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そんなにわたくしのことが好きなのですね

作者: 加上

 煌びやかなパーティーでは豪奢なドレスが大輪の薔薇たちのように咲き誇っている。ヴェルヴィーナス・アイスバーグ侯爵令嬢もその一人だ。銀色に光り輝く美しいドレスに負けず劣らず艶めく黒髪、一輪の花のような唇、白い肌はどこまでもきめ細かく透き通っている。

 ただし彼女が注目を集めているのはその美しさのせいではなかった。アイスバーグ侯爵令嬢が第一王子殿下から婚約破棄をされる――そんな噂で持ちきりだったからだ。

 実際、第一王子ラヴァルトの隣にいるのがヴェルヴィーナスでないことは学園に通う誰しもが知っている。ラヴァルトの隣は今宵もミッシェル・メイアン男爵令嬢だった。婚約者以外の令嬢をエスコートするラヴァルトに、学生たちはやはり婚約破棄は事実なのだと囁きあった。

 そんな視線を微塵も感じていないように優雅に立ち振る舞うヴェルヴィーナスだったが、不意に響き渡った大声に彼女は立ち止まった。


「ヴェルヴィーナス・アイスバーグ!」


 この場で侯爵令嬢であるヴェルヴィーナスを呼び捨てにできる人物は少ない。そもそも、貴族であるのならばどんな場でもこのように怒鳴りつけるべきではないのだが。ヴェルヴィーナスはあくまでゆっくりと、マナーのお手本通りに振り返った。

「まあ、殿下。そのように声を張り上げずとも聞こえておりますわ」

 窘めるように言うヴェルヴィーナスにラヴァルトはひくりと額に青筋を浮かべた。そしてその勢いのままに声を荒げる。

「お前のその悪辣な振る舞い、まかり間違っても国母には相応しくない!愚かにもここにいるミッシェルに嫉妬し彼女を害した罪、償ってもらうぞ!」

 ざわりと周りは浮き足立った。まさかラヴァルトがこんな場でヴェルヴィーナスを糾弾しようとするなんて思わなかったからだ。ラヴァルトはしっかりとミッシェルの肩を抱きしめ、ミッシェルはこぼれ落ちそうなほど大きな瞳を潤ませて震えている。


 そんな中、ヴェルヴィーナスはいつものように微笑んでいた。少しも動じていない彼女は真っ直ぐに背筋を伸ばしたまま薔薇の唇を開く。


「そんなにわたくしのことがお好きなのですね、殿下」


 その言葉が理解できなかったのはラヴァルトだけではない。その場にいる全員がヴェルヴィーナスを「何を言っているんだ?」という顔で見つめた。

「な、なにを……」

「わかっておりますわ。『男の子は好きな女の子のことを悪く言ってしまうもの』なのですものね?殿下はずうっとそうでしたもの」

 淡々と告げるヴェルヴィーナスをラヴァルトは得体の知れないものを見るように見つめた。そして慌てて言い返す。

「何馬鹿なことを言っている!俺がいつお前を好きなどと言った!」

「けれど殿下、わたくしのことがとってもお好きだとしても、このような場で言うことではありませんわ」

「話を聞け!俺の言うことが理解できないのか!」

「照れなくてもよろしいのですよ、殿下。そのような女の手を取り肩を抱きわたくしの気を引こうなどと。昔から変わりませんわね、本当に」

「ヴェルヴィーナスッ!少し黙っていろ!」

 ラヴァルトはもはや肩で息をしているような有様だった。ヴェルヴィーナスはこてりと小首を傾げたが口をつぐんだ。


「何か妄言を言っていたが……お前がミッシェルを虐めた証言は上がっている!教科書を破き、制服を汚し、水をかけ、階段の上から突き落とすなど嫉妬に駆られ悪行を働く女を王室に入れるわけにはいかん!よってお前との婚約を破棄する!」

 言ってやったと言う達成感で高笑いしそうなほどのラヴァルトだったが、ヴェルヴィーナスはぱちくりと瞬くだけだ。

「あら、そのようなことがあったのですね。警備が仕事をしていなかったのかしら?由々しき事態ですわ」

「き……ッ、貴様がやったのだろう!しらを切るつもりか!」

「なぜわたくしがやったとおっしゃるのです?」

「もちろんお前がミッシェルに嫉妬したからだ!」

「なぜわたくしがそのミッシェルさんとやらに嫉妬するのです?」

「俺の寵を集めているのを見て嫉妬したのだろう!」

「まあ、殿下はミッシェルさんにいつも暴言をお吐きになられていたのですね」

「そんなわけあるか!」

 たちまち否定するラヴァルトに、ヴェルヴィーナスは心底不思議そうな顔をした。

「ではなぜミッシェルさんが殿下の寵を集めていることになるのです?」

「は?」

「殿下は『好きな子に意地悪を言う』のでしょう?暴言を吐かないと言うことはお好きではないということではありませんか」

「な……なぜそんな話になる!」

「いやですわ、殿下。照れなくてもよろしくてよ。陛下もお認めになっているのですから。そうですわよね、アンバー」

 ヴェルヴィーナスは呆気に取られているラヴァルトから視線を外し、後ろにいた騎士に振り向いた。ヴェルヴィーナスの護衛騎士であるアンバーは「はい、ヴェルヴィーナスお嬢様」と頷く。


「殿下は覚えていらっしゃらないのかしら?初めてお会いした時、『お前のような頭でっかちの気持ち悪いブスとなんか結婚しないからな!』とおっしゃったでしょう?」


 ヴェルヴィーナスがラヴァルトと婚約をしたのは七歳の頃だ。二人は同い年のため、当時ラヴァルトも七歳だったことになる。王族の七歳児に許される振る舞いではなく、周りの良識的な人間は顔を顰めた。

「そ、それは」

 ラヴァルトもここで暴露されるとは思わなかったのか思わず狼狽えてしまい、その腕の中にいたミッシェルだけが咄嗟にヴェルヴィーナスに言い返した。

「あなたの醜悪な中身をラヴィは一目で見抜いたのよ!」

 あまりにおめでたい解釈だが、ヴェルヴィーナスは平然とそれを無視する。

「わたくし、あまりの暴言に陛下とお父様に訴えましたの。こんなにわたくしを嫌いな方と婚約することはできませんと。すると陛下とお父様はおっしゃったのですわ。『男の子は好きな子に意地悪を言う』ものだと。ですから殿下は『暴言を吐くのは愛を告げているのと等しい』のだと。そうですわよね、アンバー?」

「はい、お嬢様。その場にいた王宮筆頭執事、筆頭侍女、侯爵家侍女、それに私が証人です。そして陛下と侯爵閣下からはそれが事実であるという一筆をいただいております」

 アンバーが懐から取り出した文書には確かに国王璽印が捺されており、侯爵のサインも入っている。子供の暴言に対して大袈裟すぎるとも言えるが、ヴェルヴィーナスが正式な文書でもらわないと修道院に入ると言い張ったため手にすることができた文書だ。


 そう、ラヴァルトが初めて出会った時からヴェルヴィーナスに暴言を吐いていたという国王お墨付きの動かぬ証拠である。


「ですから殿下はいつもわたくしに暴言を吐いておりましたわよね?アンバー、どんなものがあったかしら?」

「『いつもヘラヘラしていて気持ち悪い女』『政略結婚ということも理解できないバカ』『王子という身分に擦り寄る醜悪な虫ケラ』『身分を笠にきた強欲なブス』あとは……」

「そんなことッ」

「おっしゃいましたわよね、殿下?殿下からの愛のお言葉ですもの、全部ちゃんと記録させていただいておりますわ」

 記録とはいえ自分の主人への暴言をこれ以上口にしなくていいことにホッと表情を緩めるアンバーとは反対に、ラヴァルトは顔色を悪くしていた。しかも、である。

「当たり前よ、当然のことだもの!ラヴィはいつもあなたがどんな最低の人間か言ってたわ!」

「ミッシェル!」

「あら、殿下。他の方にもおっしゃっていらしたのですね」

 まさかミッシェルに背後から刺されるとは思っていなかったラヴァルトは慌てて彼女の口を塞ごうとしたが、もう遅い。場の空気は完全に逆転していた。


 いくら第一王子でも婚約者にそんな暴言を吐き続ける人間が王に相応しいのかどうか。いち早く実家に知らせようとホールを出て行く者すらいた。

「とにかく、わたくしがミッシェルさんをいじめる動機などありませんのよ」

「だが、証言が!」

「わたくしがしたという証言があるのならそれは虚偽のものですから、きちんと捜査をして潔白を証明させていただきますわね。陛下、お父様、どうぞお願いいたしますわ」


 にっこりと、完璧な淑女の微笑みを浮かべるヴェルヴィーナスの前に現れたのはこの国の国王、そしてヴェルヴィーナスの父親である侯爵だった。二人とも顔色が悪いのはこんなことになるとは思っていなかったからだろう。

「あー、そうだな。ヴェルヴィーナス、そなたの潔白は必ずや証明しよう」

「父上!この女の言うことを信じるのですか?!」

「ラヴァルト!」

 この場の空気がヴェルヴィーナスに傾いている以上、取り繕うのは不可能だ。国王はそう考える。


 ラヴァルトが婚約破棄を突きつけただけならどうとでもなった。ヴェルヴィーナスに罪を着せ、代わりにアイスバーグ侯爵に補填をすればいい。なんなら王妃となるミッシェルの後ろ盾とすればヴェルヴィーナスとミッシェルを入れ替えただけで済む。

 しかしラヴァルト自身の醜聞がここまで広まってしまえばどうしようもない。国王にできるのは二人を元の鞘に収めることだけだ。


「ヴェルヴィーナス、すまないな。ラヴァルトはそなたが好きなあまり暴走してしまったようだ」

「そうなのですね。仕方のないお方ですわ。ですけれど、婚約を破棄すると口にされたことまでは撤回できますかしら?」

 流石にあれは言い過ぎだった。王族とあろうものが簡単に契約を結んだり破棄したり口にすることは許されない。言った以上は実行しなくては信用がなくなり、言葉がすっかり軽いものになってしまうからだ。

「いや、……ラヴァルト」

 国王に呼び寄せられて何か耳打ちされたラヴァルトは、顔を赤くしたり青くしたりした後にグッと唇を噛み締めた。


「ヴェ、ヴェルヴィーナス。お前は俺のことが好きなのだろう?婚約破棄は撤回するから喜んで俺の妃になるといい」


 震えつつ、最後は偉そうな態度を取り戻して言い切ったラヴァルトだったが、当然横から茶々が入った。

「ラヴィ!私をお妃様にしてくれるって言ったのに!」

「ミッシェル、今はちょっと黙っててくれ!」

 ラヴァルトの言葉に従って彼の側近たちがミッシェルを取り囲んで連れて行く。彼女は何事か叫んでいたが、周りは気まずく沈黙していた。

「……ゴホン、どうだ、ヴェルヴィーナス。喜ぶがいい」


「ええ、もちろん。『あなたのような考えなしのおぞましい馬鹿と結婚などするわけありません』わ」


 キッパリ、堂々と言い切ったヴェルヴィーナスのあまりの暴言にラヴァルトは固まり、国王も唖然とした。もちろんヴェルヴィーナスの父親であるアイスバーグ侯爵もだ。

「ヴェルヴィーナス!なんということを言うのだ!」

「あら、お父様。わたくしずうっとこれを殿下に言われておりましたのよ」

「だが!」

「わたくしがどうしてこんな暴言を吐く男と一緒になりたいと願うのでしょう?理解できませんわ。ああ、陛下とお父様は殿下の特殊な性癖がお分かりになるのでしたわね。ではわたくしが口にしたのも愛の言葉になるのかしら?ふふ、ちゃんと心からの罵倒ですのでご理解くださいませ」


 優雅に一礼をしたヴェルヴィーナスを国王も侯爵もこの場で責めるわけにはいかなかった。ギャラリーはヴェルヴィーナスの言葉の正当性を認めるだろう。暴言を吐く王子を嫌うヴェルヴィーナスを無理矢理妃にしてしまえば非難轟々、国王も同類と思われかねない。尤も、教育に失敗しこんなことをしでかす息子を叱りも罰しもしないのだからすでに同類のようなものだ。

「では、婚約は王子殿下の有責で破棄させてくださいますわね?ここで一筆書いてくださいませ。できない理由がございますか?」

「ヴェルヴィーナス!」

 彼女に近寄ろうとする侯爵の前にアンバーが立ちはだかる。優秀な護衛騎士は主人を害する者は何人だろうと許さない。

「アンバー!退け!」

「おやめください、侯爵閣下。これ以上はあなたの醜聞につながります」

「私は父親として……!」

「父親として、娘を悪し様に言う男に嫁がせようと思ってくださったのですものね?ああ、お父様にはあれが愛の言葉に聞こえていたのですから、仕方のないことかしら」

「そ、そうではない!」

「ではわたくしを冤罪で糾弾する浮気男との婚約の破棄を喜んで承認してくださいますわよね、お父様?」


 アイスバーグ侯爵は沈黙するしかなかった。これ以上は、いやもう遅いが、アンバーの言った通り自身の醜聞になってしまう。敵対派閥がこの出来事を槍玉に挙げるのは目に見えていた。


 最終的に国王と侯爵はその場でヴェルヴィーナスへの賠償を決めさせられた。ヴェルヴィーナスが密室に持ち込むことを言葉巧みに許さなかったからだ。ヴェルヴィーナスは当然王子も国王も侯爵も信用していない。婚約破棄をしたところで内内に決めることになればただ修道院に入れられ最悪命を落とすことくらいはわかっていた。

「ではわたくしは長年のハラスメントと名誉毀損の賠償に侯爵家から籍を抜き領地と年金をいただくということで。それでは屋敷に戻り荷物をまとめさせていただきますわ。ごきげんよう、みなさま」

 ヴェルヴィーナスは騎士を連れて颯爽と会場を去る。残された男たちは厳しい目を向けられ、そそくさとその場を離れていった。



「これで自由だわ」

 ヴェルヴィーナスは馬車の中で伸びをする。とにかくすぐに侯爵家から出ていく必要があるが、金はあるので当面の暮らしの心配はしなくていい。そんな彼女をアンバーは目を眇めて見つめた。

「うまくいって何よりでした、お嬢様」

「あなたにも手間をかけさせてしまいましたわね」

「これくらいどうということございません」

 ミッシェルが受けたといういじめの一部は実際にあったことだ。もちろんヴェルヴィーナスが手を下したことはない。王子の婚約者であり侯爵令嬢であるヴェルヴィーナスがわざわざやる必要はないからだ。

 ヴェルヴィーナスが少しこぼせば動く人間はいたし、そもそもあの女は方々から恨みを買っていた。アンバーにはラヴァルトとミッシェルの浮気の証拠を集めてもらったり、間違ってもヴェルヴィーナスがいじめに関わった証拠が残らないよう必要に応じて動いてもらったりしていただけだ。一番心労をかけたのは、ヴェルヴィーナスにかけられる暴言を記録することだっただろうけど。


「ねえ、アンバー。あなたもわたくしと一緒に領地に来てくださる?」

 ヴェルヴィーナスがもらった土地は田舎で、彼女を社交界の中心から遠ざけたいという意図があるのだろう。しかしヴェルヴィーナスは気にしていない。貴族社会はもうまっぴらだし、今欲しいものは一つしかないからだ。


 そんな誘いにアンバーは顔を歪めた。ヴェルヴィーナスの心が沈みそうになる。せっかくここまできて、自由になれたというのに。

「お嬢様、私の罪を一つ告白いたしましょう」

「何かしら?」

「うまくいかなかったら、あなたを攫って逃げてしまおうと思っておりました」

「……それは」


 もしうまくいかず、ヴェルヴィーナスが蹴落とされ修道院に入れられてしまったら。もしラヴァルトとの婚約が破棄されず、望まないまま王妃にされてしまったら。後者でもヴェルヴィーナスは覚悟していた。人前でやらかしたラヴァルトの弱味を握ったようなものだから、少しはうまく立ち振る舞えるだろうと。

 けれど、その覚悟を決めた上でさえ、護衛騎士に手を取られ誘われたとしたら。自分はどうしただろう。


「そんな……そんなことを考えてくれていたのね」

 仮定は無意味だが、そう思ってくれていた存在は何よりも救いになった。ヴェルヴィーナスは騎士の握りこまれた拳にそっと指を伸ばす。


「なら、失敗しても良かったのかもしれませんわ。物語のようにあなたに攫われるなんて、心が震えるほど嬉しいのでしょうから」

「ですが私の果敢なお嬢様はうまくなさりました。あなたが選んだ、あなたが得た場所に、どこまでもお供させてください」

 自分はか弱い娘ではない。十年我慢して復讐する、国王と実の父親を相手にしてすら我を通す、そんなふてぶてしくプライドの高い女だ。でも、それでも彼はいいと言うのだから。

 花がやわらかくほころぶようにヴェルヴィーナスは笑った。


「あなた、そんなにわたくしのことが好きなのですね」

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