第526話・1人の終着点
そこは静かな空間だった。
整然と並んだ椅子と長机、看板には”今日の食堂メニュー”と書いてある。
陸上自衛隊 練馬駐屯地の食堂と瓜二つのこの空間で、1人の男の爽やかな声が響いた。
「おはよう、イヴ」
「うわぁぁああ!!???」
迷彩服姿のイヴが、眠っていた顔を上げて叫んだ。
ふと正面を見ると、同じく迷彩服を着た”最愛の男”が座っていた。
少し長めの柔らかい髪に、端正な顔。
ずっと会いたくて、でも会いたくなかった顔。
「……最悪ね」
「なんだよ失礼だな、俺はずっと待ってたんだぜ? 最愛の彼女をさ」
「ムードってものがあるじゃない、私は”勝って”貴方に会いたかったのだけど?」
ムスッとした表情のイヴは、自身のショートヘアに整った黒髪を触った。
不老の薬の効果が無くなっている。
どうやら、”元の外見”に戻ったようだ。
「どうだった? 現代最強の自衛官。終着世界のアノマリーを相手した気分は」
男の問いに、背もたれへ体重を預けたイヴは振り返るように呟く。
彼女の姿は、美人端麗な日本人女性そのもの。
「……強過ぎね、さすがは錠前1佐。策を決めたつもりが、ずっとわたしが策に嵌まってたんだもの」
イヴの声は、そう言いつつもどこか満足気だった。
黒い瞳が天井の照明を反射して、美しく輝いていた。
「けど最後の暁天一閃、見てたけど見事だったじゃん。ゴアマンティスを魔力に戻してぶつけるのは流石の発想だったぞ?」
「アレでいけると思ったんだけど……ダメだったわ。しかも、あれで錠前1佐はまだ本気じゃないんだから。やっぱりわたしじゃ役者不足だったかしら」
少し落ち込んだ様子のイヴに、男は彼女の前髪をかき上げながら笑みを見せる。
「そんなことねーよ、お前は十分頑張った。まぁ、余だとか、おぬしだとか役にはまりすぎな部分はあったが」
「しょ、しょうがないでしょ!! ああでもしないと……その、威厳? みたいのって付かないじゃない!」
「はっは、子供かよ。まぁ、お前らしいよ」
「もう……死にたい、消えたい」
「もう死んでんじゃねーか」
男のツッコミに、イヴが頬を膨らませる。
「貴方の女たらし癖も健在ね、ちょっとは治ってるかと思ったんだけど?」
「俺はこういう性格なもんで、まぁ安心しろ。後は俺がやる、お前はゆっくり休んでろ」
席を立ってイヴの傍に立った男は、優しく恋人を抱擁した。
「本当に……よく頑張ったな。おかげで終着点に来れた」
「全部貴方に会いたかったからやっただけ、その過程で大勢殺したし、殺させた。心残りがあるとすれば…………執行者の子たちに非情だったことかな。一言謝りたかったんだけど」
「俺が伝えとくよ、それが役目だし」
「ありがと。…………はぁ、そろそろ時間ね」
イヴが立ち上がり、食堂の出口へ向かう。
外は暑い日差しが降りており、彼女が戻りたかった日常が広がっている。
「自衛官に悔いのない死って、無いと思ってた……」
「ははっ、先に待っててくれ。俺も直に行くから」
「あんまり早く来たら怒るから」
「はいはい、じゃあな――――」
ドアを開けて見送った男は、小さく呟いた。
「衿華」
薄い笑みを見せたアダムは、背後に立っていた男へ視線を向ける。
「すまないな、エンデュミオン。イヴの奴が無断で意識を沈めちまって」
声を掛けた相手は、ダンジョンマスター。エンデュミオン
彼は特に不機嫌な様子を見せることもなく、フンと鼻を鳴らした。
「どうせくたばっていた身だ。俺の体を今更どう使おうが構わん」
「執行者の子たちに伝言とかある? もしあるなら――――」
「勘違いするな。奴らにした仕打ちを今更許してもらおうとは思っていないし、アイツらも望んでいないだろう」
「けど……」
「俺の生まれた日本では子供は蔑ろにするのが普通だった。それだけの話だ、俺の体に乗り移るのだろう? イヴが死んだ今――――もうお前しか”ループ”を執行できん」
瞬きしたと同時、もうエンデュミオンの姿は無かった。
「みんな素直じゃねーな」
アダムはそう言うと、その黒い眼を金色に変えた。
「さぁ、ラストスパートだ」
◇
――――第5エリア、グラウンド・ゼロ。
破壊神イヴの暁天一閃が炸裂した大地は、完全な廃墟と化していた。
まだ灰が降る中で、1人の男の声が響く。
「アノマリーの適応は、特定のジャンルに沿って特化して進んでいく。魔法を受ければ緩やかに適応が進み、その間に同じ攻撃を受ければ適応は加速する」
魔法陣をスクリーンにした大天使たちは、これ以上ないほどに顔を歪ませていた。
それは、絶大な信頼と忠誠が砕かれたもの。
「だが適応も万能じゃない。魔法に特化していけば、対極にある物理攻撃に脆弱となっていく……。だから僕は一番最初に最大級の魔法攻撃をぶつけた」
その声は、これ以上なく満足したもの。
「”最初の一手”で全てが決まる。君が魔法に適応を開始した段階で、この結果は必然だったんだよ」
広がっていたのは、この最強決戦の果て。
傷だらけになった錠前勉の眼前に、”脳天を弾丸で撃ち抜かれたイヴ”が倒れていた。
額と口から大量の血を流し、その輝いていた神眼は光を失っている。
錠前の右手には、硝煙を昇らすG17自動拳銃。
防大時代のミッションで、城崎から貰った物だった。
「魔法への適応が最大限高まった、自身すら巻き添えにした暁天一閃を決めた直後。君は世界で一番”銃”という存在に無力となった」
生まれて最も充実した気持ちで笑みを見せた錠前が、最大級の賛辞を眼前の死体へ送る。
「本当に見事だったよイヴくん、君のことは死ぬまで忘れない」
破壊神イヴの死を世界が受け入れる間もなく、戦線に投入されたのは――――
「今は最高の気分なんだ。せいぜい失望させないでくれよ?」
空から強襲を掛けたのは、大天使ガブリエル、大天使サリエル、天界師団長ミカエルの3人だった。




