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アドベスタ  作者: ばぼびぃ
5/15

冒険者の宴

  1


「おや。エッジさんにバンシーさんではありませんか」

 老人はちらりと目線を上げて言った。その間もずっと、屋台で肉を焼き続け、そこにソースをかけて香ばしい匂いを漂わせた。肉の隣でパンに焼き目を付けている。

「ここしばらくお見かけしませんでしたね。怪我でもなさっていないか心配しておりましたよ」

 老人は慣れた手つきでパンに野菜と肉をはさみ、待ちわびていた客に差し出した。

「心配されるほどやわじゃねぇよ」

 次の客、キュリアス・エイクードは気安く答えると、いつもの、と言いかけて止まった。

「謎肉ってなんだ?」

 メニューに見慣れない文字があった。キュリアスの後ろでマデリシア・ソングが、バンシーと呼ばないで、と抗議していたが、誰も聞いていない。

「ああ、それですか。謎のままがよろしいかと。味には自信がありますよ」

「ほう。冒険者に売り込むにゃ、いいネーミングだ。挑戦したがるだろ」

「そのようですね」

 老人は答えてほほ笑んだ。

「よし、その謎肉といつものを頼む」

「バンシーさんは何になさいますか?」

「あたしも謎肉挑戦!野菜多めでお願いね」

「承知しました」

 老人は屋台の下に格納された、冷蔵機能の付いた魔道具から肉を取り出して焼きにかかった。肉は初めから切りそろえてあるようで、三枚の肉を一度に焼いた。

 素人目に見ても、二枚は柔らかそうに見えた。焼けた鉄板の上に乗った途端に脂が溢れ出している。

 キュリアスは老人の調理を横目に見ながら、辺りを見渡した。三か月ぶりの王都はどこも変わりがないようだ。変わったと言えば、少し暖かくなってきたことくらいだろうか。

 王都セインプレイスの中央広場は人でごった返している。広場を囲むように屋台が並んでおり、その中の一つが、キュリアスたちの注文した屋台である。

 屋台は食べ物が多いが、工芸品を売る店もある。中央広場へ観光に来た客に、お土産として売り込んでいる。

 老人が続いてパンを取り出し、切った。肉の焼け具合を確かめ、裏返すと、肉汁の上にパンを乗せた。

 香ばしい匂いと、パチパチと弾ける音が、食欲をそそる。

 中央広場の中央に、人が多く集まる場所がある。そこが観光の名所だ。信仰、祈りをささげる場所でもある。

 人々が集まり、祈る先に、女性の像があった。名も無き女神の像と呼ばれる。

 その昔、世界が大災害に見舞われた時、一人の女神が舞い降り、人々をこの地へ導いたと伝えられていた。その女神は名乗らずに立ち去ったがために、名も無き女神としてあがめられるようになった。

 マデリシアに頼めば、この昔話もすぐに歌い聞かせてくれる。が、キュリアスは女神の物語よりも、戦記の方が好きだった。

 そもそも、キュリアスは女神信仰など持ち合わせていなかった。ありがたそうに女神の像に参拝する人々を、不思議な生き物のように眺めるだけだった。

「女神の像が何してくれるってんだ」

 以前、マデリシアがキュリアスの不信心を追求した時、キュリアスは平然と言ってのけた。

「何の助けもしてくれないものにすがっても仕方ない」

「それは強者の理論よ」

「なんだそりゃ」

「エッジには理解できないってこと」

 その時の会話はそんなものだったと、キュリアスは思い出していた。

 老人が屋台の下から野菜を取り出し、手早く刻んだ。肉にソースをかけ、裏返してもう一度ソースをかけた。

 匂いにつられ、キュリアスの口の中に唾があふれていた。完成まで間近だ。もう僅かな時間、待たなければならない。

 キュリアスは女神の像の更に北にある建物を眺めた。

 広場に面して建つ砦が、町が大きくなるにつれ、城へと改築されたものだ。キュリアスが生まれる以前の出来事である。元の砦の形など、知る由もなかった。

 キュリアスの視線は自然と、城のとある塔へと向かった。シャイラベル・ハートの自室がある場所だ。

 シャイラベルは淡いオレンジ色の髪が特徴的な少女だ。キュリアスと何かとかかわりのある王女でもある。

「愛しの姫さまっ」

 キュリアスの視線の先に気付いたマデリシアが、耳元でからかうように囁いていた。マデリシアの顔がすぐ横にある。振り向くと、彼女は下から刺すように見つめた後、すっと屋台に眼を移していた。

 見せつけるように、マデリシアの若草の色をした髪が揺れていた。

「お二人は仕事で町を離れておられたのですか?」

 老人はソースのかかった肉の焼き加減を確認しながら尋ねた。

 キュリアスは即答でいいやと言った後、短すぎて気まずく思え、言い訳するように付け加えた。

「ちょいと山籠もりをしていたのさ」

「そうそう。あたしたち、子供を育ててたの」

 マデリシアの言葉に老人は驚いた表情を浮かべ、二人の顔を見比べた。マデリシアの腹部の辺りにも視線を泳がせていた。

「誤解を招く言い方をするな」

 キュリアスはマデリシアに文句をつけると、違うんだと老人に言った。

「傷ついた野生の動物を見つけてね。親ともはぐれたらしい。そいつを育てていたってわけさ」

「エッジさんが博愛主義者だとは存じませんでした」

「じいさんも言ってくれるじゃないか」

 キュリアスは文句を言ったものの、怒っているわけではない。その証拠に、老人と一緒になって笑っている。

 老人はパンを裏返し、焼き目を付けた。

「そう言えば、パンも出回ったのね」

 マデリシアが思い出したように言った。キュリアスたちが町を出たころは、小麦が枯渇し、パンが高級食材になっていた。

「お二人に出会ったのはいつでしたかね。あの後しばらくしてから、小麦が大量に輸入されまして」

 老人は答えながら、焼け目のついたパンに野菜を乗せ、ソースを絡めた肉を置き、更に野菜を乗せて、パンで挟んだ。

「あの時はどうなるかと気を揉んだものです。あたしは多少の在庫を持ってましたので商売を続けられましたけれど、そろそろそれも尽きようかという頃でした」

 老人は出来上がったものをキュリアスとマデリシアに差し出した。

 キュリアスは代金を屋台の上に置くと、食べ物を受け取った。マデリシアもキュリアスに倣ってお金を置き、商品を受け取る。

 二人とも、少し多めに支払う。初めこそは老人が遠慮し、拒んだものの、キュリアスたちがさも当然のごとく払うので、ついには老人がおれた形だった。

「味に対しての気持ちだ。少ないが、取っといてくれ」

 キュリアスは以前、そう言って余分に払った。老人はそれを受け入れた格好でもある。

 老人はお金を屋台の下にしまうと、次の客の注文を取り、調理にかかった。

「品切れにならずに済んだわけだ」

 キュリアスは屋台の横に移動し、謎肉と言われた方を一口かじった。口の中で肉が融けるように広がる。

「ええ。代わりに、パンだけよこせともめ事も起こりましたけどね」

 老人は手際よく調理をしながら答えた。その言葉を遮るように、マデリシアの声が広場に響き渡った。

「何これ!謎肉美味しすぎ!」

「ハハハ。お気に召していただき、ありがとうございます」

 老人は照れたように言ったが、マデリシアが何の肉なのよと追及しても答えなかった。

 キュリアスには二度目の食感に思えていた。もしも同じものであれば、謎のままの方がいい。が、老人がこの肉をどこで手に入れたのかは、気になるところだった。

「じいさん。この肉、どこで手に入れた?」

「それもお答えできません」

「いや、たぶん、俺はこいつを食ったことがある」

「おや?ご存じでしたか?」

「エリック何とかってやつに食わせてもらったことがある」

「エリック・パシュートさんですか。今、村に滞在なさってますよ」

「奴の仕業か…」

「ええ。村の新しい産業にと」

「マジか」

 キュリアスは思わず驚きの声を上げていた。

「エリックさんは村に産業をとおっしゃって、もう一つ実験なさってます。そちらは思わしくないようでして、解決するまで滞在されるそうですよ」

 老人は共通の知人の境遇を知らせてくれたが、キュリアスにとって、エリックの境遇にそれほど興味のあることではなかった。話を聞きながら、謎肉の正体をかみしめ、平らげた。

「それにしても、正体をご存じなのに、平気で食されますね」

 老人は客の対応をしながら、キュリアスに感心したように言った。

「思い描きながらってのはさすがに食い難いな」

 キュリアスは軽く答えると、残しておいたいつもの方に口を付けた。こちらの肉は、謎肉に比べて歯ごたえがしっかりある。特製ソースが肉汁と絡んで、旨味を引き出していた。味がよく、食べ応えもある一品で、キュリアスのお気に入りだった。

 老人が、多めの料金を払ってくれるキュリアスに対し、肉や野菜を少し多めに使ってくれているので、ボリュームもそれなりにある。

 しかし、このソースが胆だな。キュリアスはこれを食べるたびに思う。秘伝、特製、なんとでも謳えそうな、老人の店特有のものだった。

 以前、ソースについて尋ねた時、老人は我が家の秘伝です、と笑って答えたものだ。

「そんなに醜悪な生き物なの?」

 自分のものを食べきったマデリシアが、新たに老人が焼き始めた謎肉を眺めて尋ねた。

 屋台の前に、先ほどのマデリシアの叫び声を聞きつけて人が集まり、長蛇の列をなしていた。老人はキュリアスと会話しながらも、引っ切り無しに調理と客対応を続けていた。

 老人とキュリアスが顔を見合わせた。キュリアスは苦笑すると、老人の言葉をなぞって、

「知らぬが花だ」

 とだけ答えた。

 客の列の後ろで何か騒動が起こっていた。押すな、押してないと、二人の男が言い争っているようだ。

 キュリアスは最後の一切れを口の中に放り込み、事の成り行きを見守っていた。

 マデリシアは執拗に、謎肉の正体を尋ねているが、キュリアスも老人も素知らぬ顔をしていた。

 どこからともなく、屈強な男が数人現れ、言い争う男二人を取り囲んだ。途端に片方は大人しくなったものの、もう片方は来るな、触るなと、周りにまでくってかかった。

 屈強な男たちの一人が、騒ぎ続ける男を羽交い絞めにすると、ちょっと来てもらおうかと、静かに言い放った。声とは裏腹に、男を乱暴にどこかへ運び去る。

「カイエン一家はちゃんと仕事をしているようだ」

 キュリアスは屈強な男たちを見知っていた。

「おかげさまで、パン騒動の時も助けていただきました」

「そうなのか?今度、おやじの所に挨拶でもしておくか」

 キュリアスは以前もめごとの遭ったマフィアのボスを思い出していた。そのマフィアは今、この中央広場の治安を守る組織となっている。もちろん、各屋台から用心棒代をとっている。当然のごとく、慈善の団体ではなかった。

 キュリアスは忙しそうに立ち働く老人に、

「じゃましたな。うまかった」

 と礼を言って広場を後にした。マデリシアも後に続く。

「ちょっと。こっそり謎肉の正体を教えなさいな」

 キュリアスは振り向いてマデリシアを見つめ、知らない方がいいとだけ答えた。

 冒険者の宿にたどり着くまで、マデリシアは執拗に正体を聞き出そうと試みたが、キュリアスの口は堅かった。声の魔力を利用して聞き出そうとすると、キュリアスは歯を食いしばるようにして、口を閉ざしたのだった。

 冒険者の宿は賑わっていた。

 まだ昼過ぎだというのに、一階の酒場に冒険者風の人々があふれかえっていた。彼らはキュリアスとマデリシアを見かけると、生きていたのかだとか、ほとぼりは冷めたのかだとか、口々に勝手なことを言って迎えた。

「お前ら昼間っから何騒いでんだ?」

「昨日花見をやって、さっき起きだしたところさ」

 誰かが陽気に答えた。

「迎え酒しようってのに、マスターが出してくれねぇんだけどな」

 別の誰かが答えていた。

「やかましい!」

 響き渡る低い声は店主のものだ。

「依頼を受けたやつにだけ出してやる」

 キュリアスとマデリシアは他人事のように聞き流し、カウンターの席に腰を下ろした。

 横暴だとかなんだとか不満を言いながら、人々が掲示板に集まった。掲示板には、冒険者に向けた仕事の依頼書が張り出されている。

 商隊の護衛、用心棒の依頼、モンスターや害獣の駆除、特定のモンスターの目撃情報から発展した討伐依頼まである。はたまた、失くした物の探索、探し人の手伝い、遺跡の探索と言ったものまで、幅広い依頼があった。

 掲示板の前に集まった冒険者たちは、好みに合わせた依頼を選択する。興味を持った依頼が、他の冒険者と重なると、途端にどちらが受けるかで争いになった。が、その背後に店主が腕組みをして立つと、どういう訳か、大人しくなった。

 冒険者たちが次々と、思い思いの依頼書を持って、店主の元に集まった。受諾の手続きを行うのだ。中には冒険者の力量をはるかに超えた内容もあるため、店主は依頼書を持ってきた冒険者を値踏みし、許可、不許可を出していった。

 依頼を受けた冒険者たちは続いて酒を頼み、木製のコップになみなみと液体を注いで、各々、酒場のテーブルを占領していった。

 次第に喧騒の質が変化していく。

 店の中がひと段落付くと、店主はキュリアスたちの元へやってきた。

「一杯くれ」

 キュリアスは開口一番言った。

 注文を取りに来たと思った店主は、無言で首を左右に振り、掲示板を指差した。

「俺たちもか?今戻ったばかりだぜ?」

 キュリアスとマデリシアは三ヶ月ぶりに、宿に戻ったのだ。酒を飲み、柔らかいベッドで休みたかった。

 店主は有無を言わせず、もう一度掲示板を指差した。

「わーったよ」

 掲示板の前に立つ。ところが、依頼書がほとんどない。もはや選べるような状態ではなかった。残り二つである。

「飼い猫の捜索だと…」

「こっちもよ…」

 マデリシアは振り向きざまに抗議の声を上げた。

「ちょっと!マスター!もっとましな依頼ないのかしら?」

 店主は無言で睨みをきかせるだけだった。

 バッテン男爵のラブ捜索。コプランド男爵のアーサー捜索。どちらも猫で、その特徴が箇条書きされていた。ラブの方は依頼書が出されて一ヶ月以上経過している。アーサーの方は数日前になっていた。

「分ったわよ。やればいいんでしょ、やれば!」

 マデリシアは依頼書を引きはがして持っていった。二枚ともである。

 きっと騒ぎになるな。キュリアスはこの後の展開が予測できたが、止めるつもりもなかった。



  2


 二時間後に、キュリアスは鉄格子の中にいた。悪い予想の一つが的中した形だった。

 柔らかいベッドどころか、硬く冷たい檻の中だ。酒もなければ、うまい食事もない。先ほどまで、マデリシアが風呂に入りたいと騒いでいたが、ここでは望みようのないものだった。

 投獄されることはキュリアスも予測していたが、予想外のことも起こっている。他の居房に多くの冒険者仲間が、次々と投獄されていた。

 冒険者の宿の常連たちも多く見受けられた。ジャック・クリント・ヤングという中年の冒険者もその一人だ。ロブ、ランドン、ブリジット、トムという四人組も仲良く投獄されて行くのを見た。

「おい。アルバート。どうなってんだ?」

 キュリアスは鉄格子をつかみ、身体を鉄格子にできるだけ近づけて、廊下の先に立つアルバート・フェンサーに声をかけた。

 アルバートはセインプレイスの守備隊施設の地下に設けられた監獄の看守だった。キュリアスたちが時々投獄されるうちに、顔見知りとなり、話もするようになっていた。

 守備隊の兵士三人がまた冒険者を連れておりてきたため、アルバートはキュリアスの問いに答えなかった。

 守備隊はアルバートたち看守に、権高に冒険者を突き出すと、閉じ込めておけと言った。

 守備隊はエリート意識が高いのか、同じ組織であるはずの看守に対して、蔑むような態度をとることが多かった。それは、守備隊施設の地下にひっそりと監獄があることも、影響している。地下の日陰者との見方をしているのだ。

 アルバートたち看守は逆らうことなく、連行されてきた冒険者を引き受けると、空いている居房に入れた。

 守備隊は聞こえよがしに、

「陰気な奴らだ」

 だとか、

「地下にいるから性格も暗くなっちまったようだな」

 などと言い合って笑い声を上げながら、上へ戻っていった。

「何時もつるまなきゃ何もできない連中がよく言う」

 キュリアスが小声で呟いていると、アルバートは聞きとがめたのか、三人一組が鉄則だろうと、それでも階段の方を睨みながら言った。

 他の看守が所定の位置に戻るのを待って、アルバートはキュリアスに向き直った。

 そう言えばこいつ、守備隊志願者だったな。キュリアスはアルバートの目標を思い出した。目指す部署を悪く言うはずもない。が、反目する気持ちもないわけではないようだった。

 アルバートは剣技に優れ、守備隊へ進むには十分な技術を有している。が、それでも守備隊に配属されずに数年を経ていた。

 アルバートはキュリアスより二歳年下だ。その青年の剣技はおそらく、守備隊の中でかなり抜きんでたものである。自分でもてこずる相手だろうと、キュリアスは見ている。

 それだけ有望なアルバートを看守に留めているのは、現在の守備隊の隊長であるジェラルド・ソルトン男爵の一存であると言われていた。

 ジェラルドは賄賂、贈り物を好むと噂のある男だ。アルバートが守備隊に配属されないのは、賄賂を出さなかったことに対する制裁ではないかと、ゲスな勘繰りをしたくなるほどである。

 それはともかくとして、アルバートが権力に媚を売らないため、嫌煙されている可能性はあった。

 かといって、アルバートは正義の徒かといえば、そうでもないことが、何度か会って会話するうちに分かっていた。投獄される人にも生活や、その人にとっての価値観があることを、アルバートは多少なりと認める傾向があった。だからこそ、囚われの身であるはずのキュリアスとも、言葉を交わすのだ。

 だが、投獄された人間が媚びを売り、賄賂でも出そうとすると、アルバートは拒絶し、罪状を一つ付け加えることもいとわなかった。

 アルバートが口を開きかけた時、隣の居房から声が上がった。

「そう言えばここって、あたし、大声出してもいいのね!ここってサイコー!」

 マデリシアの大声である。キュリアスは聞き流していたが、ここに入ってから、発声練習をやたらとしていたようにも思えた。

 マデリシアの声が音階を踏むように、軽やかに上昇していく。

 普段であれば、そろそろガラスが割れるころだと、キュリアスは耳を塞いだが、特に何も起こらなかった。居房の魔法封じの仕掛けが、マデリシアの声に宿る魔力にも効果があるらしい。

 キュリアスの入っている居房にも同じ仕掛けがある。キュリアスが何でも斬り裂くので、予防的処置なのだろう。今まで試しに斬ってみようと考えたことはなかったので、効果があるのかどうかも分かっていなかった。

 アルバートが隣の房へ向かった。

「おい!うるさいぞ!」

「いいじゃないのさ!あたしの声でものが壊れないのよ?これって、歌っていいってことでしょ?そうよね。いいのよね!」

 マデリシアは自分で勝手な答えを導き出すと、アルバートの制止を無視して、流行の冒険譚を歌い始めた。

 途端に、周りの冒険者たちが、いいぞとか、待ってましたなどと無責任にはやし立てた。

 アルバートは諦めた様子で、キュリアスの居房の前へ戻ってきた。

「まったく。お前らときたら…」

 俺に言われても困ると、キュリアスは片眉を上げて答えた。

「それにしても、マディの声に魔法封じが聞くとはねぇ」

 キュリアスは過去に何度か居房に入り、今回のようにマデリシアが騒ぐのに出くわしたが、どうしても身構えてしまう。マデリシアの声の力が押さえられていると、信じきることができなかった。

 キュリアスはそっと耳元から手を放した。確かに、今回も何も割れず、誰かが操られた様子もなかった。

「毎度毎度お祭り騒ぎか。お前ら、投獄された自覚、あるのか?」

 アルバートは声を張り上げた。そうしないと、冒険者たちの喧騒に負けて聞こえないのだ。だというのに、マデリシアの歌声だけはよくとおる。

「それで?この状況は何だ?」

 キュリアスは改めて、初めの質問を繰り返した。

 キュリアスの言わんとすることはアルバートにもすぐに察しがついたようだ。

「お前らが悪いんだ」

「俺ら?いや待て待て。俺は今日町に戻ったばかりだぜ」

「知ったことか。いつもバカ騒ぎしているじゃないか」

 キュリアスはアルバートの言葉をかみしめ、考えを巡らせた後、それは否定できんなと、真顔で答えた。

 アルバートはそれをたちの悪い冗談と受け取ったようで、大きなため息をもらした。

「で、冒険者が何かやらかしたのか?」

 キュリアスはもう一度質問した。

「昨夜、花見と称してあいつらがバカ騒ぎした」

 アルバートはため息交じりに答えた。

「そいつはもったいない。もう一日早く戻ればよかった」

「バカ言え。苦情が殺到して大変だったんだぞ」

 アルバートは残念がるキュリアスに睨みをきかせたが、効果はなかった。諦めて説明を続けた。

「見かねた守備隊の隊長が乗り出して、微罪でもいいから冒険者を残らず捕らえようとしているらしい」

「見かねた?好機と見たの間違いだろ。冒険者嫌いのあのジェラルド・ソルトン男爵が我慢するとは思えねぇな」

「だったら騒ぎを起こすな」

「それはそれ、これはこれだ」

 キュリアスの答えに、アルバートは頭を左右に振って嘆いていた。

 アルバートが何か言いかけたが、沸き起こった拍手にかき消されて聞こえなかった。マデリシアの歌が終わったようだ。そして、次の歌が始まる。ドラゴンスレイヤーの冒険譚だ。冒険者たちに人気の高い物語で、歓喜と拍手が迎えていた。

「それで。お前は何をやらかした?」

 アルバートは冒険者たちが大人しく歌に耳を傾けるのを待ってから言った。

「俺じゃない。マディだ」

「一緒のことだ」

「心外な!」

 キュリアスは傷ついたように答えたが、さして傷ついているわけでもなかった。

「あれか、ちょっと前におかしな呼び出し…」

「何だ。知ってるじゃないか」

「あれだけ騒がしければな…」

「猫も人も集まるわで、現場も大騒ぎだったぜ」

 猫探しの依頼を受けたマデリシアは、冒険者の宿の前へ出ると、大きな声を出した。猫のラブとアーサーに呼び掛け、ここに来るようにと叫んだのだ。続けて猫語と称してにゃあにゃあと叫んだものだ。

 騒ぎが気になったのか、それともマデリシアの声の魔力の効果があったのか、猫も人も集まった。本当に猫が集まったことには、キュリアスも驚いた。

 さらい驚いたことに、興味本位で集まった人々を除外すると、名前の中にラブやアーサーの含まれる人々だった。

 集まった猫の中から、ラブと特徴の一致する猫が現れた。ラブを依頼主の元に届ければ、さっそくに一件解決である。

 ところが、騒ぎには余分な人々も呼び寄せた。運悪く、守備隊の隊長直々にお出ましだった。マデリシアは言い訳も空しく、即捕らえられた。なぜかキュリアスまで連行されることになり、やむなく、ラブは冒険者の宿の店主に任せてきたのだった。

 ラブは今頃、飼い主の元に戻っているはずである。アーサーについては、別の方向から調べなおす必要があるようだ。もちろん、キュリアスたちが監獄から解放されれば、の話ではあるのだが。

 マデリシアの歌声が大人しくなっていた。次の曲に変わっている。騒々しい物語、歌い語りを好む冒険者たちが、どうしたことか、大人しく聞き入っている様子だった。

「おい、本当にマディの力を封じられているんだろうな」

 キュリアスは少し心配になって、アルバートに尋ねた。冒険者たちが、マデリシアの歌声に酔っているように見える。

「そのはずだ」

 アルバートも訝しんでいた。ただ、そのアルバートの身体が、マデリシアの歌声に合わせてゆっくりと、左右に揺れている。

 キュリアスが眼で訴えると、アルバートは慌てた様子で身体をこわばらせた。

「バンシーめ…」

「抑えきれてないな」

 キュリアスはそう言ったものの、必死で抵抗しなくても抗える程度なので、特に気に留めるまでもなかった。アルバートの様子を面白がって見ているだけである。

 マデリシアの声には魔力が宿る。誰かがそう言っていた。彼女の声を聞く人々を惑わせ、操る。

 普段ならば、キュリアスは声に抗おうと必死に耐えなければならない。迷惑極まりないのだが、耐える必要がないのならば、好きに歌わせておけばいいとも思っていた。

「時々マディをここに連れてきて、歌わせるのがいいな」

「よせ!こちらが迷惑する!」

「アルバート。そんなに遠慮するなって」

「遠慮などするか!」

「まあまあ。どうせそのうち、じい様が下りてきて皆を開放してくださるさ。それまでの辛抱だ」

 看守長はどうしたことか、微罪で捕まった冒険者を、守備隊の許しを得ることなく、解放してくれるのだった。今閉じ込められても、その内にすぐ出られると、楽観視していられる所以でもある。

「看守長なら私用でお出かけだ」

「何だと…」

 看守長がいないとなると、目論見通りにはいかない。看守長が出てくるまで、ここに閉じ込められることになる。最悪、守備隊の仕置きを受ける場合も出てくる。

 微罪だと、鞭打ち辺りが相場だ。撃たれた後はしばらく背中に物を触れることができなくなり、面倒極まりない。もちろん、痛みも伴うので、寝るのも一苦労になってしまう。そういう事態は避けたい。

「明日には出てくるか?」

「仕事熱心な方だからな。間違いなく出てくるだろう」

 今日の今日にすぐ仕置きということもないだろう。キュリアスはそう判断すると、気持ちが楽になった。看守長が出てくるまで、ここでくつろいでいればいい。

 うまい飯と酒がないだけで、騒げなくなるような冒険者はいない。いつでもどこでも面白おかしく行くのが、冒険者の流儀だと自負していた。

「おい、マディ!」

 キュリアスはマデリシアに呼び掛けた。間に壁があって見えないが、傍にいるかのように、マデリシアの歌声が響いている。その合間に、器用にも、なあに、とはさんだ。

「次は龍神のやつを頼む」

 マデリシアの返事はなかったが、ほどなくして歌っている曲が終わると、キュリアスの希望に応える物語を歌った。

 テンポよく歌う曲とは打って変わり、物語を、抑揚を込めて聴かせる。歌い語りだとか、マデリシアに言わせると吟遊詩人の技とかいうものだ。

 アルバートはキュリアスの居房前を離れ、看守の任に戻った。

「今から五千年前のこと」

 マデリシアの声が静かに語る。騒ぎ立てていた冒険者たちも大人しくなった。そうしなければ聞き取れないほどなのだ。

「少女が現れた。

 少女は病を治し、ケガを治療した。

 奇跡だ!奇跡を起こす少女だ!

 人々は聖女と崇めた。

 信仰厚き国は聖女を神の使いと称えた。

 神を信じる者は聖女によって救われるだろう!

 多くの人が救われ、神に感謝した。

 信仰厚き国は神の教えを広めた。

 神を信じよ!聖女を信じよ!さすれば救われん!

 神を信じぬ者には不幸が訪れるであろう!

 聖女が先頭に立ち、神を信じぬ者たちに神の御業を示した。

 一方で、かの国の教えを信じぬ国も多かった。

 神を信じなければ不幸になるのならば、我々は皆不幸か!断じて違う!

 聖女の奇跡とやらも作り話であろう!

 かの国は他国の主張に苛立ち、天罰を与えることもいとわなかった。

 他国を攻め、打ち滅ぼした。

 それ見たことか!神を信じぬからこそ、天罰が下ったのだ!

 聖女は光と影を伴った。

 人々を救う御業。

 不信を滅する刃。

 多くの者が天罰の名の下に殺され、また多くの者が奴隷となった。

 他国は、かの国に服従するか、打ち滅ぼされるか。

 服従か滅亡か。

 選べるはずもない。

 なす術もなく、滅ぶが定めか。

 一矢報いて散るのが華か」

 マデリシアは時に感情を込め、時に淡々と語った。時に低くささやき、時に声高に訴えた。声を震わせ、奇跡におののいた。声を震わせ、恐怖に怯えた。恐怖に立ち向かうべく、語気を強めた。

 マデリシアの声色の変化、語るテンポの変化に、キュリアスは酔いしれていた。他の房で聞き耳を立てている冒険者たちも同様だ。看守たちも物音一つ立てていなかった。

「かの国に龍の化身が降り立った。

 虐げられてもなお、かの国の教えを拒み続けた若者たちが、いよいよ処刑されようという時だった。

 龍の化身は何も語らなかった。

 ただ、圧制者たちを退け、若者たちを救った。

 龍神さま!

 俺たちも戦うぞ!

 家族を救い出すんだ!

 若者たちは武器を取り、自由を取り戻すべく立ち上がる。仲間を、家族を、愛する人を助けるべく、勇気を振り絞った。

 彼らの勇気を象徴するかのように、龍神が先陣を切った。

 奴隷となった家族を救い出し、自由と安息の地を求めた。

 西方には未だにかの国への抵抗を続けている諸王国があった。

 安息の地を目指そう!

 希望の西方へ!

 人々はかの国から逃れんと、西方を目指した。

 かの国は教義と威信をかけて奴隷たちを追う。

 神を拒絶する悪魔たちに鉄槌を!

 これは聖戦である!

 正義を信ずる兵士が集まり、その数たるや百万に達す。

 奴隷たちは兵士に囲まれ、無残に殺されて行く。

 龍神とその仲間が逃走路を確保し、さらには殿に立った。

 無茶だ!

 いくらあなた方でも百万の相手など…!

 自分たちも共に戦うという若者を、龍神は拒んだ。

 行け。

 ただ一言。若者たちの大半は、その力強い一言に押し戻された。

 残った若者たちは勇敢に散る覚悟だった。

 仲間を逃がすぞ!

 命に代えても!

 龍神は迫りくる軍勢に強力な衝撃波を放った。

 龍神の仲間も、大地を斬り裂き、強大な魔法を放った。風が戦場を駆け巡り、兵士を斬り裂いた。死神の鎌が兵士の首を飛ばしていく。

 さあ行け!

 龍神が再び、残った若者たちを促した。

 若者たちは龍神とその仲間の強さに安堵した。

 この方たちならば大丈夫だ!

 皆が逃げた。

 百万の軍勢を前に、残ったのは五人。

 よう。どうするよ。

 大地を割った男が言った。

 逃げましょうか。

 風の中から人の声が聞こえる。

 この辺りに血の池でも作ろうかしら。

 偉大な魔法使いが笑った。

 鎌を振るう男は口を利かない。

 百万の軍勢は威信をかけて追撃してくる。

 臆して逃れば、人々に害する。

 向かうはたかが五人。

 百万の波に飲み込まれる藻屑に等しい。

 比類なき龍神と言えど。

 強力無比の仲間たちと言えど。

 絶望が迫っていた。

 だが、龍神は退かない」

 マデリシアの声が静かに響き渡った。獄中に妙な熱気が渦巻いている。それは冒険者たちの身体から発する熱だ。

 唸るような声が響いた。

 次に来るセリフは、皆が知っている。

 マデリシアは熱気を最高潮まで引き上げるべく、間を空けていた。

 おもむろに、足を踏み鳴らした。

「すべての敵を迎え撃つ」

 静かに、だが、身体の奥底から響き渡るような声が、監獄内を支配した。

 歓声が上がる。我慢のできなくなった冒険者たちが思い思いに叫んでいた。

 キュリアスも思わず雄叫びを上げていた。

 無謀な戦いに挑んだ過去の英雄たちに、魂が揺さぶられていた。身体がうずいてじっとしていられないなのだが、監獄内ではどうにもならない。自由になる声を、張り上げるしかなかった。

 冒険者たちの雄叫びは、守備隊が大挙して騒ぎを沈めに来るまで続くのだった。



  3


 外は雨が降り続いていた。雨は、暖かくなり始めていたすべてのものから熱を奪い取り、冬に逆戻りしたかのような冷気を運んできた。

 キュリアスのいる部屋は暖炉の熱で暖かかった。薪が小気味良い音をたてながら燃えている。

 牢獄で過ごした日から数日が経過している。次の日に看守長の老人が現れ、冒険者一同を開放した。老人は冒険者たちを労い、放免したのだった。

「おう、そうだ。猫を見つけてくれたそうだな。ありがとうよ」

 看守長はキュリアスに世間話のように声をかけて立ち去った。

 キュリアスは思わず、マデリシアと顔を見合わせたものだ。

 今も、隣にいるマデリシアの顔を思わず覗き込んでしまった。今しがた、マデリシアの口から訳の分からない言葉が飛び出していた。

「だから、あたしと姫はライバルなの」

「だから何の?」

「エッジには関係ないわ。これは女の子同士のことなの」

 マデリシアの冷たい視線を浴び、キュリアスは眉をひそめた。テーブルの反対側に座る淡いオレンジ色の髪の少女が面白そうに眺めていた。

「お前が女の子と言えた義理かい」

 キュリアスは吐き捨てるように言うと、テーブルに肘をつき、その上に頬を乗せた。

「貴様。姫様の御前で無礼だぞ!」

 白銀の鎧に身を固めた女性がテーブルを叩いた。衝撃でキュリアスの顔が持ち上がる。そのまま顔を落とすと自分の手で撃ちつけるようになるので、首に力を込めて抵抗した。

「フラムクリス」

 シャイラベル・ハートは物静かな声を発した。自身の淡いオレンジ色の髪を片手ですくい上げる。

「失礼しました」

 フラムクリス・アルゲンテースは姿勢を正し、シャイラベルの斜め後ろに控えた。白銀の鎧が暖炉の炎を浴び、清らかな輝きを帯びていた。

 扉の向こうからくぐもった騒音が聞こえる。密談ができるように厚い扉に仕立てたこの部屋でも、外の酒場の騒音が聞こえるのだ。

 扉の向こうは冒険者の宿の酒場である。

「昼間からにぎやかですね」

 シャイラベルは微笑みながら言った。

「雨ともなれば、開店休業みたいなもんさ」

 キュリアスは悪びれることなく言ってのけた。キュリアスもマデリシアも、遅い朝食を済ませ、ゆっくりしていたところへ、シャイラベルが訪問してきたのだった。

 フラムクリスの視線に蔑むような色が含まれているが、キュリアスは見て見ぬふりをした。

「小麦の件はあれでひと段落したんだってな」

 キュリアスは再び頬杖をつきながら言った。

「おかげさまで、かなりの量を取り戻せました」

 シャイラベルはおっとりと答えた。

「しかし、あの件は納得いきません」

 フラムクリスが不満の声を上げた。

「よいのですよ。民が皆救われたのです。それで良しとしましょう」

「何かあったのか?」

「当ててみせようか?」

 キュリアスの問いにかぶせるように、マデリシアが得意満面に言った。シャイラベルが答えるよりも先に、マデリシアは答えを述べた。

「サイモン・ビトレイアル卿」

 シャイラベルが頷いて見せた。

「あのお方はどこからあれほどの小麦を入手されたのか」

 フラムクリスは疑問を口にしたが、彼女の一番の懸念は、主人の功績が薄れ、人々からの感謝が少ないことだった。民のために尽力した主人がないがしろにされることに、憤っていた。

「シャイラベルより多くの小麦を持ち込んだのよね」

 マデリシアが言うと、シャイラベルは小さく頷いた。

「私の数倍の量でした。さすがとしか申しようがございません」

「サイモン・ビトレイアルか。確か、アグリクルツの王家の血筋だったな。そっちから用立ててもらったんだろう」

 キュリアスの見立てに、マデリシアも賛同した。

「あっちのルートも盗賊に襲われていたようだけど、何とかなったのね」

「どちらにしても、食の供給が、遅まきながらも間に合ったのです。誰が入手してもよいのですよ。遅すぎたことについては悔やまれてしかたありません」

 厚い扉越しにも響くノックがあった。遠慮するように扉が開き、白い前掛けをつけた、筋骨たくましい男が入ってきた。ティーカップをのせた盆が手のひらに収まっている。

「マスター。似合わないことをするな。笑えるじゃないか」

 キュリアスは開口一番、笑いを含んだ声で迎えた。

「うるせぇ!」

 店主はキュリアスを威嚇しておいて、咳払いを一つすると、筋骨たくましい身体を縮こまらせて、シャイラベルに頭を下げた。

「お紅茶でございます」

 店主の猫なで声に、キュリアスとマデリシアが噴き出していた。店主はシャイラベルの前にティーカップを置き、その隣にもう一つ置いた。

 店主はテーブルを回り込んでキュリアスとマデリシアの前にも置くのだが、乱暴に差し出し、中身が半分こぼれていた。

「笑いが止まらねぇ」

 キュリアスはこぼれた紅茶まで笑っていた。

「早く行って」

 マデリシアもお腹を押さえ、店主を見ては笑い声をあげていた。

「てめぇら…。覚えてやがれ…」

 店主は吐き捨てるように言うと、シャイラベルに、巨体を縮こまらせるようにしてお辞儀すると、部屋を出て行った。

「元冒険者が格式張ってみせても、滑稽なだけだ」

 フラムクリスは笑わなかったものの、不作法だったと言いたげにしていた。

「まあ、俺らに作法を要求するのが間違いの元だな」

 キュリアスは悪びれずに言い放つと、ティーカップを掴んで一口飲んだ。味は悪くない。無骨な店主と味が結びつかず、驚きを運んできた。

「作法や姿かたちで入れるものではありません。味はよろしくてよ」

 シャイラベルの言葉に、フラムクリスも紅茶を一口飲み、おっしゃる通りですと答えていた。

「あの子たち、役に立ってる?」

 マデリシアは紅茶をすすりながら言った。

「ええ。未熟ではありますが、情報収集に役立っております。マデリシア様。あの三人を紹介してくださり、ありがとうございます」

「ディズマ一家の三人も、盗賊ばかりが将来の道ではないと分かったでしょう」

 マデリシアは頷き、優雅に紅茶を口に運んだ。

「クリス、でしたか。彼は潜入捜査に才能を開花させそうです」

「ルーイットは顔に出やすいのが欠点だけど、隠密行動で対処できることなら大丈夫でしょ」

「はい。そしてその二人を指導するローグは万事、無難に行えるようです」

「あの三人、さっそく成果を上げたの?」

「ええ。その件で、少し報告があります」

 シャイラベルは紅茶で喉を潤すと、フランシス・バーグの一件を覚えておいでですかと切り出した。

 キュリアスとマデリシアが頷く。

 フランシス・バーグは金貸しで、同業のザック・ケイソン、アーノルド・シュレイダーの二人を暗殺しようとした。

 キュリアスはザックを、マデリシアはアーノルドを、それぞれ護衛し、フランシスの企みを阻止した。

 しかし、フランシスはサム・ガゼルという狂人により殺害され、彼がなぜ同業者の二人の命を狙ったのか、不明のまま終わっていた。

「フランシス・バーグは裏金の窓口だったのです」

 シャイラベルは具体例を挙げて説明した。

 とある商人が一万の賄賂を贈ろうとする。フランシス・バーグを呼び出すと、彼は九千の借用書を、任意の以前の日付をつけて作成し、一万と引き換える。

 フランシス・バーグは商人が賄賂を贈りたい相手に、預かり金名目で、九千と利息分を添えて、返済する。

 全て書面にしており、それが後から作られたものかどうか判別する手段がないため、賄賂と追及することはできなかった。

「預かってもいない預かり金名目で渡すってこと?」

 マデリシアは唸り声を上げながら確認した。

「ふつうは証拠を残したがらないのに、そんな書面に残るようなことまでして…」

「しかし、元からあったお金を返してもらったまでと申し開きされれば、それまでですので、追及をかわす上では有益です」

 黙って話を聞いていたキュリアスは一つ推測できたことがあり、口にした。

「そのシステムを、ザック・ケイソンは知っていたのか?だから命を狙われた?」

「ご存じではありませんでした。ただ、返金のために貴族の邸宅へ赴いたことはあったそうです。フランシス・バーグはザック・ケイソンに内情を知られていると警戒したのかもしれません」

「ザック・ケイソンはフランシス・バーグの下請けもしていたので、懐事情に詳しく、そこから煙が立つことを警戒したのだろう。口を塞いでおけば、その心配も無用だ」

 フラムクリスは口封じだと考えているようだ。

「同時にフランシス・バーグは莫大な資金も必要としていました。ザック・ケイソンの蓄財を当てにしていたのでしょう」

 シャイラベルも推測を述べた。

「暗殺者を雇うなど、安易で直接的な手段に出たところをみると、よほど切迫していたのでしょう」

 シャイラベルはそう言って、フランシス・バーグの貸金業において、多額の使途不明金が発生していたことや、金銭的に首が回らなくなっていたことを語った。

「ハンデルの貿易商、アラガント商会にも多額の資金を貸し出して、回収できていませんでした」

「アラガント商会…。どっかで聞いたな」

 キュリアスの疑問に、マデリシアが答えた。

「小麦を運んでた商隊じゃなかったかしら」

「そのとおりです。小麦が高値を付けているので、商機があると踏んで多額の資金を貸し出したのでしょう」

「賄賂を贈った先は?」

 マデリシアはもう一つの金の流れを尋ねた。

「書類があるのでどなたのものが賄賂などの裏金なのかは判じかねます。ただ、金額の多さで気になるのは、アナベルト・サーカム、ジェラルド・ソルトン、ハロルド・ナハトマージです」

 シャイラベルは三人の名前を上げた。

「三人とも男爵ね。うち二人はテナクスナトラ派だった気がするわ」

 マデリシアはティーカップをもてあそび、揺れ動く紅茶の表面を眺めていた。

「さすが情報ギルド所属ですわ」

 シャイラベルは賛辞を口にし、紅茶を一口飲んだ。

 マデリシアはもてあそんでいた紅茶を口に運び、飲みほした。

 キュリアスもテナクスナトラの名に聞き覚えがあった。

「テナクスナトラと言えば、シャイラベルと敵対している侯爵だったな」

「敵対ではありません。手厳しくはありますが、若輩者の私を指導してくださっているのです」

「老獪なジジイだ。姫様が台頭するのを嫌い、ことあるごとに難癖をつけている」

 フラムクリスは思い出しても忌々しいと、怒気を含んだ声で言った。シャイラベルがフラムクリスをたしなめ、あの老人は決して国にとって悪いことは行いませんよと諭した。

「それはどうだかわかったものでは…」

 フラムクリスは不満そうに言い返したが、途中で言葉を切り、余計な口出しでしたと詫びた。

 キュリアスはそのやりとりを上の空で聞いていた。シャイラベルが口にした三人の男爵のうち、一人に覚えがある。

 最近の記憶ではない。そうすると、キュリアスが暗殺部隊に属していたころになる。あれから数年。無事にその人物が生存しているところをみると、標的ではなく、依頼者の側に違いなかった。

「アナベルト・サーカムはどの派閥だ?」

 キュリアスは記憶にある名前を口にした。

「彼はテナクスナトラ派です」

 シャイラベルは静かに答えた。キュリアスの反応に何かしらの危惧を察した様子で、キュリアスの次の言葉を待って見つめていた。

 澄んだ瞳がキュリアスの内側まで覗き見るようだ。キュリアスの胸の奥で何かが弾む。彼女にもっと見つめてもらえば、その弾む何かを理解できるのかもしれない。

 マデリシアがわざとらしい咳払いをした。

 キュリアスは我に返ると、気を付けた方がいいと一言だけ告げた。

 シャイラベルはキュリアスをしばらく見つめた後、探らせてみましょうと言った。

「ハロルド・ナハトマージは元商人でしょ。お金は持ってたでしょうね」

 マデリシアはシャイラベルの視線をキュリアスから奪うように、言った。

「彼に疑わしい所はないと?」

「それは分からないわ。元商人ならお金も大好きだから、貢がれるものを拒むはずもないもの」

「マデリシア様。ジェラルド・ソルトンについてはどうお考えですか?」

「あれは賄賂一杯とってるでしょうね。町でのもめ事を仲裁することもあるから、便宜を図る意味でも、賄賂の出し手は多いわ」

「三人とも、そのお金を何に使うのでしょうね」

「さあ。地位固めか、上に取り入るためか、自分の意見を通すための根回しか」

「やはりそのようなところなのでしょうね」

「それとももっと上の人に頼まれて代わりに集めているだけなのかも」

 マデリシアは意味深に言った。

「例えば、テナクスナトラ卿が根回しをするための資金だったり、裏工作のためだったりしたのかも」

「まさか、目障りな姫様を排除すると…」

 マデリシアの持って回った言い回しに、フラムクリスが飛びついた。

「そんなことは断じてさせん!」

「落ち着いてください。マデリシア様はただの憶測、それも陰謀論的なことを言われたにすぎません」

「巷ではもっと色々くっついてくるわよ。噂流したら、だけどね」

「私はテナクスナトラ卿を排除したいわけではありません。そのような憶測を流布して彼を貶めるようなことはなさらないでください」

「チェ。つまんないの」

 マデリシアは持ち出した陰謀論が膨らんでくれず、がっかりしていた。

「参考にはさせていただきます」

 シャイラベルはそう言ってマデリシアに礼を述べた。

 シャイラベルが紅茶を飲み干した様子で、フラムクリスはすぐに空になったティーカップを回収して部屋を出た。何も言われなくてもマデリシアのカップも回収していた。

 シャイラベルは、ところで数ヶ月お見かけしませんでしたがと、キュリアスたちの近況を尋ねた。マデリシアが喜んで受け、銀狼の子を見つけて育てた話を、尾ひれはひれをつけて語って聞かせた。

 戻ってきたフラムクリスから紅茶を受け取り、シャイラベルとマデリシアの雑談は続いた。

 マデリシアの語る内容を聞いて、シャイラベルは目を丸くしたり、輝かせたり、表情豊かに聞き入った。

 マデリシアの話が一区切りついたところで、フラムクリスがシャイラベルに耳打ちした。シャイラベルはあら、もうそんなに時間が経ったの、と悠長に答えたかと思うと、優雅に立ち上がった。

 別れの挨拶をかわし、出て行きかけたシャイラベルが扉の前で振り向いた。キュリアスは何か頼みごとがあるとすぐに察した。

「失念していましたわ。フランシス・バーグの得意先にカウェ・カネム武具店と言うものがあるのですが、どうも何かありそうなのです」

「何かとは?」

 マデリシアが即座に聞いていた。シャイラベルが濁して言うということは、噂程度のもので、確かな情報を得ていないのだろうとキュリアスは見抜いている。その噂の確認をしてもらいたいのだと、頼みの内容も分かっていた。

「確証はないのです」

 シャイラベルはキュリアスの予想通り、そう前置きをしたうえで言った。

「そこで多額の報酬を払えば、人が死ぬというのです」

「暗殺の斡旋か」

「そうかもしれませんし、見当違いかもしれません」

 暗殺の斡旋となると、そうそう表に出てくる情報もない。裏稼業の中でもとりわけ秘匿される分野だ。

 恨みを晴らしてくれるとまことしやかに噂された店は、実はただの詐欺師だった、などということもよくある。

「ことがことだけに、簡単には調べられるものでもないわね」

 マデリシアも真剣な表情を浮かべていた。彼女の頭の中にも、カウェ・カネム武具店の情報はない様子だ。また、情報ギルドでも、簡単には仕入れることのできない部類だと分かったからこそ、マデリシアは表情を硬くしていた。

「情報ギルドで買えないか?」

「難しいでしょうね。表に出せない情報だもの。よほどの伝手がないと」

 キュリアスは安易に情報が買えないかと思ったのだが、マデリシアは即座に首を左右に振った。

「もし、何かの折に、カウェ・カネム武具店について何か分かりましたら、お教えくださいませんか」

 シャイラベルの頼みに、キュリアスは分かったと短く答えた。

 シャイラベルは頭を下げると部屋を後にした。先に部屋を出ていたフラムクリスの背中が、扉の向こうに待ち構えていた。



  4


 キュリアスは鉄格子の中にいた。シャイラベルと会った数日後のことである。

 マデリシアも当然のごとく、隣の居房にいた。

 狭い部屋の中に、小さな格子窓から朝の光が差し込んでいた。気候は暖かくなったとはいえ、朝はまだ肌寒い。

 キュリアスは宛がわれた毛布を羽織り、壁に寄りかかって座っていた。

 鉄格子の向こう側に、アルバート・フェンサーが姿を現した。

「よう」

 キュリアスが陽気に声をかけても、アルバートの返事はなかった。キュリアスを探るように睨みつけた。

「今度は何やらかした?どこを破壊したんだ?」

「心外だな。何にも壊してねぇよ」

「そんなはずはない。ただ騒いだだけなら、他の冒険者も道連れだ。誰もいない」

 アルバートが辺りの居房をわざとらしく眺めて言った。

「嘘じゃないわよ。あたしたちだってそう度々物を壊したりしないわよ」

「ほう。町を半壊させたのはいつだったかな?半年前か?意外と時間が経っているな」

「半壊なんて大げさな。ものの数軒で済んだじゃないか」

「その数軒とも粉々だったわね」

「おいマディ。どっちの味方だ」

「自分で自分の罪を認めるとは殊勝なことだ。じっくりと牢で反省なさるといい」

「えー。もう建て替えも済んだし、費用は全額持ったし、円満解決したの」

「アルバート。聞いたか。反省してないやつがいるぜ」

「お前もな」

 アルバートは言下に切り捨てた。

「それで、何をやったんだ?」

「それがね。聞いてよ」

 アルバートはキュリアスに問いかけたのだが、隣の居房からマデリシアが割り込み、語り始めた。

「あたしたちね、迷い猫の捜索してたの」

「この前の騒動もそんなことを言っていたな」

「二匹探してて、一匹しか見つからなかったの。で、夜に猫が通りそうなところを二人でデートがてらうろついてたの」

 キュリアスはマデリシアの声に耳を傾け、アルバートには両手を広げて隣を指し示しておいた。

「どこを?」

 アルバートは後ろに下がり、マデリシアの居房も視界に入れて話を聞いていた。

「どこって、猫の通り道よ。塀の上とか、屋根の上とか」

「ああ、もう落ちが見えた気がする」

「あらぁ。アルバートちゃん、分かっちゃった?答えてみて」

「泥棒に間違われたんだろう」

「惜しい!」

「違うのか」

「ある屋敷の塀を歩いているときに、エッジが急に立ち止まるの。迷い猫が見つかったのかなって思ってたら、急に屋敷の窓が開くじゃない。住人と眼が合うじゃない。こんばんはって言ったら、返事はドロボーだったの」

「やっぱり間違われたで合ってるじゃないか」

「だから惜しいんだって」

「何が違うっていうんだ?」

「泥棒はまだ屋敷の中にいたの。エッジがその気配を察知していたんだけど、いくら説明しても聞かなくて、守備隊呼ばれて、この通り」

「やっぱり合ってるじゃないか」

 アルバートの言葉に、マデリシアがぶつぶつと反発していた。

「俺たちが泥棒でないとお前は信じるわけだ」

 キュリアスはアルバートの顔を見て笑った。

「いや、まだお前らが盗んでいないとも分からん」

 アルバートは慌てて厳しい声を発したものの、彼の中ではすでにキュリアスたちを泥棒とは見ておらず、面倒な常連が来た程度に受け止めている節が、困惑した表情に浮かんでいた。

 キュリアスたちの身辺を調べても何も見つからないので、キュリアスたちは昼過ぎに解放された。

 しかし、その数日後に三度、投獄される。

「おい、お前ら。ここが好きなのか」

 アルバートが嘆くのを受けて、キュリアスもマデリシアも肯定するようなことを返した。

「いくら大声出しても大丈夫なんだもん。いい場所だわ!」

「ベッドは改良の余地ありだ。今度いいマットを持ち込もう」

「それで、今度は?」

「今度も泥棒に間違われた」

 キュリアスは簡潔に答えた。今回はマデリシアも語らない。

 今回も二人は猫探しで夜の町を徘徊していたのだが、運悪く、また泥棒騒ぎに巻き込まれた。さらに不運が重なった。その泥棒が見知った少女だったのだ。

 少女はルーイット・ディズマだ。つまり、彼女は泥棒ではなく、シャイラベルの諜報員として調査のために忍び込み、何らかの失敗から逃げだす羽目になっていたのだろう。

 キュリアスはルーイットを逃がすために、泥棒を追いかけてきた住人や守備隊の前に残り、今に至っている。マデリシアもキュリアスに付き従っただけである。

 ルーイットのことを言えないために、二人とも黙して語らなかった。

 アルバートは二人の雰囲気が沈んでいることを察し、それ以上は追求しなかった。

 数日で嫌疑が晴れ、キュリアスとマデリシアは解放された。が、その数日後に四度目の投獄となる。

 アルバートは珍しく不在で、看守たちはキュリアスやマデリシアとかかわろうとはしなかった。

 キュリアスたちと一緒に投獄された男が、腕が痛い、足が痛いと騒ぎ立てている。キュリアスたちとは離れた居房に入れられているのだが、嫌味たらしく、聞こえよがしに言っていた。

 キュリアスもマデリシアも男の嫌味など気にも留めていなかった。キュリアスたちは連日出会う泥棒騒ぎの犯人を捕まえた。捕まえるときに少々ケガをさせたが、相手は泥棒だ。気に病む必要などなかった。

 ただ、捕り物騒ぎの時、勢い余って家を二軒ほど破壊したことについて、キュリアスはやっちまったなと悔いていた。

 マデリシアは悔いているのか、よく分からない。マデリシアの気持ちよさそうな歌声が響いた。ここでは彼女の声に宿る魔力が封じられるので、気兼ねなく歌えて嬉しいらしい。

 一軒が倒壊した原因はマデリシアだ。キュリアスは泥棒の気配を察知し、そちらに意識を向けていた。辺りは静まり返っているはずの深夜で、民家と民家の間にいるというのに、隣でマデリシアが猫の名を呼んだり、世間話をしたり、鼻歌を歌ったりと、騒々しかった。

 キュリアスはその時なんと言ったか覚えはない。しかし、うるさいとか、静かにしろとか、そのような意味合いのことを言ったはずだ。

 ところがマデリシアはその一言で破裂したように怒りだし、叫び声でキュリアスを吹き飛ばした。衝撃波でキュリアスは民家に激突した。民家の壁に大穴が空く。

「痛いじゃねぇか!」

 キュリアスも腹立ちまぎれに抜刀し、通過しようとしていた泥棒もろとも斬った。正確には、剣圧を放って民家の屋根の一部を斬り落とし、それを泥棒にぶつけた。

 しかし、怒りに任せて放った剣圧は勢い余って民家一軒を真っ二つにしていた。その後ろに立ち並ぶ家々に被害が及ばなかったことが奇跡と言える。

 マデリシアはその剣圧が、自分に向かって放たれたものと勘違いし、もう一度叫んだ。大穴の開いた民家が倒壊したのは、この時である。こちらも他の建物に被害が及ばなかったことが奇跡だった。

 キュリアスはまだ痛みの残る背中を、硬いベッドの上でゆっくりと動かした。

「ちょっとすみませんよ」

 中年の細い身体の男が愛想のいい声を上げながら下りてくると、看守に何やら話しかけていた。

 中年の男は看守に案内されてキュリアスの居房にやってきた。鉄格子の向こうで意味ありげな笑顔を浮かべ、キュリアスに会釈した。

「おう。もうできたのか?」

 キュリアスは相手の顔を眺め、記憶にある人物と一致すると、ベッドから身体を起こした。昨日、キュリアスが斬り裂いた民家の住人である。

「こんな感じになりました」

 住人は書面を鉄格子から突き出してみせた。倒壊した家の建て替え見積りだ。

「そんなものでいいのか?後から追加はできないぜ」

「あー。実は、ちょっとこの辺りが気になってまして」

 住人は見取り図も出して、指差しながら、ここはこうしたいかもしれませんなどと語った。

「そうすると費用がどうしても…」

「遠慮することはない。俺が壊し、その弁償なんだからな」

「そうですか?じゃあ、お言葉に甘えまして、建築家にもう一度相談しましょう」

 住人は嬉しそうに言うと、遠慮しがちにキュリアスを見た。

「あの、それでですね…」

「その建築家に前金よこせと言われたか?」

 住人が言い難そうにしていたので、キュリアスは予想してみせた。

「ええ、実はそうなんです」

「そうか。おーい、看守」

 キュリアスは鉄格子に近づき、廊下の先にいる看守に呼び掛けた。離れて様子を見ていた看守はキュリアスを見たものの、すぐに視線をそらした。

 中年の女性が下りてきて、看守と話し、マデリシアの居房の前へ案内された。

「おや、お隣さん」

 キュリアスの居房の前にいる中年がそう言って会釈した。

「こんにちは。いえ、もうこんばんは、かしら。おたくも災難でしたわね。うちも粉々で。バンシーとエッジには困ったものだわ」

 女性は勢い良く語ると、マデリシアの鉄格子に向かって見積書を差し出した。

「うっわ!たかっ!一体何を買わせようとしているのよ」

「何をつべこべ言っているのかしら?文句を言える立場だったかしら?」

「あ、いえ、とんでもございません」

 いつもなら言い返すマデリシアが大人しく引き下がっていた。壁に邪魔されてマデリシアの表情は見えないが、歯を食いしばっているところが想像できた。

 想像のマデリシアの様子が面白く、キュリアスは思わず笑った。慌てて顔を伏せ、声が漏れなかったか様子をうかがう。幸いなことに、鉄格子の前の男性はこちらを見ておらず、気付いていなかった。

 中年の女性は言い足りないらしく、家具がどうだとか、食器はこれこれだとか、事細かに語っていた。

「あっちは遠慮なしだ。あんたも見習った方がいい」

 キュリアスは笑い声を収めることができたものの、表情が戻らないため、鉄格子に背中を預け、背中越しに中年の男に声をかけた。

 男は乾いた笑い声をあげた。

「分ったわよ!出すわよ!ほら、看守!さっさとここから出しなさい!支払いができないわ!」

 マデリシアがやけくそに叫んでいた。

 ここにアルバートがいれば、すぐに開放されるところだが、今日に限って不在で、看守長の老人も姿を見せていなかった。

 今見張りについている看守は三人いたが、誰もマデリシアの言葉に反応を示さなかった。

「ちょっと!あなたたち!」

 マデリシアではなく、中年の女性が声を荒げていた。

「この人をさっさと出しなさい!」

「し、しかしですね…」

 女性を案内し、傍で見張っていた看守がしどろもどろに答えた。その言葉を遮るように、女性はもう一度出しなさいと言った。

「この人が出て来ないと私の家の再建ができないのよ!何?あなたは私の家がなくても関係ないって言いたいの?私なんて町から出て行けとでも?」

「い、いえ、けしてそのような…」

「口やかましいばばぁは町に住む必要ないですって?」

 女性は言われてもいない言葉に反発していた。看守の困惑した表情が引きつっていた。

「だいたいあなたたち!」

 女性の矛先が範囲を広げ、看守たち全員を鋭く狙った。

「私たちが納めた税金で給金をもらっているのでしょう!私たちの納めた税金です!私たちのために使われるべきだわ!住民を困らせるような人に使わせる税金ではありません!上に抗議させていただきますわ!」

「ちょ、ちょっと待ってください!すぐに上のものに掛け合ってきますので!」

 看守の一人が重い腰を上げ、上へ駆けあがっていった。

「まったく!近頃の若い者ときたら!」

 女性は言い足りないらしく、矢継ぎ早に相手をなじった。くどくどと説教染みてきた。残った看守たちは耳を塞ぎたい思いだっただろう。ただ、実行には移さず、じっと床を見つめ、拳を握りしめていた。

 しばらく経っても女性の勢いは止まらず、キュリアスは呆れ顔で鉄格子の外にいる男性と顔を見合わせていた。男性も手を上げて肩をすくめてみせた。

 上司を迎えに行った看守と看守長の老人がおりてきた。老人は様子を一目見ただけで、すぐに二人を出すように指示した。

「しかし!あの二人はいつも騒動を起こします!そろそろきつい罰を与えるべきです!」

「罰ならそこの住人方が与えてくださる」

 老人はゆっくりとした口調で部下を押さえた。

「あの見積書を見せてもらうとよく分かる」

 上司の言葉に、看守たちが見積書をそれぞれ覗き込んだ。すぐに呻き声をもらす。

「二倍…いや、三倍?」

「どうやったらこんな額になるんだ…」

「どうりで家を破壊された住人たちがあまり騒がないわけだ…」

「理解できたなら、お二人を開放しなさい」

 老人は静かに言った。

「わしの家も住みよくなった」

「え?じいさんとこもやったっけ?」

 老人の呟きをマデリシアは聞き逃さなかった。

「ほら、去年の」

「ああ、あの時は町の半分くらいやっちゃったものね。エッジが」

「失礼な。俺は斬っただけだ。粉々にしたのはお前の声だ」

「エッジが斬っちゃったから、あたしの声で声でも壊れちゃったのよ」

 キュリアスとマデリシアはどちらに原因があるかで討論を始めた。マデリシアの声に宿る力が封じられていなければ、語気を荒げたところでキュリアスが吹き飛ばされ、昨日のような事態が発生する。

 よくある光景で、周りからしてみればはた迷惑なことである。看守たちはあからさまに顔をしかめ、鉄格子のカギを開ける手が止まっていた。

「お前たち。いい加減にしなさい」

 看守長が静かに言う。おとなしい物言いとは裏腹に、眼光は鋭かった。察したキュリアスが先に引きさがり、マデリシアは勝ち誇るのだった。



  5


「らちが明かねぇ!」

 キュリアスは嘆いた。アーサーという名の猫を探して一ヶ月になる。報酬の少ない仕事に時間がかかり過ぎで、当の昔に赤字である。気持ちばかり苛立ち、結果の出ない日々が続いていた。

 苛立ちとは裏腹に、最近は投獄されることがなくなっていた。さすがに家を二軒破壊した後は、感情に任せて行動することを避けていたためでもある。

 最後に牢へ入ったのは、冒険者仲間と花見をして騒いだ後だ。二週間ほど前のことだ。

 熟練冒険者のジャック・クリント・ヤングは強い奴と戦いたいと日ごろから公言しており、酔った勢いを借りてキュリアスに挑み、周りの冒険者たちもはやし立てたものだから、大きな騒ぎとなり、さらには守備隊長直々のお出ましから投獄という流れになってしまった。

 ジャックは先日も、俺と勝負しようぜなどと冗談めかしに言っていた。キュリアスはそのたびに、のらりくらりと逃げている。ジャックの腕が立つだけに、勝負という生易しい戦いでは終わらないと分かっているからだ。

 何しろ、ジャックの望むものは真剣勝負である。そして、ジャックは加減して戦える相手ではない。必ずどちらかが命を落とすことになる。運よく助かったとしても、二度と剣を振るうことはできない身体になるだろう。キュリアスは、それが自分になるとは思わないものの、どちらが再起不能になってもおかしくないと感じ取っていた。

 命のやり取りになる戦いを気安く受けることなどできない。だからキュリアスはまた今度な、などとかわし続けていた。

「これだけ探してもいないんだもの。町の外に出たのよ」

 マデリシアが新しい発見をしたとばかりに言っていた。その言葉でキュリアスの思考は現実に引き戻された。

「そうに違いないわ。きっとスラム街にいるのよ」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「何よ。あたしの意見に文句でもあるの?」

「いいや。ただ、迷い猫と甘く見てたが、そろそろ基本に立ち返るべきかと思ってな」

「基本て何?」

「捜査の基本だ」

 キュリアスの言葉に、マデリシアはポカンと口を開けて小首をかしげていた。すでに頭の回転が止まっているらしい。

「依頼主に会って、探し物の特徴やいなくなった時の状況など…」

「ああ、聞き取り調査ね」

 キュリアスの言葉を遮り、マデリシアは結論を述べた。

「早速行きましょう」

 マデリシアは夜の冷気をものともせずに塀の上を歩き始めた。この夜は冬に逆戻りしたのかと感じるほど冷え込んでいた。寒さが彼女の思考を奪い、行動に直結させているようだ。

 キュリアスはマデリシアに追いつくと肩を掴んで止めた。

「何よ」

 マデリシアは不満げに振り向いた。

「こんな深夜に行くつもりか。明日の朝に出直そう」

 マデリシアはやっと今が夜中だと気付いた様子で、

「あ、そだったわ」

 と素っ頓狂な声を上げた。

「じゃ、宿に戻って温まりましょ」

 翌日の朝はかなり冷え込んで、マデリシアが外に出たくないと駄々をこねた。暖炉の前から離れようとしないのを引きずり出したのはいいが、今度はキュリアスにくっついて離れなかった。

 町を出歩く人も少なかった。

 空は暗く、重くのしかかるような気配が漂っていた。

 キュリアスはしがみつくマデリシアを鬱陶しく思いながらも、突き放すことはしなかった。

 人のまばらな街道を横切った。

 ふと、白いものが落ちてくる。

「寒いと思ったら、雪だわ」

 マデリシアの声がくぐもって聞こえた。キュリアスの胸から脇にかけて顔を押し当てている。マデリシアの左手はキュリアスの腰を回り込み、キュリアスの上着のポケットに消えていた。キュリアスの腕を自分の首に巻き付け、右手もキュリアスのポケットに突っ込んでいる。

「季節外れだな」

「また小麦が不作だなんてことにならなきゃいいけど」

 つい数ヶ月前まで、市場に小麦が枯渇していた。パン、パスタなど、庶民の味方であるはずの安い食材が、ことごとく希少となり、高値で取引された。

 町中では選択肢が減って不自由した、といった程度で済んだところも多いが、町の外に広がるスラム街はそれでは治まらず、少なからずの餓死者が出たと噂になっていた。

 今はシャイラベル・ハートなどの手腕により、他国より小麦が入荷するようになって値段も落ち着いた。国がスラム街でパンを振舞ったとの噂も聞いたので、餓死する人数は減ったはずである。ただ、再び不作になれば、次はもっと多くの死者が出るに違いなかった。

「小麦は寒い方がいいんじゃなかったか?」

「さあ。季節外れの寒さがいいのか悪いのかなんて、農家じゃないからわかんないわ」

 マデリシアの言うことはもっともだった。ただ、いつもと違うことが起これば、数ヶ月前のような悪い事態を想起され、言い知れぬ不安がよぎるのだった。

「ま、なるようになるさ」

 考えても答えの出ないことだ。何かできるわけでもない。キュリアスは気にしない方がいいと受け流していた。毎日の食事の金に困るほど貧困していない。それに、キュリアスはいざとなれば山にこもればどうとでもなると考えていた。

 セインプレイスの北東部、貴族の邸宅が並ぶ一画へ踏み込むと、僅かなりと人とすれ違っていたのが、まるで出会わなくなった。

 邸宅の中に気配はある。使用人や、住人である貴族は在宅なのだ。その証拠に、各家の煙突から煙が絶えず立ち上っている。

 住人たちは暖炉の前でくつろいでいるに違いなかった。

 町の中を行く人が皆無という訳ではなかった。石畳を踏み鳴らすように鎧姿の兵士が歩いている。三人一組で、町を巡回している、守備隊の兵士だ。

 守備隊の三人は場違いなところにいる冒険者を見つけ、後をつけた。

 キュリアスは後ろからついてくる守備隊に、またかよとため息をもらしたくなった。ただ、ここで問題を起こして投獄されても困る。幸いにも苛立ちを紛らわせる感触が、脇腹から背中にかけて、柔らかく主張している。

 キュリアスはマデリシアの肩を引き寄せ、そっと抱き寄せた。マデリシアが満足そうなため息を漏らす。

 後ろから刺すような視線を感じるものの、脇に感じる柔らかさに比べれば、気にもならなかった。

 目的の邸宅は町を囲む城壁にほど近い所にあった。

 ドアについた簡素なノッカーを叩く。近くに人がいたのか、すぐに扉が開かれ、身なりの整った細身の男が姿を現した。

「どちら様でございましょうか」

 男は、キュリアスと、キュリアスにしがみついているマデリシアを咎めるように見つめていた。

 キュリアスはアーサーという猫探しの件で質問に来たと答え、コプランド男爵に面会したいと伝えた。

「申し訳ありません。主は不在です」

 男は表情一つ変えず、頭を下げた。

「この時間ですと、守備隊の詰め所におられると思います」

「守備隊?コプランド男爵は守備隊に所属しているのか?」

「はい」

 キュリアスの問いに、男は簡潔に答えた。

「分った。そっちに行ってみるとしよう」

 キュリアスは男に礼を言うと、マデリシアを引きずって通りに出た。

 守備隊の三人組がまだ見張っており、すぐ目の前に腕組みをして立っていた。キュリアスは眉をひそめた。が、何も言わず、三人の間をこじ開けるように進んだ。

 守備隊の三人はキュリアスたちが街道を越えて北西部に入るまで見張り続けていた。貴族や裕福な人々が暮らす町を守っているつもりなのだろう。

「暇な連中だ」

 キュリアスが吐き捨てるように言うと、マデリシアは笑い声をあげた。

「あたしたちに妬いてるのよ」

 勘違いも甚だしいと思うものの、キュリアスのすさんだ感情がどこかに吹き払われたように感じた。マデリシアの笑い声に救われたのか、自意識過剰な言葉に救われたのかは、よく分からない。

 セインプレイスの北西部も貴族の邸宅や富豪の屋敷があるものの、ギルドの集まる一帯があり、北東部とはまた違った面持ちがあった。

 道を行く人の姿も、まばらではあるが、見受けられる。北東部のように静まり返った町ではなかった。

 マデリシアの所属する情報ギルドもこの北西部の一角にある。ギルドと名のつくものがいくつか存在する。その中でも知名度の高いのは、商業ギルド、魔術師ギルドだ。

 ギルドの集まる一画に、人の往来が続いている。その中に、周りを威嚇するかのような建物があった。守備隊の施設である。その地下に、キュリアスたちが何度もお世話になっている監獄があった。

 キュリアスたちにとって勝手知った場所だが、その地上部分の施設については、縁のない場所だった。

 地上部分は守備隊の詰め所も兼ねている様子で、入り口付近に全身鎧の兵士が立っていた。

 キュリアスは番兵に用件を伝え、コプランド男爵に取り次いで欲しいと頼んだ。

 番兵は胡散臭そうにキュリアスとマデリシアを見ていたものの、そのことについては何も言わず、隣の番兵に持ち場を離れることを告げて奥へ向かった。

 建物の裏手に広い土地がある。そこから訓練らしい掛け声が聞こえていた。かすかに金属の触れ合う音も聞こえる。キュリアスたちにとっても馴染のある音だ。しかし、守備隊が発していると思うだけで、威圧するような音に聞こえてしまう。

 大抵の人であれば、威圧感に押され、何も悪さをしていなくても委縮してしまう。守備隊の詰め所の前に立っていたいとは思わないだろう。

 さらに番兵が威圧的に立ち塞がり、睨まれでもすれば、そそくさと逃げ出したくなると言うものだ。

 キュリアスとマデリシアも、兵士に睨み付けられていた。が、まるで動じることなく、抱き合ったままである。マデリシアが一方的にしがみついているのだが、傍から見れば、抱き合っているようにしか見えない。

「不謹慎な奴らだ」

 番人の誰かが呟いたらしい声が聞き取れた。いつもなら、マデリシアが不機嫌に反論するか、見せつけるようなことをするのだが、今回は珍しく、素知らぬ顔でキュリアスの身体の温もりをむさぼっていた。

 キュリアスの脇腹から腰にかけて、柔らかく弾力のある感触が押し付けられていた。人並み以上の大きさを誇るマデリシアのふくらみは、二人を押し離すような弾力を発揮していた。マデリシアは弾力に対抗するように腕の力を込め、キュリアスにしがみつく。

 キュリアスとしては悪い気もしないので、番人の嫌味も聞き流せていた。

 奥に向かった番人が一人の男を連れて戻ってきた。男は手入れの行き届いた胸当てをつけ、フォートローランスの紋章をあしらったマントをつけている。

 男は精悍な顔つきをしている。歳のころは三十半ばに見えた。口元にうっすらと笑みを浮かべていた。眼光は鋭く、キュリアスとマデリシアを値踏みするように動いていた。

「ローレンス・コプランドだ」

 男は簡潔に名乗った。

「君たちがアーサーを探してくれている冒険者だね?」

 ローレンスはここでは寒いから執務室に行こうと、奥に案内した。猫ごときのために手間をかけさせるね、などと、軽く頭を下げながら行く。

 案内されたのは二階に上がって長い廊下の突き当りまで行った、小さな部屋だった。申し訳程度に小さな窓が一つある。すりガラスがはめ込まれ、外は見えなかった。部屋の中は、机が一つ、その向こうに椅子が一つあるだけで、あとは何もない。

 ローレンスは机を回り込んで椅子に腰を下ろすと、足元から何かを掴み取って机の上に置いた。取っ手のついた円柱形のもので、そこから熱が放出されていた。

「暖かい」

 マデリシアはすかさず詰め寄り、円柱形のものに手をかざした。

「私は魔道具が好きでね」

 ローレンスはそう言ってほほ笑んだ。

「これは熱を発してくれる。こういう寒い日に、足元に置いておくと心地よくてね」

「これ、どこで売ってるの?」

「アース・ファクタムという魔導科学研究所だ。ほら、魔術師ギルドの隣にある」

「ああ、あそこ!今度行ってみようかしら」

 魔道具は高価な代物だ。大抵の貴族ならば、庶民のお前らには手が出せまいだとか、蔑むようなことを言うものだが、ローレンスはそのそぶりもなく、嬉しそうに微笑んで、行ってみるといいと言った。

 マデリシアとの何気ないやりとりに、ローレンスの人となりが表れているようで、キュリアスは守備隊や貴族にしては珍しいと眺めていた。

「すまんね。予算の少ない部署で、飲み物の一つも差し上げられない」

 ローレンスは申し訳なさそうに言った。

「ただの守備隊と違うのか?」

 ローレンスの物言いに、どこか一線を引く部分が読み取れ、キュリアスは疑問に感じた。

「二ヶ月前に新設された捜査部だ。所属は守備隊の一隊に含まれる」

「捜査部?」

「恥ずかしながら、守備隊はトラブルを止めることや守ることはできても、未然に防ぐ、犯人の特定、犯人の捜索といった事柄は不得意としている。特に犯罪に関して、これは冒険者諸君のおかげで解決されているにすぎない。それでは町を守る立場として不足だ。不甲斐ない」

 ローレンスは苦笑を浮かべつつ言った。

「私はその辺りを改めたい。守備隊でも犯罪捜査を行い、犯人逮捕を行う。そのことが引いては犯罪の発生率を引き下げることにつながると信じている」

「あたしたちの一部が探偵と称してやってることを、お国の兵士でやろうってことね」

「そういうことだ」

 マデリシアの解釈を、ローレンスは肯定した。

「とはいえ、私たちは経験不足だ。冒険者諸君のお知恵も拝借していきたいと考えている。犯罪撲滅のため、協力し合える仲だと考えている」

「ここの隊長が聞いたら卒倒しそうだ」

 キュリアスが冗談めかしに言うと、ローレンスは笑い声をあげた。

「冒険者嫌いで有名だものねぇ。あたしらのこと、目の敵と思ってみたい」

「犯罪撲滅のためだ。隊長には我慢していただくとしよう」

 ローレンスは座りなおして姿勢を正すと、それでと、用件を尋ねた。

「アーサーを一月探しても見つからないのよ」

 マデリシアは熱を発する円柱形の魔道具に顔を近づけた。突き出した唇が赤く輝いていた。

「それで、どんな猫なのか、どういう状況でいなくなったのかを改めて聞かせてもらいたい」

 キュリアスはマデリシアの唇から視線を逸らすと、ローレンスに尋ねた。

「黒みがかった茶色の毛の猫でね」

 ローレンスは頷くと、遠い眼をして言った。

「いなくなったのは、そうだな。二ヶ月ほど前になるか。いつの間にかいなくなっていた」

「猫だもの。ふらっといなくなって、ふらっと帰ってくるものよ」

「私も初めはそうかと思った。しかし、帰ってこなかった。妻や娘が近所を探しても見当たらなくて冒険者に依頼を出した」

「いなくなったころに何か変わったことは?」

 ローレンスはしばらく思案した。何か思い当たった様子で顔を上げる。

「変わったことというと、その時期に泥棒に入られたな」

「泥棒?そいつが猫を盗んだのか?」

「おそらく違う。泥棒が入ったのは猫がいなくなった少し後だったと記憶している」

「へー。それで、何を盗まれたの?」

 マデリシアは猫よりも泥棒の目的の方が気になった様子だ。答えは当然のごとく、金や装飾品の類だと、キュリアスも予想したが、ローレンスの反応が違うと告げていた。

「あるものが盗まれた」

「あるもの?」

 ローレンスは口を噤み、眉をしかめてキュリアスとマデリシアを交互に見た。

「ここと関係のあるものかしら?」

 マデリシアが何気なく言った言葉に、ローレンスの眼が光った。一瞬のことで、すぐに表情を戻したが、マデリシアもキュリアスもその変化をとらえていた。この捜査部とかかわりのあることが窺えた。

「どういう事件の資料かしら?」

 マデリシアはずばりと聞いた。ローレンスが驚いた表情を浮かべ、魔道具の発する熱に張り付いているマデリシアを見つめた。

 ローレンスはため息を一つ漏らすと、背もたれに身体を預けた。

「これが冒険者の洞察力というやつなのか」

 ローレンスは感嘆すると、身体を起こし、そうだと言った。

「内容はさすがに言えん。私が個人的に調べていたことだ。私がここに配属されたので、ちょうどいいと、我が部署の大きな手柄にするつもりでいた」

「その資料が盗まれて、頓挫しちゃった?」

「そうだ」

「調べていた相手の名前は言えないのか?そいつが猫を盗んだとも考えられないか?」

「猫を盗んでなんとする。見当違いだな。陰謀論に持ち込んで私の口を軽くする腹積もりか?」

 ローレンスが笑った。

「見透かされたか」

 キュリアスも答えて笑った。

「あたしがその資料、取り戻してみせましょうか?」

「いや、おそらくもう破棄されているだろう。この話は忘れてくれ」

「アーサーってよく外へ遊びに出てたの?」

 マデリシアはそれ以上の追求を止め、話を戻した。ローレンスの硬い表情から、これ以上聞いても何も聞き出せないと理解したからだった。

「いや、外に出たことはない」

 ローレンスは表情を和らげた。

「我が家に来て半年だが、一度も出していない」

「あら、まだ半年なんだ。かわいい盛りね」

「そうなんだ。ちょっとした仕草がもうたまらなくてな」

「分るわ。日増しに子猫が大きくなっていくのも見れるし、いろんな遊び覚えて動き回って」

「姿かたちは変わらんが、成長していく様はいい」

「ん?大きさとか、毛艶とか、変わるでしょ」

「変わらないな」

「あれ?大人の猫を引き取ったの?」

「いいや。生まれて半年だな」

 マデリシアは熱を発する魔道具から顔を離し、ローレンスを怪訝そうに見つめた。

「じゃあ、最初はこんなに小さかったでしょ」

「いや、初めからこのくらいだ」

 二人が手で大きさを示す。マデリシアが手のひらサイズなのに対し、ローレンスのそれは成猫のサイズだった。

「いやいや、おかしいわよ。生まれてから大きさが変わらない猫なんていないわ」

「生き物ならな」

 ローレンスのさも当然と言いたげな返事に、マデリシアは目をパチクリとしばたいた。

「どうも話がかみ合ってないように思う」

 横で聞いていたキュリアスも怪訝に感じていた。

「アーサーは生き物じゃないというのか?」

「ん?ああ、すまん。アーサーは猫型のゴーレムだ」

「はい?」

 マデリシアとキュリアスの声が重なっていた。

「アース・ファクタムが開発した魔道具だ」



  6


「どうです?本物の猫さながらの毛並みでしょう?」

 アース・ファクタムの所長と名乗ったフランク・ゴードンが、サンプルの猫型ゴーレムを差し出して自慢げに言った。

「うちは元々、ジーク・アースの研究所として始まったんですが、研究所始まって以来の最高傑作ですよ!」

 フランク・ゴードンは若々しい眼を輝かせていった。ただ、無精ひげを生やした表情は四十代に見える。眼だけが二十代を彷彿とさせた。

「ジーク・アースの開発した魔術回路はここまで小型化に成功しました。ヘンリー・スローンのゴーレム技術も、どうです、まさに猫と言った体型、動きでしょう?そこに私の魔術式を吹き込むことによって、まるで猫のような仕草、行動を得ることが出来ました。しかし、それでも足りないものがありました。毛並みの再現がどうしてもできなかったのです」

 フランクは猫型ゴーレムを眺めまわしたり触ったりしているキュリアスとマデリシア相手に説明を続けていた。

「そんなとき、魔術師ギルドの顧問、ディグ・コリンズ氏からその道の権威であるエリック・パシュート氏を紹介していただいたことが大きな転機となりました。どうです、この毛並み。手触り。本物と見紛うばかりでしょう!」

 フランクが自慢するだけあって、柔らかく自然な毛並みだった。

「すごいわ。本物そっくり」

 マデリシアがサンプルの猫型ゴーレムの喉を撫でた。すると猫は眼を細め、ゴロゴロと喉を鳴らすような音を発した。

「肉球も柔らかいわ」

「今世紀最高の傑作だと自負しております。猫らしさはもちろん徹底して追求し、さらに色々な機能を備えております」

 フランクの説明はまだ続いていた。

「猫の目を通じてものを記録することが可能です。スケジュール管理だってできます。人語を話すようにして、主人が忘れていることを教えるようにしようかと思ったのですが…」

「しゃべる猫なんて気持ち悪いわ…」

「そうなんです。そうおっしゃる声をいただきまして、ボツにしました。残念なことです」

 フランクは顔をしかめた。本当に残念で仕方ないのだろう。

「なので、予定していた時刻になると鳴いて知らせたり、本物の猫のようにまつわりついて知らせたりするようにしました。そうそう、来客を知らせることもできますよ」

「へー。すごいわね、あなた」

 マデリシアがサンプルの猫型ゴーレムの顔を覗き込んで呟いた。すっかり気に入ったらしい。買ってと言い出しては困るなと、キュリアスは警戒する気持ちが働いていた。

「動力は魔力石か?」

「はいそうです。幸いなことに、現在、マナの結晶は安定的に供給されております。それに、最小のエネルギーで動くように設計されていますので、最低一年間、マナの結晶の交換は必要ありません」

「魔道具だし、高価なものだろう?盗難防止機能はないのか?」

「鳴いて知らせたり、逃げようとしたりすることはできますが、本物の猫と同等の運動能力しかありません。残念ながら、ゴーレムとしての能力はほぼありません」

「ほぼということは、僅かにはあるのか」

「通常の猫より生命力が、というか、耐久力が強いというだけです」

「それはつまり、破壊されにくいだけか」

「はい」

 フランクは答え難そうにしながらも、はっきりと返事した。

「何らかの方法でこいつの動きを止める方法は?」

「お客様の設定したワードで止めることが可能です。起動も同様です。後は通常の猫同様、物理的に捕まえる、魔法による拘束、と言ったもので拘束することは可能だと思います」

「もう一つ、勝手にいなくなることは?」

「それはありません。主人が望めば別ですが、基本的に主人とその家族に付き従うように設定されています」

「他人についていくことも、おとなしく連れられて行かれることもないってことか」

「そうです」

「そうすると、やっぱりアーサーは誰かが拉致したと考えた方がいいわね」

 マデリシアはサンプルの猫を見つめたまま言った。鼻先をくっつけている。

「お鼻冷たい。本物じゃないのよ!」

「食事はいりません。というか、消化器官を作ることができませんでしたので。でも、体温や皮膚、毛並みは本物に引けを取りませんよ」

「ゴーレムなんて盗むとなると、魔道具絡みの好事家か?」

「まずはその線から洗ってみるべきね」

 マデリシアは答えたが、一向に動こうとしない。情報を洗ってみるとなると、情報ギルドの出番で、当然マデリシアの担当だ。

「おい、そろそろ行くぞ」

 キュリアスが催促してもマデリシアは動こうとしなかった。しきりに猫にしがみついていた。

「においももう本物よ!」

「お気に召していただき、ありがとうございます」

「じゃ、この子、連れて帰るわ」

「駄目に決まってるだろう」

 キュリアスは即座に遮ると、マデリシアの手から猫型ゴーレムを奪い取り、フランクに渡した。

「ああ、返して!あたしの子!」

「はいはい。もう子離れの時期だぞ」

 キュリアスは無機質な声で言い放つと、マデリシアの首根っこを捕まえて引きずった。

「いや~!マリアンヌ!」

「もう名前つけやがったのか…」

 キュリアスは思わず嘆き、首を左右に振っていた。

「またのお越しをお待ちしております」

 後ろからフランクの明るい声が聞こえていた。

 アース・ファクタムを後にし、マデリシアを情報ギルドに放り込むと、さすがに彼女も本来の仕事に戻った。しかし、これといった成果はなく、徒労に終わった。

 次の日からキュリアスたちは再び町を徘徊することになった。ただし、今度は日中に探し回った。

 季節外れの寒さは一日で終わり、植物の芽吹く暖かさが戻った。

 数日探し回るうちに、おかしなことに気付いた。魔術師のローブをまとい、フードをかぶった人物が町中を徘徊していた。それも、場所は違えど、ほぼ毎日見かけるのである。

 初めのうちは別人だと思っていたが、キュリアスの察知する気配が同一人物だと告げていた。

 ローブの人物は手に何かを持っており、まるでダウジングでもしているかのように歩き回っていた。

 右に左にと、手のものに導かれるようにふらふらと歩くので、傍から見れば不審者同然である。当然のごとく、守備隊に目をつけられ、尋問されていた。

 キュリアスはそこへ割り込むと、

「すまん。ちょいと依頼で探し物をやってんだ」

 と、守備隊に説明し、ローブの人物をかっさらった。

 ローブの人物は一見すると幼く見える顔をしていた。しかし、マデリシアよりも年上だった。マデリシアは年齢を聞くと驚きの声を上げ、勝手にフードをはぎ取ってまじまじと見つめたものだった。

 彼はヘンリー・スローンと名乗った。

「何を探してるんだ?」

「え?ああ、はい」

「何を?」

 次の言葉を待っても返ってこないので、キュリアスは促すように言った。

 ヘンリーは答えない。

「よし、番所に突き出すか」

 キュリアスはそう言ってヘンリーを押して通りを歩きだした。ヘンリーが慌てて答えるかと思ったのだが、代わりに訳の分からないことを口走った。

「あ、そっちへ行ってはダメです!」

「何がダメだってんだ」

 キュリアスはかまわず、ヘンリーを押しやった。すると、ヘンリーの手の上に、何かの映像が現れた。

 魔法通信用の魔道具で、相手の映像を表示するものが存在する。その手の類かと一瞬考えたが、双方向でやり取りできる代物は古代遺跡からしか見つかっていない。現代の魔法科学ではまだ再現すらできていない技術のはずだった。

 ヘンリーは映像を隠そうとし、キュリアスの方へ一歩進んだ。すると映像が消える。そのヘンリーを押して一歩下がらせると、再び映像が現れた。

 映像はどこかの屋敷の内部のようだ。絵が動いていく。何かの眼を通して見ているような感覚に襲われた。

 やがて、映像の中に人の足が現れた。その人物が振り向き、しゃがみこんで、映像の下を両手でつかみ上げ、嬉しそうな笑顔で迎えていた。

「こいつの説明をしてもらおうか」

 キュリアスは静かな声でヘンリーに言った。ヘンリーの背後にマデリシアが回り込んでいる。

 ヘンリーは曖昧な笑みを浮かべたかと思うと、マデリシアに向かって走り出した。キュリアスよりも安全と踏んだのだろう。だが、マデリシアは甘くなかった。

 マデリシアはヘンリーのために道を空けるように身体を下げた。ヘンリーが横を駆け抜ける瞬間に足を出してひっかけ、つんのめったヘンリーの背中を押して石畳に押し付けた。そして手早くヘンリーの腕を取り、後ろに捻じ曲げて抑え込んだ。

 苦痛に呻くヘンリーを他所に、マデリシアはヘンリーの手にあるものを奪い取り、目の前にかざしてみた。小さな水晶玉に見える。マデリシアが手にした時、映像は途切れている。

 キュリアスは周りにひと気がないことを確認した。幸いにも守備隊も近くにいない。先ほどの守備隊は用事でもあるのか、遠ざかっているのが気配で分かった。ここはセインプレイスの北西部の貴族屋敷が集まる一画で、出歩く人も少ない。

 キュリアスはマデリシアから水晶玉を受け取ると、しゃがみこんでヘンリーの目の前に持っていった。石畳に置く寸前である。

「こいつは何だ?説明してもらおうか?」

 ヘンリーの返事はない。痛いだとか放してくれというばかりである。

「ああ、言いたくないのなら別にいいぜ。俺は痛くないからな。腕が折れるとどうなるか」

 キュリアスの思わせぶりなセリフに合わせて、マデリシアが掴んでいた腕をほんの少し動かした。その程度では折れないが、痛みは増す。

「分りました!話します!話しますから!」

 ヘンリーは早々と音を上げた。

 ヘンリーの言うところによると、この水晶玉は古代遺物の通信球と呼ばれる魔道具を参考にしたもので、ごく近い範囲の景色を、受信のみ可能にしたものだ。魔道具の視界とこの水晶玉をマナでつなぎ、視界を共有しているというのだが、キュリアスもマデリシアも仕組みは理解できなかった。

 キュリアスとマデリシアに分かったことは、ヘンリーがアース・ファクタムに努める魔術師で、そこで売った猫型ゴーレムの視界をこの水晶玉を通じて見ているということだ。そしてその目的は、猫の視線から見上げるスカートの中だと分かり、マデリシアはしきりに気持ち悪いと呟いて遠ざかった。

「覗き見なくても、ほら、そこに大きな胸があるぞ」

 キュリアスはヘンリーをからかって、マデリシアの胸を指差した。マデリシアが即座に胸を両手で覆った。

 ヘンリーはその胸を一瞥すると、そんな腫れ物に興味はないと言い放った。

「こう、奇麗にくびれた臀部に出会えたら、もう最高なんです」

 何かを思い描いて、恍惚の表情を浮かべていた。

 マデリシアはパンツスタイルだ。ぴったりくっついたものではないものの、ある程度腰から臀部のラインは見える。マデリシアは即座に両手でお尻を隠した。

「そんな硬そうな臀部に興味ありませんよ」

「こいつ、殺す!」

 マデリシアが低い唸り声を放った。

「まあ待て」

 キュリアスはヘンリーを、マデリシアの獲物として差し出してもいいとも思えたが、まだ何かが聞き出せそうな気がして止めた。

「そいつはどのくらいの範囲の猫型ゴーレムとつながるんだ?」

「そうですね…。五十メートルが限界と言ったところでしょう」

「そうやっているところをみると、売ったところをまめに回って覗き見していたんだろう?」

「覗き見だなんて下世話なことを言わないでください。美しいものを鑑賞していたのです!」

「ああそうかい。じゃあひとつ聞きたいが、ローレンス・コプランドのところは覗いたことあるか?」

「なんで男の臀部を鑑賞しなくちゃならないんですか!」

「つまり見てないと…」

 キュリアスは頭が痛くなりそうな会話を、何とかかみ砕いて理解していった。

 ヘンリーが覗き見して、アーサーの行方のヒントになる物を見ていないかと思ったのだが、そもそも見てすらいなかったようだ。

「ねえ、それって、範囲に入ってたら、どこにあるか分からない猫ちゃんの視界にもつながるの?」

 マデリシアは離れた塀の背後に隠れ、顔だけ出して言っていた。

「あー。多分可能です。繋がれば、大体の位置も分かります」

 ヘンリーは律義に答えた。僅かに声を大きくし、離れたマデリシアにも声が届くようにしている。

「じゃあさあ。こいつ連れて行ったら、アーサー探せるんじゃない?あたしは嫌だけど」

 マデリシアの提案に、一理あると考えた。同時に、キュリアスはもう一つ可能性を思いついていた。

「どこかで変な…受信か?そういうのなかったか?」

「変な受信ですか?」

「そうだ。どこかに閉じ込められているとか、こんなところにあるはずないのに反応したとか」

 ヘンリーはしばらく考え込んで、何かに思い当たった様子で顔を上げた。

「そう言えば、真っ暗な映像しか出ないところがあります。その辺りに売った相手がいるのかいないのかは知りません。女性客にしか興味ありませんので!」

「そんな主張はいらん!」

 マデリシアの叫び声に、ヘンリーがよろけた。キュリアスも足を踏ん張らなければ、よろけてしまうところだった。

「それはどこだ?案内しろ」

 ヘンリーの案内した先は、北東部に位置する貴族屋敷の集まる一画だった。コプランド邸より西側の町の中心に近い所だ。敷地や建物の規模はコプランド邸と同じなので、おそらく男爵の住まいだ。

 太陽が西に傾き、少しひんやりした風が頬をなでた。だいぶ暖かくなってきたものの、日が暮れるとまだ寒い。マデリシアが寒くなるまでに宿に戻りたいと、その表情で訴えていた。

 ヘンリーが水晶玉を眼の高さにかざした。すると、真っ暗な映像が現れる。

「ほら。何も映らないでしょ」

「どの辺りか分かるか?」

 ヘンリーは塀の方を指差し、五メートルくらい先だと言った。その方向は邸宅の庭の辺りだ。

「ここは誰の屋敷だ?」

「うーん。アナベルト・サーカムだったかしら」

 誰ともなく言ったキュリアスの問いに、マデリシアが即座に答えていた。

「どっかで聞いた名前だな」

「そうだったかしら?」

「まあいい。ここに隠されている…?」

「それ、たぶん土の中よ」

 マデリシアは映像をじっくり覗き込んで言った。すぐにヘンリーの傍にいることに気付いて、飛び跳ねるように離れた。

「土の中?」

「そう。埋められたらそんな感じだもの」

「は?マディ。埋められたことあるのか?」

「そうなの。あの時はパニックになったわ。でも、助けてーって叫んだら、目の前に空が現れて。神様が助けてくれたのよ」

「信じてもいない神がか?」

「信じる者は救われるの!」

 キュリアスは言い返すのを止めた。考えるまでもなく、彼女自身の声が救い主だ。が、マデリシアは神の救いだと信じているのなら、無理に訂正することもないと思えた。

 それにしても、とんでもない境遇をさらっと言ってのけるものだ。マデリシアには時々驚かされる。が、おかげでこの後の方針が決まった。キュリアスはマデリシアに感謝し、後で酒をおごってやると請け負った。



  7


 深夜にアナベルト・サーカム邸の庭に忍び込んだキュリアスは、地中に埋められていた物を回収した。

 それはバラバラ死体と言ってもいいほど無残に破壊された、猫型ゴーレムだった。これを持って、アーサー探しの依頼は失敗が確定した。

 失敗は気分のいいものではない。特にアーサー探しにはかなりの時間がかかった。それがすべて徒労に終わったことになる。

 だが、気落ちしている場合ではない。見つけたものを依頼主に届け、事を終わらせなければならない。

 キュリアスは翌日、マデリシアと連れ立ってローレンスの執務室を訪ねた。

 明るく迎え入れたローレンスは、机に並べられていく者の正体に気付くと、声を失った。うめき声をもらし、膝を追って倒れるように残骸の上へ覆いかぶさった。

 ローレンスは、先日面会した人物と同一とは思えないほどに動揺を見せた。キュリアスたちがいるのもはばからず、おいおいと泣き出したのだ。

 アーサーの二ヶ月に及ぶ行方不明について、ローレンスは先日、淡々と語ってみせた。あれは自身の感情を押し隠していたのかもしれない。今はまるで愛するものを失ったかのように悲しみに暮れていた。

 キュリアスはかける言葉が見つからず、そっと執務室を後退り、静かに離れて行った。

 ローレンスがあそこまで取り乱すとは思ってもみなかった。届けたのはゴーレムの残骸だ。いわば、道具が壊れたに過ぎない。依頼は失敗とはいえ、不明のまま終わるような失態でもないので、ローレンスに労いの言葉をもらって一区切りと考えていた。任務の失敗による、キュリアスの胸の内のわだかまりも、その一言で多少洗い流されると考えていた。

 ところが、ローレンスは労いどころか、言葉を失って泣き崩れた。その反応がキュリアスの胸を締め付けた。以来の失敗が、さらに重くのしかかる。

 守備隊の施設を出ると、生温かい風がキュリアスを迎えた。空を見上げると、どんよりと曇っている。黒くよどんだ空は、今にも落ちてきそうだった。

 マデリシアは先ほどから一切口を利かなかった。彼女もキュリアス同様、ローレンスの反応に衝撃を受け、気持ちが沈んでいるのだろう。

 こんな気持ちを晴らすには、酒を飲んで騒ぐに限る。キュリアスは空から視線を下ろすと、冒険者の宿に戻って一杯やるつもりになっていた。あそこなら、冒険者仲間も一緒になって騒ぐ。憂さ晴らしにはもってこいだった。

 マデリシアも同じ考えのように見えた。何も言わずとも、二人の足の向く先はそろっていた。

 ギルドの集まる道を進むうちに雨粒が落ち始めた。自分の代わりに空が泣いているのかもしれない。キュリアスはふと妙な考えだと思ったが、雨を避けようとは思わなかった。

 道行く人々は雨を避け、雨宿り先に駆け込んだり、雨具を用意して目的地へ向かって急いでいたりする。キュリアスとマデリシアはその中をゆっくりと歩いた。

 雨粒は次第に勢いを増し、本降りとなった。それでもキュリアスもマデリシアも、雨を避けようとはしなかった。

 たかが猫探しと甘く見ていたのかもしれない。キュリアスは後悔の気持ちが動いていた。初めから依頼主に会っていれば、あるいは破壊される前に見つけることができたかもしれない。今更ながらに、悔やまれるのだった。

 雨に打たれれば打たれるほどに、あの時どうしていればなどと考えてしまう。ローレンスの泣き崩れる姿を見なければ、労いの言葉をもらっていれば、ここまで思い悩むことはなかっただろう。

 鬱屈した気持ちを晴らし、気分を変えるには、酒と、騒ぎが必要だった。

 昼間から酒を出す店は限られる。そして、そういう店で、早々と騒ぐ連中がいる場所となると、冒険者の宿しかない。そういう意味では、この雨はありがたかった。雨を理由に仕事に出ない連中が少なからずいるからだ。冒険者の宿に行けば、酒が飲め、仲間とバカ騒ぎができる。

 はたして、冒険者の宿はキュリアスたちの到着を待たずして、宴会の最中だった。

 新しく冒険者の仲間入りした若者がいて、その歓迎会だというのだが、キュリアスもマデリシアも、その若者の顔も名前も知らないまま、宴会に飛び込み、酒を立て続けにあおった。

 酒がだいぶ入ると、マデリシアはリュートを持ち出し、歌をうたった。テンポのいい曲に合わせ、居合わせた冒険者たちが騒ぎ、踊る。

 激しい曲に変わると、テンポに合わせて冒険者たちが足を踏み鳴らす。

「てめぇら!」

 マデリシアの声に負けない太い声が響き渡った。驚いた冒険者たちは一様に足を止め、声の方を振り向いた。

「店の床が抜けちまう!騒ぐなら外でやりやがれ!」

 宿屋の主人が太い腕を組んで仁王立ちしていた。形相も怒気を含んで、殺気すら感じさせるほどである。

 常連の冒険者から、そそくさと逃げ始めた。

「やべっ!」

「放り出されたらたまらん!」

「あの腕で突き飛ばされたらただじゃすまねぇ!」

「人間凶器!」

「オーガ!」

 口々に何か言い、笑い声まで上げている冒険者もいた。

 宿屋の主人が一歩踏み出した。すると、まだ腰を据えて飲んでいた冒険者たちもコップを持ったまま逃げだした。キュリアスとマデリシアもこの後発グループに紛れていた。

「おい、知ってるか?あのマスター、オーガとどつきあいで圧勝したらしいぜ」

 走っている冒険者の中で、誰かが言った。

「俺が聞いたのは、城壁に穴開けたってよ」

「そいつは別のやつの話じゃねぇのか?」

「いやいや、こっちが本物らしいぜ」

「あの腕に抱かれたらどんなだろうね」

 その声に皆が一斉に振り向いた。筋肉質な女性冒険者だった。

「よせよせ!あんな奴に抱かれるくらいなら、俺にしろよ」

「はん!あんたみたいなやわな奴には、死んでもごめんだね!」

「言ってくれる…。何なら勝負してみるか?」

「おおいいね、打ちのめしてやるからかかってきな!」

 言い合った男女が立ち止まり、拳を打ち合う。周りの冒険者たちも立ち止まり、周りを囲んではやし立てた。

 雨はいつの間にか止んでおり、空は夕日に赤く染まっていた。

 空のように気持ちが晴れたわけではないが、キュリアスもマデリシアも、酔いと、バカ騒ぎに身を任せ、鬱屈した気持ちは幾分和らいでいた。

「おい!俺らもやろうぜ!」

 キュリアスは声に振り向くと、ジャック・クリント・ヤングが笑顔で立っていた。ただし、やろうと言うものは、決闘である。顔と求める行為に相違があった。

「また今度な」

 キュリアスは素気無く答えると、どっちが勝つと思うか尋ねた。

「お?賭けか?いいね…俺は姉ちゃんの方にしよう」

 ジャックは断られても飄々と構えていた。

「待て、俺もそっちがいい」

 キュリアスが言うと、賭けにならねぇじゃねぇかと、ジャックは笑った。

「賭けようってのか?俺は男の方にかけるぜ」

 誰かが言った。すると、喧嘩を見物していた冒険者たちが次々に、どちらに賭けるか宣言していった。そして、賭けた方に声援を送る。

 町の人々はその騒然とした空間を避け、近づかなかった。

 こんなバカ騒ぎ、平然とやってのけるのは、冒険者くらいなものだろう。キュリアスは辺りを微笑ましく見渡した。沈んでいた気分も多少なりと晴れ、気持ちよく酔っていた。これなら、明日はいい日になるだろう。

 だが、そのまま終わるわけではなかった。

 気が付けば、何度目かの、見知った居房の中に入れられていた。冒険者の多くも捕らえられ、セインプレイス守備隊の地下室は満杯だった。

 酔いの残る冒険者たちの勢いは止まらない。早々にマデリシアのコンサートが開かれ、足を踏み鳴らし、拍手喝采し、知った曲になると声を張り上げて歌った。

 硬いベッドの上でキュリアスは微笑んでいた。居房に閉じ込められるのはどうかと思うものの、このバカ騒ぎのおかげで、気持ちが救われる。

 つくづく、冒険者になってよかったと思えるひと時だった。

 後でアルバート・フェンサーに小言を言われそうだと思うことも、楽しみの一つとなっていた。

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