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アドベスタ  作者: ばぼびぃ
15/15

異界よりの来訪者

  1


「なんであんたがこんなところにいるのよ!」

 シャロン・ベネフィカは銀狼亭に入るなり、大きな声を上げた。少女はすぐに自身の失態に気付き、慌てて口を押さえた。

 キュリアス・エイクードがカウンターの黒髪の青年に駆け寄ったことで、幸いにもシャロンの発言は宙に浮いた。他の客の視線もキュリアスに注がれている。それほどに騒々しく駆け込んだのだ。

「エッジの知り合い?」

 マデリシア・ソングも、シャロンではなく、キュリアスの行動と、カウンターの若者に意識を向けた。

 シャロンの母親であるマリア・ベネフィカだけが、シャロンの失態に気付き、咎めるように見つめていた。

「おいエッジ!ここで物騒なことはするなよ」

 ジャック・ストレイダーがカウンターの中から、素早く忠告した。自身の店の中でいざこざを起こしてもらいたくない。例え、その逞しい腕で、ガラの悪い客を叩きだしていると周知の事実になっているとしても、他人に自分の店を荒らされたくなかった。

 が、いざこざの方がキュリアスをそっとしておいてはくれなかった。

 近くのテーブル席についていた逞しい身体つきの男が立ち上がるとキュリアスの前に割って入った。

「邪魔だ」

 キュリアスは男を避けようとしたものの、男は道を譲らなかった。

「強い奴とやり合いたいってのはお前のことか?」

 男はそう言って腰の剣に手をかけた。

 普段のキュリアスなら、手合わせを受け、さらに賭けごとにもする。だが、今はカウンターの男が気になり、余裕がなかった。

「今は忙しい」

 キュリアスはそっけなく答えると、男の脇をすり抜けた。その肩を男が引き止めようとしたため、キュリアスは問答無用に、男の鳩尾に拳を打ち込んだ。

 男が床の上に倒れるのと、キュリアスがカウンターの青年を見下ろしたのが、ほぼ同時だった。拳を打ち込むが早いか、相手がどうなろうが知ったことではなかった。

「やれやれ」

 ジャックは諦めたように頭を左右に振った。

「誰かそいつを介抱してやってくれ」

 近くにいたマデリシアは素通りである。キュリアスの何時にもない反応に興味をそそられ、青年の顔を見学に行った。

 シャロンは青年から目が離せない。

 マリアは娘が失態を犯さないように見張らなければならなかった。

 結局、別のテーブルで食事をしていた客が、倒れた男を運び、椅子を並べた上へ寝かせた。

 キュリアスはと言うと、慌てて駆け寄ったものの、なんと声をかけていいものか、考えあぐねていた。

「あんただろう?あそこから俺を出してくれたのは。礼を言う」

 キュリアスは慌てて言った。尋ねたいことが多すぎた。遺跡で身動きの取れない空間に捕らわれた。その空間が何だったのか。どうやって出ることができたのか。目の前の青年はどうしてその空間にいたのか。その後一度も姿を現さなかったというのに、なぜ今ここにいるのか。

 だが、あの空間から脱出できたのは目の前の青年のおかげであることには間違いない。

「気にするな」

 青年はそっけなく答えた。

「あんた、名前は?」

 キュリアスは尋ねた。自分が名乗っていないことにも気付いていない。

「ごめんね。そのぶしつけなのはキュリアス・エイクード。あたしはマデリシア・ソングよ」

 マデリシアが助け舟を出した。

 青年はマデリシアとキュリアスの顔を交互に見つめた後、

「ヴァノラス・セネロイ」

 と名乗った。

「それを名乗るのね。ファントム」

 シャロンが呟いたが、それは間近にいたマリアですら、聞こえなかった。

「ヴァノラス!あの時の礼をしたい。一杯おごらせてくれ」

 キュリアスはそう言うが早いか、ジャックに酒を三つ頼んだ。

「あら、あたしのまで頼んでくれるなんて、気が利くじゃない」

 マデリシアは冷静さを欠くキュリアスをからかい半分に言った。

「うるせぇ」

 悪態を返せる程度には、平静を取り戻していた。キュリアスはヴァノラスの隣に腰を下ろした。

 マデリシアはヴァノラスの顔を眺めまわした後、キュリアスの隣へ移動した。

 シャロンがヴァノラスの隣に座り、その隣にマリアがついた。

 ジャックは注文の酒を出すと、シャロンとマリアの注文を受けた。

『どうするつもり?』

 シャロンは思念波を使ってヴァノラスに問いかけた。ヴァノラスは小さく眉を動かしただけだ。

 キュリアスは酒をヴァノラスに手渡すと、自分もコップを取って打ち合わせた。マデリシアは自分でコップを取って、勝手に飲んだ。

「で、ヴァノラスも冒険者か?」

 いつものキュリアスらしさはどこへやら、間を持たせようと、次々と質問を浴びせた。

「あそこからどうやって?だいたいあそこは何だったんだ?」

 気になることを矢継ぎ早に尋ねながらも、キュリアスの本心は別にあった。それは本人も気付いていないことだったので言葉にできず、もどかしく、質問を繰り返すことになった。

 質問を繰り返すうちに分かったことは、ヴァノラスも冒険者だということだけだった。

 キュリアスが答えを聞く前に次の質問をぶつけていったためでもあるが、ヴァノラスがあまり口を開かなかったこともほとんどの答えを得られなかった原因の一つだった。

『時空間の狭間よね。時が止まった空間という説は本当かしら?エッジはそこで意識を保っていたのね。それはそれで興味深いわ。で、ファントムもエッジに興味を抱いたのかしら?』

 シャロンはシャロンで、思念波で質問を浴びせていた。そのために、ヴァノラスはどちらにも答えられなかったとも言える。

 キュリアスは次第に自身の本心に気付き始めた。それは、目の前にいるにもかかわらず、ヴァノラスの気配を感じることができないことに起因していた。

 キュリアスは気配を察知できる。見ていなくても、先ほど倒した男が片手を動かしたことが分かっている。銀狼亭の客たちが各々に過ごすさまも感じ取っている。店の奥で、ジャックの妻、ローザが赤子のミアをあやしていることも察知していた。

 だというのに、目の前の青年の気配は虚ろで、キュリアスには何も察知できなかった。

 得体のしれないものに触れ、恐怖を味わうと同時に、この男と一戦交えたらどうなるのだろうという物騒な考えが、心の奥底に芽生えていた。

 キュリアスはもとより、強い人物との力比べを望んだ。時々銀狼亭で見かけるのは、先ほどのようなどうでもいいようなやつらばかりだ。本当の実力者はなかなか出会えない。

 力比べとは、そのような実力者とやり合ってこそだと、キュリアスは考えていた。その機会が目の前にいるのだ。どちらが上か。自分の力がどこまで通用するのか、試してみたい。

 気持ちに気付いたキュリアスはいても立ってもおられず、

「なあ、俺と手合わせしてくれないか?」

 と真正面から申し込んだ。

「止めておこう」

 ヴァノラスは即座に言った。

「そう言わずに!」

「勝てぬ戦はしない」

 ヴァノラスのその言葉は、表面上だけとれば、負けを認めた発言である。だが、キュリアスには、無謀な戦を仕掛けるなという戒めの言葉に聞こえた。

 キュリアスは余計に火が付いた。なんとしても、ヴァノラスと手合わせしたい。そう思って、殺気を放ってみたり、威嚇してみたりしたが、全く反応がなかった。

「まるで子供と大人のやり取りね」

 マデリシアが感想を述べた。

「どっちが子供だって?」

 キュリアスはうまくいかない苛立ちを伴って、マデリシアに言い返した。

 マデリシアは答えなかった。答えずとも、キュリアスに伝わっていると分かっていたからだ。マデリシアにはヴァノラスの強さはまるで分らない。分からないものの、落ち着き払っているヴァノラスの様子から、大人と子供の発想を得たのだ。当然、キュリアスは落ち着きの無い子供扱いである。

『本当にファントムって、勝てる戦にしか手を出さないわよね』

 シャロンは思念波でヴァノラスをからかおうとしたが、それも無駄だと初めから分かっていた。ヴァノラスが弱い相手にしか挑まないような人種ではないことを、シャロン自身が熟知していた。ただ、ヴァノラスが戦いを避ける時、挑む時に同じ文言を口にするというだけのことである。そしてキュリアスに対しては、避ける意味で使ったと、シャロンには分かっていた。

 キュリアスはなおも食い下がって勝負を挑もうとしたものの、客の訪れがそうはさせなかった。

 銀狼亭に入ってきたその人物は、銀狼亭の利用客ではないと、一目で分かった。フォートローランスの紋章が描かれたマントを翻し、鏡のように磨きこまれた胸当てを誇示するように歩いた。顔は兜の中に隠れ、堂々と歩く様は機械のようでもある。その人物は、フォートローランス王国の兵士以外の何者でもない。

「こちらにキュリアス・エイクード殿はおられるか?」

 兵士の声を聞いて、初めて女性だと分かる。

 キュリアスは初め、昵懇にしているシャイラベル・ハートからの使者かと思ったが、思い直した。あまりにも兵士然としている様が、シャイラベルの親衛隊との違いを浮き彫りにしていた。

 国の兵士が探しに来る。キュリアスは咄嗟に、何か罪に問われるものを最近壊したかと、自問した。特に思い当たらない。すると、カークロス・ハート国王がまた因縁をつけに来たのかもしれない。その呼び出しではないかと察した。

「俺に何か用か?」

 キュリアスは名乗らないわけにはいかなかった。周りの数人がキュリアスと兵士を見比べていたため、兵士もキュリアスに気付いていた。

 兵士はキュリアスの前まで進むと一枚の紙を差し出した。キュリアスが受け取り、内容を確認するまでじっと待つ。

 東の商業国家メルカトゥーラの北側に広がる平原で多数のモンスターが発生し、被害が広がっているため、各国から軍を派遣して対処する。ところが、フォートローランスは先年の小麦の不作から資金不足、兵糧不足に陥っており、多数の軍を派遣することができない。そのため、少数精鋭を集めて派遣することになった。

 キュリアスはその少数精鋭部隊に推挙されていることが書面で分かった。推薦者はおそらく、国王か第二王女だ。あるいはその両方だろう。

「エイクード殿にぜひとも参加して欲しいとのことです。集合は五日後」

「報酬は出るんだろうな?」

 キュリアスは冒険者であり、兵士ではない。命令されるいわれはない。また、無償で働く義理もない。当然の権利を確認したまでだ。

「もちろん報酬は用意されています。詳しくは集合場所でお聞きいただきたい」

「報酬のはっきりしない依頼は…」

 キュリアスが言いかけるのを、兵士は前もって予測していたかのように遮った。

「第二王女様の御依頼です」

 そう告げればキュリアスが承知することを、誰かが言い含めてあったのだ。

 推薦者はシャイラベルか。

 キュリアスは即座に答えを出した。シャイラベルの頼みであれば、断るわけにもいかない。

「分った」

「それと、伝言です」

 兵士は言い淀んだものの、はっきりと言った。

「それまでに剣を手に入れておくように」

 キュリアスは冒険者だが、現在、武器を失ったまま、活動中である。新調するには懐が寂しすぎる。つい先日、遺跡の探索を行ったものの、その報酬はまだもらっていなかった。

 報酬は後々届くのだが、それを待っていては、剣を買う時間的余裕がなくなる。自分の希望に合うものを打ってもらいたいが、そもそも五日後に間に合わせるには、作り置きの剣を買うしかない。

 キュリアスの不満の種はそこにあった。自分に合った剣を作ることができない。その余裕がない。だというのに、剣を用意して参加しろと言うのだ。何かの嫌がらせかとも思えてしまう。

 ただ、冷静に考えれば、この依頼が思った以上に切羽詰まった状況なのではないかと伺えた。悠長に待てないほどに。

 とすると、五日後の集合は、即出発を意味し、急ぎ足で隣国へ目指すことになるだろう。

 ここから王都まで二日ほどの距離だ。キュリアスの足であれば一日で踏破できる。とはいえ、準備期間が短すぎる。

 キュリアスは頭を掻きむしると、

「分った!何とかしよう」

 そう答えて兵士を追い返した。

 兵士と入れ替えに、エリック・パシュートが銀狼亭に入ってきた。

「報酬!」

 キュリアスはエリックの顔を見るなり言った。その金が無ければ、剣を買うどころではなかった。

「あー。すみません。ギルドが後程届けるそうでして…」

 エリックは申し訳なさそうに答えた。

「なんだとぉ!」

 キュリアスは天井を見上げるしかなかった。

 マデリシアはキュリアスの嘆きようを見て、口元を押さえて笑った。

「お詫びと言っては何ですけど、先日行ったこの近くの遺跡があるじゃないですか。あそこ、今から調べに行きませんか?」

「行こう!」

 キュリアスは博打のように、即断した。あわよくば、遺跡から古代の武器を手に入れ、それを持参する算段だ。もしも武器が無かったとしても、作り売りの剣を買うくらいの資金は稼げるだろうとの皮算用でもあった。

「あたしも行くぅ!」

 マデリシアも手を上げた。

「当然でしょう」

 エリックも認めた。

『あー。今の遺跡の話、あれ、あなたの弟子絡みよ』

 シャロンはヴァノラスへ思念波を送った。視線は、慌ただしく支度を始めたマデリシアを追っていた。

『弟子?』

 初めてヴァノラスの思念波が返ってくる。

『刀鍛冶の。ほら、メリッサっていたでしょ』

『妖刀打ちのメリッサか』

『そう。今そこで話していた遺跡はメリッサの旦那が造ったものよ。メリッサの渾身の一振りを、師匠に見せて評価してもらうために』

『仕掛け館だろう』

『ご名答。あの旦那だもの』

 思念波の会話はそれで途切れた。

 キュリアスたちが慌ただしく出て行くのを見送った後、ヴァノラスはゆっくりと立ち上がった。

『弟子にとったつもりはないが…』

『気になるのね』

 思念波を再びかわした。シャロンは母親に、ヴァノラスと出かけることを伝え、銀狼亭を後にした。



  2


 地中に埋もれた遺跡へ、キュリアスたちは急いだ。のんびり行けば一日かかってしまう。王都へ駆けつけることも考えると、あまり猶予はない。

 そのキュリアスたちより先に、シャロンとヴァノラスが遺跡にたどり着いた。

「空間を斬り裂いて…移動先とつなげているの?ゲート魔法と似ているけれど、それを、剣で空間を斬り裂いて、なんて、とんでもない荒業ね」

 シャロンは感心するようにヴァノラスを見た。

 シャロンは記憶の中のヴァノラスと、今の姿を重ねた。二本の剣を背負い、無造作に歩む。無数の敵が斬り込んでくる戦場でも、同じように歩いた。その記憶と寸分たがわない。

 戦場を無人の野のごとく歩んだその男は、敵の攻撃すら、涼しい顔ですり抜けてみせた。それ故に、人々はヴァノラスをファントムと称し、畏怖したのだ。

 シャロンは杖に浮遊魔法をかけ、その上に座ってヴァノラスについて行った。

 遺跡の入り口にあたる、天然の洞窟の前に、魔術師ギルドの人間が見張りに立っていた。盗掘を防ぎ、中の遺跡を研究するためだ。

 ヴァノラス一人であれば、全く気付かれずに侵入を果たしただろう。が、シャロンは事の顛末を見届けるつもりになっており、そのためには同行する必要があった。

 シャロンは見張りの意識を魔法で遮断し、二人が目の前を通過しても気付かないようにした。通り過ぎ、洞窟の中に消えてから、見張りの意識を解放した。

 見張りから見えない位置まで入り込むと、シャロンは魔法の明かりを灯した。

 洞窟を抜け、石造りの遺跡に入る。

 途中、戦士の形をした石像が崩れているのを見かけた。石像が暴れたのか、通路の壁が途中から土の塊に変わっていた。天井も、途中から土に変わっている。

 天井も壁も、魔法で固められていると分かっていても、崩れてくるのではないかと不安がよぎってしまう。

 ヴァノラスはその不安を感じないのか、平然と奥へ向かった。

 シャロンはその後を、辺りを見渡しながら、杖を操作して浮遊した。

 壁と天井の材質が変化したこと以外は特に代わり映えの無い遺跡の通路だった。

 通路の途中に扉があった。

 ヴァノラスは躊躇なく開けた。

 扉に罠でもあればどうするのかと、シャロンはひやひやした。この遺跡を造った人物のことを考えれば、扉に仕掛けなどないことにすぐに気付けるのだが、その考えは思い浮かばなかった。

 中は広間になっていた。

 床に無数の穴がある。穴と形容するよりも、壁の天井に立っており、壁と壁の隙間が穴のように広がっていると見た方が、正しそうだ。ただし、穴の底は魔法の明かりを向けても見えない。

 床はまるで迷路のように、細い道を作っている。道を踏み外せば、底の見えない穴に落ちる。穴の暗がりは死を彷彿とさせた。

 ヴァノラスはしばらく入り口に立ち止まって部屋の様子を眺めた。

 シャロンがヴァノラスの横を浮遊して抜け、穴の上に差し掛かろうとしたところをヴァノラスは引き戻した。

 いつの間にか、杖の浮遊魔法が切れている。

「魔法を遮断されたの?危なかったわ。ありがとう」

 シャロンは自身の杖にしがみつき、暗がりを覗き込みつつ、礼を言った。

 魔法の光を作り出し、穴の中へ向かわせたものの、穴に差し掛かるとすぐに消えた。

「やっぱり駄目ね。魔法は禁じられているのね。…落ちたらどうなるのかしら?」

 シャロンは呟いたものの、床に叩きつけられて死ぬことしか思い浮かばない。足が震えて、後ろに尻餅をついた。

「まったく、趣味の悪い仕掛けを造ったものね。で、これ、迷路か何かかしら?」

 ヴァノラスは答えず、無造作に細い通路を歩み始めた。

 シャロンは後を追うことも忘れ、様子を眺めた。

 ヴァノラスは迷路のような細い通路を、躊躇なく進んだ。そして中央付近まで進むと、突如として、穴の中に落ちた。

 シャロンは思わず短い悲鳴を上げた。


 ヴァノラスは別室に立っていた。あれは落下したのではなく、そこが入り口だっただけのことである。

「クリアおめでとうございます」

 明るい声が聞こえた。

「クリアタイムは…なんと!………」

 どこからか聞こえる声を無視し、ヴァノラスは部屋の中央にあるテーブルのような石柱に触れた。

「登録情報に該当しました。妻のお師匠様ですね!」

「師匠!あなたのクリア報酬は、私の自信作よ!受け取りなさい!絶対あなたをうならせてやるんだから!」

 別の、女性の声も聞こえた。ヴァノラスの記憶よりも、だいぶ大人びた声だが、挑むような言い方は変わりなかった。

 恐ろしい切れ味が人を惑わす。それが若い天才刀鍛冶の作る剣だった。彼女の作は、彼女の名から、メリッサの剣と呼称される。

 メリッサはヴァノラスの剣を目にして以来、ヴァノラスを師匠と仰ぎ、同じものを作ろうと精進した。

 ヴァノラスの剣は、常識はずれの強度と、鋭い切れ味を兼ねそろえていた。ただ、人を惑わせるような異常な魅力は備えていなかった。

 ヴァノラスは熱心なメリッサに、鉱物の違いを教えた。それ以外は教える必要もなかった。ヴァノラスはその後、すぐに旅立ったため、後のことを全く知らなかった。

 ヴァノラスは次元の狭間に長い時間閉じ込められ、過去の出来事の多くを見て過ごした。その気があれば、メリッサのその後を見ることもできたのだが、関心がなかった。

 シャロンに誘われたこともあって、そのメリッサがどのような剣を作り出したのか、興味が湧いていた。

 正面の壁が両側に開いた。棚があり、一本の曲刀が無造作に置かれている。鞘も柄も、特に装飾はない。

 手に取ると、ずっしりと本来の重さを感じた。

 鞘から刀身を引き出す。

 引き込まれるような美しさを持ちながらも、狂気じみたものは何も感じない。試し斬りするまでもなく、切れ味の予測はついた。

 力を刀身に注いでみると、包み込むように広がった。ヴァノラスの手に馴染む。しかしヴァノラスは、唸りはしなかった。代わりに、鞘に戻し、棚に置くと、

「いい出来だ」

 一言呟いた。

「やった!認められたわ!」

 まるでそこにメリッサがいるかのように、喜びの声が聞こえた。魔法でメリッサの意思を、感情を、残したのだろう。

「その剣は師匠に差し上げます」

 声は言った。

 ヴァノラスがシャロンの元へ戻った時、そのメリッサの剣は手にしていなかった。

 突然、自分の横にヴァノラスが現れ、シャロンは飛び跳ねた。

「どこから湧いてきたのよ!と言うか、落ちて死んだところを想像しちゃったじゃないの!私の涙を返してよ!」

 シャロンの頬には涙の痕が残っていた。赤く腫れぼったい眼でヴァノラスを睨み付ける。

「あれの旦那の趣味だ」

 ヴァノラスはそれで説明がつくとばかりに言った。

「ええ、そうね。あの楽天家で夢想家がそんな残酷なアトラクションを作るとは思えないわね。確かに」

 シャロンは不承不承、認めた。

「でも、どうやってクリアしたの?」

「魔女なら流れが見えるだろう」

 シャロンはそう言われて、改めて辺りを見渡した。

「あ」

 シャロンは大きく口を開いた。

「こんな単純な…。もっとしっかりした仕掛けがあるのかと思っていたのに」

「遊んでいくのか?」

「よして。答え分かっちゃったから、もういい。どうせ、ここには魔導書の一冊もないでしょうから」

 答えを聞くが早いか、ヴァノラスは背中の剣を一本抜き放ち、空間を斬った。裂け目の向こうに別の空間が広がる。

 ヴァノラスとシャロンは裂け目を通って、銀狼亭のあるイクウィップの町へ戻った。

 その少し後、キュリアスたちが遺跡の扉を開けた。

 エリックはキュリアスとマデリシアの速度について行けず、杖に浮遊魔法をかけて掴まり、キュリアスに杖を引っ張ってもらってここまで来た。引っ張られただけだというのに、エリックは荒い呼吸だった。

 風を受けて乾いた眼をしばたいていたエリックは、部屋に入るなり、落下しで悲鳴を上げた。とっさにキュリアスが掴み、細い通路の脇の穴に落ちないよう、引き止めた。

「危なかった…」

 エリックは底の見えない穴を覗き込みながら礼を言った。

 エリックの魔法の明かりも消えていたが、部屋の中は見通せる程度に明るかった。天井が淡く光っているようにも見える。

「細い通路…迷路かしら?」

 マデリシアは部屋を見渡し、続いて穴を覗き込んだ。

「落ちたら命が無さそうね」

 キュリアスも覗き込んだが、底は見えない。穴に飛び込みたいとはだれも思わなかった。

「とにかく調べてみましょう」

 エリックは呼吸が整い、眼の乾きも落ち着くと、眼前の風変わりな遺跡に心奪われた。ふらふらと細い通路を進む。ともすれば、踏み外して落ちてしまいそうだ。

「落ちるなよ」

 キュリアスは一言忠告すると、自分も調査にかかった。エリックとは別の方向の細い路地を選んだ。

 マデリシアもさらに別の方向へ進んだ。

「パッと見、罠はなさそうね」

 マデリシアもキュリアスも、足元はしっかりしていた。二人は細い通路でも、踏み外してしまう恐怖を微塵も感じていない。場所によっては、足の幅しかないところも存在するのだが、二人はバランスを崩すこともなく進んだ。

 エリックはと言うと、細い路地に差し掛かると、杖でバランスを取りながら、綱渡りのように歩いた。転びかけ、慌てて通路にしがみつく。

「こんな遺跡、初めてですよ。何の目的があるのかさっぱり分かりません」

 エリックは恐怖で乱れた呼吸を整える間、遺跡に対する感想を述べた。

「何だっていいさ。お宝さえあればな」

 キュリアスの目下のお宝は、作り置きの剣を買うことのできる資金、またはそれに相当する品物だ。古代の未知の技術や、そもそも遺跡の目的など、どうでもよかった。

 マデリシアは遺跡の経緯があるのならば、知りたいとは思うものの、やはりお宝、特に金銀や宝石といった物を望んでいた。

「そういえばさ。物語りに道を外れてはいけないってのあるのよ」

 マデリシアは細い通路を進みつつ、言った。

「振り向いてもダメなの。真っ直ぐ目的地まで歩かないといけないの。だけど、道の両脇には金銀財宝が山のようにあって誘惑するの。後ろからは誰かに呼び掛けられるの。切羽詰まった助けを求める声とか、恋人の呼びかけとか、振り向かないと殺すって怖―い脅しまで」

「止めてくださいよ。後ろが怖くなっちゃうじゃないですか」

 エリックは通路を四つん這いで進みながら言った。

「その話、最後はどうなるんだ?」

 キュリアスは物語の結末を聞きたがった。マデリシアの話に興味をひかれ、振り向いた。その瞬間、キュリアスはなぜか、入り口の前に戻っていた。

「あ!エッジが消えた!」

「マジか!」

「あ、そっちに…いた…のね」

 マデリシアもキュリアスの傍に戻った。

 キュリアスは自分の身体や持ち物に異常がないことを確かめると、再び通路を歩み始めた。

「何これ!振り向いたらダメなのね!おもしろーい!」

 マデリシアは喜々として、元の道を進みなおした。物語のことはすっかり頭から消え失せていた。当然、キュリアスの顛末に対する質問は、すでに記憶にない。

「マデリシアさんの話と似てますね。ということは、この穴の下に財宝があるとか…?」

 エリックは四つん這いのまま、横の穴を覗き込んだ。

「試してみろよ。命があったら教えてくれ」

「そんなこと言われたら試せないじゃないですか!」

「魔法で下りれば?」

 マデリシアが提案した。

「ダメみたいです。魔法が使えないみたい」

 エリックも魔法のことは考えていた。ただ、ここへ入った時に浮遊魔法も明かりの魔法も解除された経緯があったので、無謀なチャレンジは行わなかった。念入りに、魔法を発動させてから下りようとしてみたものの、魔法が発動しなかった。

「魔法封じの空間なのね」

 マデリシアは言うが早いか、発声練習を始めた。

「いいわ!あたしの声で物が壊れないのは!」

「ほどほどにしろよ。マディの声は規格外だからな。本当に封じ込めれるのかどうか…」

 キュリアスは過去の出来事を思い返して不安になった。魔法封じの牢獄で、マデリシアは人々を魅了してみせた。つい先日も、魔法封じの施された魔導具から、その声一つで脱出してみせた。ここの魔法封じも、マデリシアの声を抑えきれない可能性の方が高い。

「規格外って何よ!」

 マデリシアは憤慨した。

 キュリアスは、マデリシアのあだ名のバンシーが言い得て妙だと思うものの、そのことを口に出すような愚を犯さなかった。

 キュリアスは細い通路を律義に進むことに飽きてきた。隣の通路まで、キュリアスの脚力なら飛べる。飛び渡っていけば、中央も近い。

 キュリアスは躊躇なく、飛んだ。何が起こるか分からない以上、考えても仕方ないと言わんばかりの行動だった。

 キュリアスは難なく着地した。ただし、目的とした通路と、景色が違う。左の方に見えていたマデリシアが、右にいる。左の視界の隅に見えていた壁が消え、代わりに右の奥に壁が見えた。

「ワープした!」

 マデリシアは眼を大きく開けて言った。その拍子に振り向いたため、彼女は入り口に戻された。

「あー!やっちゃった!」

 マデリシアはキュリアスを真似て、穴を飛び越えて進んだ。すると、穴の上に差し掛かった瞬間に、全く別の場所に移動する。

 移動先での前後が分からず、向いた方向が悪く、また入口へ戻された。

「ずるはいけませんよ」

 エリックはそう言ってゆっくり進んだものの、ついついマデリシアのワープを見学し、結果振り向いて入り口に戻された。

「何か面白れぇ!」

 キュリアスは適当に飛び回った。穴を超えるとワープさせられるようだが、法則性は見いだせなかった。

 飛んだ先で向きが変わっているため、方向感覚が失われるのだが、キュリアスには気配感知がある。飛んだ先で気配を探って状況を確認し、正しい向きに進んだ。

「ずるー!」

 マデリシアはキュリアスが入り口に戻ってこないことを、羨んだ。

 マデリシアは運任せに飛び回った。方向を見失って入り口に戻ることもあれば、正しい方向へ進めることもあった。

「急がば回れ、ですね」

 エリックは慎重に、通路を這いずって進んだ。

 キュリアスは途中から、飛び回るのを止めた。が、行き止まりにあたり、結局飛ぶはめになった。そして、気配を読んでも進むべき向きが正しいとは限らなかった。

 キュリアスは入り口に飛ばされ、大きな舌打ちをした。

 キュリアスは駆け出そうとして、止めた。飛び回ることに夢中で、気配の小さな異変に気付いていなかったと分かったのだ。

 マデリシアが飛ぶと、何かの気配の流れがマデリシアを運んでいると分かった。それは瞬時に行われているため、流れと言うには問題があるものの、その瞬間を引き延ばして理解すると、確かに流れに乗って運ばれているのだ。

 そして、その運ばれる先は不規則かと思われていたが、流れが初めから繋がっているのである。一度使うと、流れの繋がる先が変化するため、不規則に見える。だが、流れが分かると、飛ぶ先もあらかじめ分かった。

 これは確かにずるかもしれないな。

 キュリアスは苦笑いした。自分だけ、自身の能力によって、攻略方法を見出すことができたのだ。

 流れの一つに、おかしなものがあった。マデリシアが飛ぶたびに、おかしな流れの場所が変わるものの、必ず一つ存在する異質なものだ。キュリアスはそこがゴールのように思えた。

 その異質な流れが偶然、通路の先に現れた。

 キュリアスは細い足場を駆け抜け、異質な流れの中に飛び込んだ。

 気付くと、どこか知らない部屋の中にいた。

「クリアおめでとうございます」

 明るい男の声が聞こえた。

「クリアタイムは…十八分!かなり優秀ですね!」

 キュリアスが辺りを見渡してみても、声の主らしきものは見当たらなかった。そもそも人の気配すらない。部屋の中央にテーブルのような石柱が一つあるだけだ。出口すらない。

「どうか、石柱に手を置いてください」

 声に導かれ、キュリアスは手を置いた。それ以外にできそうなことがなかったため、素直に従った。

「初めてのご利用ですね。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「キュリアス・エイクード」

 キュリアスは素直に答えた。

「情報が登録されました。キュリアス・エイクード様。本日は当アトラクションのご利用、誠にありがとうございます。初クリアの報酬として、こちらを進呈いたします」

 声が聞こえたかと思うと、正面の壁が左右に分かれた。壁の裏側に棚が現れ、細長いものが置かれている。

 キュリアスは瞬時に期待がよぎり、石柱を飛び越えて駆け寄った。それは期待通り、そしてキュリアスの好み通りの、曲刀だった。

「おお!」

 キュリアスは呻きながら、柄をつかみ、鞘をつかみ、刀身を引き出した。最後まで抜き放ち、片手で軽く振った。手ごろな重さだ。

 刀身を眼の高さに持ってきて、じっくりと眺める。片刃で、奇麗な波紋が見える。切れ味もよさそうだ。

 先日出会った妖刀と呼ばれるメリッサの剣と比べると、狂気じみた魅力はなく、平凡なものに見えるが、妙に手に馴染む剣だ。そして、キュリアスは現在、武器を持っていない。武器を欲していた。そして、好みの曲刀が手の中にある。そのことが判断に偏りを与えた。

「最高の一品だ!」

 古代の遺跡で見つけた物なので、それなりの値段で売れるとは思われるが、法外な値段がつくことはないだろう。それならば、手っ取り早く、使う方がいい。キュリアスは即座に決断し、自分の背に鞘を当ててみた。紐を取り付ければ、背負える。剣も手に馴染む。

「よさそうだ…」

 キュリアスは呟いていた。この場にマデリシアが居合わせていれば、にやけたキュリアスをからかったに違いない。

「お気に召しましてよろしゅうございます。次回はそのような景品を用意できませんが、よろしければ、当アトラクションをまた遊んでいただければ幸いです」

 声が聞こえると同時に、右手奥の壁が左右に分かれ、通路が現れた。

 キュリアスは剣を鞘に戻し、意気揚々と出口を通った。気付くと、遺跡の迷路の入り口に立っていた。まだ、マデリシアとエリックは細い通路の上を奔走している。キュリアスが消えて戻ったことにも気付いていないようだ。

 キュリアスは再び剣を引き抜いて、じっくりと刀身を眺めた。少なくとも、悪い剣ではない。上等な部類に入ると思われた。行きつけの刀鍛冶に、好みの剣を作らせても、ここまでに仕上がるかどうか分からない。今までに何度か剣を打ってもらったことがあるのだが、それらとそん色のない、あるいはそれ以上の刀身に見えた。手に馴染むせいか、

「あのじいさんでもこいつは無理じゃねぇか?」

 と思え、自然と笑みが浮かんだ。

「あ!殺人鬼のトラップ!」

 マデリシアが横に現れ、キュリアスを見上げて言った。

「試し斬りさせろぉ」

 キュリアスもおどけてみせた。

「きゃー」

 マデリシアはわざとらしい悲鳴を上げて、通路を駆けて行った。

「その剣、どこにあったのよ!」

「ここをクリアしたらもらえた!」

 キュリアスの答えを聞くと、マデリシアは更に攻略の熱を上げるのだった。



  3


 マデリシアとエリックも、時間をかけてクリアした。マデリシアは完全に運だ。エリックは、彼曰く、光の変化のある空間があった、とのことで、そこに飛び込んでクリアしたのだった。

 マデリシアとエリックはクリア報酬にメダルをもらったが、明らかに、剣よりかなり見劣りする景品だ。

「ずるい!それと交換して!」

 マデリシアは疲れも見せず、真っ暗になった帰り路でキュリアスに絡みついた。

 エリックは疲れ果て、浮遊魔法をかけた杖に乗っているだけだ。行きと同様、キュリアスがその杖を引いて持ち帰っている。

「俺のクリアタイムがよかったから、良い物がもらえたのさ。悔しかったらもっと早くクリアしてみるんだな」

 キュリアスはマデリシアに勝ち誇って言った。

「でもエッジも強運ね」

 マデリシアはキーッと悔しがってみせた後で、冷静にキュリアスの収穫物を眺めた。

「剣を欲しがってたところに、手に入れちゃうんだもの」

「俺もついに運が回って来たな」

「たいして斬れなかったりして」

 マデリシアの言葉に、キュリアスは足を止めた。剣を抜き放ち、近くの枝を斬った。枝の抵抗を受けることなく、容易く斬れた。

 キュリアスは気合を込めて、近くの幹を斬った。木が一本、寸断されて倒れる。

「わお」

 マデリシアは目を丸くし、拍手した。

「思った以上によさそうだ」

 キュリアスは手に馴染む剣を眺めた。

「こいつで斬撃を飛ばしたら…」

「止めてよ、こんなところで。森を破壊しないでよ」

「ま、いずれ試してみるさ」

 キュリアスは素直にマデリシアの警告を受け入れ、剣を鞘に納めた。再びエリックの杖を掴み、闇夜の森を進んだ。

 イクウィップの銀狼亭に戻った時は真夜中で、数時間もすれば朝日が顔を出すような時刻だった。そのため、店主のジャックは寝ており、入り口は閉ざされていた。

 キュリアスたちは仕方なく裏手に回り、馬小屋の藁の上で休んだ。

 早朝、物音で目を覚ますと、三人は銀狼亭へ入り、朝食にありついた。

 エリックは食事を終えると、

「ギルドに戻って報告します。今回の報酬も、前回の報酬も、後日ギルドからお届けしますね」

 と言って立ち上がった。

「あたしたちいないと思うから、ジャックに預けておいて」

 マデリシアの返事に頷き、エリックはまだ疲労の残る身体を引きずって旅立った。

「いないと思うって、マディ。お前まさか…」

「あら?あたしを置いて行けると思って?」

 キュリアスとマデリシアは妙な睨み合いをした。それはすぐに終わり、どちらからともなく、旅支度にかかった。

 支度が整うと、二人は連れ立って南の王都へ向かった。幸い、その日も天気が良く、旅にうってつけだった。やや冷たさの増した風も、心地いい。寒いと感じるには、もう一巡り季節が進まなければならないようだ。

 道すがらの森は茶色く変化し始めている。まだ葉を散らした木はないものの、青々とした季節が終わったことを告げていた。

 今回の旅は王都から東のメルカトゥーラへ向かうことになる。道中、標高の高い地域を旅する。その辺りは既に一つ先の季節に差し掛かり、寒さを感じるだろう。そのことを見越して、防寒用のマントや毛布も、しっかりと携行していた。

 標高の高い地域を除き、旅にちょうどいい気候だ。また、急ぎ旅であれば、必ず大きな湖を通ることになる。湖の近辺はこの時期、紅葉が見ごろとなっていると思われた。旅するには、眼にも、身体にも、いい季節だった。

 マデリシアの目的は、そのような旅の情景を楽しみに来た部分もあるようだ。本人に言わせれば、

「あたしの護衛から離れるわけにはいかないでしょ」

 であるが。

 足早に進む二人は日没後の、城壁の閉門間際に王都へたどり着いた。

 王都で宿をとる際、キュリアスはマデリシアの同行に感謝しなければならなかった。路銀が心もとなかったのである。当てにしていた報酬が手に入っていない以上、元々あった金しかなく、それではこの先の旅路も野宿しか望めそうにない。

 依頼を受けての旅なので、宿や食事は手配してもらえると思えるが、集合までの滞在費は、自腹になる。その資金すらも、怪しかった。

 マデリシアは膨らんだ財布を見せびらかせ、

「つけとくわよ」

 親切にも頼まれる前に、キュリアスの費用を立て替えた。

 次の日は足りないものを買い足し、さらにマデリシアの希望を汲んで、彼女のショッピングに付き合った。

 久しぶりの王都で、二人はどちらからともなく、中央広場を目指した。王都に来れば、必ず立ち寄らなければならない屋台があった。

 王都の中央広場、その外周部分に目的の屋台はある。中央広場は、その中央に設置された名も無き女神の像が、多くの人々を出迎える。名も無き女神を信奉する人々の聖地でもある。その信者たちを相手に商売する店の一つが、キュリアスたちの目的であり、馴染みの店だった。

「よう!じいさん!元気にしてたか」

 キュリアスは目当ての屋台にたどり着くと、陽気に声をかけた。

「おや、エッジさんにバンシーさん。久方ぶりですね」

「バンシーって呼ばないで」

 マデリシアは力なく抗議した。この老人は何度言っても、止めてくれない。そして老人の作るものが食べたいがために、強く抗議できないマデリシアだった。

「追放処分受けちまってたからな」

「噂は聞き及んでましたよ。工業区もだいぶ再建されていますよ」

「言ってくれるな。俺はいつものと、やっぱり謎肉にしとくか」

「あたしは…ねえ。いい加減謎肉の正体教えてよ!」

「それは秘密でございます」

 老人は笑って答えると、キュリアスの注文の品を焼きにかかった。

「いいわ。あたしも謎肉で。あの美味しさには勝てないのよ。エッジは正体知ってるんじゃなかったの?」

「知ってても教えないぜ」

 キュリアスははぐらかした。当然知っているのだが、知らない方が幸せなこともある。

 マデリシアはキュリアスを睨みつけたものの、キュリアスの代金もマデリシアが払った。気前の良さには理由があった。以前、第二王子の事件に関わった時のキュリアスの経費分をくすねていたからだ。

「お?いいのか?」

「いいわよ。そのうちに、謎肉も教えてよ」

「それはそれ、これはこれ」

 二人は焼き上がり、パンと野菜に挟まれた品物を受け取った。

 かじり付くと肉汁が溢れ出す。老人特製のソースと絡み合って、旨味が口の中にあふれた。

「やっぱりじいさんのは絶品だ」

 キュリアスは老人に世辞を言い、屋台を離れた。

「うん。幸せが口の中に広がるわ」

 マデリシアは謎肉の正体の追及も忘れ、舌の上に広がる味を堪能していた。

 夜は夜で、騒ぎとなった。

 数ヶ月ぶりの冒険者の宿は、見知らぬ顔が増え、昔ながらの常連は減っていた。それでもキュリアスを見知った冒険者たちは二人を歓迎し、酒をおごった。

 酒が入ると、マデリシアは歌いだすし、冒険者たちは面白がってリクエストを繰り返すし、飲めや歌えやの大騒ぎとなったのである。

 深夜に差し掛かるころには早速守備隊が押しかけ、騒動を鎮圧した。そうしなければ、近隣の住人は皆、マデリシアの歌に惑わされ、踊りたくもないのに踊らされ続けるのである。

 騒ぐだけ騒いだ冒険者たちは、守備隊の介入を潮時に、皆部屋へ引き揚げるのだった。

 翌日、キュリアスとマデリシアに客が訪れた。ローレンス・コプランド男爵は笑顔で二人と握手を交わし、前置きも飛ばしてすぐに用件に入った。

 実務的な彼らしいともいえ、マデリシアはこっそりと笑っていた。その笑いは驚きに変わる。

 ローレンスは以前からの捜査協力に対し、二人に報奨金を用意し、わざわざ届けてくれたのだ。

「たいした額ではないが、足しにしてくれるとありがたい」

「いやいや、ちょうど物入りで困っていたところだ。助かる」

 キュリアスは歓迎した。これで多少の余裕ができると言うものだ。

「捜査部の方は順調なのか?」

 キュリアスは目上の、それも貴族相手に、ぶっきらぼうな物言いをした。

 ローレンスはキュリアスの言葉遣いを気にも留めていなかった。

「おかげでね。増員された。今は予算がつかないが、いつか、我々専用の事務所も造られることになった」

「すごいわね!守備隊に間借りしなくて済むなんて、いいじゃないの」

 マデリシアも自分のことのように喜んだ。

「そうなのだ。あそこはどうしても、肩身の狭い思いをする」

「お偉いさんがそれじゃ、下のもんはもっと、だぜ」

「だろうな。部下の負担を減らせると思うと、上司としてこの上の無いことだ」

 ローレンスはそう言うと、追っている事件があるからと、早々に退散した。キュリアスたちの近況を尋ねなかったのは、それを熟知していたからである。

「ねえエッジ。王城へ行って来なくていいの?」

 マデリシアはそっとキュリアスの反応を探った。敵に塩を送る様なことを言ったが、言わないのもどうかと思ってしまった。そして、普段なら放っておいても出かけるキュリアスが、今回は城に見向きもしないことが気になっていた。中央広場から見上げれば、姫の住まう部屋が見えるというのに、先日のキュリアスは眼を向けなかった。

「明日には会うだろ」

 キュリアスは素っ気なかった。ただ、その表情に憂いがあったことに、マデリシアは気付いた。

 キュリアスは第二王女シャイラベル・ハートと昵懇だ。普段なら、彼女のいる王城へ忍び込んででも会いに行くのだが、今はいけない理由が、わだかまりが、彼の中に存在する。

 その理由も、マデリシアは知っていた。

 シャイラベルの兄であり、第二王子であるライオット・ハートをキュリアスがその手にかけたためだ。ライオットが妖刀メリッサの剣に魅入られ、人々を殺しまわっていた。その彼を救い、名誉を守るために、キュリアスはライオットを倒した。

 キュリアスは後悔していない。いないが、シャイラベルの意向とは違う結末だったと理解していたことも、彼を悩ます要因となっていた。故に、彼はシャイラベルと会うことに気後れしているのだ。

 シャイラベルが、兄の仇とキュリアスを見ないか、恨まれていないか、それが彼の気にするところなのだ。前例はあるのだ。兄をモンスターに改造された妹の目の前で、そのモンスターを倒した結果、憎悪の目を向けられた。シャイラベルも同じような感情を抱いていると思えて仕方なかった。

 普段なら怖気づきもしないくせに。

 マデリシアはキュリアスの煮え切らない態度に不満があった。それだけキュリアスがシャイラベルの感情の向かう先を気にしていることになるからだ。気にしていなければ、会いに行くはずなのだ。

 マデリシアはそれ以上追求せず、キュリアスを無理やり引っ張って、ショッピングに付き合わせた。

「昨日も行ったじゃないか」

「いいのよ!見て回るだけでも楽しいの!」

 マデリシアは不満を言うキュリアスを引きずるようにして町中を徘徊した。

 嫌々だったキュリアスも、歩き回るうちに気持ちが晴れたのか、表情から憂いは消えていた。

 マデリシアはそれを読み解くと、満足して引き上げた。

「さあ、帰って飲みましょう!歌いましょう!」

 そうして、守備隊が駆けつけるまで、冒険者の宿で騒ぎ倒すのである。

 次の日の集合時間に、二人が二日酔いで現れる、ということはなかった。つかの間の休息を楽しんだ後で、生気がみなぎっているほどだった。

 早めに集合場所についたのだが、すでに数人が集まっていた。

 キュリアスに気付くや否や、一人の女性がキュリアスを睨んだ。

「よう、シンディ」

 キュリアスは陽気に声をかけた。が、返事はない。

 シンディ・エイティネイトは、兄がモンスターに改造されたとはいえ、その兄をキュリアスに殺された恨みがある。恨む相手と気安くかわす言葉など持ち合わせていなかった。

 シンディの隣に、少年から青年に差し掛かる冒険者がいた。アレック・ヒューイットだ。キュリアスも一目置く天才剣士でもある。

「よう!アレック!こないだぶりだな」

「やっぱりエッジも呼ばれたんですね…あ、剣!」

 アレックはキュリアスの背に剣があることを素早く見抜いた。

「こんな短期間でよく入手できましたね」

「そうだろうそうだろう!」

 キュリアスは得意になって、背中の剣を自慢した。

 マデリシアはその横で、シンディと挨拶を交わした。シンディはマデリシア相手であれば、普通に会話する。

「これだから男って…」

 マデリシアは呆れて、一本の剣ではしゃぐ男たちを見つめた。シンディも同意して笑った。その視線がアレックに注がれていることに、マデリシアは気付いていた。もしやと内心ニヤついたものの、そこは触れなかった。

「よう!エッジ!」

 まるでキュリアスの呼びかけを真似たかのような声が聞こえた。

「よう!レイピア!ってお前何でいるんだ?」

 キュリアスはすぐさま疑問を口にした。

「いや、俺もスローライフで引きこもっていたかったんだけどな。あのくそじじい…失礼。あのご老人にはめられてな。出て来ざるを得なくなった」

「よく分からんが、レイピアがいてくれると心強い」

 キュリアスはそう言って右手を差し出した。二人は硬く手を握り合い、肩を叩き合った。

「レイピア?本名ではないですよね?」

 シンディはマデリシアに耳打ちした。

「違うわ。でもあたしも本名知らないの」

 マデリシアも小声で返す。

「お嬢さん方」

 レイピアは二人の女性に頭を下げた。美形の騎士が、姫に謁見するかのようだ。

 シンディは思わず頬を赤らめた。

「悪い物件ではなさそうね」

 マデリシアは意地悪く、シンディに耳打ちした。シンディはさらに顔を赤くして、マデリシアの腕を叩いた。

 離れたところに、数人の兵士の姿もあった。その中に、見知った人物が二人、キュリアスとマデリシアに声をかけに来た。

「お前らも行くのか」

「バスタード!」

「その名で呼ぶな。レイピア」

 マルス・ジャストゥースは忠告を与えながら、弟分であるキュリアスと握手を交わした。

「形見のナイフを失ったって?」

「そうなんだ。妖刀メリッサの剣を受けたらちぎれちまった」

「それでよく無事だったものだ」

 マルスは呆れたように笑うと、ひと振りの大型ナイフを差し出した。

「そいつは…」

「教官殿の形見だ」

 マルスとキュリアスは見つめ合い、どちらからともなく頷くと、キュリアスはナイフを受け取った。

「すまない」

「大事にしろよ。今度は」

「へいへい」

 マルスはレイピアの肩を叩くと、マデリシアとシンディに向かって頭を下げた。去り際に、アレックの背中も一押しして行く。マルスは元冒険者でもあるため、その流儀で挨拶して行ったのだ。

 もう一人の兵士はアルバート・フェンサーだった。彼はイクウィップの守備隊に配属されていたが、今回の件で呼び出されたようだ。彼も、一流の剣士である。

「またお前と絡むのか」

 アルバートは不満そうにキュリアスを見た。

「おう。俺が何か破壊しないように見張っていてくれ」

「バカ言え!見張ってようとなかろうと、やるだろうが」

 アルバートは残る面々に挨拶すると、兵士の一団へ戻っていった。

 キュリアス、マルス、レイピアが一斉に、同じ方向を向いた。

 一人の剣士が横柄に歩いてきた。冒険者風と見えなくもないが、危険なにおいが漂っている。抜身の刀が歩いているかのようだ。

「殺気を放ってるときのエッジと似てるわね」

 マデリシアが感想を呟いたが、誰も反応しなかった。

 明らかに、キュリアス、マルス、レイピアの三人が身構えている。一触即発の気配が漂っていた。

「そう警戒しなさんなって」

 男はおどけたように言った。

「ブレイド」

 キュリアスは男を迎え撃った。

「ここで荒事はよしてもらおうか」

 マルスも戻ってきて、キュリアスの隣に立った。レイピアも並ぶ。

「おいおい。俺は歓迎されてるなぁ」

 ブレイドと呼ばれた男はおどけた。無防備に構えているように見えるものの、隙が見いだせなかった。

「俺も今回の任務に参加するんだ。ま、仲よくしようぜ。昔のよしみでな」

「貴様が?」

 マルスは明らかに動揺していた。

「何企んでやがる!」

 キュリアスも疑っていた。

「あれはどういう…?」

 シンディとアレックは気になり、マデリシアに尋ねた。

「あたしにもよく分からないの。でも、近づいちゃだめよ」

 マデリシアの危機感知能力が、危険を告げていた。マデリシアは鳥肌をさすって何とか抑え込もうとしたが、ブレイドを見ている限り、治まりそうもなかった。

「何にも企んじゃないさ。と言っても信じないだろうな。分かった。何もしない。約束だ」

 ブレイドは宣言した。

 それでも三人は信用しきれず、ブレイドを見張った。ブレイドは面白がるように、少し離れたところに立った。

 筋肉逞しい、麦わら帽子を深くかぶった男が近づいてきた。が、麦わらの男に注意を向ける間もなく、白い馬車が現れ、第二王女とその護衛の白銀の騎士、フラムクリス・アルゲンテースが降り立った。

「お集まりいただき、誠にありがとう存じます」

 シャイラベルはその声で皆を引き付け、その笑顔で皆の心をつかんだ。先ほどまでの殺気立った気配も消え去っている。

「本来ならば、私の父が軍を率いて出向くべき案件ではありますが、お国の状況がそれを許しません。父も国を離れるわけにはまいりません。そこで、この私、シャイラベル・ハートが名代として赴きます。恥ずかしながら、軍を派遣する予算もありません。ですので、多くの兵士の代わりに、この国屈指の皆様方、一騎当千の方々にお集まりいただいた次第です。我々は少数精鋭の部隊として、メルカトゥーラ北西部に出現したモンスター討伐に当たりたいと思います。どうか、若輩者の私に、あなた方の力をお貸しくださいますように」

 シャイラベルはそう言って頭を下げた。

「王はいけないのか?」

 キュリアスは思わず言った。言った後、シャイラベルの視線に戸惑った。が、彼女の視線に何らの変化もなかった。

「ええ。手の離せない案件がございます」

 実務的な返事が戻ってきた。おかげでキュリアスは動揺を隠すことができた。

「じゃ、こいつはいいのか?」

 キュリアスは後ろに紛れ込んだ、麦わら帽子の男を指差した。

「あら」

 シャイラベルの眼が鋭くなった。

「そのようなところで何をなさっておいでですか?陛下?」

 シャイラベルは普段、陛下と呼ばわることはない。ないだけに、効果は絶大だった。

 男は麦わら帽子をとった。赤く燃え立つような頭髪が溢れ出し、同時に闘志が溢れ出したかのようだ。その男は、現国王、カークロス・ハートその人だった。

「俺もたまには…」

 悪戯を見咎められた子供のように、カークロスは肩をすくめた。

「だめです」

「このメンツだぞ?ワクワクするだろう?」

 カークロスは食い下がった。

「人を呼ばれたいのですか?陛下」

「頼むから、陛下は止めてくれ!怒った時のフローラみたいじゃないか!」

「あら。嬉しいお言葉です。ですが、譲りませんよ。お父様」

 シャイラベルの留飲は、やや下がった模様だ。が、一歩も引かなかった。押し問答の末、カークロスは渋々引き上げることになった。

「よくもばらしてくれたな」

 カークロスは去り際に、キュリアスに恨みをぶつけた。

「いいざまだ」

 キュリアスは笑った。カークロスの依頼をこなした後、王都追放処分の取り消しという報酬でごまかされた。その恨みを少し返せたので、満足だった。



  4


 国が用意した馬車に、それぞれが乗り込んだ。兵士は兵士で集まり、冒険者は冒険者で集まった。兵士三十人、冒険者二十人が、七台の馬車に揺られた。さらにもう一台、第二王女用の白い馬車が先導した。

 食料は現地調達のため、荷馬車はない。台数も限られるため、シャイラベルの乗る馬車を除き、満席に近い状態だった。

 メルカトゥーラの増援依頼からかなりの日にちが経過していたため、急ぎの旅となる。宿場ごとに馬を交換するという荒業で、国内を最短で移動する旅だ。

 急ぎ旅ではあるが、道中で食料の調達を行わなければならなかった。シャイラベルは面倒をかけると詫びたが、兵士の中には弓を使え、狩猟の経験のある者が多く、腕前も一流だった。また、キュリアスがどういう訳か、素手で獲物を捕らえてくるという、前代未聞の芸当を披露し、食料の足しとした。

 冒険者は冒険者で、山菜などの知識が豊富で、狩りに出かける者、山菜を集める者と分担作業し、さらにはマデリシアが調理担当になることで、かなりの効率化と、食事の質の向上を図った。

 初日こそ手間取ったものの、分担がはっきりすると、旅の遅れを生み出すようなことはなかった。

 旅はまず、王都から南東の貿易都市ハンデルへ向かう。石畳の街道を進むので、馬車は快適に進んだ。ハンデルには立ち寄らず、そのまま東に進み、分かれ道を北東方向へ進んだ。

 この辺りになると、辺りの森は紅葉し、彩り豊かに広がっていた。吹き付ける風も幾分冷たく感じる。

 東にそびえるラグマント山脈から吹き下ろす風は一段と冷たく、防寒着が必要なほどであったが、一方で、日差しはまだ夏の名残でもあるかのように強かった。

 秋と夏がせめぎ合っているかのような、太陽と風、森の青さと紅葉のコントラストが続く。山間を進むにつれて、秋が勝り、森は赤みを増した。風は冷たさを増し、季節が進んだことを実感させた。

 一行は風雨に悩まされることなく、通常ならば馬車でも十日以上かかる距離を七日で移動し、ラグマント山脈の北側に広がるデアダクリ湖にたどり着いた。

 広大な湖のほとりに、湖と同じ名を持つ町がある。この町が、フォートローランスの東の果てだ。デアダクリから台船に乗って湖を東へ渡ると、そこはメルカトゥーラ領となる。

 町は秋の色に染まっていた。山を見上げれば、すでに葉を落とした木々もある。紅く染まった葉を、大事に抱える木々もある。木々は町の中にも広がり、同様に紅く染まって、町に彩りを添えていた。

 湖の向こう側も紅葉が始まり、常緑樹と紅葉とが入り乱れ、鮮やかに、華やかに、世界を彩って、有り余ったものが湖面にも広がり、小さな波紋を受けて幻想的に輝いていた。

「ここは四季折々、美しい光景の見られるところよ」

 マデリシアはうっとりと言い、キュリアスの腕にしがみついた。

 他の冒険者たちもそれぞれ、景色を楽しみ、リラックスしていた。対して、兵士たちは一定の緊張感を保ち、規則正しく行動した。観光などしている場合ではないと考えていたのだ。その兵士たちでさえ、森のコントラストやそれを映す湖面には心を奪われた。

 メルカトゥーラ領の玄関口であるアルデュア行の台船は、貿易商たちの予約で埋め尽くされていた。順番通りであれば、一行は最低でも一週間は待機しなくてはならない。

 そこでシャイラベルは貿易商たちに事情を説明し、協力を求めた。

 彼女の魅力がそうさせたのか、貿易商たちが国を憂う気持ちを抱いていたおかげか、あるいはただ単に、メルカトゥーラの北方からモンスターの一団が南下すると商売に支障をきたすためか、貿易商たちは快く順番を譲り、次の日の朝一の便に乗れる手はずとなった。

 早朝の湖面は冷え込んだ。

 皆、マントに身体を隠し、狭い台船の上を動いて身体を温めたり、馬車のホロを下ろして風を遮って凌いだりした。

 馬車の数が三台に減っている。二台は調達した食料などの物資を積み、一台は第二王女専用だ。兵士、冒険者計五十名は台船を下りると徒歩になる。

 他国領内に入ると、馬の交換ができない。そして、他国で勝手に軍が森へ踏み込めば、食料調達と言い訳しても、諜報活動と疑われ、トラブルになるため、このような対応となった。大半の馬車を送り返したのは、経費が限られていたためでもあった。

 一同が先を憂いることはなかった。景色に目を、心を奪われ、しばらくの間、皆が放心していたのだ。

 朝日を浴びた湖面は黄金色に染まり、揺らめいた。輝く湖面を何かが飛び跳ね、黄金の湖面がキラキラと輝いた。

 台船は朝日に向かって進む。山間から覗いた太陽は、湖にその光の全てを注ぎ込んだかのようだ。

 前方がまともに見えない状況でも、船頭は航路を逸れることなく、台船を確実に東へ向かわせた。

 日が昇りきると、美しく見えた湖が、真上から覗き込んでも淀んで見通せないと分かった。水質は悪いようだ。ただ、見渡す限りの山間の景色は素晴らしく、山を映し出した湖面も、その景色に浄化されたかのようだ。

 湖の深さは分からない。濁っているため、そこに何がいるかも分からない。

「この湖、人食い人魚が住んでいるんですって」

 マデリシアは興味本位に湖面を覗き込みながら言った。

「人魚か…。見てみたいな」

 キュリアスが呟くと、何人かの男どもが頷いた。

「あー。物語で聞くような絶世の美女を想像してるでしょ。醜い顔してるって噂よ」

「それでも見たいな」

 怯むような冒険者はいなかった。そろそろ景色にも飽きてきて、退屈していたことも手伝って、

「襲われたら討伐するまでだ!」

 と、トラブルを歓迎する勢いだ。

 数人が今にも襲い掛かって欲しそうに、台船の端で身構えたものの、何も出て来なかった。

「濁ってて何も見えやしねぇや」

 誰かの不満の声に、船頭が、昔は透き通っていたんですがと答えた。昔は湖自体も美しく、山々の自然と調和して、えもいわれぬ景色が広がっていたのだと、懐かしそうに空を見上げた。

 湖を囲う景色は言われる通りだと、皆が納得したものの、湖は見る影もなかった。そして冒険者たちが望む、危険な物も、ひた隠しにして表そうとはしなかった。時折、遠くの湖面で大きなものが跳ね、音と波紋が広がるだけだ。

「どうしてこんなに濁っちまったんだ?」

 キュリアスは興味本位で船頭に尋ねた。年老いた船頭は、北側の岸を示した。

「ここからじゃ遠すぎて見えませんがね。あそこに石碑があるのでさぁ。元々ここは水難の多い場所でした。荒々しい水神様がお住いのようでして。水神様をお祭りし、お静めするために石碑を立てたんだそうです。すると水神様は我々の意向を汲んでくださり、水難が減ったそうです。ところが水難がなくなるにつれて濁りが増したんです。だからね、一部の人はあれのせいだと訴えておりますよ」

 船頭は簡単に説明した。

「澄んだ湖だったら、観光で人を呼べそうね」

 マデリシアも話に加わった。

 船頭はそうなんですよと嬉しそうに言ったものの、

「今はこんなですけどね」

 と恥じ入るように苦笑した。

 午後に差し掛かるころ、すれ違う台船があった。暇を持て余した冒険者たちは手を上げて、すれ違う台船の乗客や船頭に挨拶した。子供が激しく手を振り返しているのが見えた。

 景色は確かに素晴らしいが、台船の船旅は時間がかかり過ぎた。暇を持て余し、退屈で死にそうになった冒険者が続出したころ、ようやく対岸が近づいた。

 台船がアルデュアに到着し、降り立ったころには、空が赤く染まり始めていた。

 アルデュアは異国情緒あふれる町、ということはなかった。デアダクリとどこが違うかと問われれば、答えられない者がほとんどだっただろう。ただ、町の雰囲気は、特に商店の活気は、アルデュアの方が勝っていた。

 アルデュアで一泊すると分かった途端に、マデリシアはショッピングに行きたがった。台船の上で神経質になった馬をなだめる兵士たちを尻目に、堂々と、キュリアスたちを誘って町に繰り出した。

 連れ出したのは他に、シンディとアレックだ。シンディはキュリアスの同行に難色を示したものの、ショッピングには乗り気だった。彼女はキュリアスを無視することに決め込んだようだ。アレックやマデリシアを相手に、踊るように町を回った。

 マデリシアも負けず劣らず、キュリアスを引っ張りまわし、駆けまわった。

「おい、マディ。お前ここ、初めてじゃないだろう?」

 見かねてキュリアスはマデリシアに問うた。

「当時は見て回る余裕なんてなかったわよ」

 マデリシアはそっけなく答えた。当時のことは考えたくもないのだ。それよりも、目の前の、フォートローランスでは見かけない品々の方がいいに決まっている。

 キュリアスにはフォートローランスの商店にあるものと何が違うのか分からないが、マデリシアとシンディは衣服を、特に興奮して見て回った。

「女ってのはどうしてこう、買い物が好きなのかね」

「エッジが武器を物色する時と、そんなに変わらないと思うわ」

 マデリシアは物騒な例えを使ったが、 キュリアスはおかげで簡単に理解できた。

「エッジ。その剣、古代の遺物なんでしょ?」

 アレックも武器には興味を持った。

「銘柄は分かってます?」

「ああ。一度柄も外してチェックした。柄も鞘も刀身もまるで朽ちてないのがありがたい。手を加えずにそのまま使えるんだからな」

「銘柄は?」

「ああ、すまん。メリッサだ」

「え?」

「あの妖刀とは違う。同じ作者だとすれば、きっと前期の作品だろうよ」

「なるほど。妖刀を打つようになる前の、メリッサ、ですか」

 物騒な話をする二人を残し、マデリシアとシンディは少女のように店を回った。我慢しきれず、購入する品もあったが、ほとんどは見て回るだけだ。

「荷物になるから…」

 と言いつつ、二人ともメルカトゥーラ風の服を購入していた。

「俺の眼がおかしいのか?違いが分からねぇ」

 キュリアスの言葉に、アレックも同意の意味を込めて小さく頷いたが、懸命にも口には出さなかった。

「年中同じ服着てる人には分からないでしょうよ」

 マデリシアのとげのある声が戻ってきた。

「ああ、だめね。荷物になるからやめておきましょう。帰りにもう一度寄るわよ!」

 マデリシアとシンディは固く誓い合った。

 次の日、一行は東へ向かった。

 ラグマント山脈の北側の谷間を縫うように進む。辺りの景色も一変し、尖った常緑樹以外はみな葉を散らし、寒々とした景色が広がった。最たるものはラグマントの頂だ。頂付近は白く染まっている。

 岩肌の崖の道に出ると、下方に勢いよく流れる川が見えた。崖を落ちるとひとたまりもない高さだ。それでも怖いもの見たさで、冒険者たちはしきりに下を覗き見た。

 メルカトゥーラ領の道は踏み固められた土だ。多少の起伏があり、馬車の車輪が溝にはまってしまうこともあったが、人手は多く、押し出すのにそれほど苦労はなかった。

 また、フォートローランスのように要所要所の宿場もなかった。そのため、適度な広場を見つけて野営することになった。山間部ではそのような場所に限りがあり、貿易商の一団が先にいて、別の場所を求めて夜道を進むことも幾度かあった。

 幸いにも、モンスターや害獣、あるいは盗賊といった妨げになる襲撃には遭遇しなかった。

 日増しに冷え込む旅で、雨は旅人の心に暗い影を宿した。そのような日は皆口数が減り、マントに身を隠し、フードを深めにかぶって歩いた。

 十日の旅を経て、小さな村にたどり着いた。農家の納屋を借りて一泊すると同時に、食料の買い出しを行った。住民は他国の軍人にさほど興味を示さなかった。行商人の護衛程度にしか見ていなかったのかもしれない。興味を示さないものの、食料を売り、納屋を貸し出す程度には親切だった。

 村は近隣の高原を利用し、ヒツジやヤギを飼い、畑を耕して暮らしていた。早く訪れる冬に向けて支度を整えていたのだろう。貸し与えられた納屋は刈り取られたばかりの飼い葉が積み上がっていた。

 シャイラベルとフラムクリスだけは、母屋の客室が貸し与えられた。

 そのシャイラベルの元へ、メルカトゥーラの使者が訪れた。

 マデリシアは母屋の台所を借りて皆の食事を作り、そのついでで後片付けも行っていた。皿を洗うために外の井戸へ水汲みに出た時、たまたま使者の到来を目撃した。

 使者の慌てぶりが気になった。マデリシアは水汲みを中断し、客室の窓の下へ忍び寄った。農家の客室だ。簡単に会話を聞くことができる。

 使者の語る内容は、かなりひっ迫したものだった。

 メルカトゥーラの北に広がる平原にディヴィニタスの門と呼ばれる遺跡がある。神か巨人でも利用していたのかと思われるほどの巨大な門だ。その門の傍で、今まで見たことのないモンスターが多数出現していた。

 そのことは噂で聞き及んでいたが、使者はそのモンスターの数がけた違いに増えたと告げた。

 そして折悪い出来事が重なったという。

 一つは、ディヴィニタスの門を信仰するディヴィニタス教の信者が集まり、門へ向かったこと。信者にとって門の向こうは神の楽園だと信じられ、その楽園に向かうためのようだ。

 一つは、その信者の救出のため、メルカトゥーラの義勇兵の一団が、ひしめくモンスターの中に飛び込んだこと。

 一つは、スペリエントのラームジェルグ王子率いる一隊が、義勇兵や信者を救うために突入したこと。

 さらには、モンスターの数が多すぎて、前線が押し下げられていることを、使者はまくしたてるように告げた。前線が下がり続ければ、北方の商業都市ウィンザスが包囲される危険があるため、早急な援軍を望んでいた。

 マデリシアは盗み聞きしていた立場も忘れて立ち上がり、客間の窓を外から叩いた。幸い、シャイラベルは咎めず、護衛騎士のフラムクリスに開けさせた。マデリシアが叫ぶ前に開ける必要があったとも言える。

「義勇兵にガーランドはいて?」

 マデリシアは気がかりなことを尋ねた。

「ガーランド?」

 フラムクリスがオウム返しに言った。使者はマデリシアの顔を見て、真っ青になって口をつぐんだ。マデリシアの言葉を一言も理解していなかった。

「老いた方?若い方?どっちかいたでしょ」

 マデリシアはかまわず問い詰めた。

「若い方です」

 使者は答えた後、驚いたように自分の口を手で押さえた。

「マデリシアさん?」

 シャイラベルはその呼びかけ一つで、説明を求めた。

「あたしのお兄ちゃんよ!助けに行かないと!」

「お待ちください!ここから急いでも十日以上かかります!もう間に合いません!」

 シャイラベルの呼びかけを、マデリシアは聞いていなかった。納屋に駆け込むとすぐさまキュリアスに迫った。

「お願い!手を貸して!」

 マデリシアの切羽詰まった様子に、キュリアスは立ち上がった。服についた飼い葉を払い落としながら、マデリシアの顔を見つめた。

「あたしのお兄ちゃんが…!モンスターの門の信者に…」

「落ち着け」

 キュリアスはマデリシアの肩をつかんだ。

 周りの人々が訝しんで、様子を探りに集まっていた。

「マディに兄がいたのか?」

「従兄よ!そんなことはいいの!信者がモンスターに…」

「襲われたのか?マディの兄はどこかの信者か?」

「違うわ!だから!信者がモンスターに入って…」

「信者ってなんだ?」

「門の信者?ディヴィニタス教か?」

 マルスが会話に割り込んだ。

「そう、それ!そいつらがモンスターに入って!」

 マデリシアはマルスにしがみついた。やっと話が通じそうだと感じたのだ。

「モンスターの中に?どうやって?食われたのか?」

 マルスにも通じていなかった。

「だから!」

「叫ぶな!とにかく落ち着け」

 キュリアスはマデリシアの感情を押さえ付けようと、彼女の肩を抑えつけたが、まるで効果がなかった。

 マデリシアの声の被害が出ては困ると、周りの人々が離れ始めていた。

「私が説明しよう」

 混乱の様相が漂い始めたところへ、白銀の光明が差した。フラムクリスはシャイラベルを伴って納屋へ踏み込むや否や、事情を語った。

「ディヴィニタス教の信者が門へ向かい、その信者を救出しようと義勇兵が向かった。義勇兵の中に彼女の兄がいるとのことだ」

「門って、今モンスターが…」

「そうだ。大量発生している。それも、かなりの数に上っているとのことだ」

「彼らの救出にスペリエントの王子率いる一隊も突入したそうです」

 シャイラベルが補足した。

 キュリアスとマルスは顔を見合わせた。ラームジェルグ・スペリエントは、二人の旧知の仲である。

「分った?分かったら一緒に来て!」

 マデリシアはキュリアスの手を引いた。

「ここから徒歩では一ヶ月近くかかります」

 シャイラベルはどう頑張っても間に合わないという事実を告げた。母屋で言った十日以上という目算は、馬を手に入れたうえでの話である。

「この村には馬もありません。次の町で馬を手に入れたとしても…」

 だが、マデリシアは諦めなかった。

「山の中を突っ切れば…!あたしとエッジなら!」

 キュリアスはディヴィニタスの門の方向に眼を向けた。建物の壁に阻まれて見えない、近隣の森の様子が気配で分かる。

 気配で分かる森は、南のラグマント山脈に比べれば、通り抜けられないことのない山道だ。ただし、道は存在しない。よく知らない山の旅は方角を失いかねない。谷などの崖に道を阻まれることもある。道中でどんな獣、モンスターに遭遇するかも分からない。

 それでも、キュリアスには半月とかからずたどり着ける自信があった。根拠はないが、今までの経験上、急げばもっと短縮できると思えた。大抵の山道は、修行を積んだスペリエントのそれと比べれば、難易度の低いものでしかないのだ。

 ただ、それでも間に合わないだろう。使者がいくら急いで来たとしても、事は数日前の出来事である。モンスターがひしめき合う中、さらに十日やそこら、生き延びられるとは考えられなかった。すでに全滅している可能性の方が高いのだ。

 一つの光明は、ラームジェルグだ。そして彼の率いるスペリエントの精鋭だ。彼らなら、今現在はまだ耐え忍び、生き残っていると、キュリアスは確信した。その彼らも、十日先となると、分からない。

 それまでに無事に脱出してくれれば問題ないが…。

 キュリアスが懸念しても、何の解決も答えも得られない。できることと言えば、気持ちが急いているマデリシアを引き止めるか、一緒になって急行するか、それだけだ。

 キュリアスは後者を選択した。

「たとえ無駄だとしても、行こう」

「キュリアス様…」

 シャイラベルが訴えるような眼を向けた。意を決したキュリアスを引き止めることは叶わなかった。

「俺も行こう」

 マルスは言いながら、鎧兜を脱ぎ去った。急行する山道では、鎧は邪魔でしかない。

 他の者は行動を起こさなかった。無駄だと分かっているためだ。

 マデリシアに引きずられるようにして、キュリアスとマルスは納屋を後にした。

「キュリアス様!」

 シャイラベルは駆け出ると、すでに暗がりに踏み込みつつある背中に声をかけた。

 キュリアスはマルスにマデリシアを頼むと、シャイラベルの前へ戻った。マデリシアは押さえておかないと、一人で走り出してしまいそうだった。

「シャイラベル」

 キュリアスと少女は見つめ合った。フラムクリスが脇に立っても、二人の空間を阻むものは無かった。先の事件で二人の間にわだかまりができたようにも思えたが、こうして見つめ合っていると、それもただの杞憂だったように感じられる。

「兄の件は、ありがとうございました」

 シャイラベルは節目をつけるためにも、口に出して言った。言わなければ、これがわだかまりになると分かっていた。

「救えなくてすまない」

 キュリアスも詫びた。同じく、わだかまりを取り除いておきたかった。

「いいえ。兄を一人の剣士として葬ってくださったのです。狂気に落ちたとはいえ、兄も本望だったでしょう」

「そう思ってくれるなら、助かる」

 どちらからともなく、手を伸ばした。互いに相手に触れようと伸ばし、その指同士が触れた。

 シャイラベルはすぐに手を引いた。一瞬恥じ入るような表情を浮かべたものの、すぐに表情を取り繕った。取り繕いきれず、はにかんだ少女の顔になった。

「ご武運を」

 言葉はそれだけだった。

 キュリアスは頷くと、踵を返して仲間の元へ向かった。



  5


 闇の中に光が漂っていた。

 駆け出したキュリアスたちは、いったん明かりの傍へ寄った。それが旅人だった場合、無用な争いを避けるため、こちらの姿を一度さらす方が無難だった。無用に近くの森を駆け抜けようものなら、モンスターと間違われ、ひと騒動になりかねない。

 予測通り、明かりの元には旅人がいた。ただし、その旅人が見知った間柄であることは、少なからず驚きをもたらした。

 旅人は魔術師のローブに身を包んだ女性と女の子だった。

「シャロンちゃん?」

 マデリシアは先を気にしながらも、明かりの元に姿を現し、女の子に声をかけた。キュリアスとマルスも、マデリシアの脇に姿を現す。

 マリア・ベネフィカとその娘のシャロンは、突然三人が現れても、慌てふためかなかった。もしも三人が冷静であれば、まるで三人が現れることが分かっていたかのようなそぶりが親子にあると見抜けたかもしれない。

「あら。マデリシアさん。こんばんは」

 マリアは近所の町中で出会ったかのように答えた。

「皆さんもこんばんは」

 三人は挨拶を返した。それ以外に言葉が出て来なかった。

「ごめんね。シャロンちゃんと遊びたいんだけど、あたしたち、先を急ぐの」

 マデリシアが最初に言葉を取り戻した。

「待って」

 シャロンが呼び止めた。

「どこまで行くの?」

 マリアの持つ光の輪から逃れようとしていた三人は、光と影の交わるあたりで立ち止まった。

「ディヴィニタスの門」

 マデリシアはいつになく、短く答えた。

「急いでも…走っても、何日もかかるわ」

 シャロンは少女らしく、舌足らずに言った。

「あ、失礼ですが」

 マルスは何かを思い付いたらしく、光の中に引き返した。

「魔法使いですよね?」

 マリアの持つ杖と、その先が光っていることが、証拠だと言わんばかりに言った。

「はい。そうです」

 マリアは、マルスとは初対面だったが、警戒することなく、素直に答えた。

「魔法でディヴィニタスの門まで飛ばす、なんてことはできませんか?例えば空を飛んでいくとか…」

「飛翔魔法は失われた魔法の一つです。残念ながら…」

 マリアは言った。

「そうですか。ありがとうございます」

 マルスは残念そうに、仲間の元へ引き返した。

「近くの空間へゲートをつなげることはできるわ」

 幼い子供の声に、皆が振り向いた。マデリシアは言葉の意味を理解したのか、シャロンに飛びついた。

「よく分からないけど、できるだけ早く向こうへ行けるのね?お願い!力を貸して!」

 マデリシアは懇願した。

「それほど急いでいるのね」

 シャロンはマデリシアを見上げた。マリアが咎めるような視線を送っていることに気付かないふりを決め込んでいた。

「今すぐにでも行きたいの!」

 キュリアスとマルスも何か方法があるのかと、近づいた。

「これから見せるものは、誰にも内緒にしてもらえる?絶対に秘密よ?約束して」

 シャロンは静かに言った。大人の口調を真似ているようにも見える。

 三人は、特にマデリシアが率先して約束した。

「いいわ。もしも約束を破った時は、舌を引き抜きに行くわよ。誓って?いいわ。平原の南西部あたり、ひと気のない森につなげましょう」

 シャロンは言うが早いか、マデリシアを下がらせると、人差し指を立てて空中に縦長の四角を描いた。するとどうしたことか、蜃気楼のように空間が歪み、四角い部分の内側に、暗闇が広がった。マリアの明かりの内側だというのに、そこだけ光が当たらない。

 裏側を覗き込むと、何もなかった。

「さあ、早く通って。あまり長くはつなげてられないの」

 シャロンは唸るように言った。

 理解できないものの、マデリシアは四角い闇の中に飛び込んだ。キュリアスとマルスもその後に続く。

 そこは先ほどまでの街道とは違い、森の中だった。後ろに四角く光る空間があった。

「方角は自分で確かめてね。そこからそんなに遠くないはずよ。エッジならすぐ分かるでしょ」

 シャロンは四角く光る中に姿を現すと、そう言った。言い終わると同時に、シャロンはその空間ごと消えた。

 シャロンはゲートを閉じると、暗闇の空を見上げた。

「これでいいのね?」

「ああ」

 闇の中から返事があった。

「元々は間に合うはずだった出来事だ」

「それでも禍々しいものが上にできてるわよ。それが時間軸の歪みを正そうとする力なのね」

「そうだ」

 闇の声はそれで消えた。何かが空に昇っていくことが分かった。

 一方のキュリアスたちは、何かに化かされたか、幻でも見ているのか、何も理解できなかった。自分たちがどこにいるのかも、分からない。あるいは子供に担がれ、騙されたのかもしれなかった。

 キュリアスはすぐに辺りの気配を探った。

「驚いた」

 キュリアスは思わず呟いた。自分の感じ取った気配を確認するため、近くの木に登った。

「間違いない」

 マデリシアもマルスも同じように木に登り、キュリアスの視線の先を眺めた。闇の中に篝火らしい明かりが等間隔に並んでいる。まだかなり距離はあるものの、三人の足であれば、数時間でたどり着ける距離だ。

「あの篝火が…防衛ラインか?」

 マルスが呟いた。それを受けて、マデリシアは北と思われる方向を眺めた。

「あっちにお兄ちゃんが…」

「目にしても信じられんが、あの女の子がこのような…遠く離れた場所に俺たちを送り込めるとは…」

 マルスは呻くように言った。見えている景色も、先ほどの体験も、にわかに信じがたかった。

「秘密にするって約束だったな」

 キュリアスが言うと、マルスは頷いた。マデリシアの心は既にここになく、闇の向こうへ飛んでいた。

 キュリアスも現状を理解しきれていなかったが、そこに戦場があり、マデリシアの兄が取り残されているということだけは分かっていた。感じ取っている気配の多さ、モンスターの多さは尋常でない。

「とにかく行こう」

 キュリアスの言葉を合図に、三人は飛び下りると、道なき道を防衛ライン目指して進んだ。

 気配で近隣を把握できているキュリアスが先陣を切り、森の複雑な地形の中を駆け抜けた。暗闇にもかかわらず、マルスもマデリシアもキュリアスの速さに追随し、疾風のように駆け抜けた。

 人の気配に慌てて逃げだす動物たちよりも早く、三人は駆け抜けた。慌てた動物はマルスの足元で派手に転んだ。仲間を見捨てて動物たちは散り散りに逃げた。

 森を抜けると平坦な土地に出た。さらに進むとテントが立ち並び、多くの兵士の姿があった。三人は兵士から制止させられるような隙を与えず、問答無用に突き進んだ。

「バ、バンシー!」

 青年がマデリシアを見て叫んだ。同じように叫び、腰を抜かす男たちが複数いた。その多くが若いのだが、中には中年も混ざった。

「お前人気者だな」

 キュリアスは隣のマデリシアをからかったが、返事はなかった。いつものマデリシアなら、バンシーと呼ばれた時点で文句を言っているのだが、それもない。全く耳に入らないほど、北に意識が向かっていた。

 やがて、隊列を組んだ兵士が北に向かって並び、バリケード越しに弓を放っている場所に出くわした。平原と言っても多少の起伏があり、断層を利用したバリケードもあった。

 全てのバリケードがつながっているわけではない。一定の間隔で隙間を作り、そこにモンスターが集まるように仕向けていた。狭くなっているその部分にモンスターを引き込み、戦闘部隊が各個撃破していた。

 キュリアスたちは兵士たちの間をすり抜け、迫り来るモンスターの前へ飛びだした。

 キュリアスは駆け抜けながら背中の剣を抜き放っていた。最前線に出るや否や、横なぎに剣を振った。衝撃波が生まれ、扇状に前方のモンスターをなぎ倒す。

「いいね、こいつ」

 キュリアスは感心したように、自身の手に納まっている剣を見つめた。

 しかし、新たな剣の手応えに酔っている余裕はなかった。マデリシアとマルスがキュリアスの脇を駆け抜け、前に出た。キュリアスも慌てて後を追う。

 扇状に発生した空間に、新たなモンスターがなだれ込んだ。

「どきなさい!」

 マデリシアが叫び声をあげると、モンスターたちが左右に分かれ、前方へ道が開けた。その道へ躊躇なく、三人は飛び込んだ。素早い三人は瞬く間に防衛ラインをはるか後方にした。

 後方で三人を呼び止める声が上がったものの、その時にはすでに遠く離れ、モンスターの集団に遮られて姿は見えなくなっていた。

 前方の道もすぐに埋まるのだが、マデリシアが再び叫ぶと、また左右に分かれる。そしてまたモンスターが迫る…。

 キュリアスとマルスは左右に分かれ、近づくモンスターを斬り倒した。倒したモンスターをしっかりと識別することはできなかったが、爬虫類のような皮膚の生き物を斬ったように思えた。明らかに巨人族と思われるモンスターも斬った。

「あれがドラゴニュートか?」

「さあな。ただのリザードマンかもしれんぜ」

 キュリアスとマルスは軽口をかわしながら、マデリシアを守って進んだ。

 モンスターの中にも火を扱うものがいるのか、所々に篝火があった。篝火の傍は強烈な異臭が漂っている。死んだモンスターを燃料に燃えているとしか思えなかった。

「道を開けて!」

 マデリシアの声は、モンスターにも効果絶大だった。言葉が通じるとは思えない相手が、マデリシアの言葉に従って道を譲る。

「モンスターと会話できるんじゃね?」

「そんな知能があったとして、エッジ、お前会話したいのか?」

「興味ねぇな」

 キュリアスとマルスは軽口を叩くものの、マデリシアの声の魔力に抵抗しなければならず、彼女について行くのはなかなかに骨が折れた。ともすれば、モンスターと一緒に左右に分かれてしまうのだ。

 さらには、迫るモンスターを倒しつつ、駆け抜けなければならない。これも並大抵の芸当ではなかった。キュリアスとマルス以外であれば、早々にモンスターの中に取り残され、命を落としていたに違いない。

 キュリアスはマデリシアの前へ飛び出し、剣を上段から振り下ろした。目の前の巨体のモンスターが真っ二つになり、発生した衝撃波が、モンスターをことごとく斬り裂いた。

「いつもより冴えてるな」

 マルスは右のモンスターを斬ったかと思うと、次の瞬間には左側のモンスターを斬り裂いていた。流れるような動きで、次々と迫るモンスターを斬り裂いた。

「こいつのおかげだ」

 キュリアスは剣を見せびらかした。

 三人はモンスターであふれかえった戦場を、余裕綽々に進んだ。だが、このような戦い方を長時間続けられるはずもない。いずれは疲労し、動きが鈍り、モンスターの迫る数が勝って、飲み込まれる。そのことを承知しているため、前方に道が開けると、三人の速度が一段と速くなった。モンスターが追いすがる前に、風のように駆け抜けた。

 何度目かの、マデリシアの叫び声で切り開いた道を疾走していた時、キュリアスは気配を感じ取った。無数の気配がうじゃうじゃとうごめき、判別しがたいが、さすがにこれだけ近づけば、それと分かった。

「左だ!」

 即座にマルスが反応し、左のモンスター群へ斬り込んだ。マデリシアもナイフを手に駆け込み、モンスターの急所を斬り裂いた。

 キュリアスは後方へ斬撃を放って退けると、マデリシアの隣へ飛び込んでモンスターを数匹まとめてなぎ倒した。

 マルスが爬虫類のような皮膚のモンスターを斬り倒すと、その奥に別の空間が広がった。そこではモンスターたちがこちらに背を向けている。モンスターたちの向かっている先に、争いの音が聞こえた。

 キュリアスとマルスは相手が背中を向けていようが、かまわず斬りつけた。

 モンスターを斬り倒して開けた場所に、簡易のバリケードが現れた。バリケードとバリケードの間に、黒い軍服姿の兵士が並び、モンスターを斬り倒していた。

 そのバリケードは、元はディヴィニタス教の設置した祭壇だったのだが、それらをバリケードに工夫し、モンスターの侵入口を制限することで、中の兵士たちが生き延びていた。祭壇が巨大だったことも、幸いしていた。兵士たちを皆収容し得る広さを確保できたことが、長期にわたって籠城できた要因だった。そうでなければ、キュリアスたちは死体の山に出くわしたことだろう。

「エッジ!」

 マルスは前方を瞬時に確認すると、巨人を一体倒しながら、キュリアスに示した。示した先へキュリアスが駆け込み、倒れた巨人の背に飛び上がって、周囲全体に斬撃を放った。

 巨人のモンスターの多くがなぎ倒され、複数のモンスターがその下敷きとなった。

「道を開けろ!エッジとバスタードだ!」

 入り口を守っていた一人が叫び、マデリシアを、そしてマルスをひき入れた。キュリアスは最後に向かい、その人物に目礼を送って中に入った。

「よくぞ御無事で」

 キュリアスの後に、先ほどの声の主が追いかけてきた。マルスはその人物に声をかけた。戦場で煤汚れているものの、背が高く、ひときわ美しい顔立ちをしていた。スペリエントの王子、ラームジェルグ・スペリエントその人である。

「マルス!よく来てくれた!」

 ラームジェルグは旧知の友を迎えるように、マルスの肩を叩いた。

 キュリアスとマルスは、以前、ラームジェルグが作った部隊を壊滅させ、国を出奔した。それ故に、ラームジェルグを前にすると負い目を感じてしまうのだが、当の王子はなんとも思っていないかのように、晴れやかに援軍を歓迎した。

 陣地の内側で休息をとっている兵士たちが物珍しそうにキュリアスたちを眺めた。その中に、スペリエントの軍服ではない一団がいた。

「お兄ちゃん!」

 マデリシアが駆けだし、体格のいい男の胸に飛び込んだ。

「マディか?マディ!どうしてこんな危険なところに!」

 男は久しぶりに見る妹をすぐには識別できなかったが、そうと分かると、力強い腕で妹を保護した。

「義勇兵もここにいましたか」

 マルスはマデリシアの行動で、その確信を得た。

「多くは救えなかった」

 ラームジェルグは自嘲するように言った。

「んで、信者ってのは?そいつらのせいでこんな事態になってんだろう?」

 キュリアスも会話に加わった。信者が生き残っていれば、殴り倒してしまいそうだ。

「残念ながら、皆死んだ。生き残っていた連中も門へ飛び込んだ。門からモンスターが湧き出ている。もはや生きてはいまい」

「そいつは残念」

「エッジは相変わらずだな」

 キュリアスは以前と変わらず接してくるラームジェルグを訝しんだ。

「俺たちを捕らえないのか?」

「なぜ?ああ。ソード隊のことか。あれは感謝している。私の手を離れ、私利私欲のために人を殺める集団と化しておったとは。私の監督不行き届きだ」

「頭をお上げください!」

 マルスは慌てて言った。思わず伸ばした手を、ラームジェルグが握った。

「新しくソード隊を作り直した。今度は私が直々に管理する。どうだ?戻ってくれないか?バスタードとエッジが戻ってくれればこれほどありがたいことはない」

 キュリアスは警戒して僅かに離れた。手をつかまれたら、放してもらうには、ラームジェルグの申し出を受けなければならないように感じられた。

「いきなりそのような事を申されましても…」

「フォートローランスの王に理由を説明して二人を探し出してもらう手はずだったのだがな」

「そいつは、あのおっさん、しらばっくれるぜ。何せ、マルスは守備隊の隊長だし、俺は俺で勧誘を受けている」

 キュリアスは思い当たることがあり、簡単に説明した。

「カークロスめ…!…バスタードの性格上、仕えた以上、戻らんか。…ふむ」

 ラームジェルグは掴んでいた手を引いて、マルスに耳打ちした。

「裏組織を使わずとも、私がお前の家族を無事に送り届ける」

 マルスは驚いてラームジェルグの顔を見つめた。

「ご存じでしたか」

 ラームジェルグはマルスから離れ、手も放した。

「お前たち二人に罰則を与えるつもりはない。エッジとバスタードは軍人の中で英雄視されているのだ。英雄に罰則を与えては、俺の沽券にかかわる。スペリエントに立ち寄るならば歓迎するぞ。そのままいついてもらっても構わん」

「英雄?」

 思いがけない言葉に、キュリアスとマルスの声が重なった。

「あのソード隊を壊滅させた二人、としてな」

 ラームジェルグはそう言って快活に笑った。

 言われてみれば、スペリエントの軍人たちの視線に熱いものがある。キュリアスとマルスは互いに顔を見合わせ、キュリアスは頭を掻き、マルスは恥じ入った。

「お兄ちゃん!無事だったのね!」

 マデリシアの声が響き渡った。マデリシアはまだ、兄の胸にすがったままだ。

「俺がそう簡単にくたばるものか。マディこそどうしてこんなところまで来たんだ!」

「あたしはこの声で何とでもなるもの。それに、そこにあたしのしもべが二人もいるし」

「おいこら!」

 キュリアスは即座に文句を言った。

「誰がしもべだ!」

 マデリシアの兄は、片腕で軽々とマデリシアを抱きかかえたまま、キュリアスの傍に来た。

「お噂はかねがね聞き及んでいます。妹がいつもお世話になっております。私は兄のティム・ガーランド。一介の商人ですが、自警団を率いさせてもらっています」

 ティムはそう言って手を差し出した。キュリアスはその手を握り返した。ティムも力強く握り返す。

「おっと、ここでは義勇兵のリーダーだな」

 ティムは後ろの、生き残った仲間を見つめて言った。

「キュリアス・エイクードだ」

 キュリアスは改めて名乗ると、マルスを紹介した。ティムはマルスとも握手を交わし、感謝の意を表した。

 マデリシアはティムにべったりくっついたまま離れない。

 キュリアスはマデリシアがひっついて来なくて清々する気持ちとは別に、何かモヤモヤしたものが胸の奥に沸き起こっているのを感じた。

 同時に、さらに別の感情も沸き起こっている。ティムは明らかに、強い。戦っているところを見なくても、それと分かった。強い相手を前にすると、キュリアスは手合わせしてみたいという衝動に駆られる。

「おじいちゃんは相変わらず?」

 マデリシアは親戚の家へ遊びに来たかのようにくつろぎ、兄に近況を尋ねた。

「商売に精を出してるよ」

「バリケードがあるとはいえ、よく、何日も持ちこたえましたね」

 マルスはマデリシアの変わりように驚きつつも、ラームジェルグに言った。

「モンスターがここまで増えたのは数日前からだ。それまでは何とかなる程度だったのだ。さらには、モンスターたちはなぜか、ここを素通りして南へ向かっていたのだ」

「何かに追い立てられ、逃げているようでもありましたよ」

 ティムも話に加わった。

「モンスターたちの身体のどこかに、傷があるんです。手傷を負わされた相手を恐れて、門の外へ逃げだしてきたようにも見えます」

「門の向こうから来たのか?」

 キュリアスも疑問を口にした。

「そうです。どこか違う空間とつながっているようです。信者は向こうへ行った者がいるようですが、誰も戻ってきたことはないとか。それで信者たちは、向こうに楽園があって戻りたくなくなるのだと信じているんですよ」

「信者とは…ディヴィニタス教の?」

「そうです。神の国に通じる門だと信じているそうです」

「神の国からモンスターがあふれかえっているとは、皮肉なことだ」

 ラームジェルグが鼻で笑った。

「宗教が悪いとは言いませんけどね、現実を見て欲しいものです」

 ティムも同意した。ティムたちが救いに来た信者たちは制止を振り切り、祭壇で祈り、門に飛び込んだ。その横で、信者仲間が次々にモンスターの餌食となってもなお、

「これは神の与えたもうた試練なのです」

 などと恍惚に叫び、自ら死地へ向かった。ティムの目撃したその光景は、常軌を逸した行動としか形容できなかった。

「過ぎたことは考えぬことだ」

 ラームジェルグは同情して言った。すぐに気持ちを切り替える。

「手勢は多くない。疲労もピークに達している。ここも近日中に陥落するだろう。身動きできなくなっていたというのが正直なところだ。バスタードとエッジの到来は、まさに奇跡の到来だ。お前ならばここを脱することも容易かろう」

「最善は尽くしましょう。幸い、斬り込み隊長も、魔物すらも魅了する歌姫もおりますので」

 マルスは請け負うと、戦える人数、部隊編成、負傷者の数などを確認した。



  6


「バスタード殿は確かに類希なる戦術家かもしれませんが、戦略をご存じないようだ。」

 隊長の一人が批判した。他の隊長も同意の意を表した。マルスの提案した作戦は、隊長たちに不可能と思わせるものだった。

「戦況を利用してこそ、戦術にも価値が出ると言うものです。まもなくメルカトゥーラが総力を挙げて防衛ラインを押し上げるでしょう。それに、ここは思いのほか堅牢です。ここにいる人数でも守り切れます。しかし、打って出ればこの人数、瞬く間に全滅しましょう。よって、我々が生き残る可能性の高い戦術は専守防衛と心得ます」

 ラームジェルグは隊長の発言を聞き終えると、手を上げて続けて意見を述べようとする他の隊長たちを抑えた。

「メルカトゥーラが全軍を投入することはあるまい」

「王子。それは如何なる理由が…」

 隊長の一人が即座に問うた。ラームジェルグはそれを遮るように、話を続けた。

「メルカトゥーラの西方で謎の失踪事件が発生している。近隣の住人が影だけ残して消えるという。その事件は西方へ移動しているかのように続いている。メルカトゥーラの軍はそちらにも配備されているのだ。ここの防衛ラインには今以上の増援は望めぬ」

「影だけ…」

「噂は聞き及んでいますが、眉唾では?」

「聞くところによると岩に人影が残っていたとか」

「草原に人の形をした焼け焦げたような跡があったと聞きました」

「樹木に影が焼け付いていたとも…」

「影だけ残して人が消えるようなことはあり得ますまい!」

「新たな魔術でも生み出されたか…」

「あるいは魔族の襲来か…」

 各隊長が思い思いに口を開いた。

「しかし、その程度に軍を派遣するとは異なことにございます」

「村が一つ、いや、一つの村の住人がすべて消えた、と言ってもか?」

 ラームジェルグは静かに問うた。それは分かっている事実のみで、実際にはもっと多くの村の住人が消えている可能性を示唆していた。

 隊長たちは驚き、呻いた。口を閉ざし、腰に帯びた剣を見つめる者、実際に手をかける者、後ろの戦闘に意識を向ける者が現れた。ラームジェルグの言葉で、軍を派遣せざるを得ない事態と認識し、ここに援軍が来ないことを悟ったのだった。

「食料にも限りがある。兵たちの疲労も極限に達しつつある。もはや猶予はない」

 ラームジェルグの言葉に、隊長たちは死を覚悟していた。

「何も無謀な作戦を遂行しようというのではない。貴様らも元ソード隊の逸話は聞き及んでおろう」

 ラームジェルグはキュリアスを指し示した。続いてマデリシアにも手を差し向けた。

「その声はモンスターにも影響を及ぼす」

 隊長たちがキュリアスとマデリシアを見た。キュリアスには羨望の視線を、マデリシアには畏怖の表情を向けた。エッジ、バンシーと呟く声も漏れた。

「さらにこの男がいる」

 ラームジェルグはマルスの肩に手を置いた。

「俺は彼らに託そうと思う。彼らの能力こそが、ここから生還する唯一の手段なのだ」

 ラームジェルグの意思に反する者はいなかった。作戦に懐疑的だろうと、軍人たるもの、上官の命は絶対である。

「承知いたしました」

 隊長たちの声が揃う。

「意見具申がございます」

 隊長の一人が言った。

「言ってみろ」

「はっ。短期決戦で戦場を駆け抜けるのであれば、真っ直ぐに南へ向かうべきではありませんか?あるいは西方の森が近いと思われます。私は南、または西方への進軍を具申します」

「もっともだが」

 ラームジェルグはマルスに頷き返し、説明を続けた。

「エッジの能力、バンシーの能力は皆存じておろう。特に前方の広範囲に影響を及ぼす。南へ進めば防衛ラインに影響を及ぼすことになる。あるいはそれを避けて本来の力を発揮できなくなる可能性がある。二人の能力を最大限に活用しなければ、ここの脱出は不可能と言えよう。となれば、南進は、ない」

 マデリシアがバンシー言うなと文句を言っても、誰も取り合わなかった。

「西方は確かに一つの選択肢ではある。あるが、森の中にモンスターが入り込んでいないとは言い切れん。エッジが斬ってみろ。森ごと消える。もはや進めぬ道となろう。エッジがいなければ、西方を選んだであろうが、せっかくだ。その迷惑な能力を最大限活用させてもらおう」

「えらい言われようだな」

 キュリアスは眉を吊り上げたものの、マルスもラームジェルグも事実だと言いたげに睨み返しただけだった。

 その迷惑な能力は、実際に目撃した兵士たちに圧倒的な効果をもたらした。

「あれが伝説の特別遊撃隊隊長か!凄まじいな!」

 スペリエントの兵士が感嘆をもらした。仲間は見とれている。伝説の信奉者は、雄姿に見惚れた。脱出行に希望を見出した。

 当初、陣地よりの脱出を、不可能だと反対した兵士や隊長たちも、キュリアスの驚異的な突破力に舌を巻いた。

 陣地防衛が最良の手で、防衛ラインが押しあがってくるまで耐えることが肝要と考える兵士、隊長も少なくなかった。兵の数倍にも及ぶ圧倒的なモンスターの数を理由に、不可能と断じざるを得なかった。援軍がいつ来るのか、食料の備蓄は、といった問題は二の次だった。

 眼前でたった一人の男が、剣の一振りで前方のモンスターをなぎ倒す様子を見て、作戦に懐疑的だった兵士たちも、希望を見出した。

「動け!生きて帰りたければ、己が手で道を切り開け!」

 数人の小隊長の号令を受け、兵士たちが再び動き出す。その前方で、キュリアスは鬼神のごとく戦場を駆け巡った。

 相手が何倍もの大きさの巨人であろうと、生半可な刃物では斬ることができない硬い皮膚のドラゴニュートであろうと、キュリアスは一太刀の元に斬り裂いた。

 斬撃を放つ。

 斬撃を放つ直前に、刀身を何かが包み込む気配があった。これはキュリアスが今までに感じたことの無いものだ。何度か斬撃を放ち、感覚が間違っていないことを理解した。

 包んだものが飛び離れて、斬撃を遠くまで放っている。キュリアスはそう理解した。無数の敵を相手にしながら、キュリアスはふと、試したいことができ、すぐにも実践する。

 斬撃を放つ直前、刀身を何かが包み込んでいる感覚のまま、それを放つことなく、使ってみようとしたのだ。

 何度かの失敗の後、つまり、意図しない方向へ斬撃が飛び、マルスに諫められた後、ついにそれを実現した。

 通常ならば、刃が敵に触れ、相手を切断する。ところが、刃が触れる前に斬れた。刀身を包む何かが、敵を斬り裂いたのだ。それも並大抵の切れ味ではなかった。キュリアス自身も、会心の一撃と感じるほどのものだった。

 だがそれは、会心の一撃ではなかった。刀身を包むものを維持できれば、何度でも繰り返せた。

 キュリアスは新たな発見に酔いしれ、モンスターを斬り倒すのが楽しくなった。新たな技に名前を付けなければと、物思いにふけり、敵を倒した。

「おいエッジ!方向が違うぞ!」

 マルスの声に振り向くと、部隊の先頭にいたはずが、いつの間にか、左側面に位置していた。キュリアスの気配感知は、気配の多さに、役立たずになっていたようだ。あるいはそれほどに思考に没頭していたのかもしれない。

 キュリアスは目前の巨人を斬り裂き、倒れかかる身体を蹴って方向を変えた。部隊の前方に躍り出ると、横なぎに斬撃を放つ。部隊の進路をふさぐモンスターたちが一斉に倒れた。

 部隊の左右からもモンスターが迫るものの、マルスの指示に従う兵士たちが跳ね返した。部隊にほころびが生まれそうになると、マルス自身が介入し、また予備隊を適時導入して対処した。マルスの真骨頂はここにある。まるでそこに新たな事態の発生が分かっていたかのように、ほころびが発生する前に部隊を配置し、自身も動いた。

 マルスの率いる軍は、状況に合わせて自在に形を変え、巨大な生き物のように平原を進んだ。

 最後尾にマデリシアとティムがいた。

「ついてくるな!」

 マデリシアの声を受け、モンスターが引きさがる。ついてくるなと言う言葉の選択も、幸いだった。もしもあっちへ行けとか、帰れなどであったならば、兵士たちも影響を受け、散り散りに走り出し、統率を失っていただろう。「ついてくるな」のおかげで、兵士たちは影響を受けても、マデリシアの後ろについて行っているわけではないので、効果が無かった。せいぜい、マデリシアから離れようとする兵士が現れる程度だった。

 マデリシアの叫び声が衝撃波を発生させ、一帯を吹き飛ばす。

 運良く難を逃れたモンスターがマデリシアに迫るものの、ティムが易々と撃退した。ティムは既に自身の武器を失っていたが、力強い肉体を駆使して、モンスターを殴り倒した。倒したモンスターをつかみ、武器代わりに振りまわす。

 後方の安全、前方の突破力、部隊の安定性は兵士たちに希望を呼び込んだ。希望は闘志を掻き立て、士気が上がった。部隊の向かう先にはいまだに不満をもらす兵士がいたが、その不満を飲み込んで余りあるほどの熱気が、部隊を包んでいた。

 負傷兵たちも、疲労で動けなかった兵士たちも、熱気に当てられ、自ら武器を取って戦闘に加わった。彼らは満足な戦火を上げられなくても、自らの足で行動するようになったおかげで、部隊全体の移動速度の上昇につながった。脱落する者もいなかった。

 キュリアスの斬撃が、前方に広い空間を作り出した。青くきらめく水平線が、部隊を歓迎するかのように広がっていた。

 マルスの作戦は、この東の海岸沿いに南下する、と言うものだった。ティムの証言通り、そこには遥か下方に、荒々しく打ち付ける波が見える程度の、絶壁だった。その向こうは青く煌めく海が広がっているものの、飛び込むには高さがあり過ぎ、波打ち際の切り立った岩や壁が、生きて海にたどり着けないと告げていた。

 一部の兵士たちが、

「そら見たことか!これで逃げ場はない!」

 などと不満を口にした。

 逆に、各部隊の隊長はマルスの意図を悟った。崖を背にすることで、一方を守らなくていい。おかげで部隊の一部を内側に取り込み、疲労を抑えることができる。三方を守る部隊と順次交代することで負担を減らせる。

 部隊は新たな防御陣形を素早く構築した。意図を察した隊長たちの行動は的確だった。

 マルスは余力のある部隊を南側に配置し、南下を指示した。

 キュリアスは前もって受けていたマルスの指示通り、部隊の側面に回り、斬撃を放って近づくモンスターを蹴散らした。後方はティムとマデリシアが担っている。

 部隊の戦力は三方ではなく、進むべき前方、一ヵ所に集中できるようになった。キュリアスという突破力を失っても、一方に戦力を集中させることによって、それと同等の突破力を維持させることに成功していた。

 先陣を切り、目覚ましい戦果を挙げていたのは、マルスとラームジェルグだった。特にラームジェルグは戦闘中に剣が折れても、残った刀身でモンスターを斬り倒し、歩みを止めなかった。

 多くの兵が、武器を折り、傷ついた。剣を振るう力を失った兵士から、最前線へその武器が送られた。新たな武器を手に、兵士たちが突き進む。

 砕かれた鎧を脱ぎ捨て、滴る血を袖で拭いながら、兵士たちは果敢に前進した。仲間を背負い、肩を貸し、命ある者は誰一人とて脱落することなく進軍した。

 だが、一向に防衛ラインへたどり着ける様子はなかった。行けども行けども、モンスターの山で、人の姿は見えなかった。鬨の声も、戦闘の音も聞こえなかった。

 武器が不足し始める。同時に、士気も低下の一途をたどり、死傷者が増加した。

「踏ん張れ!それでもスペリエント山に抗いし勇猛な兵士か!」

 マルスは後ろを鼓舞した。

 自然の険しい、切り立ったスペリエント山で、厳しい修行を乗り越えた兵士たちに、そのことを思い出させた。ここはスペリエント山を思えば、生易しい平地なのだ。

 身体が動き、武器を持つ兵士が前線を支えた。残った盾を武器代わりに、突進する兵士も現れた。折れ残った剣で、身体ごとモンスターに飛び掛かる兵士も現れた。

「心の剣は折れぬ!」

 ラームジェルグが雄叫びを上げると、兵士たちも一斉に叫び、怒号のように響いた。

 キュリアスの斬撃の威力が落ち始めていた。マデリシアの声も枯れ始めていた。だが、部隊の勢いに背中を押され、勢いを取り戻した。このまま力尽きて倒れようとも、部隊を守り通す覚悟で、キュリアスは剣を振った。声が出なくなるまで叫び、モンスターを退ける覚悟を、マデリシアは決めていた。

 前方で異変が起こった。

 背に矢を受けたモンスターが現れたのである。モンスターが倒れると、無数の矢が飛来するのが見えた。南方からの支援だ。

 兵士たちが歓喜の声を上げた。

「味方だ!増援だ!」

「生き残ったぞ!」

「帰って来たぞ!」

 矢の雨が、前方を塞いでいたモンスターたちを倒し、道を開いた。崖まで伸びたバリケードが姿を現した。バリケードの隙間から夕日を浴びて煌めく鎧の数々が、味方の存在を強く示していた。

「王子!負傷兵を連れてお先に!」

 マルスはそう言うと、前に出て背後に道を作った。

「戦える者は仲間の退路を確保!」

 マルスが指示を出すまでもなかった。まだ武器を残していた兵士たちが率先してモンスターの接近を阻み、傷ついた仲間の逃走経路を確保した。

「マデリシア!先に行け!」

 ティムは自身の疲労もかんがみず、戦い続けた。殿を務めあげ、兵士たちや義勇兵の仲間たちが防衛ラインを越えるまで、戦場に残ったのである。

 キュリアス、マルス、ティムの三人は、すべての兵士が防衛ラインを越えるまで、モンスターを退け続けた。

 三人は歓声の上がる防衛ラインを超えると、力尽きたように倒れた。

 生存が絶望視されていた義勇兵、スペリエント兵が無事に戻ったことで、防衛ラインを死守する各国混成部隊は異常な熱気に包まれた。

 キュリアスは轟く歓声を、どこか遠くの出来事のように聞いていた。指一本動かす気力も残っていなかった。頭の芯が重く、何も考えられなかった。目を閉じると即座に意識を失った。



  6


「まったく使えないな!一人はあれ以来眠ったまま!一人は…なんだありゃ!求婚されたり殺されそうになったり…迷惑甚だしい!」

 声が聞こえた。嫌悪の気持ちがこもった、吐き捨てるような物言いだ。

「おい!声が大きいぞ!」

 誰かが諫めた。声の大きさを注意しただけで、内容には触れていない。

「知るか!どうせまだ眠ったままだろ!」

「またやってるぜ。あそこ」

 もう一人も諫めることを止めたようだ。

「ちっ!なんなんだ!メルカトゥーラの豪商や有力者の子息だろ?あいつら。挙って声の出ねぇ女に群がって、殺そうとしてみたり、そうかと思えば妻になれだかと叫んでみたり!」

「人の妻になるくらいなら、殺してしまえってか?そこまでのめり込むものかね?」

「頭のおかしい連中だってことさ」

「頭がおかしいっていや、フォートローランスもだ。何だあの少人数の援軍は。嫌がらせか?」

「確かにあいつらもおかしい。霧で立ち往生したら、なぜかここにたどり着いたとか、訳の分からんことを言ってるそうじゃないか。遅れてきた言い訳にしてもお粗末だ。そんな奴らがどれほどの役に立つものか」

「そうだ。あの迷惑な女や眠りこけてるやつと同類に違いないさ」

「もっと訳の分からんのは冒険者どもだな」

「そうだな。あいつら、気でも狂ったのか?ボスだとか最後だとか帰れるだとか…終いには言葉まで忘れたようだぜ」

「ああ。何言ってるか全く理解できん。皆南へ走って消えやがったってだけだ」

「逃げだしただけだろうさ」

 声の主が離れて行き、会話が聞き取れなくなった。

 キュリアスはもうひと眠りしようとしたものの、眠れなかった。眠れないと分かった途端に腹の虫が騒ぎ立てた。

 近くに二人の気配がある。小さい方の気配が笑っているのが分かった。

 キュリアスは片目を開けた。

「やっとお目覚めね」

 少女は笑いを堪えながら言ったものの、最後は堪えきれていなかった。

「シャロン?」

 キュリアスは鈍い頭を振って、もう一度相手を見た。間違いなく、少女はシャロン・ベネフィカだ。もう一人の気配の主は母親のマリアだ。

 マリアはすぐさまキュリアスを助け起こし、近くに置いてあったコップを渡した。

 キュリアスは自分で起き上がろうとしたものの、力が入らなかった。マリアの支えが無ければ、上体を起こすこともできなかった。自分の身体が自分の物ではないかのように、思うように動かせない。力が入らない。そして、どうしてこのような状態になったのか、なぜベッドの上なのか、キュリアスには何一つ理解できなかった。

 手渡されたコップの中身が緑色をしていることも、理解できない。キュリアスは緑色の飲み物を見たことがなかった。においも強烈で、飲み込めるものとは思えなかった。にもかかわらず、身体が勝手に、その液体を欲し、喉が鳴った。

「さあ、飲んで」

 マリアはそう言ってキュリアスを介助し、コップを口元へ運んだ。

「魔法薬よ。それで消耗しすぎたマナを取り戻せるわ」

 シャロンの言葉の意味は分からなかったが、口に入った液体から、何かが身体中に広がるのを感じた。味はよく分からない。あまりに身体が求めるので、キュリアスは一気に飲み干していた。

 飲んだ液体がどのように影響したのかは分からない。分からないが、キュリアスは急に辺りの気配を感じ取れるようになっていた。つい先ほどまでは身近なマリアとシャロンの気配しかとらえていなかったのだが、今は無数の気配を感じた。

 ここはテントの中で、その外にも行き交う人の気配がある。

 モンスターと戦いを繰り広げている気配もあった。

 モンスターの気配とは逆の方向でも戦闘があった。ただ、こちらは一瞬で、たった一人に襲いかかった人々が倒れて終わった。

 襲われた人物はとんでもない速度で上空へと消えた。何らかの手段で空を飛んだとしか思えない。キュリアスは人と認知したが、気配を追ううちに、人とは思えなくなった。身体の長い龍を思わせる気配だったのだ。

 その気配を無意識に追う。普段なら感知圏外になるはずなのだが、はるか上空まで追うことができた。そこには別の何かが、禍々しい気配を伴って広がっていた。飛び上がった人物はその禍々しい気配と戦闘に入った。

 マリアの手が額に触れた。途端にキュリアスは上空の気配を取り逃し、認識できなくなった。

「はい、もう一杯飲んで」

 マリアは緑の液体をコップに注いで差し出した。

「消耗しすぎたマナ?俺は魔法使いじゃないぜ?」

 キュリアスは思考を現実に引き戻し、気になっていたことを聞き返した。喉が緑の液体を欲している。キュリアスは抵抗せず、一気に飲んだ。

「マナはどこにでもあることはご存じですか?そうです。空中にも。同じように身体の中にも。魔法を使えるかどうかにはかかわらず、そこにあるのですよ」

 マリアが答えた。

「肉体から蒸気のように、自然と放出しています。我々魔法使いはそのマナと、自然に漂うマナを利用して魔法を使います」

 マリアは空になったコップを受け取ると、マナの流れを生み出し、キュリアスの身体を調べた。

「体内で生成されたマナの利用は、何も魔法使いでなければできない、と言う訳ではないのです。そうですね…」

 マリアはキュリアスの身体を調べ終えると、小首をかしげた。

「気とか、オーラと言うものが該当すると思われます」

 マリアの言葉をキュリアスは理解することができなかった。

「エッジの斬撃もオーラを飛ばしているのよ」

 シャロンが補足した。おかげでキュリアスにも多少は理解できた。

「俺もマナを使っていたのか?まったくそのつもりはない…」

「でしょうね。無自覚って怖いわ」

 シャロンは両手を広げた。

「体内で生成するマナは使い過ぎると生命エネルギーまで消費してしまいます。魔法を使い過ぎて昏倒する魔法使いを見たことはありませんか?」

 マリアの言葉に、キュリアスは、

「見たことがあるような気がする」

 と答えた。

「キュリアスさんにも同じことが起きたのです。いえ、それ以上ですね。生命エネルギーが枯渇するまで使い込んでいたのですから」

「本当によく生きていたものだわ。それに、私たちが間に合ったから助かったようなものなのよ。感謝なさい」

 シャロンが誇るように言った。

「つまり、俺は文字通り命を削って…命を刀身にまとわせて戦っていたってことか?」

「そうとも言えるわね。次からは使い過ぎに注意する事ね」

「今回は限界を超えて使用し続けたために昏睡状態に陥ったのです」

 シャロンとマリアが続けて言った。

 キュリアスは自分の記憶をたどった。斬撃を飛ばないように刀身にまとわせ、敵を面白いように斬り裂いた。もちろん、斬撃もかなり打ちまくった。が、やはり刀身にまとわせたあの件が、一番印象に残っていた。新たな技を生み出したと思うと、その興奮が蘇ってくる。

 キュリアスには未だに、命を削っていたという実感はない。あるのは、思い通りに力をコントロールしたという、自信と達成感だった。

 ただ、マリアやシャロンの説明の通りであれば、あの技は多用しすぎてはいけない、ということだ。逆に、それだけ胆に銘じておけば、使える技でもある。

 お腹が激しく鳴った。

 一抹の不安がキュリアスの脳裏によぎった。

「俺はどれくらい眠っていたんだ?」

「一週間です」

 マリアが即答した。

「魔法薬で体内のマナは補充できましたが、体力を取り戻すためにも食事を…」

 キュリアスはマリアの言葉を聞き流し、起き上がろうとした。思いとは裏腹に、手足に力が入らない。

 俺は立ち上がれないほどに弱っていたのか。

 キュリアスは驚愕し、震えて思い通りにならない手足を見つめた。

「まだ無茶はなさらないでください」

 マリアがキュリアスの身体を支え、ベッドに座らせた。

「俺の荷物は?」

 シャロンが指差した先に、キュリアスの服があった。剣が無いのだが、この時は気にならなかった。

「何が必要ですか?」

「荷物の中に小瓶がある」

 マリアはキュリアスの荷物を調べ、小瓶を取り出した。

「それだ。ありがとう」

 キュリアスは受け取ると、すぐに中身を一粒取り出して飲み込んだ。

 マリアはキュリアスの様子を窺いつつも、食事を持ってきますと言ってテントを後にした。

「魔法薬だったのね」

 シャロンがキュリアスの頭を見つめながら言った。

「シルバーブロンドも悪くないわよ?」

「そりゃどうも」

「黒髪もいいけど」

「シャロンちゃん?エッジを口説こうとしても無駄よ」

 テントの入り口から、微かに聞き取れる程度の声が聞こえた。

「まだ喋らない方がいいわ」

 シャロンは研究対象の声が失われないよう、気を使った。

 研究対象のマデリシアは素早くキュリアスの横に駆け寄り、キュリアスの身体を隈なく調べた。大丈夫かと言いたいようだ。

「ずっと心配していたわよ」

 シャロンはマデリシアの代弁者になった。

「あたしの護衛がいなくなって大変だったんだからね」

 まるでマデリシアが発言しているかのような、シャロンの口ぶりだ。

「は?」

 キュリアスはあっけにとられた。

「ここの若者たちはおかしいのよ。マデリシアに言い寄ったり、そうかと思ったら殺そうとしたり」

 これはシャロンの言葉だった。

「若気の至りってやつ?何言ってるのかしら?マデリシア。言いたくないならいいわ。とにかく、過去にやらかしたツケってことね」

「おい。どうやって会話してるんだ?」

「秘密よ」

 シャロンはその一言で、キュリアスの疑問を打ち消した。

「キュリアス様!」

 新たな声に振り向くと、複雑な表情を浮かべたシャイラベル・ハートがいた。泣き出しそうに眼を潤ませ、唇が震えている。

 シャイラベルはキュリアスと眼が合うと、キュリアスに飛びつかんばかりに駆け出した。

「ストップ!」

 マデリシアのかすれ声が、シャイラベルの動きを止めた。マデリシアは自分の物だと言わんばかりに、キュリアスの横に腰かけ、キュリアスの腕に絡みついた。

 シャイラベルの眼が、鋭くマデリシアを射た。効果が無いことを悟ると、シャイラベルはマデリシアと反対側のベッド際に立ち、そっとキュリアスの額に手を当てた。

「心配しておりましたのよ。キュリアス様が倒れられたと聞いて、私は…」

 キュリアスは絡みつくマデリシアを振りほどく気力も力もなかったため、早々に諦めた。シャイラベルの手は、心地いい。こちらを振りほどくつもりは微塵もなかった。

「早く到着したんだな」

 キュリアスの頭はやっと働き始めていた。自分たちは特殊な方法でこの戦場までやってきた。徒歩のシャイラベルたちは少なくとも、数週間は後に到着するはずだった。

「ええ。今もって不可思議としか言い表せない出来事でした」

「何時まで触れているつもり?」

 マデリシアのかすれる声に反応したのか、シャイラベルはキュリアスの額から手を放した。代わりに潤んだ瞳でキュリアスを見つめた。

「濃い霧に道を阻まれ、迷っておりました。その霧を抜けたと思いましたら、ここの近くに出ていたのです。まるで女神様の御導きがあったかのようです」

 キュリアスはシャロンを見た。魔法の知識が豊かなシャロンであれば、シャイラベルの話を裏付ける説明ができるのではないかと期待した。が、シャロンは視線を逸らしただけで、何も言わなかった。

「離れなさい」

 かすれた声が聞こえた。

 シャイラベルはベッドから離れかけたものの、何かに抗うように、キュリアスの手を取った。

「あなたこそ離れてはいかがですか?喉も不調なのでしょう?療養なさるべきです」

 シャイラベルは毅然とマデリシアを見返した。

「キュリアス様の看病でしたら、私がいたしますわ」

「いえいえ。お姫様のやわなお手を煩わせるわけにはいかないわ」

 シャイラベルとマデリシアは互いに一歩も引かなかった。

「看病なら私がやっておくから、ほら、マデリシアは声を出さないように!」

 シャロンはそれで決まりと言わんばかりに手を振った。身振りで二人に出るように促した。

「出て行け!」

 マデリシアのかすれた声が、部屋に広がった。

 広がったものに触れた人々が、意に反してテントの外へ向かう。上半身は後ろに向き、足だけが前に進んでいる。

 キュリアスはその広がったものに触れそうに思えた。深く考えずに手を伸ばした。キュリアスの手から何かが伸びて、人々の身体を操る何かに触れた。

 出口まで進んでいたシャイラベルとシャロンの足が止まった。シャイラベルはマデリシアを睨み付け、シャロンは驚いたようにキュリアスを見つめていた。

「人を操るのは止めていただきたいですわ」

「あれ?」

 シャイラベルの抗議に対し、マデリシアは自分の声の効果が失われたことに驚いて、口を開けて呆けた。

「マナの流れを遮断したのよ。キュリアス。それ、自覚してやったの?」

 シャロンの説明は、マデリシアには理解できず、首を傾げさせただけだ。シャイラベルは聞いていなかったのか、気にしていないのかは分からない。ただ、マデリシアの次の発言に踊らされないよう、身構えていた。

「何か触れそうな気がしたんだ」

 キュリアスはそう言って、もう一度手を伸ばした。そこから意識が伸びていく感覚がある。気配も何かが伸びていることを伝えていた。

 伸びた先で物に触れてみると、感覚がある。まるで指先で触れたかのようだ。

「おー。何か分からねぇけど、面白れぇ」

「それはオーラを操作しているのよ」

 シャロンは言った。

「すぐやめた方がいいわ。慣れないうちは消耗が激しいの。また昏睡したいのかしら?」

「いや、もう寝るのは十分だ」

「でしょうね」

「それにしても、俺はついに新たな力に目覚めたんだな。新しい技も使えたんだ…」

 キュリアスは胸の奥が熱くなるのを感じた。ラームジェルグたちを救出に行った帰りに、今までにない戦い方ができた。新たな技を開発したと思うと、それだけで興奮が蘇ってくる。

「そう?それにしても驚いたわ。もうオーラを自分の物にしているのね」

 シャロンの声は冷めていた。まるで既知の事象だと告げているようでもある。

 キュリアスは技の名前を考えようとしていたものの、シャロンの口調に違和感を覚え、シャロンの顔を覗き込んだ。

 幼いシャロンは年相応の笑顔で見返している。だが、その瞳に何か底知れないものが窺えた。

 少なくとも、シャロンは驚いていない。キュリアスが未知の力だと喜んでいるのに対し、シャロンは冷静に受け止めている。そのことが物語るものはと考え、キュリアスは一つの疑惑を抱いた。

「まさか、こいつにはすでに技名があるのか?」

「ないわ」

 シャロンは即座に否定した。

「オーラ操作の基礎中の基礎だもの」

 キュリアスは思わず絶句した。シャロンの「ないわ」の一言に喜んだのもつかの間、続いた言葉に、キュリアスの希望は打ち砕かれていた。

 キュリアスが口をパクパクさせていると、シャロンは容赦なく言った。

「あの斬撃も基本と言えば基本よ。あー、でも、そうね…。威力はかなりのものだから、技と呼べないこともないわね」

「取ってつけて言わなくてもいい」

 キュリアスはすねて言い返した。



  7


「ああ。どうしてこう思い通りにいかないものかな」

 ビクター・モラドは酔いしれたように、嘆かわしげに腕を広げ、天を仰いだ。一方の手に握られた剣の刀身が赤く染まっている。

 ビクターの足元に青年が横たわっていた。青年の片手に細身の剣レイピアと、もう片方の手にはソードブレイカーと呼ばれる短剣が、未だに力強く握られたままだ。

「今さらレイピアを殺そうなんてこれっぽっちも考えてなかったんだ。本当だ。信じてくれ」

 ビクターは足元の青年に言い訳した。

「だってそうだろう?弱いレイピアと戦って、俺の心が震えるはずはない。熱くたぎるわけがない。そんなもの、楽しくないだろう?そうなんだ!楽しくないんだ!レイピア。お前も分かっていたじゃないか。だというのに、どうして歯向かったりしたんだ!」

 ビクターは刀身の血に気付き、苛立たし気に舌打ちすると、レイピアの服で血のりをふき取った。

「俺はエッジのやつが美味しく熟れるのを待っているんだ。今すぐ挑んだりしない。分かっていただろう?そりゃ、ちょっと切り刻んでみたいって思いはしたさ。刀身を見つめていたら、ちょっとくらいいいじゃないかって思えちまう。でも思うだけだ。まだ熟れるまで我慢すべきだ!俺だってそう思う!でも、あれを見ちまうと、どうにも我慢できなくなっちまったじゃないか!な?少し味見するだけさ!切り刻むつもりはないって!」

 ビクターの足は自然と、キュリアスのテントに向かって進んでいた。が、背後で何かが動いたように感じて立ち止まった。

 こと切れて動かないはずの、レイピアのコードネームを持つ男が、ビクターを引き止めたように感じた。

「ああ!分かっているさ!だから、あいつをけしかけるために、フォートローランスの姫君を殺してみようかと思うんだ」

 ビクターは動かないレイピアの元へ歩み寄った。

「まさか、それもダメだと言うんじゃないだろうな?言わないよな?…まさか、言うのか?よしてくれよ!」

 まるでレイピアと会話しているかのようだが、レイピアの唇は動いていない。

 ビクターはレイピアの本名を知らない。覚えていないだけかもしれないが、そもそも興味がなかった。ソード隊最強と謳われたビクターは、自身と対等に渡り合える実力者にしか興味がなかった。

 ビクターは、キュリアスの師であり父親代わりであったサム・ガゼルには一目を置き、名を覚えていた。が、サム・ガゼルとはもう戦えないことを知り、残念に思う。

 ビクターにとって、ソード隊で名を記憶するに値する人物は、あと一人しかいなかった。キュリアス・エイクードである。

 だが、キュリアスはまだまだビクターの足元にも及ばないことも承知していた。ではなぜビクターがキュリアスに興味を覚えたかと言うと、将来性を見抜いてのことだった。

 その信じた将来性の、輝ける一端が、やっとこの戦場で花開いた。

 キュリアスはついに自分と同じ、オーラの存在にたどり着いたのだ。キュリアスは元々、無意志にオーラを利用していた。そして、彼特有の気配感知という能力が、彼にオーラの存在を感じ取らせていた。

 それらがビクターの眼に、将来性のある少年として映し出されていた。その少年が青年となってもなかなか才能を開花させなかったが、ここに来て、ついに目覚めた。

 やっと、ビクターと戦う資格を、キュリアスが掴んだのだ。これほどビクターにとって喜ばしく、興奮する出来事はない。

 興奮のあまり、キュリアスの後押しに、フォートローランスの姫を殺してみようとして何が悪いというのだろうか。キュリアスを、ちょっとばかり切り刻んだところで、死なせるわけではない。それのどこが悪いというのか。

 レイピアはビクターの考えに恐怖し、止めようと身体を張った。しかし、埋めがたい実力差が、レイピアを血の海に沈ませた。

「いや、待てよ。これでもエッジのやつに刺激を与えられるか…。うん。そうだな。それで良しとしよう。エッジは美味しく熟れるまで待たないとな。せっかくここまで待ったんだ。あと少し…」

 ビクターは自身のコードネームでもある、ブレイドを怪しく見つめ、怪しげな輝きを内に秘めるように、鞘に納めた。


 指揮官たちの会議は、数時間に及ぶ論争に発展した。

 一週間前、スペリエント兵が救出された後、しばらくモンスターの数が減っていた。その間隙をぬって、防衛ラインを押し上げるべきだったと責める者、守りに徹する方が消耗せずに戦い続けられると主張する者、一気に打って出るべきだった、今からでも遅くないと息巻く者。それらの意見は相手に受け入れられず、激しく言い争う結果となった。

 すでにモンスターの数は増え、以前と変わらないか、それ以上の大群となって防衛ラインに迫っていた。

 もはや無駄な言い争いである。やっと現実の話に戻っても、意見は分かれた。

 いつまでもモンスターが出現し続けることはあり得ない。途切れるまで守りきればいいとの主張があれば、モンスターの数が増え過ぎて、いつかは防衛ラインを突破されると危惧する声も上がった。

 どちらの意見も間違っていないように思われた。モンスターと言え、その数は有限だ。いつかは終わる。が、その終わりが見えるまで持ちこたえられるかも、不透明である。

 会議の潮目が変わったのは、急報が入ったためだ。防衛ラインの一部をモンスターに突破されたのだ。予備兵も導入し、何とか持ち直したとの報告だったが、指揮官たちは猶予が無いことを悟った。

 ただ、どうすればモンスターの大量発生を止められるのか、その答えを知る者がいない。憶測が飛び交い、会議は混迷するばかりだった。

「ディヴィニタスの門からモンスターが出現しています」

 シャイラベル・ハートに乞われ、会議に同伴していたマリア・ベネフィカが言った。

 当然、指揮官たちは根拠を示せと反発した。ディヴィニタス教徒は、門の向こうは神の国だと信じている。そのようなところからモンスターが出てくるはずがないと言い切った。

 マリアは映像を映し出すことで、反論を封殺した。

 魔法で映し出されたディヴィニタスの門からモンスターが次々と走り出ている様を見て、指揮官たちは唸った。

「門を閉じなければ、状況がよくなることはないのですね。では門を閉じる方法を考えましょう」

 シャイラベルの言葉に、

「あれは人の手で動かせる代物ではない」

 との声が上がった。人の数倍の高さがある石の門が、そう易々と動かせるとは思えなかった。

「信者が開けたのだろう。ならば信者に閉じさせればいい」

「その信者は全滅だ」

「そもそもあれは数十年に一度、勝手に開く。閉じるのも神の御心次第だ」

 再び混迷しかかる。

「あの門は空中のマナを取り込んで稼働しています。取り込んだマナを四散させることができれば、門は閉じます」

 魔法使いの助言は一定の信を得た。助言者マリアにより、マナを四散させる方法が二つ提示された。

 一つは、キュリアス・エイクードによる斬撃。もう一つはマデリシア・ソングの声による衝撃波だ。

 そのような方法で門が破壊されることはないのか、神の国の入り口を破壊させるわけにはいかないと、不安や不同意の声が上がった。

「神の創りしものであれば、人の手で破壊できるはずがありません」

 マリアは冷ややかな言葉で、抗議と不安を振り払った。

 方法については、マデリシアは喉を傷めて声が出せない状況だった。よって、キュリアスの斬撃に頼ることが決まった。

 ただ、門までたどり着ければ、の話である。それは不可能だと反対する指揮官、部下を死地に送り出すことはできないと部下思いの指揮官も現れた。

 モンスターの大群の中を突き進み、門までキュリアスを送り届けることに賛同したのは、シャイラベルとラームジェルグ・スペリエント、それにメルカトゥーラの商人の代表であるティム・ガーランドの三人だった。

「一週間も寝込んでいた男に何が期待できる!」

 反発はなおも続いた。

 だが、スペリエントの王子、フォートローランスの王女は一歩も引かなかった。長引かせても何の解決にも至らない。そして、長引かせれば長引かせるほどに解決の糸口を失うと考えていたためだ。

 ティムも早期解決に糸口を見出していた。長引かせれば陣営を運営するための経費がかさむ。得するのは戦闘に加わらない商人だけだと分かっていたためでもある。

 ラームジェルグは他の部隊の支援を得られないと分かると、少数による作戦に切り替えていた。そうと分かった他の部隊長たちは、

「勝手にしろ」

 と投げやりに言い放った。

 作戦には、フォートローランスの兵士と冒険者、スペリエント兵、メルカトゥーラの義勇兵の一部、それにメルカトゥーラの貴族の若者たちが数人加わった。

 二百人に満たない一団は、帰りの保証のない特攻作戦に従事することとなる。

 重要な任務を託されたキュリアスは、当惑していた。寝込んでいた間に、自身の剣の行方が分からなくなっていた。マルスとラームジェルグが予備の剣をすぐに手配してくれたものの、手に馴染まない。あの剣ほど自在に斬撃を操れる自信はなかった。寝起きに操ってみせたオーラも、今は思うように出せなくなっていた。それもこれも、あの剣がないためだと考えた。

 それよりも、失われた剣の捜索をしたかった。見つけ出し、もしも盗んだやつがいるのなら、殴り倒してやりたいと息巻いていたほどだ。

 しかし、手がかりは一つもなかった。そして時間的猶予もなかった。仕方なく、渡された予備の剣で実戦に出てみたものの、斬撃を放つことができなかった。当然、オーラを刀身にまとわせることもできない。

 体得していたはずのオーラが使えないと分かり、キュリアスは意気消沈していた。その状況で、作戦として、斬撃を放てというのである。

 モンスターの大量発生を止めなければ、いずれ防衛ラインは崩壊し、近隣の町や村が蹂躙されることになる。作戦を拒否できるような状況ではなかった。

 もう一つの有効な手段であるマデリシアの声に頼ることはできない。彼女の声は出ないのだ。キュリアスとしても、これ以上マデリシアに無理強いはできない。となると、キュリアス自身が何とかするしかない。

 キュリアスは仕方なく、作戦を了承した。ただし、予備の剣を大量に持っていくことを条件にした。何本か折りながらやれば、その内に出るだろうと、投げやりな考えからだった。

 作戦部隊は少人数故に、突破力はあった。キュリアスやマデリシアの力に頼らなくても、一点突破で最初の山場を抜けた。

 モンスターたちは何かに怯えているかのように、南へ走った。少人数の兵士には目もくれず、狂ったように走り抜けた。防衛ラインにぶつかっても戻ってくることはなく、他のモンスターを押しのけ、上を越えて行かんばかりに、先を争った。

 決死行を覚悟していた兵士や冒険者たちは、拍子抜けしたように背後の様子を窺った。

「止まるな!進め!」

 号令で我に返ると、皆走り出した。

 モンスターに襲われないからと、気を大きくし、横へ広がる兵士が現れた。だが、彼らは等しく、後悔することになる。

 少しでも横へはみ出た者は、モンスターにぶつかり、転がった先で蹴飛ばされ、踏みつぶされた。仲間は助けに向かうこともままならず、ただ悲鳴を聞くことしかできなかった。そして不安がよぎる。この先頭でもモンスターの突進にさらされている仲間がいることに気付き、彼らがいつ、踏みつぶされた仲間と同じ運命をたどるか分からない。更には、先頭が崩れれば、瞬く間に我が身も同じ運命をたどることを悟ったのだ。

 先頭で突破を図っているのは、スペリエント兵とキュリアスだった。

 キュリアスは斬撃を飛ばさなくとも、突進してくるモンスターをものともせずに進んだ。キュリアスが取りこぼしたモンスターを、スペリエント兵がモンスターを外へいなすように斬り払い、道を確保した。

 キュリアスは流れるような動きで、モンスターを斬り、また別のモンスターを殴り、蹴飛ばして道を作った。まるで騎馬隊のように、勢いを殺すことなく、先頭をひた走った。

 時折、ラームジェルグやマルスがキュリアスと並び、モンスターを斬り倒し、乗り越えた。

 三人は訓練時代、険しい山岳を駆け巡った思い出と、今の状況が重なり、互いに笑みをかわした。思い出と変わらず、頼もしい仲間が隣を駆けていることが心強い。

 キュリアスが剣を折るとすかさず、マルスとラームジェルグが前へ躍り出た。その間にキュリアスは予備の剣を受け取り、抜きざまに跳躍してモンスターを真っ二つにした。

「相変わらず剣の扱いが雑だな!」

 ラームジェルグが軽口を叫んだ。彼の剣も、マルスの剣も、折れることはない。

「うるせっ!倒せりゃそれでいいのさ!」

 キュリアスは迫り来るモンスターを蹴り飛ばしてモンスターの集団の勢いを殺した。その隙に呼応して、キュリアス、マルス、ラームジェルグが飛び出し、一所に固まったモンスター群を斬り倒した。

「王子!この馬鹿に付き合う必要はないですよ!お下がりください!」

 マルスがラームジェルグに忠告を叫びながら、モンスターを斬り倒した。

「俺に、人に守られよとでも言うのか?」

 ラームジェルグが言い返しながら、数匹のモンスターを一度に斬り倒した。

「私が守るにも限度があります!」

 ラームジェルグが取りこぼしたモンスターをマルスが倒した。

「誰が誰に守られていると?」

 マルスに迫ったモンスターをラームジェルグが斬った。

「仲のおよろしいことで!」

 キュリアスは言い合う二人を横目に、前へ飛びだした。

「待て!お前が一番守り辛い!」

「知るか!」

 キュリアスはマルスの言葉も振り切った。

「先走るな!後ろが遅れ始めているぞ!」

 キュリアスはラームジェルグの言葉で冷静になり、立ち止まってモンスターを次々と斬り倒した。

 後続はそれほど遅れていなかった。

 白銀の鎧をまとったフラムクリス・アルゲンテース、アルバート・フェンサーをはじめとする、フォートローランスの兵士が走り出た。身体よりも大きな盾を持った兵士がモンスターの突進を止め、他の兵士がモンスター群を切り崩す。フラムクリスもアルバートも単独で戦える実力者だ。それを補佐するように盾持ちの兵士がカバーに入り、他の兵士がさらに補う。

 スペリエント兵はそれぞれが武勇を誇った。三人一体の戦い方で、モンスターを各個撃破していく。

 冒険者たちも負けていなかった。特に、アレック・ヒューイットとシンディ・エイティネイトが突出して戦い抜いた。

 キュリアスは剣を構えなおすと、一足飛びに前線へ躍り出た。

 大楯が巨人を押し戻し、数人の兵士が打ち取る。

 白銀の騎士がドラゴニュートを貫き、隣では元看守がドラゴニュートを一刀のもとに斬り捨てた。

 黒い影が三つ動くとモンスターの死体が量産された。

 神官戦士の鈍器がモンスターの頭を砕き、天才剣士がモンスターを細切れにした。

 彼らの活躍の横をキュリアス、マルス、ラームジェルグが駆け抜け、迫るモンスター群を屠った。



  8


 巨人よりも数倍高い、石の門が鎮座していた。次から次へと、血走った眼をしたモンスターが駆け出してくる。大小さまざまなモンスターが、何かから逃げるように走っており、門の奥を見通すことはできなかった。

 モンスターたちは南へ一目散に走る。そのことを利用し、突入部隊は門の西寄りに陣取った。おかげでモンスターと衝突する機会が減り、腰を据えてキュリアスに斬撃を打たせることができた。

 しかし、その斬撃がなかなか出ない。

 力むあまり、汗で滑って剣がどこかへ飛んでいった。すぐに予備の剣を渡されるものの、振っただけで刀身が折れた。

「何だこの安物は!」

 キュリアスは思わず悪態をつき、次の剣を受け取った。

「あるもので我慢しろ!そして早くしろ!」

 マルスにせかされたものの、慣れない剣ではなかなか斬撃を放てない。キュリアスが苛立ちまぎれに剣を地面に打ち付けると、また折れた。

「ここはあたしの出番ね」

 やっと聞き取れる程度のしゃがれた声は、マデリシアのものだった。マデリシアは必要もないのにキュリアスに付き従ってここまで来ていた。声の出せないマデリシアに、戦場での役目はあまりなかった。当然のごとく、戦闘にも参加していない。

 ティム・ガーランドが即座にマデリシアを引き止めた。マデリシアに無理をさせて、声を失うようなことになっては困る。

「いいから引っ込んでろ!まだ予備の剣はたくさんある。その内に出るだろうぜ!」

 キュリアスも虚勢を張った。。

「まさか全部折る気じゃないだろうな」

 マルスの懸念は妙な説得力があった。

「よし、折った数だけ、後で請求するとしよう」

 ラームジェルグが言い、

「請求はキュリアスにっと…」

 ティムまで言い出した。

 キュリアスの手が止まった。ただでさえ金欠で、剣を買えなかったのだ。そこに請求されると言われて動揺しないはずもなかった。

「ええい!ままよ!」

 キュリアスはやけになって、剣を構えた。精神を統一し、思いっきり剣を振ることだけを考えた。

 モンスターと戦う喧騒が、動きが、キュリアスの意識を乱す。傷付き、倒れる兵士が眼に入ると焦りも覚える。

 何も考えるな!

 そう思えば思うほどに、周りの状況が気になった。

 キュリアスは今、色々な人に守られている。責務を果たせなければ、それだけ皆に迷惑がかかる。責務を果たせても、大量のモンスターを相手に、皆は孤軍奮闘しなければ、生きて戻れない。時間がかかればかかるほど、皆の体力が奪われ、仲間を失い、生き残る可能性が少なくなっていく。

 ただでさえ、生きて戻ることが困難な任務だ。僅かな消耗でも命取りとなりかねない。そう認識しているが故に、キュリアスはなお焦ることになる。

 メリッサの剣があれば悩むことすらなかっただろう。そう思えば思うほどに、失くしたことが悔やまれ、誰かが盗んだのであれば、その人物に対しての怒りを覚えた。

 ダメだ!全然集中できない!

 キュリアスは手の力を抜き、身体の緊張をほぐした。集中できても斬撃を放てる自信が無いため、より一層プレッシャーを感じることになった。抜いたはずの力が柄を締め付けた。

 その瞬間は突如として訪れた。

 何かの気配が門の中から現れた。異常な速度のためか、気配の元を目視することができない。気配は瞬間移動でもしたかのように、南へ遠ざかった。

 その気配は二つが一つになっていたようにも思えた。キュリアスの記憶にあるものであるなら、一つはテントの中で感じた、天に昇って行ったものだ。そしてもう一つは、子供のように感じられた。

 詮索している暇はなかった。モンスターは南へ走っているとはいえ、横に広がり、そこに見て取った障害物へ牙や爪を振るう。

 キュリアスは牙をかわしてモンスターを斬った。モンスターの下から斬り上げたため、モンスターの下敷きになると思われた。しかし、キュリアスの身体は流れる風のように動き、倒れたモンスターの背後に立っていた。返り血一つ浴びていない。

 次のモンスターがキュリアスに飛び掛かった。

「ええい!鬱陶しい!」

 集中できないキュリアスは、腹立ちまぎれに剣を振った。

 次の瞬間、飛び掛かっていたモンスターが押し戻され、真っ二つに分かれた。しかし、いつものように広範囲へ及ぶ斬撃の衝撃波は発生していなかった。

 キュリアスは苛立った。そもそもモンスターを相手にしている場合ではない。巨大な門を相手にしなくてはならないのだ。モンスターは避けるべきだと思えた。

 キュリアスの背後に気配がある。そこが一番安全だからと、マデリシアが陣取っていた。キュリアスがモンスターを避ければ、必然的に、マデリシアへ害が及ぶ。そのような事態は、キュリアスの望むところではなかった。

 その一撃は、確かに、マデリシアを守る意志がこもっていた。キュリアスは迫るモンスターを背後に行かすまいと剣を振るった。

 凄まじい衝撃波が発生し、キュリアスの剣圧がそのまま前方へ放たれた。軌道上のモンスターが次々と斬り裂かれ、衝撃波に弾き飛ばされた。衝撃波は弱まることを知らず、巨大な門にぶつかった。

 轟音と、立っていられないほどの振動が大地を揺るがした。モンスターも兵士も、皆、足元が失われたかのように体勢を崩して跪いた。

 門が破壊されたのではないかと思われる衝撃だったものの、巨大な門は平然と立っていた。ただ、開いていた重たい扉が勝手に動き、大きな音とともに閉じた。

「やりやがったか!」

 ラームジェルグが王子らしからぬ言葉を叫んだ。素早く立ち上がって周りの状況を確認した。

「密集陣形!」

 すでにマルスが指示を飛ばしていた。

「立て!モンスターどもに踏みつぶされたくなければ、立ち上がれ!」

 マルスの号令と、激に触発され、人々が立ち上がった。

「集まれ!」

 小隊長が身近な部下に号令を発した。

「今、エッジの愛を感じたわ!」

 キュリアスの背後で、かすれた小さな声が上がった。キュリアスは聞こえなかったことにし、自分の任務を達成できたことを喜んだ。成果を誇っても、周りは誰も構わなかった。

 立ち上がったモンスターが、門の様子に気付き、冷静さを取り戻したかのように、兵士たちを取り囲んだ。獲物が目の前にいると言わんばかりに咆哮し、我先にと餌に飛びついた。

 モンスターたちは南へ向かわなくなった。門から逃げる必要がなくなったのだ。怯える必要がなくなり、思い出したかのように、戦う欲や食欲のために動き始めていた。

 マルスの号令ですぐさま密集した防御陣形を築いたものの、四方八方より迫るモンスターの波状攻撃にあっては、撤退することも、突破することも叶わなかった。いくら戦闘技術の高い集団であっても、そう長く持ちこたえられる状況ではなかった。

 キュリアスの斬撃は思うように出なかった。たまに運よく衝撃波が生まれても、それは一時的にモンスターを倒すだけで、すぐに新たなモンスターがよだれを垂らして迫り、徒労感と打破できないのではないかとの不安を生んだだけだった。

 兵士の多くは、もとより決死行の覚悟だった。この状況に、改めて死を覚悟した。

「王国のために!」

 フォートローランスの一部の兵士が叫ぶと、仲間も一斉に呼応した。

「スペリエンター!」

 スペリエントの兵士たちが雄叫びを上げた。

 死を覚悟した兵士たちは、生ある限り、戦い抜く覚悟を決めた。死を恐れないために、自身を奮い立たせるために、雄叫びを上げた。

 鬨の声は、モンスターの咆哮と折り重なり、大気を震わせた。

 その熱気ははるか南の防衛ラインへは届かなかった。ただ、異様な雰囲気を北部から感じることはできた。時間が経過するほどに、南下してくるモンスターの数が減ったように見えた。そのために、防衛ラインについた将校たちは、門が閉じたことを悟った。同時に、突入した兵士たちがモンスターに飲み込まれ、踏み倒されたものと理解した。

 僅かな護衛と共に、強制的に残されたシャイラベル・ハートだけは、突入部隊が生き残り、戻ってくることを信じて祈った。突入部隊を手助けするために、防衛ラインの将校たちへ呼びかけ、掃討作戦を推した。

 だが、モンスターの攻勢が弱まった今、将校たちは消耗の少ない持久戦を選択し、打って出ることはなかった。

 数日を経て、モンスターの数が明らかに減ったことが確認されると、将校たちは初めて掃討作戦に同意し、予備兵も含めて総動員の進軍が始まった。

「一匹も討ち漏らすな!」

 将校たちは号令をかけ、部隊を横に広く陣取らせ、戦線を北部へ押し上げた。彼らは突入部隊が無事だとは考えておらず、そのため、救出のための急激な進軍はなかった。ゆっくりと、隙間なく、兵士のブーツで地面を踏み固めながら進んだのである。

 シャイラベルは一人、気を揉むことになった。僅かな手勢しかおらず、今なおモンスターの壁に阻まれて、救出行動を一切取ることができなかった。

 進軍を開始してから数時間後には巨大な門の姿が見え隠れしたものの、遅々として近づかなかった。門の間近に迫るまで、二日も要した。

 門の近くには兵士らしき遺骸が多数見受けられた。その多くがモンスターに踏みしだかれ、激しく損傷しており、顔を判別することすらできなかった。

 シャイラベルはいても立ってもおられず、駆け出して遺骸の一つ一つを確認して回った。判別はつかないものの、キュリアスらしい装束や装備品の遺骸はなかった。

「キュリアス様ならまだ…」

 楽観的希望が浮かぶ。同時に、遺骸が埋もれて見つからないだけだ、モンスターに食べられてしまったのだという悲観的な予測も頭によぎった。

「貴君らの働きに感謝する!」

 将校の一人が高らかに叫んだ。

 呼応するように、兵士たちが鬨の声を上げる。

 残ったモンスターを威圧するように、あちらこちらで鬨の声が上がる。残されたモンスターはわずかで、威嚇するように咆哮しても、鬨の声にかき消された。

 巨大な門が冷たく佇んでいる。辺り一帯にひしめく死体の山を、無慈悲に見下ろしている。

 門の北側は、死体の数が少なかった。転々とモンスターの死骸があるのみだ。

 その北側へ進軍した掃討軍が、ひときわ大きな鬨の声を上げた。モンスターのせん滅が完了したのだ。

 兵士たちは仲間と抱き合い、勝利に酔いしれた。生き残ったことを喜び合った。失った仲間に勝利を知らせようと、空へ向かって拳を突き上げ、剣を突き上げ、ありったけの声を張り上げた。

 シャイラベルは駆けまわったものの、探す人物は見当たらなかった。もはや戻らないのなら、せめて遺骸だけでもと、必死に探し回った。勝利に喜ぶ兵士たちが邪魔だった。無数のモンスターの死骸が邪魔だった。

 平野は死屍累々とし、その上を兵士たちが喜びまわっている。

 シャイラベルが悲壮な表情で駆け回っても、誰一人として、シャイラベルを気にかけていなかった。

 再び、北部で鬨の声が上がった。呼応して、他の場所でも次々と鬨の声が上がった。勝利の余韻は波のように各隊を行きつ戻りつした。

 シャイラベルは必死になってキュリアスを探した。モンスターの下敷きになっているのではないか。他の亡骸の下に埋もれているのではないか。

 きっとまだ生きているに違いない。そう思いを巡らせても、シャイラベルの涙でぼやけた視界には、楽観的な希望を打ち消す地獄絵図しか広がっていなかった。

 こんなことなら、もっと、はっきりと、自分の気持ちをキュリアスに伝えておくべきだったと、シャイラベルはあふれる感情のままに悔いた。あふれた感情が、眼の端からこぼれ落ちる。

 シャイラベルはいつの間にか、何かを叫んでいた。しかし、兵士たちの雄叫びにかき消され、当人でさえ、何を叫んでいるのか分からなかった。

 大きな歓声が邪魔だった。なぜそう何度も鬨の声を上げる必要があるのか、疑問に思えてしまう。なぜ皆が捜索に協力してくれないのかと悔しくなる。シャイラベルは地面に眼を向け、涙で曇る視界の中、懸命に探し回った。

 誰かが肩を触った。シャイラベルは跳ね除け、探索を続けた。すると、今度は肩をつかまれ、強引に引き戻された。

 シャイラベルは怒りを覚え、振り向きざまに、無礼な相手へ平手打ちを放った。が、力強い手がシャイラベルの手首をつかんで受け止められた。

 シャイラベルのとげのある視線を、返り血や土埃で汚れた男が見下ろしていた。男は汚れ切った黒い服を身にまとっている。

 シャイラベルは理解するまで数分を要したように感じた。理解した途端に、足の力が抜けた。

 男はすぐさまシャイラベルを抱きかかえ、汚れた顔に笑みを浮かべた。

「心配をかけたみたいだな」

 男の唇が、そう動いたように見えた。周りの歓声がうるさすぎて、声は聞こえない。聞こえないが、シャイラベルには聞こえたように感じた。

 キュリアス様!

 シャイラベルは呼びかけようとして、代わりに嗚咽をもらした。辺りを包む歓声が、いつの間にか、心地よいものに変わっていた。力強い腕に抱きしめられ、失っていた血の気が戻ってきたようだった。

 シャイラベルはそっと手を伸ばし、キュリアスが偽物でないことを確認しようと、頬に触れた。

 感触を確かめる間もなく、その手はマデリシアによって引き離されていた。かすかに触れた指先に温かい感触が残った。マデリシアの咎めるような視線を受けて、この感触が幻ではないのだと実感した。

 多くの兵の驚きと称賛を受けながら、ラームジェルグ率いるスペリエント兵、ティム率いる義勇軍、フラムクリスたち、姫の部隊が悠然と歩いていた。

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