのほうを見ている人は少なかったし、本当の事に気付いたのなんて僕ら家族と当事者の2人くらいだった。会場から逃げ遅れて僕が助けたのも、主には婿さんちの人だった。

 すこしだけ呆れてしまったけど、いいですよ、と了解した。

 僕の家はしがない薬屋で、荒事とは無縁だからね。

 両親も「どうせお前、初恋の子に最後に良いとこ見せたくて火事場の馬鹿力でも出たんでしょ」って笑ってたし、もうそういうことにしといた方が、四方八方収まって良いかなって思った。


 アンナ姉ちゃんはそれから少ししてから謝りに来た。ごめんなさいって。でも姉ちゃんも本当の事を明らかにしようみたいなことは言わなかったから、そういうことなんだろうなって思った。「気にしてないよ」と笑って彼女の背中を見送った。




 ようやく筋肉痛が治った頃、なぜか僕は、王宮に招待された。

 もちろん親はパニックだ。招待されても礼服がないので断ろうとしたらなんと礼服を差し入れられた。成人式で着たものより遙かに立派な服だった。

 くれぐれも無礼のないようにと言い含められ、僕はガクガクに震えながら差し入れられた礼服を身につけて迎えの馬車に身を委ねた。気分はすっかりドナドナだ。特になにか悪いことをした覚えはないけれど、一体どうしてこうなった?


 連れて行かれた先に居たのは末の王女様だった。確か今年で15歳。僕と同じ年に成人の方だ。気さくで朗らかなお人柄で、国民にも人気がある。美しい亜麻色の髪を簡素に結い上げ、質素なドレスを身にまとっている。けれどそれがよけいに彼女の素の美しさを際立たせていた。

 ……確か、王女ではあるけれど、現王の弟殿下の忘れ形見なんだよな。王弟殿下は勇者伝説の研究者で、足跡を辿る旅の最中に事故に遭い落命されたと新聞で読んだ。それもあって彼女は王に養女として引き取られ、王女となった――はずだ。

 で、その王女様がどんなご用命なんだろうか。ものすっごいガン見されてるんだけど。

 取りあえず、無礼にならないように礼をした。片膝を立て、もう片方を付き、立てた膝に片手を乗せてもう片方を胸に当て、軽く頭を前傾させる。あの夢で見たように。いやもう、すげースパルタで叩き込まれたからね、礼儀作法。

 そうしたら、王女様が笑ったような気配がした。


「随分と古風な礼法をご存知なのね」


 古風。えっ、古風なのこれ。っていうか礼法に古風とかあるのか……そんなの知らないよ。だってこれ、――夢の中で知ったこと、だし。……そうか、100年前の知識だった。

 返答して良いのかどうか迷っていると、なんと王女様が僕の前に跪いた。「顔を上げて下さい」と言われてようやく顔を上げて、彼女の目と目があった。


「あの時、助けてくださってありがとうございました」

「……あの時? 助け……?」

「覚えていないの? まぁわたくしも変装していましたけどね」

「……変装?」

「どうしても、勇者の剣が見たくて。わたくし、あの会場に忍び込んでいましたの」


 奇妙な既視感に襲われた。ずっと昔にも、似たようなことがあったような気がした。

 彼女はずっと変装していたのだ。だから僕は、彼女に『恋をしなかった』。


「――……趣味の悪いひとだ。魔法使いに化けてたなんて」

「女の尻ばかり追いかけていたきみには言われたくないな」


 恐る恐る告げた言葉に間髪入れずに返しがあった。

 姫としての彼女との最初の会話だった。懐かしさで吐きそうだ。胃が引き絞られるような錯覚を覚えた。

 ちょっと待って。これは予想していなかった。


「ひ、姫様……?」

「その呼び方は止めてと言いました。結局終生、止めてくれませんでしたが」


 勇者は恋多き平凡な男だった。

 旅の終わりは、生涯で唯一恋しなかった女性と結ばれた。勇者は臆病で平凡だったけれど、その人の横に在るために、その人に相応しくなるために、生涯を通して努力を続けた人だった。

 なにものも諦めず突き進むその人の為の剣として盾として寄り添い続けた。自身の全てを、生涯を捧げた。


 こみ上げてくる何かを飲み込んだ。

 思い描いていた未来はもう望めないだろうなとは思った。だって、彼女を思い出してしまったから。たくさんの恋の果てに結ばれた、ただ1人恋心を抱くことの出来なかった人。

 出会いは割と最悪で、僕は彼女の横にいた聖女に恋をした。彼女のことは女性とさえ認識していなかった。だって男装してたんだもの。旅の仲間の魔法使いとして!

 人生設計、やり直さないとなとは思っていた。思っていたけど、こんなに早くに更なるやり直しを求められるなんて思わなかった。


 これからゆっくり、君の事を探す予定だったんだが!?


 目の前には、嬉しそうに笑う人が居る。姿も顔も違うけれど、こうして見ればやっぱり彼女だ。

 あの旅路でもそうだった。初まりから終わりまで彼女に恋はしなかったけれど、誰かに恋して振られる度に、一番近くに居てくれた。

 出会ってしまえばもう逃れることなんて出来やしない。


 当たり前のように差し出される手を、複雑な心地で眺める。

 諦めにも似た溜息を一つこぼして、僕は彼女の手を取った。




 顔が笑ってしまっていたことには気がつかないふりをしながら。



地獄=失恋地獄


拙作を読んでくださりありがとうございました( ꈍᴗꈍ)

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