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アドベスタ  作者: ばぼびぃ
2/15

金貸しを狙う暗殺者・後編

  7


 天候の悪い日が続いた。一週間の間、雪が降ったり止んだりと繰り返した結果、セインプレイスにとって珍しい、積雪となっていた。

 薄く積もっただけだが、辺り一面が白い世界に塗り替えられた。あらゆるものが白く清められ、日の光を浴びて神々しいほどに光っていた。

 雪のためか、人々の喧騒があまり聞こえない。静寂に包まれている路地も多かった。

 普段なら馬車の行きかう路地も、石畳の積雪の上に、車輪の跡はなかった。道の脇に、人が踏み固めた雪が僅かにあるだけだった。

 にぎやかな路地もある。近所の子供たちが集まり、雪を手にとってはキャッキャと笑っていた。走り回り、転んでしまう子供もいた。雪を丸めて投げ合ったり、雪を踏み固めてその上を滑って遊んだりと、忙しそうに動き回っていた。

 ザック・ケイソンは積雪を見て、

「夕方まで休みます」

 と部屋に引き上げてしまった。

 暇を持て余したキュリアスのもとへ、ラルフが稽古に来たが、彼は彼で膝小僧に転んだあとを残していた。

「まったく…」

 キュリアスは頭を抱えてぼやくと、ラルフに今日の修業は無しだと告げた。

「転ばないようにゆっくり帰れ。で、筋トレとストレッチをやってろ」

「わ、分かりました」

 ラルフは修行をつけてもらえないことに不服そうだったが、それでも素直に従い、足を滑らせながらも来た道を戻っていった。

 暇つぶしの一つを自ら手放した。キュリアスは後悔しつつも、ラルフのためだと自分に言い聞かせた。暖炉の前でダラダラと、軽い筋肉トレーニングをしながら、夕方まで暇な時間を過ごした。

 剣をおもちゃにしたような筋肉トレーニングをしていると、マリアに見咎められ、無言の抗議を受けた。

 夕方になると町を覆っていた雪の大半は融け、元の色合いを取り戻していた。日陰には黒く変色した雪がまだ残っている。

 ザックとキュリアスは残雪を避けて路地を歩いた。この日、同業者の集まりがあるとのことで、その会場となる料亭を目指していた。

 町の北東部にある豪華な料亭に入ると、ザックは奥の座敷へ、キュリアスは入り口近くの部屋へ案内された。

 キュリアスの案内された部屋は、それなりに広いが、多くのただならぬ気配を漂わせた人々がひしめいていた。キュリアス同様、誰かの護衛を務めている冒険者たちだ。中には専属の用心棒稼業もいる。

 線の細い女性も見受けられる。彼女もいっぱしの剣士だ。剣技は腕力だけではないことを、彼女らが体現しているのだ。その自信が、何気なく座って食事する様子からにじみ出ていた。

 場違いに見える少年がいた。ただ、少年も落ち着いた様子で人々に混ざり、食事に手を出していた。ラルフと似た年齢に見えるその少年も、それなりに場数をこなしているのだ。

 キュリアスはその少年に見覚えがあった。部屋に踏み込むと、少年の前に進んだ。

「よう、アレック」

「あれ?エッジ?なんでこんなところに?」

 アレック・ヒューイットはまだ幼さの残る顔を上げ、フォークを宙に漂わせたまま言った。

「俺も用心棒さ」

 キュリアスはそう答えてアレックの前に座ると、アレックの皿から肉をつまんで口に運んだ。

「お、いけるね」

「こんな高級なところ、俺らじゃ来れないもの」

 アレックも同意して、再びフォークを操った。彼は冒険者になってまだ三ヶ月程度の初心者だ。しかし、新人離れした剣技と度胸の持ち主だった。彼の力量に見合う仲間が見つからず、今は一人で活動していた。

「あれから仲間は見つかったか?」

「一人捕まえましたよ。でもそれ以上は…」

「そうか。お前が強すぎるのがいかん」

「それを言われても困ります」

「それにしてもこの料理、うまいな」

 キュリアスは再びアレックの皿から肉を奪った。

「でしょ。だからこの仕事もなかなかやめられなくて」

 アレックはそう言って笑った。

「相変わらず、のん気なやつだ」

「そうですか?これでも少しは考えているんですよ」

「ほう。例えば?」

「お金を貯めて、ライプへ行こうと思っているんです。あそこも冒険者が多いそうじゃないですか」

 アレックは今いるセインプレイスから北西へ一週間ほど行ったところにある古い町の名前を上げた。古都と称されるライプの周りには遺跡が多く、遺跡で一攫千金を狙う冒険者が集まる。

「なるほど。そこで仲間を募るってことだな」

「ですです。仲間がそろえば、エッジのように遺跡だって探せるじゃないですか。ライプの周りは遺跡が多いっていうし」

「あそこで冒険者やろうってやつの気が知れないわ」

 突然、後ろから女性の声がかかった。

「出たな。ライプ恐怖症」

 キュリアスは振り向きもせずに言った。女性がマデリシアであることに気付いている。

「恐怖症じゃなくて、ただ単に嫌いなだけ」

 マデリシアは若草色の髪をさっと振って、キュリアスの隣に座った。

「お二人ともこの仕事をしていたんですか」

「依頼主は別々だ」

「あたしたち、ケンカ中だもん。一緒に仕事なんてできるもんか」

「何時の話だ?」

 キュリアスの問いに、マデリシアが険悪な眼を向けた。

「いつもと変わりませんね」

 アレックはそう言うと、食事を続けた。

「ひどい。みんなひどいわ」

 マデリシアが泣きまねまでしてみせた。

 キュリアスの背後で床を叩く音が響いた。振り向くと、男が睨みつけていた。

「じゃれ合うなら他所でやれ」

 低い声で言い放つと、キュリアスを睨みつけたまま、コップの液体を飲んだ。

「あらぁ?女っ気がなくてひがんでるのかしらぁ?」

 マデリシアが顔の横に手を当てて男を見返した。その手を、キュリアスは引いてマデリシアの向きを変えた。

「ケンカの種をまくな」

 キュリアスはマデリシアにそう告げると、後ろの男に済まなかったと詫びた。

 男はゆっくりとキュリアスから視線を外すことで意思を示した。

「それで、ライプに当てがあるのか?」

 キュリアスはアレックに向き直り、小声で話した。

 マデリシアはキュリアスに掴まれたままの手に視線を落とし、手とキュリアスの顔を交互に見比べていた。手を振り解こうとはせず、掴まれたまま、手を任せていた。

 マデリシアが大人しくなるのなら、それでよかった。キュリアスも手を放そうとはせず、マデリシアの手を握り続けた。

 アレックはちらりと二人の繋がれた手を見た後は、視線にも言葉にも異を唱えたり追及したりすることはなかった。

「当てはないですよ。当座の資金を稼いで行ってみるだけです」

「そうか。行く前に一声かけてくれ」

「もちろん」

 アレックは笑顔で了承した。

 キュリアスは内心、安堵していた。

 アレックは両親を亡くしている。母親は病死だが、父親は殺された。

 アレックの父親はとある貴族のために情報収集活動を行っていた。その貴族と敵対する貴族からアレックの父親を暗殺する依頼が出され、キュリアスが手を下したのだった。

 その当時、年端も行かなかったアレックは、今や冒険者である。キュリアスはアレックに申し訳ないと思うと同時に、アレックの成長ぶりに喜んでもいた。

 セインプレイスは聖地であると同時に、陰謀が日常茶飯事に起こっている。陰謀の町と揶揄されるほどだ。アレックの父親は、その陰謀の片棒を担ぎ、陰謀の中に死んだ。ただそれだけのはずだった。

 数年の歳月を経て、冒険者デビューを果たしたアレックを、キュリアスは驚きをもって迎えた。キュリアスは仕事上、相手の家族を一方的に知っていただけで、アレックの方はキュリアスのことをまるで知らなかった。

 アレックは父親が暗殺された事実を知らない。当然、仇がキュリアスだということも知らなかった。

 キュリアスは気付いた。ために、アレックに対して引け目を感じていた。だからこそ、アレックが困難に陥った場合は、できるだけの手助けをしたいと考えていた。

 ただ、助けは必要ないほどに、アレックは剣の技量を有していた。ジャック・クリント・ヤングが勝負を挑むほどの力量である。

 マデリシアがキュリアスの手を握り返した。彼女は薄々、キュリアスの内情を察知しているのだ。キュリアスはそっとマデリシアを見返した。おかげで表情が和らいだ。本人が思うほどの変化はなかったので、アレックは気付いていない。

「何ならあたしが用立ててあげようか?」

「それには及びません。できるだけ自分で何とかしたいので」

「そう。困ったら言いなさいよ」

「ありがとうございます」

 青を基調とした服に身を包んだ給仕の娘が入ってきた。キュリアスとマデリシアの前に、料理と飲み物を置く。

 娘が仕事を終えて戻っていくと、マデリシアが話題を提供した。

「青い服で思い出したんだけど、皆が暗殺者の情報を集めていたわ」

「みんな?」

 キュリアスは聞き返した。

「そう。冒険者の宿で」

 キュリアスもアレックも納得して頷いた。

「えっと、全身青尽くめの暗殺者…。青い…イカリ?なんかそんなのいたわ。後、なんだっけ?カレー?」

「なんだそりゃ」

「それって、青い稲妻とカラーじゃないですか?」

「そうそれ!」

「あれでなぜ分かる…。アレック」

「青い稲妻とカラー!」

 マデリシアが大きな声で言った。

 また後ろから怒りの声が上がると思いきや、周りの人々が興味津々に聞き耳を立てていた。背後の男も黙っていた。

「最近噂になってる暗殺者だって。情報集めてランク付けするって言ってたわ」

「青い稲妻は確か、全身青尽くめの剣士だったと思います」

「あら、アレック。詳しいのね」

「最近用心棒仕事が多かったですから」

「全身青尽くめねぇ」

 キュリアスは考え込むように言った。

「ご存じですか?」

「いや、この前蹴飛ばしたやつかなっと」

「え?」

「暗闇で、俺は相手を見てない。襲われた奴が全身青尽くめの剣士だったと言っていたからな」

「蹴とばした?」

 マデリシアは呆れたと言わんばかりに声を上げた。

「蹴とばしたな」

「その人、強かったですか?」

 アレックが尋ねると、周りが静まり返った。周りの人々も興味がある様子だ。自分の力量で対処できるかを確認したいのだ。

「おそらく、たいしたことはない。何せ、俺の蹴り一発で気絶していたからな」

 周りに音が戻った。

「それで、カラーはどんなの?」

 マデリシアが身を乗り出して、アレックに尋ねた。

「カラーは素手による格闘術の使い手で、確か、派手な衣装が特徴だったと」

「派手な衣装ってどんなの?黄色いズボンで赤い上着、白い頭巾とか?」

「また具体的だな」

「色合いが派手ですね。多分、そんな感じかと」

「合ってるのかよ」

「どこかで遭遇しました?」

「遭遇したかも」

 マデリシアが呟くと、再び部屋は静まり返った。

「どうでした?」

 アレックが代表して尋ねた。

「どうって、よく覚えてないのよ。だいぶ酔ってたし」

 落胆のため息が響いた。

「たぶん、あたしの声で吹き飛ばしたと思うのよね」

 落胆は声に変わり、当てにならんなどと聞こえた。

「参考になりませんよ…」

 ラルフは皆の落胆を代表して抗議した。

「知らないわよ。あたしは叫びたかったの。それだけ」

 悪びれもせず、マデリシアは言い放つのだった。

「それ、本当に暗殺者だったんですか?」

 アレックの問いに、キュリアスとマデリシアがそろって、さあと答えた。

「ただ、素人でもなかったな」

 キュリアスはそう一言添えた。

「ここにいるってことは金貸しの護衛ですよね。金を借りた人がわざわざ暗殺者なんて雇わないでしょ」

 アレックは否定的だった。

「一理あるな。雇えるくらいなら返せば済む」

 キュリアスの脳裏にも、その疑問はあった。金のもつれではないのならば、何が原因でザックが命を狙われているのか、皆目見当がつかなかった。

「資金提供者ともめてるとか?」

 マデリシアは予測を言った。

「ほら、人のお金を預かって運用してたりもするでしょ」

「でも、暗殺者は、ねぇ」

 アレックはやはり納得いかない様子で、通り魔だとか腕に覚えのある人に金を貸して、襲われたのではないかなどと推測を並べていった。

 キュリアスは黙って聞いていたものの、自分の感じた印象に間違いはないと確信していた。暗闇の、それも一瞬の対峙だったが、相手の放っていた殺気は尋常ならざるものだ。相手を獲物としか思っていない。躊躇も見られなかった。

 腕は二流でも、それなりに仕事に慣れた相手であることは理解できた。人を殺すことになれた職業と言えば、暗殺者くらいだ。

 盗賊などの類ではない。盗賊は単独で行動しない。必ず複数だ。見張り、襲う役、ターゲットの逃走路をふさぐ役などなど、人数をそろえなければ、不発で終わってしまうからだ。

 ザックを襲った相手は単独だった。深夜の人通りのない路地を狙っている。闇に乗じて襲い、始末して闇に消える。相手を殺すことに慣れており、キュリアスから見て二流とはいえ、それなりの腕を有した襲撃者。暗殺者以外の何者でもなかった。

 それとは別に、キュリアスには暗殺者のにおいとでもいうのか、気配というのか、そういう類のものを感じとっていた。あの襲撃者は間違いなく、暗殺者なのである。

「あれが暗殺者なら、また襲ってくるな」

 キュリアスは自分の考えを断定的に告げるのではなく、一度あることは二度あることをほのめかした。だが、心配しているわけでもなかった。

「もっとましなのをよこして欲しいぜ」

「青い稲妻は動きが早い。間合いに気をつけろ」

 後ろから低い声がかかった。先ほど床を殴った男が、どういう風の吹きまわしか、暗殺者の情報を語った。

 マデリシアはすかさず、どこから取り出したのか、メモ帳にせっせと書き込んでいた。

「お前、その情報を売りに行く気だな」

 キュリアスの問いに、当然と答えるマデリシアだった。

「ま、お前のところにはまたカラーとやらが行くんだろうし、せいぜい予習しておくこった」

「え、そうなの?ねね、カラーの戦い方は?」

 マデリシアが後ろの男に詰め寄った。男はマデリシアをひと睨みしたものの、拒否することも声を荒げることもなく、情報を開示した。

「手や足を使った格闘術だ。右手に気合をためて敵を粉砕するらしい」

「詳しいなお前」

 マデリシアがメモを取る横から、キュリアスは言った。

「たまたまだ」

「情報ありがとね」

 マデリシアが気さくに礼を述べた。男は手を振って答えると、コップの中身を飲み干した。

 周りで聞き耳を立てていた人々も、男に向かって頭を下げたり、手にしたコップをささげたりしていた。

 キュリアスも男に目礼をして、アレックに向き直った。

「ところで、アレックは誰に雇われているんだ?」

「俺ですか?フランシス・バーグさんです」

「ほう。知らんな」

「あたしも知らなーい」

「この会合の主催者ですよ。金貸し業の組合みたいなものを作って取り仕切ってます」

「おやおや。大物の護衛ですか。豪儀ですな」

 マデリシアはからかうように言った。

「エッジは?」

 アレックはマデリシアの言葉を受け流して、キュリアスに尋ねた。

「俺はザック・ケイソンだ」

「小柄な中年ですよね?その人、時々バーグさんのところに来てました」

「あら?そんなところに雇われてるのね。あばずれの娘がいらっしゃるとか。まさかエッジもたぶらかされてないでしょうね」

「何を馬鹿なことを。どこからそんなことを聞いた?」

「あたしの雇い主。アーノルド・シュレイダーよ」

「大柄な、物腰の柔らかい人ですね。その人もバーグさんのところによく出入りしてますよ」

「そいつがマリアのことをあばずれだと言ったのか?」

 キュリアスは問い詰めた。マリアのことをけなされ、頭に血が上っていた。それでもマデリシアにあたらないだけの冷静さは残っていた。

「そうよ」

「よし、俺がぶった斬る」

「よしなさいな」

 キュリアスが立ち上がるのを、マデリシアは腕をとって引き止めた。余計なことを言ったと後悔している顔だった。キュリアスにかかれば、雇い主を守ることなど不可能だ。マデリシアは何としてもキュリアスを引き止めなければならなかった。

「あんないい子をあばずれ呼ばわりする奴は、俺が成敗してやる」

「じゃあ、あたしから斬らないといけないわよ」

 マデリシアの機転の利いた返しだった。キュリアスはマデリシアを睨んだ。マデリシアも動じることなく、キュリアスを見上げていた。

「シュレイダーのところは女遊びが趣味の放蕩息子がいるな」

「あばずれに放蕩か。どっちもどっちだ」

 周りから話声が聞こえ、笑いが沸き起こった。

「おい今のやつ、どいつだ?素直に出て来ねぇと、全員ぶった斬るぜ」

「いいえ。あたしが全員、吹き飛ばしてやるわ」

 マデリシアまで立ち上がり、物騒なことを言い始めた。

 エッジとバンシーの名で知られる二人のことを、知らない者はいない。キュリアスは冗談ではなく、この場を斬り裂けるだろうし、マデリシアが叫べば、辺り一帯吹き飛ばされると、皆が気付いて青ざめた様子だった。場が静まり返り、固唾を飲んだ。中には身構える者もいたが、腰が引けていた。

「ちょっと、よしてください」

 アレックが慌てて二人の前に立ちふさがった。三人が睨み合う。

「同業者が失礼を申した。俺が詫びる。収めてくんな」

 キュリアスの後ろにいた男が、低い声で言った。キュリアスは男を見ると、肩から力を抜き、座り込んだ。マデリシアもキュリアスを見習って、腰を下ろした。

「なんで収めるのよ」

 マデリシアは不満が残っている様子で、小声でキュリアスに抗議した。

「情報をもらった恩を仇で返すつもりか?」

 キュリアスがそう言うと、マデリシアはふてくされたように、自分に用意された料理にかぶりついた。

「知り合いだったんですか?」

 アレックは自分の席に戻り、座りながら尋ねた。キュリアスがあっさり矛先を収めたことを訝っているのだ。

「いいや」

 キュリアスは短く答えると、食事にかかった。

 後ろの男は用心棒仲間の間で人望があるのかもしれない。場が収まると、回りのヒソヒソ声は聞こえなくなった。あるいはキュリアスやマデリシアの噂に怖気づいたのかもしれない。周りの人々はキュリアスたちの機嫌を損ねるような噂話を口にしなくなった。妙におとなしくなって飲み食いしていた。



  8


 部屋に男が飛び込んできた。男は部屋を見渡しながら、ザック・ケイソンとアーノルド・シュレイダーの雇われは誰だと呼ばわった。その声に、人々が顔を上げ、何事かと男を眺めた。そしてキュリアスとマデリシアに顔を向ける。

 キュリアスとマデリシアがフォークとコップを掲げて答えると、男は急いできてくれと訴えた。

 キュリアスとマデリシアは顔を見合わせると、それぞれ肉を頬張って立ち上がった。冒険者稼業ではなかなか入ることのできない高級料亭の肉料理だ。逃す手はなかった。二人は口の中で肉の味をかみしめながら、呼びに来た男の後に続いた。

 男に案内されて奥の大部屋に通されると、中は騒然としていた。冒険者とは違い、身綺麗な格好をした人々が各々立ち上がり、騒動の中心を取り囲んでいた。囲いの中心にザック・ケイソンとアーノルド・シュレイダーの姿があった。

 二人は今にも掴みかからんばかりに身体をぶつけ合い、激しく言い合っていた。主に小柄なザックがぶつかりに行き、大柄なアーノルドが受け止めている。

「貧民が欲をかいて貴族に手を出すからこんなことになるんだ!それも自分だけ債権回収しようなどと姑息な手を打って!」

 アーノルドが叫んだ。

「マシューはもう首が回らなかったんだ!それを貴様、人にすがられて気持ちいいのかホイホイ貸しやがって!だから心中しちまったじゃないか!」

 ザックも言い返す。だが、内容はかみ合っていない。互いに別件で相手を非難しているだけだ。一致しているのは、顔色だけだ。二人とも赤い顔をして叫んでいる。

 額から後頭部にかけて禿げ上がった老人が二人の傍に立ち、止めさせようとしているのだが、体格差の大きい二人は身体をぶつけ合い、声を張り上げて争い、止まらなかった。

 体格的に、ザックの方が明らかに不利である。にもかかわらず、二人が拮抗してせめぎ合っているのは、身体をぶつけるのが主にザックだからであった。

 アーノルドがザックを一押しすれば、それでザックの動きは封じられる。だが、はずみで相手にケガをさせては、何を言われるか、何を要求されるか、分かったものではない。だからこそ、アーノルドは身体を武器にせず、言葉で責め続けていた。

 一方のザックは頭に血が上り過ぎ、アーノルドほど冷静ではなかった。怒りに任せてアーノルドの巨体に身体をぶつけ、彼の所業を非難した。冷静でないだけに、アーノルドの言葉に含まれる不可解な部分に気付きもしなかった。

 ザックは夜逃げした貴族から債権を回収していない。冷静であれば、事実無根だと反論しただろうが、頭に血が上っており、アーノルドの主張に疑問を挟む余裕もなかった。

 たとえ冷静であったとしても、アーノルドの方には家財道具を持ち出した男の証言がある。ザックが無実を証明することはできなかっただろう。反論できず、窮地に陥ることになる。頭に血が上り、疑問に思わなかったことが、ザックにとっては救いだった。

 二人の言い合いは商売上のことから、次第に家族に及んでいった。

「貴様の息子は女たらしの遊び人だ!」

「貴様の娘はあばずれだ!」

「どこにその証拠がある!」

「言いがかりはよしてもらおう!」

「ルーベンスをたぶらかすのは止めてもらおう!」

「それはこっちのセリフだ!娘に手を出させるんじゃない!」

 ルーベンスと言うのはきっとアーノルドの息子だなと、キュリアスは冷静に納得をしていた。

「ちょっと!見てないであの二人を止めてください!」

 キュリアスたちを案内してきた男が、案内してきた目的を、懇願という形で告げた。

 キュリアスとマデリシアは互いに顔を見合わせると、

「やれやれ」

「世話が焼けるわね」

 などと言いながら、騒動の中心へ向かった。

「だいたい、貴様のドラ息子はバーグさんの孫娘まで襲ったそうじゃないか!」

「そ、それは何かの誤解だ!ルーベンスがそんなことするはずはない!」

「事実だ!そうでしょ!バーグさん」

「誤解です!バーグさん!」

 ザックとアーノルドが傍に立つ老人を見た。

 老人は二人の問いに答えず、とにかく争いを止めよと言った。

 だが、ザックもアーノルドも、収まりがつかなくなっている。

 再び言い合いを続け、最後には、

「死ねばいいんだ!」

「殺してやる!」

 とまで言い合った。

 キュリアスはマデリシアに頼んで争いを収めようとしていた。マデリシアが止めろと言えば、それで収まる。はずだった。だが、その必要はなく、ザックもアーノルドも急に静かになった。

 二人は身体を放し、何かを納得したように、互いを睨み合った。

「やっぱりそうか」

「お前の差し金だな」

 二人が思わせぶりに言う。

「暗殺者を雇って俺を殺そうったってそうはいくか!」

「何を馬鹿なことを。自作自演は止めてもらおう!そもそも暗殺者を雇っているのは貴様の方ではないか!ああ、そうか。魂胆が読めたぞ!私を殺した後、あばずれを使って我が家を乗っ取るつもりか!」

 二人が罵詈雑言をわめき散らし、もはや乱闘は目の前となっていた。

「マディ。やってくれ」

 キュリアスは力ずくで二人を止めてもよかったが、一番効果的な方法をとることにした。

「止めなさい!」

 マデリシアが一喝すると、辺りが一瞬で静かになった。次の瞬間、あちこちで何かが割れる音が響いた。マデリシアの声に制止させられ、運んでいた物を落とす給仕たちが続出していたのだ。

「あ、ごめん」

 マデリシアが舌を出して詫びた。が、詫びるべき相手は近くにいない。

 キュリアスはお構いなしにザックへ近づくと、首根っこを捕まえて持ち上げた。ザックはいまにも殴り掛かりそうな姿勢のままかたまっている。

「マディ。そっちは任せる」

 キュリアスはそう言い置くと、さっさと雇い主を連れ出した。

 キュリアスは雪の残った夜道を歩いた。ザックがキュリアスの肩の上で騒いでいるが、無視し続け、自分の考えに没頭していた。

 ザックを狙う暗殺者、そしてその依頼主を何とかしない限り、ザックの護衛は終わらない。キュリアスとしては、それほど長くこの仕事を続けるつもりがないので、解決の糸口をつかまなければならなかった。

 解決のヒントが、ザックとアーノルドの言い争いの中になかったかと、可能性を洗い出した。

 アーノルドが二人の暗殺者を雇い、自分とザックを襲った。そう考えて、すぐに否定した。アーノルドはマデリシアに出会わなければ、死んでいたはずだ。死んでしまえば自作自演にもならない。

 同じことがザックにも言えた。自分の護衛まで殺し、危機に瀕するような真似はしない。そもそも、キュリアスはあの場に偶然居合わせたに過ぎない。キュリアスが駆けつけなければ、ザックは死んでいたのだ。

 二人が別々に暗殺者を雇い、相手を殺すように依頼したのならば、あり得る。二人とも暗殺者を雇えるだけの金を有し、互いに殺したいと思っているようだ。

 ザックは娘を守りたい一心も加わる。

 アーノルドも息子を守る一心があるだろう。

 だからといって暗殺者を使うかと言うと疑問が残るものの、二人とも動機があった。

 このことに関しては、ザックが落ち着くのを待って、本人に問い質さなければならない。暗殺者の雇い主を突き止め、依頼を撤回させるのが、手っ取り早い。今回の護衛任務を終わらせるには、必要な処置である。

 他にも可能性はあった。

 別の誰かが、二人を同時に、あるいは別々に殺そうとしている可能性だ。この可能性に関しては、めぼしい相手が見つかっていない。確認するには、次に襲われるのを待ち、暗殺者を捕まえて吐かせるしかない。

 だが、暗殺者は依頼主を明かさない。捕まえても意味がないだろう。

 キュリアスには別の手段もあるが、どちらにしろ、しばらく様子を見るしかなかった。何もせずに様子を見るのではない。先のことを見越すと、自分の能力を最大限利用しなければならないと分かっている。そのためには、酒を断つしかない。釈然としないものがあるが、やるしかなかった。


 マデリシアはキュリアスのように、雇い主を担いで帰るわけにはいかなかった。アーノルドの巨体はさすがに持ち上がらない。

 マデリシアはアーノルドの耳元で、家へ帰りましょうとささやいた。この一言で、アーノルドを操って、自分の足で帰宅させた。

 アーノルドの自宅にたどり着くと、アーノルドの息子、ルーベンスが出かけようとしていたので、マデリシアはとある場所への言付けを頼んだ。

 マデリシアの呪縛から解放され、アーノルドが再び悪態をつき始めた。ルーベンスは自分にとばっちりが飛んでこないように逃げだし、雪の残る夜道へ消えて行った。

 夜分にもかかわらず、玄関をノックする音が響いた。ルーベンスが出て一時間ほど経った頃だった。

 マデリシアはルーベンスに頼んだ言伝がもう伝わったのかと玄関に出て、客の姿を確認した。

 アーノルドの妻が対応している相手は老人だった。明らかにマデリシアの客ではない。

 アーノルドの妻は寒いので中でお待ちくださいと、客を招き入れた後、奥の書斎へ亭主を呼びに行った。

 マデリシアは階段の手すりに身を寄せ、そっと見守った。

 客の老人に見覚えがあった。額から後頭部にかけて、頭皮が光っていた。耳の上に白髪が残っている。老人と見ていたが、眼光が異様に鋭い。まだまだ精力的に活動しているのだろう。身なりは良く、毛皮のコートに身を包んでいた。

 書斎から出ていたアーノルドは頭を下げながら老人の前へ進んだ。

 アーノルドが寒いので暖炉のある部屋へと誘ったが、老人はすぐに用は済むと辞退した。

「バーグさん。先ほどは見苦しい所を」

 アーノルドがそう言って詫びた。

「いや、かまわんよ。それよりも、わしが紹介したばかりに、災難に遭わせてしまった。すまないことをした」

「いえいえ。滅相もありません」

「それにしてもザックが夜逃げした貴族の家財一式を売って一人だけ回収したというのは事実なのかね?あらぬ疑いではないのかね?」

「家財を持ち出していた運び屋から聞きました。間違いありません」

「ザックがそのような真似を…」

「奴も金の亡者になった…いや、本性を現したということですよ。バーグさんのもとで働いていたころのような実直さは偽りだったのですよ」

「信じがたい話だが、証拠があるのだな?」

「はい、そうです」

「分った。その件はわしから直接問い質そう」

「そうしていただけると助かります。奴もさすがにあなたの言うことなら聞くでしょう」

「組合の取り決めで貸し付けた額の割合によって回収金を分配すると決めてある。ザックに思い出させるとしよう」

「はい。よろしくお願いします」

「ところで、資金の方は問題ないかね?今回の件はどちらにしろ、わしにも責任の一端がある。必要ならば用立てるが」

「そんな、お気遣いなく。私どもは貯えがありますので問題ありません」

 アーノルドが恐縮した様子で頭を下げた。

「お気遣い痛み入ります。今夜お越しになったのはそのためですか?」

「それもある」

 老人が含みのある答えを返した。

 アーノルドにはすぐに理解したようで、礼の件ですかと、幾分声のトーンを落として言った。

「あれは…。申し訳ありませんが、賛同しかねます」

「どうしてもか?」

「はい」

「ザックと同じ意見だというのだな」

 老人の言葉に、アーノルドが言葉を詰まらせた。老人の顔を見つめた後、それでも、意見は変わらないと告げた。

「それは残念だ。お前たちが協力してくれることを期待しておったのだが」

「申し訳ありません」

「いや、詫びる必要はない」

 老人が笑顔を見せた。だが、様子を眺めていたマデリシアはその笑顔に違和感を覚えた。老人の目が笑っていない。快くは思っていないのか、あるいは何か他に思惑があり、アーノルドを鋭く観察しているのかもしれない。

「それと…」

 アーノルドが何かを言いかけて言い淀んだ。表情を曇らせ、一度床を睨んだ後、顔を上げた。絞り出すように、お孫さんの件ですがと言い、その後は勢いづいたようにまくしたてた。

「ルーベンスは決してそのようなことをする子ではありません。きっと何かの誤解があるはずです。どうか、お孫さんに会わせていただけませんか?誤解を解いてごらんに入れます」

 老人の顔から笑みが消え、深いしわが影を落とすように刻み込まれた。

「アーノルド」

 老人の声は落ち着いていたが、アーノルドを黙らせるには十分な気迫がこもっていた。

「申し訳ありません」

 アーノルドが慌てて頭を下げた。低く下げられたそのうなじを、老人が険しい表情で睨みつけていた。

 何かを言うのか、あるいは手を振り上げるのかと、マデリシアが見守っていると、唐突に玄関が開き、痩せて背筋の曲がった中年男が姿を現した。

 老人は険しい表情のまま振り向くと、何も言わずに痩せた男を脇にどかせて出て行った。

「だ、誰だね」

 アーノルドが顔を上げると、そこに見たことのない痩せた男がいるので、戸惑っていた。

 マデリシアは手すりを飛び越えるとアーノルドと男の間に割り込んだ。

「あたしの客なの。ちょっとの間、ここを借りてもいい?」

 マデリシアは尋ねるように言いながらも、有無を言わせず、アーノルドを奥へ押しやった。アーノルドが怪訝そうに振り向きながら書斎に戻ったのを確認してから、マデリシアは痩せた男に向き直った。

「何が必要で?」

 男は不愛想に言った。

 マデリシアが金の入った袋を渡すと、男は中身を確認し、重さを手で量った。

「暗殺者でカラーとか青い稲妻っているでしょ。その雇い主を教えて」

「冗談でしょ」

「本気」

「この額で?」

「片方だけでもいいわ」

「どちらにしても足りやせんや」

「えー。結構な額入ってるわよ」

「出張料が発生しますんで」

「なにそれ」

「それに、そんな情報、もとよりこんなはした金で買えるもんでもありやせんや」

「ケチ」

 マデリシアの不満に、男は全く動じなかった。無造作に金を懐に押し込む。

「何も答えずに金だけとるなんてことしたら、ただじゃ済まさないわよ」

「額に見合うこと尋ねてくだせぇ。何なら、カラーと青い稲妻の情報を買うかい?」

「いらないわ。あんな雑魚」

 マデリシアは即座に答え、考え込んだ。男が情報を売ろうとしたということは、マデリシアが入手したカラーや青い稲妻の情報に値段はつかない。すでに男は知っている情報だと分かった。

 さすがは情報ギルドの情報屋だと感心し、同時に、自分の得た情報に価値がないと分かって落胆していた。

 情報に値段をつけてやりとりするギルドがある。情報ギルドという安直な名前の組織だ。マデリシアの目の前にいる痩せた男はそのギルドの情報販売を専門とする人員だ。

 この男の頭には、暗殺者の雇い主や暗殺者を抱えている闇業者の情報が入っているに違いない。情報に見合う金額を支払えば、この男はすぐに語るだろう。だが、渡した金額の数十倍は必要になる。

 あわよくばと、マデリシアは質問したのだが、やはり無駄だった。

 これ以上の追加は収入に見合わなくなる。別の方法、または質問を考えなければならなかった。

 マデリシアの声の力を使って聞き出すことは可能だ。だが、それをやってしまうとマデリシアの信用は地に落ち、二度と情報を買えなくなる。それどころか、情報ギルドから刺客を放たれ、命を狙われることになる。昔、別の町で、似たようなことをやらかし、酷い目に遭ったことは記憶に残っていた。

 何か別のことをと考えた。浮かんできたのは、アーノルドが罵っていたザックについてだ。だが、ザック・ケイソンについては、キュリアスに聞けば、お金は必要ない。

 アーノルドの息子、ルーベンスが何か問題を起こしているらしい。その情報を得る。いえ、その必要はないわねと、即座に自分で否定していた。必要ならば、ルーベンス本人から聞き出せばいい。

 先ほど、アーノルドがルーベンスのことを言った時の、フランシス・バーグの鋭い眼光。あれは異様な光だった。アーノルドは怒りに燃える目と受け取ったのだろう。だが、マデリシアには、異質なものに思えた。

 金貸し業の会合の席でも、あの老人は鋭い眼つきでアーノルドとザックを見ていた。そのことに、マデリシアは気付いていた。だから情報屋を呼ぶ気になったのだった。

 あの老人の動向、考えを知っておいた方がいいのかもしれない。情報屋を呼び出したのは、元々そのつもりだったのだ。欲目に違う質問をしたばかりに、もっといい質問があるのではないかと迷ってしまった。が、他に思い付く事柄はなかった。

「じゃあ、さっきの老人の情報を全部教えて」

 マデリシアが言うと、男はマデリシアに近付き、耳打ちした。


 フランシス・バーグはザックの家へ向かうとだけ言い、不機嫌そうに夜道を歩いた。護衛のアレック・ヒューイットはフランシスの後ろについて歩いた。フランシスの隣に中年の使用人が並んで歩いており、ランタンを掲げて道を照らし出していた。

 使用人は震えているのか、ランタンの明かりが小刻みに揺れていた。歩み以外の小刻みな揺れだ。

 揺れる明かりに照らし出された往来に雪はなかった。北側の壁沿いに、黒ずんだ雪がわずかに残っている程度だ。

 冷え込みの激しい夜分に出歩く人はおらず、誰ともすれ違わなかった。たまに、遠くの方でランタンらしき明かりが急いで通り過ぎる程度だった。

 フランシスは厚手のコートで体温を守っていた。後ろを歩くアレックは有事に素早く動けるよう、手をポケットに入れ、身体に触れて温めていた。凍えた指では剣もまともに握れない。何かに襲われた時、仕事を果たせない護衛ほど、無意味なものはない。

 いくつかの通りを渡った。人通りのない街道も渡った。多くの通りを横切っても、誰一人としてすれ違わない。雪はだいぶ融けたものの、寒い夜ともなれば、皆暖炉の前から離れたくないのだ。震えている使用人も、早く帰宅して暖炉で暖まりたいと考えているのだろう。

 唐突にフランシスが立ち止まった。アレックはフランシスの視線を追うと、そこに若い男女の姿を見出した。路地の暗がりに隠れるようにして寄り添っている。

「あれはルーベンス・シュレイダーか…。噂通りの女たらしではないか」

 フランシスが吐き捨てるように言った。その言葉を念頭に、アレックはもう一度若い男女を見た。

「相手は…あれは…ザックの娘…?ほう…」

 フランシスは一人で何かを納得するように頷いた。そして何も見なかったかのように歩きだした。

 アレックはフランシスの後を追いながら、自分よりは若干年上に見える男女をもう一度見つめた。二人の距離が近い。親密な仲であることが容易に想像できた。

 フランシスは早い足取りでザックの家へたどり着くと、使用人と護衛を外に待たせたまま、中へと消えた。

 アレックが足を小刻みに踏み鳴らして身体を温めていると、先ほど見かけた若い女性が小走りにやってきた。女性はアレックたちの目前の家に入ろうとして、足を止めた。

「あの、誰かのお付き添いですか?雪が残って寒いですよ。中でお待ちください」

 女性はそう言って玄関を開け、身体を引いて道を開けた。

「ありがとう」

 アレックが礼を言って中に入ろうとしたところに、フランシスが奥から出てきた。あまりの早い戻りに、アレックと使用人は暖を取る暇すらなかった。

 そのまま帰るのかと思うと、違っていた。フランシスは戸締りのされた商店街に入り、一軒の武具店の戸を叩いた。店の看板にはカウェ・カネム武具店とあった。

 フランシスが執拗に戸を叩いていると中で物音がし、使用人らしき男が戸を開けた。フランシスがその男に何かを耳打ちすると、ここでも彼だけ中に通され、アレックと使用人は冷え込みが激しい外に取り残され、震え続けた。

 長い時間待たされ、フランシスが帰宅するころには深夜に差し掛かっていた。

 アレックはキュリアスやマデリシアと違い、通いで雇われている。仕事から解放されても、宿に戻らなければ休めない。

 寒さに嫌気がさしていたところへダメ押しをするように、明日は朝一で外に出るとフランシスに告げられ、アレックはげんなりしながら、寒い夜道を宿へ向かった。



  9


 数日が過ぎても、特に何事も起こらず、平穏な日々が続いていた。

 町を覆っていた雪は消え去り、冬とは思えない温かい日差しが降り注いでいた。時折吹き付ける冷たい風がなければ、春を迎えたのかと思える日差しである。

 暖かくなると通りに人の姿が増えた。アーノルド・シュレイダー宅の台所の窓から見える通りにも、近所の人が行き交っているのが見えた。

 マデリシアは窓の傍に立ち、鼻歌交じりに、テンポよく調理に精を出していた。時には歌声と思しき声が上がる。近くで手伝っているシュレイダー夫人の耳にも歌詞が聞き取れないほど小さな声なのだが、耳に残る心地よい音程に誘われ、夫人もウキウキと助手を務めていた。

 手際よく調理していくマデリシアの姿を目撃すれば、大抵の人が驚くだろう。特に冒険者仲間は間違いなく、二度見して驚きの声を上げることになる。歌がうまいことは知れ渡っているが、普段の姿は、がさつにエールをあおるだけなのだ。

「そういえば指先は器用だったな。形ばかりいいものにできても、味はしれたものじゃないだろう」

 中にはそう言う冒険者仲間もいるに違いなかった。実は、その読みはあながち間違っていなかった。数年前までのマデリシアは料理をしたことがなかったのだ。そのころは料理しても、味はたかが知れていた。

 町に滞在する間はどこかで頼めば食にありつける。野営の時はとにかく焼いて香辛料をかければ食べられる。マデリシアはその程度の考えだった。

 マデリシアに意識改革をもたらし、料理の腕を授けたのはローザという女性だ。ローザは数ヶ月前までマデリシアと行動をした仲間だった。仲間と旅をする間に、ローザから料理の手ほどきを受けた。

 森の中で獲物を狩って、肉を焼くにしても、ローザのやり方だと味まで違った。手間が余分にかかるとはいえ、味のいい方が食事をより楽しめる。それに、キュリアスがうまいと言ってくれた時、嬉しかったものだ。

 調理すること自体も、指先の器用なマデリシアには苦にならず、キュリアスの喜ぶ顔を思い浮かべると、作る過程も楽しくて仕方なかった。このことに気付けたのも、ローザのおかげと言えた。

 急ぎの旅でない限り、野営の夜は時間を持て余し気味だ。楽しく調理し、美味しく食べれば、退屈な野営にも時間の有効活用ができるというものだ。そして誰も損しない活用方法だった。

「好きな人に美味しいって言わせたいもの」

 マデリシアがローザに、なぜ料理に手間をかけるのかと尋ねた時に、返ってきた言葉だ。マデリシアは驚いて、後ろにいる男三人を見たものだ。キュリアス、ジャック、マルスは女性陣の視線に気づかず、雑談していた。

 マデリシアはその後から、ローザに料理の手ほどきを受けるようになった。

 当然、初めの内はマデリシアの料理に美味しいとの声は上がらなかった。だが、器用で要領のいいマデリシアのことだ。瞬く間に腕を上げ、仲間からうまいと言わせてみせた。その言葉は、マデリシアに思っていた以上の喜びをもたらした。

 ローザたちと共に旅した期間は二年ほどだ。マデリシアはその間に料理の手ほどきを受け、ローザ直伝の煮込み料理などを習得した。直伝と言っても、たいそうなものではない。何の変哲もない煮込み料理で、調理の基本中の基本である。

 ローザはいつも、具材はその時々で手に入ったものを使った。調味料も具材に合わせて調整した。その微妙なさじ加減をしっかりと仕込まれたのだ。

 アーノルドの台所には野菜類が豊富にあり、肉まで使っていいと夫人が言ってくれたので、マデリシアは貴重な牛肉を一口サイズに切り分け、焼いて下ごしらえした。野菜も食べやすいサイズで切り分けると鍋で煮込み、調味料を加えていった。最後に焼いた肉を投入して煮込めば完成だ。

 いたって簡単な料理である。それでもアーノルドはいたく感心していた。

「いやー。マデリシアさんがこのように家庭的な方だったとは思いもしませんでした」

 アーノルドはマデリシアの背中を眩しそうに眺めながら言った。

「いっそのこと、うちの娘になりませんか?」

「あなた!何を言い出すの!」

 マデリシアの横で使い終わった調理道具を洗い、片づけていた夫人が声を荒げた。マデリシアにはごめんなさいねと頭を下げた。

 アーノルドは夫人の抗議に耳を傾けなかった。

「ルーベンスをどう思います?親の私が言うのもなんですが、男前でしょう?」

「父さん!僕は…」

 近くにいたルーベンスが慌てて駆け込んできたが、アーノルドは手を上げて制した。

 マデリシアは鍋を火から離して台の上に置くと、ルーベンスに顔だけ向けて眺めた。

 父親と比べると、ルーベンスは華奢な身体つきだ。色白で、父親譲りの鼻筋をしている。年齢は二十歳だったはずだ。健康的な肌艶をしている。

 マデリシアの身近な男と言えば、キュリアスくらいだ。ついついキュリアスと見比べてしまう。

 肉付きは明らかにキュリアスが勝っている。日焼けして健康的だ。顔は少々厳つく、この点はルーベンスに軍配が上がった。だが、何より、ルーベンスでは頼りない。

 ルーベンスに、マデリシアが抱える問題に対処する力量がないことは明らかだ。キュリアスでなければ対処できない。マデリシアには外すことのできない基準だった。

「却下」

 マデリシアは一言で切り捨てた。

 ルーベンスはホッと溜息を洩らしたものの、表情は曇っていた。ルーベンスには想いの人がいるに違いないとマデリシアは見た。同時に、却下と言われて複雑な思いだと見抜いていた。

 アーノルドは納得できない様子だが、夫人が先を見越してアーノルドを台所から追い出してしまった。

 食事の時も、アーノルドが再三言いかけるのを、夫人が、

「パンが手に入らなくて」

 とか、

「今日は暖かい一日でしたね」

 などと話題を振って遮った。

「とても美味しい料理でしたわ。マデリシアさんはどこで料理を?」

 片づけをしながら、夫人が尋ねた。

「旅の合間に。仲間に料理のうまい人がいて、彼女に教わったの」

「あなたたち冒険者の料理って、もっと大雑把で味の濃いイメージでしたの。偏見だったと思い知らされたわ」

「だいたい合っているわ。冒険者の料理はそんなものよ」

 マデリシアは笑って答えた。ローザに教わる前の料理は、夫人の指摘通りのものだったのだ。

「マデリシアさんでしたら、いい奥さんになりそうだわ」

 夫人はそう言った後、慌てて言い添えた。

「いえ、うちに、という訳ではないのですよ。意中の方がいらっしゃるのでしょ?」

「え?」

 マデリシアは夫人の不意打ちに驚き、手にしていた皿を落としかけた。素早い動きで床に落ちる直前に救い出した。

「よほどの方なのね」

「そ、そんなんじゃないわよ」

 マデリシアは言い返す言葉が見つからず、逃げるように洗い場へ皿を運んだ。

「勝利の秘訣は胃袋よ。しっかりと押さえておきなさい」

 夫人はそう言い添えて食器の洗浄に取り掛かった。

 普段なら食後に酒を飲むマデリシアも、今日は毒気を抜かれ、鼻歌交じりに過ごしていた。

 夜も更けると家主たちは寝静まった。時々夜になると出かけるルーベンスも今日は部屋にいる。音が聞こえないので眠ったのだろう。

 マデリシアは貸し与えられた二階の部屋にいた。冒険者の宿の部屋の三倍は広いのではないかと思われる、客間を貸し与えられていた。

 ふかふかのベッドに、奇麗なシーツ。それだけでも贅沢だというのに、大きな姿見のついた鏡台まである。今は鏡の部分に布をかけてあるので、何も映し出してはいない。

 窓も、なんとガラスがはまっていた。貴族屋敷で見るような透き通ったガラスではないものの、庶民の家で見かけることは希である。分厚く、歪曲したものといえど、ガラスはガラスだった。

 その窓にカーテンまでかかっている。

 アーノルドはマデリシア用にランプも用意してくれた。マデリシアはランプを窓際の机に置くと、カーテンを開け、窓を押し開けた。

 冷たく冷え切った外気が押し寄せてくる。日中は冬であることを忘れるほどに暖かかったが、夜はやはり冬のようだった。当然、窓から見える裸木の枝に、新芽も出ていない。

 見上げた夜空が美しい。宝石をちりばめたように星々が瞬き、その世界を青白く彩る満月があった。

 視界の端に何かが動いたように見えた。

 路地は暗く沈んでいる。とはいえ、満月の光で輪郭ははっきりと見えた。

 塀と塀に囲まれた石畳の路地がある。寒い夜分に出歩く人の気配はなかった。

 それでもマデリシアは路地を眺めた。頭の奥に何か嫌な感じがある。こういう時は警戒するに越したことはない。マデリシアはそう思っていたし、経験上もその判断が正しかったことが多い。

 しばらく眺めても何の変化も訪れなかった。マデリシアはランプに布をかけて光を隠すと、窓を閉めた。歪んだ景色が窓から覗ける。

 闇に沈み、青白く浮かび上がった世界に、変化はなかった。それでもマデリシアは様子を見続けた。この慎重さが、何度もマデリシアの命を救っている。

 マデリシアの声には力がある。そのために、魔女だとかバンシーだとか呼ばれ、忌み嫌われてきた。中には度が過ぎ、マデリシアの寝込みを襲おうとした人々もいた。寝泊まりしていた小屋に火をつけられたこともあった。有力者に害を与えた時は刺客まで放たれた。

 数々の危機を経て、マデリシアは些細な変化も見逃さない、鋭い感覚が身についた。この危機察知能力が、彼女を生き永らえさせた。

 月明かりのもとに影が出てきた。影が音もなく路地を進む。

 マデリシアの感じたものが、正しかった。マデリシアを狙う刺客ではないだろう。マデリシアを狙う刺客は彼女の危機察知能力でも感知しきれないような、優れた者が選ばれる。そうでなければ失敗すると知られていたからだ。

 それに、月明かりに浮かんだ影の衣装が派手な色だった。カラーと呼ばれる暗殺者だ。カラーはアーノルドの命を狙っている。案の定、アーノルドの屋敷に忍び込もうとしていた。

 マデリシアは窓から離れると、相手の侵入先に先回りした。黒い布で覆ったランプも持っていく。

 マデリシアの待ち受ける暗がりに、何かが忍び込んだ。かすかな物音でそれと分かる。冷気も流れ込んできたので間違いない。

 マデリシアは用意していたランプの覆いを外し、光を開放した。光の中に、白い頭巾、赤い上着、黄色いズボンの男が佇み、手で目を隠していた。

 そこは一階の書斎だった。男が侵入した窓が開け放たれ、冷気が忍び込んでいた。窓辺の机の上に侵入者が立っている。右の壁を本の詰まった棚が占領し、左の壁には大きな鉄の箱があった。箱は壁の中に続いている。部屋の中央に小さなテーブルと、ソファーが向かい合って並んでいた。

 マデリシアはランプをそっと床に下ろした。

 派手な男、カラーは目を覆ったままテーブルから降り、マデリシアに向き直った。

「あんたって本当にへたっぴね」

 マデリシアは相手の侵入の不手際をけなした。冷静さを奪い、安直な行動に移らせるための手段だった。

 カラーの反応はない。

 そこで立て続けに馬鹿にする言葉を連呼してみた。ところが、カラーに効果がないのか、図太い神経の持ち主なのか、微動だにしなかった。

「バンシーの対策済みだ」

 カラーはそう言うと、自分の耳の辺りを指差し、続けて左手の人差し指に付けた太い指輪を見せた。

「耳栓と…レジストリングかしら?」

「耳栓とレジストリングだ」

 マデリシアの声が聞こえていないのか、カラーは誇るように、同じことを言った。

「その程度であたしの声が封じられると思っているのかしら?」

 マデリシアは不機嫌に言うと、肺に空気を吸い込んだ。が、声を吐き出すのは止めた。ここで声による衝撃波を発生させれば、アーノルドの書斎が吹き飛ぶことになる。それは避けなければならない。

 少々癪だが、カラーの思惑にハマり、肉弾戦で対処するしかなかった。

 カラーが跳躍し、マデリシアに蹴りかかった。マデリシアはひらりと横にかわした。その彼女の手にいつの間にかナイフが握られている。

 カラーのズボンに一筋の切れ目が入った。だが、肌には届いていないのか、血がにじむことはなかった。

 カラーが左右の拳を振った。マデリシアは下がりながら右へ左へとかわしていった。その都度、カラーの袖に切れ目が入り、次第に赤黒いシミが広がった。

「あんた程度の腕じゃ、あたしにも勝てないわ」

 マデリシアは呆れたように言うと、どうせ聞こえてないでしょうけどと付け加えた。

 カラーは傷を負う度に、執拗に前へ躍り出てマデリシアを襲った。そのすべてをマデリシアがかわし、さらに反撃してみせた。

 カラーが覆面をしていなければ、痛みに歪む表情が見えたかもしれない。あるいは躍起になって血走る眼をしていたのかもしれない。白い覆面が、幸か不幸か、カラーの心情を包み隠した。ただ、身体からあふれ出るものは抑えようがなかった。

 カラーは一度足を止めた。右拳を握り締め、顔の前へ掲げる。

「俺の拳は何ものをも砕く!」

 マデリシアの危機察知能力に引っかかるものが有った。それはカラーの身体からあふれ出る殺意だったのかもしれない。

 カラーが右拳を振り上げ、マデリシアに踊りかかった。マデリシアは反撃せず、後方へ飛び下がった。轟音とともにカラーの右拳が床を打ち砕いていた。マデリシアが今まで通りに反撃していたら、床ではなく、マデリシアが砕けていたことだろう。

 カラーは拳を打ち込んだ姿勢のまま、一瞬動きを止めた。それを見逃すマデリシアではない。素早く飛び込むと、カラーの右肘に全体重を乗せた蹴りを入れた。

 鈍い音が響いた。僅かに、カラーの呻きが漏れた。

 立ち上がったカラーの右腕がだらりとぶら下がっている。その腕をカラーは左手でつかみ、胸の前に抱え込んだ。

 カラーの気迫がマデリシアを押した。今一歩が踏み込めず、その間にカラーは窓から飛び出して逃走した。

 マデリシアが後を追おうと窓に駆け寄った時、扉が開いてアーノルドが駆け込んできた。

「な、何事ですか!」

 アーノルドは床に開いた大きな穴を見つめ、窓際のマデリシアに説明を求めた。

 マデリシアは答えず、外を見たが、すでにカラーの姿はどこにもなかった。アーノルドに気を取られたことで見失っていた。

 マデリシアは悪態を一つ吐き出すと、窓を閉めた。手にしていたナイフはいつの間にか消えている。

 アーノルドは同じ質問を繰り返した。

「暗殺者が来て、撃退したの。それは暗殺者が殴った後」

 マデリシアはため息交じりに、簡潔に答えた。

「え?暗殺者?まさか、え、この前の?」

「ええ、たぶん。あたしは酔ってて覚えないけど」

 マデリシアの答えを聞くと、アーノルドは崩れるように座り込んだ。

「家にまで来るなんて…。いつ襲われるかも分からない…」

 アーノルドは呆然と呟いた。

「腕を折ったから、しばらくは来ないと思うわ」

 マデリシアがそう告げても、アーノルドの耳には届いていない様子だった。

 マデリシアはもう一度窓の外を眺めた。月明かりに照らし出された夜道を動くものはいない。

 悔やまれてならない。襲撃犯は捕らえるか倒すべきだった。あるいは追跡すれば、雇い主までたどりつけるかもしれなかった。今回の任務を終えるには必要な処置だったのだが、追うことすらできなかった。

 アーノルドさえ、もう少し遅く現れてくれれば、追跡はできた。もしもここにキュリアスがいたら、今からでも追跡が可能だった。なぜ肝心な時にいないのかと、憤った。

「あのすっとこどっこいめ」

 マデリシアは恨みを込めて、口の中で呟いた。

 夫人が心配そうに旦那の肩に手を置いていた。その背後に息子の姿もあった。

 優しく見守る夫人も、見た目よりは動転しているのかもしれない。力なく座り込んで取り乱しているアーノルドに対し、事情の説明を求めていた。優しい物言いの中に、有無を言わせぬ迫力が潜んでいた。

 アーノルド自身も夫人の言葉の重みに気付いた様子で、青ざめた顔を上げ、夫人を見つめていた。

 アーノルドは落ち着きを取り戻し次第、夫人に説明させられる。終わるまではどこにも行けないだろう。ならば、その間、マデリシアが離れても問題ないようにも思えた。今更襲撃者を追いかけても無駄だとは思うものの、何か行動を起こさなければ、気持ちのやり場に困ってしまう。

 憂さ晴らしで身体を動かしたいというのが、マデリシアの正直なところであった。が、それを見越したのか、それともただ藁にもすがる思いなのか、アーノルドがマデリシアの腕をつかんで引き止めた。

「どうか、傍にいて護衛してください。妻や息子に害が及んでは困ります」

 気弱そうに懇願する言葉とは裏腹に、マデリシアの腕を掴んだアーノルドの手は万力のように力強かった。

 アーノルドはマデリシアが動かないと確信できるまで腕を放さなかった。



  10


 ザック・ケイソンの家に白銀の女騎士が訪れた。彼女の鎧は以前訪れた時と同様、曇り一つなく、部屋の中の明かりを受けて輝いていた。

 前回に続いて夜分に訪れるのは、女騎士の仕える主人が日中に活動していて離れられないからである。

 この夜は再び冷え込みが強くなっており、女騎士の鎧が冷たい光を放っていた。鎧に触れると手が凍り付くのではないかと思えてしまう。

 女騎士、フラムクリス・アルゲンテースは自分の鎧の冷たさに気を止めることなく、堂々とした立ち振る舞いで挨拶した。

「ケイソンさんに確認したいことがあります」

 フラムクリスがやや砕けた物言いをしたのは、ザックが庶民だということを意識している証拠だった。ただ、不快な感じは受けず、白銀色の花が咲いたような明るさを醸し出していた。

 以前と同様、暖炉の前での会談となった。キュリアスも同席していた。ただ同席しているだけで、話の内容はほとんど聞いていなかった。時々、貿易商だとか、貴族らしい名前が挙がっていたものの、キュリアスは何の興味もそそられなかった。

 シャイラベルはまた何を調べているのやら。キュリアスは口の中で呟いた。フラムクリスは主人の命で、ここに来ているはずだ。すると、彼女の質問はシャイラベル・ハートの質問と同意である。

 シャイラベルがこういう調べ物をしているときは、えてして、危ない事柄に手を出している。何かの悪事を暴こうとしているのだ。悪事を働く人物から見れば、邪魔者以外の何者でもない。結果、先日のように刺客に狙われることにもなる。

 キュリアスはここ数日、酒を断っていた。そのために感覚が鋭くなり、雑多な情報が頭に流れんで、神経を逆なでしていた。興味のない会話は耳にも入らなかった。まだ人の気配の方が意識を向けやすい。

 マリアがまたこっそりと出かけて行くのが気配で分かった。いつものように逢引きするのだろう。その気配を追い続けるほどキュリアスも野暮ではなかった。

 夜ともなれば、路地を行きかう人々はほぼいない。それぞれの家にこもり、暖炉の前で過ごしている。今日のように冷え込む晩はなおのことである。

 ザックが貿易商は嫌いだとか、付き合いはないだとか答えていた。その声がどこか遠くに聞こえた。

 離れたところにある南門の衛兵が手をこすり合わせて焚火に近づくのが分かった。近所の家で家族が食事している様子も感じ取れた。喧嘩をしている人。抱き合っている人。子供を寝かしつけている人。酒を飲んで暴れている人。夜分に町中を走っている人。町を巡回する兵士。夜道を急ぐ人々。眠っている人々。内職をしている人々。町の風呂屋は寒くても人が集まっていた。

 そういった情報が一度に脳裏に飛び込むと、頭痛に似た症状に悩まされる。近くの会話より、遠くの気配の方が鮮明に飛び込んでくる。

 キュリアスは気配の情報を頭から締め出そうと、ザックたちの会話に意識を向けた。

「同業者で貿易商と取引のある方はいらっしゃいますか?」

 フラムクリスの問いに、ザックは宙を見上げてしばらく考えた後、数人の名前を上げた。その中で一人だけ、キュリアスにも聞き覚えのある名前があった。フランシス・バーグである。

 ザックはフランシスの下請けのようなことも行っていた。フランシスの代わりに債権の回収業務にあたり、回収した金をフランシスに届けていったことが何度かあった。キュリアスは護衛として、ただ付き添っただけで、ザックとフランシスの関係はよく分かっていなかった。

 フラムクリスが数人の名前を上げたが、ザックは一人以外知らない様子だった。その一人も、先日夜逃げをしたとザックは答えた。

「あたしは貴族も嫌いでして。ああ、いえ、決してあなた様が嫌いだという訳ではありません。どちらかと言えば、あなた様は…」

「かまいませんよ。貴族は選民思想の強い方が多いですので、反感を買ってしまいます」

「いえいえ」

 ザックは恐縮して顎を撫でつけた。

「ですのであたしは貴族との取引はありません。夜逃げしたあの貴族も、フランシスさんの頼みでなければ貸しませんでした」

「先日おっしゃった件ですね」

「はい、そうです。急場の資金を用立ててくれと」

「なるほど」

 フラムクリスは頷くと、暖炉の火を眺めた。暖炉の熱が彼女の白銀の鎧を温めている。その影響か、フラムクリスの顔に赤みが増していた。赤みが増すと、華やいで見える。

「貴族と取引のある同業者を教えていただけますか?」

 ザックは数人の名前を上げた。その中に、フランシス・バーグとアーノルド・シュレイダーもあった。

 キュリアスは聞き覚えのある名前に、確か、マディの護衛対象だったなと、身体の大きい中年だったことを思い起こしていた。

 マディが声で騒動を起こしていなければいいが、とキュリアスは余計な心配をしていた。

 見知らぬ気配が表の通りを歩いている。キュリアスのすぐ隣でも動く気配があった。ザックとフラムクリスの話はいつの間にか終わったらしく、フラムクリスが立ち上がり、部屋を辞そうとした。だが、キュリアスの横で立ち止まった。

「あの少年に修行をつけているのか?」

 フラムクリスはラルフ・フォーティスのことが気になっていたらしい。

「おや、ラルフをお気に召したか?」

「ばかを言え!」

「スタミナをつけさせている」

「そうか」

「ゴブリンくらいなら、もう勝てるだろう」

「そうか」

 フラムクリスは新兵に訓練をつけたこともある。新兵に対する感覚でラルフを見ているのだ。自分が訓練するわけではないのだが、新兵の成長が気になると言ったところだろう。

「この件が片付いたら、ゴブリン退治に付きあってやるさ」

「いやに親身ではないか」

「俺はいつだって親身だぜ」

 フラムクリスは返事の代わりに、鼻を鳴らして部屋を出て行った。が、玄関から出て行く気配がない。代わりに、誰かが玄関を訪ねていた。見送りに出たザックが大慌てて奥の自室に駆け込んだのが気配と音で分かった。

 ソファーに深々と座っていたキュリアスの胸にも言いしれない不安がよぎった。その不安が、ザックの娘、マリアの気配がないことを思い出させた。いつものように逢引きに出たはずだが、未だに戻っていない。いつもならすぐに戻ってくるはずだが、マリアが家を抜け出して一時間以上は経つ。

 妙な胸騒ぎに誘われて、キュリアスはソファーから立ち上がると玄関に出た。

 フラムクリスが険しい表情で、戸口に立つ痩せてずる賢そうな男を睨みつけていた。

「手出しは無用に願いますぜ」

 男はニヤニヤと言った。

「さもねぇと、ここの大事な娘が、こうなりますぜ」

 親指を立て、自分の首を掻いて見せた。

「後をつけたりしても、同じですぜ」

 男の、相手をコケにしたような声が響いた。

「あんただね?余計なことをしたもんだ」

 男は嘲るようにキュリアスを見た。

「妨害なんてするから娘にまで害が及んだのさ」

 キュリアスは腹立ちまぎれに、この男を斬り捨ててしまおうかと、背中の剣に手を伸ばし、一歩踏み出していた。だが、男は動じることなく、自分が連絡を取らないと、娘が死ぬことになると、冷たく言い放った。

 いつものキュリアスなら、男が警告の言葉を発する前に斬り捨てていた。今回はたまたま、初動に遅れが出た。フラムクリスが腕を伸ばしてキュリアスを押しとどめたからである。

 警告の言葉を聞いてしまった以上、やみくもに行動することはできなかった。

「誰の手下だ?マリアはどこにいる?」

 キュリアスが低い声を発しても、男は鼻で笑って答えなかった。

「ああそうかい。だいたい、あんたがマリアをどうにかしたって証拠もないな」

 キュリアスはそう言うと、背中の剣を抜きにかかった。面倒な駆け引きなど無しで、不審な男を斬り捨てればいい。その後でマリアを探せば済む話だった。

 だが、再びキュリアスの行動に待ったをかけるものがあった。人の気配が路地を駆けてくるのが分かった。

 この気配はラルフか。キュリアスは瞬時に判断すると、弟子になった少年の到来を待った。

 ラルフが飛び込んできて、戸口に立つ男の背にぶつかった。男が前のめりに倒れかかる。その瞬間にキュリアスは駆け寄ると、瞬く間に男の腕をとってねじり伏せた。

 顔を押さえて呻くラルフに、キュリアスは下から何事かと尋ねた。

「走り込んでいたら、それが、あの、ここの娘さんと若い男の人がさらわれたんです!ガラの悪い人たちが二人を抱えて…」

「どこでだ?」

「そこの…」

 ラルフはしどろもどろに言いながら、およその方角を指し示した。指の刺す方向へ意識を集中させても、マリアの気配を捉えることはできなかった。範囲を広げて不審な動きをする人々を探しても、感知できない。すでにキュリアスの察知できる範囲を出ているのだ。

 不審な、と言えば、女性二人が夜道を急ぐ気配があった。片方はマデリシアだ。進んでいる方角から考えて、ここに来るつもりなのだろう。

「おい、いいのか?娘がどうなっても知らねぇぞ」

 キュリアスの下で、男がうめくように言った。この男の主張は、ラルフという目撃証人が証明した。下手に手を出してマリアに万が一のことがあっては困る。キュリアスは聞こえよがしに舌打ちをすると手を放して立ち上がった。

 女性二人の気配に、もう一人気配が加わった。一緒になってザックの家を目指している。その気配の動きが何を意味するのか、考える余裕などなかった。

 ザックが青ざめた顔をして出てきた。コートを羽織り、外に飛び出していく。キュリアスが後を追おうとすると、男は道をふさいだ。

「あんたも頭が悪いな。娘がどうなっても知らねぇぜ」

「どかねぇなら、てめぇがどうなっても知らねぇぜ」

 キュリアスがすごんで見せても、男は道を開けなかった。

「俺がこの後とあるところへアタリをつけなきゃ、娘は死ぬ。俺はあんたらをしばらく見はったら報告に行くとしよう」

「やっぱりやっちまおう」

「バカ!短絡的になるな!」

 フラムクリスがキュリアスの腕をとって制した。二人が睨み合うのを、男はあざ笑っていた。

 来る。キュリアスはフラムクリスとにらみ合いを続けながら、これから訪れる事態の成り行きを見守ることにした。

 裏社会に精通した人物がやってくるのだ。マリアともう一人がさらわれたのなら、その親の関係者である彼女が、当然動いている。それも、なぜか見張りの男がいない状態なのだ。その状況は、彼女なりの理由があってのことに違いなかった。

 一瞬、冷気が流れたように感じた。その冷気があざ笑う男の意識を奪ったのか、膝から崩れ落ちた。若草色の髪の女性が立っている。

「おい…。やっちまってよかったのか?」

 キュリアスは男が生きていようが死んでいようが構わなかった。自分の手でできなかったことだけが悔やまれる。

「なんてことを!」

 フラムクリスは慌てて男に駆け寄り、脈をとったが、すぐに顔を上げ、マデリシアを睨んだ。

「死んじゃいないわよ。あんたの目の前でやったらあとが面倒だし」

「そう言う問題ではない!娘の命がかかっているのだぞ!」

「いいのよ。どうせこいつら使い捨てだもの」

「しかし、どこかに報告を入れると…」

「そんなの、どこか所定の場所で印を残して立ち去るってものよ。顔を合わせる人が増えるほど危険度が増すもの。そう言う事態は避けるのよ。…でもそこで見張っても、誰も確認には来ないわ」

 マデリシアは分かりきったことよと言った。その横から、シュレイダー夫人とアレック・ヒューイットが現れた。

 ザックの家の戸口では多すぎる人数で、ラルフは壁際に、キュリアスは廊下の上へ退避した。

「考えてもみなさいな」

 マデリシアはまだ睨みつけているフラムクリスに説明した。

「アーノルドや、えっと、ザック?を殺そうとして、失敗した奴らが、子供をさらったのよ。邪魔をしたからだって言ったから、間違いないわ。さらったのは、親を呼び出して始末するために、ね。なのに、捕らえた子供をむざむざ逃がすと思う?顔を見られたり、声を聞かれたりしている可能性があるのよ?それに、どうせ人を殺すのだから、あと二人増えたってどうってことないもの」

 だから、関係者全員を殺して終わるのだと、マデリシアは断定した。

「ではなおのこと、こ奴から相手の素性と居所を…」

「だからそんな使い捨てのやつが知っているわけがないの」

 食い下がるフラムクリスをマデリシアは言下にあしらうと、キュリアスに視線を向けた。

 キュリアスはマデリシアの視線の意図に気付き、頷いて見せた。しかし、口にしたのは別の事柄だった。

「アレックはどうしてここに?」

 マデリシアがシュレイダー夫人を連れてきた理由は分かる。守るばかりでは移動ができないので、対象ごと移動してきたのだ。そして冒険者の宿なり、都合よく居るフラムクリスに保護を頼めば、マデリシアは自由に行動できるようになるのだ。

「俺、実はクビになりまして」

 アレックは頭を掻き掻き、切り出した。

「クビになる前にちょいと小耳にはさんだことを知らせようと急いだんだけど、遅かったんですね」

 アレックのまとっている防寒用マントに返り血の跡が見えた。その様子から、アレックが間に合わなかった理由と、返り血を浴びる原因と、クビになる事柄が、結び付くようにキュリアスには思えた。

「小耳にはさんだこと?」

 マデリシアが横から口をはさんだ。

「俺の雇い主、ああ、元雇い主、フランシス・バーグがマリアとルーベンスをさらうように指示しているのを聞いてしまったんです」

 それを聞いたばかりにクビになり、襲われたか。キュリアスはすぐにアレックの事情を察した。まずいことを聞いてしまい、逃げ出したものの、刺客に追われたのだ。その刺客を返り討ちにして平然とやってくるあたりが、アレックの新人離れした技量を示している。

「なんだと!」

 意識を失った男を後ろ手に縛っていたフラムクリスが声を上げた。

「フランシス・バーグがそっちの調べに何かかかわっているのか?」

 キュリアスは腕組みをして、フラムクリスを見下ろした。

「まだ確証はない」

「なら、身柄がどうなっても保証しないぜ」

「あのハゲが何を企んでこうなったのか知らないけど、あたしたちに喧嘩売ってただで済むと思わないで」

 キュリアスとマデリシアが、言い方は違うものの、同じ意味合いのことを宣言していた。

「それと、ジャックナイフでどうにかするらしいです」

 アレックが付け加えるように言った。

「ジャックナイフ?それで刺すつもりかしら?」

 マデリシアが軽く言った。だが、キュリアスは対照的に、表情を曇らせていた。

「アレック。重要な情報だ。助かる」

「そんなにジャックナイフが重要なの?」

 マデリシアは訝しんだ。

「ああ。知らずに対処することになれば、ただでは済まなかっただろう」

「そう?まあいいわ。さて、そのハゲから襲う?」

「バーグさんなら、もう家にいませんよ。どうするつもりです?」

 アレックが尋ねた。

「まだ何とかなるだろう」

 キュリアスは軽くそう答えると、倒れている男を指差して、フラムクリスにその男は好きにしてくれと告げた。

「ラルフ。すまないが、彼女を守ってくれないか」

 キュリアスは、所在なさげに青い顔をしているシュレイダー夫人を示した。ラルフは返事の代わりに顔をこわばらせ、それでもしっかりと頷いて見せた。

「アレック。お前を見込んで手を貸して欲しい」

「俺ですか?」

「対人戦はラルフにはまだ早い。それに、乱戦になるだろう。お前ならなんとかできるさ」

「人質がいる状況で乱戦?貴様、どういう作戦を立てるつもりだ?」

 フラムクリスが口をはさんで、キュリアスを睨みつけた。キュリアスはフラムクリスを見つめ、マデリシアを一目見た後、知らない方が幸せだと答えた。マデリシアはキュリアスの考えが読めたのか、不敵な笑みを浮かべていた。

「よく分かりませんが、いいですよ。俺で役に立つのなら」

 アレックは簡単に同意した。

「ラルフ。おそらく襲われることはないと思うが、もしも襲撃されたら、相手を倒そうと思うな。かわし続けろ。相手もスタミナが続くわけじゃない。疲れて手が止まったところに反撃するといい」

「わ、分かりました」

「私も残ろう」

 フラムクリスが呟くように言った。

「いいのか?」

「かまわん。先日の借りを返しておける。その方が重要だ」

「別に返さなくていいものを」

「うるさい!」

 キュリアスは身をすくめてみせると、外に向かった。

 マデリシアは当然のごとく付き従った。アレックも後に続く。

「それで、どこにいるの?」

 マデリシアはキュリアスの能力で、ザックかアーノルドを終えると信じたうえでの質問だった。

 いつの間にか、雪が舞っていた。深夜に差し掛かり、底冷えする冷気が町を覆っていた。

 キュリアスの感覚が冷気によって研ぎ澄まされた。先ほどからずっととらえ続けていたザックの気配を、しっかりと感知できている。

「南門を出た。が、北西へ向かうようだ」

「後をつけられないように警戒しているのね」

「そのようだ。南門に数人潜んでやがる。ザックにも同行する輩がいるな」

「のんびりもしていられないわよ」

「何。堂々と西門から出るさ」

 キュリアスはそう言うと、足早に路地を歩き始めた。マデリシアが後を追い、アレックも小走りで続いた。



  11


 セインプレイスの西に丘と呼ぶには高く、山と呼ぶには低い森があった。道はその山の裾を這うように蛇行して続いている。路面は雪が解けて湿っているものの、足を滑らせるようなことはなかった。

 山の木々に舞い降りた雪もそのまま融けてなくなっていた。

 遅くに登った月明かりで道は何とか見えるものの、キュリアスたちはその道を使わなかった。獣道を進み、山に侵入した。

 キュリアスが感じ取っている気配は、ザックとアーノルド、それにもう二人いる。四人は南門から道に沿って、西への蛇行する道へ向かっていた。彼らと遭遇するわけにはいかない。

 深夜に差し掛かった山に人の出入りはない。また、町からそれほど遠くないということも、この山は荒事を行うのに適している。

 この山を過ぎれば、後は丘と平原しかない。まさか平原で堂々と荒事を成すとは思えなかった。悪事を成すものは、どうしても闇に隠れたがるものだ。

 十中八九、山中に誘拐犯がいるとキュリアスは予測した。その考えに、マデリシアも同意した。

 呼び出された場所が分からない以上、通常ならば、ザックたちを尾行して人質のいる場所を確認するのが常とう手段だ。だが、キュリアスの能力が、常とう外の手段という選択肢を与えていた。

 行き先が分からずとも、山に侵入し、不審な気配を見つけ出せば、先回りが可能だ。人質の確認、敵の人数、配置が分かっていれば、事態の収拾に役立つ。

 山の気配はつかみ難い。山に暮らす動物や昆虫まで雑多な気配があるからだ。また、人に害をなすモンスターもいる。畑を荒らし、人肉だろうと何でも食べてしまうゴブリンは、この小さな山にもいると思われた。キュリアスの脳裏に入ってくる情報が多すぎて、混乱させられてしまう。

 それでも意識していれば、なんとなく判別できる。キュリアスはその感覚を頼りに山道を進んだ。ただ、意識は気配探知に集中しており、足場の悪さや邪魔になる草木に気を配る余裕はなかった。キュリアスのサポートをするようにマデリシアが前へ出て、邪魔な草や枝を斬り落としていた。

 アレックは暗闇の支配する山の中で、影のようなものしか見えない二人の背を、見失わないように必死の思いで後を追っていた。見失えば、その影が木なのか人なのか分からなくなってしまう。

 暗がりから何かが飛び出してきそうで、どうしても足運びが小さくなってしまう。すると足元の根っこや枝で足元を崩され、転びかける。

 アレックは何度となく転びかけ、地面に手をついたり、近くの木に寄りかかったりして、何とか転ばずにやり過ごした。

 キュリアスとマデリシアは足元が見えているのかのように、安定した足運びで進んでいた。

 僅かな傾斜でも、山を歩くと身体が火照る。深夜に差し掛かり、刺すような冷気に包まれていながらも、身体の火照りがその冷気を押しのけ、薄い膜を作って身を守ってくれていた。

 辺りは静まり返っている。アレックの荒い呼吸が響き渡るほどだ。アレックの呼吸音と、枯れ枝を踏みしだく音だけが聞こえる。キュリアスとマデリシアの呼吸音は聞こえない。それどころか、二人の足音も聞こえなかった。

 次第に立木の感覚が広がり、シダ植物が増えた。立木が途切れる手前でキュリアスは立ち止まった。前を行くマデリシアの肩をつかんで引き止めている。

 月明かりがシダ植物の広がりを照らし出していた。傾斜はその辺りで終わっている様子だった。

 マデリシアは振り向くことなく、その場でしゃがみこんだ。

 シダ植物の向こう側にほんのりと人工の明かりが見えた。間に立木がある。その立木の影が生き物のように動いていた。

 立木の向こう側に空き地があり、火が焚かれているようだ。耳を澄ませていると、落ち葉を踏みしめる音が聞こえた。明らかに人の気配がある。

 アレックが追い付いてきた。肩で呼吸しているものの、崩れ落ちるようなことはなかった。

 キュリアスはアレックの呼吸が落ち着くのを待つ間に、辺りの気配の掌握にかかった。

「十三人かしら?」

 マデリシアは小声で言った。物音から推察していた。

「焚火も周りに八人」

 キュリアスは明かりの見える辺りを指差した。

「フランシス・バーグはそこだな」

 キュリアスは指を左に動かした。

「そこに五人。マリアはそこだ」

「じゃあ、ルーベンスもそこね」

 キュリアスはそうだと答えると、焚火の手前と奥を続けて指差した。

「一人ずつ」

 さらに右へ指を移動させた。

「四人登ってくる」

「伏兵までいるなんて、念入りね。登ってくるのはアーノルドたちね」

 マデリシアはそう言うと、素早く人数を数えた。

「十九人かぁ。一人六人ね」

「おい」

「なに?」

「人質やザックたちも倒すのか?」

「あ」

「まったく」

「えっと、一人五人ね」

「アレック。行けるか?」

「五人ですか…。やってみます」

 呼吸の落ち着いたアレックが生唾を飲み込みながら小声で言った。

「俺とマディで人質とザックたちを助け出す。その後は乱戦だな。アレックは騒ぎが起こるまでここで待機だ」

「もっと近づいておかなくていいのですか?」

「足音を立てずに近づけるのなら」

「無理そうです」

「そんなことまでできたら、あたし、ショック受けるところだったわ」

「大型新人、アレック・ヒューイット。驚異の…」

「よしてくださいよ。お二人に言われると、なんか、その、惨めになります」

「緊張はなさそうだ」

 キュリアスは微笑み、アレックの背に触れた。

「騒ぎはすぐに分かる。迷わず駆けこめ」

 そう言い置くと、キュリアスは音もなく闇の茂みに消えて行った。マデリシアも影に同化するように消える。

「どう頑張っても俺はそっちには行けません」

 アレックが口の中で呟いていた。


 焚火の明かりがわずかに届く林の中に、マリア・ケイソンとルーベンス・シュレイダーがいた。二人とも後ろ手に縛られ、猿ぐつわをかまされている。

 二人の左右と背後に一人ずつ荒くれ者が武器を手に見張っていた。少しでも異変があれば、人質に害を与える。荒くれ者たちは人質を切り刻みたくて仕方ないといった様子で、刃物をもてあそんでいた。

 五人のいる辺りは立木もあり、ともすればもっと多い人数が立っているようにも見えた。

 冷たい風に、枝やシダ植物が揺れ、カサカサと物音を立てる。はじめはそういう物音の一つかと思われた。

 人質の背後にいた男が倒れた。続いて別の荒くれ者が倒れた。

 さすがに異変を察して、最後の一人が身構えたものの、時すでに遅しだった。その男の喉を、キュリアスの剣が貫いていたからだ。

 キュリアスは口に指を当て、しっと小さな音を発して、マリアとルーベンスに目配せした。


 茂みから何かの音が三つ響いた。焚火傍の男たちが不審な音に殺気立った。だが、それも束の間だ。マデリシアが唐突に焚火の明かりの中に現れて、笑顔を振りまいた。

「何だ貴様!どこから現れた!」

 誰かが叫び声を上げた。男たちが一斉に武器を抜き放った。

「はいはーい、ちゅうもーく。みんな出てらっしゃい!」

 マデリシアが大きな声を上げた。するとどうしたことか、茂みに隠れていた男たちが飛び出した。さらに、アーノルド、ザック、その二人を見張っていた男二人も焚火の明かりの中に飛びだした。手を縛られた人質二人まで躍り出た。

「な、なんだ!」

 驚きの声が上がった。

 離れて隠れていたアレックまで飛び出してくる。

「騒ぎって…これですか!」

 アレックが引きつった表情で、剣を構えた。

 さらに、林の中から子供の背丈ほどの醜い生き物がわらわらと飛び出してきた。

「ゴブリン!」

 誰かが叫んでいた。緊張感が冷たい風のように吹き抜けた。

 ゴブリンたちは奇声を発し、近くにいた人間に襲いかかった。

 アレックは咄嗟に、ゴブリンと人質との間に身体を投げ込み、数体のゴブリンを瞬く間に斬り捨てた。

「人質を押さえろ!見張りはどうした!」

 誰かが叫んだ。武器を持った男たちが右往左往する。ある者はゴブリンとぶつかり、ある者は仲間同士で押し合った。

 混乱する中、それでも数人、人質に殺到する男たちがいた。アレックはゴブリンにかかりきりで近づけない。男たちと人質との間には二、三歩の距離があるだけだった。

 人質が斬られる。そう見えた瞬間、茂みから夜の闇が飛び出し、数人の男たちを瞬時に斬り捨てた。焚火の明かりを浴びてなお、それは影に見えた。影が凶刃を振るっている。

「アレック!人質を頼む!」

 影が声を発した。キュリアスの声だ。

 呆気に取られていたアレックは我に返ると、残りのゴブリンを斬り捨ててマリアとルーベンスの傍に駆け寄った。

 混乱する中、マデリシアがいつの間にか、アーノルドとザックを保護していた。

 激しい金属のぶつかり合う音が響き、キュリアスの斬撃が止まった。猛威を振るうキュリアスを、その男は軽々と受け止めていた。

 その男はキュリアスと同様に、僅かに反り返った片刃の剣を使っていた。頭髪に白いものが混ざり、しわが刻まれた顔をしている。狂気に歪んだ眼が、異様な光を放っていた。

「サム・ガゼル!」

 キュリアスは相手と鍔迫り合いをしながら言った。

「ジャックナイフ様がこんなところで何をやっていやがる!」

 サムは返事の代わりにキュリアスを押し戻すと、一歩踏み込んで袈裟懸けに斬りつけた。キュリアスはその斬撃をかわすと横なぎに斬りつけた。

 サムは返す刀で受け止めたが、そこへキュリアスの蹴り足が飛び込んだ。サムは身体を沈み込ませて避けると後方に下がって体勢を立て直した。

「え?ジャックナイフって、そのおじさんなの?」

 マデリシアの声が響いた。努めて明るく言っている。サムの実力を推し量り、怖気づいていることを隠すためだ。そのことに気付いたのはキュリアスだけだった。

 キュリアスはサムを、引き受けるしかなかった。アレックがいくら新人離れした技量の持ち主でも、サムには勝てない。マデリシアは逃げることくらいできるが、守る相手がいる状況では役に立たない。対処できるのはキュリアスのみなのだ。

 幸いなことに、ゴブリンたちはあらかた倒されると、残りは闇の中に逃げ出した。サムとゴブリンを同時に相手することになると、面倒だと思っていたところだった。キュリアスはこれで、サム一人に集中できる。

 残った荒くれ者どもが、アーノルドやザックを狙うのか、それとも人質の子供たちを狙うのか分からない。分からないが、そちらはマデリシアかアレックに活躍してもらえばいい。

 キュリアスとサムは再び、激しい打ち合いを始めた。

 状況が硬直している。そう感じたのか、フランシス・バーグが手下に指示を出していた。

「何をやっているか!早く殺してしまえ!」

 男たちは指示に従い、アーノルド、ザックの二人に殺到した。だが、たどり着く前に倒れていく。偶然仰向けに倒れた男の首に、ナイフが突き刺さっていた。

 青い何かが駆け抜けた。

「止まれ!」

 マデリシアの一喝に、傍にいた皆が動きを止める。アーノルドのすぐ前に、全身青尽くめの剣士が剣を振りかぶって止まっていた。

 人質の縄を解こうとしていたアレックも動きを止め、マデリシアを見て苦笑していた。

 その場で動きを止めなかった者が三人いる。キュリアス、マデリシア、サムだ。キュリアスとサムは激しい斬り合いを続けていた。マデリシアはゆっくりと踵を返すと、後ろにまで飛び込んでいた青尽くめの剣士に近づいた。

 マデリシアが何をしたのか、見えたものはいない。次の瞬間には、青尽くめの剣士が力なく倒れ伏していた。

「俺、必要でした?」

 アレックが自嘲気味に言った。やっと動けるようになり、人質の縄を切った。

「油断するな!」

 キュリアスはサムと間合いを取り、睨み合いながら叫んだ。

「こいつ一人でひっくり返せる!」

 荒くれ者は皆倒れた。暗殺者の青い稲妻も倒れた。残るはフランシスとサムだけだった。戦闘に長けた冒険者であるキュリアスたちを相手に戦えるのは、サムのみである。そのサムと相対して押さえていながらなお、キュリアスはその男を警戒していた。

「アレック。回り込んでこっちへ」

 マデリシアが呼ばわった。

「はいってか、林の中で何か動いているんですが!」

 アレックは焚火の明かりが届かない林の中と、サムとを警戒しながら、マリアとルーベンスを誘った。ルーベンスがマリアの肩を抱くようにして支えていた。

「さっきのゴブリンや動物だと思う」

「まったく、なんてものを集めてるんですか!」

「大丈夫、大丈夫。動物は火の傍には寄ってこないわよ」

「ゴブリンもさっき逃げたんじゃないんですか!」

「隙見せたら襲ってくるかもよ」

 マデリシアはからかうように言った。

「まったくもう!」

 アレックは後ろを促して移動した。

 キュリアスはサムが解放された人質のもとへ向かわないよう、間に身体を入れていた。サムはお構いなしに、キュリアスに襲いかかっては素早く下がって間合いを取っていた。

 フランシスが後ろの林の中へ逃げ込んだ。

「逃げたわよ!」

 マデリシアの声に反応するかのように、サムがキュリアスに斬りかかった。キュリアスは剣で受けると蹴りつけにかかったが、その時にはすでに、相手はバネのように後方へ戻っており、宙を蹴ることになった。

 サムは下がった勢いのまま、フランシスの後を追って林の中へ消えた。

 キュリアスは舌打ちをすると、追跡しようとするマデリシアを呼び止めた。

「逃がす気?」

「追えば命を落とすぞ」

 キュリアスの言葉に、マデリシアは一瞬押し黙った。そして、キュリアスの傍に近づくと、周りには聞こえないように小さな声で言った。

「ジャックナイフって、まさか…」

 マデリシアは警戒し、ぼかして言ったので、周りで誰かが聞いていても意味は理解できなかっただろう。キュリアスが理解できればそれで問題なかった。

 キュリアスは頷いて見せた。刀身についた血を、地面に転がる男の服で拭うと、背中の鞘へ戻した。

 マデリシアは両手で自分の肩をさする。が、何も言わずに踵を返すと、男たちの首に突き刺さっているナイフを回収して回った。

 ザックとアーノルドがそれぞれ、親子で抱き合って無事を確かめ合っていた。その横で、アレックは緊張した面持ちで、林の中の暗闇を警戒し続けていた。



  12


 山を下りる道すがら、一人の老人の遺体があった。フランシス・バーグである。

 キュリアスとマデリシアが息のないことを確認した。背中から一突きに刺されていた。

「サム・ガゼルの仕業だ」

 キュリアスは断定した。感じ取っていた気配でも、サム・ガゼルが刺すところを確認していたのだが、傷口や手際の良さからも断定できた。

「雇い主を殺したの?狂ってるわね」

「いや、おそらく別の雇い主がいた」

 キュリアスはそう言うと立ち上がった。しかし、ザックたちのところには戻らず、話を続けた。

「別の雇い主に頼まれてこれに参加した。で、首尾よく行けばそれでよし。失敗した場合はこいつを殺す契約だったのだろう」

「メチャクチャね」

「裏で糸を引いてるやつは、それだけ自分につながるものを残したくないんだろう」

「自分の手足になって働く人をそんなに簡単に切り捨てるなんて…」

 マデリシアは非難めいたことを言ったが、非難すべき相手は影すら見えていない。

「暗殺者を貸し出したやつかしら?」

「かもな」

 キュリアスはそっとマデリシアを観察した。マデリシアはまだ、小さく震えているように見える。

 マデリシアはジャックナイフの正体に気付いた時から、辺りの闇を恐れている。自身が暗殺者に狙われていたことを、身に染みて覚えていた。そして、マデリシアを狙う暗殺者は、ジャックナイフことサム・ガゼルのように、腕の立つ者がやってきた。

 そのサムが、闇の中から現れて、自分を斬り裂くのではないか。マデリシアはそう思って、闇に怯えているのだ。

「あたしもまた狙われるの?」

 マデリシアは声に出して言った。ジャックナイフが所属していた組織のことを言っている。マデリシアはその組織から命を狙われていた。当時の恐怖がよみがえり、マデリシアはキュリアスの腕にすがり付いた。

「あの組織はもう壊滅した。それはない」

 キュリアスは即答していた。

「心配なら、俺の傍から離れるな」

 マデリシアの身体から震えが消えた。キュリアスの腕にすがり付いたまま、上目遣いに、キュリアスの顔を覗き込んでいた。

「あら。あらあら。そうするわ」

 マデリシアは頬を緩め、キュリアスの腕に身体まで預けた。

 腕を組んだまま、二人がザックたちの前に戻った。

「お二人、ケンカしてたんじゃないんですか?」

 アレックは呆れたように言い、二人の顔を見比べた。

「解決したわ」

 マデリシアはあっさりと答えた。

「お二人って、そう言う関係だったんですか?」

 先ほどまで不安そうな表情だったマリアが、眼を輝かせてマデリシアとキュリアスを眺めていた。

「ただの冒険者仲間だ」

 キュリアスはにべもなく答えた。

「あらそう。そう言うことにしておきましょう」

 マデリシアは意味ありげに言った。マリアと顔を見合わせ、どちらからともなく、クスクスと笑い声をあげた。


 フランシス・バーグが抱えていた顧客は、同業者たちの寄り合いにて分配された。ザックやアーノルドも数件、それぞれ新たな顧客を得た。

 フランシスの家族、従業員は共に去った。今回の暗殺未遂や、孫娘のルーベンスに襲われたという嘘も発覚し、町にいられなくなったのだ。さらに、不明な支出が多数見つかり、事業の継続も不可能だった。

 しかし、フランシスがなぜ、ザック・ケイソンとアーノルド・シュレイダーの二人の命を狙ったのかは、不明のままだった。用途不明の支出に対する穴埋めのために、ザックやアーノルドの資金を吸収したかったのではないかと噂されたが、それはザックやアーノルドでなくてもよかったはずである。

 ザックにしても、アーノルドにしても、師と仰ぐフランシスに命を狙われたことに、心当たりはなく、驚きを隠せなかった。

 フランシスが死んでしまったために理由を聞き出すこともできず、わだかまりの残る結末となった。

 この謎の答えは数ヶ月後に出ることになる。キュリアスたちが見つけ出すのではない。シャイラベル・ハートとフラムクリス・アルゲンテースらによってである。

 当事者たちが知るのはその更に後のことだ。


 わだかまりがあろうとなかろうと、依頼主が暗殺者に狙われることは無くなったので、キュリアスとマデリシアはそれぞれ仕事を終え、報酬をもらって冒険者の宿へ戻った。

 さっそく飲み明かそうとするマデリシアに対し、キュリアスは次の仕事があると断った。

「えー。もう仕事するの?明日からでいいじゃないの」

「そうも言っていられない。依頼発生から大分経っているからな」

 キュリアスはそう言って、冒険者の宿の掲示板から一枚の依頼書をはがした。それは以前、ラルフ・フォーティスたちが受け、失敗したゴブリン退治の依頼だった。

「師匠。僕のために?」

 ラルフが感激したように言った。

「お前の修行の成果を示す時だ」

「あたしは行かないわよ」

「俺も参加しませんよ」

 アレック・ヒューイットが旅支度をしていた。

「おや?旅立つのか」

「ええ。ちょっと資金不足だけど、いつまでもくすぶっていられません」

「そうか。なら、餞別だ」

 キュリアスはそう言って、今回の報酬の包みを開けもせず、そのままアレックに投げて渡した。

「そんな…。こんなにいただけませんよ!」

「気にするな。俺は何せ、金持ちだからな」

「え?ああ、そう言えば…」

「あたしらは遺跡発見者として、報酬がたんまり入るもの。だから気にすることはないわ」

 マデリシアも報酬をアレックに渡した。

「たっぷり稼いだら、俺たちに返す代わりに、どこかの新人にでも提供してやれ」

 キュリアスは気休めに言った。

 キュリアスたちが気前のいいことを言うので、アレックも断りづらくなり、そうですかと受け取った。

「分りました。そうします」

 アレックは礼を何度も言うと、宿の入り口で待つ仲間のもとへ向かった。

「おい。こんな夜分に出かけるのか?」

「もう早朝ですよ。それに、商隊の護衛としてついていくので、もうすぐ出発なんですよ」

「そうか」

 キュリアスは答えると、元気でなと手を上げた。マデリシアもいつの間にか木のコップを手に掲げていた。

「またいつか、どこかでお会いしましょう!」

 アレックは頭を深々と下げて、宿を出て行った。

「さて、朝食を食ったら俺たちも出かけよう。目的地の村に付いたら、そこで仮眠をとって、ゴブリンの活動が活発になる夜に行動する」

「はい。よろしくお願いします」

 キュリアスの言葉に、ラルフが頭を下げた。

「お前の修行の成果を見に行くだけだ。俺をあまりあてにするな」

「僕一人で大丈夫ですか?」

「大丈夫なようにフォローしてやる」

「お願いします」

「あたしは行かないわよ」

 マデリシアが念を押した。

「わーってる」

「あ、でも、暗殺者が来たらどうするのよ」

「来ないって」

「あたしを守ってくれるって言ったじゃない。あれは嘘なの?」

「うるせぇ」

「あ、酷い。あたしにあんなこと言っておいて…。あたしの気持ちをもてあそんで…」

「知らん」

 キュリアスは冷たく言い放つと、奥の厨房で仕込み作業中の、宿屋の奥さんに声をかけ、朝食を頼んだ。


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