第305話・ヒュドラの首
今年最後の更新です!!
皆さん、来年もどうぞよろしくお願いします!!!
––––ダンジョン内 エデンの間。
周囲を特殊な金属の壁で覆った広い空間の中央に、いくつものカプセルが置いてあった。
液体が詰められたそれの1つがパカリと開き、
「あー……、最悪だったよ」
”大天使サリエル”が、全裸の状態で出てきた。
彼の体は完全に修復されており、目立った傷など一切ない。
「おはよう眠り姫、どうだった? 初のダンジョン配信は」
そんな彼を迎えたのは、同じく背中から純白の翼を生やした……大天使ガブリエルだった。
魔導ナノカプセルから出たサリエルは、タオルで体を拭きながら顔に怒りを宿した。
「さいっあくだよ、執行者め……せっかくの僕の華々しいデビューを潰してくれやがって」
「最悪なのはこっちも同じだよ、君の肉体を再構成するのにどれだけのリソースを使ったと思う? 挙句にこれだ……」
ガブリエルが見せたタブレットには、天界の掲示板スレが立っていた。
【悲報、大天使サリエル様。お子様に完全敗北してしまう…………】
こんな感じのスレが、スクロールする限り大量に乱立していたのだ。
業を煮やしたサリエルが、タブレットを奪ってその中の1つを開いた。
【無双配信と銘打ってあんな無様に負けるとか……、さすがに萎えたわ】
【信者共の落胆具合で飯ウマですわ、方舟のエリートだからってもてはやされ過ぎなんだよ。こんなんで本当に楽園を構築できんのかね?】
【こんな時だけイキってんなアンチ、大天使様のおかげで生きてられるのを忘れたか?】
【でもあんな痴態を見せられるとね……、こっちも不安にはなっちゃうかな】
奪い返したタブレットを下げたガブリエルは、あまり気持ちの良さそうな顔ではなかった。
「アレだけ息巻いてたのに結果がこれだったら、そりゃこうなるよね。君の体を再構築するのだって安くない……錠前勉に負けたのなら理解できるが、あんな子供に負けたんじゃ言い訳もできないよ?」
歯噛みするサリエル。
相手が現代最強である錠前なら、まだ体裁は保てた……。
だが執行者ごときに負けたとあれば、“主”の落胆は必然……最悪の状態だった。
「だから言ったのに、良い加減錠前さえなんとかできれば……なんていう甘い考えは捨てた方が良い」
そう隣で呟いたのは、人民解放軍の制服に身を包んだ青年……林少佐だった。
彼はため息をつくと、まるで諭すように続ける。
「彼が現代最強なのは事実だが、だからと言って他を有象無象と切り捨てるのは、まさしく愚者のすることですよ」
「そうは言うけどさぁ林、実質僕らは錠前勉さえ倒せれば勝ちなんだよ? それは否定できなくない?」
「……日本には“急がば回れ”という言葉があります、錠前勉を倒したかったら……まず周囲の執行者や他の自衛官を警戒すべきでは?」
林少佐の言葉に、パンパンとガブリエルが手を打つことで反応した。
「でもおかげで、役割が決まったんじゃない?」
そう言ったガブリエルに、サリエルが腹わたを煮えくり返しながら答えた。
「僕はベルセリオンとテオドール、こいつら執行者を必ずぶち殺す……!」
「ではこっちは……引き続き錠前勉の討伐を担当しよう、林少佐は新海透や四条衿華を相手すれば良い」
彼の言葉に、少佐は苦虫を噛み潰したような顔で返した。
「まるでヒュドラの首だな……、なんでこう1本の目標を揃って見れないのか……。まぁ良いでしょう、言っても無駄ですしそれで行きましょう」
言うやいなや、転移魔法で姿を消すサリエル。
おそらく、今回の失態を少しでも弁明しようと、火消しに走るのだろう。
「ところで林少佐、中国本国から支援は得られそうなのかい? 君たちが日本の首都を空爆でもしてくれれば楽になるんだけど」
ガブリエルの問いに、林少佐は嫌そうに話す。
「無茶を言わないでください、我々は先日の大海戦で完敗した……空母艦隊を失ったのに、また同じ過ちを繰り返せと? 人民の税金と命はタダじゃありません」
「ケチなこと言わないでさ、そこを頼むよ〜」
「無理なものは無理です。そもそも私だって、半ば左遷される形でここに送られたというのに……」
林少佐は人民解放軍でも数少ない、いわゆる知日派と呼ばれる人間だった。
日本に対しては昔から好意的で、特に文化が大好きだった。
それが上官を不機嫌にさせたのだろう、こうして貧乏くじを引かされたのだ。
「僕はね、貧困に喘ぐ実家へ仕送りができれば……上海や北京の政治家や金持ちがどうなろうと、ハッキリ言ってどうでも良いのですよ」
「へぇ、それ……軍人として良いわけ?」
「自分が軍人の矜持を持ったことなんてありませんよ、それこそ……新海透が羨ましいくらいだ」
ふと思い出す……。
何年か前、貯めた資金で実家の母親と妹を、神戸の有馬温泉へ連れて行った。
非常に楽しい旅行だったが、最後にハプニングが発生したのだ。
––––財布が無い。
母親が、ポケットに入れていた財布をどこかへ落としてしまったと言う。
中には旅行に必要な物はもちろん、現金も大量に入っていた。
歩いた道を戻って探してみたが結局見つからず、途方に暮れた……。
外国で落とし物……それも貴重品なんて、絶対に盗られたと思っていた。
最後にダメ元で交番に行ってみることにして、そこで奇跡は起きる。
なんと、落とした母の財布が届けられていたのだ。
しかも驚くべきは、その中身が一切手付かずだった点だろう。
それまでずっと落ち込んでいた母親が、あんなに明るく笑ったのを見て……林少佐は当時、届けてくれた人物にお礼をしたいと警官に言ったのだが……。
「あぁ、届け人ならもう行っちゃいましたよ。謝礼もいらないと……名前も残さず。確か––––若くて快活な青年でしたよ」
林少佐にとっては、人生で一番のカルチャーショックだった。
中国では自分の利益にならない行動は、一般的に毛嫌いされる。
それも謝礼はおろか、名前すら残さず……?
完全な善意だけの行動。
そして、それによって家族旅行は円満に終わることができた。
きっと、新海透も……そんな何気ない親切ができる日本人の1人なのだろう。
だが彼を殺さねば、錠前勉や自衛隊を打倒できず、自分とその家族は路頭に迷う……。
「…………嫌な役回りだ」
林少佐は、新海透を殺す案を……その重い脳で考え始めた。




