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アドベスタ  作者: ばぼびぃ
10/15

俺の町

  1


「王都で殺人事件だってさ」

 客の誰かが言っていた。

 別のテーブルでは、

「異世界人がいるらしいぜ」

 などと声を潜め、額を突き合わせていた。

 違うテーブルでは、声を大にして語り合っていた。

「ソード隊ってのが結成されたらしいぜ」

「何言ってんだ?それ、前からあったろ」

「暗殺やってたところだろ?あれはつぶれたらしい」

「そうかい。で、そのソード隊とやらがどうかしたのかい?」

「スペリエントの王子の肝いりらしくて、凄腕の兵士が集まってるってよ」

 キュリアス・エイクードにとって、興味を惹かれるどころの話ではなかった。

 またあるテーブルでは、

「自然主義派が集まるらしい」

「例の抗議活動?」

「自然を守れ、森を破壊するなってやつ?」

「そうそう」

 などと話していれば、

「生活が豊かになるには、多少自然との折り合いをつけなきゃ」

「家を建てるには木材が必要だし」

「そもそも森を切り開かなきゃ、ここもなかったわけだもの」

「そうね。抗議活動に抗議したいね」

 と、反対派まで現れていた。

 あるテーブルでは、宗教の話をしていた。

「そういや、今年はディヴィニタス教の祭典だな」

「なんだそりゃ?」

「ほら、十二年に一度、ディヴィニタスの門を祭る…」

「聞いたような…聞かないような…。そもそもディヴィニタスってなんだ?」

「メルカトゥーラの北に広がる草原に巨大な門があるだろ」

「あったようななかったような…。そもそも俺は名も無き女神を信仰するローランド教だからな」

 さらに別のテーブルでは…。

「知ってたか?俺たち、地底人の末裔らしいぜ」

「何言ってんの。お日様浴びなきゃ私ら生きていけないのよ」

「いや、だってさ。遺跡は地下にあるものじゃないか」

「だから地底人?バカげてるわ」

「じゃあ、どうして遺跡は地下にあるんだ?地上とか山の上とか、空の上にないんだ?」

「私が知るわけないでしょ」

 キュリアスは続きを聞きたい会話や、議論に参加したいものに耳を引っ張られる思いだった。敏捷な足取りで埋め尽くされたテーブルの合間をすり抜け、注文を取り、品を運ぶ。

 先日の一件で剣を失い、やむなくこの銀狼亭で働いている、という訳ではない。そのためか、気になる会話が耳に入ると、どうしても給仕の仕事よりも聞き耳を立てる方に傾いた。口を挟もうとしたことも何度かあった。

 そういう時に限って、注文の声が上がったり、店主のジャック・ストレイダーの野太い声に呼ばれたりと、たいして聞くことができない。

 こうなったのはそもそも、ローザ・ストレイダーが産気づき、動けなくなったが為である。そこへ新年祭を終えて家路についた人々の波が押し寄せ、引っ切り無しに客が出入りするようになってしまった。

 やむなく、キュリアスが給仕など雑用係として名乗りを上げた。決して、宿代と食事代を浮かせようという腹積もりだけではない。ローザの手助けをしたいと思ったのは、間違いないのだ。

 料理はマデリシア・ソングが担っていた。ローザの料理の弟子なので、任せなさいと大見えを切って、鼻歌交じりに調理している。

 懸念すべきは、マデリシアが調子に乗り過ぎ、鼻歌が歌に変わらないかどうかである。歌い始めれば、必ず聴衆に影響を与え、混乱を呼び覚ますのだ。

 今のところ、鼻歌で済み、それが聞こえても客たちに何の影響もなかった。鼻歌に合わせて身体が動いている程度は、さしたる問題もない。

 この酒場、銀狼亭はジャックとローザの夫婦が営む、宿屋件酒場だ。開店して間もないが、早くもローザの作る食事の味が評判になりつつあった。同時に、接客に向くとは思えない、巨漢のジャックが出迎えることでも話題になりつつある。

 しかし、夜明け前に破水したローザは奥の部屋にこもりきりだ。宿泊客の中に偶然助産の経験がある年配の女性がいたため、今はローザと共に籠もっている。

 日が昇る前に、ローザの異変に気付いてジャックが騒ぎ、それに気づいたマデリシアが騒ぎ立てて、一時は騒然となったが、その年配の女性が名乗り出て、皆を落ち着かせたのだった。

 ジャックは妻の様子が気になるようで、再々奥に入った。

「いいから店を切り盛りして」

 初めのうちは諭すように言われていたものが、

「出て行きなさい」

 断固とした意志を込め、静かに言われては、ジャックも退散するしかなかった。

 ジャックは何か頼まれると、止めるまでその作業に没頭した。奇麗な布を集めてと頼まれると、宿屋中のシーツまでかき集めたし、お湯を沸かしてと頼まれると、温泉が開けるほど沸かした。

 ジャックとしては、何かしていないと落ち着かないのだ。が、度が過ぎて、はた迷惑である。その最たる例が、掃除だった。やることが無くなると、店内を徹底的に掃除する。客が居ようとも、お構いなしに、である。

 客対応に追われる時間は、それでも多少の落ち着きを見せた。少しでも客が減り、暇ができると、掃除を始める。あるいは奥を覗きに行って、怒られるのである。

 キュリアスはジャックのことを、胆の据わった男と認識していたが、子供が生まれるという事態はそのジャックをしても、錯乱するらしい。滑稽なほどにジャックは醜態をさらしていた。

「子供ができるとなると、あんなものかね」

 キュリアスは呆れるやら、笑えるやらで、それでもジャックに振り回されても困るので、巨体で動き回る邪魔者には触れず、客対応に励んだ。

 だが、どうしてもジャックとキュリアスがぶつかることもあった。キュリアスが思わず邪魔だと言ったことが、余裕を無くしているジャックの神経に触れた。

 ジャックの大きな拳が振り下ろされ、その拳をキュリアスの蹴り足が受け止めた。

「ジャック。エッジ」

 店の騒音が聞こえたらしく、奥からマデリシアが駆け出してくると、二人を呼び止めた。

「ローザから伝言よ。店を一ミリでも傷付けたら、ただではおかないわよ。だそうよ」

 マデリシアは努めて平たんに告げると、奥に戻っていった。

 ジャックは巨体を小さくしてカウンターに引っ込んだ。キュリアスも、ローザに恨まれては困るため、以後、ジャックにからまないように気を付けるのだった。

 マデリシアは厨房に入っているか、奥の部屋で助産の老婦人の手伝いをし、忙しく立ち働いていた。夜明け前に叫び倒し、鶏よりも先に町中の人々に朝を告げた人物とは思えないほど、手際よく動いていた。

 客が多いと、トラブルも多発する。が、余裕がないために、ジャックの対応は早く、断固としたものになった。

 客が文句をつけようものなら、首根っこを掴んで外に放り投げた。

 また、知り合いからスイカの差し入れを受け取ると、握りつぶしてしまう始末である。スイカに怒りをぶつけたわけではない。片手で運ぼうとして、力加減を間違えたのだ。

 哀れなのは近くにいた客で、全身粉々になったスイカとその汁にまみれた。まるで返り血を浴びたような、悲惨な姿になった。幸いなことにお湯がたくさんあり、服を洗い、身体を洗うのには困らなかった。当然、清潔な布も余っていた。

 ただ、ジャックの対応は、少なからず、客たちに恐怖を与え、不文律の規律が生まれていった。

 キュリアスはキュリアスで、横柄な態度をとる客に喧嘩を売り、金まで賭けて喧嘩勝負に発展した。

 キュリアスはまんまと、明日の宿と食事の代金をせしめるのだった。味を占めて、

「腕自慢がいたら勝負しようぜ。当然金賭けて」

 とうそぶく始末である。

 この二人の横暴は後にいくつかの評判を生むことになる。

 一つは、銀狼亭で暴れると店主に握りつぶされる、と言ったものだ。嘘か誠かはともかく、店では暴れないことという不文律が生まれた。食事がうまく、治安のいい店と評判になるのである。

 もう一つは、腕自慢は銀狼亭に行くと、腕試しができる、と言うものだ。後にキュリアスは、喜んで色々な戦いに身を投じることになる。

 さらには、この荒くれ者二人を、睨み一つで萎縮させる女帝が君臨しているとの評判も、まことしやかに広まるのである。

 とにかく、いくつかのトラブルを乱暴に解決すると、以降の客は雰囲気を察するのか、大人しくなった。

 夜の客はジャックの掃除熱に追い立てられ、早々に退散した。酒を飲んで騒ぎたそうな連中も大人しく引き上げる。泊り客は二階に避難し、暇だが危険のない夜を過ごすことになる。

 ひと段落付いて、キュリアスは勝手に酒を一杯拝借した。いつものカウンター席に腰かけ、ちびちびとやりながら、巨体のジャックがうろつくのを見学している。

 ローザの出産に進展はない。何もないことが苦痛の様子で、ジャックは掃除をしたり、湯を沸かし直したり、奇麗な布を用意したりと、同じ作業を繰り返している。奥の部屋を覗きに行くのも、その作業の内だ。ちらっと覗いては、逃げるように立ち去った。

「こんな日に限って客が多かったわね」

 マデリシアはため息交じりに言いながらも、キュリアスとジャックに晩御飯を提供した。

 ジャックは作業を放り投げるとカウンターの前に立ち、マデリシアに礼を言い、皿を拾い上げた。そのまま顔を上に向け、口を広げて皿を押し当てると、流し込んでしまった。

 味わいすらしない食べ方に、マデリシアが刺すような眼を向けたが、ジャックに効果はなかった。ジャックはさっさと皿を奥へ運ぶと、洗い物に取り掛かった。

 マデリシアは調理場から脱出し、キュリアスの隣に腰かけた。

「もう調理場が蒸し暑くて…」

 マデリシアは胸元を広げてパタパタとめくり、風を中へ送り込んだ。

「ジャックが始終お湯を沸かすから、蒸し風呂状態よ」

 マデリシアはそう言いながらも、食べないのかと、キュリアスを促した。

「マディの料理か…」

 キュリアスはローザの手料理でないことが残念だった。産気づいているローザに作ってくれとは頼めないので、食べなれたマデリシアの料理で我慢しなければならなかった。

 初めに煮込み料理に手を付けた。キュリアスは一口食べて、おや?と感じた。二口目を食べ、その後は無心で食べる。

「あらあら。何か言うべきことがあるのではなくって?」

 マデリシアはキュリアスの反応の変化に気付き、勝ち誇ったように言った。

 キュリアスは口の中の物を酒で流し込むと、まいったと言った。

「いつの間に腕を上げたんだ?」

「しばらくローザと一緒に料理してたもの。当然でしょ。この手先の器用なあたしにかかれば、こんなものよ」

「器用さで味がよくなるものかよ」

 キュリアスは焼き魚に手を付けた。川魚特有の臭みは、ハーブで消され、どういう配分かまるで分らないスパイスのおかげで、一気に食べきった。

「もうローザと引けを取らないな」

 キュリアスはそう言って、スープを飲んだ。スープだけは、以前からローザに匹敵する味だったので、驚きはなく、安心して味わえるものだった。

 マデリシアは、キュリアスが素直に美味しいと言わないことに不満を抱いた。だが、料理の師匠であるローザに引けを取らないと言われれば、自然と頬も緩む。

「後は俺たちが片付けておく」

「ジャックが、でしょ?」

 キュリアスの言葉に、マデリシアは即座に返した。

「どっちでもいいだろう。マディは…余るほど湯もあることだし、風呂にでも入って休んでろ」

「あら、背中を流してくださる?」

「バカ言え」

「つれないわねぇ」

 いつもの冗談を言うものの、さすがのマデリシアもあくびが漏れた。彼女は一日中、ローザの代わりに厨房を取り仕切り、さらには助産のお手伝いまでこなしていた。

「お風呂には入ろうかしら」

 マデリシアは自分の身体をにおいながら言った。

「でも眠れそうにないわ」

 マデリシアは立ち上がると、カウンターに入り、奥へ向かった。マデリシアもローザの様子が気になるようで、ローザの部屋を確認してから、風呂へ入るようだ。

 キュリアスは食事を終え、酒をちびちびやりながら、忙しかった一日を思い返した。

 建設中のこの町にまだ、食事を提供する店が、銀狼亭以外にない。

 宿泊所は、国営のものがある。そちらは自炊しなければならないので、当然、銀狼亭に人が集まることになった。

 この繁忙期に、ローザが動けないのは、銀狼亭にとって痛手だ。そこにマデリシアがいたことは、不幸中の幸いだったのかもしれない。これで店の評判を落とさずに済むだろう。

 それにしても、である。一日が終わろうとしているというのに、ローザのお腹の中の子は一向に出てくる気配がなかった。よほどお腹の中が居心地いいとみえる。

 気が気でないジャックを尻目に、助産の老婦人は、初産はこんなものですよと気楽なものだった。

「おいこら!」

 物思いにふけっていたキュリアスを、野太い声が現実に引き戻した。

「皿空いたらもってこい!」

 キュリアスはジャックの怒声に苦笑すると、皿を集めて厨房へ運んだ。厨房の中は湯気が充満しており、すぐに汗ばむほどだ。

 キュリアスはジャックに皿を渡すとさっさと退散しようとした。

「待て。店の掃除を頼む」

 ジャックは皿洗いを続けながら、顔も上げずに言った。

 あれだけ磨いておいて、まだ掃除するのか。キュリアスは呆れかえったものの、言い返すのは止めた。今のジャックはまともではない。言い合えば、殴り合いに変わり、ローザの制裁を受けることにつながることは明らかだった。

 明らかに後半のことを警戒したキュリアスは、へいへいとおざなりな返事を返し、大人しく従った。



  2


 うつらうつら、夢と現実との境を漂っていた。

 一日立ち働いた。慣れない仕事で眠気が誘われている。そのまま眠れるかと思えば、ローザの出産の成り行きが気になり、頭が覚める。

 辺りの気配は、寝静まった様子で、さしたる変化がない。いつもはキュリアスの神経を逆なでする気配の情報も、心地よい疲労感と相まって、眠気を誘っていた。

 キュリアスが借りている部屋は狭い。窓が一つ、ベッドが一つ、テーブルが一つ。それだけだ。窓は北側に面しているため、日の光を浴びることはない。

 窓は開け放たれていた。そこに虫除けの薄い布を当てている。薄布を抜けた風が入り込む。風もまた、眠りを誘う心地よいものだった。

 感知していた気配に変化があった。詳しく探る必要はなかった。生まれた子と思われる泣き声と、そのことを知らせるマデリシアの歓喜の叫びが響き渡ったためだ。

 マデリシアの叫び声で、泊り客は全員目覚めた様子だ。建設中の建物の中に隠れ、休んでいた鳥たちも動き出した。鶏がマデリシアに応え、慌てた様子で鳴いた。

 犬の吠え声が響き渡る。

 波のように広がっていき、建設中の町中に暮らす生き物という生き物全てを、起こしてしまった。

 下で激しく扉を打ち付ける音が聞こえた。ジャックが飛び出したらしい。勢い余って扉を破壊したのではないかと思われる音だった。

 続いてジャックの、意味不明な、とにかく喜んでいるらしい叫びが響き渡った。かろうじて聞き取れたのは「娘」という単語だった。

 キュリアスは苦笑した。無理に下へ行かなくても、状況がすべて聞こえてくる。とはいえ、キュリアスにも待ちわびていた気持ちがあったらしい。身体が勝手に反応し、いつの間にか廊下に出ていた。

 部屋を振り向いて戻ろうかとも思ったが、どうにも落ち着けそうにない。身体にしたがって下に行く方がよさそうだ。

 他の泊り客も気になった様子で、扉をそっと開けて様子を窺う者もいれば、廊下まで出て、通り過ぎるキュリアスにおめでとうと声をかける者もいた。

 キュリアスはローザの代わりに礼を述べた。何事かと問う客には、子供が生まれたと教え、騒いだことを詫びた。

 我ながらまともな接客ができるじゃないか。キュリアスは内心、驚き、苦笑をもらした。

 一階の厨房を抜け、奥の部屋へ行くと、ジャックが手のひらに、布に包まれた何かを乗せてはしゃいでいた。手のひらの上から泣き声が響き渡っている。

 ジャックの隣でマデリシアが心配そうに、危ないからやめなさいなどと言っていた。声による衝撃波を恐れてか、か細い声になっている。触れるのも怖いのかもしれない。近づくこともできず、あたふたとしていた。

 助産の老婦人はローザの身なりを繕い、段取りよく片付けに取り掛かっていた。

 ローザは幸せそうな笑みを浮かべ、ジャックに言った。

「私の子を抱かせてくださる?」

「おお、すまん」

 ジャックは慌ててローザの横たわるベッドの脇へ身体を滑らせると、大きな手のひらごと差し出した。

 ローザは布に包まれ、けたたましく泣き声を上げるそれを、愛おし気に見つめ、何かを呟いた。すると、不思議なことに泣き声が治まった。

「おめでとう。ローザ」

 キュリアスは客の言葉を借りて言った。すぐに言葉が出てきたのは、廊下ですれ違った客のおかげかもしれない。

 キュリアスもマデリシア同様に、子供の誕生に戸惑う気持ちがあった。どう対処していいか分からない。人の命を奪う方面であれば、耐性も対処も覚悟もあるが、逆ともなると、覚悟などありはしない。

 生まれる前は、ただ漠然と、そうなんだという認識でしかなかった。それが目の前に新しい命があり、命の雄叫びを胸に浴びた。泣き声で震えているのか、胸の奥からくるよく分からない震えなのか分からないものが、キュリアスの身体を支配していた。

 言葉など、頭の隅にすら存在していなかった。なんと形容していいのか分からないのだ。キュリアス自身にもよく分からない感情が胸の奥から沸き起こり、新生児の泣き声に反応した震えはキュリアスに未知の感情を生じさせていた。

「ありがとう」

 ローザは静かに、そして皆に愛情をふりまくかのように、言った。

「まったく、なかなか出てこなくて心配したぞ」

 ジャックがローザの横に腰かけ、子供の顔を覗き込みながら言った。

「とても順調な、安産でしたよ」

 老婦人は心配することは何もなかったと告げた。

「ああ、片付はやります。ご婦人はお疲れでしょう。二階でお休みください」

 ジャックは頭を下げたが、思い立ったように立ち上がった。

「あ、いや、お風呂を用意しましょう!」

「お気遣いなさらず」

「いやいや、湯は余るほどありますので」

 ジャックはそう言って、老婦人を案内していった。

「ほら、マディ。抱いてみて」

 ローザは所在なさげに立っているマデリシアを手招きした。

「え?あたし?」

「そうよ。お願い。抱いてあげて」

 それでもマデリシアはローザに、特に生まれたての子供に近づくことができなかった。その声で色々なものを破壊してきた彼女は、新生児が自分の声で壊れてしまうほど、儚く見えていた。

 そのくせ、マデリシアの眼は新生児に釘付けである。ローザの愛おし気な視線と似て、優しい、そして憧れのようなものも含まれた視線だ。

 キュリアスはベッドを回り込むとマデリシアの背中を押した。マデリシアも誰かの一押しを待っていたのか、堰を切ったようにベッド脇に駆け寄り、そこで慌てて止まると仰け反った。そしてゆっくりと、恐る恐る屈みこんだ。

「首の下に手を入れて支えて。そう。大丈夫。頭を腕で支えるといいわ。ほら、可愛いでしょ。私の子よ」

 ローザに導かれ、マデリシアの腕の中に生まれたての子供が納まった。マデリシアの頬が落ちそうなほど緩んだ。恐る恐る、指を伸ばして頬をつついた。

「柔らかい。暖かい。ぷにぷに。あ、笑った!」

「エッジも抱いてみる?」

「え?俺?」

 キュリアスはいきなりローザに声をかけられ、戸惑った。マデリシアと違い、自分が抱くと、それこそ壊してしまいそうだ。落としても大変だろう。

「大丈夫。抱いてみて」

 ローザは優しく言った。

 マデリシアが自分の胸を突き出すように、胸の前に抱えた新生児ごと、キュリアスの方に差し出した。

 キュリアスは戸惑いつつもマデリシアの前に身体を屈め、マデリシアが開けた隙間に手を滑り込ませた。

 手のひらに布が触れ、その上に軽い重みがかかる。思った以上に軽く、そして思った以上に重かった。

 こんなにも軟なのかと思うと同時に、こんなにも小さくても命の鼓動はしっかりしており、その分の重みがある。人の肌の温もりが、重く感じさせているのかもしれない。

 儚そうに見えるのに、力強い息吹も感じる。

 不思議そうにしていた子供の顔が、次第にしわくちゃになった。口元が歪んだかと思うと、けたたましく泣き始める。

 キュリアスが慌てていると、ローザは笑いながら手を差し伸べ、子供を渡すように身振りで訴えた。

 キュリアスは渡りに船と、すぐに引き渡した。

 泣き叫ぶ子供も親が分かるのか、ローザがあやすと、次第に落ち着き、そのまま眠りに落ちた。

「緊張しすぎるから、赤ちゃんも怖くなっちゃったのよ」

 マデリシアが知ったようなことを言った。

 ただ、キュリアスが緊張していたことも事実なので、あながち間違いではないのかもしれない。少なくともキュリアスは、そうなのかと、納得していた。

 キュリアスとマデリシアは一緒にローザの部屋を後にした。マデリシアは夢見心地にフラフラと歩いている。

「かわいかったわ。小っちゃくて、柔らかくて。あたしを見てニコッとしたのよ」

 新生児の眼はまだはっきり見えていないことを、二人は知らない。

 マデリシアは新しい生命に感動し、自分が受け入れられたような心地になって喜んだ。キュリアスはその様子を、マデリシアが別人のように思えて、まぶしそうに眺めていた。

「あたしも子供が欲しくなっちゃった」

 マデリシアは嬉しさのあまりに呟いた。その言葉の意味にすぐ気付き、顔を真っ赤に染めた。キュリアスの顔を見ることができない。

 キュリアスは初め、言葉の意味を理解しかねた。マデリシアが照れて熱くなった身体を冷まそうと胸元を広げたのを見て、いつものからかいと解釈した。マデリシアがその豊満な胸をキュリアスに見せつけ、キュリアスの戸惑う様子を観察するつもりなのだ。

 その手に乗るものか。キュリアスは咄嗟にやり返した。

「じゃ、子作りでもするか」

 マデリシアの足が止まった。

「え?」

 しばらく間を開け、さらに真っ赤に染まった顔でキュリアスを見上げた。マデリシアの表情に、驚きと、期待とが含まれていたが、キュリアスは見ていなかった。

 キュリアスはマデリシアを追い越しざまに、彼女の背中を軽く叩き、冗談だと言ってやった。

 マデリシアの表情がめまぐるしく変わり、眉を吊り上げて止まった。その間に口も動き続けたが、声は出なかった。

「バカ」

 それがやっと出た一言だった。



  3


 ローザが立ち働くようになると、キュリアスの安定収入は失われた。マデリシアが続けて働いたため、ジャックが厨房から追い出され、そのジャックに押し出されるようにして、キュリアスはお払い箱となった。

 寝食のため、働かなければならないが、幸いなことに仕事は多かった。帰途に就いた人々の護衛に雇われ、街道を行き来した。帰りは商隊や旅人の護衛にありつけたので、無駄のない旅路だった。

 また、東の森に動物や虫が戻ってくると、追いかけるように猛禽な獣やモンスターも出没するようになり、街道を行き交う人々の妨げになるからと、討伐の依頼も発生した。イクウィップを拠点にする冒険者はキュリアスたちしかいないため、キュリアスは忙しく働きまわることになった。

 ある日、キュリアスが銀狼亭へ戻ると、少年が待ち構えていた。ラルフ・フォーティスという名の少年は、キュリアスを見つけると目を輝かせ、

「師匠」

 と、叫んで駆け寄ってきた。

 ラルフは駆け出しの冒険者だ。彼は最初の任務で失敗した。その失敗した任務をこなすためにキュリアスの元へ押しかけ、弟子入りした。以来、キュリアスは時々稽古をつけ、自主的なトレーニングをさせていた。

 キュリアスが王都からの追放処分を受け、ここしばらく会っていなかったためか、弟子の方は稽古をつけてもらいたがった。わざわざ押しかけてきて、新年のあいさつも早々に、相手をしてくれとせがむほどである。

 銀狼亭の裏手に馬小屋がある。小屋の前は広場になっており、馬車を停めて置けるようにしてある。今も客の馬車が停まり、それをひいてきた馬たちが、小屋の中で干し草をはみ、また休んでいる。御者が馬をいたわり、手入れをしていた。

 馬や、御者が何事かと、キュリアスとラルフを見つめる中、武器を持って対峙した。キュリアスは大型のナイフである。対するラルフは小剣に分類されるもので、それでも刃渡りはキュリアスのナイフの倍以上あった。

 普段の稽古は木剣を使用したが、ここにはないため、手持ちの武器を使用させた。真剣だけに、相手を傷つける可能性が高い。ラルフは気後れしていた。

「いいから打ち込んで来い」

 キュリアスは無造作に立ったまま言った。言わなければ、ラルフは真剣を振るうことに遠慮し、いつまでも立ったままでいただろう。

 ラルフは踏み込むと同時に剣を振った。出会った当初は腰が引け、剣の重さを持て余し、身体が振り回されていたが、今の一撃は、腰の据わったものだった。

 キュリアスは難なくかわすと、がら空きになっているラルフの左胸にナイフを突き出した。

 ラルフの身体が横に流れ、ナイフの切っ先から逃れる。身体を流す反動に、剣を振っていたため、攻撃にもつながった。キュリアスに切っ先が迫る。

 切っ先がキュリアスの腕を捕らえるかと思われた瞬間、ラルフの剣は動きを止めた。それ以上動けば、のど元に迫ったナイフの刃に触れてしまうからだ。

 キュリアスはラルフの前で小さく身体を回し、ナイフをラルフの顎の下に差し出すと同時に、空いた手でラルフの身体を押しとどめ、それ以上相手の剣も、そして自分のナイフも、互いに届かないように制御していた。

 周りから拍手が巻き起こる。

 キュリアスは手を上げて答えると、一歩下がった。

「言いつけを守って体力作りに励んでいるようだな」

 キュリアスは言った。その証拠が、ラルフの足腰の安定感に現れていた。

「得物に振り回されなくなった。踏み込みに臆することもなくなってきた」

 ラルフはキュリアスに認められたと感じたのだろう、次第に笑顔になっていった。

「金が貯まったら、好きな武器に変えていいぞ」

 そろそろ一回り大きな剣でも扱えるだろうとキュリアスは見ていた。

「だったら、僕、師匠のような剣がいいです!」

 ラルフは眼を輝かせて言った。その眼がキュリアスの背中に向けられている。普段はそこに緩やかに湾曲した刀が背負われているが、今はなかった。ラルフは見えない剣が見えるのか、それを物欲しそうに見ていた。

 キュリアスはラルフの気持ちを察すると、苦笑した。

「あれはこの前折っちまった。鍛冶屋を紹介してやるから、自分で頼め」

「え、じゃあ、師匠、今はナイフだけ?」

「そうだ。これで十分だ」

 キュリアスはうそぶいた。武器を新調するお金がないだけのことである。が、キュリアスの場合、誇張ではなく、本当にナイフ一本で何とかできてしまう。現に昨今の討伐任務も簡単に解決していた。

 キュリアスとラルフはそれから数本勝負を行い、すべてキュリアスが勝つと、その後はキュリアスが細かくラルフに指導した。

 ラルフの防御は天性のものがある。なので、キュリアスが教えるのはもっぱら、攻撃にどうつなげるかということだった。

 ラルフの生来の優しさが攻撃を鈍らせることも多々あるので、心構えについてもいくつか教えた。そして、どこを攻撃すれば相手を殺せるか、逆にどこを攻めれば、殺さずに倒せるか、ということも教えていく。

 以前にも教えていたことではあるが、反復して伝えていた。その一部でもラルフが覚えれば、彼の性格に合った攻め手というものも見いだせるようになるだろう。とはいえ、まだまだ先のことではあるが。

 二人は稽古を終えると井戸へ行き、水にタオルを浸して身体を拭いた。

「仲間はできたのか?」

 キュリアスは身体をぬぐいながら言った。冷たいタオルが心地いい。

「今、ワタルって弓使いと行動を共にしてます。ワタルって、片言しか話せないんだけど、弓だけはメチャクチャうまいんです。背筋をピンと伸ばして、静かに撃つんですよ。立ち振る舞いがかっこいい!初めて見た時は鳥肌立ちましたよ」

 ラルフは身体の汗を拭きとりながら、嬉しそうに語った。片言でも意思の疎通は問題ないらしい。歳も近くてちょうどいいとラルフは言った。どうやら、自然と気心の知れた仲になっているようだ。

 そのワタルもイクウィップに来ていた。銀狼亭に戻ると、ラルフを待ち構えていた黒い瞳に黒い髪の少年が、手を上げてラルフを呼んだ。

 ラルフは紹介しますと、キュリアスを連れて行った。

 ワタルは確かに片言だった。単語を並べて何とか会話になっている程度だ。それも、キュリアスの知らない言葉が時々紛れ込んだり、逆にこちらの言葉の意味が分からなかったりする。

 それでもワタルは知能に障害があるという訳ではなさそうだった。眼に知性が感じられ、分からない単語も理解するとすぐに語彙に取り込まれていた。

 たまに一芸に秀でて、他は手助けが必要な人物がいることを、キュリアスは承知していた。そういった人々の一芸は、達人の域に達することがよくある。キュリアスは初め、ラルフの説明を聞いて、ワタルのことをこちら側の人間ではないかと考えていた。が、どうやらそうでもないらしい。

 立ち振る舞いは礼儀正しく、挙動のおかしなところも見受けられなかった。適度に日焼けし、健康そのものの身体に見えた。ただ、片言である、というだけのようだ。言葉を学ぶ環境になかったのだろう。それがどのような環境なのかは、キュリアスにも想像がつかなかった。

 ラルフとワタルは食事を済ませると、王都への護衛任務を引き受けて出発した。

 次の日、キュリアスに、珍しい訪問客が訪れた。その小柄な男はザック・ケイソンという。王都セインプレイスで金貸しを営んでいた男だ。

 ザックとキュリアスは握手を交わし、新年を祝った。

「珍しいな」

「あたしもちょいと旅でもしてみようかと思いましてね」

 ザックはにこやかに答えた。

「仕事の方はルーベンスがやってくれるので、あたしは半隠居ですよ。今まで仕事一辺倒で旅もしたことがなかったのです。でも新年祭にわざわざ高い費用をかけて旅するのもどうかと思いまして。人様の逆を行けば、護衛代も安く値切れましょう」

 ザックはそう言って笑った。ザックの言うところによると、ルーベンスは親のアーノルド・シュレイダーとは違って、真面目な好青年だそうだ。仕事のノウハウもあり、少々なら任せても問題ないと判断したことと、娘のマリアの勧めも受けて、旅に出てみることにした。

 ザックは、どうせ旅するなら、世話になったキュリアスにも挨拶をしておこうと、イクウィップに立ち寄った。

 キュリアスは銀狼亭でザックとしばらく語らった。

 ザックはキュリアスが剣を失ったことを聞くと早速に、

「言ってくだされば、いくらでもご用意しますよ。あたしとの仲ではございませんか」

 と言ってのけた。揉み手になっているは、本人も気付いていないらしい。

「借りる気はねぇよ」

「あら残念」

 ザックはあっさりと引いた。

「で、これからどこまで旅してみるつもりなんだ?」

「古都と呼ばれるライプに行ってみようかと思っています」

「護衛は?」

「それが、値切り過ぎたのかしら?イクウィップまでで終わりにさせてくれと言われまして」

「去られたのか」

「はい」

 キュリアスは笑った。ザックも笑っている。特に困った様子はないが、それはザックに護衛なしで旅できるほどの腕前がある、ということではない。仕事柄、人よりも度胸が据わり、他人事のように事態を見ているだけだった。

「よし、剣を買う費用の足しにさせてもらおうか」

 キュリアスは護衛に立候補した。

「それは願ってもない。キュリアスさんでしたら腕も保証済みです。安心して旅ができます。料金の方は…」

 その提示額は、確かにシビアだった。嫌気がさして逃げる奴もいそうだとキュリアスは即座に思ったが、そのことについては何も言わなかった。

「いいぜ。ただし、危険手当をつけてもらおうか」

 キュリアスは出来高制に持ち込もうとした。

「またまた、キュリアスさんが危険にさらされるようなことなんてあるものですか」

 ザックも笑って受け流す。

「いやいや、俺ではなく、ザックが危険にさらされるのさ。俺はそれを助けるだけ」

 笑顔を絶やさないザックの眼に光が宿った。

「キュリアスさんなら事態を簡単に収めることができるでしょう。たしかに、腕前から判断してもそれなりの支払いをしなければなりませんね。しかし、腕がいいからこそ、事にかかる時間と言うものは短縮されます。そうですね、時間辺りに換算すれば…このくらいでしょう。いえいえ、計算違いではございませんよ。ほら、一時間辺りに計算しなおすと、ほら、この額でございます」

 一事案ごとの追加料金ではなく、その一事案にかかった時間辺りの料金にまで変えてしまうのだった。

 相手がザックでなければ、キュリアスも嫌気が差したかもしれない。だが、しばらく共に生活した仲だけあって、キュリアスはザックの言い分が面白いと感じ、その面白さに応えて護衛を引き受けた。

「食費や宿代なんかは、経費だよな?」

「ええ、ええ。そこまでケチろうとは思いませんよ。いざという時に万全の体調でいてもらわないとあたしが困ります」

 話がまとまり、二人は握手を交わした。ザックがさっそく旅立ちましょうと言うので、キュリアスはジャックに後を頼んだ。マデリシアも、ジャックとローザがいるので安心した様子で、行ってらっしゃいと気楽なものだった。

 マデリシアはそのはた迷惑な能力から、命を狙われることがある。大抵は迷惑をかけた金持ちの報復だ。またはマデリシアに求婚し、無下にあしらわれた物好きな金持ちの逆恨みもある。民衆を扇動する危険分子と認識され、標的にもなっていた。

 実際、マデリシアの声は人の行動を操ることが可能だ。反乱でも先導されると、その土地の支配者は身を亡ぼすことになるだろう。そのような危険を、芽が発生する前につぶしてしまえと考える人々もいるのだ。

 キュリアスは元暗殺者ということもあって、同業者の接近に敏感だった。マデリシアの危機感知能力よりも数段上である。そして武術の腕前も達人並みときている。マデリシアにとってはこの上ない護衛だ。

 そのキュリアスがいなくてもいいとマデリシアが気楽に考えるのは、銀狼亭に優秀な人材がいるからである。ジャックは丈夫な身体と強力な膂力を持つ、元神官戦士だ。ローザは優秀な魔法使いで、ここにマデリシアの危機感知能力が加われば、並大抵の相手は簡単に撃退できる。

 キュリアスも、マデリシアが銀狼亭にいる限り、問題ないと認識しており、安心してライプへの旅路についた。

 ザックは健脚だった。歩き旅を選択したのはそのためもあるが、旅の費用を抑える目的もあるようだった。

 一人旅ならば、乗合馬車を利用する方が、個人的に護衛を雇うより安くすむ。複数人の護衛を雇わねばならないからだ。乗合馬車の場合、料金に護衛代も含まれる。乗客の人数で割っているので、安くなるという算段だ。

 それをザックは馬車の運賃も、護衛代もギリギリまで制限して、格安の旅に仕立て上げていた。護衛を一人に絞り、旅にかかる日数も、その健脚をもって短縮することで、出費を抑えていた。

 イクウィップからライプまで、徒歩で四日ほどかかると言われる。その距離を、ザックとキュリアスは三日で踏破した。ザックからすると、これで一日分節約できた、となる。

 旅路は歩くことで一生懸命になっているのかといえば、そうでもなかった。ザックは話をする余裕があり、道すがら、近況を語った。

 ルーベンスは今やザックの下で修業しており、近々マリアとの結婚も控えている。ザックはマリアが強く望むので、愛娘のために、ルーベンスを受け入れるつもりになっていた。

 娘の話に触れると、ザックは止まらなくなる。娘の誕生まで逆戻り、成長するさまを嬉しそうに語った。あまりに子細に説明するので、キュリアスは興味を失ってしまい、相槌だけ入れて聞き流した。

 三日目の昼前に街道は森を抜け、平野に出た。遠くに人工物が見える。石の壁に囲まれた町や、葡萄畑、穀物の畑もある。

 風雨にさらされ、角が丸くなり始めた壁が、石造りの町を囲んでいた。道も、建物も石で造られているその町は、平原の、比較的大きな丘の頂上にあった。

 道からは見上げるようになるので、町を囲う壁しか見えない。古都と認識しているためか、その壁もどこか歴史を感じさせる風合いがあった。

 ライプと呼ばれるその町は、人類が最初に造った町だとされている。が、壁の石はそこまで劣化していない。せいぜい数百年の経過ではないかと思われる。

 キュリアスは冒険者として遺跡の探索も経験しており、数千年前のものと思われる建物の劣化具合も見たことがあった。専門家ではないにしろ、その経験を踏まえてライプの壁を見ると、古くないと感じてしまう。

 人類の歴史は、マデリシアが歌い語る物語の中にもあるが、正確なところは分かっていない。五千年前の出来事は物語や、一部の宗教の中に出てくるものの、五千年前から数百年前までのものはあまり伝わっていなかった。

 キュリアスですら疑問に思うことがある。名も無き女神が人々を導いた先はセインプレイスだ。そこに町ができているというのに、降り立った場所とは別の場所が、先に造られた町だという。宗教の言う出来事が先なのか、ライプの歴史として語られるものが先なのか。

 マデリシアに言わせれば、

「名も無き女神の出来事は五千年前だもの。当然先に決まってるでしょ。でも町を造ったのはずっと後だったみたいね」

 となる。

 特に何の足しにもならないが、キュリアスはいつか、この辺りの事実も遺跡探索で判明できればいいと願っていた。そしてあわよくば、その発見者が自分であればと考えている。

 このようなことを考えるとキュリアスは、冒険者が板についてきたらしいと、自らを振り返るのだった。

 丘の向こうに葡萄畑が広がっているのが見えた。この辺りには遺跡が多く、その葡萄畑の中に遺跡が見つかることもあった。歩いていれば遺跡が見つかるかもしれないと、あるわけもない期待が胸に躍った。

 期待とは裏腹に、何事もなく門の前にたどり着く。

 ライプの町を囲う壁は王都のものより高かった。日中は門が開け放たれ、守備隊がモンスターなどの侵入を阻止している。人々は特に止められることなく通行できた。立ち入りを制限されることのあるキュリアスも、すんなり通ることができた。

 キュリアスは上を見上げて歩いた。門だけでも三人分ほどの高さがあるだろうか。その更に上に壁の一部が続いており、回廊のようになっていた。壁の上も守備隊が巡回していることを気配で察している。

 壁の厚みは両手を広げた二人分かと、キュリアスは目測した。

 壁を抜けると、石造りの町が広がっており、町に暮らす人々や、旅人や商人が通りを行き交っていた。

 新年祭の終わった雰囲気はここにもあり、どこか寂しげに見える。歩く人々の祭り気分が失せ、日常に戻ったことが、そう感じさせるのかもしれなかった。

「おお。立派な石造りですね」

 ザックは壁に触れながら歩き、辺りを見渡しては、感嘆をもらした。

「王都とはまた違った、厳かな雰囲気がありますね。さすが古都と言ったところでしょうか」

 ザックは適当な道を選んで歩いた。キュリアスはただ付き添う。ライプは王都より広い町で、町中を循環する乗合馬車もあるが、ザックは見向きもせずに歩いた。

 王都セインプレイスよりも、古都ライプの方が堅牢な町に見える。だが、ライプには城がない。

 町を囲う壁の傍に守備隊の宿舎がある。守備隊は交代で、常時壁の上から見張った。この壁があれば、砦として町を守ることも可能なのだ。

 町の中央には教会があった。五千年前に人々を災厄から救い出し、セインプレイスに導いた、名も無き女神。その女神を信仰するローランド教の教会であり、本部でもある。名も無き女神が降り立ったセインプレイスではなく、ライプに本部があるのも、不可思議なところだ。

 銀狼亭のジャックもローランド教徒だが、その辺りの事情は知らなかった。ただ、本部はライプ、聖地はセインプレイス、という認識だけだった。疑問に思わないのかと問うても、それが事実だの一言で終わってしまう。

 マデリシアではないが、キュリアスも、その辺りにある謎に興味を引かれるのだった。かといって、ライプに来ても、その謎の答えを得ることはできない。

「そう言えば、こんなにじっくりライプを見て回ったことがなかったな」

 ザックに付き従って歩くうちに、キュリアスは思った。

 石造りの堅牢な町並み。馬車の轍がついた石畳。街路樹が大きく枝を広げ、その下で涼む小鳥たち。その下を行き交う人々。

 人々の足音や、馬車の車輪の音、人々の話し声、馬のいななき。王都とはまた違った騒々しさがそこにあった。

 街路樹の小鳥たちは騒々しさに慣れた様子で、枝の中を飛びまわり、辺りを窺っていた。

 商店の立ち並ぶ一角に差し掛かると、喧騒はより一層大きくなった。人が多く、誰が何と言っているのかもよく分からない。時折よく通る声が響くのは、売り子の声だ。

「ここの名物が何かご存じですか?」

 ザックはキュリアスに近づいて声を張り上げた。

「そうだな。石で作った置物とか…。葡萄酒に、葡萄を使った焼き菓子があったな」

 キュリアスは商店を眺めまわしながら言った。あまり詳しいわけではなく、目についたものを言ったに過ぎない。

「葡萄酒!いいですね!どこかで一杯やりましょう」

「それならいい店を知ってる」

 酒のことなら、キュリアスも多少心得たものだった。

 西の丘に近づいた太陽が、石造りの町並みに長い影を投げかけていた。酒を飲むにもちょうどいい時刻になりつつあった。

 キュリアスは表通りから外れ、庶民向けの酒場に入った。そこは安くうまい葡萄酒を出し、それに合う料理を提供することで、住民には人気の店だった。

 外見は流行ってなさそうな、うらぶれた雰囲気があったものの、中はすでに大勢の客で賑わっていた。幸いなことに、まだ空いているテーブルがあり、キュリアスたちはそこに腰を落ち着けた。

 葡萄酒とパスタを頼むと、ガーリックバターで焼いたバゲットがついてきた。パスタが出来上がるまでバゲットをつまみつつ、葡萄酒を飲むと、どちらもうまい。ものの数分で用意されたバゲットを平らげてしまった。

 バスタも素朴な味だが、葡萄酒に合い、食が進んだ。

 腹を満たすと、追加でバゲットとチーズを頼み、葡萄酒を楽しんだ。キュリアスは人のおごりということもあって、せっせと葡萄酒を飲んだ。ザックはザックで、もう一杯、もう一杯と、まるで飲み比べしているかのように酒を勧め、自分も飲んだ。

 二人は、いつの間にか店内にひと気がなくなるまで、飲み明かした。



  4


 ザックを王都まで送り届けると、ザックは門の前で報酬を支払った。キュリアスが王都からの追放処分を受けているため、中に入れないと承知していたからだ。

 守備隊が手配書とキュリアスの顔を見比べ、険しい顔をし、槍をつかむ手に力を込めていた。

 ザックから報酬を受け取ると、キュリアスは手に伝わる重みに疑問を抱いた。

「少し多くないか?」

「あたしからの餞別も入れておきました。剣を買う足しにしてください」

「おお。そいつはすまない」

 キュリアスは遠慮なく受け取った。

 別れを告げ、ザックが町の中の雑踏に消えるのを見届けると、キュリアスは踵を返し、駆けた。

 後ろで兵士のもらすため息の吐息が聞こえた。

 キュリアスは王都へたどり着く少し前に、白い馬車とすれ違っていた。その馬車を追って街道をひた走る。

 馬車の御者席に白銀の騎士、フラムクリス・アルゲンテースの姿が見えなかったので、あの馬車は迎えだろうと考えていた。白銀の騎士とその主人は徒歩でどこかに出かけていたのだ。

 主人を迎えにイクウィップ方面に向かったのならば、主人がイクウィップに立ち寄り、キュリアスを待っている可能性があった。人に頼んで呼びつけていたのだから、待っていてもらわなくては困る。

 王都からイクウィップまで、徒歩で二日ほどの距離だ。馬車ならば、夜までにつける。

 キュリアスはその馬車に追いつくか、追い越す程度を考えて走った。街道をひた走るキュリアスを、徒歩や馬車に乗り合わせた人々が珍しそうに眺めていた。あまりの速さに驚きの声を上げる人もいた。

 馬車を追い越しても、いつか疲れて、馬車に追い越されるのにと、笑う者もいたが、彼らはイクウィップにたどり着いてもキュリアスの背中を見ることはなかった。

 西の空が赤く染まるころ、キュリアスはイクウィップにたどり着いた。呼吸は乱れていないが、さすがに汗を流していた。滴る汗をぬぐいながら進む。

 目指す先に人だかりが見えた。

 やはり来ているな。キュリアスは確信した。

 人だかりは二つのグループに分かれ、主張し合っていた。

 片方が森を破壊するな、森を守れと言えば、もう片方は森を切り開けば畑が増える、畑が無ければ飯も食えない、切り開いた木材を使って家も建つと主張した。

 片方が第二王女様のおかげで町が発展し、生活が安定しいくと主張すれば、もう片方はテナクスナトラ様が森を守り、人々の生活も守っていると返した。

 どうやら、シャイラベル・ハートが推し進める新しい道の開通や町の新設に対して、賛成派と反対派が集まっているようだ。反対派は第二王女に抗議をするため、賛成派は尊敬する第二王女のご尊顔を拝するために集まっていた。

 イクウィップはシャイラベル発案で造られた。テナクスナトラ卿も賛成に回ったことで実現したが、シャイラベルの発案のことごとくに異を唱えるのもこのテナクスナトラ卿である。

 人々が集まる場所は銀狼亭の前で、道を半分ほど塞いでいるために、馬車が交互にしか通行できず、渋滞が発生していた。気の荒い御者が馬を群集の方に向かわせ、人々を蹴散らしても、再び集まってきて、討論を続けた。

 よく見ると、銀狼亭の入り口にアルバート・フェンサーの姿があった。イクウィップの守備隊として職務を全うしようとしているが、群衆は聞いてくれないようだ。

 キュリアスは群衆の中へ分け入ると、

「エッジさまのお通りだ」

 と吹聴した。

 エッジの単語に反応した一部が、恐れおののいて道を開けた。つい最近もエッジが王都を斬り裂いたと噂になっていたのだろう。破壊者として知れ渡っている。

「バンシー。出てこいよ」

 キュリアスはダメ押しを図った。エッジとバンシーの噂は、知らぬ者が無いほど知れ渡り、恐れられている。

 マデリシアは怒り心頭に、アルバートの後ろから現れた。

「誰だぁ!あたしをバンシー呼ばわりする奴はぁ!」

 マデリシアは開口一番、叫んだ。

 マデリシアの声に惑わされたり、吹き飛ばされたりすることを恐れた群衆は、第二王女という目的を忘れ、散り散りに逃げ去った。

「あれ?」

 マデリシアは人々が蜘蛛の子を散らすように逃げていくのを見て、不思議がった。

「ようマディ。いいタイミングの登場だ」

 キュリアスは陽気にマデリシアの肩を叩くと、アルバートに、どんなもんだと誇らしげに顔を向けた。アルバートが解決できなかったことを一瞬で行ってみせた、現実がそこにある。

 アルバートは何も言わなかった。首を左右に振り、呆れているふうでもある。

 キュリアスはかまわず、マデリシアの横を抜けて店内に入った。

「ちょっと!まさか、エッジが言ったんじゃないでしょうね!」

 マデリシアが追いかけてきた。キュリアスは問い質すマデリシアを無視して、ジャックに声をかけた。

「おう、奥の部屋にご案内したぞ」

 ジャックは心得た様子で言った。

 キュリアスは礼を言うと、ジャックが身体を寄せて開けた場所を通ってカウンターの中に入り、厨房を抜けて奥の部屋に向かった。

 ローザやジャックの部屋とは別に、話し合いの場として使えるようにひと部屋用意されている。壁を厚くし、声が漏れないように工夫してあるその部屋に、淡いオレンジ色の髪の少女と白銀の鎧を着た女騎士がいた。

「人を呼びつけておいてどこをほっつき歩いている」

 白銀の騎士、フラムクリス・アルゲンテースは開口一番、嫌味を言った。

「私たちがすぐに訪問できなかったのです。キュリアス様に落ち度はありませんわ」

 シャイラベル・ハートはフラムクリスを諭すように言った。フラムクリスがしかしと言いかかるのを、シャイラベルは視線一つで押しとどめた。

 シャイラベルはキュリアスに笑顔を送った。外向けの上品な笑顔ではなく、年相応の少女らしい、屈託のない笑顔に、キュリアスは思わず見とれてしまう。

 後ろからついてきたマデリシアがキュリアスの背中をつつき、キュリアスの正気を引き戻した。

 キュリアスはなんでお前がついてくる、と言いたげな顔を後ろに向けたものの、言葉には出さず、シャイラベルの正面の椅子に腰かけた。テーブルに肘をつく。咎めるようにシャイラベルが睨んだ。

 マデリシアはさも当然のごとく、キュリアスの隣に陣取る。

「暑い中、お仕事大変ですね」

 シャイラベルは労いの言葉を述べた。鼻がひくひく動いているところをみると、キュリアスの汗のにおいが届いたのかもしれない。

 マデリシアまで鼻をひくひくさせ、キュリアスの方へ顔を向けていた。

「すまん、臭ったか?」

 キュリアスは手で、額の汗をぬぐった。

「いえ、大丈夫です」

 シャイラベルはなぜか、頬を赤く染めながら答えた。

「エッジが汗かくのって、めったにないのよねぇ」

 マデリシアはそう言ったかと思うと、さらに鼻を押し付けてきた。においを嗅ぎたいらしい。キュリアスは眉をひそめ、マデリシアの額を押して突き離した。

「めったにないから嗅ぎたいのよ!」

「変なものに目覚めるな!」

 マデリシアの欲求に、キュリアスは間髪入れずに言い返した。

 どうしたことか、シャイラベルの顔に羨まし気なところが見えた。それに気づいたマデリシアは、勝ち誇ったような顔をする。

「姫様」

 フラムクリスの静かな声に、シャイラベルは慌てたように取り繕うと、用件を尋ねた。

 数日前、イクウィップの南側の街道で襲撃犯に襲われた。調査に駆けつけたローレンス・コプランド男爵に言付けを頼み、連絡を取った相手が、目の前にいる少女だ。

 キュリアスは前置きなしに、その一件について説明した。

「ところで、王都での辻斬りは解決したのか?」

 キュリアスは説明を終えると、そう尋ねた。シャイラベルの護衛をしてスラム街の、辻斬り事件の現場を回ったことがあった。なぜ王女がたかだか辻斬り事件に首を突っ込むのかと、僅かばかり疑問を抱いていたが、今のキュリアスは、その件が大きなヒントになったと考えていた。

「解決はしていませんが、最近は起こっていません」

 シャイラベルの答えは、キュリアスの予想の範疇だった。

「代わりに、アイリットンズレイク辺りで辻斬りが横行し始めたんじゃないのか?」

「どうしてそれがお分かりに?」

 シャイラベルは質問で返した。が、答えを求めたものではなかった。その証拠に、続きを自分で言った。

「件の襲撃犯と、辻斬り犯が同一人物と考えておられるのですね。そして襲撃犯が北へ逃げたことから予測されたのでしょう」

「そうだ。顔のない、軍人らしい遺体が六つ、出てこなかったか?手や足を斬られた状態で」

「おっしゃる通りです。無残にも顔が焼かれていました」

「身元を示すものも出てこない」

「はい」

 シャイラベルは短く答えると、何かを見定めるように、キュリアスの顔を見つめた。

「襲撃犯の顔をご覧になられたのですね」

 シャイラベルはキュリアスの表情の変化を読み解くと、表情に憂いを浮かべた。

「やはりか」

 今度はキュリアスが、シャイラベルの表情を読んで言った。

「何がやはりなの?」

 マデリシアが横から口をはさんだが、キュリアスは手で制し、答えなかった。

 シャイラベルの表情は苦渋に満ちたものに変わったが、眼には強い光がこもっていた。父親であり、国王であるカークロス・ハートを彷彿とさせる眼光だ。

「この件はしばらく私に預けてください」

 言葉にしたのはそれだけだった。しかし、視線に強い意志を感じ取ることができる。シャイラベルは自身の手で解決するつもりなのだ。

「そう言うだろうとは思った」

 キュリアスは簡単に引き下がった。自分が勝手に首を突っ込んで事件を解決するよりも、先に王家の人間に任せるのが筋だと考えていた。だからシャイラベルを呼びつけたのでもある。

 キュリアスに自覚はないが、もう一つ目的があった。それはシャイラベルの顔を見て、声を聞きたいと望んでいたからである。深刻な話をしながらも、キュリアスはシャイラベルの声に酔いしれ、少なくともキュリアスの前では表情豊かに振舞う少女に見とれていた。

 マデリシアはキュリアスの様子をうかがい知ると、頬を膨らませた。勝ち誇ったのも束の間で、敵を見るようにシャイラベルを睨みつけた。気付いたシャイラベルが、ここぞとばかりに微笑んで見せるので、マデリシアは負けるものかと、椅子を滑らせてキュリアスの傍に寄った。

 フラムクリスの咳払いで、一同が座りなおした。シャイラベルは恥じらうように頬を染め、マデリシアはそ知らぬふりで壁を見つめ、キュリアスは頭を掻いた。

 ノックの音が響き、ジャックが飲み物を持って入ってきた。その様子が、王都の冒険者の店での出来事と重なり、一同は微笑んだ。

 マデリシアは明らかに笑い声をもらした。

「何だ?」

 ジャックが低い声を発し、マデリシアを睨んだ。

「何でも」

 即座に答えたが、マデリシアは言いたかったらしく、付け加えた。

「ただのデジャビューで思い出し笑いしただけ」

「ジャックと比べると、あの店長は小柄だったな」

 キュリアスも言った。

「本当に。でもジャック様は落ち着いてらっしゃいますね」

 シャイラベルまで加わる始末だ。

「冒険者の宿の主人とは、あのような体格の方でないとなれませんの?」

「いやいや、たまたまでしょ」

 マデリシアが手を左右に振って答えた。

「元冒険者が冒険者の店をやりたがるってのはあるんじゃね?」

 キュリアスの言葉に、マデリシアは同意した。

「おうおう。ご多分に漏れず、冒険者の店を持ったぜ」

 ジャックは開き直って言った。全員の前に飲み物を配る様子は、比較されている主人とは違い、丁寧で、落ち着いていた。

「俺が入れたんで味は保証しない」

 ジャックの一言で、皆、味見するように飲み物をすすった。どこもおかしなところのない、紅茶だった。



  5


 シャイラベルは日が落ち、星が夜空に広がるまで滞在し、キュリアスやマデリシアと雑談をかわした。

 シャイラベルはイクウィップが発展しそうか聞きたがった。自身が町の建設を提案したので気になるようだ。

 店が立ち並ぶようになってみないとはっきりとはしないものの、元々人の往来は多い土地柄だけに、町の価値は出るものと思われた。

 シャイラベルはキュリアスの近況も尋ねた。キマイラの事件をマデリシアが話して聞かせると、シャイラベルは眼を輝かせて聞き入った。

 キュリアスが剣を折ったくだりを聞くと、

「まあ」

 と驚いて見せ、

「商売道具を失って、その、大丈夫ですの?」

 と心配した。

 キュリアスは腰のナイフを見せ、

「こいつで何とかなるさ」

 と答えた。

 この話はこれからも、知り合いに会うたびにすることになる。キュリアスは少々うんざりし始めていたが、シャイラベルに関しては、例外だった。心配ないと明るく答えたほどだ。

 シャイラベルはさらに、お怪我はございませんか、とか、無理はなさらないでくださいね、などと、キュリアスの身体を気遣った。

 シャイラベルが心配そうにキュリアスを見つめるので、キュリアスは、

「身体一つでも何とかしてみせるぜ」

 と言ったが、シャイラベルの表情が変わらないので、

「御覧の通り」

 と立ち上がって身体を一回り、見せつけた。少々滑稽だったかもしれない。キュリアスは顔が熱くなるのを感じた。

 シャイラベルはキュリアスの様が面白かったのか、口元に手を当て、クスクスと笑った。

 キュリアスは、シャイラベルが笑ってくれるのなら、たとえ自分が笑われたとしても、報われたように思えた。

 マデリシアが横からニヤニヤ意味ありげに笑っているので、キュリアスは咳払いして話題を変えた。

「イクウィップが完全に出来上がったら、やっぱり東へ街道を伸ばすのか?」

 シャイラベルの推し進める計画は、東の貿易が盛んな国へ道を通すものだ。今でも道はあるが、間に険しい山脈があるため、大きく迂回する道か、一度北側に出てデアダクリ湖を渡り、今度は南へ向かってハンデルという、王都から南東へ徒歩で十日ほどの距離にある町に出る道しかなかった。

 どちらの道を通るにしても、王都まで物資が届くには時間を要する。そこでデアダクリ湖から東へ道をつなぎ、イクウィップに出ることができれば、大幅な短縮になると計画したものだ。

 シャイラベルはさらに、デアダクリ湖を渡らなくて済む道も造りたいのだが、そのどちらも、険しい山が妨げとなっていた。

「残念ながら、険しい山にどうすれば道を通せるのか、良い方法が見つからずに頓挫しております。費用対効果も考慮するとルキウス様ではありませんが、夢物語の域を脱しませんの」

 シャイラベルは自虐的に言った。

「ルキウス・テナクスナトラ卿の反対か」

 キュリアスが言い、

「あのじいさん、現実主義者だものね」

 と、マデリシアが付け加えた。

「ですが、その現実主義者を説き伏せる案であれば、成功が保証されたようなものなのです」

 シャイラベルはそう言って、

「なので、この町の成功も彼に保証されているのですよ」

 と付け加えた。

「政敵なのにテナクスナトラ卿を大事にするんだな」

「あら。彼は政敵ではありませんよ。私の意見をことごとく反対してくださいますが、それには理由が必ずあります。そのことを私に教えてくださっているのですわ」

「直接理由を説明せず、姫様に考えさせるところが、あの老獪のやり口ですが」

 フラムクリスが恨みを込めて言った。

「姫様が苦労なさるのを楽しんでみているひねくれものです」

「そう決めつけるものではありませんわ」

 シャイラベルは友達を諭すようにやんわりと言った。

 世間では、第二王女とテナクスナトラ卿との戦いと捉えていた。そのため、テナクスナトラ派に属する者が第二王女に脅迫めいた行動をとったこともある。

 また、シャイラベルの計画が実行されれば、ハンデルや、デアダクリ湖に隣接する湖と同じ名を持つ町など、利用する商人が減り、町の収入が減ることになる。当然、領地の収入が減ることを、領主が認めるはずもない。

 秘かに暗殺者を雇って第二王女を排除にかかっているとのキナ臭い噂もあるほどだった。

 ルキウス・テナクスナトラ侯爵はデアダクリやハンデルを含む広範囲の土地の支配者だ。各町には彼の派閥に属する下級貴族がおり、それぞれの町を取り仕切っている。

 当然、シャイラベルの計画が推し進められれば、テナクスナトラ卿自身も損害を被ることになる。彼が反対するのは当然のことと、世間は見ていた。

 キュリアスも世間と同じ意見だったため、シャイラベルのテナクスナトラ卿に対するもの言いには不満があった。そんなやわなもんじゃないと言いたかったが、政治に首を突っ込むのは気が引けて、口を閉ざした。

 キュリアスは国を挙げて大きな事業を成したい、それの事業に関わりたいわけではない。面白おかしく生活できればそれでいい。遺跡を探索し、大金を手にして、そこに腕自慢との勝負も加われば、文句なかった。今の生活はその理想にかなり近い。

 現在は金欠だが、ここ数日の稼ぎで状況が変わりつつある。この貯えのある間に遺跡探索のように見返りの多い仕事にありつけば、すぐに剣の一本や二本、新調できると、皮算用していた。

 つまりはキュリアスにさしたる不満はなかった。

 そしてキュリアスの皮算用は現実味を帯びる。

 シャイラベルが銀狼亭の裏から帰った後、酒場に出てみると、エリック・パシュートがキュリアスを待ち構えていた。

「探しましたよ、エッジさん」

「俺に仕事でも持ってきてくれたのかい?」

 キュリアスは何気なく言ったのだが、エリックの表情が驚きに変わり、どうして分かったのかと言った。

「例の気配を察知するのと同じ要領ですか?」

 エリックは答えを知りたがった。そんなものはありもしない。キュリアスの願望のようなものを口にしたにすぎないのだ。

「用件は何だ?」

 キュリアスはエリックの質問と観察する眼に嫌気がさし、カウンターのいつもの席に腰を下ろした。

 厨房の方からマデリシアの鼻歌が聞こえる。彼女はシャイラベルを見送った後、子供をあやしながら調理するマリアから作業を奪い、料理の続きを引き受けていた。

 ジャックがカウンター越しに注文はあるかと声をかけた。

「あ、僕が持ちます。彼に酒と食事を。僕には食事とアルコールの入っていない飲み物を」

 エリックはキュリアスの隣に立ち、注文した。そのままカウンターの席に腰を落ち着ける。

「いやに気前がいいじゃないか」

「これで僕の依頼は断れませんね」

「おっと。これも報酬の内ってか?」

 エリックは笑った。

「単刀直入に言いますとね、魔術師ギルドが遺跡を発見したのですけど、ガーディアンが配置されているのですよ。魔法使いだけで調査するには危険が多すぎるということで、腕の立つ冒険者を求めています」

「で、俺を指名かい」

「そこは僕の思惑が絡みますが」

 エリックはキュリアスを観察の対象とみなしている。共に行動すれば、より観察できるとみて、キュリアスに誘いをかけているのだ。

 先日の東の森では別の知的好奇心に負け、エリックはキュリアスの戦闘を観察できずじまいだった。今度はちゃんと観察しようと固く決意していた。

「報酬は?」

「百でいかが?」

「おいおい。一日の護衛料の半分か」

 キュリアスは呆れた。先日のザックはその更に半分以下だったが、その件は口にしない。

「プラス危険手当…」

 エリックはキュリアスの顔を窺いながらさらに付け足した。

「プラス発見した遺物の一割」

「二割で手を打とう」

「交渉成立ですね」

 エリックはあっさりと返し、右手を差し出した。

 キュリアスはもっと吹っ掛ければよかったと後悔しつつも、エリックと契約成立の握手を交わした。

「それで、オレ以外には誰を雇うんだ?」

「小さな遺跡だそうなので、少人数で。僕とエッジさん、後は遺跡探索に役立つスキルを身につけている方を一人誘いたいですね」

 遺跡には侵入者を防ぐための罠やガーディアンが配置されていることが多い。ガーディアンはキュリアスが、罠はもう一人別の人があたる、という算段のようだ。

「うってつけが一人いる」

 キュリアスの思う人物はマデリシアだった。

 マデリシアは情報ギルドに属している。その情報ギルドは俗に、二つの通り名があった。「盗賊ギルド」と「スパイギルド」である。どちらも、どこかに侵入する技術を必須としている。そしてその技術は遺跡探索でも、大いに役に立つ。

 マデリシアを呼び出したが、すぐには出て来なかった。夕食から夜食の客に追われ、厨房から離れられないのだ。

 マデリシアの手が空くのを待つ間、キュリアスとエリックは食事と飲み物を楽しみながら、仕事の打ち合わせをした。

 遺跡はイクウィップから西北西へ一日ほど行った森にある。小規模な遺跡と予測されていた。

 遺跡の大半は、人々の暮らした町並みが地下にそのまま残っていたり、その一部が残っていたりする。希に、古代の遺産が貯蔵されている場合もあった。

 今回発見された遺跡は、町ではないと目された。何かの貯蔵施設か、または別の目的のものか。その辺りは調査してみないと分からない。

 遺跡では、マナを閉じ込めた魔力石、魔法を結晶化させた魔法石、あるいは魔力のこもった武具が見つかることもある。それらは一つでもかなりの高値で取引される。

 今回の遺跡がもしも貯蔵庫であれば、それらが大量に保管されている可能性もないとは言えなかった。

 大量に保管されていれば、一獲千金だ。遊んで暮らせるほどの収入を得ることができる。

 誰かに荒らされた後で、何も残っていない可能性も否定できない。あるいは用済みになった施設で、元から空だった可能性もある。

 とはいえ、まだ見ぬ遺跡は、キュリアスの心にも期待を匂わせ、心地いい期待感で酔わせる。

 遺跡のガーディアンが残っているのであれば、手つかずの可能性が高いと思われた。小規模の遺跡なので遺物は少ないかもしれないが、それでもかなりの収入が期待できる。

 マデリシアを待つ間、キュリアスは気分良く、酒をお代わりし続けた。今の貯えが少々減ろうとも、遺物を一つでも発見すればすぐに取り戻せ、お釣りがくる。

 酔えば、辺りから入ってくる気配の情報が制限されるので、キュリアスとしては酔いたくて仕方なかったのだ。ここしばらくは金が無くて控えていたが、今日は我慢する必要もなさそうだ。

 マデリシアが厨房から出てきたのは深夜も差し迫ったころだった。

 エリックの説明を受けると、マデリシアも興味津々らしく、眼を輝かせていた。ただ、遺跡探索に加わるのであれば、銀狼亭の手伝いが出来なくなる。生まれたばかりの赤子を抱えるマリアの負担が増す。そのことが気がかりだった。

「行ってきな」

 カウンターで作業しながら様子を見ていたジャックが促した。

「厨房は俺がやる。接客はそこの新人冒険者がやってくれる」

 ジャックが顎で示した先のテーブルに、十代後半くらいの女性客がいた。腰にショートソードを帯びて、革の胸当てをつけていた。

「おい、ドーラ・チート」

 ジャックが呼ばわると、少女の面影が残る女性は眉をひそめて顔を上げた。

「フルネームで呼ばないでくれる?」

 文句を言いながらカウンターへやってきた。

「明日から二日三日、ここで働かないか?」

「ドーリーと呼んでくれるなら」

 ドーラはそう言って右手を差し出した。その手をジャックの大きな手が包み、契約成立した。

「駆け出しの冒険者か?」

 キュリアスは値踏みするようにドーラの頭から足まで見まわした。マデリシアが後ろからキュリアスの足を小突いた。女性の身体をじろじろ盛るものじゃないわと、呟いているのが聞こえた。どうせ見るならあたしにしなさいよとも、聞こえたが、キュリアスは聞き流した。

「そうよ。悪いかしら?」

 ドーラは挑発的に言い返した。初心者だと侮られたくないのだ。

「魔法剣士か?」

 キュリアスの予測は正しかった。ドーラはそぶりも見せていないのに言い当てられ、戸惑いの表情を浮かべた。

「なんで分かったの?」

 その質問はマデリシアのものだった。

「剣の鍔にルーン文字が彫ってある」

「あ、ほんとだ。マナのノリがよくなるんだっけ?ルーン文字彫ると」

「そうです。私みたいな初級者でも剣に魔法を付与しやすくなります」

 ドーラはキュリアスたちをそれなりの先輩とみなしたらしく、言葉を改めていた。その判断は間違っていないことを、彼女自身がすぐに気付く。

「俺はキュリアス・エイクードだ。これも何かの縁だ。以後よろしく」

「あたしはマデリシア・ソング。よろしくねん」

「あ、僕はエリック・パシュートです」

 エリックも慌てて名乗った。

 ドーラはキュリアスとマデリシアをまじまじと見つめた。腰が少し引けている。

「取って食やぁしねぇよ」

「違うだろ」

 キュリアスの言葉に、ジャックが即座に突っ込んだ。

「エッジに切り刻まれたり、バンシーに操られたりするのを怖がっているのさ」

 キュリアスとマデリシアが即座に抗議の声を上げた。ジャックは二人にかまわず、

「この店の中では、俺がいる限り、こいつらに勝手はさせない」

 と言って、ドーラを気遣った。

「ここを拠点にしてくれるかもしれない冒険者だ」

 ジャックはそう言ってキュリアスとマデリシアを交互に見た。

「わーってるよ。俺が新人をいたぶるようなやつに見えるか?」

「優しく、手取り足取り、指導しますわ」

「所かまわず、斬り裂くなと言っている。それから、マディ。指導するな」

「心外な。俺は人を巻き込んだりしない…。悪党以外は」

「えー。可愛い後輩だもの。かまわせて」

「却下だ」

 ジャックに無下にされ、キュリアスとマデリシアは不満の声を上げた。

「お、お手柔らかにお願いします」

 ドーラは真っ青になった顔を下げると、二階に借りた部屋へ退散した。

「お前らの悪名は知れ渡っているな」

 ジャックはドーラを見送った後、ぽつりと言った。

「うるせぇ」

 キュリアスは不貞腐れて、コップの残りを煽った。

 マデリシアは素知らぬ顔で、

「じゃ、明朝、出発ね」

 と言って、コップの酒を飲んだ。



  6


 翌日の早朝、キュリアスとマデリシアとエリックの三人は軽装の旅姿で出発した。

 キュリアスはいつもの黒い服だ。真夏に、黒の長袖である。小さな麻袋を一つ背負っただけだ。得物は腰に付けた大型ナイフのみである。

 マデリシアはつばの広い帽子をかぶった。生成りの長袖のシャツに、髪の色と同じ若草色のパンツというスタイルだ。彼女はマントで荷物をくるみ、小さくまとめて襷掛けに背負った。

 マントは毛布の代わりや雨避けなど、色々重宝する。軽装の旅路では必需品とも言えた。そのマントの中に簡易の調理道具や木製の食器が包まれていた。

 マデリシアの腿の辺りに革製の小物入れが巻き付けてあった。彼女の仕事道具は大抵ここに納まっている。旅に出ると野宿で楽器を演奏して歌うマデリシアにしては珍しく、楽器を一つも所持していなかった。

 エリックはいつものローブに身を包んでいる。外観からは他の装備品が判別できない。ローブについたフードを深くかぶり、顔も見えなかった。

 マデリシア以外、傍から見ると暑苦しく見える。旅行く人々はすれ違いざまにローブや黒い服に眼を止めた。が、すぐに視線を逸らす。早朝というのに早くも大粒の汗が滴る。旅人は人のことを気にするどころではなかった。

 キュリアスもマデリシアも涼しげに歩いた。エリックは暑さよりも、二人の観察に余念がない。自分が汗をかいていることにも気付かず、二人の後ろから熱い視線を投げかけていた。

「おい」

 キュリアスは振り向かずに言った。

「おい、エリック」

 返事がないので、キュリアスはもう一度言った。

「はい、なんでしょう?」

「お前が前を歩かないと、俺たちは場所も知らないんだぞ」

「え、ああ、そうでしたそうでした」

 エリックは虚をつかれた態で答えると、足早に前へ出た。

 三人は造りかけのイクウィップの町を北に抜けた。石造りの街道が続いている。

 北に直進すれば、湖に浮かぶ町に行きつく。貴族の避暑地として知られ、今も大勢の貴族がその町に滞在している。

 途中の分岐を北西へ向かえば、古都ライプがある。

 エリックはその分岐よりもだいぶ手前で西の森へ分け入った。

 小山や丘に木々が覆っている。山と丘の境は見分けがつかないほどだ。

 獣道が森の中に続いていた。そこは獣や、狩人が通るのだろう。踏み固められた小さな道があり、そこだけ草が生えていない。

 木々が大きくなると、その足元の草は減った。逆に細く小さな木々になると、草が辺りを覆いつくしていた。

 草花が咲き乱れ、虫が飛び交う。

 虫を狩る鳥が風のように木々の間を抜けた。

 街道に比べれば、森の中はかなり涼しかった。マデリシアは少し涼しすぎると感じ、両腕をさすったが、荷物を解いてマントを羽織ることはしなかった。直に暑くなり、マントが不要になると分かっていた。

 時折、林の奥で物音が起こった。小動物が人の気配を察し、逃げているのだろう。モンスターや害獣のように人に危害を成す相手であれば、キュリアスがすぐに察知して対処するが、彼が何もしないところをみると、害のない相手だと分かる。

 エリックはそこまでキュリアスを信頼できていないため、音がするとビクリと跳ねて足を止めた。その背中をキュリアスが押して先を促すということを何度か繰り返した。

 跨いで渡れる小さな小川や湧き水を何度か超えた。

 小川の上流にシカの姿があった。

「今日の晩御飯にする?」

 マデリシアはシカを視線で示しながら、キュリアスに耳打ちした。

「まだ昼にもなってないぜ?現地についてからでもいいだろう」

「それもそうね。荷物になるし」

 マデリシアはすぐに引き下がった。

 踏み固められた道がなくなり、最近人が踏んでできたと思われる、草の倒れた道を進んだ。左右は草が生い茂っており、青々としたにおいを強く感じさせた。

 森の中は代り映えしない景色が、どこか違うのだろう。飽きさせることのない、緑と木々の楽園だった。

 上ったり、下ったり、時には枝につかまりながら歩く悪路さえあったが、それさえも自然の森の良さだった。森の躍動感が、生命の息吹を感じさせる。それが旅人の活力にもなった。

 これが何日も続いた森の旅だったとすれば、悪路に嘆いたことだろう。疲労の無い三人は足取りも軽く、悪路を踏破した。

 日が傾く前に、小さな穴の前にたどり着いた。

 穴の上にも木々が生い茂り、シダやツタ植物が入り口を隠すように茂っていた。そこに洞穴があることを知らなければ、見落としてしまうほどだ。

 洞穴の上は小山になっており、木々が生い茂っていたが、右側に大きな岩山があるのが見えた。森にふさわしくない岩の塊が突き出し、苔に覆われている。

「この中がそうです」

 エリックはツタの間に見える暗闇を指差した。フードを下ろし、額の汗をぬぐった。さらにローブの前を広げて風を中へ導いた。

 キュリアスは洞穴の入り口に踏み込み、軽く見渡して外に出た。屈まないと入れない洞穴だが、今は何かの巣になっている様子もなく、危険となるもの気配はなかった。

「野営にちょうどよさそうだ」

「虫が寄ってこなければどこでもいいわ」

「虫除けの結界なら張れますよ」

「お願い」

 マデリシアの力強い返事を受けて、エリックは洞穴の入り口にルーン文字を刻んだ。

「シャロンちゃんのおかげで、別にルーン文字でなくても同じ結界が張れると分かったんですけどね。ついつい、昔ながらのやり方でやってしまいます」

 エリックは作業を続けながら、誰ともなく言った。

「それに、僕は魔術回路の方は疎いですし、マナのコントロールも…大雑把ですからねぇ」

 エリックは何かしゃべっている方が作業に身が入るらしい。

 キュリアスはマデリシアに促され、狩りに出た。その間にマデリシアは薪を集め、石を集めて簡易の調理場を作ると、山菜を取りに森へ入った。

 二人がいなくなっても、エリックは何か呟きながら作業を続けた。

 森の中が薄暗くなり始めたころ、マデリシアとキュリアスが戻ってきた。

「いいキノコがあったわよ」

 マデリシアはそう言い、キュリアスの抱える獲物を見た。

「ウサギと大きな鳥ね。ほんとにおっきい。…何の鳥?まあ鳥は鳥ね。エッジは獲物の処理お願い。あっちに小川があったわよ」

 ナイフ一本のキュリアスがどうやって鳥を仕留めたのか、マデリシアはそのことを疑問にも思わないのか、てきぱきと指示を出した。

 狩りに詳しい人間がいれば、訝しんだに違いない。鳥にもウサギにも、外傷らしきものが見当たらない。まるで手で捕まえ、絞め殺したかのようである。

 幸い、エリックも無頓着だった。おかげでキュリアスは煩わしい説明をしなくて済んだ。

 エリックはマデリシアの助手に任命され、魔法で薪に火をつけたり、山菜を洗いに行かされたり、水を汲まされたりと、こき使われた。

 キュリアスが処理を済ませた肉塊を見ると、マデリシアは一時腕組みをして思案した。

「いいわ。どっちももも肉はそのまま焼きましょ。ウサギの肉はキノコと一緒に煮物ね。鳥の胸肉は炒めものにして…」

 マデリシアの指示で調理が進むと、森の中での野営とは思えないほど豪勢な料理が完成した。

 鳥肉の山菜炒め、鳥がらとスパイスのスープ、ウサギ肉とキノコの煮物。それにウサギと鳥のもも肉が脂を滴らせて加わった。

「しまった。酒を持ってくればよかった」

 キュリアスは水の入ったコップを受け取りながら嘆いた。

「軽装過ぎたわね」

 マデリシアは感心なさそうに答えた。

「アルコールを魔法で…うーん。ディグさんなら製法を思いついてくれるかもしれませんが…」

「いらねぇよ、そんなまがい物」

 キュリアスは投げやりに答えると早速鳥のもも肉にかぶりついた。肉汁と、マデリシア直伝のスパイスが口の中に広がった。

「あら、美味しい、この鳥。柔らかくてジューシーで」

 マデリシアも肉に舌鼓を打っていた。

 エリックに鳥のもも肉はない。その代わり、ウサギのもも肉は二本ともエリックに与えられた。それでも鳥のもも肉の大きさに照らし合わせると、少ない量だ。

「ウサギも美味しいですよ。スパイスでこんなに風味が変わるものなんですね。僕、実はウサギってそんなに美味しいと思ったことなかったんですけど、これは…」

 その後の言葉は意味不明だった。食べ物を口に詰め込んで語っているので、言葉になっていない。が、表情から、喜んでいることは分かった。

「あたしの料理が気に入ってくれたようね」

 マデリシアは満足げにエリックを見た。

「ええ。満足ですとも。野営でこんなまともな食事にありつけるとは思ってませんでした」

 エリックは口の中のものを胃に落とし込むと、勢いよく言った。

「いつもはどんなものを食べてたんだ?」

 キュリアスは少し興味を覚えて質問した。

「そうですね…魔法で獲物をしとめて、丸焼きですね。後は保存食が主です」

「丸焼き…まさか…」

「内臓くらいは出しますよ?」

「毛は?」

「焼きます」

「かなり焼かないと、肉に火が通らないでしょ?」

 マデリシアが口をはさんだ。

「そうなんです。だから表面は焦げてます。気をつけないと中まで火が通りきらないこともあります」

「男の料理って、そんなの多いわね」

 マデリシアは呆れたように言った。

「せめて皮をはぐとか、毛をむしるとか…それに、俺も丸焼きすることはあるが…」

 キュリアスも呆れていた。

「焼けた表面から削り取って食えば焦げない」

 エリックは言われて初めて気づいた様子で、新しい発見を教わったように喜んだ。

 キュリアスは以前、マデリシアに料理をせがまれ、作ったことがある。が、料理じゃないと叫ばれた。丸焼きや、パンにチーズをのせて焼いただけでは、料理と認められないらしい。

 キュリアスは干し肉などの保存食でも間に合う。おそらく、エリックも同じ考えなのだ。だから、簡単な手段しか頭になく、それ以外の発想すらない。新しい発想は、このように人から仕入れるものと相場が決まっていた。指摘したキュリアスも当然、人から教わったのだった。

 マデリシアも分かっているらしく、何を偉そうなことをと言いたげな表情でキュリアスを一瞥していた。

「マディがいてくれて助かる」

 キュリアスはマデリシアを見返すと言った。

「こうしてうまい飯にありつけるからな」

「そうですね」

 エリックも同意した。

 言われたマデリシアは、

「おだてても何も出ないわよ」

 と素っ気なく言ったものの、口元がほころんでいた。

 朝起きだすと、マデリシアが朝食を用意した。昨晩のスープの残りに肉団子を加え、焼いたパン、それにチーズだ。

「卵でも手に入ればよかったのだけど」

 マデリシアは用意したものに物足りなさを感じて詫びた。

「何の。十分ですよ」

 エリックは感激して食べた。

「ああ。最高の朝食だ」

 キュリアスはエリックの口ぶりに乗せられ、感想を口走っていた。マデリシアが眼に涙をため、嬉しそうにしている。キュリアスはそれを見て、言葉の選択を早まったと思うと同時に、マデリシアの喜びようが嬉しくもあった。

 朝食を済ませ、身支度を整えると、三人は気持ちを切り替えていた。



  7


 洞穴はゴブリンか何かが掘ったものだろう。入り口は狭く、中腰で入らなければならなかった。少し進むと岩石に囲まれた洞窟に変わった。

 洞窟は立ち上がって進むことができた。

 エリックの杖の先が輝き、辺りを照らしている。魔法の灯で、洞窟を進むのに重宝した。

 足元も天井も、壁も、不規則に突き出たり引っ込んだりしており、明かりが無ければまともに歩けないほどだった。

 足元が不安定で、油断すると足を取られたり、足元に集中しすぎて突き出た岩に身体のどこかをぶつけたりする。

 魔法の明かりでも、突き出た岩の裏側は深い闇に沈み、そこに何かが潜んでいそうに見えた。

 初めのうちは明かりを持つエリックが先頭を進んだが、遅々として進まず、しびれを切らしたキュリアスが前へ出た。

 キュリアスは気配を感知できるので、小さな岩かげに虫がいる程度だと分かっている。容赦なく奥へ突き進み、エリックが慌てて追いかけるようになった。

 マデリシアは不安定な足場でも危なげなく歩いた。滑るような足取りで、僅かな隙間をぬってエリックを追い越し、キュリアスに追いついた。

 キュリアスは待っていたかのように壁際へ避け、その隙間をマデリシアが通って先頭に出た。

 天然の洞窟で警戒すべきは、もぐりこんだ獰猛な生き物、毒をもった虫、そして天井の崩落だ。天井の崩落以外はキュリアスの気配感知で対応できる。崩れる間際であれば、気配も察知できる。

 対して、マデリシアは前兆の無い、天井の崩落に気付ける。それが彼女に備わった危機感知能力だった。

 生き物や虫は、キュリアスが後ろ側からでも対処できた。

 また、天然の洞窟なので気を付ける必要はないが、このような狭い場所だと罠が存在することもある。罠の発見も、マデリシアの領分だった。

 このような洞窟ではマデリシアが先頭を進むのが理にかなっている。それを承知しているので、キュリアスとマデリシアは自然と順番を入れ替えたのだった。

 背後からの明かりに照らされた洞窟は、岩肌と闇が複雑に絡み合った空間だった。

 岩肌に含まれる鉱物によって時折光を反射して煌めく。そこに新たな発見という宝石箱があるかのようだ。

 対照的に、闇には、奥に何かが潜んでいそうな雰囲気が漂う。岩と岩の間の小さな闇ですら、底なしの縁があるかのようだ。

 恐怖心に捕らわれそうな光景と、未知の発見を思わせる輝かしい光景とが絡み合ってできた景色は美しくもあった。

 洞窟は右に曲がり、左に曲がりと繰り返しつつ、地中へ三人を誘っていた。

 足元の岩肌が磨かれたように滑らかなのは、地下水によって造られた洞窟だと物語っている。裏付けるように、天井に小さな鍾乳石が所々で見受けられた。

 今は無い地下水は、地中深く下っていったようだ。

 天然の洞窟は、どういう訳か、石の扉にたどり着いた。水の流れはそこで消滅したかのように痕跡が消えた。石の扉を水が削った痕跡すらない。

「これですよ。新しい遺跡の入り口です」

 後ろからエリックが興奮気味に言った。

 石の扉は両開きで、開け放てば、三人並んで通れるほどだ。高さは二メートルほどで、特に変わったサイズの生き物が利用した扉ではなさそうだ。

 遺跡の中には巨大な扉に出会うことがある。巨人でも利用していたかのようなサイズだが、中に入ってみると、現在の人々が利用する建物と同程度の物が多い。

 ここは初めから現代の建物と同程度の入り口なので、何の誇張もなさそうだ。

 マデリシアは入念に扉を調べ、問題ないと判断すると、キュリアスに促した。

「俺が開けるのか?」

「こんな重そうな扉をあたしに開けろと?」

 キュリアスは呆れ顔で答えたものの、進み出て扉を押した。

 もしも罠の存在を見落としていてもキュリアスなら躱せる。マデリシアのそのような思惑に気付いていても、キュリアスは文句を言わなかった。

 扉は見た目ほど抵抗がなかった。すんなりと奥へ道を開けた。

 中は天井も壁も床も、大理石に覆われた通路だった。見える範囲に変わったものはない。

 エリックが何かに呼び込まれるように、通路へ侵入しようとした。とっさにキュリアスとマデリシアが両側から取り押さえて止めた。

 マデリシアは先ほどよりも慎重に歩を進めた。逸るエリックを片手で押しとどめつつ、キュリアスが続く。

 壁や天井に装飾は何もなかった。足元は磨かれたように輝いている。遺跡にしては塵が積もっていない。まるで今も誰かが住い、こまめに掃除しているかのようだ。

 特に罠などなく、壁に突き当たった。通路はそこで左右に分かれている。

「右」

「左」

 キュリアスとマデリシアが目配せして言い合ったが、意見は合わなかった。二人は争うことなく、ジャンケンの勝ち負けで進む方向を選んだ。

 マデリシアが勝ち、左へ進む。

「この辺りは調査したのか?」

 警戒をマデリシアに任せ、キュリアスはエリックに質問した。

「いいえ。内部には入っていません。風魔法の使い手に中の広さを調べてもらっただけなんです。その調査によると…」

 エリックは紙の束を取り出してページをめくった。

「ああ、そうそう。十メートル四方の区画があって、奥側に内側へ向いた扉があることまで分かっています」

「その時に何か他に分からなかったのか?」

「残念ながら。それ以上の情報は得られませんでした。それに風魔法による調査ではガーディアンや罠の発見ができないのです」

「魔法も便利なんだか不便なんだか」

 先頭のマデリシアが足を止めた。

 通路は少し先で右に折れ曲がっている。その曲がり角に、戦士の格好の石像があった。

「おお!ゴーレムですね!」

 エリックはガーディアンの存在を喜んだ。が、それは束の間に消える。

「動き出す前に壊した方がいいわね」

 マデリシアはそう言うが早いか、息を大きく吸い込み、短く大きな声を発した。

 マデリシアの声によって衝撃波が発生し、戦士の石像を粉々に吹き飛ばした。同時に後方の壁も破壊し、天井に亀裂が入った。

「やり過ぎだ…」

 キュリアスは呆れて頭を振った。

 マデリシアは舌を出してウインクしてみせると、何事もなかったかのように通路を右へ曲がった。

 曲がった先を何かが動いている気配があった。

 キュリアスは駆け出すと大型ナイフを抜き取り、マデリシアの前へ踊り出て振った。

 通路の床を何かが滑るように動いていたが、キュリアスのナイフから放たれた衝撃波が真っ二つに斬り裂いた。同時に天井まで斬り裂いたらしく、亀裂が走った。

「すまん!」

 キュリアスは叫ぶが早いか、引き返した。 マデリシアは先に避難していた。キュリアスは立ち尽くすエリックを脇に抱えて走った。

 天井の亀裂が走り、マデリシアが作った亀裂とつながると、天井が抜けて崩落した。

 流れ込んだ土砂は通路を塞いだ。

 幸い、最初の分岐付近は無事だった。

 土煙の中を抜けて三人は分岐にたどり着いた。

「危なかった」

 キュリアスはエリックを下ろし、ため息をもらすように言った。

「何が危なかったよ!見境なく斬らないでくれる?」

「お前が角を破壊したからだろ」

「あたしはゴーレムを破壊したのよ!」

 キュリアスとマデリシアは自分の身体についた土埃を払いながらも言い争いをした。

 エリックは二人の様子を観察している。先ほどの破壊活動もしっかりと目に留め、頭と紙による記録をしっかり残した。キュリアスとマデリシアの観察としては、エリックは満足し、興奮していた。

 観察されていることに気付いたキュリアスは言い争いを止めた。

「よし、反対から行ってみよう」

「今度は壊さないでね」

 マデリシアは悪びれずに言い放つのだった。

 来た道を戻り、右への分岐を素通りすると、左への曲がり角にたどり着いた。そこにも同じように戦士のゴーレムがいた。

 ゴーレムは石像のようにじっとしており、動かない。

「あの横をすり抜けられないかしら?」

 マデリシアが小声で言った。

「駄目ですよ。近づいたら反応して動き出すと思います」

 声に反応して動き出すわけではないのだが、反応しそうに思えて、どうしても声が小さくなる。そのことを一番理解しているはずのエリックですら、ヒソヒソと喋った。

「魔法か何かで動かないようにできないのか?」

 キュリアスが普通に言うと、二人の鋭い視線に迎えられた。仕方なく、キュリアスも小声になる。

「動力源を止めるとか」

「動力源は…周囲からマナを体内に吸収しているはずなので、それを遮断することは可能です」

「じゃあやって」

 即座にマデリシアが言った。

「でも体内に蓄積されているマナの分は動けますよ」

「意味ねぇ」

「ほら、物語ではゴーレムにルーン文字が刻まれていて、それを一文字でも削れば動かなくなるって…」

「あれは作り物ですよ。そんな見え見えの弱点を用意したら、ゴーレムの意味なんてないです。制御回路は体内に仕込んであるので、そのコアとなる部分を破壊すれば、止められますよ」

「魔法も剣も効かない身体の中に?」

「そうなんです。ですから、ゴーレムは便利なガーディアンなんですよ」

「じゃあ、所有者は何らかの信号を送って、ゴーレムを無力化もできるのね?」

「よくお分かりですね、マデリシアさん。そうなんです。ゴーレムって本当によく考えられた、魔道具ですよ」

「道具の部類なのか…」

「動く道具…気味悪いわ」

 キュリアスとマデリシアがほぼ同時に感想を述べていた。

「何にしても、破壊しなきゃ先に進めないんだな?」

 キュリアスは気を取り直すと、ナイフを構えた。

「周りを壊さないでね」

「マディに言われたくないな」

「うっさいわね」

 マデリシアの叫び声は辺りを振動させた。

 ゴーレムはマデリシアの声に反応したのか、はたまた振動に反応したのか、顔を起こし、剣を構えて侵入者と対峙した。

「あらごめんあそばせ」

 マデリシアは反省の色が一つもない詫びを述べた。

 ゴーレム自体はそれほど強くはなかった。が、キュリアスは周りを破壊すまいと、攻撃の威力を制御したため、傷一つ負わすことができなかった。

「面倒だ。こいつの横をすり抜けちまおうぜ!」

 キュリアスはそう言うと、ゴーレムを引き付けて背後に隙間を作った。

 マデリシアは心得たもので、キュリアスが隙間を作るか作らないかの寸前にすり抜けていた。

 エリックはマデリシアの手招きに促されて、恐る恐るキュリアスの背後を通過した。

 ゴーレムは剣を振り降ろして侵入を阻止しようとするものの、キュリアスがナイフで軌道を逸らし、目的を果たせなかった。

「先に行くわよ!」

 マデリシアはエリックを促すと、通路を奥に向かって走り出した。

 二人がある程度離れるのを待って、キュリアスはゴーレムに体当たりした。

「いてぇ!」

 キュリアスは肩をさすりながら、奥に向かった。ゴーレムは床に倒れてもがいている。

 通路を走ると、巨大な岩が塞いでいた。しかし、マデリシアとエリックの気配はその先にある。

 左下に、屈めば通れそうな隙間があった。キュリアスはナイフを鞘に納めると、躊躇なくその穴に滑り込んだ。

 二メートルほども屈んで進んだだろうか。頭上の岩が途切れ、元の通路が現れた。

 マデリシアがキュリアスの目の前に手を差し出した。キュリアスはその手を取って立ち上がった。

「どこからかこの岩が降って来たみたいですね」

 エリックは天井の割れ目とそこを塞いだ岩とを見比べながら感想を述べた。

「かなり古そうです。もしかしたら、この遺跡が健在だったころに降って、この施設は利用できないと放置されたのかもしれませんね」

「歴史の考察は後にしましょ」

 マデリシアは岩と遺跡との関係に興味をそそられたものの、この遺跡そのものに対する探究心が勝っていた。

「そうですね」

 エリックもすぐに同意した。

 マデリシアを先頭に再び奥へ向かう。

 キュリアスは奥に無数の気配を感じた。一つ一つは非常に小さい。

 キュリアスがマデリシアを呼び止めるよりも先に、エリックの魔法の明かりが奥に届いた。

 それは奇妙に波打つ壁に見えた。黒いものがざわざわと動く。小さな一つ一つが重なり、動き回っている。カサカサと背筋に触れるような音まで響いていた。

 奥の壁一面に、虫が張り付いているのだ。

「いやぁ!」

 マデリシアの叫び声が響き渡った。イクウィップの東の森での一件以来、マデリシアは無数の虫に過剰反応するようになっていた。

 マデリシアの叫び声は衝撃波となり、壁ごと全ての虫を押しつぶした。

 キュリアスは身構えて天井を見た。

 亀裂が走っていく。その先に岩がある。亀裂が広がれば、岩が傾き、通路を塞ぐだろう。それどころか、通路ごと押しつぶすに違いなかった。

「まずい!戻れ!」

 キュリアスはエリックの腕を引いて背後に投げ出し、踏み出してマデリシアも引き寄せた。

 振動と轟音に足を取られ、ふらつく。

 土煙が舞い上がり、エリックの魔法の明かりがぼんやりとしか見えなくなった。

 キュリアスは目と口を覆って床に跪いた。背に破片が降り注ぐ。抱えたマデリシアを自分の下に引き込んで、彼女に落石しないように守った。

 振動が収まり、次第に落下物も落ち着いた。幸いなことに、キュリアスの回りの空間は埋まることがなかった。

「全員無事か?」

 マデリシアは返事の代わりに咳き込み、顔に降りかかった土埃を払った。

「何とか無事です」

 エリックの声が聞こえた。彼の明かりも健在だ。彼はその明かりの下にいると思われるが、土埃のために見えなかった。

 土埃が晴れてくると、黒とも茶色とも形容しがたい色になったエリックがいた。

 キュリアスも、マデリシアも同様だ。

 奥は天井が抜けたのか、あるいは壁が破れて倒れたのか、土砂でふさがれている。

 通路の反対側は岩に塞がれている。先ほど通過した細道も塞がっていた。

「帰り道が…!」

 エリックが慌てて岩の傍に駆けつけ、先ほど通った場所を掘り返した。

「大丈夫か?」

 キュリアスは下のマデリシアに手を差しだした。マデリシアがその手につかまるのを待ち、引き上げるように自分も立ち上がった。

 マデリシアが咳き込みながら、上を指差した。何かに怯えるように、頭を低くしている。

 見上げると、大理石の天井ではなく、何かごつごつしたものが覆いかぶさって、その重量をキュリアスたちの空間に押し付けていた。

 それが大岩だと分かるまでに時間を要した。大岩が空気を抑えつけ、キュリアスたちに圧迫感を与えていた。

 大岩はエリックのいる辺りから徐々に上り、天井の代わりに覆いかぶさっていた。

 大岩がこちら側に傾いたのだ。危なく下敷きになるところが、運よく助かったようだ。あるいはこの大岩のおかげで生き埋めにならずに済み、この空間が生まれたのかもしれない。

 建物の壁が支えとなったのか、上の小山が支えになっているのかは分からない。少なくとも、今すぐに大岩が落ちてくることはなさそうだ。

「幸運の女神さまがついているな」

 キュリアスは上を眺めながらつぶやいた。

「あたし、神は信じないけど、今は信じる」

 マデリシアはそう口走ると、神に感謝の言葉を並べ立てた。

「助かったとも言い切れませんよ」

 エリックが幸運に喜ぶ二人の気持ちを遮った。

「ここに閉じ込められたので、空気がなくなると僕たちも終わりです」

 エリックは冷静な声色で言った。

「それまでに脱出口を見つけないと」

「希望をそぎ落とすようなこと言わないでくれるかしら?」

 マデリシアはそう言って首を振った。すると若草色の髪に付着した土埃が舞い上がり、マデリシアは再び咳き込んだ。

「帰り道はありそうか?」

 キュリアスはあえて自分の身体に付着した土埃を払おうとしなかった。ここで払っても咳き込むのがオチだと、マデリシアが示してくれたおかげでもある。

「大岩がこの向きに倒れたということは、もしかしたらこの下に空間があるかもしれません」

 エリックは土砂の掘り返し作業に戻っており、振り向かずに答えた。

「手伝おう」

「ではそちら側を。大岩の支えがどこにあるか分からないので、気を付けて掘ってください」

「支えなら、たぶん、そこだな」

 崩れるときに察知していた気配から、キュリアスは推測していた。

「確かですか?」

「さあな。崩れた後、どう動いたかまでは察知しきれなかった。情報が多すぎて頭がパンクだ」

「土砂の動きも察知できるのですか?」

 エリックは質問しながら作業を続けた。

「動くものなら砂粒一つ一つ。…俺の頭が追い付かず、把握しきれん」

 キュリアスは把握できなくてよかったとも考えていた。把握できていたら、精神が崩壊するのではないかと思われるほどの情報量だった。こんな状況には二度と遭遇したくないと思わずにいられない。

 同じことを、これまで何度「二度と」と考えたか、キュリアスは思い出さないようにしていた。近い所では、王都を斬り裂いた時である。それ以外にも、何度か遺跡を崩壊させた経験があり、その度に、

「二度とこの情報量は味わいたくない」

 と願ったものだった。

 後ろで身体を叩く音と、マデリシアの咳が聞こえた。懲りずに身体中の土埃を叩き落としている。咳き込むことよりも、土埃まみれであることが嫌なようだ。

「マディ。頼むから叫ぶなよ」

 キュリアスは掘り返し作業を続けながら忠告した。

「あら、あたしがいつ叫んだかしら?」

「さっきのは何だと…?」

「え?あたし、叫んだの?え?もしかしてそれで崩れたの?」

 キュリアスは呆れて振り向いたが、首を振るだけで何も言わなかった。

「ちょっと!あたしのせいで崩れたみたいに言わないでくれる?」

「いいから叫ぶな」

「分ったわよ。あんな気持ちが悪いのがいなきゃ、あたしも叫ばないわよ」

「とにかく大人しく待っていろ」

「ね、あの虫、もう残ってないかしら?」

「気配は感じない。大丈夫だ」

 マデリシアはそれでも落ち着けないらしい。楽器でもあればよかったのにと呟きながら、何かの歌を口遊んだ。そうしていないと、先ほどの虫の恐怖を思い出すのだろう。崩落の恐怖よりも、虫の大群が我慢できなかった。

 マデリシアは明るい歌を選んだらしく、聞く者の心に平穏と安らぎを与えた。キュリアスやエリックの、大岩に押しつぶされそうな気持ちを晴らす効果があった。マデリシア自身の心にも安らぎをもたらした。あるいはそのつもりで、歌ったのかもしれない。

 掘り進むと、倒れたゴーレムが現れた。ゴーレムの上に大岩が載っていた。ゴーレムを起点に、大岩が上へ向かって伸びている。

「奇跡ですね」

 エリックは嬉しそうに言った。

 ゴーレムが侵入者を追ってここまで来なければ、三人は大岩の下敷きになっていたかもしれない。少なくとも、大岩の動きが最小限に食い止められたのは、このゴーレムのおかげなのだ。

「俺も幸運の女神に感謝するぞ。無事に戻ったらな」

 キュリアスは言いながら、目の前に現れた隙間を示した。

 大岩と壁との間に、這って進めるほどの隙間があった。エリックの明かりで照らすと、向こう側の空間が見えた。

 キュリアスとエリックは汚れた顔で互いの顔を見合わせ、笑い合った。



  8


 キュリアスは銀狼亭で嘆いていた。今回の報酬を当てにしていたが、調査できずに終わったのだ。報酬などありはしない。

 無事に戻れたことには感謝したものの、すぐに現実へ引き戻され、残りの財産と相談しなければならなかった。

 新しい剣を買えると期待していた気持ちも宙に浮き、やり場のない感情に振り回された。

 しかし、銀狼亭のいつものカウンター席に腰かけて酒を飲むと、どうした訳か、安らぐ。ここに帰って来たと安心できた。

 そこが知り合いのジャックとローザの店だからだろうか。王都の冒険者の店でも、そこへ帰って来たとの安堵感を得たことはなかった。

 生き埋めになりかけたためかもしれない。自分で思う以上にストレスを感じていたのかもしれなかった。ストレスから解放され、酒にありつけた。たしかに、安堵感はある。

 キュリアスは今までに味わったことのない感情に、戸惑っていた。生き埋めごときでこれほど戸惑うことになるとは思いもしなかった。死ぬ覚悟はいつでもできているつもりだったのだ。

 敵と対峙し、刃を交えるときは確かに、呼吸するのと同じように、自身の死も覚悟の内になっている。だが、刃以外による死については考えたこともなかった。

 キュリアスは酒を煽った。

 考え過ぎなのかもしれない。ただ単に、見知った店の、見知った場所に座り、アルコールによる解放感を味わっているから、安息を感じているのかもしれない。

 マデリシアはあるいはキュリアスより芯が強かったのかもしれない。生き埋めの目に遭ったことよりも、風呂に入ることの方が重要だったようだ。

 忍び寄る死に対する経験は、確かにマデリシアの方がはるかに多く積んでいる。

 土埃をすべて落とし、清潔な石鹸の匂いに包まれたマデリシアは、何事もなかったかのように厨房へ入り、ローザの手助けをしている。

 エリックは平気そうに振舞っていても、いまだに青ざめた顔をしている。

「今回は残念な結果でした」

 エリックは、言葉とは裏腹に、一息付けたこともあって、満足げな笑みが浮かんでいる。青ざめていることに、本人は気付いていなかった。

 エリックが満足しているのは、キュリアスとマデリシアの観察ができたことに対してだ。

 エリックは店の奥にディグ・コリンズが居合わせているのを見つけると、相席し、今回の顛末を説明した。

「せっかくの遺跡なので残念です」

 エリックは青い顔のまま、そう締めくくった。

 ディグはしばらく考え込んだ後、

「水系と土系の魔法使いを集めてください。ちょっと実験してみたい魔法があります」

 と言った。

 するとエリックの表情に希望の光が灯った。

 エリックとディグは額を突き合わせ、何事か相談に入った。次第にエリックの頬に赤みがさしていくのが見て取れた。

 キュリアスが酒で紛らわせたように、マデリシアは身体を洗って厨房に立つことで紛らわせ、エリックは何かしらの研究に没頭することで紛らわせていた。

 ただ、キュリアスは別の懸念も感じ始めていた。

 酒を飲むにしても、財布の中身が乏しい。すぐに次の仕事を確保しなければならなかった。

 なんにしても一杯やってからだ。キュリアスは口の中で呟くと、酒を煽った。が、すぐに舌打ちする。

「酒がまずくなりそうだ…」

 不穏な気配を感じ取りながら飲む酒は、味気なかった。


 イクウィップも建物が増え、裏の路地は人目につかなくなっていた。まだ住人がまともに住んでいないので、人通りはない。

 そのひと気のない路地に、体格のいい男と太った少年が現れた。

 体格のいい男は自然に身についた足運びから、戦士と分かる。武具を身につけていないところをみると、宿に装備をおいて羽を伸ばす冒険者と言ったところだろう。

 少年は裕福な家庭の子供のようだ。身なりが整っている。白い絹のシャツは、一般的な家庭の子供が着られるようなものではなかった。腹が大きく突き出ており、ベルトが腹の下に隠れていた。そこに何か隠していたとしても、誰にも気付かれないだろう。

 少年の足取りに不満そうな響きがあった。斜に構えたような態度と体格のため、少年は十代前半には見えなかった。

 奇妙な二人連れは用心深くひと気のない所へ踏み込んだ。そして男は振り向き、少年に向かって何かを告げた。少年の弱みでも握ったのか、卑劣な表情を浮かべていた。

 少年は斜に構えたまま、横柄に頷いた。前方を指差す。

 男は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、少年の指差した方向へ進んだ。

 少年が後を追い、男の背にぶつかったように見えた。

 男は膝の力が抜けたように倒れた。

 少年は倒れた男を、そこに初めから何もいなかったかのように、無視して歩き去った。


「未完成の町でもう…か」

 キュリアスは酒を煽りながら、気配から察知したものを吟味していた。

 そこに首を突っ込んで、守備隊から小銭を稼ぐ道がある。が、犯人が犯人だけに、証拠をしっかりと用意しなければならず、難しくもある。

 無視して他の依頼を探す方が稼ぎはいいだろう。そして楽でもある。

 しかし、キュリアスは見過ごすことができなくなっていた。

「俺の町で好き勝手させるのも癪だ」

 である。

 キュリアスが造ったわけでも、ここの出身という訳でもないのだが、すでにキュリアスはイクウィップに愛着を覚え始めていた。

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