ラルフの初陣
1
夜も明けきっていない街道は人通りも少なかった。ホロのないに馬車が町に向かって進んでいる。荷台には収穫したばかりの野菜が満載されていた。大根、人参、白菜、カブ、それにジャガイモが見受けられた。
大根やジャガイモはそろそろ収穫の終わりが近づくころだ。とはいえ、ジャガイモは倉庫に保管されたものが運び込まれることもあるので、色々な季節に運ばれる姿を見ることができた。
マデリシア・ソングは横を通り過ぎていく荷台の野菜を素早く見繕って、頭の中で何を作ろうかしらと思いを巡らせていた。大根の煮物もいい。今のように寒いときは、熱々に煮込んだ大根をはふはふ言いながら食べるのがいい。
マデリシアはコートの前をしっかりとつかんで身体に巻き付け、首に触れるファーへ、肩をすぼめて顔をうずめた。
自慢の若草色の髪も、温かさを優先してニットの帽子の下に隠していた。
マデリシアの前に、キュリアス・エイクードの背中があった。黒い服、黒髪。その背に剣が一本。いつもと変わらない恰好で、この人は寒さを感じないんだろうかと、マデリシアは不思議でならない。
マデリシアの隣に少年が歩いている。ラルフ・フォーティスだ。キュリアスに弟子入りした新人冒険者だ。くすんだ茶色い髪を寒空にさらしているものの、防寒用マントを身体に巻き付けている。
やっぱり寒いんだ。マデリシアは自分の感じている冷気が偽りでないことを確認した。
東の空がやっと白染みだした時間で、街道を歩く人の姿はない。たまに、マデリシアたちが後にした町を目指す荷馬車とすれ違うだけだ。
なんでこんな寒い。それも日の出前に外に出なければいけないんだ。マデリシアは口にこそ出さなかったものの、不満はあふれ、表情に出ていた。
向かう先は徒歩で半日ほどかかる小さな村だ。夜明け前に出れば、まだ昼前にはたどり着けると、キュリアスが性急に出発した。早く着けば早く仕事に取り掛かれ、それだけ早く終わって帰れると目論んでいるようだ。その証拠に、旅の荷はかなり少ない。
目的は、マデリシアのやりたくない仕事である。ではついて行かなければいい。キュリアスにもはっきり言われたが、置いて行かれるのも癪だった。
マデリシアたちはいわゆる冒険者だ。仕事の依頼を受け、解決し、報酬を得る。その仕事の内容は様々で、何でも屋の様相を呈する。その中から好みや特技に合った仕事を請け負えばいい。
モンスター、害獣などの討伐。商隊や依頼主の護衛。探し物から調べ物までの探索。未開の地や遺跡の調査。冒険者は依頼があれば、何でもこなす。
もちろん、冒険者とひとくくりに言っても、好む仕事の傾向は、人それぞれ違った。調べ物が得意の探偵を気取る者。腕に覚えがあり、用心棒や討伐任務にあたる者。冒険心にあふれ、未開の地や遺跡の調査を好む者。
冒険者は腕に自信があるためか、見に振りかかる危険を顧みない傾向もあった。それ故に、危険を冒すものとの揶揄で、冒険者と呼ばれることもあった。
キュリアスが受けた依頼は、ゴブリン退治だ。村の畑を荒らし、家畜を襲うモンスターで、害獣駆除とさして変わらない仕事だ。数だけは多く、少人数では面倒な相手でもある。が、依頼を発注するのは貧しい農村が多く、報酬が少ない。大人数では割の合わない仕事になるのだった。
マデリシアに言わせれば、
「ゴブリン退治なんてつまんない」
である。あくせく働いて実入りの少ない仕事は、新人にでも任せておけばいい。
実際、冒険者デビューしたての新人が仲間を募って受ける仕事の代表格が、このゴブリン退治であった。ゴブリンは一対一であれば子供でも勝てる程度の、小型のモンスターだ。腕試しと実績を積むのにちょうどいい相手だった。
ただ、ゴブリンは反力力が強く、数で押してくる。生半可な気持ちで新人が挑み、命を落とすこともよくあることだった。
これから行く依頼先は、依頼発生から一ヶ月は経過しており、ゴブリンが大量発生している可能性が高かった。そのことも、マデリシアが行きたくないと思う要素の一つだった。
二ヶ月ほど前に、ラルフが一度受けた以来である。ラルフとその時仲間になった新人冒険者とでゴブリン退治に向かった。ところが、ゴブリンに襲いかかられると、仲間は皆散り散りに逃げ出してしまった。
ラルフは一人で何とかしようとしたものの、数に押され、何とか逃げ帰ったのだった。諦めのつかないラルフはその足で、憧れだったキュリアスの元を訪れ、ゴブリン退治ができるように修行をつけてくれと、弟子入りしたのだった。
今回は、その修行の成果を見るためと、ラルフが未達の依頼を気にしていたために、このゴブリン退治を引き受けた。
ラルフの幼さの残る横顔に、勇ましさと、緊張と、僅かな不安の色が同居していた。一度失敗した任務だけに、不安がよぎるのだろう。
キュリアスがいるんだから心配することないのに。マデリシアはラルフの顔を見ると、苦笑せずにはいられない。
マデリシアたちの歩む街道は、王都セインプレイスから南へ向かう道だ。日中ともなれば、多くの馬車が往来する。広い道幅いっぱいに、馬車の車輪の跡が残っている。
徒歩の旅人はその道の端の方を歩くことが多いため、石畳の端の方は磨いたように削られていた。
道の左側は平原が広がっている。所々に立木もある。その先に大きな川が南北に流れているが、道からは見えない。
右側は草むらの先に、突如として木々の壁が現れ、深い森に変わっていた。立ち枯れた木もあれば、青々とした葉を付けた木も多くある。根元には草が生えており、森の奥は見通せなかった。
森の中には獣やモンスターが住んでいる。たまに街道へ出てきて、馬車とぶつかったり、道行く人に害を与えたりする。なので、護衛の依頼は数多存在した。
モンスター退治を無難にこなせると自信をつけた多くの冒険者が、護衛の依頼をこなしていた。護衛の依頼料の方が割高だということも、人気の理由だった。
討伐依頼は、よほどの大物でない限り、相場は安いと決まっていた。
「半日も苦労して歩いて、僅かな賃じゃあねぇ」
マデリシアは小さな声でぼやいてみたが、前を行くキュリアスに反応はなかった。反応されると困る。じゃあ帰れと言われるのが目に見えているからだ。
左側の景色に変化があった。立木が増え、森に変わっている。森の奥は暗く、何か潜んでいても分からない。中からモンスターでも湧き出してきそうで、得体が知れなかった。
森の間に、暗い穴のような脇道があった。
暗闇は大抵の人が、不安や恐怖を抱く。ところがキュリアスはその闇に、平然と飛び込んでいく。左右を森に囲まれ、薄暗く不気味に見えるその脇道に、キュリアスは躊躇なく踏み込んでいた。
マデリシアは少し躊躇したものの、キュリアスに置いて行かれたくない一心で、薄暗い脇道へ踏み込んだ。
その後をラルフもついてくる。
足元は石畳が終わり、踏み固められた土に変わった。道幅も狭く、馬車が一台通れる程度だ。
黒い服装のキュリアスの姿は、気を付けていないとすぐに闇に溶け込んで見えなくなる。マデリシアはキュリアスにできるだけ近づいて見失いように心掛けた。
それでもキュリアスの背を見失ってしまう。その直後に右手でドサリと音がすれば、飛び跳ねてしまうというものだ。マデリシアは思わず胸を押さえた。動悸が激しい。
どこからともなく、キュリアスの背中が戻ってきた。
「ちょっと、驚かさないでくれる?」
マデリシアは不満をもらしつつ、思わずキュリアスの背中に手を伸ばし、掴んでいた。
「なんだ?ああ、大きな枝が落ちていたから取り除いただけだ」
キュリアスが事も無げに言う。
「もう、びっくりさせないでよ」
マデリシアはそう言いながら、キュリアスに触れた指が小刻みな揺れを感じ取って、腹が立った。人が驚いたことを、おもしろがって笑っているのだ。背中をつねってやろうかしら。
キュリアスはマデリシアの思いを感じ取ったかのように歩きだした。マデリシアは背中をつねることができず、慌てて追いすがった。
脇道は徐々に向きを変えていたようだ。いつの間にか、正面に日の光があった。森の木々が覆いかぶさるようにして道を暗く隠していたが、弱々しい太陽の光でも、その闇を追い払い、同時に不安を取り除いてくれた。
歩いて行くと、太陽は再び小高い山の後ろに隠れた。しかし、先ほどまでのような闇ではなくなり、キュリアスの背がはっきりと見えた。左右の森の輪郭がはっきりして、道に向かって枝垂れかかってくる枝の先まで見分けがついた。
後ろのラルフもしっかりと見える。
左右の森の奥はまだ暗闇に閉ざされているものの、足元がはっきり見えるまで明るくなっていた。
足元に馬車の車輪が作った轍がある。マデリシアたちはその轍と轍の間を歩いていた。
不意に明るさが増したと思ったら、左右の森が離れていた。道の先が広がり、森が途切れている。
森を抜けると川岸だった。対岸まで百メートルほどあるのではないかと思われた。
道の先に木製の橋が架かっていた。幅は馬車が一台通れる程度なのはいいが、欄干がない。近隣の村人が利用する橋で必要最小限に造られていた。
対岸に人の気配はないので、橋の上でぶつかることもない。三人は橋を渡りにかかった。マデリシアもラルフも、なんとなく橋の中央を歩いてしまう。マデリシアはフラフラと端に寄って下を覗き込んでは、中央に戻っていた。
川上から船が流れてきた。早々と王都セインプレイスを出発した荷船だ。貿易の町ハンデルや、さらに南方のアグリクルツへ向かうのかもしれない。
ハンデルといえば。マデリシアはふと、元仲間の男を思い出した。キュリアスの兄のような存在で、今はどこかに仕官した。その赴任先が、確か、ハンデルだったはずである。
近づいてくる荷船の、荷と荷の間に人が座っているのが見えた。旅人が便乗しているのだ。船賃を出せば運んでもらえる。ただ、この寒い朝にただ座っているのは、寒い。客は荷物で風を避け、防寒用のマントや毛布に包まっていた。
船が橋の下をくぐり、下っていく。しばらくなだらかな流れが続くようで、船頭はゆっくりと煙をふかしていた。
橋の先は再び森になっている。森は上へ上へと広がり、小高い山の連なりになっていた。山の上側は白く雪化粧していた。太陽はその山の向こう側にあるようだ。闇は追い払ってくれたものの、熱は全く届かず、橋の上は冷たい風の支配下だった。
「早く日が照ってくれないと寒いわ」
マデリシアはコートのファーの中から声を発した。弱々しい日差しでも、無いよりはましだと分かった。早く登ってくれと願わずにいられない。
それにしても、である。マデリシアはこの寒さも気に食わない。そして、この後のゴブリン退治も気が乗らない。さらには、先日までかかわった事件が不完全燃焼で、胸の奥にわだかまり、気持ち悪い。なにより、黙って黙々と歩くのも、気に食わない。
さっきまでは暗闇に臆して縮こまっていたが、明るくなると、その限りではない。
「無理して付いてこなくていいんだぜ」
「連れないこと言うわね」
キュリアスの素気無い言葉に、マデリシアは即座に返していた。
「あたしの護衛が勝手にどっか行ってもらっても困るわ」
キュリアスが後ろを見た。前を向き、再び振り向く。マデリシアの主張には答えず、何を難しい顔してるんだとため息交じりに言った。マデリシアが何か別のことを話したがっていると感じていたのだろう。少し警戒するような表情ながらも、マデリシアに話を促すような仕草をした。
「あら?分かっちゃった?」
マデリシアは白々しいことを言った。
「分った。聞かなかったことにしてくれ」
キュリアスは短く話題を切り捨てると、前を向いて速度を上げた。
「えー。聞いてよ」
マデリシアは小走りに追いすがる。
キュリアスはそっけない態度で歩み続けた。その背中が、どうせ喋るくせにと言っているようにも見えた。
ラルフはその二人の会話を不思議そうに、後ろから眺めていた。置いて行かれてはかなわないので、小走りになってついていく。
「一昨日のこと、気にならない?」
「一昨日?」
オウム返しに答えたキュリアスの足が緩んだ。マデリシアとラルフが追い付き、再びゆっくりと歩く。
「そう。結局アーノルドを狙った理由は何だったのかなって」
「俺に聞かれても知らん」
「それはそうよね」
キュリアスが睨みつけても、マデリシアはお構いなしだった。
「あたし、実はフランシス・バーグについて調べてたのよ」
「ほう。その情報から分からないのか?」
キュリアスは一昨日、正確には昨日の未明に終わった事件のことについて、マデリシアほど関心があったわけではない。彼にとっては既に終わった事件であった。それでもキュリアスはマデリシアに合わせていた。
フランシス・バーグという金貸しが、同業のアーノルド・シュレイダーとザック・ケイソンを亡き者にしようと、暗殺者を差し向けた。アーノルドをマデリシアが、ザックをキュリアスが、それぞれ助けたことから、護衛に雇われ、二人を救った。
フランシスはアーノルドの息子とザックの娘をさらい、山中に呼び出して始末しようとしたのが、一昨日の夜だった。そこへキュリアスやマデリシアたちが乱入して救出し、フランシスを含めた襲撃者の死亡をもって終わった事件だ。
この事件について、フランシスの動機がまるで分っていない。なぜアーノルドやザックを亡き者にしようとしたのか、子供をさらってまでなさねばならないことだったのか、暗殺者を雇うほどのことだったのか。分からないことだらけだった。
「それが皆目見当もつかないわ」
「何だ。無駄情報か」
「無駄言わないで!損した気分になるもの」
「それで、どんな情報だったんだ?」
「えっと、あのハゲじいさん、セインプレイスの守備隊の偉い人に取り入って、貸金の回収業務に支障が出ないように取り計らおうとしていたの」
「つまり、賄賂を渡して、少々の荒事をもみ消してもらおうとしたってことか?」
「でしょうね。強引な取り立てがあるんでしょ。多分そんなとこ。で、仲間内みんなで賄賂の元手を出そうとしていたようだけど、アーノルドとザックが反対していたようね」
「だから殺した?その線は弱いな」
「後はね、孫娘がルーベンスに手籠めにされたって」
フランシスの孫娘がアーノルドの息子に手籠めにされたと噂があったが、事実無根だったことが分かっている。ルーベンスに恋心を寄せた孫娘の狂言だったのである。既成事実をでっちあげ、フランシスが婿に連れてくるとの算段だったらしい。
「それ、孫娘のでっち上げだろ?」
「そうなんだけど、あのハゲじいさん、それを利用しようとしていたみたい」
「利用?」
「そ。アーノルドを排除して、ルーベンスに責任を取らせれば、アーノルドの商売は全て傘下に収められる。そう言う利用」
「冤罪でか」
「冤罪だろうとなんだろうと、世間が周知した方が事実になるのよ」
「それで集会の時、ザックがアーノルドの息子について言っていたのか」
「そういうこと。でもルーベンスはマリアだっけ?ザックの娘とお付き合いしていたし、誠実な青年だったもの」
「虚偽だろうが何だろうが、周知の事実に仕立て上げ、孫娘と結婚させる、か」
「孫娘はそれでよかったかもしれないけど、ルーベンスは嫌だったでしょうね。きっと、マリアと駆け落ちしていたと思うわ」
マデリシアが夢見心地な表情になるのを、キュリアスは話題を戻して現実に連れ帰った。
「で、アーノルドの商売を取り込んで、フランシスに何か利点があるのか?」
「アーノルドの蓄財が手に入るわ」
「つまり、金か」
「たぶんね。ザックの方にも貯えがあったと思うわ」
「しかし、別にアーノルドやザックである必要もないだろう。同業者は他にも大勢いた。誰でもよかったんじゃないのか?」
「なのに、アーノルドとザックを選んだのよね」
「アーノルドが狙われた理由は、取り込み易いからだろうな。孫娘絡みで」
「たぶんね」
「ザックはフランシスの下請けもしていたし、元々フランシスの下で働いていたらしい」
「だから狙われた?ザックの懐事情も知っていた可能性があるから、選ばれやすいとは思うけど、でもそれだけとは思えないわねぇ」
「他に有力な情報はなかったのか?」
「娘が浪費家だったことと、事業に時々使途不明金が発生していたことくらいね」
「その穴埋めに金を求めた?あり得るが、アーノルドやザックを限定して狙う理由にはならんな」
「しかも暗殺者を雇うなんて、お金のかかる手段を使っているものねぇ」
マデリシアは、後はどこそこの貴族と付き合いがあっただとか、貿易商と取引があったなどと情報を開示したが、どれも犯行につながるヒントにはなり得なかった。
「殺そうとするほどだから、何か恨みに思うことがあったのではないですか?」
ラルフが後ろから声をかけた。
「その恨みにつながる情報がないのよ。特にザックに対しては」
ではお手上げですねとラルフが言った。
「やっぱり無駄な情報だったな」
「無駄言うな!」
キュリアスはマデリシアの予想通りの反応に、高らかに笑った。
橋は半ばを超えていた。川の水量は多く、橋脚に水が当たってはねる音が絶え間なく響いていた。
マデリシアの気持ちは現金なもので、早朝の度を嫌がっていたわりには、明るくなると旅もいいと思うのであった。町とは違う景色がそう思わせるのかもしれない。
きっと、キュリアスと一緒だからに違いない。マデリシアは妙に浮き立ち始めた気持ちを、そう解釈した。マデリシアはキュリアスと出会う以前、逃亡生活として、各地を転々としたことはある。が、その地方を楽しむ旅は経験がなかった。キュリアスと一緒に、色々な国を旅してみたいと思えた。
マデリシアは南を眺めた。この川ははるか南の国、アグリクルツへ通じている。そこへ行ってみるのもいい。マデリシアはまだ行ったことのない国に、興味をそそられた。いつかは行ってみたいと思うところだった。それも、キュリアスと一緒に、がいい。
アグリクルツは農業の盛んな国だが、もう一つ有名なものがあった。国境に壁を築き、モンスターの侵入を阻んでいるので、モンスターに襲われる心配のない、平和な国として知られていたのだ。
壁に穴が開いて騒ぎになったとか、噂には聞くものの、総じて平和の国との印象だ。壁で囲ったから閉鎖的な国かといえば、そうではなかった。壁で拒むのはモンスターであり、人や物資の流通ではなかった。
国境の壁を眺めてみたい。牧歌的な農業地帯を眺めるのもいいに違いない。農業が盛んなのだから、美味しいものも多いはずだ。
「アグリクルツも一度は行ってみたいわね」
マデリシアは橋の途中で立ち止まり、川下を眺めて言った。キュリアスも足を止めた。ラルフも立ち止まって南を見ていた。
「行ったことないのか?」
「あたしはないわ。エッジは?」
「俺は一度ある」
「へー」
マデリシアはその後の言葉を口にしかけてやめた。代わりに、ラルフはもちろん行ったことないわよねと言った。
「セインプレイスも初めてですよ。他国なんて…」
「だよねー」
マデリシアが言いかけてやめたことに、キュリアスは気付いている様子だった。そのことに自分から触れないのは、そこにキュリアスの冒険者になる前の稼業が関わっているからだ。そしてマデリシアもそのことを知っているから、先を聞くことができなかった。
多分聞いても分からないでしょうけど。マデリシアは頭の中で呟いた。どんなところだったか感想を聞きたかったのである。が、キュリアスに感想などいえるはずがないと想像できた。
キュリアスがアグリクルツを訪れたのは、以前属していた組織の任務だと思われる。当然、夜間の侵入で、観光などしていないはずだ。それで感想を求められても、キュリアスが困るだけだろう。
「そのうちに、行くわよ」
マデリシアは決めつけるように言うと、歩き始めた。キュリアスも先に立って歩く。ラルフも続いた。
2
橋のたもとに一頭のロバに引かれた荷車が止まっていた。橋の途中にいるキュリアスたちが渡り切るのを待っているのだ。
ロバの傍で小柄な老人が手綱を握っていた。老人はキュリアスの顔を見て驚いた表情を浮かべた。キュリアスの見知った人物だった。
「これはこれはエッジさんとバンシーさんではないですか」
キュリアスたちが渡りきると、老人はそう言って挨拶した。
「バンシーって呼ばないで。おじさん」
「もう商売に?」
マデリシアの抗議は、キュリアスの質問に遮られた。
「ええ。さっさと動けませんので、ゆっくりと行きますよ」
「寒いのに精が出るな」
「手足がこわばってかないませんよ。寄る年波ですな」
老人はそう言って、羊毛の手袋の上から両手をこすり合わせた。
「エッジさんはこれからどちらまで?」
「ロッツ村まで。ゴブリン退治の依頼を受けたのさ」
「これはこれは。ありがとうございます」
「そう言えば、じいさんはロッツ村だったな」
「ええ。村はずれですが」
「この前、おじさん、野菜が手に入り難くなったって言ってたわね」
「ええ。それもゴブリンが畑を荒らすためですよ」
「じいさんの屋台でうまいもん食わしてもらうためにも、俺たちがゴブリンを駆除してくるぜ」
実際にはラルフが受けた依頼である。ラルフは新人同士でゴブリン退治に出かけたが、失敗し、皆散り散りに逃げ去った。
それでも責任感の強いラルフは依頼を達成したい、そのためには自分が強くなる必要があると考え、キュリアスに弟子入りした。
たいした修業は行っていないが、ゴブリン退治程度ならば問題ないと、キュリアスは判断し、ラルフを場慣れさせるためにも、このゴブリン退治に賛成した。賛成はしたが、さすがにラルフ一人でゴブリンの群れの中に飛び込ませるほど、無責任でもない。キュリアスはラルフの護衛のために同行していた。
キュリアスは手を貸すつもりになった後で、ロッツ村のことや、目の前の老人のことを思い出し、僅かにやる気を出していたにすぎなかった。
「あたしもファンだもの。おじさんの屋台を守るために、頑張るわ」
ゴブリン退治など行きたくないと言い放っていたマデリシアまでが意気込んだ。
老人は眼を細めてほほ笑み、深々と頭を下げた。
「また屋台に寄らせてもらう」
キュリアスはそう言って道を開け、マデリシアとラルフも従った。老人は申し訳なさそうに何度も頭を下げ、礼を述べながら通り過ぎていった。
荷車をしばらく見送って、キュリアスは踵を返し、東への小道を進んだ。
道は次第に谷間を縫うようにして山を登っていった。冬山は枯れ木がいくつか見えるため、全体的に茶色が目立つ。それでも葉を落としていない木や、枯草に交じって弱々しく草も生えている。
道の下、谷底に水の流れる音が聞こえた。せせらぎの音はどこか心地いい。空気も澄んでいるように感じて、自然と歩く活力に変わった。ただ、冷気はどうしようもない。
後ろでマデリシアがしきりに、寒い寒いと連呼していた。
「もっと暖かくなってから旅しましょ」
先ほどアグリクルツに想いを馳せたためか、マデリシアは旅に出るつもりのようだ。キュリアスは意地悪く、一人で行くのかと言ってやろうかと考えたが、止めた。どうせ、マデリシアはキュリアスを強引に連れ出す。そしてキュリアス自身も、それが嫌という訳ではないのだ。
寒さを再認識したためか、景色に残雪が目立つようになった。日の当たり難い道端や、枝の上に雪が残っている。山道を登っていくにつれ、目につく雪も増えていった。
道中、下ってくる荷馬車に二度遭遇した。一台は荷台に布をかけていて中身は分からなかったが、マデリシアは野菜ねと断定していた。もう一台は樽を積み、ロープで固定していた。こちらは匂いで、キュリアスにも中身が分かった。酒である。
マデリシアがふらふらと酒樽の後に従うのを、キュリアスは放置した。しばらくするとマデリシアがすねたように唇を尖らせて戻ってきた。
マデリシアは退屈をまぎらわそうとしたのだろう。山道を歩きながら、物語を口遊んだ。神話の時代とされる物語だ。語るというよりは、歌うようでもあった。
それは、龍の化身が、人々を惑わせる邪悪な宗教国家に挑んだ物語だ。マデリシアに物語のリクエストを求められると、キュリアスはいつもこれを頼む。その主人公が剣を背にくくりつけていたから、キュリアスも真似て背負っていた。
物語の見せ場は、龍の化身を含むたった五人で百万の軍勢と対峙するところだと、キュリアスは思っている。
現実ではありえない対決だ。五対百万など、勝負するまでもなく、飲み込まれて終わる。そうと分かっていてなお、無謀と思われる戦いに挑む主人公たちに共感し、血沸き、肉躍るのだった。
「すべての敵を迎え撃つ」
百万の軍勢を前にして、龍の化身が事も無げに言ってみせる。マデリシアの物語がこのくだりに進むと、キュリアスは自身の中に熱くたぎるものを感じる。
マデリシアの抑揚の利いた語り口が物語に厚みを加え、盛り上げてくれる。彼女の声の特性も相まって、聞く者の内側を熱く焦がすのだった。
いつの間にか、寒さを感じなくなっていた。蛇行した山道を登ってきたためでもあるが、マデリシアの物語を聞いた人が一様に感じる高揚感のおかげでもあった。
唐突に木々が両脇へ離れて行った。緩やかな傾斜が続いて道は上っているものの、比較的平坦な土地が広がっていた。
行く手を塞ぐように柵があった。柵の片側に蝶番がある。反対側の上部に、輪っかになったロープがかかっていた。このロープを外せば、柵を開いて中に入ることができる。
柵の根元は雪で埋まっているものの、開閉する部分や道に雪はなかった。
蝶番が錆びて軋む柵を開け、元通りに閉めると、三人は奥に向かった。
柵は平坦な土地を囲んでいた。雪に覆われてそれと分からない部分もある。また、朽ちて崩れているところもあった。
道は北側の柵沿いにある。南側は太陽の光を受けるのだろう。畑として利用されていて、小さな芽が均等に並んでいた。
北側は畑より低い位置になる。さらに木立の影になるので、雪が多く残っていた。
太陽はだいぶ上昇し、光と熱を届けているが、簡単に木立に遮られ、冷たい風や残雪から立ち上る冷気に負けていた。
ロッツ村はセインプレイスから半日程度の行程になる。セインプレイスはなかなか雪の積もらない場所だが、ここは別の国のように雪の景色が広がっていた。
道沿いは日影が多いため、冷気が一段と強い。それでも、山道を登ってきた火照りが、寒さを感じさせなかった。
しばらく進むと畑はさらに広がっていき、やがて前方の奥の方に建物や、緑色の畑が見えてきた。畑で立ち働く村人の姿も見受けられる。
道の北側の森が遠ざかっていった。森を押しやるように、そこにも何かの作物が植えられ、村人が手入れを行っていた。
道行くキュリアスたちに気付いた村人が作業の手を止め、会釈しつつも、様子を窺った。キュリアスたちがそのまま村の奥に進むと見極めをつけ、再び農作業に戻る。
ロッツ村の最初の建物は、村にしてはかなり大きなものだった。何かの倉庫のようでもある。どこからか酒のにおいも漂っていた。
「酒蔵かしら?」
マデリシアはにおいに反応して、倉庫を覗こうと近づいた。しかし、建物の手前で、震えながら立っている男女に気付いて足を止めた。二人は農作業をするような格好ではないし、衣服は洗い立てのように綺麗だった。赤く震えている指先も、荒れた様子はない。村人とは思えない身なりだ。
男女はどちらも若く、二十歳前後ではないかと思われた。若い二人はキュリアスたちが近づくのを待って、声をかけてきた。
「冒険者の方ですね。お迎えに上がりました」
女性がやんわりと言った。気丈に、身体の震えが声に伝わらないようにしていた。
「さ、どうぞ、こちらへ」
先に立って歩きだし、男性がキュリアスたちの後ろに付き従った。男性はキュリアスたちの背後に立つと、すぐに手をポケットに突っ込んでいた。
女性が案内した先も、ひときわ大きな家だった。簡素な村にそぐわない、そこかしこに装飾のある家で、周りの簡素な建物の中で異彩を放っていた。庭に並ぶ土人形がキュリアスたちを睨みつけて、ほほ笑んでいる。
ラルフは物珍しそうに建物や庭を眺めていた。その横で、キュリアスもマデリシアも眉をひそめて派手な家を眺めていた。
「前に来たんだろ?」
キュリアスがそっと耳打ちすると、ラルフは首を左右に振った。
「前に来たときは、さっきの倉庫みたいな建物の横で話をしただけなんです」
「そうなのか」
仕事を依頼しておいて、外で話をして終わるというのもおかしなものだとキュリアスは訝しんだが、怪しんだところで事実が覆るわけではない。
「変わった趣味の家ね」
マデリシアも小声で感想を述べた。マデリシアの言うとおり、屋根や壁の色まで他の建物とまるで違う。明るい家、というよりは、眼に刺さる色彩だった。
案内してきた女性が家のドアを開け、中に入るように促した。
「村長のトム・コリンズがお会いします。どうぞ中へ」
キュリアスを先頭に三人が中へ入ると、案内してきた男女も建物に入り、入り口を閉じた。
扉がいくつか並ぶ廊下で、女性が入ってすぐの右側の扉をノックして開けた。そこは暖炉のある部屋で、窓から差し込む日差しと暖炉の炎とで、眠気を誘うほどの暖かさだった。暖かい空気が廊下に流れ出した。寒風にさらされてきた顔が急激に溶かされ、緩んでいく。
奥の壁際に机があり、一人の中年が机に向かって書類に眼を通していた。机の前にソファーがある。窓際には台があり、花を生けた花瓶や、土人形が並んでいた。よく見ると、男の背後の壁にも土人形が並んでいる。土人形の視線が部屋の中央に集まっていた。
案内の女性に促され、三人は部屋に入った。入ったからには、マデリシアは遠慮しない。すぐに暖炉の前へ進み、冷え切った身体を温めた。
「ようこそおいでくださいました。冒険者様」
中年男がそう言いながら書類から眼を上げ、客の姿を観察した。脂ぎって輝く顔でキュリアスたち三人を順番にねめつけた後、キュリアスに視線を戻した。
「私はここの村長をやっております、トム・コリンズと申します」
やんわりと、丁寧な口調で名乗りを上げた。だが、机から立って握手を求めるようなことはなかった。
村長と名乗った時の口調が一番強かったと、キュリアスは感じ取った。地位、権力をかさに着る人々に多い傾向だと、うんざりした気持ちがよぎっていた。
マデリシアは話を聞いていないそぶりで火にあたっている。だが、彼女も村長に対して好感を抱いていないことが、その横顔からうかがえた。
ラルフが頭を下げ、何か言いかけるのを、キュリアスは彼の顔の前に手を広げて止めた。
「手短に用件を聞こう」
キュリアスは手短に名乗り、ゴブリンの居場所や目撃場所を尋ねた。一通りの話を聞きだしたところで、村長が言い難そうに口を開いた。
「それで、その、報酬なのですが…」
キュリアスたちは仕事の斡旋を行っている冒険者の宿で依頼を受けてきた。その依頼書にも報酬は記載されているのだが、村長があえて口にするということは、何かしらの手違いがあるのかもしれなかった。例えば、約束した報酬に、お金をかき集めたが足りなかった、などということだ。
「依頼を出して一月を超えました。やはりあの額では受けていただけないのですね」
村長は一人、納得するように言った。
受けたからここに来ているのだが、とキュリアスは思ったが、表情に出さないように、じっと村長の次の言葉を待った。
「そこでですね。報酬を上乗せしようと思います」
その言葉に、マデリシアの表情が輝いた。
「おい、呼んでくれ」
村長がキュリアスたちを案内してきた男性に声をかけると、男性は小さく頷いて部屋を出て行った。しばらく待つと、たくさんの足音と共に戻ってきた。入ってくる人々に押される形で、キュリアスたちは窓辺に追いやられる。
入ってきた人々は皆、若い。下は十代半ばに見える。上は三十代だ。男も女もいる。皆、清潔な服に身を包み、どこか顔のパーツに似た部分を備えていた。キュリアスたちを案内した男女もその中に混ざっている。
「報酬としまして、どうぞ、お好きなものを差し上げましょう」
村長の声に、マデリシアが素っ頓狂な声を上げた。ラルフは事態が呑み込めないらしく、茫然と立ちすくんでいた。キュリアスはめまいを感じ、こめかみを押さえた。
「若い男女を取りそろえてございます。どうぞ、一夜のお楽しみに」
村長はそう言って笑った。
「なんでしたら、私でも構いませんよ」
下卑た笑い声を上げながらそう言い添えて、マデリシアの身体を上から下まで眺めまわしていた。
「なんでしたら、二人でも三人でも構いませんよ」
「何を馬鹿なことを」
キュリアスは報酬以前の問題として、村長の申し出に応えるつもりはなかった。
「いらないわよ!」
マデリシアが言葉少なに叫んでいた。その叫び声で部屋が僅かに揺れたのだが、村長たちは気付かなかった様子だ。
「そうおっしゃらずに。皆私の子でして。どうです?私が言うのもなんですが、美男美女ぞろいでしょ?」
村長は自慢げに言った。
「妻や夫にいかがですか?或いは愛人でも構いませんよ。夜伽の相手も努めます。同性でも大丈夫ですよ」
「話にならんな」
キュリアスはにべもなく言い放つと、出るぞとラルフやマデリシアに促した。だが、十数人いる村長の子供たちが行く手を阻み、まともに動くこともできなかった。
「まま、そう言わずに、お好きな相手で、まずはお試しください」
「試す?」
「はい、奥にベッドも用意してございます。前報酬として、お受け取りくださいませ」
「いやに決まってるでしょ!」
マデリシアの叫び声が合図だったかのように、村長の子供たちが客の三人に迫った。
「そうおっしゃらずに」
村長までが机を離れ、迫っていた。村長の脂ぎった顔が、好色そうにマデリシアを捕らえていた。
「く、来るな!」
マデリシアの叫びに、皆の動きが一瞬止まる。だが、それもつかの間で、目的を思い出した波のように押し寄せ、キュリアスの腕を誰かがつかんだ。押しのけても別の誰かが反対側を掴む。
相手が武器を持った敵ならば、ここまで囲まれたとしても、キュリアスには切り抜ける腕前があった。だが、素手の若者を斬りつけるわけにもいかない。キュリアスは迫る手を払いのけるので精いっぱいだった。
「いや!」
マデリシアの甲高い悲鳴が響き渡り、花瓶が割れた。土人形も次々と割れて行く。窓のガラスまで割れ、大きな音を立てて砕けた。マデリシアが両手で自分の胸を押さえ、涙目になっていた。
「しかたない」
キュリアスは口の中で呟くと、向かってくる男女かまわず、鳩尾に拳を打ち込んでいった。手心を加えるつもりなど消え失せている。
数人を殴り倒し、切り開いた場所にマデリシアを引っ張り込むと、彼女は率先して走りだした。ラルフを送り出し、キュリアスも後を追う。
這う這うの体で外へ逃げだし、建物の間を縫うように走った。とはいえ、閑散とした村だ。遮蔽物が少なく、追手の視界から逃れるのは難しかった。
それでも、マデリシアは後ろを振り向かず、必死に走っていた。ラルフが辛うじてついて言っている。走り込みの成果が出ているなと、キュリアスはこんな時にも弟子の成長ぶりを確認していた。
ラルフを置いて行けば、このまま走って逃げきることも可能だ。だが、それでは意味がない。キュリアスは立ち止まると、追手を迎え撃った。
手加減など一切なく、鋭い拳や威力のある蹴りを見舞って、確実に一人ずつ倒していく。数人倒れると、さすがに恐れをなしたのか、倒れた兄弟を抱え、追っては引き返していった。
追手の姿が見えなくなるまで様子を窺い、キュリアスは大きなため息をもらした。失態もいい所だった。素人の集団にいいようにされた。が、今は悔やんでいる場合ではない。逃げたマデリシアと合流するのが先決だった。襲われた恐怖が去り、怒りに変わった時、彼女が何をしでかすか分かったものではないからだ。とはいえ、キュリアスもよほどのことでない限り、止めるつもりもなかった。
マデリシアの居場所は、気配で分かっている。追っ手をまいたと信じて隠れたようだ。
マデリシアが逃げ込んだ場所は、アルコールのにおいの漂う蔵だった。酒が詰まっているらしい樽が所狭しと並んでいる。
樽の裏で、マデリシアは自身の肩を抱きしめて震えていた。傍でラルフが心配そうに立っているが、何をしていいのか分からず、おどおどしていた。
「無事か?」
キュリアスの言葉に、マデリシアは涙目で睨み返した。
「何だったんですか」
ラルフは尋ねた。ラルフはいまだに事態が呑み込めていない。自分の背からマントが消え去っていることにも気づいていなかった。
「おい。マントはどこ行った?」
「え?あ、いつの間に…」
ラルフはそう言って自分の身体を見回した。腰にあるはずの剣もなくなっている。
「ちっ。俺としたことが…」
キュリアスも舌打ちをするほどの失態だった。背負っていた剣を奪われている。腰に差していた万能ナイフもない。服に破れた場所などないが、これではゴブリン退治どころか、何もできない。
マデリシアのコートがぼろぼろに破れていた。
「お気に入りだったのに…」
マデリシアは弱々しく言うと、震える足で立ち上がり、コートを広げた。
「ああ!ない!ない!ないぃ!!」
「何を取られた?」
「ナイフ一式と、七つ道具とお金」
「揃って商売にならんな」
「これってどういう…」
「報酬どころか、逆に追いはぎだったってことだな」
「あたしから物を盗むなんて…」
マデリシアは相変わらず震えているものの、今度の震えは怒りからくるものだった。
「ゴブリン退治も眉唾だな」
「え、でも、ゴブリンはいましたよ。前に来た時に…」
ラルフはまじめに言った。追いはぎにあってなお、ゴブリン退治に想いが残っている様子だった。
「だろうな」
「きっと、金のなさそうな冒険者には依頼通りの仕事をさせて、多少なりと装備の整った冒険者から追いはぎしていたのよ」
「色につられて裸になりゃ、丸々持ってかれるわな」
キュリアスはため息交じりに言った。その言葉で、ラルフも多少なりと理解できた様子だ。
「マディとラルフは先に帰ってろ」
キュリアスは取られたものを取り返すと腹を決めていた。それに、売られたケンカにおめおめと逃げ帰るつもりもなかった。
「僕はそれでもゴブリン退治の依頼を達成したいです」
ラルフは追いはぎにあっても、村をゴブリンから守るつもりでいた。初めて請けた依頼だから最後まで務めを果たしたいという責任感のためだった。
その気持ちを汲み、キュリアスは追求しなかった。代わりに、依頼を達成するためにも武器を取り戻さなければならないと決意を新たにしていた。これは、ラルフのためである。決して、あの追いはぎ村長のためではない。
マデリシアの眼に涙が残っている。だが、眼光は鋭くなっていた。
「泣き寝入りなんてしないわよ…。盗られたら盗り返す!あたしの身体を触った報いも受けさせてやるわ…。あいつの手はちょん切ってやる…」
物騒なことも呟いているなと、キュリアスは思ったが、マデリシアがどんな報復しようとも、止めるつもりはなかった。関係のない他の村人を巻き込まない限りは、ではあるが。
差し当たって、マデリシアが叫んで村一帯を破壊する、という一番困る方法はとらないようなので、キュリアスはマデリシアに対して口出すつもりはなくなっていた。
3
「誰かいるのか?」
男の声が樽の間に反響した。男は自分の声を追いかけて恐る恐る進んできた。キュリアスたち三人の姿を見出すと、一瞬逃げ腰になったものの、逃げだしはしなかった。
「あの、何か、御用ですか?」
顔を引きつらせながらも、樽を守るように三人と樽との間に立った。がっしりとした身体に似合わず、気弱そうな表情だった。
「いや、ちょっと追われてね。勝手にここへ避難させてもらった」
キュリアスはあえてやんわりとした声で、簡潔に説明した。そして詫びの言葉を添える。
「そうですか。それは大変でしたね」
男は警戒するような表情を和らげた。ただ、樽を守る姿勢は止めなかった。それでも、奥で休んでいかれますかと親切に申し出た。
「助かる」
キュリアスは頭を下げた。男の申し出は願ってもないものだった。報復すると気丈に振舞っているマデリシアに、少しばかり休息をとらせなければならない。まだ震えが残って見える。それに、考える時間を与えないと、短絡的に村を破壊しかねない。
男の案内で奥に進むと、別の建物が隣接していた。土間の部屋で、簡易のテーブルと椅子があった。
さらに奥へと続く扉がある。その扉の先が住居のようで、男はキュリアスたちにドグ・モーリスだと名乗った後、奥の扉を開けて、飲み物を頼むと声を上げた。
ドグはこの酒蔵の二代目だと言った。キュリアスたちの様子にただならぬものを感じて表情を曇らせているものの、追及することなく、代わりに、酒臭くてすみませんと詫びた。
奥の扉から女が飲み物を持って現れた。器に注がれた液体は独特の香りを放っていた。
「これは私の妻のサラです」
ドグは妻を紹介し、器をとって飲んでくださいと促した。独特のにおいがキュリアスの鼻を刺激した。
「お、酒か」
キュリアスの言葉に、マデリシアはドグに飛びつかんばかりに迫り、器を奪って一気に飲み干した。ラルフが、僕はいらないというと、マデリシアはもう一杯飲みほした。
キュリアスは苦笑しながらも、一口飲んだ。
「うちで作ったお酒です」
サラはおっとりした声で言った。マデリシアの様子に眼を細め、口角を上げていた。しかし、マデリシアのコートがあちこち破れていることに気付き、気遣う表情に変わった。
マデリシアは酒気を帯びた吐息を吐き出すと、やっと気持ちが解れたのか、口を開いた。開いたら開いたで、言葉が止まらないらしい。先ほどの出来事を細かく語って聞かせた。
「なんてことを!僕が!僕が抗議してきます!」
ドグが息巻いて立ち上がった。それを止めたのはマデリシアだった。
「大丈夫。この恨みは十倍にして返してやるから。あたしを敵に回したこと、後悔させてやるわ」
酒のおかげか、従来のふてぶてしさが戻っていた。酒の効果は絶大で、身体の震えも止まっていた。代わりに、マデリシアの眼に怪しい光が宿っている。
「はあ。それでいいのなら…」
ドグは戸惑いながらも、再び椅子に腰を下ろした。ドグは改めてキュリアスたちの顔を見比べた。
「ところで、あなた方はこの村へ何をしにいらしたのですか?」
「何って、復讐しに」
マデリシアはしれっと答えた。
「違うだろ…」
キュリアスは呆れて呟いた。
「あれ?なんだっけ?」
「ゴブリン退治ですよ」
ラルフが遠慮しながら答えた。
「そだっけ?」
マデリシアの妙に間の抜けた答えに、サラが口元を押さえて笑った。つられるようにドグも笑う。マデリシアもとりあえず笑っとけと言いたげに、大きな笑い声をあげた。
「やれやれ」
キュリアスは口の中で呟くと、腰を上げた。何をするにしても、商売道具を取り戻さなければならない。マデリシアの復讐にしろ、ラルフのゴブリン退治にしろ、である。
マデリシアは酒のおかげでくつろげている。ここに匿ってもらえば問題ないだろう。キュリアスはそう判断し、単身乗り込むつもりだった。
「ちょっと出かけてくる」
「いってらっしゃぁ~い!」
マデリシアの陽気な声が背後から追いかけてきた。もう酔っぱらいやがったかと、キュリアスは苦笑したものの、先ほどの恐怖を引きずられるよりはましだとも思えた。やはりマデリシアは陽気な方がいい。
後に付いて来ようとするラルフを手で制し、待つように指示した。ラルフは師匠の指示に従い、おとなしく椅子に腰を戻した。
キュリアスは外に出る前に一度立ち止まり、眼を閉じて集中した。酒を口にしたが、まだ影響はない。頭はすっきりしていた。絶えず煩雑な情報が頭に飛び込んできて煩わしい。眼をつむっていても、背後のマデリシアたちの存在が分かる。建物の外にいる村人の気配を感じ取れた。村人の多くは畑に出はらっていた。家畜の気配や、風に揺らぐ枝の動きまで感じ取れる。
この煩わしい能力も、利用できると絶大な効果を発揮する。小さな村落で、遮蔽物が少なくとも、人々の視線が外れた隙を簡単につける。物音を断てば、犬すらキュリアスに気付かない。
冒険者になる前に所属していた部隊では、この能力を高く評価されていた。
当時のキュリアスの地位は、特別遊撃部隊隊長。聞こえはいいが、要は単身、あるいはチームで侵入し、対象を排除するのが役目だ。ありていに言ってしまえば、暗殺の実行者である。
人知れず行動できる身体能力と、感知能力は、暗殺者の申し子と言えるものだった。
冒険者になってからは、この能力を封じるために、酒を飲み、感覚を鈍らせていた。感覚が鋭敏だと、絶えず色々な情報が飛び込み、煩わしくて仕方ない。酒に鈍った頭であれば、多少なりともその煩わしい感覚から解放され、楽になった。
この能力は、平穏に生活するうえで、あまり必要のないものだ。が、冒険者の生活は平穏とは程遠い。キュリアスはこの感知能力のおかげで助かったことも再々あった。
今回のように面倒ごとを避けるうえでは、大いに役立つ能力だ。使わない手はなかった。
犬にでも吠え立てられれば、村長たちに気付かれ、商売道具を取り戻し難くなるかもしれない。村人に見つかり、村長たちに知れてしまっても同じことだ。そのような事態は避けたかった。
それに、キュリアスは冷静なつもりでも、村長やその子供たちに出会ったとき、自分が何をしでかしてしまうか分かったものではない。気付いた時には村ごと破壊していました、ではマデリシアに叫ばせたのと同じことになってしまう。
こんなくだらないことで負債を追う必要などないのだ。まかり間違って人でも殺してしまった日には、人生大無しと言うものだ。そう思った直後に、キュリアスは自嘲した。元暗殺者が何を心配していることか。
キュリアスはタイミングを計り、音もなく扉を開けると外に消えた。自然に歩いているように見えて、足音や衣擦れの音がない。急に立ち止まっても音すら発しない。
持ちも誰かに目撃されても、影が揺らいだ程度の認識しかできなかっただろう。
再び歩き出した。通り過ぎる路地の先に、背を向けた村人の姿があった。
歩調を変え、畑にいる村人の視線に入らないよう、調整する。離れているとはいえ、家の前に陣取る犬に気取られないよう、物音一つ立てずに通り過ぎた。
全てはキュリアスの卓越した身体能力が可能にしていた。サム・ガゼルに鍛えてもらった甲斐があったと、キュリアスは自分の育て親に、いつも感謝するのだった。
誰に見咎められることもなく、村長の家を補足した。が、村長の家の周りに人が集まっている気配だ。
キュリアスは近くの壁に背を預け、様子を探った。
数人の村人は、割れた窓ガラスや土人形の周りに集まって話し込んでいた。マデリシアの叫び声で割れたものだ。その時の騒ぎを聞きつけて集まったのだろう。
大勢の眼が同時に一点から離れる状況は、なかなか訪れるものではない。キュリアスは古典的な手法で人々の眼を一ヵ所に集め、その隙に通り過ぎることにした。
小石を拾い上げ、無事に残っていた土人形に当てて割った。人々が音に振り向いてできた死角に音もなく滑り込むと、キュリアスは村長の家の裏手に回った。
キュリアスの身体は吸い込まれるように、村長の家の裏口の中へ消えた。そこは台所のようだ。幸いなことに人はいない。
キュリアスは扉の向こうにも気配がないことを確認して、そっと扉を開けた。廊下が直進と、右方向に続いている。直進した正面は玄関だ。
右の廊下の先に人の集まる部屋があるようだ。キュリアスが昏倒させた村長の子供たちがそこに集められ、手当てを受けているのだと思われる。数人はあばらが折れたことだろう。キュリアスにその自覚と手応えはあったが、悪びれるつもりもなかった。
不思議なことに、足の下からも何かの気配がある。地中に暮らす獣でもいるのかもしれなかった。
キュリアスは自分の武器の確保に急いだ。玄関まで進み、左手の扉に手をかけた。部屋の中に人の気配はない。が、その先に大勢の気配がある。
それもそのはずだ。窓が割れたその部屋の外に、村人が数人集まっていたのだ。急いで扉を開けなくてよかったと、キュリアスは思わずため息を漏らしていた。
しかし、そうなると、困ったことになる。奪われたものがこの部屋にあれば、人目がある限り手を出せない。開き直って手を出すことも可能だが、それはそこに探すものがあると分かった時にすべきだった。
今はまだ奪われたものがどこにあるのかはっきりしていない。まさかケガ人の集まる部屋には置かないだろう。すると、他の部屋をしらみつぶしに調べるしかない。
マデリシアを連れてこなかったことに悔まれる。彼女はどういう訳か、勘がよく、探し物にすんなり導いてくれる。ここにいれば、こっちよと、彼女の勘に触れる場所へとさっさと歩いて行っただろう。
いない人物を当てにしても始まらない。誰かに見つかる前に事を終えなければならないのだ。キュリアスはもう一度気配をたどった。
廊下に並ぶ扉の先は、部屋だろう。キュリアスの感知能力では、動かないものを察知することはできない。風が吹いていれば、その輪郭程度は察知することができる。冬のこの時期、家の中に風を入れるはずもなく、各扉の先はよく分からなかった。
探すべきは、人の気配だ。人の気配は、廊下を戻り、左へ向かった先に集まっている。そして、やはり下からも気配が一つある。
意識してみれば、下の気配が人のものだと分かった。すると、この建物には地下室があるということになる。
村は僅かな傾斜はあるものの、比較的平坦な土地だ。そこに地下室を造るとなると、労力も費用もかさみ、割に合うものではなくなるはずだ。だというのに、ここには人が下りて作業できる程度の空間があるようだ。
この程度の村落なら、貯蔵庫としての地下はあるだろう。が、たいして深く掘り下げるものではないし、広くもない。が、ここの地下は、少なくとも、人が立って動ける空間が広がっているようだ。
村長の家は一階建てだ。部屋が欲しいのなら、二階を造る方が、費用的にも技術的にも楽だ。そう考えると、この地下の気配が一番怪しく思えた。
目星はついたものの、キュリアスに次の問題が立ち塞がった。その地下室の入り口を見つけなければならない。やはりマデリシアなら、さっさと、あそこが怪しいわねと見当をつけるだろう。
マディがいてくれれば。キュリアスはついついそう思わずにはいられなかった。キュリアスは頭を左右に振ると、しらみつぶしに部屋を当たるつもりになった。
何か呼ばれたような気がして、キュリアスは顔を上げた。隣の扉に伸ばしていた手が止まる。
見つめた先に、僅かに扉が開いているところがあった。まるで誘うかのように、そこが目について離れなかった。
キュリアスは手前の扉を無視して、その閉まりきっていない扉を開け、中に滑り込んだ。
机と本棚の並ぶ、書斎のようだった。壁の上部に、日の光が差し込む小窓があった。おかげで部屋は明るい。
マデリシアならば、この辺りが怪しいわねと調べにかかったに違いない。キュリアスにその感覚はないものの、距離感が合わないような気持ちに襲われ、本棚の後ろの壁が気になった。
壁を見た限りでは、特におかしなところはない。
ありがちな仕掛けか。キュリアスは口の中でそう呟くと、本棚を調べた。すぐに本にしては軽い感触に行きついた。躊躇なく動かすと、何かが外れる音がして、本棚が扉のように開いた。
本棚があった場所に、石造りの階段があった。下へと続いている。壁の所にレバーがある。これは内側から仕掛けを操作するためのものだろう。
階段に明かりはなく、暗い闇の口を広げていた。キュリアスに闇を恐れる感情はない。躊躇なく階段へ進むと、レバーを引いた。すると後ろで本棚が勝手に閉まった。
完全な闇に飲み込まれるかと思ったが、僅かな明かりが下から洩れていた。弱々しい明かりでも、暗闇では大いに役立つ。
階段の様子までは見て取れないが、目指すべき方向が、明かりのおかげではっきりとしていた。
キュリアスは見えていないはずの階段を下りた。踏み外すようなことはない。壁も天井も石造りのようで、キュリアスに向かって迫ってくる様な圧迫感がある。もちろんそのような仕掛けはなく、壁も天井も動いていない。
物音を立てまいと意識するためか、妙な圧迫感を受けながら、階段を下り切った。下りた先は狭い廊下になっているようだ。廊下の先に、小さな格子窓から明かりが漏れていた。
キュリアスはゆっくりと明かりに近づいた。格子窓は、鉄製の扉の、眼の高さについていた。まるで監獄のようである。
ゴブリン退治の報酬にも困るような村に、似つかわしくない地下室だ。もしもここが村長によって造られたのだとすれば、よほどの金をつぎ込んだに違いない。
村長の子供たちも畑に出て働いているようには見受けられなかった。村長という仕事はそれほど儲かるのだろうか。キュリアスにはそうとは思えなかった。
ここが以前からあった何かの施設後なのだろうか。キュリアスはそう思って辺りを見渡した。
格子窓から洩れる明かりで辺りを確認しても、それほど古い石造りではなさそうだ。鉄の扉も錆びていない。やはり村長が造った地下室と考えるべきだった。
一体何のために造ったのか。キュリアスは疑問に思いながらも、格子窓に近づいて中を覗いた。
扉の向こうに人の気配がある。その気配は、村長その人だった。背中越しに見ても、なぜか脂ぎった雰囲気が漂っていた。
中はランプの上りがある。机の上に置いているようで、明かりは下から届いていた。
ランプの明かりの中で何かが揺らめいている。時折煌めく様子から、刃物の類だろうと予測がついた。予測を肯定するように、村長の声が聞こえた。
「おお…この剣はなかなか見事だ…」
刀身が鞘をすべる、独特の音が響いた。
格子窓から見える範囲は狭い。といっても、奥行きはあまりない部屋に見えた。壁際に剣などの武具が転がっている。荷物と思しき物が山になっているのも見えた。
武器のコレクションという訳ではないようだ。鞘に納まったまま、無造作に積み上げられている。戦利品を貯蔵しておく場所なのだ。そう考えると、ここの存在がしっくりくる。
おそらく、冒険者から奪った荷物をここに集め、ある程度溜まったところでどこかに運んで換金するものと思われた。この地下室はそういう戦利品を売った金で作られた、貯蔵庫なのだ。
呆れたやつだ。キュリアスは相手を村長とは思えなくなっていた。ただの盗人に過ぎない。いや、好色な盗人だ。キュリアスは自身の考えを改めた。マデリシアを見つめたあのいやらしい眼つきは、つぶしてやってもいい。
キュリアスは考えが物騒な方向に進むのを、頭を振って追い払った。そして、気持ちを落ち着かせると、そっと扉のノブに手をかけた。
音を立てないように回す。鍵はかかっていないようだった。
村長は扉に背を向け、抜き放った一本の剣に見入っていた。刀身にランプの光を当てて波紋を見ていた。
「これはいい…。一万は下るまい」
村長が感嘆するように呟いた。
やや反り返った刀身が、ランプの光を受けて輝いている。キュリアスの剣だ。売値で一万もの値が付くかどうかは分からないが、キュリアスが購入した額は、二万である。この村程度の質素な生活であれば、一万で四人家族が一年暮らせる額だ。
「いいカモが来てくれたものだ」
村長が喜ぶもの頷けるというものだ。が、キュリアスはくれてやるつもりなどない。音もなく村長の背後に立つと、肩を叩いた。
村長は飛び跳ね、腰が砕けるように倒れながら振り向いた。その拍子に、手の剣がキュリアスを襲う。不意をつかれても、キュリアスはその剣を難なくかわし、村長を見下した。
「やってくれたな。冒険者相手に追いはぎか」
キュリアスの言葉と視線に、村長は悲鳴を上げた。這いずって壁際まで逃げる。手に剣があることに気付き、振り回してキュリアスの接近を阻もうとした。
キュリアスはかまわず踏み込んだ。腰を抜かし、手で振り回している素人の剣に当たるはずもない。
村長は奇声を発し、さらに下がろうとして、壁に張り付いた。その姿勢で剣をやみくもに振り回す。足をばたつかせ、何とか下がろうとするのを、石の壁が阻んでいた。
村長が暴れたために、近くの武器の山が崩れた。村長はそれを避けるように、反対側へと、壁沿いに移動した。
キュリアスはわざと足を強く踏み込んでみた。剣の射程外なので、危険はまるでない。
村長は飛び跳ねるようにして剣を振り回した。立ち上がることを忘れたのか、尻をズリズリと引きずって横へ進む。手の剣は振り回し続けていた。
あまりの滑稽な姿に、キュリアスは幾度か足を踏み出して挑発し、遊んでいた。そのたびに村長は反応して、よく分からない声を発しながら這いずった。
いつの間にか扉の前まで逃げ果せた村長は、そこで初めて立ち上がった。身体をぶつけるようにして扉を開け、廊下へ逃げだした。
キュリアスはゆっくりと追いかけ、精神的に追い詰めてやろうと思っていた。ところが、村長は意外と冷静だったらしい。鉄の扉を閉め、慌てて鍵をかけていた。
キュリアスは扉に駆け寄り、ノブを掴んだ。ほんの僅かな差で、鍵がかかっていた。ノブが回らない。扉は鉄製で、押しても叩いても開くことはなかった。こうなってしまうと、牢獄のようにそこは閉ざされ、狭い部屋に閉じ込められた結果となる。
キュリアスは思わず舌打ちしていた。遊びが過ぎたのだ。
村長が格子窓から脂ぎった顔を覗かせ、嘲り笑った。
「開けろ」
キュリアスは静かに言い放った。
「はいそうですかと誰が従うものか!あなたは見てはならないものを見てしまった。そこで朽ち果てるまで後悔なさるといい」
先ほどまで怯え切っていた村長は、鉄の扉という守りを得て安心したのか、勝ち誇っていた。
「あなたが朽ち果てたころに見に来るとしましょう」
そう言うと、村長は上ずった笑い声を上げた。キュリアスが鉄の扉を蹴飛ばすと、笑いは悲鳴に変わり、後ろに転んだような音が響いた。
村長はなんとも言えない声を発しながら、石造りの階段をよじ登っていった。
「くそっ」
キュリアスは悪態をつくと、もう一度扉を蹴飛ばした。頑丈な造りのようで、派手な音がするだけで何ともなかった。
背中に手を伸ばして宙を踊った。そこにあるはずの剣は、村長が手に持っていた。鞘だけが部屋の中に転がっていた。
「くそっ!」
キュリアスはもう一度悪態をつくと、鞘を背負った。まだここから脱出し、剣を取り戻すつもりだった。
鉄の扉といえども、自分の剣があれば、両断できると信じていた。キュリアスは度々、鉄をも斬り裂いてきたのだ。
しかし、その剣は手元にない。さっさと村長から取り戻しておけばよかったと後悔した。調子に乗って、逃げ惑う村長をからかったばかりに、とんだ目に遭ってしまった。
ランプの炎が揺れている。明かりがあることは幸いだった。オイルの焼けるにおいが鼻につく。貴重なオイルだ。これが燃え尽きるまでに、ここから脱出しなければならない。
ランプはキュリアスの境遇を知ってか知らずか、暖かい炎の揺らめきを発していた。
部屋は鉄の扉以外、天井も床も壁も石造りだ。出口は他にない。独房を思わせる狭い部屋に、冒険者から奪った品が転がっていた。この中に役立つものがあるかもしれない。
キュリアスはランプを荷物の傍に運んで調べにかかった。
武具のほかは、鎧やマントがあった。誰かの着替えらしい衣類もあった。財布らしきものもいくつか出てきたが、すべて中身はなかった。中にはキュリアスやマデリシアのものもあった。それをポケットにしまう。ラルフのものは見覚えがないので分からなかった。
マデリシアの仕事道具も見つかった。適当な防寒用マントと一緒に、分けて置く。
荷物の中に石があった。マナを結晶化した物だ。魔力石だとか、マナの結晶だとか呼ばれるもので、今は失われた古代の技術で作られたものだ。魔道具の動力源として重宝されるので、そこそこの値段が付く石だ。
その石も持ち帰る荷物に加えた。
まだ食べられそうな乾燥食糧、小さくまとめた毛布なども持ち帰る荷物に加える。元々持っていたものだが、どれが自分のものかなど、分かりはしない。ならば、使えそうな物を選ぶしかなかった。
次に崩れた武器の山に取り掛かった。いくつかの剣を抜き放って刀身を確認した。キュリアスの好む曲刀はない。直刀の、鋳型で作ったような安物が目立った。中でも使えそうな物を脇に避けた。
ラルフの剣と思しきものが見つかった。似たようなものが多いので、違っているかもしれないが、気にしても仕方ない。一番よさそうなものをラルフのものとして持ち帰るしかなかった。
マデリシアのナイフは見間違えることはなかった。彼女が特注した革ベルトに納まったままなので、そのまま持ち帰る荷物に加えた。
キュリアスの所持品である大型のナイフがあった。こちらも割と高額な代物だが、幸いにも村長の眼鏡にはかなわなかったらしい。
「こんなものか」
キュリアスは呟くと、荷物をマントでまとめた。自分のナイフは腰に装備し、まとめた荷物を固定するためにラルフ用の剣を使った。剣を腰につけるための紐を巻き付け、固定した。それをたすき掛けに背負う。
金は盗まれてしまった。これで、ゴブリン退治の報酬が手に入ったとしても、赤字もいいところだ。このまま黙って済ませるわけにはいかない。
ラルフは武器が戻れば、ゴブリン退治を望むだろう。彼の修行の成果を見るために、ゴブリン退治そのものは問題ない。が、おそらくただ働きになる。
キュリアスはふつふつと怒りが沸き起こっていた。こういう時は、マデリシアが即座に怒るものだが、キュリアスも腹が立つ。あの村長に仕返ししなくては、腹の虫がおさまりそうになかった。
適当な武具を持ち帰るって売るという手もあるが、村長と同じ所まで自ら落ちぶれることもない。それに、めぼしい装備品はなさそうだった。
ゴブリン退治に出向く冒険者の装備など、たかが知れている。初心者が腕試しに受けるような依頼だ。新人が買える武具は、どうしても大量生産の安物になるのは仕方のないことだった。
ラルフが新人同士でパーティを組み、ゴブリン退治にやってきた時、追いはぎに遭わなかったのは、運がよかったのかもしれない。それほどに、安物の武器防具があふれていた。
さらに物色を続けていて、赤い石が転がり出てきた。一見、安物の宝石のように見える。
キュリアスは赤い石を手にとって、覗き込んだ。石の中で赤いものが躍っている。
「驚いた」
キュリアスは思わず呟いていた。
「炎を封じ込めた石か…」
中で踊っているのは紛れもない炎だった。マナの結晶同様、古代の技術で作られた、魔法を封じ込めた石だ。魔法石と呼ばれるもので、石を割って中身を出せば、閉じ込めれていた魔法の力が溢れ出し、効果を発揮するものだ。炎が躍っているということは、爆炎系の魔法だろう。
太古の昔には魔法石は消耗品として作られ、利用されていたのだろう。しかし、その製造方法が失われた今、一度使えば消滅してしまうような魔法石も、高価な代物に変わった。
いざという時に利用するため。研究のため。鑑賞のため。希少価値のものの収集。人それぞれ、求める理由は異なるが、希少ゆえに、高値で取引されていた。
キュリアスに鑑定眼も魔法の知識もないので利用してみないと威力のほどは分からない。分からないが、最低でも十万シルトは下らないだろう。キュリアスの剣など足元にも及ばない逸品だ。マデリシアがいれば、よだれを垂らして飛びついたに違いない。
この赤い魔法石を持ち帰るだけで、盗まれたものなどどうでもよくなる。村長はその価値に気付かず、荷物の山の中に紛れ込ませていたと思うと、この石を持ち帰るだけで出し抜いてやれると、キュリアスは笑わずにいられなかった。
マナの結晶や魔法石は一獲千金を呼ぶ代名詞だ。冒険者の多くは、遺跡を探索し、このような掘り出し物を探して大金を稼ごうとする。キュリアスにもそう言う気持ちが少しはあるようで、赤い魔法石をポケットに押し込んだだけで、気持ちが浮き立っていた。
マナの結晶も、この赤い魔法石も、冒険者が偶然手に入れていた物なのだろう。取り返しに来ていないところをみると、その冒険者もこの石の価値に気付いていなかったのだ。同業ながら、眼がない奴らだと、笑わずにはいられない。
キュリアスは別の方法も思いついて、意地の悪い笑みに変わっていた。赤い魔法石を使ってこの家を吹き飛ばせば、さぞ気持ちが晴れることだろう。
マデリシアには大反対されそうではある。持ち帰って上前をはねてやれと、強く主張するだろう。
しかし、上前をはねるだけでは気持ちの収まらないものがあった。村長やその子供たちにコケにされ、あまつさえ、マデリシアを襲った奴らを、収穫があったからと許せるものでもなかった。いっそのこと、制裁を加えた方が、気持ちは楽になる。
キュリアスはそう考えると、憂さ晴らしに使うのも悪くないと思えて仕方なかった。
ランプの炎が揺らいだ。
キュリアスは物騒な思考を追い払うと、脱出に向けた行動に移った。ここから出ないことには何もできないのだ。
先ほどより分けておいた剣を扉脇に集めた。そしてその中の一本を掴む。直刀の飾り気のない剣で、刀身も普段使うものより短い。
こいつで扉を斬ればいい。
キュリアスはそう考えて、剣を上段に構えた。いつものように振り回すと、周りまで被害を出しかねない。斬るのは扉一枚でいい。キュリアスは敵と対峙するように、扉に向かった。
鋭い踏み込みと共に剣を振り下ろした。鈍い音が響きわたる。手がしびれていた。かろうじて指の力で柄をとどめているだけだった。
キュリアスは舌打ちをもらした。刀身が折れ曲がっている。扉は平然と立ち尽くしたままだった。
折れ曲がった剣を投げ捨て、手をほぐしてしびれをとった。しびれが治まると、次の剣を手に取る。
気合と共に打ち下ろした剣は、あらぬ方向に曲がっていた。鋳型で作った安物によくあることで、鉄が柔らかい。ため息交じりに投げ捨てると、キュリアスは次の剣を持った。
扉一枚。
キュリアスは意識を集中させた。呼吸を整え、踏み込んで打ち下ろした。三度激しい音が鳴り響き、床の上で刀身が転がる音も加わった。鍔元から折れている。
扉を打ち付けるたびに激しい音が発生しているのだが、誰も様子を見に来る気配はなかった。気兼ねなく、扉が斬れるまで、この作業を続けることができる。
選び出した剣はあと十本あった。どうせ他人の剣だ。どうなっても知ったことではない。四本使う間に斬れれば問題ない。キュリアスはそう気楽に考え、次の剣を握った。
気楽にやり過ぎたのがまずかったのだろうか。気付くと最後の一本になっている。扉は健在なままだった。
「ああ、ああ。分かった」
キュリアスは誰に言うともなくぼやいた。
「扉一枚斬ろうってのが間違いだってんだろう?俺にそんな器用なことができるかってか?」
キュリアスは最後の一本の鞘を投げ捨てると、肩に担ぐように構えた。首を左右に振り、身体の力を抜く。
「後先考えるなってな!」
誰に言うともなく叫ぶと、キュリアスは踏み込みで床の石を砕き、閃光のような斬撃を放った。
今までの斬撃の中で一番静かだった。金属のぶつかり合う音はない。代わりに、少し間をおいて、鉄の扉が重い音を響かせて転がった。
鉄の扉が斜めに斬り裂かれていた。その軌道の延長線上、天井側も床側も、石畳に亀裂が入っていた。
「よし!」
キュリアスは拳を作って成果を喜んだ。その拍子に、石畳の亀裂の隙間から砂埃が待ったように見えた。沈黙して見守っても、特に変化はない。
キュリアスは経験上、もっと先まで切断していることを理解していた。下手をすれば、この部屋が斜めに崩れかねない。崩れる前に出ようと、キュリアスは騒ぐと崩れるような気持ちになり、物音を立てないように部屋を出た。
部屋から持ち出したランプで照らすと、斬撃の軌道上にあった階段も、斜めに切断されていた。上ってみても崩れる様子はないので、問題はない。
俺をここに閉じ込めたのが悪い。
キュリアスは開き直り、上を目指した。自分の剣であれば、辺り一帯も斬っている可能性があったが、手に握っている剣ではそこまで斬れていないだろう。近所の家に被害がなければ、上出来だと考えていた。
階段の上に明かりがある。明かりは斜めに見えているところから見ても、仕掛け扉も斬り裂いているのだ。
キュリアスは仕掛けを作動させず、蹴飛ばした。斬り裂かれた仕掛けは上側がひっくり返って、書斎への入り口を開けた。
仕掛けが崩れた拍子に悲鳴が上がっていた。散乱する本の中に、脂ぎった顔を恐怖にひきつらせた村長がいた。キュリアスはそこにいることを先刻承知だった。だから蹴飛ばして出てきたのでもある。
手にしていたランプを放り投げた。明かり窓が割れ、炎が漏れ出ると、散乱した本に燃え移った。
村長は腰を抜かしているようだ。何もない空間を掴もうと無駄な努力をしていた。その脇に、二つに割れた机の残骸がある。
天井を見上げると、空が見えた。建物も切断していたようだ。どうか近所の家に被害が内容に。キュリアスは祈るような気持ちで、壁にできた亀裂から外を眺めた。
見た感じでは、他に被害はなさそうだ。キュリアスはホッと片を撫で下ろすと、内にこもった怒りを無遠慮に放って村長を見た。村長はまだもがいていた。歪んだ顔をキュリアスに向け、悲鳴をもらしていた。
「俺のあだ名はエッジという。御覧の通りだ」
キュリアスは壁の裂け目から剣先を這わせ、天井を示した。無造作に村長へ接近すると、逃げようとする村長の足元へ剣を突き立てた。そして、もがく村長の手から、自分の曲刀を奪い返した。
刀身をすばやく確認する。特に問題はないようだ。キュリアスは建物の内側の壁に向かって一振りした。壁が裂ける。やはり自分の剣であれば、いとも簡単にできる。こうでなくてはと、キュリアスは一安心した。
キュリアスは一瞬押し黙った後、再び奇声を発する村長を睨み付けた。見せつけるように、曲刀を背中の鞘に納めた。
これだけ脅せば十分だろうという気持ちも働く。が、崩れた仕掛けの後ろが眼に入ると、ここをこのままにしておいては、また別の被害者が出かねないと思えた。
キュリアスを促すように、炎が眼についた。本が数冊燃えている。ポケットを探り、赤い魔法石を取り出した。
炎の示すとおり、この魔法石を使えば、地下室もそこにある戦利品も破壊できるだろう。村長たちが追いはぎを続けられないよう、きれいさっぱり片付けていく方がいいように思えた。
炎はキュリアスの気持ちを煽るように、時に激しく燃え盛った。
マデリシアの悲鳴が耳の中でよみがえった。キュリアスの中で怒りの炎が激しさを増した。やはり、村長たちをそのまま見逃すわけにはいかない。この手で制裁を加えてやろう。
「冒険者を甘く見過ぎだ」
キュリアスはそう告げると、赤い魔法石を仕掛けの後ろの闇に投げ込んだ。その瞬間、マデリシアがもったいないと叫んだように感じたが、それは気のせいだ。それに、投げてしまっては、もう遅い。
石がどこかにぶつかった瞬間、赤い光がほとばしった。地面が揺れ、爆風が起こる。
キュリアスは気付くと、空を見上げていた。耳鳴りがして、何が起こったか理解が及ばない。視界には青い空が広がるのみだった。
しばらくすると、背中に痛みが伝わった。その痛みで、地面に投げ出されていると分かった。キュリアスは頭を振り、靄がかかったような意識を呼び戻そうと努力した。
勝手に咳が出た。それでやっと、自分が呼吸すらしていなかったことに気付き、むせ返りながらも空気を吸った。
耳鳴りはまだ治まっていない。耳を押さえながら、キュリアスは何とか上体を起こした。目の前に建物がある。特に変わったところは見受けられなかった。
キュリアスは壁に手をついて、何とか立ち上がった。耳鳴りは止まず、辺りの音が聞き取れない。
キュリアスは何かを感じ取ったように振り向いた。あるいはただ平衡感覚を失い、たまたま後ろに向いただけなのかもしれない。
派手な色彩の破片が散乱していた。地面に大きな穴が開いている。その穴の手前に、村長らしき男が倒れていた。
穴の向こう側に、建物の一部が残っていた。
瓦礫は辺り一帯に広がっている。ただ、ある一定方向に散っていることに気付ける。それは、穴から、キュリアスのいる方向へ広がっていた。
穴は地下室が崩落してできたものだろう。爆発の衝撃の大半が、そこに集中したと思われる。石造りの階段が爆風の通り道となり、キュリアスを押し飛ばしたのだ。なので、建物は反対側がほとんど無傷と言っていい。ただし、穴の上の部分は跡形もなく崩れ去っていた。
村長の子供たちが集まっている部屋は、どうやら倒壊を免れたようだ。倒れている村長も、もがいているところをみると、無事のようだ。
村長の家の外に集まっていた村人は多少吹き飛ばされたのだろう。見えるところにはいなかった。慌てて逃げたのかもしれない。
ケガ人はともかく、死人は出ていなさそうで、キュリアスは一安心した。
予想外の威力だった。地下室に投げ込んでいなかったらと思うと、ゾッとする。キュリアスは安堵しつつも、集まってくる人の気配を察知して、慌てて逃げだした。
騒動に、畑仕事を投げ出した村人たちが集まりつつある。見つかると言い訳が難しい。キュリアスは逃げるに越したことはないと、ひと気のない路地へ向かった。
4
キュリアスが酒蔵へ戻ると、マデリシアが待ち構えていた。戻るまでの間にキュリアスの頭の靄は晴れ、耳もまともに聞こえるようになっていた。
「いったい何事?」
先ほどの爆発のことを言っているのだと瞬時に理解できる程度には、回復をしていた。キュリアスは内心ほっとした。
キュリアスは返事の代わりに身体に結び付けていたマントを外し、マデリシアの革ベルトと仕事道具を投げて渡した。残りのマントとショートソードは所在なさげにしているラルフに渡した。
「あ、あたしの!取り返してくれたんだ!あんがと!」
満面の笑顔で言った後、それでと、先ほどの質問の答えを促した。
「魔法石があったから、村長の追いはぎの成果をすべて破壊してやったのさ」
「ああそう、魔法石で。それであの爆発なのね。いい気味だわ。ひとさまの物を盗むからよ。そう、魔法石…」
マデリシアの表情が瞬く間に変化した。
「魔法石ですって?」
叫び声を放っていた。周りの物がガタガタと震えた。声による振動だ。ガラスなどの割れやすいものがあれば、割れていたかもしれない。
「叫ぶなよ…」
キュリアスは咄嗟に耳を押さえていたものの、ラルフや酒蔵のドグやその妻のサラは眼を丸くして、マデリシアを見つめていた。耳の調子がおかしくなった様子で、しきりに耳を触っている。
「これが叫ばずにいられますかっての!魔法石を使ったの?」
「ああ」
「ああ。じゃないわよ!一体いくらすると思ってるの!十万、いえ、あの爆音と振動だと、二十万はするわよ!」
「俺もあの威力には驚いた」
キュリアスは笑っていた。
「笑いごとかっ!それさえ持って帰れば、一年は遊んで暮らせたのに!」
「一年しか遊べないのかよ…」
二十万だとすれば、家持の家族が、質素な生活で二十年、多少優雅に暮らしたとしても、五年から十年は十分暮らせる額である。
「どういう使い方をするつもりだか…」
キュリアスは呆れて頭を抱えていた。
「こんなちまちました仕事やんなくて済むし、実入りはいいけど危険な仕事もやんなくていいのよ」
「この仕事、やるつもりあったのか」
「ないわよ!」
「え、ゴブリン退治しないんですか?」
二人のやりとりを唖然と見守っていたラルフが、責めるような眼でキュリアスたちを見た。
「こいつがやらないってだけだ」
キュリアスはそう弁明した。
「そう言えば、ゴブリン退治は別の方がいらしてますよ」
ドグが思い出したように言った。
「え?じゃあ、あたしたちは用済み?」
マデリシアは嬉しそうに言った。
「私や数軒の農家で出し合って、二人組の冒険者を雇ったんです。伝手を頼って雇ったので、冒険者の店には依頼書を出してません」
「じゃあ別件だな」
キュリアスは即座に断定した。
「でもあたしたちがやらなくてもいいってことじゃない」
「そもそもマディはやる気ないだろ」
「ないわね」
マデリシアは悪びれずに答えた。
ラルフは不安そうな表情を浮かべていた。自分の責任を果たせないと不安がっているのかもしれない。
「しかし、ゴブリンは数が多くなっているようですので、人出が多いに越したことはありません」
ドグの言葉に、ラルフの表情が明るくなった。
「雇った二人組はどんな奴らだ?」
キュリアスはゴブリン退治に向かった先で争いになっては困るため、同業者をあらかじめ把握しておくことにした。ラルフに向かって頷いて見せると、少年は剣の柄に手を当て、勇ましく身構えていた。
「ゴブリンハンターと名乗っておられました」
サラはそう答えて二人の容姿を説明した。
「記憶にないな」
キュリアスの知らない冒険者のようだ。そもそもキュリアスの冒険者歴もそれほど長くない。知らない同業者の方が多かった。
「うちも酒樽を盗まれたので、被害に遭った農家と一緒に雇ったんです」
ドグの言葉に、キュリアスは違和感を覚えた。が、深く考える前にラルフと眼が合い、違和感がどこかへ消えていた。
ラルフは心配そうにキュリアスを見ていた。
「ま、俺たちもやるだけやってみるさ」
キュリアスはラルフのやる気を汲んで、ゴブリン退治を続ける発言をした。ラルフの眼が嬉しそうに輝いた。そして、一度は逃げ出す羽目になった相手を思い出したのだろう。身震いをして、身体をこわばらせていた。
「あたしはいかないわよ」
マデリシアは先手を打っていた。
「村長に仕返しするの。ここの二階に部屋も借りたわ」
「借りた?金はないぞ?」
キュリアスが取り戻してきた財布は、中身がない。
「女には隠し場所があるのよ」
マデリシアは意味深に答えた。
ラルフは不思議そうにマデリシアの身体を上から下へと見つめていた。が、途中で顔を赤らめ、視線をそらした。女性の身体を値踏みして失礼だと思い、自分の行動を恥じたのか、それとも隠し場所の見当がついて恥ずかしくなったのだろう。
キュリアスはラルフの様子に、恥ずかしくなったんだろうなと見当をつけた。
「まあいい。元々マディは当てにしてない」
キュリアスは軽く言い放つと、ラルフに早速行くかと促した。
「はい!」
ラルフは勢いよく立ち上がった。
外は日の光をたくさん浴びて、生き生きと輝いていた。風の冷たさを除けば、心地いい天気だ。きっと農作業にはもってこいの天気なのだろう。キュリアスはそう思って畑の方を見たが、今は誰もいない。
村人は総出で村長の家の周りに集まっているらしい。
キュリアスは気を取り直すと、村と森との境に向かった。柵が境を示して続いているが、所々壊れている。その壊れている部分から森へ入った。
ラルフは緊張から身体をこわばらせて、辺りをきょろきょろと警戒しながらついてきていた。
森に入った途端に、ひんやりした空気に包まれた。昼に差し掛かっても、森の中は日の熱が届ききってはいなかった。
薄い膜がかかったように暗い。
落ち葉や枯れ枝が散乱し、倒れて腐った木もあった。立木も葉の無いものが多い。
物悲しい雰囲気が漂っている。
森の中では空気が澄んでいた。呼吸をするたびに、身体の中が浄化されるかのように、心地よかった。
足元に緑色の葉を伸ばした雑草があった。冬枯れの中にいっそう目立つ。そう思って見渡すと、辺りに所々、雑草が生えていた。立木の中にも葉を落としていないものもあり、意外と緑が点在していた。
常緑樹には雪の傘までできている。その下は一層冷えた空気が漂っていた。
シダ植物が群生している場所に行き当たり、キュリアスは回り込むように進んだ。後ろは見なくても、音でラルフが必至についてきていることが分かる。
森の中は堆積物が多く、足元が柔らかい。枯れ枝も多く、後ろでパキパキと音が鳴っていた。一方で、キュリアスの足元は音がない。
「どうやって歩いてるんですか?」
キュリアスが立ち止まって辺りを確認していると、追いついてきたラルフは不思議そうに言った。
「足音が聞こえないんですけど」
「ちょっとしたコツがあるのさ」
キュリアスは片目をつむってみせた。おどけて答えてみせたが、純粋なラルフの視線を受けて、引け目を感じた。日陰者の技術に羨望の眼差しは眩しすぎた。
キュリアスのそれは、暗殺のために身につけたものだ。人知れず獲物に迫るためには必須だった。優秀な狩人も似たような術を身につけているが、意味合いがまるで違うように思えた。
キュリアスの技術はどうしても暗殺のためのものという意識が付きまとう。無意識に使ってしまうほど身についているのだが、それを羨望の眼差しで見つめられたからといって、前途ある若者に教えることなどできなかった。
それに、ラルフには特に必要のない技術だ。キュリアスは言い訳するように、頭の中で思い浮かべた。
ラルフはマデリシアのように追手の眼や耳から逃げる必要はない。狩人ではないので、気付かれないように獲物に迫る必要もない。
ラルフの持って生まれた能力から考えても、正々堂々と戦う方が向いている。キュリアスはそう考えていた。ラルフなら、立派な剣士になれるはずだ。
キュリアスが口を開かないので、ラルフはそれ以上何も言わなかった。傾斜がきつくなり、呼吸が荒く、喋っていられなかったことも幸いしたのかもしれない。
しばらく傾斜を登り続けた後で、キュリアスは不意に足を止めた。少し前から、行く手に人の気配を感じ取っていた。その気配の傍に、ゴブリンらしき気配も存在する。
ただ、ロッツ村で聞いたゴブリンハンターは二人組だ。周りに他に気配がないので、どうもおかしいと、キュリアスは警戒していた。
ゴブリンは倒れて動かなくなったようだ。戦ったような気配がないことも、警戒を誘う要素だった。
前方の人は、小川の傍にいるようだ。水の流れる気配を感じ取った。裏付けるように、微かな水の音も聞こえていた。
キュリアスは武器を振るわずに相手を倒す存在を思い出した。前方の人物もその類だと予測を付け、歩みを再開した。荒い呼吸を落ち着かせていたラルフも後に続く。
木立が途切れ、小さな川の流れが姿を現した。枝が覆いかぶさるその下に、トンネルのように流れている。
小川の流れを、一人の青年が見つめていた。厚手のローブを着ているので体格ははっきりしない。フードはかぶっていないので、見えている横顔から、二十代前半に見えた。
動かなくなったゴブリンは小川の流れの中にいるはずだ。キュリアスの予想が当たっているのならば、青年が魔法を使って倒したことになる。
魔法使いは何もない所に炎や氷を発生させて攻撃の手段とする。村長の家で使った魔法石ほどの威力はないが、ゴブリンを退治するくらいの火力は出せるだろう。
ドグとサラから聞いたゴブリンハンターは、斧や鈍器を使う二人組で、魔法とは縁がない。まったく関係のない青年が、たまたまそこに居合わせたようだ。
小川の中に横たわるゴブリンは、子供のような背丈だ。しわのある顔や肌をしていることが大きな違いだ。肌の色も緑がかっている。汚れてにおう布を身体に巻き付けている。ゴブリンは布や武器を使う程度に知能があった。
横たわるゴブリンの身体から、水の中へ血が流れ出していた。
よく見ると、青年の顔の付近に紙の束が浮かんでいた。ペンも浮かんでおり、そのペンが勝手に紙に向かって動き、何か書きこんでいた。このような不可思議な現象を起こすのは、やはり魔法使いしかいない。
体内に流れるマナを利用するらしいが、キュリアスにはよく分からないものだった。使えたら便利だろうなとは思うものの、才能はなかった。
青年は小川に流れ出るゴブリンの血を観察しているようだ。あるいはゴブリン全体の様子を観察しているのかもしれない。魔法使いはよく分からないことを研究したがる。この青年も、キュリアスには理解できない研究をしている最中なのだろう。
ゴブリンの血は勢いよく出ている。動脈を切断し、傷口を水の流れにつけている。まるで血抜き作業のようでもあった。
時折、血の中に白い細長いものが見えた。川下に流れていくと、魚がその白いものに群がっている。
キュリアスとラルフが小川の傍に立って様子を眺めていても、青年はまるで気付かなかった。ゴブリンしか眼に入っていないらしい。
「ゴブリンを出血死か。ずいぶん悪趣味な倒し方だな」
キュリアスが声をかけると、青年は飛び跳ねた。その拍子に足を滑らせ、尻餅をつく。滑った足は水の中だ。
青年は眼を丸くしてキュリアスとラルフを交互に見た。
「びっくりしたぁ…」
間の抜けた声をはしたが、途中で足が水の中にあることに気付き、慌てて後ろに下がった。
青年はお尻に付いた土を払いながら立ち上がり、こんにちはと陽気に言った。
「あなたたち、冒険者ですか?」
キュリアスが頷くと、青年はニタリと笑った。
「僕はエリック・パシュート。ゴブリンがおいしく食べられるって聞いたら、どうします?」
エリックと名乗った青年は、名乗りとは何の脈絡もないことを、さらりと言ってのけた。
「はい?」
キュリアスは思わず変な声を発していた。ラルフの表情が嫌そうに歪んでいる。それもそのはずだ。ゴブリンの肉は非常に臭く、食べられないと誰でも知っているからだ。
「それが、食べられるんですよ」
「いや、食えんだろ」
「そう思いますよね」
エリックはニタリ顔のまま、解説した。
「臭いからですよね。その原因が、あの白い虫だったんです。ゴブリンの血の中に寄生している虫です。ほら、あれ」
規制する虫だと聞いて、ラルフはあからさまに気持ち悪そうな顔になった。その虫に群がる魚にも、その表情を向けている。
キュリアスは小川に近づいて観察してみた。言われてみると、糸のように見える白いものが、虫に見えなくもない。その虫に魚が食らいついていた。
「あの虫を食べた魚も臭くなるのか?」
キュリアスの問いに、エリックは感慨深げに首をかしげた。
「そういう疑問は思いつきませんでした。なるほど」
エリックの傍に浮いている紙に、ペンが何かを書き込んでいた。
「おそらくは臭わないと思います。あの虫はゴブリンの血の中にある成分を食べて、臭いの元を発生させていたと思われるので。でも、魚も捕らえて確認しておきましょう」
エリックはゴブリンの身体について語った。語りながらも、魔法を使ったのだろう。落ちていた枝が舞い上がり、魚の一匹に突き刺さった。そして水の中から飛び出して、エリックの後方へ飛んでいった。そこには枝が集められ、焚火の準備がされていた。
エリックの語るところによると、寄生虫はゴブリンの血から栄養を得る。栄養を取った無視は臭いの元となる分泌物を排出する。人の体内でそれを行えば、血が腐って生きることはできないが、ゴブリンの血液のろ過能力は人の数倍にあたり、血の巡りも早いので、生命活動に何の問題もない。
死んだゴブリンはそのろ過能力を失うため、体内の血が腐り、その臭いが肉体全てに染み込んでしまう。
では血が腐る前に抜いてしまえばいいと考え、今現在実験しているのだと言った。
「実は僕が思いついたのではなくて、コリンズさんに教えてもらったんですけど。あ、コリンズさんというのは、魔術師ギルドの顧問をされてる方なんですけどね」
エリックはそう言いながら、魔法で枝に火をつけた。焚火を始め、その火の傍に、先ほどの魚を置いた。
魚の内臓を抜かなくていいのかと、キュリアスは訝しんだものの、何も言わなかった。
小川の方は血の流出が止まったようで、下流でバシャバシャと跳ねていた魚もいつの間にかいなくなっていた。
「あの、手伝ってもらえません?さすがにゴブリンの身体は重くて、魔法で運ぶのは大変なんですよ。そりゃ、そういう魔法に長けた人なら簡単なんでしょうけどね。僕はそんなにうまくなくて。あ、手伝っていただけたら、焼き立てのゴブリンの肉を提供しますよ」
エリックはそう言った後、付け加えるように言った。
「びっくりするぐらい美味しいですよ。冒険者でしたら、未知の味も興味がおありでしょう?」
挑発めいた言葉に、キュリアスは反発を覚えた。ゴブリンの臭さでそんなもの食べられるはずもない。ないが、挑発されたまま逃げだすのも癪だった。
一口かじって、だめなら吐き出せばいい。幸い小川が傍にある。すぐに口をゆすぐことができるのだ。キュリアスはそう考えると、ゴブリンの身体を引き上げた。
「俺はキュリアス・エイクード。こっちはラルフ・フォーティスだ。それで、これからどうすればいい?」
ラルフは嫌そうな顔をしているものの、不満は漏らさなかった。
「後は僕がやります」
エリックは言うが早いか、魔法でナイフを操り、ゴブリンを解体した。
キュリアスは使えそうな枝を見つけ、ナイフで削って串を作った。
「お、いいですね」
エリックはその櫛を受け取ると、切り出したゴブリンの肉に突き刺し、火の横に突き立てた。瞬く間に肉から汁が溢れ出した。
「ゴブリンの内臓は食べない方がいいですよ。別の虫がついていたり、雑食なので、とんでもないものが入っていたりしますので」
エリックがさもおかしなことを言った風に、笑い声をあげた。キュリアスやラルフには笑えない内容だ。
肉汁が火に飛び込むと、よだれを誘ういい匂いが漂った。焼いている肉の正体を知らなければ、うまそうだと感じたに違いない。不思議なことに、ゴブリン特有の臭いは感じなかった。
肉汁が鼻腔をくすぐるにおいを発している。口の中によだれがあふれた。が、横を見ると、ゴブリンの残骸がある。キュリアスは複雑な思いで、うまそうに見える肉と死体とを見比べた。
こりゃよほどの胆力が無きゃ、この場で食えんだろ。キュリアスは苦笑した。おそらくラルフには口にもできないだろう。キュリアスでもよほどの覚悟が必要そうだった。
「焼けたみたいですね。食べてみましょう」
エリックは嬉しそうに串の一本を引き抜き、じっくりと観察した後、おもむろに咬みついた。唸るような声を発し、もう一口かじる。
エリックはなかなか神経の太い人物のようだ。あるいはただの変人なのかもしれない。
エリックの食べっぷりを見ていると、キュリアスも興味をそそられた。ゴブリンの肉だと思うとどうしても躊躇してしまう。
キュリアスはなるようになれと、半分投げやりに串を取り、肉に噛み付いた。歯が吸い込まれるように食い込んで、ほとんど抵抗なくかみ切れた。肉汁が口の中に広がる。
予想した臭みは一切なく、代わりにとろけるような肉の食感と芳醇な味わいが広がった。
キュリアスは食べかけの肉をまじまじと眺めると、腰の荷物から塩を取り出して肉にまぶした。
塩のアクセントが効いて、肉のうまみが増した。
「何だこりゃ…」
キュリアスは表現すべき語彙が浮かんでこなかった。
「新食感でしょ」
エリックが嬉しそうに言った。
「ゴブリンの肉は硬くて臭いってのが定番だろ」
「血抜きと、部位によるんですよ。腕や足の肉も食べられますが、ここが一番です」
「どこだ?」
「お腹です」
ゴブリンの腹は大抵、やや膨らんでいる。その部分の肉を、今食べていると思うと、複雑な気持ちになるキュリアスだった。だが、味わってしまえば、残りを捨ててしまおうとは思えなかった。
「なので、お腹を傷つけず、生きたまま捕らえて、血抜きをする必要があるのですよ」
エリックはそう言って今回の方法を説明し始めた。殺してしまうと瞬く間に血が変質するだとか、血抜きに失敗すると臭いだすとか、今まで何度も試行錯誤してきたことを語っているようだった。
ラルフは肉を前に顔をしかめ、口をつけていなかったが、エリックの話を聞いて、余計に食べられなくなっていた。
「動物の処理も血抜きは大事ですね」
ラルフは分かったように言うものの、やはり口はつけない。
「しかし、こいつを食べちまうと、高級肉も太刀打ちできないな」
「ゴールドバードですか?あれもジューシーでそれでいてヘルシーで。いいですよね」
エリックも同意した。そして知識を添える。
「ゴールドバードの好物がゴブリンだったって、知ってました?しかも、あの臭いにおいが好みらしいです」
キュリアスもラルフも絶句した。
「マジかよ」
「ええ。もちろん、この後、その調査にも向かいますよ」
「もう、ゴールドバードの肉、食えないかもしれないな…」
キュリアスはゴブリンの死臭を思い出し、顔をしかめていた。手の串の肉は胃の中に消え去っていた。
「でも、ちゃんとこの魚の臭くないですよ」
エリックはゴールドバードも同じだと言いたげだった。自身の研究の成果に満足しているのだろう。満面の笑みをたたえていた。
5
キュリアスたちはエリックと別れた後、森をさまよったが、ゴブリンの巣どころか、徘徊するゴブリンにも出会わなかった。キュリアスの気配探知にもかからなかった。山に棲む獣の気配を何度か察知した程度だった。
日が暮れ始めると、森の中は一気に冷え込んだ。汗が冷たくなり、寒気を伴うようになる。ラルフはマントを身体に巻き付けて震えていた。足取りも重くなり、度々、キュリアスが立ち止まって待たなければならなかった。
ゴブリンは夜の方が活発に動く。本来ならばこのまま探索を続ける方が発見しやすいところだが、ラルフの体力も心配だった。キュリアスはどこかで火を起こし、休憩する必要があると思案していた。
その矢先に、森の奥に煙が立ち昇るのが見えた。誰かが焚火をしているのだ。やや離れてはいるが、意識を集中すれば、気配を察知できる。
どうやら二人連れのようだ。酒蔵のドグやサラから聞いた、ゴブリンハンターの二人ではないかと思われた。
すでに火が起こっているのなら、そこに便乗させてもらう方が楽だ。夜陰に紛れて獣やモンスターに襲われた時も、対処できる人数が多いに越したことはない。それに、ゴブリンの巣の所在など、有益な情報が得られるかもしれない。
「あそこまで行くぞ。もう少しの辛抱だ」
キュリアスは遅れ気味になっているラルフに声をかけた。
暗くなるにつれ、ラルフの表情に、疲労以外の感情が刻まれて行った。以前、暗がりでゴブリンに襲撃されたのだろう。辺りの物音に、敏感に反応して、不安そうに様子を窺っていた。
「心配するな。近くにゴブリンはいない」
「は、はい」
キュリアスの言葉に、ラルフは短く答えるのがやっとだった。
しばらく歩くと林が途切れ、広場が姿を現した。その中ほどで炎が揺らめいている。炎の脇に、口髭の濃い男が二人座っていた。
二人とも、肩幅が異常に広い。重い武器を愛用していることを、その体格が示していた。近づいていくと、裏付けるように、戦斧があった。
二人の容姿は、ドグやサラから聞いていたゴブリンハンターと一致した。
二人の男はキュリアスたちの接近に気付くと、眼を向けた。無造作に窺っているように見えて、片手はいつでも武器を拾えるように遊ばせていた。
「火にあたらせてくれないか」
キュリアスは少し遠めから声をかけた。夜盗と勘違いされ、迎え撃たれても面倒だからだ。
「俺はキュリアス・エイクード。冒険者だ」
二人は返事をしなかった。じっとキュリアスを凝視している。
「こっちはラルフ・フォーティス。ゴブリン退治の依頼でね」
キュリアスが目的まで口にすると、二人はやっと警戒を解いたらしく、なんだ、同業か、などと言って立ち上がり、手招きした。
「ゴブリンハンターのガイツ・ユードだ」
「ランツ・ユード」
二人はそれぞれ名乗ったものの、濃い口髭に隠れた顔は似たり寄ったりで、見分けがつかない。一回り体格のいい方がガイツのようだ。
「何だ。俺たち兄弟のことを知らないとみえる」
キュリアスとラルフが二人を見比べていると、ランツが見下すように言った。
「お前ら新人か」
「さっき村で聞くには聞いたな」
キュリアスは知らないことを認めた。ラルフを火の傍に誘い、ランツを見返した。
キュリアスの態度が気に入らないらしく、ランツはキュリアスを値踏みするように眺めまわした。
「あんた、冒険者になって何年だ?」
ガイツは元の場所に腰を下ろしながら、やんわりと聞いた。ガイツは何気ない話題のつもりのようだ。
「一年ほど」
「何だ。まだまだルーキーじゃねぇか」
ランツはすぐに、皮肉っぽく言った。
「腕試しにゴブリン退治か」
ガイツはランツとは対照的に、物静かに話した。
キュリアスが火の傍に腰を下ろしても、ランツは立ったまま、見下ろしていた。
「まあそんなところだな」
キュリアスはガイツに向かって答えた。
ラルフがマントを広げ、両手を火にあてた。夜になって冷え込んできている。動いて身体が温まっているとはいえ、手足は冷えていた。
空は急激に暗くなっている。冷気が押し寄せ、火にあたっていない部分が冷える。ラルフは身体の前側が温まると、背中を火に向けた。
キュリアスはラルフの様子に、ささくれ立ち始めていた気持ちが幾分和らいだ。ランツの物言いは気に入らないが、放っておくに限る。
「おうおう。自信ありげだな。ゴブリンと言え、侮ると命落とすぜ」
「ご忠告どうも」
キュリアスはランツの嫌味を受け流すと、ゴブリンの巣は見つかったのかと尋ねた。
「まだだ。おおよその見当はついた」
ガイツが答えた。
「腹ごしらえを済ませたら向かってみるつもりだ」
よく見ると、ガイツとランツの横に、スープの入った器があった。
「スープいるか?」
「もらえるなら助かる」
「どこから来た?」
ガイツは脇に置いていた鍋を取り上げ、火にくべた。キュリアスたちのために温めなおしながら、話題を求めるように尋ねた。
「セインプレイスだ」
「王都からか」
「王都のボンボンか」
ランツが会話に口をはさんだ。やっと腰を落ち着ける気になったらしく、座り込んだ。
「どこで冒険者になれば手練れってわけでもあるまい」
キュリアスが返すと、ガイツはそりゃそうだと豪快に笑った。
器を取り出し、温まったスープを注いだ。ガイツはその器をキュリアスに渡すと、もう一つ器をとってスープを注いだ。その間にキュリアスはラルフに回し、次のスープを自分が受け取った。
「ありがとうございます」
ラルフは礼を述べると、スープをすすった。
「なかなかいい味だ。おたくの秘伝かい?」
キュリアスも一口すすった。身体の底から温まる。冒険者の作る料理で、どうしても味は濃いが、その濃さが癖になる。
「秘伝というほどでもない」
ガイツはそう答えて照れた笑いを浮かべた。
「あんた、それなりに使えるだろ」
ガイツはキュリアスの背にある武器を眼で示した。
「できるやつなら噂が広まるだろ。こいつの名前は聞いたことがねぇぜ」
ランツが言った。
「名前は有名ではないな」
キュリアスはそう答えてスープを飲んだ。
「名前は、か」
ガイツが意味ありげに言った。
「エッジと呼ばれている」
「エッジだと?」
ランツは驚きの声を上げ、立ち上がった。
「暗殺者のエッジとは別だ」
キュリアスは念を押して言った。自分のあだ名と同名の暗殺者を思い出したからだ。とはいえ、どちらも中身は同じなのだがと、内心思っていた。
「バンシーと組んでる破壊魔か!」
「あー、まあ、町は一度破壊したことがあるな」
「うそだろ!エッジって雲をつくような巨漢じゃなかったのか!山を消し飛ばしたとか…」
ランツは納得がいかないらしい。ガイツはあだ名を聞いて、予想通り腕の立つ相手と見て、眼を光らせていた。腕に覚えがある人物たちに特有の、どちらが上か試してみたいというギラギラした視線だ。
ランツは先ほどまで見下した態度が消え、物珍しそうにキュリアスを見ていた。
「そっちも有名人なのか?」
ランツがラルフを見つめた。
「僕?僕は本当に新人ですよ」
スープを飲み干し、再び身体の前側を温めていたラルフが答えた。
「僕の修行の一環で、ゴブリン退治に来たんです。師匠は付き添いです」
「師匠?」
奇声を発するランツに、ラルフがキュリアスを手で示した。
「たいしたことは教えてない」
「実戦慣れさせるために、か」
ガイツが微笑んでラルフを見ていた。
「そんなところだ」
キュリアスも答えてスープを飲み干した。
しばらく、互いの功績を披露し合った後、キュリアスはラルフの様子を見て、切り出した。ラルフもそろそろ動けるだろう。
「さて、行くんだろ?」
「ああ」
ガイツは短く答えた。
「狙いは一緒だ。同行してもいいか?」
「歓迎しよう」
ガイツとキュリアスで話がまとまった。ランツは文句を言わなかった。
火の後始末をつけ、たいまつを片手に、闇に沈む森へ分け入った。
ランツ、ガイツは手慣れた様子で左右に分かれ、たいまつの光で前方を確認しながら進んだ。
夜の森は警戒して歩いているつもりでも、急に木が湧き出ていく手を阻まれたり、気付いていなかった枝で腕や顔をケガしたりすることがよくある。
ゴブリンハンターの二人はそのことも承知のようで、たいまつを左右に振り、足元を確かめるように進んでいた。
ラルフはそのユード兄弟の間で守られ、難なく進めるのだが、それでも時折木の幹に抱きついたり、根っこに引っかかって転びそうになったりしていた。
「足元を見て歩け。周りは俺たちに任せな」
ランツが優しい言葉をかけていた。新人の面倒を見る先輩の気持ちが働いているのかもしれない。
ラルフは返事の代わりに荒い呼吸を使っていた。僅かな休息では疲労がとりきれず、足元がおぼつかなくなっているのだ。
慣れない暗闇の、しかも森ともなれば、神経をすり減らす。ラルフの肉体も精神も、限界なのだろう。
今のままでは、ゴブリンが現れた時、ラルフは疲労困憊で動けない危険性があった。修行の成果を見るどころか、命を落とすことになっては元も子もない。
キュリアスはラルフのためにも、早めにゴブリンを見つけて休息をとる必要があると考えていた。ゴブリンの巣を見つけてしまえば、入り口を必要最低限の人数で見張って休息をとることができる。
その気持ちが、キュリアスを先行させた。ランツが再三やめろと声をかけても、それを無視して闇の中へ分け入った。
「頭がおかしいんじゃねぇか」
ランツは忠告を聞かず、闇に突き進むキュリアスを訝しんだ。闇は獣の領分だ。明かりを持たずに踏み込めば、命などいくつあっても足りない。ランツには、キュリアスが自分の命を粗末に扱っているように見えたのだ。そしてそういう自分勝手な行動が、引いては仲間の命も危険にさらしかねないと知っているからこそ、止めようとしていた。
「おい!だから先行し過ぎだ!戻れ!」
ガイツはランツの対照的に、静かな視線を闇に消えたキュリアスの方向へ送っていた。ただ、その視線に不穏な気配も交じっている。
ガイツが今にも背中の戦斧を手に取り、キュリアスに向かって突進しそうなほどの入れ込みようだ。
あれはわざと殺気を放って試してやがるな。
キュリアスはそう感じて苦笑していた。が、反応すれば相手の思うつぼだ。気付かぬふりに徹する方がいい。
「一人で先走るな!」
ランツの何度目かの抗議が上がった。
キュリアスは足を止めた。ランツの言葉に反応したわけではない。迫り来る気配を感じ取っていたからだ。迫り来る相手には油断しているように見せかけようと、無造作に立っているが、キュリアスはその体制から、瞬時に相手を斬り倒す自信があった。
立ち止まった場所にも配慮している。武器を振り回せる程度に、木々の間隔が離れた場所だ。
キュリアスの足元に、たいまつの明かりが届いた。
迫り来る相手との距離はもう少しある。
ガイツは無造作に立つキュリアスから異変を察知した様子で、ランツに手で合図を送ると、戦斧を構えた。ランツはフレイルを手にした。
ガイツ、ランツはゆっくりとラルフに接近し、守る体制をとった。
ラルフはようやく異常に気付き、震える手でショートソードを抜き放った。ただ、呼吸が荒いので、剣も上下して定まらない。
「団体客のお出ましだ」
キュリアスは明るく言った。が、現状、ラルフは戦力にならない。ユード兄弟がここにいてくれて助かったと、安堵する思いだった。
ランツの握る棒の先で、鎖につながった重しが小さく揺れている。この重しで相手を殴り倒す武器だ。取り回しには多少の熟練が必要だが、ランツはその武器を使いこなしているのだろう。自信に満ちた表情を浮かべていた。
ガイツの戦斧は、外見からして威圧感たっぷりだ。重量感たっぷりな斧を、ガイツは軽々と片手で構えていた。
この二人なら、少々の敵は問題ないだろうと、キュリアスは安心できた。
闇から生まれ出てくるかのように、子供ほどの背丈の生き物が、次々と現れた。ボロ布をまとい、手には棍棒や剣の類まで持っている。冒険者から奪い取ったものだろう。
闇から湧きだした生き物に、ラルフが逃げ腰になる。その背をランツが押さえてとどめた。離れた者から襲われると分かっているからだ。
闇から湧きだしたゴブリンたちが周りを囲んだ。ただ、警戒しているのか、すぐには襲ってこなかった。仲間が集まるのを待っているのだ。
その数が二十を超えると、ゴブリンたちは相手の人数から取るに足りないと判断し、耳障りな声を発して威嚇し、中には笑いらしい声をもらす個体もいた。
「二十三だ」
キュリアスは闇に潜んだままの数匹も、しっかりと把握していた。
「ラルフ。お前は周りを気にせず、一対一で戦え。心配はいらない。露払いはしてやる」
キュリアスの言葉に、ラルフは青い顔をしながらも、震える声ではいと返事した。
「ランツ!お前は坊主を守れ!」
ガイツは低く鋭い声で言うと、前へ踏み出し、軽々と戦斧を振った。武器の重みも加わり、周りの木ごと薙ぎ払う。数体のゴブリンが叩き潰され、さらに数体が、倒れかかった木の下敷きになった。
片手でそれをやるか。
キュリアスはガイツの腕力に舌を巻いた。ただ、感心しているばかりではない。武器を振り回して群がってくるゴブリンの中へ自分から飛び込んだ。
ゴブリンが一斉にキュリアスへ飛び掛かったように見えたが、次の瞬間にはそのすべてが倒れた。
キュリアスは一陣の風のように駆け抜け、ゴブリンを斬り倒していった。いつの間にか抜き放った剣を持っている。
「やるな」
ガイツが口笛を吹いていた。ランツも周りのゴブリンを殴り倒しながら、驚きの声を上げていた。
ラルフは緊張のためか、身体をこわばらせているが、荒かった呼吸は落ち着いていた。
そろそろ一体くらい大丈夫か。
キュリアスはそう判断すると、わざと一体残して戦場を駆け抜けた。その一体はキュリアスに恐れをなして逃げた。逃げた先にガイツがいて、慌てて方向を変えた。その先にランツが立ち塞がると、逃げ場を失い、右往左往した。一番弱そうと見たのか、ラルフに狙いを定めた。
圧倒的多数だったゴブリンは瞬く間に数を減らした。残ったゴブリンたちが奇声を発している。その中の一隊が逃げ出すと、つられるように残りも闇の中へ逃げ込んだ。
キュリアス、ガイツ、ランツ、ラルフに囲まれた一体のみ、その場に残った形だ。
「おあつらえ向きになった」
ガイツは戦斧を肩に担ぎ、空いた手でたいまつを掲げた。反対側からランツもたいまつを掲げたので、ラルフとゴブリンが照らし出される格好になった。
「さあ、やってみろ」
キュリアスはラルフに促しながら、ゴブリンの死体の布を使って刀身についた血と脂をふき取った。
ゴブリンは左右と後ろを警戒していたが、近づいてこないと悟ったのか、腰の引けているラルフに向かって棍棒を振り上げた。
「恐れるな!意識を集中しろ!お前なら避けられる!」
キュリアスは弟子を指導しながらも、逃げていくゴブリンの気配を追っていた。
青ざめ、腰の引けたラルフは、それでも最初の一撃を避けてみせた。不格好に尻餅をつきかけているが、避けたことには変わりない。
「よし!その調子だ!」
キュリアスの言葉に励まされたのか、ラルフは次の攻撃を、躓くことなく避けた。次第に腰の位置が定まり、無難に避けるようになっていった。
「そうだ。自分から攻めるな。隙を待て」
ラルフはキュリアスの言葉に従い、ゴブリンが無茶苦茶に振り回し始めた棍棒をかわし続けた。ラルフの顔に赤みが戻った。緊張した表情ではあるが、その眼から恐怖の色は消えていた。
「いいぞ。その調子だ」
キュリアスの言葉に答えるかのように、ラルフの口角が上がった。次第に自信をつけているのだ。戦えると実感し始めている。ただ、ラルフに攻め手は教えていない。下手に攻撃させると、その自信も露と消えることになる。
キュリアスはゴブリンが大きな隙を見せるまで、反撃を待たせようと考えていた。それほど待つ必要もなく、ゴブリンは自滅した。
メチャクチャに振り回す棍棒に身体も振り回されたのか、木の根に躓いて前へ倒れかかった。
「今だ!」
キュリアスの短い言葉に、ラルフは一瞬遅れて反応した。ショートソードを振り上げ、ゴブリンの背中に打ち込む。鈍い音が響き、ゴブリンが悲鳴を上げた。
「浅い!反撃が来るぞ!」
手がしびれているのだろう。ラルフは自分の手と剣の柄を見つめていたが、キュリアスの言葉に慌てて飛び退いた。ラルフの鼻先を棍棒の先端がかすめていった。
ゴブリンがうめきながら、ラルフに突進した。ラルフは気圧され、後ろに下がる。
「前へ出ろ!」
キュリアスの言葉に、ラルフの足が止まった。言葉通りに前へ踏み出すことは叶わなかったようだ。
ゴブリンが棍棒を振り下ろした。ラルフはそれをかわすと、その目の前にゴブリンの無防備な側頭部が目に飛び込んだはずだ。
「そこだ!」
キュリアスの言葉に反応したのか、それともラルフの自発的行動だったのかは分からない。ラルフは剣を振り上げ、ゴブリンの側面めがけて振り下ろした。
ゴブリンは崩れた体制ながらもその攻撃を避けようとした。結果、頭部への直撃は避けたものの、肩に食い込んだ。だが、それで十分だった。食い込んだ刃は人の身体で言えば肺の位置まで達していた。
ゴブリンはラルフの手から剣を奪い取って地面に倒れた。そのままピクリとも動かない。
ラルフは荒い呼吸をしながら尻餅をついた。慌てて立ち上がろうとするものの、身体が思うように動かない様子だ。まだ戦わなければともがいているのだろう。
「終わった。よくやった」
キュリアスはそっと告げると、ラルフの肩を叩いた。
「おめでとう」
ガイツはそう言って笑顔をラルフに投げかけた。口髭が邪魔で、口元は笑っているのかどうかはっきりしない。細めた眼が笑っているように見えただけなのかもしれなかった。
「どうだ?初めて倒した感想は?」
ランツはラルフの傍に座り込んで声をかけた。ラルフの顔を覗き込みながら、ゴブリンに突き立ったままのショートソードを抜き取り、血のりをふき取ってラルフに差し出した。
「手に柔らかい感触が…それに硬い物が…」
ラルフは戸惑っているようで、自分の震える手を見つめていた。目の前に差し出された剣の柄にも気付いていない。
喜び勇むのではなく、命の重みを感じたか。
キュリアスはラルフの様子にそう判断した。ラルフは自分の手で命を奪ったことに戸惑い、初めての感触を恐れているのだ。それは戦いに勝ったことを喜び勇むより、よほど好ましいと思えた。
初戦の勝利だけを喜ぶ場合、勝ち続けると次第に無謀な戦いに身を投じるようになり、身を亡ぼすことにつながることが多い。無謀な戦いまで行かなくとも、無益な殺生を行うことはままある話だった。
初めての感触に恐れても、次第に慣れ、逆にその感触を楽しむようになると、残虐な嗜好の人間の出来上がりである。
ラルフに前者の懸念がないことは、師匠として、喜ばしいことだった。後はラルフの手に残る感触を、嗜好に向かわせてはならない。
キュリアスはもう一つ懸念することがあったが、それはラルフの気持ちに整理がつかなければ、答えの出ないものだ。手に残る感触を恐れ、敵を撃てなくなって命を落とす者。あるいは戦いから離れていく者。
前者はヒーロー願望、正義感の強い者に陥りがちだ。ラルフにはその気が少しはあるかもしれない。後者については、命のやり取りから離れるので、心配することはない。
どちらにしろ、しばらく冒険者をやるつもりなら、その手の感触、命を奪ったことに対する恐れと折り合いをつける方法を、ラルフ本人に見つけさせなければならない。キュリアスは、ラルフを殺人鬼にだけはしたくなかった。
「その感触は忘れないことだ。忘れて殺戮を楽しむようにはなるな」
キュリアスはラルフの前に腰を下ろし、眼を見て言った。
「俺たちは生き物の命を奪って生計を立てている。その内に、奪うことにためらいがなくなるかもしれない。実際にそういうやつも多い。だが、忘れるな。俺たちは、被害に遭っている人々を守るために命を奪っているんだ。決して殺戮のためではない。意味もなく命を奪わないためにも、今のその感触は忘れないことだ」
「害をなすモンスターを倒して、俺たちは収入を得ている。ただ殺しただけじゃ、生活できないぜってな」
ランツも横から言った。
「まあモンスターなんてどんどん倒しちまってかまわねぇんだけどよ。依頼受けてからでないと金は入らねぇときたもんだ」
キュリアスは言いたいことをうまく表現できなかったが、ランツの言葉でさらに遠のいたように思えた。苛立ってランツを睨んだ。が、ラルフはキュリアスの想いを汲んでくれていたらしい。
「僕は猟師の子供です。命を奪うことについて、そこから糧を得ることについて、一応分かっているつもりです」
ラルフはしっかりしたことを言ったものの、声は震え、手も震え、泣き出しそうな表情をしていた。
「獲物の命で僕らは生きていけるんだって。だから獲物に感謝し、必要以上は狩らないようにしろって」
ラルフは猟師に教わったらしい言葉を口にした。ただ、その時に獲物の命を奪うことはなかったのだろう。だからこそ、今自分の手でモンスターを殺したことに、恐れをなしているのだ。命を奪ったという現実に押しつぶされ、震えているのだ。
モンスターを必要以上狩らない、という考えにはおそらく反対する人々が多数だろう。キュリアスはふとそう思って苦笑したが、口には出さなかった。今のラルフに必要な話ではない。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫だと思います」
ラルフは手の血を地面にこすりつけて落ち葉と共にふるい落とすと、震えの残る足で立ち上がろうとした。が、力なく腰が落ちる。
「もう少し休んで行こう」
キュリアスはラルフの肩を押さえて言った。ランツが差し出したままだった剣をキュリアスが受け取り、ラルフの腰の鞘に戻した。
6
マデリシアも日のあるうちに森へ入っていた。ただし、仕返しの下準備として、使えそうな物資の調達のためだった。
木こりが切り出し、板や角材に加工されたものを少々拝借して村の傍に隠した。猟師の山小屋へ侵入し、役立ちそうな物を借りた。
マデリシアは必要な物を集め終えると、村を見渡せる大きな常緑樹に登り、村を観察した。枝に同化したように動かないため、気付く者はいない。鳥でさえも気付かずに、マデリシアの傍の枝でさえずった。
村長の家は半壊しているため、遠巻きにもすぐに分かった。生活には支障がないらしく、村長やその子供たちは家から出なかった。日暮れ近くまで、散らかった家の残骸をかき集めていた程度である。
日が西の山間に落ちていくと黄昏色に村が染まった。次第に色彩が薄れていき、代わりに影が濃く、広がっていった。
村人は黄昏色の道を家路へ急ぎ、暗くなる前には人の気配がなくなった。次々と各家に明かりが灯っていき、食事のための煙や、暖炉から出る煙が立ち昇った。
村長一家は夜になっても外に出る様子はなかった。やはり半壊した家の、残った部屋で寝泊まりするようだ。村長の家からも、食事の煙や暖炉の煙が立ち昇っていた。
各家が吐き出す煙も闇が支配するとほとんど見分けがつかなくなった。マデリシアはそこまで観察を続け、やっと酒蔵へ戻った。
マデリシアは酒蔵から借りた部屋へ向かうつもりだった。復讐のために酒を飲むつもりはないが、せめて酒の匂いを感じたかったのかもしれない。
酒樽の並ぶ真っ暗な空間で、酒の匂いを味わった。不意に、マデリシアは何かを感じ取ったように思った。するとマデリシアの姿が闇の中に溶け込むように消えた。
神経を研ぎ澄まし、ネズミの足音さえも聞き逃さないように佇んだ。しばらく待っても特に物音も、何かの変化も起こらなかった。
マデリシアは自分が感じ取った違和感を信頼している。僅かな変化をも察知し、警戒する癖は、子供のころからの習慣として出来上がった。キュリアスの気配感知ほどではないにしても、マデリシアの、危機を感知するような、第六感とでも言うべき感覚は、常人では気にも留めないような変化も虫の知らせのように感じ、今まで何度となく、マデリシアの命を救った。
マデリシアは子供のころから、命を狙われた。些細な変化が身に迫る危険を知らせる予兆なのだ。その予兆は、僅かな物音のこともある。誰かに見られているような不快感であったり、意味もなく鳥肌が立ったりすることもあった。
予兆を感じ取って、マデリシアは逃げたり隠れたり立ち向かったりしてきた。子供のころからそうやって生き延びてきたのである。
マデリシアがその接近に気付けなかったのは、後にも先にも、キュリアスただ一人であった。
マデリシアは闇と同化すると、物音一つ立てずに移動していた。同じ場所にいては、狙ってくださいと言っているようなものだ。対処できる相手ならばそれでも何とかなるが、手練れ相手では、命を落とすことになる。
だからといって動き回っても逆効果である。動けば動くほどに気配を発することにつながり、相手に見つかる可能性が上がってしまう。
僅かな移動だけでも、最初の一撃を逸らせることは可能だ。マデリシアは闇に同化してじっと、相手の出方を待った。
時だけがゆっくりと通過していく。
マデリシアは初めて暗殺者に狙われた時のことを思い出していた。あの時も今のような暗闇だった。十歳になって間もないマデリシアは、嫌なことがあって泣き暮れていた。
ふと、物音がしたような気がして涙をぬぐった。辺りを警戒するように見渡した。聞こえた物音に、底知れない恐怖を抱いていた。なぜ恐怖したのか、マデリシア本人にも分からない。分からないが、とにかく怖かった。
マデリシアはベッドから抜け出し、ベッドの下に隠れた。そうするのがいいと思えた。妙な不安から逃れられると思った。
誰かが部屋に入ってきた。入って来たと分かっているのに、足音がない。マデリシアは悲鳴が漏れそうになる自分の口を手で押さえた。
鳥肌が立つ。震えてしまいそうだが、震えれば、相手に隠れていることを気付かれてしまう。マデリシアは眼を見開いて、ベッドの下から様子を見守った。
見知らぬ靴。
音もなく、靴がベッドの脇に進んだ。
マデリシアは何も考えられなかった。恐怖で頭の中は真っ白だ。身体がこわばり、身動き一つできない。
金属の滑る音。
続いて、ベッドの軋む音と何かがベッドへ滑り込む音が聞こえた。
悲鳴が漏れそうになる。自分の呼吸の音が相手に聞こえるのではないか。鼓動が聞こえてしまうのではないか。震えが伝わってしまうのではないか。
マデリシアは口に手を押し当てたまま、必死に耐えた。先ほどまでとは別の涙が、頬を伝い下りた。
「てめぇ!ここで何してやがる!」
唐突に荒々しい声が聞こえ、誰かが部屋に飛び込んできた。見知らぬ靴はベッド脇から逃げだした。その後を声の主が追いかけた。
急に静かになると、また不安になる。助かったはずなのに、マデリシアは身動き一つ取れず、縛りつけられたように固まっていた。このまま得体のしれないものに飲み込まれてしまうのかもしれない。そこは話に聞く地獄なのかもしれなかった。
動けばいい。そう思っても、動くと先ほどの見知らぬ靴が戻ってきて、マデリシアをさらうかもしれない。恐怖がマデリシアを支配し、身じろぎ一つさせなかった。
マデリシアは眼を閉じていれば、恐怖がどこかに去っていくかもしれないと思った。まぶたを硬く閉じ、じっと恐怖の手が届かないように耐えた。
何かが肩に触れた。
マデリシアは思わず悲鳴を上げていた。上げた瞬間に、やってしまったと後悔し、口を手でふさいだ。
マデリシアの身体が何かに引きずられた。このままどこかへ連れ去られるのかもしれない。物語に聞く地獄に送られるのかもしれない。
何かが聞こえたような気がして、マデリシアは恐る恐る目を開いた。誰かがマデリシアを揺すっているように感じる。
しわだらけの手が、マデリシアの肩を掴んでいた。大きな手だ。暖かく、優しい手だ。マデリシアは恐る恐る手から腕へ、そしてその先にある顔を見た。
見慣れた祖父がいた。祖父はマデリシアを抱きしめ、背中をさすった。祖父の後ろに、祖父の部下がランプを掲げて立っている。
マデリシアは口を押さえたままだった手をやっと放し、祖父にしがみついた。その手を放したら、また何かに襲われそうな気がして、より強くしがみつく。解放された口からは泣き声があふれ出た。眼からは液体がとめどなく流れ出る。
マデリシアがひとしきり泣き、落ち着いてきたところで、祖父はマデリシアの頭をそっと撫でた。
「よく気付いたな。良く隠れた。よくやった」
絞り出すような声だったことを、頭を撫でられる感触と共に、マデリシアは今でも覚えている。
感傷に浸っている場合ではない。マデリシアは意識を集中して辺りの気配を探った。
数十分は経過したのではないか。察知した違和感は何かの間違い、勘違いだったのではないかと思えた。
外や隣の母屋からは人々の生活する音や、風が戸口を揺らす音が聞こえるものの、酒蔵内での音は皆無だった。
何かの間違いだったのかもしれない。
マデリシアはそう思え、身体の緊張を解いた。
何かの音が鳴った。僅かな音だ。
闇の中に浮かびかけたマデリシアの身体は、再び消えた。
服の擦れる音。続いて、誰かの押し殺した声が聞こえた。
「姉さん」
押し殺した声は、若い男を連想させた。マデリシアの記憶にない声だ。
「何よ!こんな時に!」
若い女性の声がはっきりと聞こえた。
「誰もいませんよ」
最初の声が、ヒソヒソと言った。
「物音がしたでしょ!あれは人が入ってきた音よ!」
「お嬢。声が大きい」
三人目の声が聞こえた。こちらも若い女性だ。
辺りを窺っているのだろう。服の擦れる音が聞こえる。
「お嬢。ここはいったん引き上げた方がよろしいかと」
「うるさい!」
お嬢と呼ばれた女性の声が響いた。慌てて口に手を当て、辺りを見渡していた。
酒樽の陰に潜むのは、十五歳くらいに見える少年だった。お嬢と呼ばれた女性も、少年よりわずかに年上といったところだ。十七八ねと、マデリシアは予測した。もう一人は二十代の女性だ。
暗闇の中で、マデリシアは三人のうずくまる姿、顔を見分けていた。
若い二人は落ち着きなく辺りを見渡し、もう一人は眼だけを動かして確認していた。たったこれだけの違いでも、それぞれの力量の差が見て取れる。
三人は緊張した面持ちで辺りを窺っていたが、何の変化も起きないので、肩を撫で下ろした。
「姉さん…」
「お嬢…」
二人が恨めしそうな声を出した。
「わ、悪かったわよ。気を付けるから」
「気を付けてももう遅いのよねぇ」
三人の間から、マデリシアの明るい声が上がった。声に慌てた三人が一斉に、別々の方向へ走り出した。元々何かの時は別々に逃げるように取り決めていたのだろう。とっさの判断としては素早く、いい動きだった。しかし、すぐに全員が転ぶ。いつの間にか、三人の足が紐でつながれていたのだ。
「はい、ご苦労様」
マデリシアはそう言うと、火打石を使ってランプに火をともした。ランプの明かりに四人の姿がさらされる。
マデリシアが紐の一部を踏んで見下ろしていた。
少年がうつぶせに倒れている。両手で顔の辺りを覆っていた。一人の女性は横向きに倒れ、手で顔を隠している。指の隙間から窺っていることは分かった。もう一人の女性は顔から床に倒れ込んだ様子で、文句を言いながら鼻を押さえていた。
「盗みに入って、声出して話し合ってちゃダメでしょ」
マデリシアは決めつけるように言った。
「ほら、顔を見せなさい」
マデリシアの言葉に、三人が顔を上げた。三人とも困惑の表情を浮かべ、マデリシアを見上げた。三人とも、自分の意志で顔を上げたのではない。マデリシアの声に宿る魔力に操られたのだ。
二十代の女性は警戒する表情に変わった。もしかすると、マデリシアの正体に気付いたのかもしれない。バンシーと呼ばれるマデリシアの能力はそれほど知れ渡っている。女性は好きがあれば逃げ出せるようにと、自由になる眼を動かして辺りを確認していた。
若すぎる二人…。姉弟かしら、とマデリシアは考えた。もう一人の女性がお付きの指導者と考えれば、盗みに入った盗賊かもしれない。マデリシアを狙う暗殺者の可能性はなさそうだった。
「姉さん…」
少年が少女に助けを求めていた。
少女は困惑した表情ながらも、マデリシアを睨み付けた。鼻の頭が赤く、目頭に涙がたまっているので、睨まれても怖くはない。可愛らしいくらいだ。
マデリシアは少女の顔に、思わず吹き出しかけた。が、ここで笑ってはダメだ。先輩としての威厳を保ち、優位を保たなければならない。
「あなたたち、まだ駆け出しね。修行代わりに入ったのかしら?どこの傘下?」
マデリシアは尋ねた。笑いが治まりきっておらず、声が上ずっていた。
マデリシアの質問に、誰も答えない。何とか逃げ切るために、できるだけ口を利かないようにしているようだ。緊張しているためか、マデリシアの声に笑いが含まれていたことにも気付いていない様子だった。マデリシアにとっては助かった思いである。
一番年上の女性が立ち上がり、マデリシアに立ち向かおうとした。
「お嬢!逃げて!」
女性の声が合図となり、少年少女が這いずって逃げだす。すると、女性はマデリシアまでたどり着けずに転んだ。少年少女も足を引っ張られて転がった。マデリシアが括り付けた紐がつながったままである。
「何やってんのかしら。修行をやり直した方がいいわよ」
マデリシアは呆れて言った。
女性は恨めし気に足元を見た。が、諦めはしない。再び立ち上がった。
「座りなさい」
マデリシアはうんざりして言い放った。往生際が悪いったらありゃしないわ。その思いが、語気を強くさせた。
女性が素直に座った。ただし、表情は恐怖に歪み、マデリシアを見上げていた。
「何素直に従ってるの!」
少女が抗議の声を上げた。その言葉に、女性は奮い立った。しかし、マデリシアがもう一度座りなさいと言うと、再び大人しく従った。
少女が苛立って立ち上がった。
「何やってんの!」
「お座り」
マデリシアの短い言葉に、少女は即座に従った。怯えた表情でマデリシアを見つめている。
「バ、バンシー…」
少年は体験していないものの、状況を理解したらしく、呻くように言った。マデリシアの声によって、二人の行動を操られたと見たのだ。
バンシーとあだ名される冒険者の話を、彼らは知っていたようだ。その能力も分かっていたのだろう。残りの二人も少年の言葉で完全に理解し、身体の力を抜いて抵抗を止めた。諦めと恐怖とに支配された表情を浮かべている。
「誰がバンシーですって?」
余裕を見せていたマデリシアは頭に血が上り、思わず怒鳴っていた。
少年は気圧され、しどろもどろに、世間ではそう呼ばれていますと口ごもった。
「あたしはマデリシア・ソング・ガーランドよ!」
マデリシアは普段名乗らない部分まで行った。ガーランドは父方の姓で、一部の業界で有名な姓だ。無用な詮索を避けるために普段は名乗らないようにしていた。
ガーランドで特に有名なのは祖父だ。盗賊であれば、必ず思い出す名である。案の定、女性はすぐに理解した様子だ。眼から諦めが消えている。
マデリシアは女性の反応に満足し、頷いて見せた。すると女性は口を開いた。
「ディズマ一家です」
「ちょっと、何答えてるのよ!」
「お嬢、大丈夫です」
女性は手を上げて少女をなだめると、ローグ・キーシャと名乗った。
「こちらはクリス・ディズマ様とルーイット・ディズマ様です」
「へー。あのディズマの子供がいたんだ」
「老いてからの子供でしたので…」
「そうよね~。義賊ディズマでならした一家の大将も、引退した時は五十を超えていたんじゃなかったかしら?」
「五十二だったと聞いています」
「あなたは当時のメンバーではないわね。若すぎるわ。ローグ・キーシャ…。キーシャ…。キーシャ」
マデリシアは小首をかしげて考え込んだ。記憶にあるものと近い響きを見つけて顔を上げた。
「もしかして、キースヤージのおじさま?」
ローグは驚いた表情を見せた後、頷いた。
「ローグゼシア・キースヤージです」
「そうそう、娘に貴族みたいな名前つけたって聞いたことあったわ」
マデリシアは懐かしそうに言った。ローグはマデリシアの反応を探るように見上げていた。
「おじさまには恩があるものよねぇ」
マデリシアは含みのあることを言った。その言葉で、ローグは逃げる選択肢を排除したようである。
マデリシアは懐かしそうに、空中を眺めていた。ふと思い出したように、紐を外してと声をかけた。
マデリシアの言葉が合図だったかのように、母屋に続く扉が開き、酒蔵に明かりが漏れた。
「誰かいるのですか?」
ドグの声だ。
「ごめん。ついつい酒の匂いにつられてこっちに入っちゃった」
マデリシアはそう言って笑うと、ドグの視界に移動した。そして後ろの三人に出てくるよう、手で合図した。
「ちょっと知り合いに会ったの。そっちの部屋、借りていい?」
マデリシアはランプの明かりで後ろの三人を照らし出してみせ、休憩室を指差した。
「ああ、かまいませんよ。何か食べるものを用意しましょう」
ドグは笑って答えると、こんな時間ですし、お腹も空いているでしょうと言いながら奥へ戻っていった。
休憩室に入るとマデリシアはさっさと椅子の一つを占領し、三人にも座るように促した。
「あんたたち、酒でも盗みに来たの?」
三人は下を向いたまま答えなかった。
「そんなもん盗んでどうするの?」
マデリシアの問いに三人は答えないものの、ルーイットの表情が質問ごとに変わった。酒を盗みに来たことはその表情から明らかだった。そして、それには何かの事情がありそうだと、マデリシアは見て取った。
いくら聞いても答えないだろうとマデリシアは判断していたが、もう一つだけ確認しておくことにした。
「前にここで酒が盗まれたそうだけど、あんたたち?」
ルーイットの表情が、それを認めていた。
「まあいいわ」
マデリシアは満足げにほほ笑んだ。ローグがため息を漏らしていた。
「もうここで盗むのは無しね。後、あたしの手伝いをしたら、見逃してあげる」
「あたいに手伝う理由なんてないわ」
ルーイットは強気に答えた。
「お嬢…。もう遅いですよ。あなたの表情で全部バレバレです」
ローグは首を左右に振りながら言った。そして、自分は手伝うと宣言した。
「僕も手伝います」
クリスも従う。
ルーイットはうめいた。それでも、やるとは答えなかった。代わりに、何をさせようっての、と語気を荒げた。
マデリシアは三人の助手を手に入れた。これで村長やその子供たちへの復習がやりやすくなる。満足げに頷くと、密談を行った。
7
暗く、湿気のある空間を、たいまつの明かりで照らしていた。天井のむき出しの土がすぐ近くに見える。
天井も横も足元も、土や石で、デコボコとしているため、明かりがあっても影がいくつもある。影が揺らぐと、天井や壁が動いているように見え、押し迫ってくるような圧迫感を覚えた。
横の壁は所々、水が湧き出しているのか、染み出すように伝い下りていた。
壁が通路にせり出している。硬い岩が道を曲げさせていた。またせり出した部分がある。絶えず、どちらかの壁にせり出す部分があった。天井や足元にもあり、足元や頭も気を付けなければならない。
また壁がせり出していた。先頭のガイツがたいまつを片手に通り過ぎた。続くキュリアスはその壁を蹴りつけた。すると、そのせり出し部分が崩れた。
よく見ると、崩れた部分はゴブリンの形をし、腹部を押さえて悶えていた。皮膚は壁と同じような色をしている。
先頭のガイツが慌てて戻り、悶えるゴブリンに戦斧を落として止めを刺した。
「ゴブリンに希にいる擬態能力だ。よく分かったな」
ガイツは驚いたと、キュリアスを見つめた。キュリアスは分かった理由を答えず、別の質問を返した。
「いつもはどう対処していたんだ?」
「通り過ぎたら襲い掛かってくるんだ。そこを返り討ちって寸法さ」
最後尾でたいまつを片手に持つランツが答えた。ランツのもう一方の手には、フレイルが握られている。
ランツの前のラルフは、緊張した面持ちで、左右の壁に向かって武器を交互に向けていた。
「落ち着け。ラルフ。お前なら襲われる前に感じ取れるはずだ」
キュリアスはそう言って、ラルフに拳を打ち込む真似をした。その拳が届く前に、ラルフは横に移動している。
ラルフは相手の動きや攻撃の気配を感知している。目線、身体の向き、足運び、更には筋肉の動きと言った肉体の変化や、衣擦れの音、武器が発する風切り音といった聴覚情報、皮膚に触れる風の動きなど、五感をフル活用して察知している。それらを天性の感覚で察知していた。
ラルフにはその察知した動きに反応するだけの、反射神経も持ち合わせていた。天賦の才といえるほどのもので、キュリアスはこの才能を使わない手はないと考え、弟子に攻撃を避けることだけ、教えた。
キュリアスの今の拳は、そのことを思い出させるためのものだ。弟子のラルフは師匠の石を察したようで、はにかんだような笑みを浮かべた。が、自信が無いのか、すぐに不安そうな表情になる。
「いつでも、どこから攻撃されてもいいように、気持ちだけは張りつめておけ。ただし、身体はこわばらせるな。とっさに動けなくなるぞ。ほら、楽に構えろ」
「どこからってのはいただけねぇが、なんにしても…。カチンコチンじゃなにもできねぇぜ」
ランツはそう言って、歯を見せて笑った。ラルフはガイツ、ランツに前後を守られている。自分たちがいるのだから、恐れることはないと言いたいのだ。
さらに洞窟を進んで行く。キュリアスは擬態しているゴブリンが見えているのかのように、的確に蹴りつけてもんどり打たせた。見えてはいないが、生き物の気配は消しきれるものではない。キュリアスの感知能力から逃れられるはずもなかった。
「ほら、ラルフ。止めを刺せ」
キュリアスは倒れたゴブリンをまたいで場所を開けると、ラルフに促した。
ラルフは頷くと、ショートソードを振り下ろした。初めてゴブリンを倒した時よりは腰が引けていない分、鋭い攻撃となり、一撃で仕留めることができた。
そして、仕留めた後に腰が砕けるようなこともなかった。ただ、手は震えているようで、ラルフは両手を見つめていた。
「僕は…」
ラルフは呻くように言った。声が震えている。
「僕はこうやって、命を奪うことに慣れていくのかな…」
ガイツが足を止め、振り向いていた。キュリアスはガイツに手を向けて、ガイツが何か言うのを止めた。
「そんなものには慣れるな」
口では即座にそう言い、キュリアスはラルフの肩に手を置いた。
「え?でも…」
ラルフは慣れなければ戦えないじゃないかと、師匠を見返していた。ともすれば、泣き出しそうな眼をしている。
「そんなものに慣れちまったら、ただの異常者だ。殺人鬼だ。ついには殺すことに快楽を覚えていくような連中と一緒になりたいのか?」
ラルフはキュリアスの言葉に、激しく首を振った。
「必要以上に命を奪うな。奪うからには責任を持て」
キュリアスはラルフの肩に置く手に、自然と力が入った。責任感の強いラルフを、自分のような人種にしてはならない。
同時に、責任を持ちすぎて、精神的に追い詰められることも避けねばならない。責任感はラルフ自身も追い詰め、最後には精神に破綻をきたし、サム・ガゼルのような狂人になりかねないのだ。キュリアスは師匠として、自分の師であり父親代わりだったサムのように、ラルフを狂人に落としてはならないと思うのだった。
次に何を言えばいいか、キュリアスは思い悩んでいた。
「それはどういう…」
ラルフは問いかけてやめた。彼は頭の中で理解しているつもりだった狩人の、生き物に対する考えも、自分がいざ体験する側に回ると、理解しきれていないことに気付いたのだ。そして、自身が思っていた以上に、身体や精神に影響のあることなのだと、やっと自覚したのだ。
「このゴブリンに畑を荒らされ、家畜を殺される人々がいる。彼らを守るために、こいつらを倒しているんだ」
キュリアスは言い訳のようなことを告げた。命を奪うには理由がある。その理由を逃げ口上にすれば、精神的には守られるだろう。そう考えたのだが、口に出してみると、妙に間の抜けた感じが拭えなかった。
キュリアスは思わず自嘲していた。反応するかのように、ガイツも笑っている。
「害になる奴を排除するって考えで、人同士も殺し合うな」
ガイツはそう言ってさらに笑った。
「問題を複雑にしてくれるな」
キュリアスは抗議の声を上げたものの、自分の言葉に間が抜けたような感覚を受けたのは、ガイツに指摘されるまでもなくそのことに気付いていたからでもある。
ガイツは笑い声をあげたまま、奥に向かって歩き出した。
キュリアスは恥ずかしさをごまかすべく、ラルフの背中を平手で打って、背を向けて歩き出した。
キュリアスが肩越しに後ろを確認すると、ラルフはうつむき加減に何やら考え込んでいる様子だった。自分の手を見つめている。
なんのために戦うのか、何のために相手を倒すのか。そういう、心の拠所を見つけようとしているのか、あるいは、手から伝わる、形容しがたい感覚に、打ち震えているのかもしれない。
ラルフは何かを決意したかのように、手を握りしめていた。真面目過ぎる。キュリアスは思わず苦笑していた。
何も考えずに戦う方が楽である。しかし、ラルフはそれができない性格のようだ。握りしめた手が、すべてを物語っている。慣れたいだけなら、さっさとその震えを忘れた方がいいのだ。少年は忘れられず、震えごと握りしめている。
ラルフの真面目さ、責任感の強さは、一度失敗した依頼を完遂したいと願った一事からも察することができる。
やはり、戦う意義がないと、彼は精神を病むことになる。キュリアスはそう思って、ゴブリン退治は人のためだという大義を口にしてみせた。その言葉がラルフの中に、僅かでもとどまれば、罪悪感を薄めてくれるだろう。
キュリアスがもう一度振り向くと、ラルフは顔を上げ、左右を警戒するように見渡していた。手は震えていない。この僅かな時間に何かを決意したらしい。
キュリアスはラルフが間違った方向に進まないように見守る義務がある。仮にも、師匠になったのだ。キュリアスの師であり、父親代わりであるサム・ガゼルのように、精神が耐えかねて狂気に陥るようなことは、ラルフの身に起こしてはならない。
ラルフをそっと見守りながら、壁の違和感に向かって蹴り込んだ。
「こんなに擬態能力のあるやつがいたことなんてないぞ」
ランツが訝しんだ。倒れたゴブリンの頭を、フレイルの重しで殴りつけていた。
「かなり大きな巣のようだ」
先頭を行くガイツは前方を警戒しながら言った。
「前に僕らが討伐できなかったからでしょうか」
ラルフは悔やむように言った。依頼を受けて一度失敗している。その失敗が悔やまれてならないのだ。
最低でも一ヶ月の時が流れている。その間に数が増えていて当然だ。だが、そのことを指摘すれば、ラルフをさらに追い込むことになる。
「もともと大所帯だったんだろうよ。それなりに食料もある山のようだからな」
キュリアスは気休めを言った。
「なあに。少々数がいようと、どうってことない。すべての敵を迎え撃つ!だぜ」
ロッツ村へ向かう途中に、マデリシアが歌った物語で、百万の軍勢と相対した龍の化身の言葉を引用していた。
この気休めには効果があった。ラルフは笑みを浮かべ、頑張りますと力強く答えた。
「ゴブリン退治は俺たちの趣味みたいなもんだからな!任せとけ!」
ガイツも大きなことを言った。
「俺たち兄弟にかかりゃ、ゴブリンの百や二百、どうってことねぇぜ!」
ランツも大風呂敷を広げていた。
洞窟は最近掘られた穴のようで、壁の表面が湿っていた。そこかしこに砂のかけらが散乱し、歩くたびに音が鳴った。
ガイツ、ランツの二人は専門家らしく、ゴブリンが掘った穴だと断定した。元からある洞窟を利用することが多いが、数が増えると奥に掘り進んで広げ、居住スペースを広げるのだ。
また、ゴブリンの習性から、ある程度決まった構造になるという。途中に別れ道があっても、ガイツがたいまつで照らして確認すると、こっちは確認の必要はないと言って、もう一方に進むのだった。
キュリアスが気配を探ってみても、確かに、進まなかった方に何の気配も感じ取れなかった。
ガイツに導かれて進む先に、複数の気配があった。キュリアスがガイツを呼び止めようとする前に、彼は立ち止まった。口に指をあてて振り向く。
ガイツはたいまつをキュリアスに差し出して受け取らせると、戦斧を両手で構えた。そして、最後尾のランツに、前へ出るように手で促した。
キュリアスが口をはさむまでもなかった。戦機を肌で感じて行動しているのだ。経験のなせる業ということだろう。
キュリアスの武器は洞窟内で振り回せない。なので、ガイツはキュリアスが戦力外と見て、たいまつによる明かり担当にしようとしていた。ランツは片手で振れる武器なので、空いた手にたいまつを持ったまま進んだ。
二人の後を、ラルフがキュリアスに促され、恐る恐る付き従った。
先頭の二人が駆け出した。ラルフも後を追う。キュリアスは感覚を研ぎ澄ませながら、ゆっくりと続いた。
穴を抜けた先に開けた空洞があった。入り口を背に、ガイツ、ランツ、ラルフが立ち、無数にいるゴブリンを迎え撃った。
ゴブリンは侵入者に、威嚇する声を発しながら、次々と押し寄せた。
ガイツは斧を横振りし、数体をまとめて薙ぎ倒した。ランツはフレイルを器用に振り回し、複数のゴブリンを次々と打ち砕いていった。
ラルフも腰が落ち着いたらしく、安心して見ていられる戦いぶりに変貌しつつあった。目の前に迫ったゴブリンに対し、攻撃をかわした直後に、ショートソードを振り下ろして仕留めていた。
奥の穴から次々とゴブリンが湧き出していた。気配から見て、五十近くいる。かなり大きい巣だったようだ。
危なげなく戦う三人だが、いかんせん、ゴブリンの数が多い。疲労で、どこかでミスを犯すことになる。ミスが重なるにつれ、傷つき、弱り、さらにミスを犯すことにつながる。そうなれば、数に押され、やがて死を迎えることになるだろう。
特にラルフはまだ戦い慣れていない。体力も技量も、長丁場の戦には向かない。ラルフから崩れ、形勢が不利になっていくことが簡単に予測できた。
キュリアス一人が傍観を決め込んでいる余裕はなさそうだ。
キュリアスは辺りの壁を見渡し、適当なくぼみを大型ナイフで広げ、たいまつの柄の部分を差し込んで固定した。
キュリアスは前で戦う三人のわずかな隙に踊り込むと、空洞の真ん中へ駆け込んだ。文字通り、ゴブリンの中に飛び込んだのである。
キュリアスの通過した後に、ゴブリンが次々と倒れていく。駆け抜けざまにナイフで斬りつけ、蹴りを繰り出して反動で身体の向きを変え、出会い頭にゴブリンの頭部を殴りつぶした。同時にナイフで複数のゴブリンも斬りつけているのである。
キュリアスの身体が、ゴブリンとゴブリンの間の僅かな隙間に流れ込んでいき、周りのゴブリンたちが次々と倒れていく。
それでもゴブリンたちは押し寄せる波のようにキュリアスへ殺到し、飲み込もうとしていた。技量のある冒険者でも、ゴブリンの物量に押し切られ、倒されるのがオチだが、キュリアスはなぜか、倒れない。それどころか、ゴブリンの攻撃の一つとして当たらなかった。
「おいおいおいおい!」
ガイツは唸るように連呼し、重い戦斧を振り回してゴブリンの集団を蹴散らした。視線はキュリアスに注がれている。
ランツもかろうじて複数のゴブリンを倒しているものの、キュリアスやガイツには到底及ばなかった。
ラルフが複数のゴブリンに囲まれていた。キュリアスの教えを守り、攻撃を止めてかわすことに専念していた。逃げ腰が収まってくると、かわすことに関してだけは、キュリアスのようなに鋭敏な動きを見せていた。それはラルフが相手の筋肉の動きや視線、気配といったものから攻撃の向かってくる場所を瞬時に予測できる能力のおかげだった。そして、幸運にも、反応できるだけの反射神経まで持ち合わせていた。
しかし、戦い慣れしていないラルフがいつまでもかわし続けられるものではない。疲労で足が止まった時、悪い足場に体勢を崩した時、彼の命は終わりを告げる。
キュリアスは洞窟の天井へ飛び上がってゴブリンの囲いをかわすと、天井を蹴ってラルフの方向へ飛んだ。ゴブリンを踏み倒して着地し、次の一歩でラルフの前に飛び込むと、瞬く間にゴブリンを蹴散らした。
ラルフは礼を言おうとして、声にならなかった。疲労で呼吸が乱れている。もはや立っているだけでも精一杯なのだろう。武器を持つ手がだらりと垂れ下がっている。膝が笑っている。その震えが顔を上下させるほどに影響していた。
ラルフはもう限界だ。キュリアスはそう判断し、即座にケリをつけにかかった。背中の剣を抜きざまに、横なぎに払う。
空洞を埋め尽くすほどいたゴブリンの大半が、首と胴と分断され、倒れた。たまたま低い姿勢だったゴブリンや、運良く跳躍していたゴブリンが残っただけである。
奥の壁にも亀裂が入っている。キュリアスの斬撃によって生まれたものだ。運が悪いと洞窟の崩落を招きかねないものだが、今のところ崩れる様子はなかった。
ランツが驚きの声を上げた。
奥の穴から新たなゴブリンが現れてくる。
ガイツはこの隙を逃さなかった。素早く駆け出すと、キュリアスの斬撃に、奇跡的に助かったゴブリンを切り倒して進み、奥の穴の前に立ち塞がった。湧き出してくるゴブリンを各個撃破していく。その手際の良さに、キュリアスも感心して見入っていた。
ランツも見とれていたのか、慌てて追いかけ、ガイツを手伝った。奥の穴は三つあった。
「そこで休んでいろ」
キュリアスはラルフにそう言うと奥に駆け寄り、余った穴を受け持った。
きりがないと思われるほど、ゴブリンはあとからあとから湧きだしてきた。嫌気がさしてくるほどだ。
キュリアスは不真面目になった。ゴブリンが使っていた剣を持って後続を斬り倒し、自分の剣や大型ナイフは、ゴブリンを倒しながら、刀身の血のりをふき取って鞘に納めた。それでもまだ続くので、今度はゴブリンの武器を取っ替え引っ替えて戦い、最後はそれを穴の奥に向かって投げつけた。
ランツがたいまつ片手に、それぞれの穴を確認してくるまで、キュリアスはだらけた戦いを続けていた。
「よくそれで倒せますね」
キュリアスが他所を向いたまま投げた武器はゴブリンに的確に当たっていた。その様子を見たラルフは不思議そうに言った。
「もう動けるか」
「はい、なんとか」
ラルフはそう答えた。
「でも、戦えるとは思えません」
恥じ入るように言うものだから、キュリアスは思わず苦笑した。
「いや、お前はよくやった」
「でも、足を引っ張ってばかりで…」
ラルフはそう言って、キュリアスやガイツを眼で示した。キュリアスやガイツのような活躍ができなかったことを詫びているのだ。
初心者に、熟練の戦果を期待する方が間違っている。キュリアスはすぐにラルフの気持ちを察し、苦笑した。だが、かける言葉はすぐに浮かばなかった。
「初心者同士でここに来ていたら、どうなっていたと思う?」
考えた挙句、キュリアスは起こりえたであろう、未発の事態を話して聞かせた。
初心者の数人でこの洞窟に踏み込んでいたら、擬態能力のあるゴブリンに全員殺されていた。よしんば、そこを切り抜けたとして、無造作にこの空洞に入り、無数のゴブリンに囲まれ、飲み込まれることになった。
パニックに陥り、何もできなかったかもしれない。恐れをなして逃げ出したかもしれない。やみくもに斬り進んで背後からの攻撃に倒れたかもしれない。
「どれもかもしれない話だ」
キュリアスはそう言い置いて、さらに続けた。
「だがな。そう言う失敗を犯す時に共通するものがある。何か分かるか?」
ラルフは首を左右に打った。
「パニックだ。冷静な判断ができなくなった時点で、すべてが終わる」
キュリアスはそう言って、ラルフの胸を指で刺した。本当はもう一つ、過信があるのだが、ラルフに指摘する必要はなかった。
「じゃあ、お前は、今回、パニックに陥ったか?」
ラルフはキュリアスの指を見つめた後、ゆっくりと顔を上げた。
「冷静だったとは思えません。でも、僕が駄目でも、最後は何とかしてもらえると思ってました」
「まったく…。聞き方を変えよう」
ラルフの返事はキュリアスの期待するものではなかった。別の意味の過信があったようだ。が、あながち過信とは言えない。キュリアスとガイツであれば、確かに何とかできたであろう。それに、キュリアスがいま問いたいのは、冷静さについてだ。
「戦いの中で、何が何だか分からない瞬間があったか?」
キュリアスはなかったと確信している。多数のゴブリンに囲まれた時、ラルフは回避に専念した。状況を理解し、判断したからこその行動なのだ。
しばらく悩んでいたラルフが、自信なさそうに首を動かした。
「正直な話し、初めての戦闘では誰しも、冷静さを失う。特にあんな数に囲まれたら、冷静でいる方が無理だってもんだ」
キュリアスはそう言って、ラルフの頭に手を置いた。ラルフのくすんだ茶色い髪をかき乱す。
ラルフは恥ずかしそうにキュリアスを見上げた。
「少なくとも、今、お前はパニックにならなかった。予想以上の上出来だ」
キュリアスは少し間を置き、ゆっくりと、そしてはっきりと、よくやったと告げた。そして激励の意味を込めて、ラルフの背中を平手で叩いた。
8
外は眩しいほどに明るかった。
キュリアスたちが洞窟内のゴブリンを狩りつくし、外に出てくると、日は真上に差し掛かっていた。
夜のうちに侵入したので、かなりの時間、洞窟の中にいたことになる。戦闘に明け暮れ、時間の感覚に狂いがあった。
一番若く元気なはずのラルフが、一番眠気と疲労を抱えていた。外から差し込む光に目を開けられなくなっている。足元もふらついていた。
キュリアスは目を閉じて外に歩み出た。日差しを肌に感じた途端に、暖かな日の恵みを感じた。ただ、吹き付ける風のために、洞窟の中よりはるかに寒い。
ガイツ、ランツも目を細め、ゆっくりと外に出た。その後ろから、ラルフがふらふらと出てくるが、まともに前が見えていない様子で、何度も躓いた。
ランツが立ち止まり、ラルフを支えた。
「日差しに溶けそうだ」
キュリアスがそう言うと、ユード兄弟も同意して笑った。ラルフは精も根も尽きたのか、うつろな眼をして、ランツに倒れかかっている。
「大丈夫か、おい」
ランはがラルフの背中を叩きつけ、笑い声をあげた。ラルフがつんのめって倒れかかるのを、ランツは慌てて支えていた。
「大丈夫じゃないらしいぜ」
「あれだけの大集落だったんだ。仕方ない」
ガイツは言った。
「いや、あんたらがいてくれて助かった。俺たち兄弟だけだったら、数日かかっていただろう」
「お互い様だ。おたくらがいなかったら、ラルフが危なかった」
「おっと。そいつは、お前ひとりなら問題なかったとも聞こえるぜ」
ガイツが皮肉った。キュリアスは笑っただけで答えなかった。
「さて、ロッツ村に戻るが、ユード兄弟はどうするんだ?」
「俺たちもロッツ村で依頼を受けたからな。一緒に戻るとしよう」
ガイツが答える間に、ランツはラルフを背負っていた。
「こいつは俺が連れて行ってやる」
「すまんな」
「いいってことよ。俺らはエッジのおかげで楽ができたんだ」
ランツの背中に乗った途端に、ラルフは寝息を立てていた。
「よっぽど疲れたらしいぜ」
ランツが小声で言った。顎鬚の奥で笑みを浮かべているらしい。ガイツも、らしいと答えてほほ笑んだ。二人とも、眼が優しく笑っているからこそ、笑っていると分かる。
いつの間にか、仲間意識のようなものが芽生えているのだろう。ガイツ、ランツはラルフを優しく見守り、そして助けていた。キュリアスはその様子を微笑ましく眺めた。
ラルフの修行としては、上々だったと言える。ゴブリンが予想以上の大集落で、一時はどうなるかとも思えたが、ユード兄弟のおかげで無事に済んだ。
敵を倒す、命を奪うことについては、これからも、何度も何度も悩むことになるだろう。だが、旅で知り合った仲間に囲まれ、気持ちを紛らわせることができるようになれば、そして戦う意味を見出すようになれば、ラルフももう一段上のランクになれるだろう。
それはまだまだ先の話だ。差し当たって、次は何を体験させるか、何を教えるか、考えなければならない。とはいえ、キュリアスの脳裏には、マデリシアがチラチラと顔を見せており、考えをまとめさせなかった。
村長に仕返しすると言っていたが、どこまで進んだのだろうか。村に戻って手伝わされるとなると、面倒だとも思った。さすがに少し休みたい気分だった。
日が暮れかけたころにロッツ村へたどり着いた。幸いにも、マデリシアはどこかに出かけているらしく、不在だった。
酒蔵のドグとサラがキュリアスたちを労い、部屋を用意してくれた。近所の女性陣が集まり、食事の用意をしてくれ、身体を洗うお湯まで支度した。さらに、汚れた服まで洗ってくれた。
肩幅の広い、ガイツ、ランツが着ることのできる服が存在せず、二人は毛布を巻き付けて過ごした。その恰好がいかにも滑稽で、キュリアスは指差して笑った。
ラルフを除く三人は酒を酌み交わし、にぎやかに食事をとった。村人も多数やってきて、宴会状態になっていった。
ラルフは食事もままならず、スープの上に顔が倒れ掛かるので、キュリアスが担ぎ上げて部屋に運び、眠らせておいた。
ガイツ、ランツが自身の活躍ぶりを、ドグや、集まった村人たちに披露して盛り上がっていた。ランツがキュリアスの活躍ぶりまで、身振り手振りを交えて語るので、キュリアスは村人たちにはやし立てられた。キュリアスは返す言葉が見つからず、ごまかすように杯を掲げて頷いて見せるのだった。
夜も更けてくると、村人が一人、また一人と宴会を抜けていった。キュリアスもその流れに紛れ、貸し与えられた部屋に引き上げた。
マデリシアはまだ戻っていない。戻っていれば、宴会に乱入して、歌い始めていたに違いない。
「なにをやってんだか」
キュリアスは借りたベッドでマデリシアのことを考えたが、すぐに眠りに落ちていた。
キュリアスは早朝から起きだし、日課の鍛錬を行った。村人が畑仕事に出かけるとき、キュリアスに挨拶していくので、度々中断させられ、消化不良気味の鍛錬となった。
朝食を済ませ、しばらくすると、やっとユード兄弟が起きだしてきた。二人とも頭痛がすると呻きながら、まだ乾いてもいない自分の服に着替えた。
「そのうちに乾く」
まだ乾いていないと気にするサラに対し、ランツが答えていた。
「もう行くのか」
キュリアスは玄関先に見送った。
「ああ。ゴブリン退治は身入りが少ないからな。こまめに依頼をこなさんといかん」
ガイツは笑いながら言った。
「まあ、うまい食事や酒には事欠かねぇぜ」
ランツもそう言って笑った後、頭を押さえた。二日酔いの頭痛に悩まされている。
「酒飲めば治る」
「ハハハ、その通り…アイテテテ」
キュリアスの言葉にガイツが答えた。ガイツも頭痛が激しいらしい。
「じゃあな」
「またどこかで出会えたら」
ガイツがそう言って拳を差し出した。キュリアスも答えて、その拳に自分の拳を合わせた。
「ラルフによろしくな」
ランツはそう言って、握手を求めた。キュリアスが握り返すと、ランツもじゃあなと言って、ガイツと並んで去っていった。
ラルフはというと、昼過ぎまで眠り続けた。起きだしてきたラルフは体中が痛むらしく、手でさすりながら、ぎこちない歩き方をしていた。
「筋肉痛か?」
「はい。もう身体中が痛くて」
ラルフは答えてはにかむように笑った。
「そう言えば、ユード兄弟が見当たりませんね」
「あの二人なら昼前に旅立った」
「え、もう行っちゃったんですか。僕、お礼も何も言えてないのに」
「よろしく言ってたぜ」
キュリアスは言伝を伝えた後、思い出したように付け加えた。
「冒険者デビューおめでとうとよ。当人がいないのに、それでしばらく盛り上がって酒飲んでやがった」
「宴会したんですか?」
ラルフは残念そうに言った。宴会と聞いたせいか、ラルフのお腹が盛大に鳴った。
「サラが食事を用意してくれる」
キュリアスが言うと、ラルフは照れ笑いを浮かべながら、サラの元へ向かった。ぎこちない足取りは変わらない。
ラルフを微笑んで見送った後、キュリアスは外に出た。意識を集中させ、マデリシアの気配を探す。
マデリシアのことだから問題ないとは思うものの、心配は残る。マデリシアの命を狙っていた組織は無くなった。だからといって、暗殺者が狙わないと言う訳でもなかった。どこかの誰かが暗殺者を雇い、マデリシアを狙うことは、今でもたまにあるのだ。
マデリシアを狙っていた組織ほどの手練れは滅多に来るものではない。よほどの手練れでない限り、マデリシアは気付き、逃げ果せる。だが、マデリシアの技量を超える手練れが来ないという保証もない。
キュリアスも、その一人に含まれなければならない。組織の一員として、マデリシアを狙った張本人だったのだ。
ただ、キュリアスはその後、組織そのものを壊滅させた。だから、そこから暗殺者を送り込まれる心配はなくなった。
よほどの手練れが来ても、今のマデリシアなら逃げ出すことくらいできるだろう。キュリアスはそう考えていた。だからこそ、心配はしても、それほど焦ることもないと思っている。
しばらく気配を探っても、マデリシアは見つからなかった。また、怪しい動きを見せる人物も感知できなかった。
近々の危険がないのであれば、特に問題ないだろうと、キュリアスは探すのを止めた。もしも襲われでもしたら、逃げかえってきて、なんで守ってくれないのよ、などと非難してくるだろう。それから対処しても遅くはなかった。
マデリシアのことだ。何かしらの変化を伴って現れるに違いない。キュリアスのその予想は、次の日の朝、的中することになる。
翌朝、起きだしてみると、村の雰囲気がどこかおかしい。外が騒々しく、人々が一ヵ所に集まっている気配があった。
マデリシアはいまだに姿を見せていない。
いつまでもサラやドグの厚意に甘えて滞在するわけにはいかない。キュリアスはマデリシアを見捨ててセインプレイスへ戻ることを決め、そのついでに外の騒動を確認していくことにした。
キュリアスは支度を整えると、ラルフを伴い、家を出た。見送りに出たサラに礼を述べた。ドグは騒ぎを確認しに出かけているらしい。
騒ぎの中心は、村長の家だった。
「何事ですか?」
ラルフが人混みに興味を抱いたらしく、尋ねたが、キュリアスも正確な状況を感知できているわけではない。返事の代わりに、人混みに分け入り、状況の見えるところまで押し進んだ。
村長の家の周りに十字架が並んでいた。土人形が巨大な十字架と、そこに吊るされた人に変わっている。吊るされているのは、村長とその子供たちだった。
マデリシアの仕業だな。キュリアスはすぐに悟った。
村長たちは意識がない様子で、物言わず、吊るされている。
十字架群の脇に立札があった。村長たちの罪状が箇条書きされている。冒険者に対する追いはぎ行為、村の私物化、酒樽の窃盗など、読むのが面倒になるほど色々書かれていた。
立札の横に、空になった酒樽が転がっていた。
「あの酒樽、うちのですよ…。先日盗まれたやつです」
ドグがキュリアスに気付き、近づいてきて言った。
「ゴブリンに盗まれたと思っていましたが、まさか村長だったとは…」
「困った村長だな」
「ええ。でも、これで村長の座もはく奪でしょ。もう好き勝手にはさせません」
ドグは強い口調で言うと、キュリアスに別れを告げて人の集まりの中に戻っていった。
マデリシアの仕返しは、村長たちの地位を奪うことだったようだ。見事に成功した様子で、村人たちが汚物を見るような視線を、村長たちに向けていた。
一晩でこれだけのことを、マデリシア一人にできるとは思えなかった。とはいえ、キュリアスに答えを導き出せる情報など持ち合わせていない。考えるのを止め、ラルフを促して村の出口へ向かった。
そのうちにマデリシアが現れて、ことの詳細を、勝手に語るだろう。
「あの人たち、どうなるんでしょうね」
ラルフは村長の今後を気にしている様子だった。
キュリアスにとって、村長たちがどうなろうと知ったことではない。今後、ロッツ村がどういう風に変わろうとも、特に関心のあることではなかった。
元々ここへは、ラルフにモンスター退治を経験させるために来たのだから、それ以外は些末なことに過ぎない。
後ろに従うラルフは疲労の色も薄れ、晴れ晴れとした表情で辺りを見渡していた。ラルフも村長たちの今後をそれほど気にしているわけではなかった。
ラルフは経験を積む、という意味で、十分な実りがあったことを、その表情と足取りが示していた。ラルフも、自分の成果が嬉しくて仕方ないのだろう。
しかし、ラルフはまだまだ未熟である。師匠として、次は何を教えるべきかと、キュリアスは思案していた。
師匠になったとはいえ、キュリアスの戦闘スタイルは、ラルフに真似のできるものではない。真面目で責任感の強いラルフには、真っ当な剣技を教える方がいいだろう。
キュリアスのような、体術交じりの剣技はラルフに合わない。ラルフの能力も生かしきれない。
ラルフの能力からすれば、相手に攻撃をさせ、その動きに対応しながら反撃するのが一番合っている。そうなると、キュリアスのような体術の入る余地はないのだ。剣技を極めるだけで、屈指の剣士になれると、キュリアスは考えていた。
キュリアスの剣技は、言ってしまえば、適当だ。このような剣技を教えて、ラルフが技を極められるとは思えない。やはり、真っ当な剣技を使える人物に教わるべきだろう。
誰がいいかと考えた。キュリアスに剣技を教えた人物が頭によぎる。同時に、ナイフの技を教えた人物も浮かんだ。
ナイフ技を教わった人物、サム・ガゼルは、狂人となって野に下っている。つい先日、敵対したばかりで、彼らしくない狂気の宿る眼をしていた。本来の彼であれば、ラルフのような新人の教育を喜んで引き受ける男だが、狂気に落ちた彼では人にものを教えることもできないだろう。
思い浮かんだもう一人、キュリアスの兄のような存在であり、剣の師匠でもあり、そして元冒険者仲間でもある人物が、ラルフを預けるのに最適だと思えた。彼ならば、剣技だけではなく、心身も鍛えてくれるだろう。
ラルフがまともな剣技を扱えるようになれば、多少なりと面白い存在になるのではないかと、キュリアスは期待していた。自分を超えていくとは思わないが、切磋琢磨できるようになれば、張り合いが出ると言うものだ。
なら、やはりあいつに預ける方がいい。キュリアスは自分の考えに間違いないと確信した。
考えがまとまると、次の行き先は決まったも同然だ。一度セインプレイスに戻り、ラルフと相談した後に、ハンデルという町に向かうことになる。
ラルフはまぶしそうに空を見上げていた。
戦闘で、初めは腰が引け、危なっかしかったラルフも、自信に満ちている。初めて獲物を倒した時、震え、尻餅をついた人物とは思えないほど、晴れ晴れとしていた。
生き物の命を奪ったことについては、おそらく、ラルフの胸の内ではくすぶっているだろう。簡単に割り切れるものではないことを、キュリアスは知っていた。
負の感情に飲み込まれそうになることもあるだろう。しかし、冒険者として出会う人々が、ラルフの気持ちを明るい方向へ導いてくれるはずだ。ユード兄弟もそうだ。キュリアスも、もちろん導くつもりでいる。
今、ラルフは笑顔でいる。それで十分だった。彼が悩んだ時に、手助けできるように努めればいい。
ラルフはきっといい剣士になれる。キュリアスは眩しそうにラルフを見つめた。いい剣士になれば、ひょっとすると俺と戦えるんじゃないか、と期待していた。
期待を寄せてはいたが、ラルフが自分を超えるとは考えられなかった。故に、想像できない未来が待ち受けることになる。数年後、ラルフに敗北する日が訪れるのである。
ラルフはキュリアスに勝利し、剣聖と称されるようになるのだが、今はその片鱗すら垣間見えず、ただ、幼さの残る笑顔を浮かべているだけだった。




