第211話・マスター権限
突如として光の中から現れた少女は、透が垂らしたドーナツに清々しいほどの勢いで食いついた。
無表情の透が釣竿を上に上げると、テオも引っ張られて姿勢を上げる。
その顔は、なんとしてもドーナツを離すまいとする覚悟で染まっていた。
「引っかかったな、テオ」
「っ!!」
ドーナツだけ口内に奪い取ったテオドールは、大慌てで後ずさった。
「ぎょむもづゅってぐでまじだね(よくも釣ってくれましたね)!!?」
ドーナツを頬張りながら抗議してくるテオドールに、透は笑顔で対応した。
「美味しいか?」
「モグっ……、美味しいです……」
「そうかそうか、テオ––––ところで俺との約束、覚えてるか?」
「っ!!」
記憶を思い起こしたテオドールは、気まずそうに顔を逸らした。
当然だが、口の中のドーナツを咀嚼しながら……。
「前に約束したよな? “駐屯地内では許可無しで転移しない”って。頭の良いお前が忘れてるわけは無いと思うんだが」
「っ…………」
そう、透は以前テオドールと約束を交わしていた。
内容は上記の通りで、彼女を一晩透のベッドで寝かせてあげるという条件で結ばれたものだ。
マスターは、笑顔のまま続けた。
「最近駐屯地内のあちこちで、お前の目撃情報が寄せられてるんだよ。全て食事しようとした時のタイミングでな」
「ギクっ」
テオドールのマスターである透の下には、色んな情報が集まっていた。
「深夜にカップ麺を食べようとしたら、目の前に現れた。室内で集団飲み会を開いてたら現れた。っとかな」
「…………」
これに留まらず、1個戦闘団を束ねる幹部自衛官が高い和菓子を貰った時のこと。
その方は1人で食べるのがどうも寂しかったようで、自室に備えていたミニ神棚にお菓子をお供え。
その場で強く念じたところ……。
『呼びましたかー?』
テオドールの召喚に成功してしまった。
結局、その自衛官は一緒にお菓子を食べて楽しく過ごせたと透に報告してきた。
だが、透からすれば看過できない事態である。
テオドールの無邪気な行動は、仲間たちの間で次第に広まりつつあったが、彼としてはこれ以上彼女の行動が制御不能になるのを防ぎたいと思っていた。
透はテオドールに優しく微笑みかけたが、その目にはマスターとしての決意が宿っていた。
「テオ、駐屯地内での無許可転移は禁止と言ったはずだが」
それを聞いたテオドールは、パッと立ち上がって––––
「そ、そうだ……四条に呼ばれて用事があるんでした! じゃあ、これで失礼します」
言いながら再び転移魔法を発動しようとしたテオドールに、透は最終手段を繰り出した。
「『 動 く な 』」
「ッ!!?」
瞬間、テオドールの身体が金縛りに遭ったように硬直。
電流が流されたように震え、魔法の発動がキャンセルされた。
テオドールは困惑した表情を見せながら、すぐに真剣な顔つきに変わる。
「これは、『魔言』。なんで……、透がこの権限のことを……!」
一連のやり取りを見ていた坂本が、ポンと手を打つ。
「なるほど、隊長はマスターでテオドールちゃんは眷属。こういうやり方もあったんですね」
透が放った言葉には明らかに魔力が宿っており、テオドールは身じろぎ1つできなくなっていた。
「『 こ っ ち を 向 け 』」
ギリギリと、錆びた歯車のような動きで振り返る。
言われるがまま、テオドールは透と正対した。
「本当なら約束を破った罰を与えるところだが、第3エリア攻略の大功労者に免じて……それは無しにしておこう。その代わり––––」
“魔言”による拘束を解除し、透は残っていたコーラを飲んだ。
「最近駐屯地で勃発している心霊現象について、知恵を借りたい。転移魔法は……節操を持って行うなら今後何も言わん。お前と一緒に食事したい人も多いだろうし」
彼女はドーナツを飲み込み、透に向き直った。
「分かりました、マスター。今後は注意します」
透はその答えに満足し、軽く頷いた。
「それで良い。さて、話を戻すけど……最近駐屯地内で心霊現象が報告されている。テオ、何か心当たりはあるか?」
テオドールは考え込むように眉をひそめた。
「心霊現象……? ダンジョン内でそんなことが起こるのは珍しいですね。でも、特に思い当たる節はないです」
透はその答えに頷きながらも、内心で困っていた。
だが、テオドールは端正な顔をこちらに向けて……。
「ここ第1エリアは、元々わたしの管轄じゃありません。もしかしたら……“お姉ちゃん”なら何か知ってるかも」
和菓子をコストにほえドールを召喚!




