妹と婚約者にだまされて死刑になるはずだったのに、なぜか死神と呼ばれる人嫌いな公爵様に求婚されています
「イレーヌ・ブラン、お前との婚約を破棄する!」
舞踏会の真っ最中、この国の王太子リュシアンが勝ち誇ったように宣言する。
ああ、良かった。やっと終わった。
伯爵家令嬢であるわたしはほっと胸をなで下ろした。
彼との婚約は家同士で決めたこと。いわゆる政略結婚というやつだ。
貴族の家に生まれた以上、望まない結婚はしかたのないことだと思うけれど、王族には口出しできないからと好き勝手振る舞うリュシアン殿下には本当にうんざりしていた。
かすかにゆるんだ口元を見て、リュシアン殿下が眉をつり上げる。
「なにがおかしい!」
「いえ、その……」
「きっと浮気相手のところへ行くことを考えていたんですわ。ああ、汚らわしい」
リュシアンに寄り添っていたアデルが甘ったるい声でささやいている。
胸をぎゅっと彼に押しつける姿は、この人は自分のものだと見せつけているようだ。
そんなことしなくてもアデル――妹へリュシアンを譲る気持ちは固まっていたのに。
このふたりが影で関係を持っていたのはとっくに気づいていた。
ブラン家としてはわたしだろうがアデルだろうが、どちらかが王太子の妻になれば王家との繋がりができる。
アデルのほうがよくなったのなら、さっさとそう宣言してくれれば譲ったのに、リュシアン殿下はわたしを婚約者として手放そうとはしなかった。
彼は目の前に女がいれば味見せずにはいられないのだ。それが婚約者ともあれば、一度も抱かずに手放すなんてプライドが許さなかったのだろう。
アデルのほうは、わたしがリュシアン殿下の婚約者という立場が惜しくてぐずぐずと肩書きにしがみついているのだと食ってかかった。
何度も、殿下はきっとあなたを愛している。そう説得したのだが、アデルは信じようとせず、わたしに嫌がらせを繰り返した。
持ち物を隠されたり、届いた手紙を捨てられたり。腐ったパンを食べさせられそうになったこともあった。
アデルはきっと不安なのだ。面食いなアデルもリュシアン殿下以外にたくさんの男と関係を持っていたから、相手もそうなんじゃないかって。
けれど、とにかく。
ふたりのあいだでどんな話し合いが持たれたのかはわからないけれど、やっとお互いに身を固める決心がついたのだろう。
リュシアン殿下とアデルは美男美女でお似合いだ。心から祝福しよう。
なのに――。
「ああ浮気相手、ね。まったくふしだらな女だ」
リュシアン殿下がにやりと笑う。
「な、なんのことでしょう……?」
「とぼけるな! お前の働いた数々の悪行はすべてお見通しだからな!」
どうしよう、本当になにを言っているのかわからない。
邪魔者のわたしはとっとと退散しようと思っていたのに、数々の悪行? 心当たりはもちろんない。
「どうして僕に婚約破棄されることになったのか、わからないとは言わせない!」
婚約破棄されたのは、この二人が愛し合っているからで、わたしが邪魔になったからじゃないの?
やっとお互いに本命を一人に絞るのだと安心していたのに。
いやな予感に鳥肌が立つ。
いくら伯爵家より身分が上の王族とはいえ、婚約者を身勝手な理由で捨てては名誉に関わる。
アデルにしたってそうだ。姉の婚約者を盗ったなどと噂になるのは避けたいはず。
――だから、わたしに原因があるってことにしたいんじゃ?
「まあいい。お前はどうせ罪を認めないと思って、公平な立場のものを呼んである。ユリウス!」
呼びかけに応じて、長身の男性が進み出てくる。
終わった……。
彼の姿を見て絶望感が襲ってきた。
現れたのは、ユリウス・レステンクール公爵。
長い銀髪を一つにくくり、アイスブルーの瞳でわたしをまっすぐに見ている。
透けるように白い肌に彫りの深い整った容姿。表情に乏しいこともあってその美しさは人形じみていた。
大きな背に、さらに大きな鎌を持っており、その姿から影では死神公爵と呼ばれている。
「ユリウス、この女の罪状を読み上げろ」
レステンクール家は建国以来の「執行人」。犯罪者の罪を正しく裁くことを唯一許された家系だ。大きな鎌も、その職務をまわりに知らしめるためのもの。
その権力は王政から分立しており、たとえ国王陛下だとしても、ほかの国民と同様に罪を裁くことができる。
ある意味、王をもしのぐ力を持つ、越権が許された一族なのだ。
なかでも現当主のユリウスさまは厳しい罰を下すとして、国中から恐れられている。
人との交流を嫌い、社交界にもめったに顔を出さない。わたしも直接会うのははじめてだった。その迫力に言葉を失ってしまう。
「ブラン伯爵家令嬢イレーヌ。貴様の罪は不貞行為、窃盗に暴力。それから文書の破棄。そうだな?」
「え、あの……」
「あら、お姉さま。わたしに働いたいじめの数々、覚えてないとは言わせないわ。見て、このあざ!」
アデルが手袋をさっと取ると、確かにそこには指の形に赤黒いあざがついていた。
「それは……」
「それに、そのネックレス! ないと思ってたらお姉様が盗ったのね! 買ったばかりだったのに」
「ちがっ」
「アデル、かわいそうに。つらい思いをしたね」
「おかわいそうなのはリュシアン殿下ですわ。お姉さまったら他に男をつくって、逢い引きしているのでしょう?」
「お願いです、わたしの話を聞いてください……っ」
必死の懇願にリュシアン殿下はしらけた顔をする。
「聞くことに価値があるとは思えないな。誰とでも寝るような女の言葉を」
もうなにを言っても無駄な気がして呆然と立ち尽くしてしまう。
「言いたいことはあるか、イレーヌ」
「……いいえ、ございません」
罪とやらにひとつも心当たりはないけれど、もう別に構わない。
わたしひとりを悪者にして、すべて収まるのなら、それでいい。
リュシアン殿下の婚約者もやめられるし、王太子妃になればアデルとも疎遠になる。自分にはもらい手もないだろうけれど、もう社交界のごたごたに巻き込まれるのはごめんだ。
だったら、罪をかぶってしまおう。
事態を見守っていた貴族たちからは罵倒の声が上がる。
「なんてひどい女なのかしら」
「真面目そうに見えてとんだあばずれだ」
「いやだわ、わたくしの家に招いたときにもなにか盗られているかも」
ユリウスさまは持っていた鎌の柄をがんっと床に打ち鳴らした。
「静まれ! 今ここは断罪の場。私語は許さん!」
「わたしの罰はなんでしょう。国外追放でしょうか」
わたしは二度とリュシアン殿下に関わりを持てないように遠くに身を置くことになるはず。もう祖国の地をこの足で踏めないのでは――。
「死刑だ」
「は……」
「聞こえなかったのか、首をはねるといっている」
鎌の先がギラリと光る。
「嘘……」
重い罪を与えられるとは思った。けれど、まさか死刑なんて。
目の前が真っ暗になる。
ユリウスさまはわたしに近づくとまわりに聞こえないように声の調子を落とした。
「無実の罪をかぶるなんて馬鹿馬鹿しいと思わないのか」
その言葉に顔を跳ね上げた。相変わらずユリウスさまの表情は薄くてなにを考えているのかわからない。
「し、信じてくれるんですか。わたしがやっていないって」
「やっていないのか。さっき罪を認めたが」
「それは……」
「どっちなんだ」
別にやったことにしたっていいと思っていた。
自分一人が我慢してそれで全部おさまるなら。
婚約者のこと、妹のこと。全部、ずっとそうしてきた。
けれど――死にそうになってまで、それは守ること?
「本当のことを話します――わたしはやっていません。全部」
ふたたび貴族たちから野次が飛ぶ。
「見苦しいわ!」
「早く罪を認めたらどうなんだ!」
「黙れ!」
ユリウスは鋭い視線を投げてそれを一喝した。
「……まず、アデルの腕のあざ。それはわたしがつかんだものです」
「ほら、やっぱり――」
「でも……いじめじゃなくて、助けるために。アデルがお父様の秘蔵のウイスキーを飲んで酩酊していて、階段から落ちそうだったから慌てて腕を掴んだんです」
「アデル、そうなのか?」
「まっ、まさか。適当言ってるだけですわ」
リュシアン殿下に怪訝な顔を向けられてアデルはぶんぶんと首を振る。
「ネックレスはアデルから直接もらったものです。プレゼントだと言って」
「言ってませんわ! でまかせよ!」
食ってかかるアデルを黙って見つめる。やっぱり真実を認めてはくれないのかと落胆しながら。
「不貞行為を働いたというのはまったく身に覚えがありません」
「ふん、適当なことを。三日前、城の裏で男と密会していたのを見ていたものがいる」
「……あ」
リュシアン殿下の言葉で思い出した。
「ほら、心当たりがあるじゃないか」
「言っていいのですね……あの夜は、リュシアン殿下に呼び出されて城に出向いたのです。そこで体の関係を持つようにとしつこく命じられて、わたしは抵抗しました。城から逃げて辻馬車を拾ったのですが、ほっとしたら力が抜けてしまって御者の肩を借りたのです。そこを見られていたのでしょう」
「リュシアンさま、まさか……」
「ぼ、僕が体の関係を持つように命じただと……これは王家への侮辱だ!!」
「その要求ははじめてではありません! あなたの心はアデルにあるように見えましたし、結婚前にそういうことはできないと何度も申し上げましたのに……」
「リュシアンさま、本当ですの!? かわいがるのはわたくしだけだっておっしゃったのに……」
「ち、違うっ。すべてでまかせだ! この女の作り話だ! だってどこに証拠がある!?」
もちろんわたしの言ったことは真実だ。
でも、確かに証拠はない。ここでいくら本当のことを言っても、苦し紛れの作り話としか思われないだろう。
現に貴族たちの心証はさらに悪くなったようで、あちこちからわたしへの陰口が聞こえてくる。
「今のが真実か」
「はい……でも信じてもらえるとは思いません。だって証拠は用意できないから」
「助かりたいか?」
「え?」
ユリウスさまがわたしにしか聞こえないように小さな声で言う。
「助かりたいならひとつ方法がある」
「方法って……?」
「俺と、結婚しろ」
え、今なんて?
急に場にそぐわない言葉がでてきたような。
普通罪人が助かりたいなら保証金を積むとか、貴重な情報を流すとか……ではないだろうか。
「い、今結婚って、おっしゃいました?」
ユリウスさまはこくりと頷く。
とても彼が冗談を言う性格には思えない。
いったいなにを考えてそんな提案を?
けれど――。
ここで助かる道を探さないと、あとはもうその鎌に首を切られて死ぬだけ。悪くもないことで汚名をかぶって、恥知らずとして生涯を終えるなんて、そんなのはいやだ。
「わかりました……します、結婚」
「撤回は許さない」
覚悟を決めてまっすぐにユリウスさまを見た。
「あれをもってこい」
そのひとことで、ローブを目深にかぶった男たちがさっと集まってくる。
「まずはこれだ。ブラン家の秘蔵のウイスキー。――アデル、そのあざはいつつけられたものだ」
「え……い、五日前ですわ」
「当主は満月の晩にだけこれを飲む。満月は二週間ほど前だが、この瓶は開けたばかりでほとんど飲んでいないそうだ。中身がこんなに減っていることに驚いていた。栓を抜け」
ローブの男がぽんと栓を抜くと、ガラス瓶のふちにはべったりと口紅がついていた。
「これがアデルがウイスキーを飲んでいた証拠だ」
「なっ、そ、それは……」
口紅の色は今アデルがつけているものと同じ、毒々しいくらいの赤だった。
「それから、これは宝石商からの買い付けリストだ。一つだけ鎖の短いネックレスがある。今イレーヌがしているものだ。なぜ自分のサイズを買わない? これではまるではじめからイレーヌのために買ったようだ」
「あ、あ……」
アデルは真っ青になって、言葉を失ってしまう。
ユリウスさまはリュシアン殿下を見やった。
「最後は、王城の家令がつけた来客リストだ。真夜中にリュシアンを訪ねる女は数多い。が、イレーヌだけは何度訪れても数分で城をあとにしている。ほかの女は数時間滞在しているようだが。これが意味するものはなんだ?」
「し、知るか」
「俺には多数の女を呼び寄せ関係を持ち、しかしイレーヌだけには何度も断られているという証拠に見えるがな」
「っ……」
「イレーヌと密会していたという御者からも証言がとれている。城の裏で女を拾うことが多いが、いつも同じ、イランイランの香水の匂いをさせているそうだ。イレーヌからはその匂いがしなかったとも言っている。香水はお前がいつもつけている、調香師に特別に作らせたものだな」
「う、あ……」
リュシアン殿下は呆然として立ち尽くしている。
「貴様らは私利私欲のために一人の女性をおとしめた。罰を受けるのはどちらかわかるな――まず、アデル・ブラン。お前は修道院に入ること」
「いやっ」
アデルはその場に崩れ落ちる。
「そんなっ、だったら結婚はどうなるの? ずっと塀の中でしわくちゃになっていくなんて耐えられないっ」
「火遊びがすぎたな。王太子以外にも数々の男に手を出しているのは調査済みだ。妻子あるものにも」
群衆の中にユリウスさまが鋭い視線を向ける。紳士のひとりが気まずそうに目をそらした。
「相手にも追って罰を下すとして……リュシアン・ド・ベルレアン。貴様は無期限の国外への留学だ。安心しろ、女人禁制の場を整えてある。勉学に集中できるようにな」
それは実質国外追放ということ。蒼白になったリュシアン殿下が口元をひつくかせる。
「ま、待てよ、ユリウス。誰に口をきいている? 王族の俺に対して、そんな罰を与えるなど許されると思っているのか?」
「忖度しろと言いたいのか」
不愉快そうにユリウスさまが眉をひそめる。
「お前こそ誰にものを申している。王族だから罪を軽くしろなど、レステンクール家の清廉な精神を侮辱する気か」
「ひいっ」
迫力に押されて、リュシアン殿下がその場にへたり込む。
「だ、だって、そしたら、王位は……? 次の王は僕じゃ……」
国外追放ということは、王位争いへの権利も実質的に奪われたということ。
「た、頼むイレーヌ、許してくれ! ちょっとした冗談じゃないか!」
「そ、そうですわお姉さま! わたくしたち血の繋がった姉妹じゃありませんか。どうか寛大な心を持ってください……!」
二人が懇願してくる。わたしは少しだけ考えて、こくんとうなずいた。
「イレーヌ、許してくれるのか……!」
「お姉さま……!」
「二人ともやっぱり留学と修道院へ行ったほうがいいです。まわりに異性がいるから心乱されるのね。浮いた話のない場所で平穏に生きるのもいいものですよ」
「そんな……っ」
アデルは泣き崩れ、リュシアンは泡を吹いて倒れてしまう。
「イレーヌの許しにかかわらず、お前たちの罪は消えないぞ。ふたりとも行動が目に余るから、以前より調べさせてもらった。数々の不貞行為、追って公表するからな。――イレーヌはお前たちの悪行を表に出すために茶番に付き合ってもらっただけのこと。つまらない嘘に踊らされて彼女をこれ以上侮辱するものがいれば手加減しない」
ユリウスさまは貴族たちをひと睨みし、鎌をひるがえすと、ダンスホールを出て行ってしまった。
「待って!」
渡り廊下で呼び止めるとユリウスさまは厳しいまなざしで振り返った。
「あのっ、……助けてくれてありがとうございました」
「助ける?」
「証拠を持っていたんですね。おかげで無実の罪をかぶらずにすみました」
「忘れるな。俺と結婚すると言ったこと、取り消すつもりはない」
「あ……」
そういえば、そんな取引をしたのだった。
やっぱりあれは冗談ではないらしい。
(ユリウスさまがそんなことをする理由って、なに?)
ユリウスさまが自分と結婚して得をすることなんてなにもないはず。
ブラン家は財力だって取り立てて大きくはないし、親類に有力な権力者がいるわけでもない。
(まさかわたし自身が目的……とか?)
それこそありえない。豊満な体つきも、人目をひく顔立ちも、妹のアデルだったならわかるけれど。
わたしは胸元も寂しいし、特別美人でもない。美しい容姿のユリウスさまが求めるような女性ではないのだ。
「ひとつ、聞きたいことがある……手紙の破棄についてはどう言い訳をするつもりだ?」
「手紙?」
そういえば、ユリウスさまの読み上げた罪状の中にあった「文書の破棄」。これだけはよくわからなかった。リュシアン殿下たちも言及してはいなかったし。
「ごめんなさい、本当になんのことか……わたしはなにか罪を犯してしまったんでしょうか?」
「しらばっくれるな。届いた手紙を使用人が裏口で焼いているのを見た」
「あ、それなら、アデルが手を回したのかもしれません。一時期嫌がらせでわたしの手紙を先回りして捨てることがあったので」
「……そうなのか?」
ユリウスさまはわずかに目を見開く。
「もしかして、ユリウスさまはわたしに手紙をくれていたのですか? だとしたら返事を書かなかった失礼をお許しください」
「いや、いい。そういう事情ならしかたない。べ、べつに死神公爵からの手紙なんて縁起が悪いとか、何度も来るのが気持ち悪いとか、内容がストーカーじみているとかそういう理由で捨てたわけではないのだろう」
なんだか急にユリウスさまの態度がおかしい。そわそわと落ち着かない様子で、表情にも焦りが見える。
「も、もちろんそんな無礼なこといたしません。 ――あの、手紙にはなんて? 急ぎの用でしたらすぐにこの場でお答えいたしますが……」
「この場で!? い、いや必要ない。それより、婚礼時期について相談の手紙を出す。今度は焼かないように」
ユリウスさまってこんな人だっただろうか。
さっきまでのかみそりのように鋭い人柄とはどこか違うような……。
手紙を捨てていないと知ってからの彼はどこか嬉しそうにも見える。
「あの、結婚の日取りでしたらなるべく早いほうが。ジャガイモの収穫時期が差し迫っていますので」
「……は、イモ?」
「ええ、領地のジャガイモが今年とてもいい出来なんです。結婚パーティーでジャガイモ料理を出すんですよね? だったら早いほうが」
「待て。なぜ急にイモの話になる?」
「ですから、ユリウスさまの結婚の目的はそれでは……?」
家にもわたし自身にも取り立てて結婚する価値はない。
けれど領地は違う。平凡な土地だが、今年は農民たちががんばってくれてどこに出しても恥ずかしくない農作物ができた。特にジャガイモはほくほくとしてとても甘い。
「俺が、い、い、イモのために結婚を……?」
愕然とするユリウスさまの様子を見るに、その予想は違っていたらしい。
「あの、失礼なことを言っていたら申し訳……」
「お前こそ、本当にいいのか。好きでもない男と結婚など」
「え……」
たしかに、急に新たな結婚が決まるなんて想像もしていなかった。
それでもリュシアン殿下とそのまま結婚するよりよほどいい。
ユリウスさまは正直なにを考えているのかわからないけれど、でもわたしを助けてくれた人ではあるから。
「あの、死刑にするって言ったのは嘘ですよね? どう考えてもあの罪状で死刑は重すぎるし……わたしに勇気をくれるために言ったんですよね?」
国外追放くらいなら受け入れてしまいそうなわたしの背中を押してくれた。あれは優しい嘘だと思う。
「ユリウスさまがなにをお望みかわかりませんけど、結婚するなら、わたし一生懸命がんばりますから。アデルほどにはなれないけど、自分磨きもするし、家のことも仕事のことも、必要ならなんだって手伝います。だから――」
「そのままでいい」
「え?」
「そのままでいいと言ったんだ。結婚にはなにも望まない」
「それは、ええと……お飾りの妻が欲しいということ、でしょうか?」
由緒正しい貴族だから結婚しないわけにはいかないし、適当な女と、ってこと?
「えっと、じゃあ、従順な妻でいられるよう……」
「違う! どこまで鈍いんだ……お前がいればいいと言っている。イレーヌ・ブランが俺の妻になる。それだけが俺の望みだ」
呆れていたようにこめかみを抑えていたユリウスさまがまっすぐにこちらを見る。
アイスブルーの瞳が切なげに細められて、ふいに胸が高鳴った。
「イレーヌ、お前はそのままでとてもきれいだ。アデルなどと比べる必要はどこにもない」
「は……」
「っ、では、連絡を待つように」
ユリウスさまは外套をひるがえして行ってしまう。わたしはしばらくそのまま動けなかった。
だって、そんな言い方、まるでわたしのことを好きって言っているような。
「な、ないないっ。あるわけないわ」
とんだ勘違いに乾いた笑いが漏れる。
おぼつかない足取りで、停めてあった馬車に乗り込んだ。
窓硝子に映る自分の頬が赤くなっている。
(そういえば、後ろを向いたときのユリウスさま、耳が少しだけ赤かったような……気のせい?)
「イレーヌお嬢さま、失礼いたします」
「えっ、な、なに!?」
御者が急に声を掛けてきたものだから、慌てて小窓を開ける。
「申し訳ありません、今朝この手紙を渡すようにと言われていまして……郵便事故を言い訳にされては困るからと」
「え、あ、そうなの……? ありがとう……」
ふわふわした気持ちで封筒を受け取ると、差出人がユリウスさまだったものだから、心臓がさらに跳ねる。
(そういえば、以前から手紙を出してくれていたって言っていたわね。ユリウスさまが一体なんの用事で……)
焦る気持ちを抑えて綺麗に折りたたまれた手紙を開く。
そこには――。
『親愛なるイレーヌ
返事をくれないということは断られたということなんだろう。
けれど、直接の言葉をもらうまで諦めきれそうにない。
俺との結婚を考えてはくれないか。
リュシアンと婚約する前から、ずっと心の中にお前がいた。
イレーヌを心より、愛している
ユリウス・レステンクール』
(手紙って、手紙って……恋文!?)
何度読んでも、神経質そうな細い筆跡で書かれていたのは愛の言葉だった。
「もしかしてユリウスさまって本当にわたしのことが好きで結婚を……!?」
驚きに言葉を失う。けれど嫌じゃなかった。それどころか、わきあがってくるのはどこか温かな気持ちで。
「愛しているなんて、はじめて言われたわ……」
リュシアン殿下は身体ばかりを求めて、気持ちなんて与えてくれなかったから。
政略結婚だって受け入れなくてはいけない。そう諦めていたけれど、もしかしてわたしは自分を愛してくれる人と結婚ができるのだろうか。
――愛している。
その文字を指でなぞる。
やっぱりさっきユリウスさまも照れていたのだと思うと、小さく笑みが漏れた。
終わり
面白かったと思ってもらえたら、下の☆☆☆☆☆から評価やブクマをしてくれるととても励みになります!
良かったところや、続きが読んでみたい、などあれば感想に書いてもらえると嬉しいです!
お読みいただきありがとうございました!