第213話・無限ハイポート走
読者さんのレベルも上がって来たので、今回は少しマニアックなお話です
––––8月28日。
ベルセリオンが新宿に飛ばされた頃。
ユグドラシル駐屯地の女子寮では、四条と久里浜が男子同様に休暇を楽しんでいた。
「フゥッ……千華ちゃん、銃の整備ですか?」
真夏のランニングからちょうど帰って来た四条が、黒髪を揺らしながら部屋に入ってきた。
この鬼暑い中、わざわざ全身迷彩服で走ったようだ。
「はい、ちょっと射撃場で実験してたんですけど……最悪なミスしちゃって」
そう言った久里浜の前には、大きな布の上に置かれた彼女の愛銃。
HK416A5が分解された状態で置いてあった。
彼女自身は半袖のシャツと、ジャージのショートパンツといった、非常に涼しそうな格好である。
長い髪もほどいており、一層陽キャ美女感が溢れ出していた。
「千華ちゃんがミスなんて珍しい、どうしたんですか?」
自身の汗の匂いを気にしたのか、少し離れたところで四条がしゃがむ。
見れば、久里浜は専用の洗浄液とブラシを使って、必死にボルトキャリアと呼ばれるパーツを磨いていた。
「見てくださいこの汚れ! 本当油断しちゃいました」
目を凝らした四条は、思わず胃を痛くした。
「ウッ……、これは強烈ですね……」
それは世界でも屈指の潔癖である自衛官にとって、死の宣告に等しい状態だった。
弾丸を押し込むパーツは元より、ロアフレーム内の隅々に至るまでビッシリと汚れがこびりついていた。
汚れと聞くと優しい雰囲気を抱くが、銃の汚れは一般人の考えるそれと違う。
溶けたカーボンが再び固着し、さらに大量の粉塵を含んでいるのだ。
ブラシで簡単に落ちる物ではない。
「もしこれがわたしの89式小銃だったら、多分胃に穴が空いているレベルの汚れですね……一体なにをしたんですか?」
疑念を抱いた四条に、久里浜は青い顔でとあるアタッチメントを渡して来た。
黒い筒状のそれは、銃声を抑制するためのサプレッサーだった。
普段アタッチメントを使用しない保守派の四条は、これがなぜこんな惨劇を生んだのか疑問しかない。
そんなご令嬢へ、久里浜は半べそで答えを渡した。
「サプレッサー……、銃の調整せずに150発ほど付けて撃っちゃったんです……」
ここまで言われて、ようやく四条でも事態が理解できた。
「千華ちゃん……! ガス量を調整せずにそのまま撃っちゃったんですか!!?」
「うん…………」
銃というのは火薬の力で弾丸を飛ばすのだが、正確には撃発時の燃焼ガスによって弾を発射する。
そして、余ったガスを使ってボルトを動かし次弾を装填するのが現代の銃の構造だ。
しかし、ここに罠があったのだ。
サプレッサーは銃口に直接付けるため、本来最適化されたガスの流量に思い切り影響を与える。
端的に結論だけ言えば、久里浜は普段撃つパワーの数倍以上のガス量で150発以上も撃ったのだ。
吹き戻ったガスはオーバーパワーの原因となり、HK416A5を過剰に動作させた。
結果として、多大なガスは大量の汚れを銃の中身へぶち込んだ。
この汚れを全部落とすとなると、彼女の休暇が丸々潰れてしまう。
同じショートストローク・ピストン方式の20式小銃で、以前に透が1回だけサプレッサーを使ったことがある(第1話参照)。
だが彼は事前にガス流量を減らしており、このような過ちを犯さずに済んでいた。
特殊作戦群にあるまじき、初歩的なミスだと言えた。
「うぅ……、もしこんな状態の銃を新海隊長や、錠前1佐に見られたら……」
「透さんは大丈夫でしょうけど、特戦の錠前1佐はアウトでしょうね……」
「やっぱり!?」
「フル装備での無限腕立て伏せは避けられないでしょうね、もしくはフル装備+重りアリの無限マラソンか……」
「で、でもここ女子寮だからこっそり掃除さえ終われば……」
言いかけたところで、部屋にノック音が響いた。
久里浜の息がか細くなったのを感じたが、無視することはできない。
まぁ隣室のテオドールだろうと思った矢先––––
「やっほー、女子組さん達元気〜?」
陽気な挨拶と共に、錠前1佐が現れた。
さらには背後に、久里浜の先輩たる特殊作戦群の“アーチャー”、“キャスター”、“プリテンダー”まで立っていた。
あまりに突然の訪問、四条は元より……久里浜の心臓が縮んだ。
「じょ、錠前1佐に特戦の方々まで……どうしたのですか?」
「大した用事じゃないよ、2人に休暇を伝えに来ただけ」
「休暇……ですか?」
「そっ、小隊全員に2泊3日まで外泊許可出すよ」
「それは嬉しいのですが……。う、後ろの特戦の方々は……?」
「あぁ、こいつらは“この後の仕事”に付き合ってもらうだけだよ。ところで––––」
四条が壁として阻み、久里浜はその隙に布で銃を隠したのだが……。
「久里浜士長の“銃”、見逃されるとでも思ったかい?」
現代最強のアノマリー、その『魔眼』から逃れることはできなかった。
もはや半泣き状態の久里浜に、後ろのアーチャーが低音で冷酷に告げた。
「久しぶりだな久里浜、早速だが迷彩服に着替えろ。防弾チョッキと鉄帽も忘れるな。国民の税金で買った銃を使用不能寸前にした罰だ、準備が完了次第グラウンドへ来い」
「……ひゃい」
「青春だね〜」と全く見当違いの笑顔で錠前に見送られ、久里浜はフル装備無限ハイポート走へ連れ出された。
––––次回、第二次新宿編。




