陰謀の町 後編
9
ローレンス・コプランドは平伏した。
そこは今まで出入りしたことのなかった、一番狭い謁見の間である。高位の人物と、今までに接したことのない距離まで接近している。
壇上の椅子に座った男から無言の圧がかかっていた。まるで頭を抑えつけられたかのように、動くことができなかった。
壇上の男は頭髪が燃えるような赤い髪をしている。その髪が今は、怒りを帯びて燃え立つかのようだ。
壇上の男は四十代に差し掛かってなお、たくましい身体つきをしている。多少の武芸を身につけたローレンスだが、年齢差を差し引いても、まだあまりある力量差を、その圧に感じざるを得なかった。
ローレンスが平伏しているのは、畏怖のためだけではなかった。同時に呼び出され、今横にいるジェラルド・ソルトン男爵と並べられていることからも、先日の騒動に対しての取り調べと、お咎めを受けるための謁見であると理解していたための平伏でもあった。
一番狭い謁見の間といえ、ローレンスに宛がわれた捜査部の執務室に比べると、三倍、いや、四倍はあるだろう。その謁見の間に、燃え盛る圧が蔓延していた。
圧の主は国王、カークロス・ハートその人である。
カークロスの左手、ローレンスから見て右側の男が口を開いた。三十代と脂の乗った男で、精悍な顔つきに、意志の強さを示す鋭い眼光があった。
「昨日の騒動について、報告してもらおうか」
ローレンスの予想通りだった。
男の声はローレンスの身体のうちまで響き渡った。彼の声も、王同様、間近で聞いたことのないものだ。遠巻きに何かの演説を聞いたことはあったが、ここまで腹に響く声の持ち主とは思ってもみなかった。
その力強い声色は、ローレンスにもなるほどと思わせるものがあった。新進気鋭のサイモン・ビトレイアル卿。その短い噂に違わないものだと思えた。
カークロスの右手、ローレンスから見て左側にもう一人立っていた。白髪の老人ながら、背筋が伸び、深いしわの奥からローレンスを見下ろしている様は、サイモンやカークロスにも匹敵するほどの威厳があった。
老人はローレンスも見知っている。ルキウス・テナクスナトラ侯爵だ。
ルキウスは表情の読み取れない顔つきで、ローレンスとジェラルドを見下ろしていた。
ローレンスが萎縮し、平伏しているのに対し、隣のジェラルドはどういう訳か、片膝はついているものの、堂々と胸を張っていた。まるで武芸を持って、どんな場面でも切り抜けてみせると言いたげな、自信に満ちた態度である。
ローレンスもジェラルドも、謁見の間に入るときに、衛兵に武器を渡しているので、丸腰だ。さらに、謁見の間で自分の腕っぷしなど何の助けにもならない。
そして、褒章のために呼び出されたのではない。それが分からないのか、ジェラルドは薄笑いすら浮かべているのだ。
こいつは王の剣気を感じぬのか。ローレンスは内心、ジェラルドの態度を訝しんだ。ローレンスは今にも首をはねられるのではないかと、冷や汗を流しているというのに、ジェラルドは太々しいまでの態度だ。
「町の往来を塞いだのは貴様らだな」
サイモンの声が腹の奥に響いた。小さな声のはずなのに、殴りつけられたかのような声だ。
身分違いで声をかけられたこともないため、ローレンスはなおのこと、緊張することになった。喉から水分が消え去り、声がかすれた。
「はっ!住人に多大なる迷惑をかけましたこと、深くお詫びいたします」
ローレンスは途中、咳き込みながらも、何とか詫びを入れることができた。詫びなければ、王が赤い髪を炎に変え、ローレンスの身体を打ち砕きに来るに違いないと思えた。この感じている殺気は、緊張のための誤解ではないはずだ。
「大罪人を捕らえるため、やむを得ませんでした。悪辣無比な彼奴等が住民に害成す恐れがあり、我らが対処しておりました」
ジェラルドはローレンスとは対照的に、よく通る声で言った。自分の手柄で事なきを得たのだと主張するかのようである。
「なぜあのような騒動になったのかと聞いておるのだが」
老人が皮肉に満ちた声を発した。ルキウスは長年培ってきた威厳も伴い、皮肉った言葉に重圧を乗せていた。
ローレンスは数ヶ月前、ルキウスと討論することがあった。当時、テナクスナトラ派の一人、アナベルト・サーカム男爵の査定を進めていて、その資料を盗まれた直後だった。盗まれた焦りもあったのだろう。ルキウスに問い質した。後に冷静になると、なぜそのような暴挙に出たのかと、何度となく自分を責めたものだ。
ルキウスは動じることなく対応した挙句、さらに別のことでも討論に発展した。この別のことというものは、ルキウスが魔導科学で作り出された道具が人の生活を奪っていると主張し、魔道具好きのローレンスは思わず反発を抱き、魔道具の利点を説いたものだった。
この件に関しても、ローレンスは自分の考えが正しかったのか、揺らぐ思いである。
ルキウスは言った。人の嫌がる仕事を引き受けて日々の生活の糧を得ている人々がいる。魔道具はその人々から仕事を、それに伴う賃金を、そしてそのわずかな金で購入する食糧を奪ったのだと。
だが、ローレンスは人の身に危険の及ぶ仕事を、魔道具でその危険を肩代わりできると考えていた。だからこそ、魔道具が必要なのだと強く信じていた。
ルキウスと討論し、後に頭の中で考えを巡らせると、ルキウスの言い分ももっともだと思え、必ずしも自分の考えが正しいとは言い切れないという考えに至っていた。
眼前に立ち塞がるルキウスは、その討論では感じえなかった、圧のようなものを発している。ローレンスはそのことに気付き、床につかんばかりに頭を下げた。
ジェラルドはどういう神経をしているのか、権力者たちの重圧をものともせず、胸を張っていた。
「以前より危険人物と目していた者共が、明確な罪を犯したと、その被害者が訴えてまいりました。そこで我々守備隊は、彼奴等のこれ以上の暴挙を阻止すべく、総動員で捕らえにかかったのです。町を守るためにも致し方なかったことですが、おかげで被害もなく、我ら守備隊の役目をはたして御覧に入れました」
ジェラルドが自信満々に答えたのに対し、ルキウスは取り逃がしておいてよく吠えるわと聞こえよがしに言った。
「何をおっしゃいますか!我らが動かなければ、昨年のように町が半壊する恐れもありました。それを未然に防げたのは、我ら守備隊の功績と言えます!」
ジェラルドが興奮のあまり、立ち上がる。床を見つめたまま、ローレンスはやめてくれと願った。
「陛下の御前である」
サイモンが冷たく言い放った。その言葉だけで、ローレンスの心臓は凍り付いた。
さすがのジェラルドも慌てふためいて膝をついた。
「つまり、たかだか冒険者を捕まえるために、守備隊を総動員して、町の往来を止めたという訳だな」
壇上の男が、淡々と言った。そして頭を動かす。すると、頭髪が炎のように揺らめいた。フォートローランスの国王、カークロス・ハートは四十半ばに達しているものの、ジェラルドやローレンスたち現役の兵士よりも逞しい身体つきをしている。僅かな身動ぎでも、たくましい筋肉が躍動感にあふれ、熱を発しているように見える。その身体から発する熱気で頭髪が燃えているのかもしれない。
カークロスの感情を表すかのように、赤い髪が揺らめいている。言葉とは裏腹に、激しく燃え立つ感情が溢れ出しているようだ。
ローレンスはカークロスの言葉を、高貴なお方の尊いお言葉と感じると同時に、静かな怒りを含んでいると感じて、身震いしていた。
「陛下!たかだか冒険者とおっしゃいますが」
ジェラルドがあろうことか、カークロスに反論していた。
カークロスは謁見の間を震わすほどの一言を発した。
「黙れ」
言葉で相手の頭を抑えつけ、平伏させた。
「キュリアス・エイクードのことであれば、貴様より詳しい」
カークロスは大人しくなったジェラルドを見据え、静かに言った。
「詳しくないわしでも、貴公の失態をいくつか指摘できそうじゃ」
ルキウスも呟くように言った。
ローレンスは床を見つめながら、内心、ジェラルドをなじった。ローレンスも失態のいくつかを想像できていたのだ。それ故に、この場で処罰を与えられると覚悟していた。
「一つ一つ指摘してやろうか?」
カークロスの声が冷たく響いた。
「陛下、その役目は私めに」
サイモンがカークロスに向かってお辞儀をした。カークロスは返事の代わりに手を振った。その合図を受けて一礼すると、サイモンは平伏する二人に向けて言った。
「一つ、無用に民を危険にさらした。一つ、無用に往来を塞いだ。一つ…」
「お、お待ちを!」
ジェラルドが顔を上げ、サイモンの言葉を遮った。ローレンスはよせと叫びたかったが、歯をくいしばって耐えていた。
「我らは民を守ったのです!一体どこに危険があったと言われるのですか!往来を塞いだことも、民に無用な被害を出さないためです!」
「ソルトン男爵と言ったか」
カークロスは静かな口調で言った。だが、身体からあふれ出る圧は尋常ではなかった。多少なりとの武芸に秀でた者であれば、この圧の前に出たくないと本能的に理解し、萎縮する。
ジェラルドにもやっとその圧を感じ取れたのか、押し黙って目を伏せた。
「貴様はキュリアス・エイクードとさしの勝負をしたとすれば、どちらが勝つと思うかね」
カークロスの問いに、ジェラルドはうつむいたまま答えなかった。
「答えよ」
「はっ!これでも自分は騎士として修業し、優秀な部類であったと自負しております!たかだか冒険者に後れを取るなどあり得ません!」
「なるほど。サイモン、こ奴はそちの指摘を理解できんわ。相手の力量をこうも過小評価しておれば、行動に対して起こり得る結果など想像すらできまい」
「おっしゃる通りですな」
「件の冒険者が本気で歯向かっておれば、町は壊滅しておっただろうに。武術の心得のないわしでも想像できるぞ」
ルキウスが呆れたように言った。
「お言葉ですが!私の武術によって、彼奴の力など抑え込んで御覧に入れましょう!」
ジェラルドは意気込んだ。
カークロスが笑い声をあげた。
「ちなみに何人の兵を連れて捕らえに行ったのだ?」
カークロスは笑い止むと、そう問うた。
「はっ!守備隊総勢百四十一名です!」
カークロスはさらに声を大にして笑った。
ジェラルドはその笑いを、自分への賛同の意と受け取った様子で、胸を張っていた。
「ソルトン男爵。貴公には追って沙汰を申し付ける。自宅で待機するように」
カークロスの笑いが治まるのを待って、サイモンは言った。ジェラルドの落ち度をあげつらって追い詰めるつもりだったが、言うだけ無駄と理解し、すべてを端折ったのだ。その証拠に、不完全燃焼の感情が言葉の端に乗り、冷たい響きを伴っていた。
ローレンスは、とばっちりを食いそうだ。最悪だと、内心嘆いていた。
怪訝な表情を浮かべながらも、ジェラルドは謁見の間を下がった。
残ったローレンスは胸の内を締め付けられるような思いで、平伏し続けた。
「コプランド男爵。そちはキュリアス・エイクードをどう見る」
カークロスの声が頭上に振りかかっていた。
「はっ!彼には陰謀に加担した嫌疑がかかっておりまして、できることならば捕らえて事情を…」
ローレンスが言葉を選び選び答えていると、カークロスの声が響いた。
「本心を申せ」
ローレンスは思わず顔を上げ、国王を見上げた。カークロスの表情は読み取れない。何を意図しての発言なのか分からないので、ローレンスにはどう答えていいものか、考えあぐねた。
「よいから忌憚のないことを申せ」
「はっ!…でしたら。私は彼の冒険者がそれほど悪い人間とは思えません。確かに町を破壊したこともあるお騒がせな奴らではありますが、陰謀に加担するようなことはないのではと考えております」
「ほう。すると、そちは裏の事情を探るために話をしたかったと、理解すればよいか」
「その通りにございます」
「なるほど。よろしい」
カークロスから発する圧がいつの間にか消えていた。ローレンスはやっと呼吸ができる思いで、胸を大きく動かしていた。
「そちにも問うておこう。キュリアス・エイクードと対峙すれば、勝てるか?」
「おそらく、数秒と持ちません。私の完敗でしょう」
「よく分かっておるではないか」
カークロスが目配せすると、サイモンとルキウスが頷いた。
「民から往来の封鎖について、多数の苦情が来ておる。その件について、陛下は猶予を与えるお考えである」
ルキウスが発言した。
「テナクスナトラ卿の提言によるものと心得よ」
サイモンが念を押すように言った。
ローレンスは老人を見上げた。驚いたのである。ローレンスはルキウス・テナクスナトラの信奉者を調べている。そのことについて、あまりにも直接的に、ルキウスに問い質したと今でも後悔してる。さらに魔道具と人の生活について討論してしまった。
ルキウスにとって、ローレンスは身分しらずの、向こう見ずな若者のはずだ。考えの違う敵対者と認識されていてもおかしくなかった。邪険に扱われても仕方ないのだ。だと言うのに、この老人が自分に猶予を、と思うと、不思議で仕方なかった。
ルキウスはローレンスの表情の意味に気付いた様子で、顔に刻まれたしわを深くして笑顔を浮かべた。その真意はまるで読み取れない。
ローレンスは老人に対して深々と頭を下げた。
「格別なご配慮、痛み入ります」
ローレンスはこの老人に借りができてしまった。だからといって、調べを止めるようなことはできない。それとこれとは別だ。
「ところで陛下」
ルキウスはローレンスのお辞儀に軽く頷くと、国王に身体を向けた。
「陛下が件の冒険者と対峙したとすれば、いかがなりましょうや?」
「ふむ。そうじゃの。昔であれば、負けておったわ。しかし、奴の手の内を知った今であれば、対処のしようもあろう。ふむ。存外に面白い勝負となりそうだわ」
「陛下…。御自らお出ましになるような真似はお控えください。いざとなればこのサイモンめが出張りましょう」
「父親譲りの剣技でか。だが、そちではちと及ばんの」
「それほどですか」
「それほどだ」
「わが父の全盛期であれば、いかがでしょうか?」
「ふむ。それも面白い勝負となろうの。が、時を戻すことはできん。詮無きことよ」
「そうですな。稚拙な質問をお詫びいたします」
「よい。気分転換になったわ」
カークロスはそう言って笑った。
ローレンスは退出を命じられ、刃の下から這い出すように謁見の間を出た。普段話をすることもない重鎮と国王を前に、何時間ひれ伏していたのだろうか。時間の感覚がない。手足の感覚もなくなっていた。
どこをどう歩いたのか記憶に残らないほど、頭が混乱していた。斬首を言い渡され、なぜか解放された。ローレンスにはそう感じる審問だった。とたんに、言いえていると思え、自虐的な笑いが込み上げてきた。
「コプランド男爵様」
人の声に辺りを見渡すと、細身の男が手を上げた。どこかで見た顔だと思っても、すぐに相手の名前が浮かんでこない。まだ頭の混乱は続いているようだ。
ローレンスが曖昧に会釈すると男も会釈を返して近づいてきた。
「此度は災難でしたな」
男はローレンスが呼び出されたこと、そしてその理由について知っているようだった。
「少し前にソルトン男爵様が胸を張って出て行かれて。処罰を受けたはずなのにどういうことなのか、気になっておりましてね」
「私は不問に処されました。テナクスナトラ様のお計らいで」
「おお、それはようございました。ではソルトン男爵様も?」
「どうでしょうか?あちらは追って沙汰すると」
「それにしては、意気揚々と出て行かれましたよ」
「あの強心臓は見習いたいものです」
「強心臓…」
男はオウム返しに呟くと、口に手を当てて笑った。
「いや、失敬。しかし、言いえてますな」
男は笑いを収めた後、納得したように言った。
「噂はかねがね聞いておりましてね」
噂話が好きなのか、男は笑顔を浮かべていた。そして思い出したかのように、噂と言えば、と切り出した。
「ナハトマージ男爵様は貶められたというものがありましてね。男爵様はコプランド男爵様の下に…?」
「ああ、はい、尋問しています。確かに、当人は陰謀だと言ってますけどね、嫌疑のいくつかは証拠も挙がっています。一概に貶められたとは言えないでしょう」
「身から出た錆でしたか。なるほど。いやいや、聞いてみるものですね。他人事ながら、こういう出来事は気になりまして。さすがコプランド男爵様です」
男はローレンスが答えたことに気をよくしたのか、さらにいくつか噂話を持ち出し、その真相の確認を取ろうとした。ローレンスに答えられるもの、答えを知っていても教えられないもの、知らないものなど、次から次へと出てくる。
男は満足した表情で、長らく御引止めしましたと詫びたが、そう言えばと、去りかけて振り向いた。
「ソルトン男爵様の許にトム・コリンズと言う男が来ていることをご存じで?」
「トム・コリンズ?さて、どなたですか?」
「何でも、脂ぎった顔をした中年男だそうで。かなりの好色家らしいです」
ローレンスは先日の、キュリアスを捕らえようとした騒動のことを思い出した。男の言葉に該当する人物が、ジェラルドの傍にいたように記憶していた。
「もしかすると、あの男ですか。一度見たことがある程度です」
「そのトム・コリンズですけどね。元ロッツ村の村長なんです。しかし、村で冒険者相手に追いはぎをしていたとか。それで冒険者の反撃にあって家を壊され、村を追い出される羽目になったのだとか」
男の話は作り話のような出来である。あまりにも具体的過ぎる。
「面白い話ですね。一体どこからそのような話を仕入れて来られるのですか?バッテン準男爵」
ローレンスはやっと相手を思い出した。守備隊の地下にある監獄の長バッテン男爵の息子だ。バッテン準男爵は文官として王宮に務めている。虚偽の情報で人を貶めるような人物ではなかったはずだ。
「王宮内では噂話が飛び交っておりますよ。第二王女様の寝室に賊が入っただとか、あり得ない噂も多いですけれど」
バッテン準男爵はそう言って口元を押さえて笑った。
「普段は真偽を確認できないのですが、ひょっとするとコプランド男爵様であれば分かるかと思いまして」
バッテン準男爵はそう言って会釈すると、分かりましたら教えてくださいと言い置いて去っていった。
「トム・コリンズ…。ロッツ村…」
ローレンスの頭に何かが引っ掛かった。ロッツ村は実在することを知っていた。駆け出しの冒険者が身包みはがれて町に戻ったとのうわさも耳にしたことがある。
作り話と捨て置くには、具体的過ぎる噂話だった。あるいは誰かが意図して流した情報なのかもしれない。噂話を操作することで、何かしらの謀があるのかもしれない。ないとは言い切れないところが、王宮内の噂話の怖さだ。
ひょっとすると誰かが俺を操ろうとしているのか。ふと疑念が浮かぶと、妙に合点のいく思いになり、ローレンスはその得体のしれない情報主に踊らされるのはごめんだと思った。
もしかすると、テナクスナトラ卿の差し金か。ローレンスは突拍子もない疑惑を抱いた。ただ、この噂とあの老人につながりがあるのならば、敵対者であるはずの自分を擁護した理由になるのではないかと思えた。テナクスナトラ卿は何らかの思惑で、ローレンスにこの捜査をさせたいと考えたとすれば、である。
「いや、考え過ぎか」
ローレンスは苦笑交じりに呟いた。そもそも、ジェラルド・ソルトン男爵はテナクスナトラ派に与している。自分の派閥に属する人物に疑いを向けさせて何の得があるというのか。
もしも何らかの陰謀が関わるとするならば、テナクスナトラ派に反感を抱くグループによるものと考えるのが妥当だ。ビトレイアル派か、あるいは少数派だが、第二王女派というものもある。
なんにしても、陰謀説は空想を広げるだけで、何の益もない。ローレンスは疑惑を頭から締め出し、廊下を歩きだした。
「あの二人です!あたしの家を破壊し、あたしを村に住めないようにした悪党です!」
不意に、トム・コリンズの言葉が脳裏に響いた。トム・コリンズはそう言ってキュリアスとマデリシアを指差していた。
噂話でも家を破壊されている。やはり事実に基づいた情報を、噂話として故意に流したものだと、ローレンスは確信めいた印象を受けた。
事実であれば、トム・コリンズこそ、捕まえるべき人物ではないだろうか。犯罪を取り締まる組織の長として、放置するわけにもいかない。己の正義が許さない。
それに、キュリアスとマデリシアへの嫌疑を晴らせば、あるいは彼らがこちらの捜査に協力してくれるかもしれない。陰謀に加担したという嫌疑は晴れていないので、その程度の貸しでは見向きもされないかもしれないが、小さな恩でも売っておくに越したことはなさそうだった。
戻ったら部下の二人をロッツ村へ派遣しよう。こちらはしばらく尋問が主になる。自分ともう一人で何とかなるだろう。ローレンスは王宮の廊下を歩きながら、この後の段取りを決めていった。
10
小さな謁見の間に、カークロス・ハートは一人で残っていた。重鎮のサイラスとルキウスを下がらせ、一人物思いにふける。そのつもりだったのだが、どうやら一人にはなれなかったようだ。
そのことに、誰もいなくなるまで気づけなかった自分が歯がゆくもあった。
「隠れてないで出てこい」
カークロスは声が響かないように押さえて言った。少々不機嫌な声になったのは、仕方のないことだ。
「いやぁ。楽しい見世物だったぜ」
部屋の隅で影が動いた。その影が次第に人の形をとる。黒髪に、黒い服。背中に剣の柄が見えた。その人物はカークロスの不機嫌な声にも動じる様子はなかった。
「貴様は…こんなところまで侵入するのか。キュリアス・エイクード」
カークロスは侵入者の神経の太さに苛立った。並の人間なら、自分と相対すると、萎縮する。だというのに、キュリアスは平然と構えている。
キュリアスは両手を広げ、口角を上げてみせた。
太々しい奴だ。カークロスはそう思ったとたんに、一つの懸念が浮かんできた。
「む。また娘の部屋に忍び込んだのか!」
「忍び込むとは心外な。堂々と、訪問したんだ」
娘に寄ってくる悪い虫だ。カークロスは怒りを通り越して、呆れていた。が、甘い顔をするつもりもない。内心を隠すように、強い言葉を吐いた。
「ほざけ!正直に言わんと、首をはねるぞ」
「おー怖い」
カークロスは玉座の横にある剣に手を伸ばした。まだ座ったままである。
「おっさんと一戦交える気はねぇよ。ああ、窓から入った。ちゃんとノックはしたぜ」
「馬鹿者」
カークロスは剣から手を放した。どっしりと背もたれに身体を預ける。窓からとは。カークロスは内心驚いていた。王宮の壁には返しが付いており、よじ登ることは不可能だった。それも、娘の部屋は一段高い所にある塔の三階だ。登りきれるはずはなかった。
これまでも何度か侵入されたことを、カークロスは把握していた。その方法を初めて聞かされた。常人では不可能な侵入口から、この男は平然と入り込んでくる。その能力は、カークロスも高く評価していた。そしてキュリアスが娘や自分に対して、害意がないことも知っていたからこその評価でもある。
カークロスは以前から気になっていた侵入経路を知ることができ、娘の部屋に踏み込んだ不届き者に対する怒りよりも、その方法の不可能さに考えが及び、返ってキュリアスの能力を認めることになった。
以前からそうだ。カークロスはキュリアスと知り合って以来、彼を憎むことができない。それどころか、配下に欲しいと熱望するようになっていた。
カークロスはキュリアスの裏の事情も熟知している。
彼の属していたのはスペリエントの非公式組織、ソード隊だ。ソード隊は世のためにならない人物を排除していた。やがて利権が絡むようになり、組織はただの暗殺屋に成り下がった。
キュリアスは組織に疑問を抱き、ついには組織を壊滅させ、国を逃げ出して冒険者となった。
組織に問題があったとはいえ、キュリアスは組織を、引いては国を裏切ったと負い目に感じているようだ。組織の発案者であるラームジェルグ・スペリエントを裏切る行為を行い、そのことで恨まれていると考えているようだ。
カークロスは、それはキュリアスの早とちりだと分かっていた。
以前、フォートローランスに訪れたラームジェルグは、カークロスに、内々の頼みを残していった。キュリアスの行方を捜し、取り戻すための捜査を依頼していったのだ。その時におおよその事情も聞いた。
事情を聞いたがために、カークロスも興味を抱くことになった。調べるうちに、キュリアスの戦闘能力の高さ、人間性を知り、配下に欲しくなった。
ラームジェルグが欲しがる人材だ。俺の配下に置いた方がいいに決まっている。カークロスの考えの根底は、そういうものだった。が、キュリアスと娘のシャイラベルとのかかわりを知り、キュリアスが秘かに娘を手助けしていることを聞き及ぶに至って、是が非でも配下に欲しいと思うようになっていた。
キュリアスが配下になるのであれば、身を切る思いで娘を差し出してもいいとさえ思っている。だというのに、キュリアスはカークロスのその提案を断った。
断ったくせに、娘の周りに付きまとう。いくら接触できないように離しても、どこからか侵入してくる。不届きな奴だ。カークロスは腹立たしく思いながらも、キュリアスを処断することはなかった。
そしてカークロスもいつしか、娘をネタに、キュリアスをからかうようになった。断られると分かっているから、軽口のように言える。
カークロスは身体を乗り出すようにして、膝に肘をついた。あるいはここで一押しすれば、なびくかもしれない。キュリアスがシャイラベルから離れないのだから、望みはある。
「忍び込んだりせずとも、娘はくれてやると言っておろうに」
「配下になって、将軍になれば、だったか?」
「そうだ」
「だが断る」
「やかましいわ。素直に従え!」
受けられても困るが、断られるのも腹が立つ。カークロスは複雑な親心に振り回されていた。
「断る!」
「強情な奴だの」
「お互いさまで」
カークロスはキュリアスを睨み付けた。大概の相手はそれで萎縮するものだが、この男に効き目はない。そこがまたいい。
「マルスはわしに従ってくれたものを」
マルス・ジャストゥースは、まんまとラームジェルグから奪ってやった。後はキュリアスを得るのみなのだが、これが難航している。
「あいつは宮仕えが好きだからな」
「お前も元は宮仕えだっただろう」
「そうかもな」
「それはそうと、わしはこれでも一国の王ぞ。もう少し敬意をはらったらどうだ。貴様を相手にしておるとどうも調子が狂う」
「威張りたかったのか?」
「殴るぞ」
「やだね」
カークロスはもう一度キュリアスを睨むと、背もたれに身体を預けた。が、やはりキュリアスをからかわないと気が済まない。その方法は簡単である。
「やはりシャイラベルを嫁に出すかの」
カークロスの呟きに、キュリアスが色めきだった。声までは発しなかったものの、眼を見張り、前に一歩踏み出している。本人に自覚のない反応だと、カークロスは見抜いていた。
「スペリエントの王子辺りがちょうどよかろうて」
「ラームジェルグか…」
キュリアスの声は絞り出したかのような唸り声だった。分かりやすい奴だとカークロスは内心ほくそ笑んだ。そしてそういう反応を、本人が全く自覚していないことが、さらに面白いと思えた。
「まあ、娘の意向もあるからの。すぐにとはいかんが、ラームジェルグならば申し分あるまい」
カークロスはキュリアスが奥歯をかみしめ、何かに葛藤しているらしい様を楽しげに眺めた。この辺りで許してやるとするか。ひとしきりキュリアスの苦悩する姿を楽しんだ後で、胸の内で許しを与えた。
「それで、追われる身でありながら、ここに来たのは理由があるのだろう?」
キュリアスは何か用件があってここに訪ねてきたはずだ。カークロスはその用件を聞くつもりになった。
敵地であろうと、堂々と侵入し、己の任務を全うする、あるいは全うできるこの男のことを、カークロスは高く評価していた。
同時に呆れてもいる。わしが捕まえるとは露ほども思わなかったのか。いや、その身体能力故に、逃げ切る自信があるのだろう。
そしてキュリアスは類まれなる戦闘能力を有する。この能力は、一軍を預かる身として、是が非でも欲しい逸材である。
キュリアスは大事な娘、シャイラベルと親交がある。そこにつけ込んで、娘を餌にこの男を引き込む算段だったが、癪にも、断った。そのくせに、未だにシャイラベルの周りをうろつき、娘の嫁入りに難色を示す。不届き千万な奴だ。
「おい、聞いてるのか、おっさん」
「何だ?」
「だから、俺たちをはめたやつの狙いはシャイラベルじゃないかと疑っているんだ」
「娘が何かしたのか?」
「知らねぇよ。が、変なことに巻き込まれる前に、おっさんがシャイラベルを保護してくれ」
「いつものようにお前がウロチョロすればいいではないか」
カークロスは不貞腐れたように言った。
「おっさんがすねても気持ち悪いぜ。それと、俺、一応追われる身で」
「知っておる」
「そんなのがシャイラベルの周りをうろついていたら、なおのことまずいだろう」
「ここにおることもまずかろうの」
「ああ、はいはい。とにかく頼んだぜ」
「それで、貴様はどうするつもりだ?配下になるのならば、助けてやってもよいぞ」
「手出し無用。きっちり仕返ししてやるさ」
「ほう。はめられたと言ったが、相手は分かったのか?」
「いや」
「ま、貴様や、あの女のスキルを考えれば、時間の問題か」
「俺たちを捕まえないのか?」
「わしはな。だが、だからといって、自由にやってよいと許したわけではない。町を壊してくれるな」
「善処しよう」
「今度破壊したら、首を取りに行ってやる。いや待て。次に町を破壊したら、シャイラベルを嫁に出すとしよう」
キュリアスは返事の代わりに絶句した。面白い奴だ。カークロスはニヤついた顔でキュリアスを眺めた。
この後のカークロスは世間に非常と映るほどの処置を施した。理由を述べず、第二王女を軟禁したのだ。ただ、これで直接的にシャイラベルへ手を出せるものはいなくなった。
食事に対しての毒見役も付け、シャイラベルの護衛であるフラムクリス・アルゲンテースやその配下の者を近辺に配し、許可のない者は誰一人として近づけないようにしたのである。
市民に人気の高い第二王女の軟禁は、一月余りにわたって続いたため、カークロスは市民から反感を買うことになるのだが、カークロスは意に介さなかった。
カークロスは、一介の冒険者に過ぎないキュリアスの言葉を入れ、シャイラベルを守る最善の手を尽くした。それほどに、カークロスはキュリアスのことを信頼していたとも言える。
軟禁を始めるにあたって、カークロスはシャイラベルに事情を話した。とはいえ、先にキュリアスと話をしていたらしい娘は事情を察しており、一つ返事で軟禁を受け入れた。
娘がまるでキュリアスの言い分に従うように見え、カークロスは腹立たしく思った。
「お父様ったら。またそんな顔をして」
シャイラベルは困ったように言い、小さく微笑んだ。
「私のことを案じてくださるのは嬉しいのですが、過ぎたる思いは重荷になりましてよ」
「な、何の話をしておる」
カークロスは慌てた。シャイラベルは時々、フローラのような物言いをする。フローラの面影が、この子にも息づいていると思うと、嬉しくもあった。
フローラの面影を色濃く継いだのは、第一王女のイリーナだ。フローラほどではないものの、やや赤みがかった金髪は、神々しくもある。フローラのように切れ長の目をし、可愛らしい唇を持っている。
イリーナを見ると、カークロスは亡き妻フローラの若かりし頃を思い出し、つい抱きしめたくなるのだった。
以前に、そのことについてシャイラベルにたしなめられたことがある。
「お姉さまはお母さまではありませんよ」
至極当たり前のことだが、カークロスは内心を見透かされたようで動揺したものだ。その後に続いた言葉にも驚いたが、同意する気にはなれなかった。
「お母様の代わりとして見られては、不幸でございます。娘として愛してくださいませ。それと、お姉さまにも自らの幸せを掴む権利がございます。そろそろ殿方を見つけて差し上げなければ…」
「それは断じて許さん!」
「お父様ったら。お姉さまが結婚なされないと、私も嫁入ることができません。私の幸せのためにも、どうか」
「駄目だ!わしの愛娘を奪おうという不届き者はこの手で打ちのめしてくれる!」
「私たちを不幸になさるおつもりですか?」
静かに、そして怒りを内包した物言いに、カークロスは動揺したものだった。フローラもそうだった。普段大人しいくせに、一歩も譲らない主張をすることがあった。国王である俺に盾突くとは何事かと、威圧的に迫っても、フローラは動じなかった。シャイラベルも、動じないだろう。
どうしてこうも親に似るものなのか。手放したくなくなるではないか。カークロスは嬉しくもあり、寂しくもあった。いずれは娘たちを誰かの嫁にやらねばならない。
俺が認めた男にしかやらん。カークロスはそう思い詰めて、過去に名乗りを上げた貴族どもを追い返してきた。
イリーナが思いを寄せているらしいあの若造も、頼りなげでだめだ。カークロスは線の細い、若い貴族の息子を思い出し、強く拒絶した。
シャイラベルは暗にそのことを言っていた。が、カークロスも譲るわけにはいかない。ともすれば、最愛のフローラに見えてしまうイリーナを、誰が手放せようか。
愛娘に群がる害虫は退治してくれる。娘を守るのはわしの務めだ。そう思い詰めるからこそ、キュリアスの言葉を受け入れ、シャイラベルを保護した。
カークロスにとって、娘に言い寄る男どもも、陰謀に巻き込む輩も、同類でしかなかった。娘にかかる火の粉は、粉砕してくれる。
キュリアスは、カークロスも認める逸材だ。シャイラベルの相手として認めてやってもよい。が、素直にくれてやるつもりもなかった。
やはり、一戦交えて、俺に勝ったあかつきに、としてやろう。まだまだ誰にも負けるつもりはない。カークロスは意地悪い笑いを浮かべるのだった。
11
ローレンス・コプランドは報告を受け、西門へ急いだ。足早に進むと、汗がにじむ。もう夏と言っても過言ではない日差しで、胸当ての金属部分が熱を吸収して暑かった。
こういう時、貴族のたしなみというものは厄介だ。暑くても、涼しい顔で過ごさなければならない。額の汗を頻繁に拭い、何でもないふうを装って歩くのは、気力を消耗させる。
視界の隅に、鎧姿の三人組が横切った。別の所でも見かける。自宅待機を命じられたはずのジェラルド・ソルトン男爵は、自身が先頭に立ち、隊員総動員で、連日の捜索を続けていた。もちろん、探しているのはキュリアス・エイクードとマデリシア・ソングである。
あの二人がそう簡単に見つかるものか。ローレンスは内心そう思いながら、目障りな守備隊を見送った。
また別の隊が視界の隅に入ってくる。
「おや」
ローレンスは思わず立ち止まって見つめた。ジェラルドが直々に率いていた。ジェラルドを追いかけるように少年兵が付き従っている。鎧の重さに慣れておらず、かなりふらついていた。
「訓練兵まで駆り出したのか…」
ローレンスが呆れて見つめている前で、少年兵が派手に転んだ。ジェラルドは気付かないのか、さっさと先に進む。
鎧の重さに慣れるまでは散々転ぶ。自分もそうだったと、ローレンスは倒れた少年と過去の自分を重ね合わせていた。また、自分が騎士養成所の教官だった時代の教え子も思い浮かんだ。
ふと、影が動いたように見えた。少年兵が誰かの手を借りて起き上がった。教官時代にも、仲間に手を差し伸べる少女がいた。彼女は今、第二王女御付きの護衛で、白銀の騎士などと呼ばれている。
起き上がった少年の前にいるはずの人影が消えていた。物思いにふけっていた僅かな時間に路地を去っていったのだろうか。それでも背中くらいは見えるはずが、姿かたちすらない。ローレンスは不思議に思いつつも、急ぎの用件で西門へ向かっていたことを思い出し、歩き出した。
ローレンスは歩きながら、ここ二週間の出来事を思い返していた。きっかけは、先ほど見かけたジェラルドだ。彼はこの二週間、待機命令を無視し、守備隊員を総動員して町を捜索しているにもかかわらず、何の成果もあげていない。
ジェラルドの処分が重くなるだろうと、ローレンスは予測していた。対して、自分はこの二週間で成果を上げた。処分を見送ってもらった恩は、この成果で返せるだろう。いや、まだだ。そのためにも、西門へ急がなければならないと、ローレンスは足を速めた。
この二週間でローレンスは、ハロルド・ナハトマージ男爵の陰謀を証言したクロスボウ使いの尋問を終え、西国の鉱山送りにした。
その男は尋問に協力的だったが、最後まで本名だけは語らなかった。そしてその本名を調べだす間もなく、上からのお達しで鉱山送りとなった。
そのことがローレンスにとって心残りではある。細部まで調べつくせなかったことに、仕事を終えていないような感覚が、頭の隅に残り続けていた。
その男は取り調べで自ら、巷では姿無き射手と呼ばれていると語った。検分のため、クロスボウを撃たせてみると、的確に的の中心を射てみせる腕前だった。
男が自ら語った通りに、数人の貴族がクロスボウの矢によって亡くなっている事実も確認が取れた。男はそれらすべてがハロルドの指示だったと供述した。
ナハトマージ邸の使用人に話を聞いたところ、男を館で見たと証言する人物が複数現れた。中でも細身の初老の使用人が面通しの時におかしなそぶりを見せたので、これを捕らえて尋問すると、主人がクロスボウ使いを雇って敵対する貴族を殺害したと認めた。
ハロルドはその他にもいくつかの贈収賄が発覚したため、ハロルド自身の証言の信ぴょう性が失われた。最後まで、陰謀だ、事実無根だと訴えていたが、服毒を言い渡され、大人しく従った。
いや、大人しくはなかったのかもしれない。ローレンスはそう思った。ハロルドの最後には立ち会っていない。が、あれだけ罪を認めなかった男が素直に毒を煽って死んだとは思えない。おそらくは毒を持ってきた執行官に無理やり飲まされたのだ。
とにかく、ハロルドの死をもって、事件は解決した。表面上だけだ。ローレンスはどうしてもそう思ってしまう。
幕引きが早すぎた。ローレンスは事件の全容を見ていないと思っており、心が残ったままだった。上からの指示がなければ、今もまだ尋問と裏付け捜査を続けていたに違いない。
しかし、ハロルドは死に、実行犯の男は鉱山へ送られた。もはや手の出しようがなかった。
その矢先に、不穏な知らせが届いた。そのクロスボウ使いを護送した一隊が野盗に襲われたというのである。他に護送されていた人々は、ジェラルドが捕らえてきた浮浪者ばかりだ。どう考えても、クロスボウ使いの存在が野盗襲撃と絡んでいるように思えてならない。
護送団を野盗が襲っても何の意味もない。また、浮浪者を開放しても、同じく意味はない。が、クロスボウ使いを開放する目的だったとすれば、意味があるのではないか。
襲ったのは野盗などではなく、目的をもって襲ってきた一団なのではないかと疑われてならない。
襲われた護送団の生き残りが戻って来たとの知らせは、つい先ほど届いた。ローレンスは今頭に浮かんでいる疑惑の真偽を確認すべく、西門へ急いでいた。
それにしても、である。ローレンスは歩きながら、更に思いを巡らせていた。
ハロルド・ナハトマージ男爵が処分された後で、その罪の大半を証言した男など、何の価値もなくなったはずである。クロスボウ使いを開放する必要などないのだ。あまつさえ、誰かの意図が絡んでいたとしても、クロスボウ使いなど使い捨ての道具に過ぎない。助け出す必要など全くなかった。
それなのに、護送団が襲われたと聞いた時から、ローレンスはクロスボウ使いの開放が目的だと思えてならなかった。もしもこの何の根拠もない疑惑が正しかったとすると、裏には大きな何かが隠れ潜んでいることになる。
ハロルドの処分が早すぎた。そう思えた。すると、クロスボウ使いの鉱山送りも同様に早すぎる処遇だったと思えてならない。が、急いだのはこの襲撃のためだったのではないか。
それは陰謀説めいた、突拍子もない考えなのだが、ローレンスは色々な事柄が一点に集まっているように感じてならないのだった。
護送団の生き残りに会い、状況を聞き出せば、頭に浮かんでいる陰謀説は露と消えてしまうかもしれない。それはそれでいいのだ。ローレンスが無駄な思考に時間を割いただけで、なんの害もない。
しかし、もしも生き残りの話を聞いて、疑惑が増すようなことになると、事は重大事になりかねない。ハロルドは死に、クロスボウ使いが逃がされたとなると、調べようもなくなるが、裏にある何かの一端は掴めるはずだ。
石壁の角を曲がると、城壁が広がっていた。城壁との間に広い空間があって、そこを人々が道として利用している。
往来の隙間から、西門脇の城壁に、一人の男が寄りかかって座っているのが見えた。頭と顔に、赤黒く汚れた布を巻きつけていた。手足にも赤黒い布が見えた。まるで死体が横たわっているようにも見える。
ローレンスは西門へ進むと門番に声をかけた。
「守備隊所属、捜査部のローレンス・コプランドです」
門の番人は守備隊とは異なり、小手、胸当て、腰当て、脛当てといった部分鎧を身につけていた。その出で立ちは王都の外を守護する、王都守護隊のものである。
番兵はローレンスの用件を聞くまでもなく、横で壁に背中を預けて動かない男を指し示した。
ローレンスはご苦労さまと一言告げ、うずくまる男の脇に片膝をついた。
男が重そうに顔を上げる。生きているようだ。
ローレンスは名前と身分を名乗った。
「話はできるか?」
ローレンスの言葉に、男の首が小さく上下した。頷いたらしい。
「何があった?他の隊員は?護送対象はどうなった?」
「自分以外皆死にました」
男はか細い声で答えた。言葉を発すると傷に響く様子で、うめき声も混ざる。それでも、報告しなければとの使命感に支えられるのか、言葉を続けた。
「護送対象も一人を残して死にました」
「一人?」
ローレンスは根拠のない陰謀説が頭の中で渦巻くのを感じた。
男が死ななかった一人の特徴を述べた。ローレンスはすぐに、クロスボウ使いだと悟り、分かったと途中で止めた。
「その男は襲撃者に奪われたのだな?」
根拠のなかった陰謀説が、正しかったと思えた。裏付けるように、傷だらけの兵士は答えた。
「そうです」
ローレンスは考えを巡らせた。少しでも、捜査の手がかりとなる情報が欲しい。裏に隠れる陰謀を暴き出すには、情報が必要だ。
「襲撃者は何人だ?どのような奴らだった?」
「人数は…分かりません。あっという間のことで」
男は咽て言葉を詰まらせた。苦しそうに咳を繰り返す。そのたびに苦痛に顔を歪めた。苦痛に呻きながらも、咳が治まると話を続けた。
「襲撃者の中に恐ろしく腕の立つものがいました。我々は手も足も出ませんでした…」
男の眼に涙が浮かんでいた。
「そいつの特徴は?」
ローレンスは問うごとに胸が締め付けられた。無理に苦しむ相手から聞き出す必要はないではないかと思えてしまう。用意周到に襲われたはずだ。何の手がかりもないのではないか。質問を続けることで、傷ついた兵士を無駄にいたぶっているだけなのではないかと思えた。
だが、こういう情報には早く手を打たなければ、手遅れになることも多い。心を鬼にして、男に答えを促した。得るものが無いのなら、それが第一の手がかりとなるのだ。
「一人は、白髪の剣士で、顔は隠していました。一人は、同じく剣士で、こちらは顔を隠していませんでした。あの眼が…。あの眼が人を殺したんです。あの眼で見つめられたら、背筋が凍り付いて皆動けませんでした。あっちにいたかと思ったら、次の瞬間には目の前にいるんです。あんな動き、初めてみました」
「年恰好は分かるか?」
「白髪の方は中肉中背です。年は分かりかねます。もう一人は四十代、あるいは五十代かと。あの眼は一目でおかしいと分かります」
男の脳裏に恐怖が焼き付いている様子で、痛むはずの全身を震わせていた。上下の歯がカチカチと打ち震える。
これ以上は聞き出せないか。ローレンスはそう判じた。恐怖に心が折れ、詳細な姿を聞いても、その恐怖の象徴しか語れないだろう。
ローレンスは礼を言い、身体を休めろと言って立ち上がった。
ちょうど、番兵が手配した担架が運ばれてきたところだった。番兵が手を貸して、男を担架に乗せた。
「もう一人目立つ奴がいました」
立ち去りかけたローレンスに、傷だらけの男が言った。振り向くと、男は担架に横たわったまま、派手な服を着た男が格闘技で仲間を殴り倒していたと言った。
派手な服と聞いてピンとくるものがある。暗殺者に、派手な色の服を好む男がいると聞いたことがあった。あだ名もカラーだ。そしてそのカラーの得手も、格闘技だ。
「大変参考になった。身体を大事にな」
ローレンスは沸き起こる興奮を抑えるように、努めて静かに言った。歩き出すと、聞いた話を整理した。
襲撃者に救出されたクロスボウ使いは暗殺者だ。そして護送団を襲った中に、暗殺者カラーと思しき人物。まだ確証はないものの、暗殺者というつながりが出てきたと思えた。これは大きな手掛かりだ。
暗殺者が、捕まった暗殺者仲間を助けた。ありそうに思えるが、なさそうにも思える。暗殺者など、所詮は使い捨てのはずである。が、それをあえて助け出すということは、大きな裏があるに違いない。
誰かにとって、ハロルド・ナハトマージ男爵が邪魔になった。だから、ハロルドの罪を密告し、処断させた。クロスボウ使いはそのための工作員だったのではないか。ローレンスは突飛な考えだとは思いつつも、あながち間違いではないように思えた。
邪魔だからこそ、刑の執行も速やかに行われたのではないか。すると、そういう処断を下せるところに、この陰謀の主が隠れているのではないか。
巨悪の陰を見たように思える。
だが、この発想は巷ではやる陰謀論者と何も違わない。根拠もなく人を貶める陰謀説では、捜査の根幹にもなりはしない。
事実だけ見れば、暗殺者仲間が、捕らえられた仲間を救出したように見える。
いや、はやりその線はない。ローレンスは改めて否定した。暗殺者は使った人物にとって、ただの道具である。いらなくなったら処分するだけの話だ。そして、暗殺者同士の仲間意識があるとは思えない。依頼があれば、仲間同士でも殺し合うはずだ。そのような暗殺者たちが仲間意識を抱いているとは思えないし、仲間のために危険を冒すとは考えられなかった。
何らかの目的をもって、護送団は襲われた。結果から推測するに、その目的はクロスボウ使いだ。その背後には、護送団を襲わせた依頼主がいるはずだし、その依頼主がクロスボウ使いを必要としていたことになる。
頭の中で渦巻く陰謀論は衰えるどころか、ますます存在感を高めていた。
「俺も陰謀論者になれそうだ」
ローレンスは自虐的に呟いた。そばを歩いていた通行人が怪訝そうに振り向いていた。かまわず、自分の思考に没頭する。
あのクロスボウ使いは、暗殺者であるが、密告するための偽物だったのではないか。そう思ったとたんにローレンスの頭にひらめくものがあった。
「そうか。姿無き射手を語った偽物」
確信するように呟いた。証拠は何もない。だが、今まで誰にも姿を見られたことのない射手が、容易に捕まるはずはない。そして、捕まったとしても、自ら罪を告白する利点がまるでない。目撃されたことがないのだから、嫌疑を否定し続ければ、言い逃れられるのである。
ここが引っ掛かっていた部分なのだ。偽物だったとすれば、引っかかるも何もない。
偽物は、ハロルド・ナハトマージ男爵を貶めるために、自らの罪を告白する必要があった。そして、それは誰かに依頼されて行ったに違いない。その誰かとは、護送時に救出してもらう約束も取り付けていたのだ。
もちろん、クロスボウ使いが本物の姿無き射手で、ハロルドを貶めるために行動したということもあり得るが、姿無き射手が姿をさらす利点などない。デメリットばかりである。とすれば、別人と考えるのが妥当だった。
証拠は何もない、空想に過ぎない考えだが、すべてのつじつまが合うように思えた。その誰かには、ハロルドが邪魔になっていた。だけでなく、キュリアス・エイクードとマデリシア・ソングも排除しにかかった。ここに、その誰かの影がちらつくのではないか。ローレンスはさらに自分の考えに没頭した。
が、それ以上の考えを思いつかなかった。ただ、ハロルド・ナハトマージ男爵を邪魔に思う人物という手掛かりと、カラーという追うべき獲物を見つけたと、息巻く思いだった。
捜査部の詰め所に戻ると、ロッツ村へ派遣していた部下が戻っていた。ローレンスは旅の苦労をねぎらうと、すぐに報告を促した。彼らの報告は、バッテン準男爵の語った噂を証明するものだった。
つまり、トム・コリンズの告発は逆恨みで、ジェラルド・ソルトン男爵は冒険者を憎むあまり、トム・コリンズの仕返しに加担してしまっていることになる。ますますジェラルドの立場は悪くなる一方だった。
「ソルトン男爵に忠告すべきでしょうか」
部下の一人が言った。同じ守備隊に所属するために、仲間意識のようなものが働き、大きな失態に発展する前に止めようというのだ。
ローレンスも考えないではない。ただ、同じ男爵位にも関わらず、ジェラルドはローレンスを軽んじるところがある。捜査部が守備隊の一部で、その守備隊を預かるのは自分であると、ジェラルドは考え、まるで配下に対するようにローレンスを見ていた。
ローレンスに、ジェラルドに反発する感情があることも、即答できない理由の一つだった。
部下が怪訝な顔つきで顔を見合わせた。何か言わなければまずいと、ローレンスは口を開きかけた。
唐突に詰め所の扉が開かれた。ローレンスは口を開けたまま、入り口に姿を現した、見知らぬ少女を見つめた。
「ローレンス・コプランド男爵ってどの人?」
少女はぶっきらぼうに言い、部屋の中にいる人々の顔を順番に見た。
「私だ。失礼だが、あなたは?」
ローレンスがやっとの思いで声を出すと、少女は返事もせずに手に持っていた紙を突き出した。
ローレンスがその紙と少女の顔を見比べていると、少女はさらに突き出して紙をローレンスの手に押し付けた。
「確かに渡したわ」
少女はそう言うと、足音もさせずに去っていった。
廊下に追って出た。そこにあるはずの少女の背中はどこかに消えていた。
ローレンスは何かに化かされたのかと思い、思わず手のものを見た。紙も消えているのではないかと思えたのだ。どうやら手紙らしいものが、手の中にある。
ローレンスは手紙を広げてみた。思わず絶句してしまう。走り読みして、もう一度読み返す。
「隊長?何を笑っておられるのですか?」
「まさか、恋文ですか?」
部下たちが怪訝そうに言った。部下たちの顔がニヤついている。
ローレンスは自分でも、笑っていることに気付いていなかった。部下の指摘で初めて気づいた。
「これが笑わずにいられようか」
ローレンスは詰所に入ると、テーブルの上に荒っぽく手紙を広げた。
「見ろ」
ローレンスの言葉に、周りに部下が集まり、拝見しますと言って覗き込んだ。
「これは…」
「これが事実なら…!」
部下たちが口々に驚嘆の声を発した。何度か見返した後、やっと顔を上げる。
「この署名は…フラムクリス・アルゲンテース?何者ですか?」
「私の元教え子だ。彼女の情報であれば、まず間違いはない。皆で手分けして裏を取るぞ」
「忙しくなりますね!」
ローレンスは高揚した面持ちで言った。部下たちも飛び跳ねんばかりである。旅から戻ったばかりとは思えないほどに、活力にあふれていた。
ローレンスは手紙の情報を基に、捜査の段取りを指示した。これで二つ目の成果を上げることができる。そうなれば、捜査部の面目躍如を果たせるだろう。
先日の失態も、恩情を受けたということは、仕事を果たせということだと受け取って間違いないだろう。そういう意味でも、成果を上げれば上げるほどに、王や重鎮の想いに答えることにつながる。
一つ気になることは、この手紙にある情報が正しければ、テナクスナトラ派にとっては痛手になる。ローレンスに恩情をかけたルキウス・テナクスナトラに、恩を仇で返すことになるのではないかと懸念してしまう。
ただ、犯罪、不正を取り締まるのが、捜査部の本分だ。そこを曲げてまで恩を返すのは、筋違いに思えた。
「手心を加えることはできない」
ローレンスは自分に言い聞かせるように、口の中で呟いた。
ローレンスは他にも懸念を抱えていた。捜査部を立ち上げる前から追っていたとある貴族の不正。これについては、失った資料を再入手することができたものの、そこから先に進めていない。
キュリアス・エイクードとマデリシア・ソングの捜索は、ほぼ諦めている。自分たちの人数と力量では追えまいと理解していた。ただ、何もしないとなると、捜査部の名折れである。
また、スラム街での辻斬りについても、調べようにも手が足りなかった。手掛かりが乏しいこともあり、この件はほぼ放置状態である。
カウェ・カネム武具店の、暗殺斡旋疑惑についても、人出がなさ過ぎて調べられない。
そして、トム・コリンズも捕らえなければならない。
他にも小さな案件がいくつも上がっている。圧倒的に人手不足だ。
捜査部が仕事をしていない、無用な部署だと、王宮の貴族たちにささやかれでもすれば、ローレンスやその部下が路頭に迷うことになるだろう。
ローレンスは頭を抱える思いだったが、それでも、元教え子のもたらした情報は、飛びつきたくなるほどのものだった。これだけ大きな案件を解決すれば、捜査部の面目躍如である。やはり優先すべきはこれだと、ローレンスは覚悟を決めた。
だが、事態はローレンスの思惑通りにはいかず、すべてが停滞することになる。
12
次第に強さを増していく夏の日差しと、神経を逆なでするような蒸し暑さが訪れた。
この季節になるとセインプレイスの昼間は風の吹かない時間帯がある。蒸せるような暑さに、人々は町中から姿を消す。
少しでも量を感じようと、町の東側、スラム街の向こうに流れる川へ向かう人もいた。日差しを避け、家の開けられる場所をすべて開け放って過ごす人々もいた。
貴族や裕福な人々になると、家の窓や扉をすべて閉じてしまう。魔道具を利用して、家の中に冷気を作り出すのだ。
どちらにしろ、人々は町の往来から姿を消す。その暑いさなかに、町中をうろつく一団があった。全身鎧に身を固めた守備隊である。
守備隊の巡回が目立つようになって一ヶ月が経過していた。
日差しは金属の鎧を焼く。焼かれて兵士は汗を流し、鎧の中はさらに蒸し暑くなる。そして、一ヶ月に及ぶ捜査に進展がないため、徒労感にも襲われていたのだろう。守備隊は気温の上昇につれて、苛立ちをあらわにして言った。
守備隊の捜査とは、キュリアス・エイクード、マデリシア・ソング両名の捜索である。町にはいないだとか、スラム街に潜伏しているだとか、はたまた、他の町へ行ったなどと噂もあった。だが、守備隊は二人が町に潜伏していると確信しているのか、執拗に町中を大挙して巡回し続けていた。
苛立つ守備隊の捜索は次第に荒くなっていった。
往来を遮ることも平気で行ったし、日差しを避けてフードをかぶっている人を見かけると、強引にフードをはがして肩を掴んだ。間違いと分かっても、詫びの一言すらなかった。逆に睨み付け、押し倒すほどであった。
店に客が集まっていると、無遠慮に押し入り、罪人を匿っていないかと大声を出した。初めのうちはその程度で済んでいたが、次第に守備隊は店の奥へ勝手に上がり込むようになった。
奥に隠しているとの因縁をつけているのだ。店員が阻止しようとしてもかまわず踏み込み、店の中や奥を散々土足で荒らしまわって去っていく。
守備隊は民家へも押し入るようになった。捜査の一言ですべてが許されると考えているのか、土足で踏み込み、家探しを繰り返した。
それも一度ではない。同じ家や店に、別の守備隊が現れると、また土足で踏み込んでくるのである。
守備隊の暴挙は口々に、瞬く間に広まった。門を閉ざし、店を閉めるところも出た。ところが、守備隊は閉ざされた門や入り口を蹴破ってまで侵入し、捜索を繰り返した。
守備隊の横暴を見かね、行動を起こした人々がいた。冒険者である。
冒険者は守備隊に目の敵にされてきた。事あるごとに、守備隊に散々いたぶられてきた。不満をため込んでいた冒険者たちは、守備隊の横暴を見て、反撃の大義名分を得たのだ。住民を守るという大義名分である。
冒険者は守備隊の横暴に遭い、困り果てている人々を見かけると、間に割り込み、守備隊を追い返した。
「守備隊だからって、そりゃ横暴ってもんだぜ」
「皆さんがお困りだ」
「町を守るどころか、乱しているわ!」
冒険者たちは相手を嘲笑った。挑発も含まれていたからだ。冒険者たちも苛立ちを募らせていた。
キュリアス・エイクードとマデリシア・ソングをかくまっていないかと、執拗に責められ、荷物をひっくり返されてきた恨みを、住人を守るという正義の名のもとに、晴らそうとしていたのだ。
冒険者たちは憂さを晴らすためでもあるので、苛立った守備隊をあおり、武力に訴えさせた。先に仕掛けさせたうえで、やり返すのだ。
次第に、守備隊と冒険者は出合うと争うようになった。
守備隊が横暴を繰り返す陰で、犯罪が急増していた。守備隊の眼が犯罪に向かず、キュリアスとマデリシアの捜索に専念していたためだ。
犯罪者たちはそれと気づくと、平然と犯行に及ぶようになった。泥棒が増え、喧嘩、騒動、痴漢に人さらいまで発生した。
それでも守備隊はガラの悪い人々を無視し、家探しと、冒険者との衝突を繰り返した。
教え子からの貴重な情報を得て捜査に乗り出したローレンス・コプランドたち捜査部も、捜査どころではなくなっていた。守備隊のトラブルの後始末に追われていたのだ。ただ、少人数過ぎて、処理しきれなかった。
事態を重く見た国は守備隊の長、ジェラルド・ソルトン男爵への待機命令を撤回し、代わりに謹慎処分とした。
しかし、ジェラルドは自らの正義を振りかざし、処分に従わなかった。治安を乱すのは冒険者で、彼らを取り締まらない限り事態は収まらないと主張し、行動したのである。
歯止めがきかないとなると、国は対応に苦慮する。守備隊と冒険者との喧嘩に、まさか軍を導入するわけにもいかず、また、各貴族の私兵を駆り出すわけにもいかなかった。
王都で、軍事騒ぎにまで発展すれば、対外的に国の威信が失墜する。住民からの信頼も失いかねない。が、放置しても、住民の信頼を失う。
国は苦肉の策で、元守備隊長であり、現王都守護の任を受けているアナベルト・サーカム男爵に事態の収拾を依頼した。
アナベルト・サーカムは町の外敵に対する守備を預かっている。町を囲む城壁の番兵や、町へ迫ったモンスターの討伐を担う兵士の長だった。常時兵士を多数抱えており、すぐに動ける部隊でもあった。それ故に、適任者と目された。
アナベルト・サーカム一党の乱入で一時は事態が沈静化するかに見えた。だが、ジェラルドは町内部の守護は自分の務めだと食って掛かり、守備隊と王都守護隊との衝突が過激化するに至って、さらなる混乱を招くことになった。
町の住民は守備隊や王都守護隊、冒険者の争いに巻き込まれないように、身を潜め外出を控えるようになった。そして、事態の収拾を、国王、カークロス・ハートや、住民に人気の高いシャイラベル・ハートに託すようになる。
それは風に乗ったように広まり、大きな唸りとなって、王宮を包んだ。カークロスは噂を聞きつけると、単身町へ繰り出そうとする。
「俺があの馬鹿どもの根性を叩きなおしてやる!」
「陛下、お待ちを!」
「なりません!陛下!」
重鎮がカークロスの両脇を抱えても、引きずられてしまう。
「このような事態まで陛下御自ら手を下さねばならないのかと、他国から我らが笑われてしまいます。どうか、今一度我らにお任せあれ」
それでも止まらなかったカークロスに対し、ルキウス・テナクスナトラ侯爵は静かに言った。
「ああ申しております。ここは家臣に手柄を上げさせてください。が、それでも収まらない時は、陛下のその剣を持って、住民をお守りくださいませ」
しわだらけのルキウスが静かにカークロスを見つめると、国王は両腕にしがみつく重鎮を振り解き、玉座へ戻った。
「ルキウス。次はないぞ」
「承知しております」
だが、重鎮たちに次の手立てがあったわけではない。このままではルキウス・テナクスナトラが窮地に立たされると、彼を慕う貴族たちは事態の収拾に全身全霊をつぎ込んだ。
ルキウス・テナクスナトラと敵対する派閥は、相手を蹴落とすいい機会だと、ことあるごとに提案を否定し、テナクスナトラ派の失墜を願った。
一方のシャイラベルは軟禁状態にあるため、外に出ることができなかった。派閥争いに関係なく動ける権力者が、キュリアスとカークロスの判断によって、身動き取れずにいた。
「ソルトンの石頭め…!」
事態の悪化に頭を悩ませたアナベルト・サーカム男爵は守備隊の長を罵った。が、彼はジェラルドほど自分の正義を押し通そうとはしなかった。
「守備隊を押さえるには、キュリアス・エイクードなる冒険者の身柄が必要だ。遠くへ逃げたとの報告はない。であれば、スラム街に潜んでいる。なんとしても見つけ出せ!」
配下の一部をスラム街へ派遣し、徹底的な捜索を行わせた。だが、成果は得られなかった。
「すべての元凶はキュリアス・エイクードだ!奴を見つけ出せ!逃がすな!」
日々声を荒げ、アナベルト自身もスラム街へ入って捜索を行った。
夏になって久しぶりに強い雨が降った。雨が町の混乱を落ち着かせた。が、次の日には元の混乱に戻る。
アナベルトの必死の捜索や、執拗な守備隊の巡回にもかかわらず、キュリアス・エイクードとマデリシア・ソングは発見されなかった。
彼らはじっと潜伏していたのかというと、そうでもない。のうのうと町中を闊歩していた。
昼に夜にかまわず、キュリアスもマデリシアも町中を移動した。キュリアスは人の気配を察知できる。なので、守備隊や王都守護隊の眼をかわすのは、簡単なことだった。
ある日には、ジェラルドとともに行動する少年兵を助け起こしたほど、堂々と町中にいた。そのキュリアスが助け起こした少年兵は、潜入捜査を行っていたクリス・ディズマであった。
マデリシアも隠密行動に長けている。さすがに日中の行動は慎重に慎重を重ねなければならなかったが、幸いに、守備隊の眼に留まることはなかった。
世間の騒動を他所に、キュリアスたち以外にも暗躍する人々がいた。
暗殺者のカラーは冒険者のふりをして守備隊を襲い、騒動に油を注いだ。この件が発端となって、守備隊と冒険者の間で暴力沙汰に発展していったのである。
カラーはもちろん指示を受けての行動だった。しかし、身体を動かすことが好きなカラーは自ら率先して守備隊に襲いかかったようでもある。もちろん、指示を守り、背後から襲って姿を見られないように配慮していた。
姿無き射手として、一度は捕まった男も、カラーと同様に、守備隊を襲った。クロスボウの狙撃で守備隊に被害を与えたのだ。
ケガ人の出た守備隊はさらに使命感に燃え、冒険者へ復讐するようになる。問答無用に殴りつけられた冒険者も、黙って殴られるわけではない。反撃は反撃を呼び、武器を取り合って争うようになっていった。
その中にカラーや偽の姿無き射手の被害者が紛れ続けた。
「ちょろいもんだぜ」
カラーは足元に転ぶ兵士を見下ろして笑った。
「もうちっとは歯ごたえないと、身体がなまっちまう」
その日もカラーは守備隊を背後から襲い、相手が昏倒するまで殴りつけた。背後から殴りつけるせいか、一発か二発で昏倒する相手が多すぎて、物足りなかった。
その背後で影が動いた。カラーは気付いていない。
「では俺が相手してやろう」
突然の声に、カラーは飛び跳ねるように振り向いた。振り向いた時にはすでに影が肉薄し、カラーの顔面に拳を打ち込んでいた。
カラーはさすがに格闘技の達人だった。後方へ飛んでダメージを軽減すると、すぐに身構えた。
カラーの鼻から血が滴る。だが、カラーは自身の血を気にしている余裕などなかった。影が左から迫っていた。
さっと後ろに下がる。
カラーは反撃を考えて、僅かに下がっただけだった。だが、それが甘かった。避けたはずの影がカラーの顎をかすめ、足元の力が抜ける。思わず手をついて、倒れるのを防いだ。
続けざまに反対側から影が迫った。カラーは避けられないと悟った。見上げた先に、影の中に顔だけがあった。キュリアスのそれなのだが、カラーにとっては知らない顔だった。
次の瞬間、カラーは右の後頭部から首にかけて重い蹴りを受け、意識を失った。
「他愛のない奴だ」
キュリアスは用意していたロープでカラーを縛り上げ、さらにカラーの両手の親指を紐で結びつけた。
そして手早く肩に担ぎ上げると、逃げ去った。別の守備隊の巡回が迫っていたからだ。
人を抱えてなお、そこかしこにいる守備隊に見咎められずに移動するキュリアスであった。
別の場所ではマデリシアが、塀の影からクロスボウを撃っている男を眺めていた。情報ギルドから仕入れた人相から、この男が護送中に逃げ出した姿無き射手だと分かっている。
間違いないわねと確認したうえで、マデリシアは音もなく男の背後に移動し、用意しておいた魔法薬を男に浴びせた。すぐに魔法薬の効果が現れ、男はこと切れたように意識を失った。
「あ、どうしよう。これ、運ばなきゃダメ?」
マデリシアは倒れた男を見て、嘆いた。もちろん返事などない。
「ああもう。エッジと一緒にやるんだったわ」
マデリシアはぼやきながらも、男を縛り上げ、苦労して担ぎ上げた。
人を抱えて町中を移動するとなると、なかなか隠密行動とはいかない。何とか守備隊との遭遇は避けたものの、冒険者仲間には目撃された。
冒険者たちはマデリシアを訝しそうに見たものの、そのまま素通りしていった。彼らは守備隊を探してうろついており、マデリシアなどどうでもよかったのだ。
マデリシアはそれ以外にも、町の住民にばったり出くわしてしまう。が、マデリシアはここでも運良く、何事もなく通過できた。
マデリシアを目撃したのはルーベンス・シュレイダーとマリア・ケイソンだった。二人、特にルーベンスはマデリシアを知っており、守備隊の言い分が間違っているのではと考えていたために、マデリシアを突き出すようなことはしなかった。
二人がマデリシアを命の恩人と崇めていることも、大きく影響していた。
フランシス・バーグが同業者を暗殺しようとして失敗し、最後にはその同業者の息子、娘をさらった騒動があった。その息子がルーベンスであり、娘がマリアだった。そして、その事件を解決したのが、マデリシアであり、キュリアスである。
「僕は何も見てませんよ」
ルーベンスはそう言って、マデリシアに背を向け、通りを塞ぐように立った。
「お気を付けてください」
マリアもそう言うと、ルーベンスの隣に立ち、マデリシアが通りを横断するまで壁役に徹した。
「あんがと」
マデリシアは大汗を流しながら、絞り出すように礼を言って立ち去った。背中の男を投げ出せばこんな苦労をしなくて済むのにと、何度もぼやきながらではあるが。
マデリシアがセインプレイスの南東部にある小さな空き家にたどり着くと、キュリアスは既に戻っており、外まで出てきて、マデリシアの背中から男を受け取った。
「あー重かった!」
マデリシアはそう言いながら空き家に入った。暑い暑いと言いながら、服の胸元を広げては閉じ、風を生み出そうとしていた。
「こいつが姿無き射手か?」
キュリアスはマデリシアが運んできた男の顔を覗き込んだ。カラーの隣に放り投げ、もう一度覗き込む。
「どったの?」
「どうも違う気がするな」
「なにが?」
「なんというか、雰囲気、か?俺は一度狙撃されたことがある。実際に撃ってもらわなきゃ何とも言えんが、何か違う気がするな」
答えるキュリアスはどうしたことか、マデリシアの方を見ようとはしなかった。胸元をつまんで広げているからかもしれない。
いつもなら、胸元を広げたまま、キュリアスの視界に移動してみるのも面白いと考えるのだが、マデリシアは動きたくなかった。足が疲れている。そして、暑すぎる。
「ふーん」
マデリシアは額の汗をぬぐいながら気のない返事をした。ふと、先ほど男を捕らえた時の状況が脳裏によぎった。男は至近距離の守備隊を、物陰から狙っていたのだ。
そのことをマデリシアはキュリアスに教えた。するとキュリアスは即座に、違うな、と答えた。
「何だぁ。偽物かぁ」
マデリシアは少し残念に思えた。姿無き射手を見れたと思っていたのに違ったとなると、それはそれで面白くない。
キュリアスが横たわる二人に猿ぐつわをかませていた。
「尋問しなくていいの?」
「必要ないだろ。こいつらがカウェ・カネムの手先だと分かっているんだ」
「証拠はないわよ」
「そいつは人に任せればいい」
キュリアスの言う「人に」とは、ローレンスのことだろうと、マデリシアもすぐに察した。確かに面倒な捜査は、任せればいい。
「んじゃ、あたしたちは、親玉をとっちめてやろうかしら」
調べなくても、相手が悪人だと分かっている。煩わしい捜査を省いて、親玉を叩けば解決だ。
「すんなり手が届けば、な」
キュリアスが意味ありげに呟いた。マデリシアにもすぐに意味が理解できた。
「ああ。サム・ガゼルだっけ?あの怖い人がいるんだったわ」
キュリアスはそのサムとの邂逅を望んでいる。狂人となったサムを、その手で開放してやりたいようだ。マデリシアには関わりたくない事柄だが、キュリアスのその気持ちを阻害するつもりもない。
「俺はサムとやり合うことになる。いや、やらなきゃならん」
キュリアスは自分の気持ちを確かなものにするように、呟いた。
「そ。じゃ、あたしが親玉を捕まえるわ」
「サム以外にも使い手を抱えているようだ。最悪、手が出せずにとり逃すかもしれない」
「深追いはしないわよ」
「ああ。マディでも手に余るのが、少なくともあと二人いる」
「二人?一人なら、あの、ほら、白髪だっけ?」
「そうだ」
「もう一人は?」
「姿無き射手」
「ああ。こいつが偽物なら、本物のクロスボウ使いが出てくるってことね」
マデリシアはそう言った後、思い出したことがあった。
「そう言えば、ディズマ兄弟にお兄さんがいるんだって」
「急になんだ?」
「そのお兄さん、クロスボウの腕前がすごかったって」
「まさか」
キュリアスは足元の男を見た。男は三十代後半に見える。クリスやルーイットと似たところは見受けられなかった。
「違うと思うわ。歳が離れすぎだし、似てるところないし」
「まさか、姿無き射手だというんじゃないだろうな」
「ローグは惚れたよしみで、色眼鏡で見てたみたいだからねぇ。言うほど凄腕ではないかも。今は何かの仕事をして、兄弟に仕送りしてきてるんだって」
「そうか」
キュリアスは興味を失ったように答えた。
「クロスボウ使いつながりで思い出しただけ」
マデリシアは言い訳するように呟いて、話を打ち切った。
「じゃ、ここのことをコプランド男爵に知らせればいいわね」
「ああ。俺たちはもうしばらく身を隠して時期を待とう」
「了解」
キュリアスとマデリシアは頷き合うと、空き家を後にした。
13
その空き家は飲み屋街の一角にあった。半年前まで、夫婦が営む店で、酒と食事を出していた。しかし、半年前に妻が病気で亡くなると料理の質が落ち、一気に客離れを起こした。
妻を失った悲しみと、無情にも離れて行く常連たちに対する失望を抱え、借金で首の回らなくなった夫は、妻を追うように首をくくった。
自殺の現場ということもあって、後に入るあてのないまま、放置された空き店舗だった。
平屋で、奥に長い。調理場とカウンター、その後ろに三席のテーブル席があるだけのこじんまりした店だった。
今はテーブルなどの調度品はなく、閑散としていた。明かりもなく、外の日が落ちるに合わせて、店内は薄暗くなった。その床に、派手な服の男と小柄な男が縛られて転がっている。
二人の間を、手ごろな住処を荒らされて右往左往していた蜘蛛が歩いている。警戒するようにあたりの様子を窺い、崩された巣の様子を確認する。
何かしらの危険を察知したのか、蜘蛛が物陰へ逃げ込む。
扉が開いた。
全身を金属の鎧に身を包んだ三人の兵士が入ってくる。守備隊の兵士である。彼らはたまたま、この空き家に踏み込んだ。キュリアスとマデリシアがここに潜んでいないかと、探りを入れたのだ。
「ここはこの前も見ましたよ」
一人が何もないと言いたげに呟いた。
「姑息に逃げ回っている奴が一所に隠れているとも限るまい」
一人はそう言って、何度でも見る価値はあると主張した。この度は、この主張が正しかったことが証明される。
「おい、何かあるぞ!」
三人目が奥に駆け込んだ。二人も後を追う。
三人の兵士は縛られて倒れている二人の男を発見した。一人は体格のいい男で、派手な色の服を着ている。一人は中肉中背なのだが、隣の派手な男が大きいために、小柄に見えた。
縛られた二人はともに眠っているようだった。
「おい!」
兵士が二人の男を揺さぶった。すると、派手な服の男がうめき声を上げた。まぶたが揺れ動き、ゆっくりと開かれる。
「おい!しっかりしろ!」
兵士の声に、男の目が見開かれた。兵士はすぐに猿ぐつわを外した。
「大丈夫か?いったい何があった?」
派手な服の男は身体を起こそうとして失敗した。縛られていては起き上がることもできない。
「待っていろ。今解く」
兵士の一人が剣を抜き放ち、派手な男を縛っていたロープを切った。
派手な男が身体を起こす。だが、後ろ手に親指同士が結ばれており、手を使うことができなかった。
「待て待て。今は外してやる」
別の兵士が気をきかせて派手な服の男の背後に回り、親指を結び付けていた紐をほどいてやった。
兵士たちは感謝され、事情を聞かされるものと考えていたのだろう。中腰で派手な男の様子を窺っていた。
派手な服の男は首をさすりながら頭を左右に振った。頭や首へのダメージは問題なさそうだと確認したのだろう。ゆっくりと立ち上がると、兵士たちに笑いかけた。
次の瞬間に、派手な服の男は目の前の兵士一人を殴り飛ばしていた。兵士の身体はカウンターを押し倒し、細長い、元調理場に直撃した。
「貴様!何をする!」
残りの兵士が立ち上がり、剣を抜いて身構えた。
派手な服の男、暗殺者のカラーは自身の拳の感触を確かめると、不敵に笑った。
「何をするって?ただの八つ当たりだ」
カラーはそう言って、別の兵士を殴り飛ばした。その兵士は表の扉を突き破って飛びだしていった。
カラーにとって、それは不運を呼び込むことになる。
破壊された入り口から別の兵士がなだれ込んできた。胸当て、脛当てを付けた兵士二人と、マントをつけた指揮官らしき男が、素早く室内を確認した。三人とも剣の柄に手を当て、身構えている。
カラーに斬りかかろうとしていた全身鎧の兵士が振り向き、切っ先を泳がせた。
「王都守護隊がこんなところに何の用だ!」
兵士は入り口に向かって叫びながらも、カラーに対しても警戒しようとして、滑稽なほどに、入り口と奥とに身体の向きを変え続けた。
王都守護隊のマントをつけた男は中の状況を把握すると、おもむろに剣を抜き放った。
「守備隊は何も分かっておらんようだ」
その言葉に呼応するように、王都守護隊の残りの兵士が抜刀した。
「そこにいる男はカラーと言って、危険人物だ」
「黙れ!王都内は守備隊の管轄だ!」
「貴様!誰に向かって物を言っている!」
王都守護隊の兵士が叫んだ。
「王都守護アナベルト・サーカム男爵様であるぞ!」
言い募る兵士を、マントの男が片手で制した。
「ごちゃごちゃとうるさい!まとめて俺の拳の餌食にしてやるからかかって来い!」
カラーは言うが早いか、間に立つ守備隊の兵士を殴り飛ばした。
その勢いのままにカラーは王都守護隊の兵士にも殴り掛かった。だが、その寸前で足が絡まって倒れる。
いつの間にか、アナベルトがカラーの背後に立っていた。剣を振ると刀身に付着した血が飛び散る。カラーを一刀のもとに斬り捨てたのだ。
アナベルトは奥に縛られて転がる男に一瞥くれると、抜身の剣を下げたまま、その男の傍へ向かった。
入り口が騒がしくなる。
外に弾き飛ばされた兵士を見つけて、守備隊の兵士が現れていた。三人一組で、複数の組が次々と集まってくる。
守備隊の一組が何か叫びながら入ってくると、倒れた仲間に駆け寄った。別の一組がアナベルトの傍に横たわっている、縛られた男を囲んだ。
「ここは我ら守備隊の領分です!お引き取り願います」
一人がアナベルトに向かって言った。守備隊の兵士たちが一様に、王都守護隊を警戒し、剣の柄に手を置いていた。
「貴様らでは処理しきれまい。どれ、ここは我が取り仕切ろう」
アナベルトは鷹揚に言うと、守備隊を押しのけ、縛られた男に手を伸ばした。
守備隊の兵士がその間に身体を入れて阻止した。
「そこをどけ」
「どきません!」
「貴様、誰に無礼を働いているのか分かっておろうな」
「貴方様は外。内は我々の領分です!」
兵士は額に汗を垂らしながらも、譲らなかった。
「おやおや。何か面白そうなことになってやがる」
面白がる声が響き、兵士たちが声の方を向いた。
いつの間にか、入り口の守備隊の間に冒険者と思しき人々が紛れ込んでいた。その中に、頭髪が白く染まった初老の男がおり、ずけずけと奥に向かって歩いた。
白髪の男、ジャック・クリント・ヤングは縛られた男に一瞥をくれると、アナベルトとその彼と言い争っていた兵士を等分に眺めた。
「貴様ら冒険者に出る幕などない!出て行け!」
守備隊の誰かが叫ぶ。同時に剣も抜き放った。すると、次々と抜刀していく。警戒するように、王都守護隊の兵士も剣を構えなおした。
答えるように冒険者たちも武器を掲げ、不敵な笑みを浮かべて近くの兵士を威嚇した。
「オールド・ヤング。こいつらの獲物はそこのか?かまうこたぁない。奪っちまおうぜ」
ジャックも心得たもので、素早く縛られた男に駆け寄ると、さっと掴み上げた。初老とは思えない腕力と敏捷さで、アナベルトも守備隊の兵士も反応できなかった。
「待て!」
「何をする!」
守備隊や王都守護隊が口々に何かを叫び、騒然となる。叫ぶだけではなく、守備隊の兵士たちは狭い建物の中で、冒険者に向かって剣を振った。
空を斬り裂く音。
壁に当たる鈍い音。
鉄と鉄がぶつかり合う音。
人々が入り乱れ、乱雑に踏み荒らしていく。その中を、ジャックは男を担いで素早く表へ出た。
ジャックの後を追って兵士たちも雪崩出る。行く手を阻もうとした冒険者を押し倒したり、逆に押し戻されたりする兵士もいたが、圧倒的な数の差が出た。
表の通りは既に闇のとばりがおり始め、薄暗かった。近くの店に入ろうとしていた客が、騒動に気付いて逃げだした。その客に気付いて慌てて逃げる通行人たち。店の中から様子を窺ったものもいたが、すぐに扉を固く締めていた。
騒動が騒動を呼ぶ。
守備隊の兵士が次から次へと集まってくる。そこへ王都守護隊も加わり、冒険者もつられるようになだれ込んだ。
剣を抜き放ち、小競り合いしている仲間を助太刀しようと、後から来た兵士や冒険者が踏み込んでいく。
乱戦状態の戦場と化していた。
大騒ぎになった現場へ、ローレンス・コプランド男爵が到着した。
戦場さながらの立ち回りが繰り広げられている。幸か不幸か、皆、相手を殺そうとはしていないがために、死人は出ていない様子だったが、これだけ武器を振り回していれば、死人が出るのも時間の問題と見えた。
白髪の男が縛られた男を背負い、戦場を駆けている。それを追うように、守備隊と王都守護隊がいた。
「アナベルト・サーカム男爵までいるのか…」
ローレンスは呟くように言った。
「なんでこうなった」
言いながらも、状況を把握しようと辺りを見渡していた。ついてきた部下には前へ出るなと、手で合図した。
「らちが明かないな」
眺めても、状況は理解できない。ただ、白髪の男が抱えているものが、マデリシア・ソングの投書に合った人物であるようにも思えた。その縛られた人物を手に入れる必要がある。そして、守備隊も王都守護隊も、その縛られた男を追いかけている。
争奪戦に割り込み、奪取しなければ、せっかく知らせてもらった意味を失ってしまう。マデリシアの投書が事実であれば、あれはおそらく先日尋問した男だ。ローレンスは何としても奪わなければと決意した。
ローレンスは胸当てを外すと部下の一人に渡した。
「私は冒険者に紛れてあれを奪えるかやってみる」
ローレンスは顎で、白髪の男が抱えているものを差した。
「お前は先に本部へ戻れ」
自分の鎧を預けた部下に指示すると、残りの部下には別の指示を与えた。
「お前たちは目的の建物へ行って様子を見てきてくれ。いいか。争いには加わるな」
ローレンスは念を押した。答えるように、部下が短い声を発した。
ローレンスは頷くと、頼んだと一言おいて、騒動の中へ飛び込んだ。
守備隊も王都守護隊もそして冒険者も、見境なく、手直な動くものに襲いかかっていた。騒動に加わるなと言っても、避けることは難しかった。
ローレンスは抜刀ざまに迫りくる剣を弾き、駆け抜けた。部下の様子に気を配っている余裕などなかった。抜けた先にも白刃が舞っている。
ローレンスは倒れ込みながら何とかかわすと、地面を転がって体勢を立て直し、素早く起き上がった。鎧を身にまとっていては、このような動きなどできなかっただろう。脱いで正解だったとローレンスは自分の読みの良さに気をよくしていた。
冒険者に紛れるために鎧を外したのだが、それが違う意味で役に立った。
ローレンスの思惑が当たったのか、冒険者に襲われることは少なかった。駆け込んだ先が冒険者の振る武器の軌道上だったことが何度かあった程度だ。冷や汗を流しながら、何とか避け続けている。
逆に、同じ守備隊であるはずの兵士からは、狙い撃つように攻撃された。が、相手は全身鎧に身を包んでいる。動きが鈍く、比較的足元がおろそかになっていた。
結果、ローレンスは石畳の路地を転がることが多くなり、気付いた時には衣服のあちこちが破れていた。
片膝ついて、乱れた呼吸を整えていたローレンスの目の前を、白髪の男が駆け抜けた。続いてアナベルトがマントを翻して通り過ぎ、さらに遅れて兵士が重い足取りで追っていった。追っている兵士の数が減っているように見えた。
兵士のうち何人かは息が切れ、近くの壁に寄りかかって休んでいた。無情にも、冒険者はその休息をとる兵士にも襲い掛かって殴り倒していた。
ローレンスは立ち上がると、白髪の男を追った。
白髪の男の前に、ジェラルド・ソルトン男爵が現れた。ジェラルドは問答無用に白髪の冒険者に斬りかかった。肩の荷ももろとも斬るつもりのようだ。
白髪の男は咄嗟に肩の荷を投げ出し、石畳に転がって白刃を避けた。
アナベルトと、まだ体力の残っていた守備隊の兵士が、縛られた男に迫る。
一歩早く、別の冒険者が横から駆け込んでかっさらった。しかし、その冒険者も守備隊の剣を胸に受けて倒れた。革鎧か何かを身に着けていたようで、切断されるようなことはなかったが、不意をつかれ、もんどりうって倒れた。
縛られた男が宙を舞う。この状況でもその男は眠り続けているようだった。石畳に落ちても起きないところをみると、尋常ではないことが窺えた。
ジェラルドは手あたり次第に冒険者を斬りつけていた。縛られた男の争奪戦には加わらず、忌み嫌う冒険者の排除に全力を傾けていた。
守備隊の兵士が運良く、縛られた男を確保した。が、次の瞬間には冒険者に押し倒されていた。
転がった、縛られた男に、アナベルトの剣が迫った。ロープを斬るつもりなのか、はたまた、奪えないのならば殺してしまえとでもいうのか、かなり乱暴な挙動である。
間一髪でローレンスはその剣の軌道上に滑り込み、自身の剣で受け止めた。が、その間に冒険者が縛られた男をさらっていく。
アナベルトはローレンスに見向きもせず、後を追っていった。すでに余裕がなくなっているのだろう。同じ男爵位のローレンスを目の前にしても、気付かなかったようだ。
冒険者に守備隊の兵士が殺到する。その近くまでローレンスも駆け込んだが、全身鎧の兵士が邪魔で、冒険者の傍へは進めなかった。
「パス!」
冒険者が何か叫んだかと思うと、守備隊の兵士の頭上を何かが飛んだ。ローレンスは思わず見とれた。自分に迫ってくる影が何なのか、一瞬では理解できない。
それが縛られた男だとぶつかる寸前に気付き、ローレンスは肩を当てるようにして抱き留めた。そしてわき目もふらずに駆け出す。
ローレンスの進路を塞ぐように王都守護隊の兵士が立った。その兵士を、守備隊の兵士が蹴散らす。さらに冒険者が割り込んで、ローレンスが駆け抜けられる隙間を作り出した。
ローレンスは遠慮なくその隙間を駆け抜けた。後方で叫び声が上がる。冒険者たちがローレンスのことを仲間と勘違いしてくれたようだ。
後方に風切り音が迫る度に、激しく打ち合う音に変わって遠ざかった。
息が切れて、立ち止まりたくて仕方なくなる。が、止まれば、せっかく渡してもらえた男を奪われてしまう。
汗が眼に入り、視界がぼやける。だが、ローレンスには汗をぬぐう余裕すらなかった。
ただやみくもに、路地を走り続けた。
足が鉛のように重くなっていく。次第に足が上がらなくなり、自分の足音が短い間隔で響いた。爪先が何かに引っかかり、前へのめると、石畳に転がった。
呼吸が乱れ、全身が重い。すぐに起き上がらねばと思っても、身体が動かなかった。早く逃げないと、また奪われてしまう。そう思う一方で、頬に触れる石畳が冷たくて心地いい。返って動きたくなくなる心地だった。
自分の荒い呼吸音しか耳に入らない。追手が迫っているのかどうかも分からなかった。
早く逃げなければ。ローレンスはそう思って身体を動かそうとしても、それは自分の身体ではないと言いたげに、重く横たわっていた。焦る気持ちとは裏腹に、身体は石畳の冷たさに張り付き、梃子でも動かないそぶりだった。
自分の呼吸しか聞こえないことで、かえって不安が増す。もうすっかり取り囲まれ、男は奪われたのではないだろうか。疲労困憊で、それが分からないだけではないのかと、ローレンスの不安は増す一方だった。
辺りはすっかり闇に閉ざされ、目の前の石畳もぼんやりと、それと分かる程度である。僅かな先も見通せないほどに暗い路地だった。
闇に何かが潜んでいるように思えた。そこの闇から人がぬっとあらわれ、ローレンスを襲い、縛られた男をさらっていくかもしれない。
荒い呼吸は相手に自分の位置を教えるだけで、不利以外の何物でもない。ローレンスは呼吸を押さえようとしたものの、身体が言うことを聞いてくれなかった。
思考もままならない。不安ばかり浮かんで、解決策も浮かばず、冷静に状況を把握することもできなかった。
動かなければ。思ってみても、指一つ動かせない。ローレンスは自分の身体ではないように思われ、そのことも不安を抱く。
自分はすでに死んでいて、だから身体の感覚がないのかもしれない。何者か、自分を殺した人物が傍にいて、見下ろしているに違いない。
身体は動かせないものの、痛みを感じた。それもそのはずだ。ローレンスは自覚がなかったものの、全身擦り傷だらけなのだ。その痛みは身体の感覚が戻り始めた証拠でもあった。
気付くと、荒い呼吸もだいぶ落ち着いていた。指先も動く。ローレンスは手を動かして身体を触ってみた。触れたところが痛む。だが、意のままに動かせることに安堵し、肩の力が抜けた。どうやら、余分な力がこもり、身体がこわばっていたらしい。
ローレンスは落ち着きを取り戻すと、改めて周りの闇に眼を配りながら、自分の身体の状況を、手探りで確認した。
身体のいたるところに痛みがあり、血とも体液とも分からない液体がにじみ出ていた。そこに砂埃が付いているようだ。服ももう身体を覆っているのかも怪しいほど、あちらこちらが破けていた。
身体を動かすのに、いつもより力が必要だった。特に足の筋肉が、震えて役に立たない。
手探りで、石畳の上にいることは分かった。しかし、見渡す限り、闇で、ここがどこなのか皆目見当がつかなかった。耳を澄ませても、音もない。闇がすべての音を吸収しているのかもしれなかった。
近くに漏れる明かりすらない。
何とか移動して場所を特定しなければ、どちらに向かっていいのかも分からない。
見上げれば、頭上にあふれんばかりの星が輝いていた。その明かりの一粒でもこの場所に降り注いでくれれば、周りを確認できるというのに、星は頭上で冷たく輝いているだけだった。
風が流れたように感じた。振り向いても、そこには闇しかない。しばらく耳を傾けても、物音一つ立たなかった。
そこの闇から手が伸びてくるのではないか。そう思えてならない。
不安が、頭の回転を促した。縛られた男を抱えていたと思い出せたのだ。近くに転がっているはずである。
そこに何があるか分からない闇は、手探りで探るローレンスの手の動きを、縛り付けるように緩めさせた。恐る恐る手を伸ばし、周りの範囲を広げて探っていく。
手を伸ばして一周しても、何も触れなかった。縛られた男は既に誰かの手によってさらわれた後なのかもしれない。そう思いながらも、ローレンスは身体を伸ばして手を闇に向かってはわせた。
何かが触れた。
身体を戻してもう一度触る。指に伝わる感触から、布ではないかと思われた。そのまま指を這わせて輪郭をつかもうとする。
ふと、指に何かの液体が触れた。指の回りの感触は柔らかく、何かがめくれると、その奥に硬いものがあった。その硬い物とめくれたものの裏側が、湿っている。
それが人の口であると理解するまで、僅かな時間を要してしまった。ローレンスは理解すると慌てて手を引き、男の服を使って手を拭いた。その時に、男の胸が上下していることも確認できた。
何か物音が聞こえたように感じた。
ローレンスは顔を上げ、辺りの闇を探った。手は触れているものから離さず、男の身体を縛るロープに触れるまで移動させた。
周りに変化は起きない。
じっとこのまま闇の中に座っているわけにもいかない。ローレンスは男を縛っているロープをつかみ、肩に引き上げた。身体は重く、痛みを伴うが、何とか動けそうだ。
ローレンスは冷たく心地の良い石畳に別れを告げると、男を担いで立ち上がった。そして片手を闇に向かって伸ばし、そろそろと移動を始めた。
14
ローレンスは詰所に戻ると手当てを受け、服を着替えた。その間に部下たちも無事に帰還した。
ローレンスは無事に戻ったかと安堵の声を上げた。が、それも束の間で、報告を急かした。
「カラーは斬り殺されていました」
部下は要点を述べた。
「何?誰に斬られた?」
「現場に倒れていた守備隊の兵士の中に意識を取り戻した者がいまして、確認したところ、王都守護隊のアナベルト・サーカム男爵様だそうです。カラーに襲われたところを一太刀に」
「襲われた?カラーは捕らえられていたのではないのか?」
「いいえ、それが、最初に駆けつけた守備隊が、何かのトラブルかと、カラーの戒めを解いたそうです」
「早まったマネを…」
「そのようです。戒めを解いた途端に二人が殴り倒されたとのことです」
「で、その後は?」
「その兵士はサーカム男爵様の乱入直後に、カラーによって殴り倒されたそうです。薄れゆく意識の中で、カラーが斬り倒されるのを見たとか」
「なるほど」
「そこから先は意識を失って、分からないようでした」
「そうか。…それにしても、守備隊がよく話をしてくれたな」
「意識がもうろうとしていたのでしょう。私のことを同僚と勘違いしたようでしたよ。訂正する必要もありませんでしたし」
ローレンスは頷いた。無用に訂正して証言が得られなければ、何の役にも立たない。部下も調査部の一員として、立ち回り方を心得始めているようで嬉しかった。
ローレンスは自身の行動を恥じるようなそぶりの部下に、よくやった、それでいいと言って肩を叩いた。
「するとあの騒ぎは、カラーの死んだ後で、例の男の争奪戦に発展した、と言ったところか」
ローレンスは状況の憶測を口にした。
「守備隊は王都守護隊に口を出してほしくないでしょうし、王都守護隊は王宮からの命令で動いているという大義名分があります」
「味方同士で醜い利害争いをしたものだ」
「冒険者は…」
「面白がったか、守備隊への腹いせと言ったところだろう。男の身柄を確保して、より高値を付ける方に引き渡す算段だったのかもしれんが」
「そんなことをすれば、ソルトン男爵様あたりが爆発しますよ」
「顔を真っ赤にして走り回りそうだ」
「そうですね」
ローレンスが笑うと、部下もつられるように笑い声をあげた。ローレンスは部下に休むように伝えると、さて、どうしたものかと呟いた。
当初は、見るからに腕力で物事を考えそうなカラーを尋問し、その情報を基に、例の男、姿無き射手の偽物と思しき人物を取り調べようと考えていた。
カラーならば、あるいは話の運びようで、姿無き射手の偽物と思しき人物の正体を語ったかもしれない。彼らの目的や、雇い主も語らせることができたのではないかと思うと、カラーの死が悔やまれてならない。
そのために斬ったのか。ローレンスの脳裏に、飛躍した考えが浮かんだ。アナベルト・サーカム男爵のことである。
部下の報告によると、襲いかかってきたカラーを返り討ちしたようだ。当然の処置で、何の落ち度もない。それでもローレンスは、アナベルト・サーカム男爵の裏の顔が出なかったのかと、疑いを抱いた。
ローレンスは捜査部を立ち上げる前から、一人の貴族を秘かに調べていた。その人物が、アナベルト・サーカム男爵なのである。なかなか尻尾を掴めないが、腹黒い所があることは、身をもって知った。
ローレンスとアナベルトは以前、騎士養成所の教官仲間だった。二人が受け持っていた訓練生にケガ人が出たことがあり、その全責任が、いつの間にか、ローレンスの身に振りかかり、教官を辞める羽目になった。
後で分かったことだが、アナベルトが、ローレンスが負傷したした訓練生に指示を出した結果の事態だと報告していた。
ただ、確かにローレンスが指示を出したものの、やってはならないと伝えた訓練を、その訓練生は率先して行った。
その訓練生はアナベルトに心酔していた。彼が何らかの助言を与えたのであれば、その訓練生の行動も理解できる。
しかし、その確認は不可能だった。件の訓練生は頭を強く打ち、今も意識を取り戻していないはずである。
アナベルトに直接問い質しても、知らぬ存ぜぬで取りつく島もなかった。その後、アナベルトは出世し、ローレンスはしばらく任を解かれていた。
ローレンスは友情の一つもわいているはずだと思っていたアナベルトが、以来ローレンスを避け、陰口をたたくようになったことを訝しんだ。
アナベルトの豹変ぶりに疑問を抱き、彼の素行を調べた。任を解かれ、暇を持て余していたことと、アナベルトの助言があったが故に事故が起きたのではとの疑いも、調査に拍車をかけた。
そこで分かったことは、アナベルトの二面性のようなものだった。
アナベルトは愛想よく相手に近寄り、先見の明が窺える高説を語る。賛同した仲間と事業を始め、ことごとく成功させた。
ところが、ある時期を過ぎると、アナベルトは賛同者を避けるようになる。するとどうしたことか、賛同者たちの罪が明るみになって勝手に離れて行くのである。
中には、アナベルトに利用されたと憤り、自ら離れて行った人々もいた。彼らは一様に、手柄をアナベルト一人に奪われ、問題が起こった時は責任を押し付けられたと語った。
彼らの証言は、アナベルトは権力者に取り入り、出世していく。その傍らで、脱落した競争相手の僻みとも取れる。実際に、アナベルトを評価する人々は、脱落者の証言を鼻で笑った。
アナベルトが守備隊に配属されると、黒い噂も増えた。賄賂を受け取っているのではないかと揶揄されることが多かった。だが、その証拠は見つかっていない。
アナベルトのおかげで利益を伸ばした業者がいる。その一つに、カウェ・カネム武具店の名前が挙がる。
ロナルド・カウェ・カネムは個人で武具を仕入れ、販売する行商人だった。当時はまだ店も持っていない。ところが、アナベルトに見いだされ、取引が始まると、即座に店を構え、守備隊の装備一式を扱うようになった。
ロナルドをアナベルトが連れまわし、多方面の貴族と渡りをつけると、ロナルドの商売はますます広がっていった。王国軍、貴族の私兵など、装備の注文を取り付け、納めるようになっていった。
今や押しも押されもせぬ、セインプレイスきっての武具店へと発展した。
他にも、同じように癒着を思わせる業者が多数上がるのである。ただ、ロナルド以外は、アナベルトが飽きたかのように、唐突に取引が終わっている。そして、同業の別の商人を引き込んでいるのだった。
アナベルトが引き込んだ商人のうち、王都守護隊に移ってからも付き合いがあるのは、ロナルドのみである。
ローレンスは長年調べてきたものの、癒着の証拠は見つかっていない。ただ、アナベルトには家柄に似つかわしくない大金を所持していることは確かである。
金貸し業を営んでいたフランシス・バーグに、元金として預けていた金額が、同じ男爵家として、あり得ないと分かるが故に、癒着を疑う。しかし、元金は正式な書類があり、書類に従って、アナベルトへ返金されているだけだ。どこにも不正の色はなかった。ただ、その額が、ローレンスには納得がいかないだけである。
その疑わしいアナベルトとつながりのあるカウェ・カネム武具店に暗殺斡旋の疑いがかかった。これはアナベルトまで攻め入る千載一遇の好機に思われた。
カラーや、姿無き射手の偽物と思しき人物は、その足掛かりになるはずだった。一度は捕らえた姿無き射手も、上の指示で鉱山送りになった。調べたいことが調べられないままで、不満に思っていた矢先に、件の男が戻ってきた。
今を逃す手はない。ないが、取っ掛かりを掴むべきカラーが死に、以前ものらりくらりと尋問を受けた男しか残っていない。今回も生半可な尋問では、言い逃れられて終わるだろう。
男はカウェ・カネム武具店の裏稼業に属していたはずである。その証拠はない。冒険者、キュリアス・エイクードとマデリシア・ソングの協力と証言があれば、もう少し攻めようがあると思われるが、彼らもハロルド・ナハトマージ男爵の陰謀に加担したとの疑いから、捕まえるようにとのお達しである。
そのためか、キュリアスたちはローレンスの前に姿を現そうとはしなかった。姿無い射手とカラーの身柄を捕らえ、知らせてくれたのは、驚きである。追われる身でありながら、王側に協力をしてくれるとは思いもしていなかった。それでも、出会えば、捕らえなければならないだろう。協力は欲しいが、今は捕まらずにいてくれる方がいいように思えた。
なぜなら、トム・コリンズによってキュリアスたちの罪が生み出され、ジェラルド・ソルトン男爵をはじめとした守備隊が、彼らの行方を追っていたからだ。
彼らはおそらく捕まるまい。ローレンスはそう考えていた。守備隊が躍起になって探し回って、一月以上になる。あれだけの人数で町を巡回していて、一度の目撃例もないのだから、捕まえるのは不可能だった。
町の外へ逃げているのかといえば、そうでもないらしい。彼らのおかげで、姿無き射手の偽物と思しき人物の身柄が戻ってきたのである。
どうやって町中を、見つからずに動き回っているのやら。ローレンスはその方法を知りたかった。もしかしたら、今後の捕り物で役に立つかもしれないからだ。
とにかく、今は戻ってきた男だ。ローレンスは他所へ向きがちな思考を引き戻した。しばらく考え込んで意を決すると、ローレンスは男を捉えている部屋に向かった。
魔法薬で眠らされていたらしい男はつい先ほど目を覚まし、身に覚えのない全身の痛みを訴えて叫んでいた。うるさいので部屋に閉じ込め、ローレンスは自身の手当や着替えを行ったのだった。
部屋は静かになっていた。しかし、ローレンスが入ると、男は思い出したように、痛い痛いと叫んだ。
「後で治療してやる。少し大人しくしていろ」
ローレンスが諭しても、男は声を大きくするだけだった。
「そうか。ではいましばらくそのままにしていろ」
ローレンスは無情にそう言うと扉を閉めた。扉の前を離れ、一時間ほど時間をつぶした後で、再び訪れた。
縛られたままの男はまた痛みをうたえる声を上げたが、ローレンスがまた立ち去ろうとすると、待ってくれと、やっとまともな言葉を発した。
「なんだ?」
ローレンスは扉に片手を添えたまま、振り向いた。
「旦那。あっしは何をしゃべればいいんで?喋れば、ちゃんと治療してくださるんでしょうね?」
「そうだな。必要なことを言えば、すぐにでも治療しよう」
「じゃあ、おとなしくゲロするんで、こいつを解いてくれねぇかな?締め付けられて痛くて仕方ねぇ」
男が媚びるような目をして、ロープを解いてくれと訴えていた。
「話を聞いてから考えよう」
ローレンスは無情に答えると、男の前へ戻った。もちろん、戒めを解くつもりなど毛頭ない。この男を二度と逃がすものかと腹に決めていた。
「まずは、護送されたお前を救い出したのは、誰だ?」
「さあ?あっしは存じません」
「存じませんでは通るまい。お前以外は皆死んだ。護送の兵士も二十人から亡くなったのだ」
「それはあっしの知るところじゃありませんや」
「ほう。襲った連中はお前を助け出したようだが?」
「たまたまでしょう。あの人たちをあっしは見たこともありませんので」
男はしらを切りとおすつもりのようだ。ローレンスは壁際に置いてあった椅子を持ち出し、男の前へ腰かけた。
「それはおかしいな。カラーと言ったか。奴がお前を助けるためだったと証言したぞ」
男の顔が見る間に歪んだ。あの単細胞めと、口が動いたのを、ローレンスは見逃さなかった。
男の眼が目まぐるしく動いた。何かを思案している様子で、唇をかみしめていた。
「あっしは本当にあの人たちを知りませんでした。どうやら、同業の人たちだったみたいで」
男は自分が暗殺者を語っていたと思い出した様子で言い立てた。
「あっしを雇っていた人…これも会ったことはねぇんで。はい。多分その人が、役立つあっしを助け出してくださったんでしょうよ。こうやってまた捕まってちゃ、立つ瀬もありゃあしませんが」
男はそう言って笑った。
「依頼はどうやって受けていた?」
「投げ文が来て、指示の場所に行くと、標的の情報や前金があるんでさ」
「ほう」
ローレンスは相手の話を信じたわけではないが、最後まで聞いてやろうと思った。
「標的をやると、また投げ文が来て、残りの報酬を受け取るって寸法でして」
「すると、相手の顔を見ることなく、依頼を受け、人を殺していたということか」
「まあ、そういうことになりまさぁ」
男の顔がにやけている。うまく切り抜けられそうだと思っているのだろう。
「それはおかしいな」
ローレンスは静かな声で言った。
「カラーと共にカウェ・カネム武具店で、守備隊を襲うように依頼されただろう。守備隊と冒険者の争いを過激化させる狙いで。お前らが守備隊の兵士数人に危害を加えたことは分かっている」
「ちょ、ちょっと待ってください、旦那!あっしはそんなことしてません!何のことだかさっぱり!」
男の笑みが消え、額に汗が浮かんでいた。
「では、カラーがうそをついているというのか?」
ローレンスの言葉に、男は言葉を詰まらせた。顔を下に向け、身体を震わせた。
「あんのバカっ!そんなことまでくっちゃべりやがったのか!」
男が顔を真っ赤にして吠えた。ローレンスを見返したその表情は、牙をむき出しにした犬のようだった。
「あの筋肉馬鹿はいつかヘマをしでかすと思ってたんだ!今度会ったら絞め殺してやる!」
「ほう。無事にここから出られるとでも思うのか?」
ローレンスが静かに言うと、男は顔をこわばらせた。そして自分が怒りに任せて何を口走ったのか思い出したのだろう、見ていてわかるほどに血の気が失せていた。
「語るつもりがないのなら、そのまま沈黙を守ればよろしい。必要なことはカラーから聞き出すとしよう」
ローレンスはダメ押しにと冷たく言い放った。
「お前は、今度は絞首刑あたりだろう。カラーは協力に報いて死罪は免れる。内容次第では国外追放という処分もあるだろう」
ローレンスは言い終わるが早いか、立ち上がって部屋を出ようとした。
「ま、待ってくれ!」
ローレンスはかかったと思った。表情が落ち着くのを待った。
「旦那!待って下せぇ!」
男が悲痛な声を上げた。ローレンスがすぐに振り向かなかったことで、なおのこと必死になっていた。
「なんだ」
ローレンスは努めて静かに言った。少し上ずっていたことに焦ったが、男は気付かなかった。
「あっしが話しますよ。あんな脳筋野郎の言うことなんざ、当てになりませんや」
男はその代りにと、こびる眼になった。
「内容次第だ」
「旦那の望み以上のことを聞かせれるかもしれませんぜ」
男はそう言って請け負った。
男はローレンスの質問に、初めこそは言い難そうにしていたものの、次第に饒舌に語った。饒舌になり過ぎて、脚色が多そうだとローレンスはうんざりしたものの、必要な情報を、男は語った。
男はカウェ・カネム武具店で暗殺の斡旋を行っていることを認め、冒険者と守備隊の争いを過激化させるために守備隊を襲っていたことも認めた。もちろんロナルド・カウェ・カネムの指示の下である。
ただ、誰の依頼だったかは、本当に知らないようだ。依頼主についてはロナルド・カウェ・カネムしか知らないのだ。それは当然の予防策だ。末端の暗殺者が捕まって、依頼主まで判明していては、裏稼業も成り立たない。
男は姿無き射手を語ったことも認めた。ロナルド・カウェ・カネムの指示で、本物の姿無き射手が自由に動けるようにするためだった。また、大物の名をかたることで、証言の信ぴょう性を高める目的もあった。さらに、ハロルド・ナハトマージ男爵からかなりの高額な暗殺の依頼料をせしめるために、名を語っていたことも影響していた。
ハロルド・ナハトマージ男爵が依頼した暗殺は全て、この男が姿無き射手のふりをして行ったものだった。
「どうです?旦那」
男は自信満々に言った。これで罪一等が減ぜられると考えているのだろう。
「カウェ・カネムは何か書類を残していないのか?」
「暗殺についてですかい?」
「そうだ」
「そんなもの、残すわけないでしょ」
男は呆れたように言った後で、ローレンスの不機嫌な表情に怯え、慌てて付け足した。
「でも、金については帳面をつけていたはずですぜ」
「金とは、依頼料か」
「そうです。受け取った依頼料と、あっしらに支払った報酬とをつけていやした」
「それはどこにある?」
「カウェ・カネム武具店の二階に金庫があるんでさ。その中に」
「なぜおまえがそんなことを知っている」
「偶然見ちまったんでさぁ。どうです?役に立ったでしょ?」
「ああ、重要なことだ。その帳面が見つかれば、お前の罪一等は減じよう」
「おお、ありがてぇ」
男は感謝し、動く首を上下に動かして、礼を言った。
「何、礼を言うほどのことではない」
ローレンスは立ち上がって出口に向かった。そこで振り向いて男を見た。
ローレンスはこの男を許すつもりはなかった。ただ、約束した手前、罪の一つをもみ消すくらいは良いと考えた。一つを消したところで、この男の死罪はまぬかれない。そのことを教えて失望させてやろうかとも思ったが、思いとどまった。
しかし、この男に何らかの制裁を加えないと気が済まない。この場を切り抜けたと安堵する男の顔が、気に入らなかった。
「そうだ。お前に行っておくことがある」
ローレンスは扉の前で振り向いた。男がニヤついた表情で見返していた。
「カラーは死んだ」
「へ?」
「お前が組織の情報を売ってくれて助かった。いや、大いに感謝している」
ローレンスの言葉に、男の顔が引きつり、青ざめていった。
「罪を減じて組織に戻してやるかな」
「ちょ、待って下せぇ!あっしがしゃべったことが知れたら、消されちまいまさ!」
男は頭の回転が速かったようだ。図らずも組織を裏切ったことを自覚し、自分の身が危ないと、恐怖に駆られていた。
「そうか?自分で何とかすることだな」
ローレンスは冷たく言い放つと、部屋を出た。
「だましやがったな!」
部屋の中から男の叫び声が聞こえた。
ローレンスはいい気味だと思った。今度は自分の命を狙われる心配でもしていればいい。正義の徒とは思えない考えだが、それで幾分すっきりした気分だった。
男がもし噓の証言をしていたらどうなるだろう。ふと不安がよぎる。それをすぐに打ち消した。あそこまで焦るのだから、嘘ではないはずだ。
あるいは、もっと尋問すれば、協力的に多くの情報を語るかもしれない。その代りに身の安全を保障しろと言ってくるだろう。
その時はもちろん守ってやろう。相手をすべて捕まえることによって、である。そして、この男も一緒に処刑する。それだけのことだ。
ローレンスは悪等に同情する気持ちなど微塵も持ち合わせていなかった。
15
いつもなら仕事に向かう人々や、早朝の出立で旅路を急ぐ人々で通りがごった返すのだが、その日の朝は閑散としていた。
朝日を浴びて、町は黄ばんだ色に輝いている。太陽の日差しを遮るような雲もなく、今日も暑い一日になると思われた。
町の人出が皆無というとそうではなく、時折、全身鎧に黄色い光を反射させながら走り抜ける一団があった。また、別の方向で、胸当て、脛当ての一団も通過する。
そうかと思うと、別の場所で、冒険者と全身鎧の兵士が剣をぶつけ合って争っていた。
兵士たちは一様に疲労の色を浮かべていた。一睡もせず、町を巡回し続けていたからだ。対する冒険者も一睡もしていないはずなのだが、こちらは空が明るくなるにつれ、異様な元気を発揮していた。
王都セインプレイスの町中を、冒険者は二十数人、徘徊していた。彼らは守備隊に対する腹いせのために始めたものの、いつの間にか、娯楽に変わった様子で、競うように守備隊を見つけては、襲撃していた。
対する守備隊は総勢百二十名に及んだが、この一晩だけでも負傷者を三十人も出していた。負傷者の大半は急遽駆り出された訓練兵である。
数の上で勝る守備隊が、少人数の冒険者にいいようにもてあそばれていた。守備隊が各個撃破されていたわけではない。どちらかと言えば、常時数の優位を守っていながらなお、押されているのである。
守備隊が押される原因の一つは、王都守護隊だった。守備隊は管轄違いの取り締まりに乗り出した王都守護隊に強い警戒感を抱いていた。そのこともあり、守備隊は冒険者だけではなく、王都守護隊にも手を出していたのだ。
初めこそは威嚇程度で済んでいたものが、冒険者との競り合いを続けて焦るうちに、王都守護隊に対しても武力を行使したため、守備隊は二勢力と戦う羽目になった。
王都守護隊は町の中の治安を回復しようと、冒険者、そして暴走する守備隊の抑制に尽力したが、あえなく武力闘争に飛び込み、三つ巴の争いになっていた。
冒険者は冒険者で、王都守護隊と守備隊の不仲を利用し、彼らをぶつけてみたり、横からちょっかいを出してみたり、ちょこまかと戦場と化した町中を動き回っていた。
殺伐とした町に、住民や旅人は家や宿から出ることができず、戸口を硬く閉ざして、外の様子をそっとうかがっていた。彼らも、昨夜から始まった騒動を恐れ、不眠のまま、朝を迎えていた。
この騒動の中、日の光にさらされてなお、影のように動く人物がいた。キュリアス・エイクードである。キュリアスは石畳を物音一つ立てずに歩いていた。
向かう先に、カウェ・カネム武具店の看板があった。職人街に位置するその路地は、閑散として静まり返っていた。
キュリアスの隣に若草色の髪をした女性がいた。マデリシア・ソングだ。彼女の足音もない。ひと気のない路地を、無音のまま進む。
キュリアスはカウェ・カネム武具店の家探しを、この町の騒ぎに便乗して行うつもりだった。この騒ぎで、さらに早朝とあれば、店に人はいないと踏んでいた。が、向かう先の二階に灯の色がある。気配もいくつか感じ取れた。
それはそれで好都合。キュリアスは前向きに考えていた。ハロルド・ナハトマージ男爵の道連れとして、キュリアスとマデリシアに罪を着せた人物がいる。その原因を作ったのは、カウェ・カネム武具店の主人だ。本人がいるのならば、問い質すまでだった。同時に証拠となる物を見つけ出せれば、なおいい。
さらに、カウェ・カネム武具店には、暗殺斡旋の疑いもあった。前回侵入した時に暗殺者と遭遇したので、キュリアスにとっては疑いではなく、まぎれもない事実だった。その証拠を手に入れたいと、キュリアスは考えていた。これも店主に問い質してもいい。
見つけた証拠は、シャイラベル・ハートかあるいはローレンス・コプランド男爵辺りに渡せば、しっかりと調査し、処罰を加えるだろう。
問題は、キュリアスたちを探して町を闊歩する守備隊と王都守護隊に見つからないようにすることだ。幸い、今は近くに兵士の姿はない。建物を隔てた隣の道に気配はあるので、ここで騒ぎを起こせば、兵士たちが集まってくることになる。
騒ぎを起こさないようにと心がけているためか、キュリアスもマデリシアも足音一つ立てない。
二人の歩みは誰にも気付かれていないかに思われたが、カウェ・カネム武具店に近づくと、建物の中から二人の男が迎えるように現れた。
キュリアスは立ち止まった。彼が制するまでもなく、マデリシアも立ち止まり、キュリアスの背後に隠れた。出てきた二人に見覚えがあったため、警戒しているのだ。
店の前に立ち塞がったのは、朝日を浴びてもひるむことなく目を見開いた男と、仮面をつけた白髪の男だ。
前者は眼に狂気の色を浮かべている。
「サム・ガゼル…」
キュリアスは彼の名を呼んだ。だが、返事はない。キュリアスの師であり、父のような存在であったサムは狂気に飲み込まれ、キュリアスに気付きもしないようだ。
あれはサムの本心ではあるまい。キュリアスはそう考えていた。人一倍優しく、子供たちに教えることに喜びを覚えていたサムとは思えない眼だ。もはや正気に戻ることがないのならば、せめて俺の手で止めてやる。キュリアスはそう覚悟を決めていた。
白髪の男が剣を抜いて身構えた。サムは無造作に立っている。が、次の瞬間には瞬間移動したかのようにキュリアスの目前に立ち、白刃を振るっていた。いつ抜刀したのか、まるで分からない。
キュリアスは予測していたかのように、背中の剣を抜き放ちざまに斬り下ろした。サムの身体が次の瞬間にはもう、白髪の男の傍まで下がっていた。
「相変わらずだな!ジャックナイフ!」
キュリアスはサムのコードネームを呼んだ。だが、やはり返事はない。戦いの中で呼びかけても、正気に戻ることはないようだった。
サムは返事の代わりに再び間合いを詰めてきた。右手で持った剣を振り下ろしたかに見えたが、どういう訳か、剣は左手に握られており、真横からキュリアスに迫っていた。
キュリアスは前へ飛び込んでサムに身体をぶつけると、サムの左腕を拳で打った。
サムの身体が離れる。するとキュリアスの背後から、白髪の男が斬りかかっていた。
キュリアスは気配で分かっていた。振り向きもせず、白髪の剣を避けると、振り向きざまに斬りつけた。が、その動きが不自然に止まり、キュリアスの身体が斜め左へ飛んだ。
先ほどまでキュリアスの立っていた場所にクロスボウの矢が突き刺さる。
「ちっ!」
キュリアスは響き渡る舌打ちをすると、転がるように建物の影に飛び込んだ。そこへサムと白髪の男が左右から迫る。
こいつら相手に三対一かよ。キュリアスは嘆いた。起き上がりざまに剣を横なぎに払う。サムも白髪の男も後方へ飛んで避けていた。
三対一では分が悪い。僅かでも隙を作って状況を打破しなければと、キュリアスは考えを巡らせた。
「やい!オールド・ヤング!てめえはこんな戦いを所望だったってか?」
キュリアスは何を思ったのか、唐突に叫んでいた。
「オールド・ヤング?」
マデリシアは建物の影に下がりながら、後ろを振り向いた。そこにいるのは、サムと、白髪の男の二人だ。すると、白髪の男がオールド・ヤングだということになる。
確かに、オールド・ヤングことジャック・クリント・ヤングは白髪だ。だが、彼は冒険者であって、暗殺者ではない。冒険者ならば、今頃守備隊を追いかけて町中を徘徊しているはずである。ここにいるはずがなかった。
白髪の男もサムを見習って声は出さなかった。
「おい。それで俺をごまかせると思ったか?」
キュリアスは言うが早いか、サムのように瞬時に間合いを詰め、下から斬り上げた。白髪の男が仰け反ってかわすものの、避けきれなかったのだろう。仮面が割れて落ちた。
現れたのはジャックその人である。額に薄く血がにじんでいた。ジャックは苦笑しつつ、その血を手の甲で拭った。
サムがキュリアスの着地に合わせて斬り込んでいた。キュリアスは着地と同時に身体を回転させ、剣の起動を無理やりサムへ向けた。
剣と剣がぶつかり合い、火花が飛び散る。そこへ鋭い風切り音が飛び込む。キュリアスは石畳を叩くように片手をついて、身体の向きを変えた。そのわずかな隙間を、クロスボウの矢が突き抜けていく。
キュリアスは石畳を押して移動し、すぐに体制を整えた。だが、体勢を整えさせまいと、ジャックとサムが斬り込んだ。
キュリアスは這う這うの体でクロスボウの射線を切り、片膝立ちに剣を振り上げてサムとジャックをけん制した。
それぞれが間合いを取る。
「こんなつもりではなかったんだがな」
ジャックがゆっくりと構えなおした。言葉とは裏腹に、笑っている。
「貴様とは真剣勝負をしてみたかった」
「三対一でか?」
「そこはいささか残念なところではあるが、状況が状況なのでね」
キュリアスとジャックの会話にお構いなく、サムが飛び込んでいた。キュリアスは難なく迎え撃とうと剣を振る。ところが、サムが横跳びに移動し、マデリシアに迫っていた。
「いやっ!」
マデリシアは咄嗟に叫び声を上げた。それが正解だった。彼女の声には魔力がこもっている。声の大きさに応じ、衝撃波を生み出して、迫るサムを押し戻した。
近所の建物がビリビリと震えた。これだけ大きな声を発すれば、町中に響き渡ったに違いない。
「おい、ジャックナイフ!俺を無視たぁ、いただけねぇな!」
キュリアスは口汚く言い、走り出した。向かった先はサムではなく、ジャックだった。
「おいおい!あんたも人のこと言えんな!」
ジャックが苦笑いしながら、キュリアスの斬撃を受け止めた。
「ほざけ!おっさんが年甲斐もなく、暗殺者かよ!」
「すまんな。強き者を求めたら、ここに行きついちまった」
二人は言い合いながらも、剣を打ち合った。そのたびに火花が飛び散る。身体を入れ替え、火花を生み出した。時折、キュリアスは不自然な方向転換を行う。そうしなければ、クロスボウの矢か、サムの剣の餌食になるのだ。
キュリアス一人では手に余る状況だった。クロスボウの矢の飛んでくる方向から、射手のおおよその位置は把握している。そちらを誰かに排除してもらうか、自力で目の前の、どちらか一方でも倒さない限り、攻め手にかける。次第に体力を奪われ、傷付くのは自分だと分かりきっていた。
マデリシアに加勢させる手もあるが、力量的に、サムもジャックも相手にできない。それに、いつ飛んでくるか分からないクロスボウの矢を、マデリシアではよけきれない。
マデリシアはそのことを自覚している様子で、戦闘には加わらず、射線からも外れるように、建物の陰に身を寄せていた。
通りの端に、黄色い光を反射させる一団が現れた。三人一組で移動する、守備隊だ。
この状況で兵隊かよ。キュリアスは口の中でぼやいた。ただでさえ、サム、ジャック、そしてどこからか撃ち込んでくるクロスボウの使い手に手を焼いて攻めきれずにいるのに、兵士がなだれ込んでくるとなると、手詰まりもいいところだ。
通りの反対側にも人の気配があった。次から次へと集まってくる様相だ。
マデリシアの叫び声を聞きつけて集まってきているのだ。もう直、この路地は兵士でごった返すことになるだろう。
激しく斬り合うキュリアスと二人の剣士を取り囲むように、全身鎧の兵士や、胸当てと脛当てをつけた兵士が集まっていた。その中に、冒険者らしき人影も見受けられた。
「オールド・ヤング。こんな時に勝負吹っ掛けたのか?」
冒険者の一人がそう言って笑った。ジャックの挑み癖は周知の事実で、キュリアスも狙われている一人だったと、皆の知るところであった。
しかし、三人の振るう剣に、勝負などと言う生易しいものはない。集まった人々は次第に戦慄を覚え、巻き込まれないように一定の距離をとった。
それでも兵士たちは果敢に包囲を狭めようとする。キュリアスが避けたクロスボウの矢が、全身鎧を貫いた。兵士が倒れると、仲間がいきりたち、直ちに戦闘を止めよと叫びながらキュリアスたちに迫った。
斬撃など鎧で防げる。兵士はそう考えていた。それは正しい判断である。鈍器や、鋭く突き抜ける槍でもない限り、鉄の鎧が守ってくれる。そのための鎧である。
ところが、ジャックとサムがそれぞれ兵士を一刀両断にしてみせた。
「何やってんだ!オールド・ヤング!」
冒険者たちは非難の声を上げながらも、傍の兵士に殴りかかり、中心部に迫れないようにと妨害を始めていた。
壁際に避難しているマデリシアの傍に、ローグ・キーシャが現れた。
「派手にやってますね。姐さん」
「そんなつもりじゃなかったのよ」
ローグの軽口に、マデリシアも軽く答えた。二人はもう一人乱入してきた少女を眺めている。
乱入したのはルーイット・ディズマという名の少女だ。ルーイットはマデリシアを見て、あら、怯えてるのかしらと嘲笑った。そしてジャックの振るう剣の下を巧みに駆け抜け、攻撃を引き付けた。
「バカ!でしゃばるな!引っ込め!」
キュリアスは思わず叫び、ルーイットの元へ駆けていた。
「何よ!これくらいなんてことないわ!苦戦してるみたいだから、借りを返してあげる!」
白刃の元をちょこまかと動き回っている。
「ローグ。あの子、向こう見ずすぎるわよ。呼び戻しなさいな」
マデリシアはローグにルーイットを任せようとした。
「ああなったら、お嬢は言うことなんて聞きませんよ…」
ローグは早くも諦めていた。
時折、クロスボウの矢が、キュリアスを襲っていた。キュリアスはサムやジャックの斬撃を避け、受け流しながら、クロスボウの矢までかわしている。
呆れと不安とを表情に浮かべていたローグは、次第に何かに気付いたように、顔をこわばらせた。
「まさか…」
「どうかしたの?」
マデリシアの問いに、ローグはすぐに答えなかった。
「どうしたのよ!」
「あ、いえ、姐さん。ディズマの長男の話をしましたよね」
「ん?いまする話?聞いたけど」
「このクロスボウの使い手、もしかして…」
「知らないわよ。姿を見たことないもの」
キュリアスが動かなければ、正確に貫いているであろう矢が、近くにいた兵士の足を貫いた。
「まさか、マークなの?」
ローグがわなわなと身体を震わせ、クロスボウの射線を眼で追った。マデリシアと共に射線から隠れているので、すぐに建物に遮られる。ふらふらと進み出るローグを、マデリシアが掴み止めていた。
「ちっ!こっちに来るな!」
キュリアスの声に、マデリシアとローグが振り向いた。キュリアスは斬撃をかわして飛び上がるルーイットを制しようとしていた。
横からサムが斬り込み、キュリアスは前へ出てかわす。するとルーイットと入れ替わるように背中合わせになった。
たたみかけるようにジャックが剣を振り下ろした。キュリアスはさらに一歩前進し、ジャックの斬撃を下から剣を振って弾いた。そしてその勢いのまま、もう一歩前へ進む。
キュリアスは身体を沈み込ませるようにして振り向いた。
後ろの光景は、時が止まったかのようにゆっくりと流れて見えた。
ルーイットの身体が不自然な体勢で空中を舞っていた。ゆっくりと回転し、身体がこちらに向く。その胸に、クロスボウの矢が突き刺さっていた。
キュリアスの頭に瞬時に血が上った。低い姿勢のまま踏み出し、剣を振るう。その斬撃は剣圧を生み出し、軌道上のものをすべて斬り裂く。
ジャックが驚いた表情を浮かべたまま、胸の辺りから左右に分かれて倒れた。
サムはいつの間にか軌道上から逃れていた。
軌道上の建物が次々と斬り倒され、更にその向こうにいるであろう、クロスボウの使い手の潜む建物まで届いた。
轟音が響き、粉塵が舞い上がる。
多くの人々が驚きの表情を浮かべ、殴り合う手を止めていた。その中で止まらない二人がいた。キュリアスとサムは粉じんの舞う中に飛び込み、剣と剣をぶつけ合って火花を散らした。
冒険者や兵士たちは飛び散る火花と金属のぶつかり合う音で状況を思い出した様子で、止まっていた身体を動かし、殴り合い、斬り合った。
「マディ!クロスボウ野郎を頼む!」
マデリシアはキュリアスの言葉に従うことができなかった。
マデリシアはルーイットに駆け寄ろうとするローグを引き止めていた。ルーイットとローグの間に、兵士と冒険者が入り乱れ、剣を振り、殴り合っている。
「ローグ!しっかりして!」
「お嬢!お嬢が!」
叫び声をあげるローグを引き戻し、頬に平手を食らわせた。ローグが眼を見開いていた。そして、倒れたルーイットと、矢の飛んできた方向を交互に見ていた。ローグの身体はルーイットに向かったままで、マデリシアが動きを制していた。
「もう助からないわ」
マデリシアは断定した。矢が突き刺さっているのは心臓部だ。見ただけで、もう助からないと分かる。
「そんなことはないわ!お嬢なのよ!」
ローグはマデリシアの制止を振り切ってルーイットに駆け寄ろうとし続けていた。
「しっかりなさい!」
マデリシアはもう一度平手打ちを食らわせた。ローグの身体から力が抜ける。
「クロスボウ使いは気にならないのかしら?」
ローグがルーイットを振り向き、粉塵の舞う町を眺めた。またルーイットを見つめる。
「そこのあんたたち!どきなさい!」
マデリシアの一喝で、ルーイットまでの道が開かれた。
「さあ、この子はあたしが見ておくわ。それとも、あたしがクロスボウ使いを仕留めに行ってもいいのかしら?」
「それはダメです!」
ローグが即答していた。それでももう一度ルーイットを見つめて、やっと町に向かって走り出した。
マデリシアはローグを横目に見送りながら、ルーイットに駆け寄り、身体を引きずって騒動の外に運んだ。
マデリシアに迫る兵士がいても、こっちに来るなと叫ばれ、おとなしく下がっていく。
キュリアスとサムの斬り合いはまだ続いていた。激しい斬り合いで、取り囲もうとする兵士たちも手を出せずにいた。
サムが不規則に移動しても、キュリアスはその反射神経と運動能力で追随し、次第に追い詰めていく。ジャックの横やりも、クロスボウの狙撃もなくなり、キュリアスは切れのある動きでサムを追い詰めていた。
最後はあっけない幕切れだった。
下がっていくサムが、唐突に間合いを詰め、キュリアスに斬りかかった。キュリアスはその横を無造作にすり抜けたように見えた。
サムの動きが止まり、崩れるように倒れた。
16
「安らかに眠れ」
キュリアスは父親同然のサムに手向けの言葉をささげた。刀身に残った血を、振り払う。その動作すらも、死者に捧げたもののように見えた。
サムの眼から狂気の色が薄らぎ、優しい眼つきになったように見えた。
感傷に浸っている猶予すら与えられない。手を出しかねていた兵士たちが、決着を待っていたかのように押し寄せた。
「キュリアス・エイクード!今度こそ観念しろ!」
叫び声を上げたのは守備隊の隊長、ジェラルド・ソルトン男爵だった。勝ち誇ったかのように剣を高々と掲げている。
「取り押さえろ!」
ジェラルドの号令に、別の声が重なった。
「あれが元凶だ!こちらで確保しろ!」
王都守護隊のアナベルト・サーカム男爵だ。
さらにもう一つ、別の声が重なった。
「騒ぎはそこまでだ!」
響き渡る怒号は、マデリシアの叫びに似て、辺りを震わせた。マデリシアとの相違点は、建物が壊れないことだ。
怒号に皆が振り向くと、馬上に燃え立つ髪の男がいた。朝日を浴びて燃え立つさまは、怒りを体現した神のようにも見えた。軍神とまで称されたカークロス・ハートの威風堂々たる姿に、兵士たちは武器を落とし、跪いた。
キュリアスは跪かなかった。カークロスの姿を見て、後ろの町の様子を眺め、頭を抱えていた。自分が何をやらかしたのか思い出し、先日のカークロスの言葉も思い出されてうなだれていた。
マデリシアはというと、ルーイットの亡骸をそっと壁際に置くと、ゆっくりと、這いずるように逃げようとしていた。
冒険者の多くは戸惑いつつも、武器を納め、思い思いに石畳の上に腰を下ろしていた。
「王の御前である!神妙にいたせ!」
兵士の中で、ジェラルドは跪くことなく、虎の威を借りてキュリアスを束縛にかかった。兵士に捕らえるように合図する。それでも兵士は頭を抑えつけられたかのように動かなかった。
「神妙にするのは貴公の方だ!」
また別の声が上がった。ローレンス・コプランド男爵が駆けつけていた。呼吸を乱しながらも陛下、失礼いたしますと国王に頭を下げた。王の横を小走りに抜けて前へ進み出た。
ジェラルドは振り向いてローレンスの接近を確認し、王を見上げた後、自身の正しさを解くつもりになったようだ。
「コプランド!貴様、異なことを申すものだな」
「ソルトン男爵!貴公の不正の数々、証拠はそろっている!逮捕させていただく!」
ジェラルドの言葉を遮って、ローレンスは言い放った。
「なんだと!貴様!私の部下の分際で何をほざくか!」
「部下になった覚えはありません。不正を正し、罪には罰をもって答えるのが我らの使命!逮捕しろ!」
ローレンスの号令に、遅ればせながら駆け付けた彼の部下が、息つく間もなく、荒い呼吸のまま、ジェラルドに向かった。
守備隊の兵士たちが立ち上がり、隊長を守ろうとする。
「なお、守備隊の諸君!以降、ソルトン男爵の指示に従う者、ソルトン男爵を助けようとする者は同罪とみなし、逮捕する!」
ローレンスの言葉に、守備隊の数人はひるみ、跪いた。だが、数人は隊長を守る体をとった。
「コプランドの言葉はわしの意志である」
カークロスの声が響き渡った。事態を収拾に出向いてきたカークロスは、これ以上の混乱を望んでいない。それに、自身の命令に背いたジェラルドを守る理由もなかったので、カークロスはローレンスの主張を入れたようでもある。
「ソルトンの権限をはく奪し、一時的にコプランドに委譲するものとする」
王の言葉に、兵士たちは崩れ落ちた。だが、ジェラルドは身体を震わせて立ったまま、王を見返していた。
「私めに何の落ち度がありましょうや!私は正義を成しているのであります!陛下は、正義を阻もうと言われるのか!騒動を引き起こした不届き者を捕らえることが先決でありましょう!」
カークロスはジェラルドの言葉を聞いていなかった。
「奴の不正の数々とはなんだ?」
カークロスは馬を操り、ローレンスの傍に寄って尋ねていた。
「収賄が多数。守備隊の私物化。訓練兵の無許可による実戦導入。自宅待機命令の違反。謹慎処分の不服従。そして町を混乱に貶めた騒乱の罪」
ローレンスが指折り数えた。
「証拠はあるのだな?よろしい。不敬も加えてやれ」
カークロスはそう言うと顔を上げた。
「何をしておる。さっさとそやつを捕らえよ」
「バカな!陛下は正義の徒を処断なされるおつもりか!それが一国の王のなさりようか!」
ジェラルドは吼え続けた。ローレンスの部下が両脇に集い、ジェラルドをロープで縛りにかかった。ジェラルドは腕を振り回して抵抗する。
「独善は正義と言わん。歯向かうというのであれば…。我が剣を受ける覚悟と受け取るが、良いか。いや、それも面倒だ。ちょうどいい。おい、エイクード。国王の名において命じる。その男を始末しろ」
うなだれていたキュリアスは、突然のお鉢に顔を上げ、カークロスを見返した。それでもただ従うのは癪に障り、ぶっきらぼうに言い返した。
「おっさん。俺に振るな」
「ほう…。我に従えんとでもいうのか?」
カークロスが、キュリアスの背後に広がる半壊した町並みを眺めた。
キュリアスの脳裏に、シャイラベルを嫁に出すかのとニヤついた顔で言ったカークロスの姿がよぎった。カークロスは、キュリアスが従わなければ、実行するつもりなのだろう。あるいは従っても、実行しかねない。
シャイラベルが誰に嫁入ろうがキュリアスにかかわりのあることではない。だというのに、キュリアスの気持ちは揺らいでしまう。
キュリアスに判断のできない状況を作り出し、カークロスは楽しんでいるに違いない。キュリアスはそう考えて腹も立ったが、町を破壊してしまった今、自分の立場はないも同然である。
キュリアスは小さく罵りの言葉を吐き捨てると、無造作にジェラルドへ近づき、王を睨み付けて自己主張を続けている男の首に手刀を叩き込んだ。
ジェラルドが音を立てて崩れ落ちた。
その様子に、カークロスはさも驚いたと言わんばかりの表情を浮かべていた。ただ、眼が笑っている。
「エッジ。今さら人を殺めることに抵抗があるのか?」
カークロスはわざとキュリアスのあだ名を呼んだ。
「知るか。処罰はそっちで勝手にやってろ」
キュリアスも投げやりである。進退窮まった身で、僅かな抵抗を見せて何が悪いと開き直っていた。
「まあよいわ。皆のもの。早々に引き上げよ。これ以上の騒乱は、我が許さん。意義ある者は剣を持って応えよ。我が存分に相手して進ぜよう」
カークロスは響き渡る声で宣言した。跪いていたアナベルトが立ち上がるのを視界にとらえ、カークロスは一言付け加えた。
「キュリアス・エイクードとマデリシア・ソングの身柄は、我が与るものとする」
「ええ?なんで?あたしも?」
かなり遠くから、素っ頓狂な声が響いた。マデリシアはいつの間にか通りの反対側まで逃げており、身体は別の通りに隠れて、頭だけ戻している格好だった。
アナベルトは不服そうにしていたものの、撤収だとだけ部下に伝え、踵を返していた。
「これで終わりかぁ。んじゃ、戻って酒でも飲むかね」
冒険者の一人がそう言って立ち上がると、他の冒険者たちも同意しながら立ち上がった。キュリアスとマデリシアにニヤついた表情を向けながら去っていく。中には、頑張れや、だとか、ご愁傷さま、などと声をかけていく者もいた。
ローレンスの部下が、気絶しているジェラルドを抱えて立ち去った。
戻ってきたマデリシアと、キュリアス、カークロス、ローレンスが残った。
日がだいぶ上っていた。少し前までは東側は太陽の光が覆いつくし、影にしか見えなかったが、今は、東へ向かう通りの先に、崩れた建物が並んで見える。倒壊した建物の列は、城壁まで届いている様子だった。
「また派手にやりおったわ」
カークロスは面白そうに言った。
「俺も約束を守らねばならんな」
カークロスはそう言って、キュリアスが絶句するのを見て楽しんでいた。
「では俺について来い」
カークロスは威厳をかざして言った。
「ちょっと待った。なんか忘れてない?」
マデリシアの声に、皆が振り向いた。マデリシアも王の前に立ったからと、萎縮するようなことはなかった。青く染まっていく空を眺めていた。
「ああ、そうだ。ロナルド・カウェ・カネムはどうすんの?」
マデリシアは思い出したと、キュリアスに向かって言った。
「それは私が対処しよう」
ローレンスはそう答えたものの、彼も忘れていたと、その顔に書いてあった。
「あー。王様?あたし、そっち手伝ってきていいかしら?」
マデリシアはローレンスを指差して言った。あるいはそのまま逃げるつもりなのかもしれない。
「陛下、よろしければ、この者の手を借りたいと思います」
ローレンスが言うと、カークロスはよかろうと答えた。
マデリシアが嬉しそうな顔になるのを、ローレンスの一言が打ち消した。
「色々尋問したいこともありますので、手間が省けます」
ローレンスは何食わぬ顔でマデリシアに、さあ行くぞと促して、カウェ・カネム武具店へ急いだ。
マデリシアはキュリアスに目配せするものの、彼もカークロスに抑えられて身動きできない。マデリシアはああもうとはぶてるように言うとローレンスの後を追った。
城壁の傍まで来たローグは、がれきの下敷きになっている青年を見つけた。しばらく見ていなかったが、砂埃に汚れたその顔は、間違いなく、マーク・ディズマのものだった。
マークは既にこと切れていた。
ローグは辺りに響き渡るほどの泣き声を上げた。
想い人の死を嘆いた。
マークの死に顔は、苦痛ではなかった。驚きと後悔が浮かんでいるように見えた。彼はきっと、自らの手で妹を殺してしまったことに気付いていたのだ。だから逃げずに、がれきに埋もれたのではないだろうか。
ローグは泣き続けるうちに、マークの心の内側が分かったように思え、マークの代わりに泣いた。
後悔の気持ちが残った眼を、そっと閉じてやる。その間も、ローグは声を上げて泣き続けた。
ローレンスとマデリシアがカウェ・カネム武具店の二階に入ると、血の匂いが鼻についた。いつの間にか、部屋の明かりは消えていた。
マデリシアはローレンスを手で制して部屋に入ると、窓辺へ向かい、厚手の布を引いて窓から明かりを入れた。
部屋の中は血の海だった。その中心に、小柄で腹の出た男が倒れている。禿げ上がった頭皮にも血が付き、赤黒く染まっていた。天井や壁にも血が飛び散って、黒いシミを作っていた。
床の血はまだ固まっていなかった。血の海の中に倒れたロウソクがあった。
「サム・ガゼルか、オールド・ヤングがやったのね。動脈斬って、このありさまでしょ」
マデリシアは自分の考えを述べた。
「雇い主を斬るのか…?」
ローレンスは疑問だと答えた。
「サム・ガゼルなら斬るわね」
「そのサム・ガゼルというのは?」
「エッジが倒したわ。表に転がってる」
「そうか…」
ローレンスの表情が曇っていた。捕らえて聞くべきことがあったのに、当のロナルド・カウェ・カネムは死んでいたのでは、捜査はここで手詰まりとなる。
マデリシアは沈み込むローレンスをそのままにし、部屋を見渡した。窓辺に机が一つと、その正面にソファーがある。ソファーの上に、カウェ・カネムのものと思われる上着があった。
壁際に本棚と、色鮮やかな陶器が飾ってあった。本棚は僅かな本と、帳面が何束か並んでいた。
マデリシアは机に近づき、引き出しを開けた。特にめぼしいものは見当たらない。
もう一度部屋を見渡した。
ローレンスが思い出したように顔を上げ、マデリシアの傍にやってきて引き出しを開けた。続いて血だまりの中に入り、死体の持ち物を調べ始めた。
マデリシアは本棚に近づくと、右から左から、覗き込むように眺めた。しばらく眺めまわした後で、目星をつけた、僅かな本の中の一つに手をかけて動かした。革製の箱型に納めた本のように見えるが、触った感触で、中身はないと分かった。
カチッと何かが外れる音がした。
マデリシアは本棚の側面に回り、押してみた。すると本棚が押した方向へ滑っていく。そして本棚の後ろの壁が姿を現した。
その壁に鉄製の小さな扉があった。鍵穴がいくつもついている。マデリシアの腕前ならば、鍵を開けることができるだろう。ただ、店主の死体が後ろに転がっている。そこに鍵がある可能性もあった。
「ねえ。その人、鍵束持ってない?」
マデリシアは首を回して後ろのローレンスに声をかけた。ローレンスは血だまりから顔を上げ、もう一度死体を調べた。
「あった。これか」
赤く染まった鍵束を取り出し、マデリシアに投げてよこした。
マデリシアは後ろ手に掴むと、その鍵を使って鉄の扉を開けた。
ローレンスがマデリシアの横に移動してきた。マデリシアの肩越しに鉄の扉の奥を眺めている。
そこには一束の帳面があった。
ローレンスはマデリシアを押しのけると、その帳面を手に取った。帳面の表紙に血が付くのも構わず、軽く折り曲げてパラパラとめくった。
「それ、なんなの?」
マデリシアは肩についたローレンスの手形を、後ろのソファーにあった人の服を使って拭き取った。完全には拭き取れず、不機嫌そうに眺めた。
服をローレンスに渡すと、彼はその服で手を拭き、改めて帳面を広げた。
「暗殺の依頼料と報酬を記したものだ。日付と金額のみだが、これで暗殺組織の解明にはつながるだろう」
ローレンスは興奮した面持ちで答えた。
「数字だけってことは、誰が依頼して、誰が殺されて、実行犯は誰でって、分からず仕舞いね」
「そうかもしれん」
ローレンスは上の空で答えていた。
人の気配に、マデリシアは身構えて部屋の入り口を見た。そこに少年が一人立っていた。
「あら、クリス。どうしたの?鎧なんか身に着けちゃって」
マデリシアの言葉に、ローレンスは帳面から顔を上げ、部屋の入り口を見た。
「おや、君は…」
ローレンスは少年に見覚えがあった。ジェラルドに付き従い、町を巡回していた少年兵だ。鎧の重さに振り回され、転んでいたところを目撃したことがあった。
「あ、忘れてた」
クリスははにかむように笑うと、鎧の留め具を外した。すっかり鎧の重さに慣れていたようだ。かさばる全身鎧をパーツごとに外していき、その辺の廊下に投げていた。外し終わるとクリスは顔を上げて尋ねた。
「マデリシアさん。ローグさんと姉さんを知りませんか?」
マデリシアははにかんでいるクリスの顔を見て、胸を締め付けられた。事情を知らないクリスは、待たせたことを恥じてか、はにかむように笑っている。
クリスの姉は表の通りの端に倒れたままだ。マデリシアはそのことを、この無垢な少年に伝えなければならないと思うと、気が重くなった。
言わないわけにもいかない。マデリシアは大きなため息をついて、幾分捨て鉢になって、ついておいでとクリスの手を取った。
ローレンスは異常な雰囲気を察したのか、何も言わずに見送った。それよりも、手にした帳面の方が大事だったのだろう。ローレンスは帳面に視線を戻し、じっくりと眺めていた。
破壊された町並みは、職人街ということと、早朝に人がいなかったことも幸いして、住民に被害はなかった。
ただ、仕事道具が倒壊した建物の下敷きになり、しばらく商売にならない店が続出した。
城壁の一部も倒壊しており、横幅は少なかったものの、一直線に破壊された様子がうかがえた。
キュリアスはその修繕の費用と、職人たちの仕事が停滞する間の補填をしなければならない。
幸いにも、キュリアスには支払う方法があった。キュリアスは遺跡の利権を持っていた。魔力石とかマナストーンとか言われる、魔道具の動力源に使える石が多く出土する遺跡で、国に管理してもらう代わりに、利益の分配を受けていた。
キュリアスはその遺跡の権利を手放すことで、町の修理費、しばらく職を失う職人への手当をねん出した。権利を受け取り、実際の費用を拠出するのは、国である。
カークロスは面白がって権利書を受け取った。しかし、それだけでは納得のいかない文官たちが声を荒げた。度々町を破壊するキュリアスを、修繕費を補填したから無罪放免にするというのは納得いかないとの主張だった。
「もっともだ。さて、どうしてくれようか」
カークロスは玉座にふんぞり返り、うなだれているキュリアスを眺めた。いつも飄々としている男がうなだれているのは、見ていて面白かった。
カークロスには、これを機に、キュリアスを自分の配下に取り込みたいとの思惑もあったので、下手な処分を下せなかった。かといって、処分が軽いと、家臣団の反感を買ってしまう。
「ではこうしよう。向こう一年間、王都への立ち入りを禁ずる」
カークロスはいわゆる追放処分を宣言していた。
文官たちが、軽すぎますと訴える声を上げていた。
キュリアスは逆に、それは困ると言いたげな表情を上げていた。確かに困るだろう。追放されれば、シャイラベルと頻繁に会うことなどできない。
「さて、軽いとも言い切れまいよ」
口を開いたのは、重鎮の一人、ルキウス・テナクスナトラ侯爵だった。老練の彼は文官たちの信が熱く、絶大な効果を発揮した。
「こ奴は王都を拠点に活動しておった。その拠点を失うとあっては、冒険者にとって、一からやり直すも同義じゃ」
文官たちの間から、なるほどとの声が上がった。ルキウスは最後にキュリアスに向かって言った。
「裸一貫からやり直せとの意味も含まれておろう。エイクードとやら。王の恩情に感謝せよ」
「老人。持ち上げ過ぎだ」
カークロスはそう言って笑った。すぐに笑いを引っ込め、しかしと切り出した。
「貴様は希に見る武人だ。武官として我が配下になるというのであれば、罰を免除してやってもよいぞ」
文官から抗議の呻きが上がるが、カークロスは手を振って制した。
「どうだ?」
「そんな施しを受けるわけにはいかない」
キュリアスは苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、吐き出すように答えた。父親同然の男を自らの手で殺したことで精神的に参っている状態で、更に屈辱的な情けを受けるなど、キュリアスには到底受け入れられるものではなかった。受けてしまえば、自分を失うことになると、本能的にかぎ取っていた。
「どうしてもか?」
カークロスは断られると分かったうえでなお、念を押していた。
「答えは変わらねぇ」
不遜な口をききおってと誰かが唸り声を上げた。それをカークロスは手を振って制した。謁見の間が一瞬にして静まり返る。
「よろしい。では、こ奴を即刻退去させよ」
カークロスが命じると衛兵がキュリアスの肩を押して外へ向かわせた。
キュリアスは衛兵に付き添われたまま冒険者の宿へ戻り、荷づくりをして町を出た。
冒険者の宿では皆が祭りの後よろしく寝静まっているらしく、珍しく静かだった。キュリアスは店主に出禁になったとだけ言い、別れを告げた。
特に何も考えていなかったにもかかわらず、自然と足は北を目指していたらしく、北門を出たところで、衛兵の見送りと別れたのだった。
キュリアスが振り向くと、衛兵はまだ門の脇に残り、キュリアスを見張っていた。
その脇を、若草色の髪を風にたなびかせて、マデリシアが歩み出てきた。背に旅支度がある。
マデリシアはキュリアスの前までゆっくりと歩み寄ると、さ、行きましょと言ってキュリアスを追い越した。
「あたしを置いて行こうだなんて、思わないことね」
マデリシアがキュリアスに背を向けたまま、呟くように言った。その声はよく聞き取れなかった。
「何か言ったか?」
「暑くなりそうね」
「ん。ああ、そうだな」
キュリアスは答えながらマデリシアの横に並び、北を目指した。目指す北の空に、焼き付けるような日差しが輝いていた。