金貸しを狙う暗殺者・前編
1
小さな光の煌めきが、暗い夜空を支配していた。
月は出ていない。
暗く沈んだ世界を、小さくきらめく無数の星々が、淡く浮かび上がらせていた。闇に慣れた目で、やっと建物の輪郭が見て取れる程度である。
星々は淡い光と対照的に、強い冷気でも放っているかのようだ。ともすれば、そこに見える輪郭は何かが凍ったものではないかと思えるほどに、冷え込んでいた。
キュリアス・エイクードは寒さをあまり感じなかった。身体にぴったりと合った黒い服が防寒性に優れていることもあるが、酒に酔って感覚が鈍っていることが大きな原因だった。
吐く息が白い。
キュリアスは面白がって何度か白い息を吐きだした。それは空中に漂い、闇の中に広がって消えた。
顔を刺激する冷気が心地いい。酔っていなければ、刺すような冷気だ。それが心地いいと感じるのだから、よほど酔っていることになる。
それでも、キュリアスの足取りはしっかりしていた。足取りだけ見ると、酔っているとは思えないほど真っ直ぐに、正確に歩いていた。
背負った剣の重みも負担になっていない。商売道具なのだから、当然と言えば当然なのだが、すでに剣も身体の一部と化している。
この剣を、いざとなれば片手で引き抜き、果敢に戦う。柄は両手でも持てる長さになっている。鞘に納まった刃長は七十センチ程度あった。
武器を扱ったことのない人間が持てば、片手で振り回すどころか、身体が剣に振り回されることになる。それを難なく扱えるのは、キュリアスがそれなりの鍛錬を積んだ結果である。
鍛錬の成果もあって、酔っていても足取りがしっかりしているとも言えた。
キュリアスの身体が闇に溶け込み、また姿を現す。
町は寝静まったとはいえ、まだわずかに明かりの洩れる家もある。その明かりや、ほのかな星明りに、キュリアスの身体が浮かび上がるのだが、服も靴も黒く、髪の毛も黒いとなると、闇に弛緩した顔だけが浮かび上がるという、怪しげなことになっていた。
人がこれを目撃したら、闇と冷気に背筋を凍らせ、夜中に人の顔が空中を泳いでいたと、恐ろしげに噂することになるだろう。
当の本人は一向に気にする様子はなく、夜空を見上げて、冴えわたる星々を眺めていた。
無数の星々が輝いている。冷気で引き締まった大気の中で、その光は力強く瞬いていた。普段より星が多く見えるようにも感じる。
空の上からキュリアスに何かを訴えかけるような瞬きで、思わず見とれてしまう。星の光が降り注ぎ、キュリアスの肌を通過して、胸の中に何かを灯していた。
澄んだ光がキュリアスの酒に鈍った心を、冷たく、清めていた。決して暖かくはない。人を突き放すような光なのだが、どうしたことか、星々の光に惹かれてしまう。心の中にわだかまっていたモヤモヤが、星々の光を受けて浄化されるようだった。
冬の夜空はいいな。キュリアスは感慨深げに思った。これを見上げながら飲むのもおつではないかと思えた。そうすれば、憂さも晴れるだろう。
キュリアスは手まねで飲もうとして、その手に酒瓶が握られていたことを思い出した。すぐに口へ運び、仰ぐ。が、中身は一滴たりとも落ちて来なかった。
キュリアスは辺りに響き渡るほどの舌打ちをした。道へ視線を戻し、酒の売っている場所を目指そうとする。
キュリアスは首をかしげた。見覚えのない道である。酒に酔って、場所が分からなくなっているのではない。そもそもキュリアスが普段から道を歩かないから、どこの道を歩いても、知らない道になってしまうのだ。
キュリアスはいつものように近くの塀の上へ飛び上がった。頭を掻きつつ、塀の上をスタスタと歩く。建物に近づくと、今度はその屋根の上へ飛び上がった。
屋根の上から町を見ると、広々としている。左手の方角に、町を囲む城壁が見える。城壁の上には等間隔にかがり火がたかれているので、すぐにそれと分かる。
右を向くと、暗がりと、黒いものとが交互に続いているのが見えた。道と建物だ。さらに先は、星明りでは見通すことができない。月でも出ていれば、もう少し町の輪郭が見て取れるものだが、今夜は月の恩恵に与れそうにない。
城壁の位置が分かったので、キュリアスは自分の位置がおおよそ把握できた。
町の南東部にある飲み屋街に来ていたのだが、そこはもう店じまいだ。深夜のこの時間にまだ酒の出すところは限られてくる。向かうべきは町の中心部に近い所だ。
キュリアスはもう一度夜空を見上げ、方角を確認すると、北西に向かって屋根伝いに進んだ。
キュリアスの弛緩した頭を刺激するものがあった。それは普段から流れ込むもので、キュリアスにとって煩わしくて仕方ないものだ。だから酒を飲んで紛らわせる。酔っていれば、それで煩わされることが少なくなるのだが、そうかと言って、今感じ取ったものを放置することもできそうになかった。キュリアスは舌打ちすると、左の屋根へ飛び移った。
下の暗闇から、男のものと思われる悲鳴が上がった。
キュリアスは屋根を駆け抜けると、臆することなく、闇に飛び込んだ。何も見えないはずの闇の中で、キュリアスは壁にぶつかることもなく、悲鳴の元へ降りて行った。
その時点で、キュリアスは暗闇の中の状況をある程度把握している。右手に一人、着地するであろう辺りに、倒れた人物と這いずって悲鳴を上げる人物がいる。
闇に閉ざされた路地が迫るにつれて、鉄のような臭いが鼻についた。酔った頭でも、それが何なのか、瞬時に分かる。
キュリアスは着地と同時に右手の人物に向かって酒瓶を投げつけた。鈍い音の後に、闇の中で何かが煌めき、路地に倒れた。煌めいたのはおそらく剣だ。近くに倒れているらしい人物は、その剣に斬られたのだ。だから鉄のようなにおいが漂っている。動く気配がないところをみると、すでに絶命していると思われる。
酒瓶にぶつかり、一度は倒れた人物が立ち上がった。闇でまともに見えないが、足音や衣服のこすれる音でそれと分かった。
キュリアスは躊躇なく、その人物に向かって飛び掛かり、体重を乗せた蹴りを見舞った。
相手は蹴り飛ばされ、激しい衝突音を響かせた後、静かになった。
暗闇でよく見えないが、足元に血だまりができているようだ。キュリアスは死体と血だまりを避けると、悲鳴を上げて這いずる人物の元へ向かった。
悲鳴を上げ続けているので、相手の位置は簡単に分かる。キュリアスは闇の中をまるで見えているかのように進み、這いずる人物の身体を適当につかんで持ち上げた。
ひときわ大きな悲鳴が上がる。
これほど近づいても、暗闇に閉ざされて相手の顔は見えない。が、恐怖に歪んだ表情であることは簡単に想像できた。
「おい、落ち着け」
キュリアスが一声かけると、相手は一段と金切り声を上げた。あまりの悲鳴のうるささに、キュリアスは思わず、黙れと一喝していた。
相手は一瞬黙るものの、口の隙間からおかしな音が漏れ続けていた。口を閉じるのと、悲鳴を上げるのとを、同時に行おうとしているらしい。
「近所迷惑も甚だしい」
キュリアスは見えているかのように、相手の顔に手を伸ばして口をふさいだ。
「とにかく、まず、黙れ」
キュリアスの言葉に、相手は頭を動かしたのだろう。キュリアスの手を前後に押したり引いたりした。
キュリアスがゆっくり手を放すと、相手は呻くような声をもらしたものの、悲鳴は何とか飲み込んでいた。
手に触れた感触や、先ほどの悲鳴から察するに、相手は中年の男性だ。キュリアスに軽々と持ち上げられるほどに軽い、小柄な男だった。
「下ろすぞ」
キュリアスはそう言って男を放した。すると男は路地に力なく崩れ落ちた。
「ど、どうかお助けを…」
下から震える、か細い声が聞こえた。キュリアスの耳にはどこか遠くから響いている。先ほどの悲鳴を耳元で聞いたために、おかしくなっているのだ。おかげで酔いも醒めてしまった。飲みなおしたい衝動にかられながら、キュリアスは耳を触り、口と顎を動かして、耳の調子を取り戻しにかかった。
キュリアスの反応がないとみて、男はもう一度、助けを乞うた。
状況から察するに、この男が襲われ、護衛がそこに横たわっているのだ。キュリアスはこの男の命を救ったことになる。命の恩人なのだから、酒くらい要求しても罰は当たるまい。キュリアスは酒をたかるつもりになっていた。
「助けるかどうかはあんた次第だ」
酔いを醒まされた恨みがこもったらしい、とげのある言い方になっていた。キュリアスは言った先からしまったと思ったが、すでに遅かった。男は再び悲鳴を上げていた。
「だから黙れって」
キュリアスはうんざりしたように言うと、見えていないはずの男の口に手を押し当てた。
「てめぇのせいで酔いが醒めちまった。酒をおごるってんなら、助けてやってもいい」
キュリアスが言うと、男は急いで首を縦に振った。
キュリアスは満足して頷くと、手を放し、男に立ち上がるよう促した。しかし、男は一向に立ち上がろうとしなかった。
「何やってんだ」
「その、すみません、腰が…」
男がか細い声を発した。
キュリアスは舌打ちすると、男を抱えあげた。
「送って行ってやる。その分、酒代は高くつくぜ」
キュリアスはそう言うと、闇に沈む路地を迷うことなく進んだ。
別の場所にも、泥酔した人物がいた。マデリシア・ソングと言い、キュリアスの仲間である。
マデリシアは暗闇に閉ざされた路地を右にゆらり、左にゆらりと歩き、時折奇声を発していた。
「ばっかやらー!」
手にした酒瓶を振り回している。
マデリシアは寒空の下、厚手のコートの前をはだけさせ、胸元が大きく開いたブラウスを覗かせていた。豊かな胸が躍るように揺れていた。
酒瓶を口に当ててあおり、おもむろに、近くにあった門柱を捕まえてからんだ。呂律が回っていない。
近所の窓を覆っていた木戸がいくつも開き、明かりが漏れると、マデリシアの若草色の頭髪が浮かびあがた。
窓からマデリシアを見た住人は、すぐに木戸を閉じた。中には悲鳴を上げて隠れる住人までいた。
「あによー。文句あんのぉ?文句あんなら大きな声出すぞぉ」
マデリシアが門柱を手放し、明かりの洩れている窓に向かって言った。窓の下に隠れた住人は出て来ない。
「よぉーし、叫ぶぅ!」
マデリシアの言葉を聞いて、木戸を閉じた住人まで顔を出し、皆がそれぞれ何かを叫んだ。内容のほとんどは、止めてと懇願するものだった。
マデリシアがにんまりと微笑んだ。
「おーけぇおーけぇ!皆しゃまの期待に応えまひて、一曲披露さぇていたぁきまーす」
とたんに住人たちが抗議の声を上げた。
「バンシー!それを止めろってんだ!」
誰かの叫びが響いた。それを聞いた途端に、住人たちが一斉に口を閉ざし、怯えたようにマデリシアを眺めた。
「だーれぇ?あたしをバンシーよばぁりすぅのは?」
マデリシアが若草色の髪を振り、辺りを見渡した。マデリシアと目の合った住人がことごとく、首を左右に振った。
マデリシアの身体が一周回っても、発言者は見つからなかった。するとマデリシアはもう一周回り始めた。今度は指差している。
「だぁれにしよーかなぁ?」
鼻歌まで混じって、マデリシアは上機嫌だ。
「選ぶな!」
再び、誰かが文句をつけた。
住人たちが顔を引きつらせて声の主を凝視しても、マデリシアはまるで気付かなかった。
マデリシアの指が闇に沈む路地に向いた。
その路地から大柄な男が飛び込んできた。何かに追われている様子で、後ろを顧みながら走っていた。
マデリシアの指がその大柄な男を捉えた。
「そーなに選んで欲しーのぉ?じゃ、あなたに決めて、あぁげぇるぅ」
マデリシアは嬉しそうに大柄な男に狙いを定めた。
男はマデリシアを避けようと路地の端に寄った。マデリシアがその行く手をふさぐと、男は再び避け、マデリシアもさらに道をふさいだ。男はマデリシアを避けきれず、彼女の豊かな胸に飛び込む結果となった。
二人して路地に転がる。
「こぉらぁ!だぁれが押し倒せってゆーたー!おもぉー!どけぇー!」
マデリシアは男の下敷きになり、もがいた。男の身体が大きく、抜け出すことができない。
慌てて立ち上がろうとした男の手がマデリシアの胸を押した。
「どこ触ってんだぁ!」
マデリシアの素晴らしい声が響き渡った。
まるでマデリシアの声で吹き上げられたかのように、男の身体が宙に舞った。
マデリシアは素早く立ち上がると、落下してきた男の頬に平手打ちのおまけを添えた。
通路の石畳に落下した男の背に、マデリシアは転げるようにして座った。
男の方は訳の分からない声を発してもがいていた。
マデリシアは男の背の上で、ゆっくりと手の酒瓶をあおった。しかし、いつの間にか瓶の底が抜けており、中身は出てこなかった。
「お酒がなくなっちゃったぁ」
割れた酒瓶を掴んだまま、マデリシアは誰へともなく、お代わりを要求した。
まるでどこかの酒場の椅子に腰かけているかのようだが、ここは深夜の路地に過ぎない。マデリシアの注文に応える人物はどこにも現れなかった。
代わりに夜空から足が降ってきた。
マデリシアは咄嗟に割れた酒瓶を投げつけて前へ逃れた。
後ろで男の悲鳴が上がる。
マデリシアが振り返ると、地面に倒れていた大柄な男の背の上に、細身の男が立っていた。その男は薄明かりの中でも目立つ、カラフルな色合いの服を着込んでいた。
黄色いズボンに赤いジャケット。白い頭巾で顔を隠しているものの、全体的に派手だ。顔を隠したところで、ここまで特徴的だと、意味をなさないのではないかと思われた。
派手な男の手に、マデリシアが投げつけた酒瓶があった。
「ああ!あたしの酒ぇ!返せぇ!」
マデリシアは瓶が割れていることも忘れ、大事なものを取り戻そうと騒いだ。派手な服装の男に踏みつけられている大柄な男のことなど眼中になかった。
「動くな!動けばこの男の命はないぞ!」
派手な服装の男が片足を、足元の大柄な男のうなじに押し当てた。男は何を思ってそのような脅しを口にしたのかは分からない。分からないが、脅しが無駄だったことは理解したに違いない。
マデリシアは酒を返さないつもりなんだと絡みながら、派手な服装の男に近づいた。
「返さないと、叫ぶわよぉ」
マデリシアは妙なことを主張し始める。
「あたし、むしょーにぃ、叫びたいのぉ」
そう言って、豊かな胸を突き出すように、肺に空気を吸い込んだ。
心配そうに様子をうかがっていた住人たちが一斉に、木戸を締めて隠れた。
「酔っぱらいの相手をしている暇などない!」
派手な服装の男は舌打ちをして言い放つと、足元の男のうなじを踏み抜こうとした。その一撃で、大柄な男の首の骨が折れ、即死するはずだった。
「ばっきゃろぉ!」
マデリシアの発する大声は衝撃波を生み出し、派手な服装の男と大柄な男を吹き飛ばした。派手な服装の男は路地の突き当りの壁を突き破って飛んでいった。大柄な男は路地を転がり、崩れた壁の根元に引っかかって助かった。
声の衝撃波が向かった路地は、左右の塀がかなりの距離にわたって崩れていた。
「あーすっきりした」
マデリシアは満面の笑みを浮かべ、何事もなかったかのように、踵を返して暗い路地へ消えていった。
2
夜が明け、日が高く上ると、街路は多くの人が行き交った。北へ南へ旅を続ける者。名もなき女神の像に参拝する者。買い物をする者。品物を納めに行く者。商談に向かう者。夜の騒動はなかったことのように、いつもの日常が繰り広げられていた。
昨夜、キュリアスが関わった騒動の跡地も、熱量の乏しい日差しを受けて白日の元にさらされた。夜に漂った殺伐とした雰囲気は消え、何事もなかったかのように人々が往来していた。
往来する人々はそこで人死があったことに気付いていないのか、寒さを気にして布を巻きつけて、道を急ぐだけだった。
その路地も、早朝は騒然としたものだ。冒険者の遺体が発見され、見物人も集まってひと騒動した。それも守備隊が遺体を片付けてしばらくすると、人々は日常に戻っていき、普段と変わらない路地へと戻ったのだった。
町を照らす日差しは日増しに弱くなるのか、あるいは冷たい風が日光に含まれる熱を奪い去るのか、時折、肌を刺すような風になって路地を吹き抜けた。
道行く人々は、見知った顔を見つけると、寒いですねと言い合って、すれ違っていた。噂好きの主婦たちも、この風の中で立ち話しようとは思わない様子で、また後でなどと声をかけて足早にすれ違った。
冒険者の遺体があった路地は、セインプレイスの南東部に広がる庶民の町の中にあった。俗に旧市街とも呼ばれ、割と古い町並みでもある。
狭い路地に雑多な店が軒を並べ、その軒先に多くの客が集まっていた。店先に立つとどういう訳か、主婦たちは風の冷たさも忘れて雑談を始めていた。店員も話に加わるものの、客はなかなか買い物をしないのだった。
通り一つ隔てると、飲み屋が並ぶ。昨夜キュリアスが飲んだ店もその中にあった。飲み屋街の奥の方には客の要望に合わせて、若い女や男を酌取りに出す店もあった。
さらに通り一つ隔てると、また店が並び、その先はこぢんまりとした民家が立ち並ぶ。
民家の奥に進むと、最後は城壁へとたどり着いた。民家と城壁の間に広い場所があり、人々は通路として利用している。
城壁はほぼ円を描いで町を取り囲んでいた。高さはそれほどでもなく、城壁傍に二階建ての建物があれば、二階部分が壁の上側に姿を現す。とはいえ、南東部に二階建ては稀有である。都合よく城壁傍に建っているようなことはなかった。
雑多な町に戻り、反対方向へ進めば、町を南北に走る大通りがある。町と町を結ぶ街道でもあるため、旅人が多く行きかっていた。
北へ向かえば、古都がある。さらに北へ向かうと、領土の大半が山岳地帯の国にたどり着く。
南へ向かえば、貿易の盛んな町があった。そこから東に向かうと商業の盛んな国があり、南へ向かうと農作物豊かな国に通ずる。
この街道沿いに、当然のごとく、宿屋と食事処が集まっていた。沿道から客引きの声が響き渡っていた。
街道を超え、さらに西へ進むと、再び南北に続く大きな通りに出る。この道にも宿屋が並ぶが、色々なものを売る店も多い。
その道を北へ向かい、町の中心まで進めば、大きな広場に行き当たる。通りを歩く人々は皆、広場を目指していた。広場の中心に女性の像があり、人々はその像に参り、手を合わせて拝む。女神の加護がありますように、と。
その像は、名もなき女神と呼ばれている。
大昔、世界が大災害に見舞われた時、一人の女神が人々を助け、この地に降り立ったと伝えられていた。その女神は人々の感謝の言葉を受けながらも、名乗らずに立ち去ったために、名もなき女神と呼ばれていた。
この広場は女神の降り立った聖なる地だった。それ故に、巡礼者が絶えず訪れる場所となっていた。
女神の降り立った聖なる地なので、いつしかセインプレイスと呼ばれるようになり、そのまま、町の名称となった。
聖地を守護するための砦が造られ、広場を囲うように店が建った。次第にその周りに人々が住み始め、町になった。
砦は城へと改修され、やがて国となる。町も大きくなり、広がっていった。その間に支配者が入れ替わっても、聖地は聖地としてあり続け、町の名前としてセインプレイスの呼称も続いた。
しかし、町自体はそれほど古くからあるものではない。その証拠に、石畳に刻まれた馬車の車輪の跡が、それほど深く刻まれていない。比較的新しい建物も多かった。
広場を離れ、宿屋や商店を通り過ぎて南へ向かうと、再び庶民の住宅街となる。南東部と同様、南西部も、町に暮らす庶民の町だった。
南西部の平屋が所狭しと建ち並ぶ中に、小さな庭付きの家があった。庭のある家はめったにない。珍しく庭のあるその家に、キュリアスはいた。
キュリアスは明け方まで家主と酒を飲み交わした。キュリアスのいる部屋は質素だが、清潔に保たれた、居心地のいい部屋だった。部屋を暖める暖炉の熱と明かりが、気持ちを落ち着かせてくれる。
薪のはぜる音に和まされる。母親が子供を抱きしめ、あやすように、暖炉が熱で部屋全体を包み込み、はぜる音であやした。それとも、これはキュリアスの妄想なのだろうか。キュリアスには母親の記憶がない。そうあって欲しいという願望なのかもしれなかった。
微睡んでいるキュリアスを、暖炉は優しく見守っていた。
家主、ザック・ケイソンは酒飲みだった。初めこそは小さな身体を震わせ、キュリアスの様子を恐る恐る眺めていたが、数杯酒を飲み干すと、気持ちが解れ、キュリアスと打ち解けて飲み明かした。
「いやー先ほどは本当に命拾いしました」
ザックは酒を飲み干し、新たにつぎ足すと、キュリアスに酌をした。
「いいってことよ」
なんてことないとキュリアスは答えた。
「そりゃ、仕事柄、からまれることもあるので、用心のために冒険者を雇っていましたよ」
ザックはお構いなしに語った。
「あたしはね、しがない下町の金貸しでさぁ」
「てことは、借りたやつが逆恨みして襲ってくることも?」
「ないとは言えませんなぁ。できるだけ穏便に済ませてきたつもりですが、ねぇ」
「借りたまま逃げようとするやつもいそうだ」
「そうなんです。ですから、甘い顔ばかりもしていられませんので」
ザックは酒で喉を潤した。ザックは酒に強い性質のようで、いくら飲んでも顔色は変わらなかった。
「相手はその気がないのでしょうけど、中には刃物を出して抵抗するのもいますので、用心のために冒険者をね」
その用心の冒険者が、暗い路地で亡くなったのだ。
「冒険者に冥福を」
キュリアスはそう言って盃を掲げると、飲み干した。空になった盃に、ザックが酒を注ぎこんだ。
「こんなことは初めてですよ」
「だろうな。相手は素人ではない」
キュリアスの言葉に、ザックは少し間を開けて、驚いた表情を浮かべた。
「素人ではない?」
「倒れていた冒険者は、胸を斬り裂かれていた。曲がりなりにも戦い慣れた冒険者が、ど素人に前から斬られるとは思えん」
暗闇でほとんど何も見えなかったにもかかわらず、キュリアスは死者の状況を把握できていた。
「そうなのですか?」
「駆け出しの冒険者でも、素人よりはましだろうさ」
キュリアスは明るい声でそう言うと、盃を口に当てた。自分で言いながら、おかしなことが含まれていることに気付いて付け足した。
「金を借りるようなやつが、玄人を雇うとは思えんな。雇える金があるのなら、返せばいい。裏稼業の賃はばか高いからな」
「そんなものですか?」
「ああ。しまったな。相手がのびているうちに捕らえておくべきだった」
「え?倒してくださったのでは…」
「のしただけだ。今頃どこかに逃げ込んで次の機会をうかがっているかもしれない」
ザックの顔色が青ざめていた。震える手で盃を口に当て、中身を一気に流し込んだ。
「するってぇと、あたしはまた、襲われると?」
「身に覚えはないか?人を雇ってまであんたを殺そうとするやつ」
「そんなのいるわけがないですよ!あたしは金貸しなんてヤクザな仕事してますけどね、取り立てで相手を傷つけたことはありません」
「心は傷ついたかもしれないぜ」
「それは!…それは否定できませんが…」
「とはいえ、金を借りるようなやつが雇える相手とも思えんな。他に心当たりは?」
キュリアスの問いに、ザックは首を左右に振った。
ザックは空になった盃をテーブルに置くと、意を決するように表情を固めた。
「あの、キュリアス様も、冒険者とお見受けしました」
「ああ」
キュリアスは短く答えて盃を空けた。
「本当は仲介所を通すべきなのでしょうが、どうか、このままあたしの護衛を引き受けていただけませんか」
ザックは真剣だった。キュリアスの酔いが回った頭でも、ザックの思いつめた感情に気付けた。そして命の恩人に対する信頼というものも、そこに漂っていた。
「あなたほどの腕の持ち主に、分不相応な依頼かもしれませんが…」
キュリアスが黙っているので、ザックは言い訳をするように続けた。その言葉を、キュリアスは途中で、手を振って制した。
「俺の字名はエッジという。それでもいいのかい?」
ザックの表情が変わった。ザックもエッジの噂を知っていた証拠だ。二の句が告げなくなっていた。知っているのならば、当然の反応だった。キュリアスは意に介さず、自分で盃を満たすと、ゆっくりと飲んだ。
「それでも」
ザックは重くなった唇を、ようやく動かした。
「それでもかまいません。あなた様を見込んでお願いします」
一度覚悟を決めれば、腹が座るらしい。ザックの青ざめていた顔に、赤みが戻っていた。
荒くれ者の冒険者でもキュリアスと同行することに気後れするというのに、一介の小柄な金貸しが覚悟を決めた。赤みを帯びたザックの額に刻まれたしわが、キュリアスを妙に引き付けた。ザックの真剣な目が、彼の、今まで穏便に仕事をしてきたという言葉を裏付けるように、優しく、それでいて、力強い光を帯びていた。
ザックの気迫が、キュリアスの胸に心地よく響いていた。キュリアスに迷う気持ちなどなかった。
「分った。引き受けよう」
キュリアスは盃を空けて答えた。ザックが安どの吐息を漏らし、キュリアスと自分の盃に酒を注いだ。
「それで、襲ってきたやつはどんな奴だ?見覚えは?」
「見覚えはありません。ただ、全身青尽くめの剣士でした」
「青尽くめ?」
キュリアスは素っ頓狂な声を発した。状況から察するに、ザックは暗殺者に襲われたはずである。暗殺者が目立っては本末転倒だ。それにもかかわらず、青一色という特徴のある格好だというのだ。
闇の中で、キュリアスには相手の衣服の色など分からなかった。剣士であることは気配で分かっていた。それも人を殺めることが専門の男だと見抜いていた。
しかし、である。キュリアスからしてみれば、その暗殺者は、
「頭がおかしい」
としか思えなかった。暗殺者が目立つ服装である意味が分からない。それとも、暗闇に紛れてしまえば、色など分からないとの考えだったのだろうか。さすがにキュリアスには理解できない考えだった。
その青尽くめの剣士の力量は、自分の足元にも及ばない。キュリアスはそう断じていた。僅かな対峙だったが、キュリアスには十分だった。あの程度の腕なら、いつ襲われても問題ない。腕前で言えば、二流の暗殺者だ。
酒にありつけて、楽な護衛任務となれば、気楽にやれる。キュリアスは仕事の間、酒を断つ必要もないだろうと考えて、器の中で揺れる液体を、口に運んだ。
翌朝、キュリアスは微睡みの中で、酔いつぶれていたはずのザックが出かけていく気配を察知していた。
時折、ザックの娘、マリアが暖炉に薪をくべ、音を立てないように、部屋を片付けていることにも気付いていたが、微睡みから覚める必要もないので、暖炉の熱に包まれながら、心地いいひと時を過ごしていた。
マリアはまめに立ち働く娘のようだ。部屋が奇麗なのも、彼女がこまめに掃除をするからなのだ。
酒の肴に、ザックは娘のことも語った。十七歳になる自慢の娘らしい。変な虫がつかないかと気を揉んでいる様子は、ザックも人の親なのだと、微笑ましく思えた。
キュリアスに父親の記憶もない。父親がいたら、ザックのようにキュリアスのことに気を揉むのかもしれない。
いや、気を揉んだか。キュリアスは微睡みの中で自嘲した。キュリアスの育ての親であるサム・ガゼルの顔が浮かんでいた。
両親の記憶がないことを、キュリアスも子供のころは悲しんだ。人の親を見て、妬んだこともあった。だが、今は何とも思わない。父親代わりのサムと出会い、兄のような存在のマルス・ジャストゥースもいる。だから、周りを妬む必要などなかった。
あれはキュリアスがまだ八歳のころだ。町の隅に隠れ、隙を窺って食べ物を盗んで暮らしていた。ある日、その盗みの現場をマルスに押さえられた。
盗みを働く浮浪児は、捕まれば処分されると噂されていた。キュリアスは必死で逃げようとしたものの、九つも年上のマルスとは体格が違い過ぎ、逃げきることはできなかった。
そのマルスがキュリアスを連れて行った先が、サムの家だった。
「その坊主はどうした?」
サムは真っ黒に汚れたキュリアスを見つめて、マルスに問うた。マルスは捕らえていたキュリアスから手を放して説明した。
「こいつ、町で盗みを働いていた浮浪児です」
「ほう」
「それがなかなかにすばしっこい奴で」
キュリアスはお腹が空いたから食べ物を得ようとしていた。それをマルスに妨害されたので、今は腹と背中がくっつきそうだった。見上げると、テーブルにパンが載っている。キュリアスは二人の大人の視線が外れた瞬間にテーブルへ駆け寄って手を伸ばした。
サムが無造作にキュリアスの手を掴んだ。
「今のは偶然か?こんな年端もいかない子供に虚をつかれるとは…」
サムは驚いたと言わんばかりに呟いた。
「でしょ。こっちの動きが分かるのか、逃げるのもうまかったですよ」
「坊主。名前は?」
「駄目です。こいつ、全く声を出さないんです。しゃべれないのかも」
「ふむ。…坊主。これが欲しいか?」
サムはテーブルの上のパンを一つ手に取った。
キュリアスは微動だにしなかった。返事もしない。サムとマルスが呆れて顔を見合わせた瞬間を狙って、テーブルに残っているパンを掴んだ。が、掴んだと思った手は、またもやサムに捕まって届いていなかった。
サムはその手にパンを押し付けた。
「食え。今日からお前はうちの子だ。好きなだけ食べ、好きなだけ寝て、好きなだけ学ぶといい」
サムはどういう訳か、無口の汚れた浮浪児を気に入った様子で、家に迎え入れた。言葉通り、キュリアスが満足するまで食べさせてくれた。腹が満たされると、キュリアスはうつらうつらと眠った。
それからしばらく、奇妙な同居生活が続いた。その間、キュリアスは何度かこの家から逃げだそうとしたものの、町に戻ればまた盗まない限り、食事にはありつけない。
それに、度々様子を見に来るマルスと木剣で勝負するのも面白かった。圧倒的にマルスの方が強く、手加減されていることにしばらく気付かなかった。キュリアスは真剣勝負をしているつもりで、いつしかその勝負を楽しんでいたほどだった。
食事にありつけ、温かい寝床もある。そして楽しめることがあるので、いつしか居心地のいい場所に変わり、キュリアスもいついてしまった。
キュリアスが口を聞いたのは、サムの元にいついて半年ほどたってからだった。
「これ、おじさんの子供?」
サムは驚いた顔でキュリアスを見つめた。そして寂しそうな笑みを浮かべると、キュリアスが見つめていた絵を眺めた。そこにはキュリアスくらいの男の子と美しい女性が描かれていた。
「そうだ。二人とも病気で亡くしてしまった」
サムはそう言って、キュリアスをそっと抱きしめた。浮浪児のキュリアスであれば、抱きしめられることを嫌った。捕まると思うからだ。しかし、半年の時間を経て、キュリアスはサムを受け入れていたらしい。温かい抱擁に、キュリアスはなぜか嬉しくなった。
口を利くようになると、サムはキュリアスに色々教えるようになった。世間の一般常識や価値観、サバイバル技術、剣術に至るまで。サムは自分の知識の全てを教え込もうとした。
サムと一緒に鍛錬のため、山岳地帯を駆けまわったものだ。キュリアスは懐かしく思う一方で、寂しさと悔しさもこみあげてくる。
サムは子供に優しく、教えることに喜びを得ていた。人を傷付けたくないと考える人物だった。にもかかわらず、彼が属したのは軍隊だった。それも、闇で暗躍するような任務がある部隊に所属していた。
当然、人を傷つける任務がある。傷つけるどころか、亡き者にするのだ。サムの意にそぐわないことこの上ない。
それでもサムは苦悩しつつも、任務をこなしていた。精神的に病むまでは。追い詰められていくサムを目の当たりにしても、キュリアスには何もできなかった。
そして、サムは姿を消した。
サムが行方をくらませてから十年の歳月が流れた。狂気に陥ったサムが、人殺しを生業にしているとの噂を、キュリアスは何度も聞いた。だが、確認は取れなかった。ただの噂だけが伝わってくる。
サムは今どこにいるのだろうか。キュリアスは微睡みながら、父親であり、師である男の行方に想いを馳せた。
もしもサムが噂通りに汚い仕事をしているのならば、
「俺が止めてやる」
とキュリアスは秘かに思っている。それが息子の役目だと心得ていた。
暖炉の薪がはぜた。
キュリアスの意識が急速に、現実へと引き戻された。傍の剣に手を伸ばし、掴んだ。だが、目は閉じたままだ。
キュリアスは息を吐き出すように、緊張を解いて、剣から手を放した。感じ取った気配は、ザックのようだ。
「帰ったよ」
キュリアスの感覚が間違っていなかったことを示すように、ザックの声が聞こえた。
「お帰りなさい」
マリアの明るい声が迎えた。
「キュリアスさんは?」
「まだ部屋で寝ています」
「そうか」
そう答えて、ザックが部屋の扉を開けた。中の様子を覗き見ていることが、目を閉じているキュリアスにも分かった。
開けられた扉から、食欲をそそる匂いが漂ってきた。
「そろそろ飯か?いい匂いがする」
キュリアスが急に言うものだから、ザックは少し飛び跳ねていた。
「起きていらしたんですね。そろそろお昼ですよ」
マリアがザックの横から扉を広げて声をかけてきた。
キュリアスは片目を開けた。ザック同様小柄な少女が微笑んでいた。大人びた表情がなければ、十七歳とはとても思えない。背格好だけでは十代前半にも見えた。キュリアスと七つしか違わないとは、にわかに信じがたい。
「腹の虫が騒がしいんだ。俺にも食わせてくれ」
キュリアスがそう答えると、マリアはクスクスと笑って、支度をしますと言った。
「キュリアスさん」
ザックが部屋に入り、キュリアスの向かい側に腰を下ろした。
「仲介所に一言知らせてきました」
ザックの言う仲介所とは、俗に冒険者の宿と呼ばれていた。一階は酒場で、二階は宿になっている。その一階に、依頼を書いた紙を張り出して、冒険者への仕事の斡旋を行っていた。国からの認可制で、斡旋のできる店は町ごとに一軒しかない。
セインプレイスの冒険者の宿は、店主が面倒くさがりなのか、店の名前自体も、冒険者の宿としていた。
「どうせみんなが冒険者の宿と呼ぶじゃねぇか。なら、初めからその名前にしちまえってね」
宿主の、大柄な男はそう言ったものだ。
冒険者の宿は街道からもう一本東に入った道にある。キュリアスももちろん、そこを定宿として活動していた。
「あそこへ行ってきたのかい」
「ええ。近くへの用事もありましたので」
「護衛を連れなくてよかったのか」
「今日の用事は取り立てではなかったので問題ないですよ」
冒険者の宿も、午前中であれば、むさ苦しい冒険者も少ない。一般の人も怖がらずに入ることができる。
「あー、宿へ行くなら、俺も行くべきだったな」
キュリアスが借りている部屋を空けなければ、宿泊料をいつまでも取られることになる。宿に金を預けてあるので、荷物を捨てられるようなことはないが、使わない部屋代を取られるのは癪だ。
「用事がありましたか。でしたら、食後に立ち寄りましょう。あたしも午後から取り立てが二件あって、出かけますので」
「そうしてもらえると助かる」
マリアが運んできた食事は簡素なものだった。ジャガイモがメインの野菜の煮物に、食欲をそそるコーンスープが添えられていた。
「近頃小麦が高騰しすぎて、パンが手に入らないの」
マリアはそう言って、キュリアスに詫びた。確かにパンがあれば、スープに浸して食べられる。しかし、無ければ無いでよかった。とはいえ、サムとの出会いを思い出したことで、あの美味しかったパンの記憶が舌の上によみがえっている。
「気にしなくていいさ。おお、うまい」
キュリアスはジャガイモを口に運んだ。別の味で舌をごまかせばいいと、軽く食べたのだが、思った以上にうまかった。しっかりと味がしみこんでいて、それでいて素材の味も生きている。これだけでも食事が進みそうなほどだ。
スープも、身体に染み込むように、胃の中へ広がった。
「お口にあってよかった」
マリアはそう言ってほほ笑むと、父親の隣に腰かけて、自分も食事にかかった。
「しかし、小麦の高騰はどうにかなりませんかねぇ」
ザックが食事中の話題として、先ほど出た小麦の話題を振った。
春先に予期せぬ大雨が降り、南部の川が氾濫した。氾濫した水が畑を襲い、長雨が小麦の成長を阻害した。結果、収穫前の小麦の多くが被害を被った。
事態を重く見た国は貿易によって小麦を手に入れようとしているのだが、夏を超え、冬に差し掛かっても一向に入ってくる気配がなかった。
「メルカトゥーラは足元見ているのでしょうね」
ザックが東方の貿易が盛んな国の名を上げた。
「あそこからは輸送経路にも問題あるからな」
キュリアスはそう答えながら、その問題に取り組もうとしている女性に想いを馳せた。
その女性はマリアより一つ年上で、シャイラベル・ハートと言う。セインプレイスの城に住む姫だ。第二王女という半端な地位のためか、自由奔放に活動している。積極的に外に出ては国の発展のためにと、ことあるごとに首を突っ込んでいた。
夏には南部の治水工事にも口をはさんでいた。そのかいあってか、氾濫場所の補強も無事に終わった。だが、それが役に立って収穫できるようになるのは次の春以降の話だ。
第二王女は以前から、メルカトゥーラとの貿易路を新設すべきだと訴えているが、こちらは進展がなかった。間に立ちはだかる険しい山脈が相手では、手の打ちようがないのだ。
「姫様もさすがに、対処のしようがありませんね」
マリアもその辺りの事情は知っていた。第二王女は庶民に人気があり、彼女の動向は恰好の噂話になっていた。
キュリアスは姫の話題を避け、別の小麦のありかを言った。
「南のアグリクルツからも入ってこないのは、疑問だな」
「そうなんですよ。農業大国とも言われるのだから、無いはずはないのです。しかも国王様の弟君が治めているのでしょ」
親類の国が困っているのだから、手助けするのが当たり前だと、ザックは憤った。
「もしかしたら、本当は輸入されていて、誰かが溜め込んでいたりして」
マリアが軽く言った。
「ハンデル辺りに大量に余ってたりしてな」
キュリアスもマリアの軽口に乗った。
「そんなことがあったら、貿易商なんて金輪際、信用しません」
ザックが吐き捨てるように言った。
「貿易商に付き合いでもあるのか?」
「幸い、貿易商はいません」
「お父さんたら、貿易商が嫌いなんですよ」
マリアがそう言って笑った。
「なんでまた?」
「ふらふら旅をして、人の物を横流しして儲けている輩ですよ。図々しいにもほどがあります」
「こう言ってますけどね。昔の友人が貿易商を始めて、新市街地に豪邸建て、お父さんが相手にもされなくなったから、腹を立てているだけなんです」
ザックは噛み付くように荒々しくジャガイモをやっつけ、さあ、仕事に行きますよと言って話題から逃げた。
マリアがキュリアスを見つめ、ほらと言いたげな表情で、微笑んだ。
キュリアスは残ったスープを飲み干すと、うまかったと言い置いて、ザックを追いかけた。
3
ザックは町の中を北東方向へ進んだ。その後ろを、剣を背負ったキュリアスが続く。
冷たい風が吹き抜けると、ザックは小さい身体をさらに縮めて、服の前を抱き合わせるようにしていた。キュリアスは黒い上下の服で、平然と歩いている。
北の空に輝く太陽の熱は、冷たい風に奪われ、光だけが届いていた。
「寒くないんですか?」
ザックが恨めしげに言った。
「これくらいは平気だ」
キュリアスの服は薄手に見えて、実は防寒性に優れていた。それに、育った山岳地帯はここよりもはるかに寒い地方だった。多少の寒さには慣れていた。
ザックは寒さに閉口したのか、それ以上は口を開かず、道を進んだ。
簡素な住宅街を東に進んで路地に出ると、小さな店が立ち並ぶ路地を北へ向かった。東への路地が現れると、右に曲がってその路地へ入った。
東西に進むこの路地も、小さな商店が立ち並び、近所の人々が出入りしていた。中にはザックを見知った人もおり、挨拶をかわして進んだ。
金貸しという職業柄、嫌悪の目で見られているのかと思えば、そうではないらしい。どちらかと言えば、人々は好意的に接していた。キュリアスはその様子を後ろから眺め、ザックの仕事柄についての先入観を訂正していた。
中央広場へ向かう通りを横切り、さらに東へ向かった。次の大通りは南北に走る街道だ。多くの人と馬車が行き交う。
ザックは街道に出ると、北に向かった。
客を呼び込む声が途絶えた。人々が沿道に寄り、南を見つめている。ザックも振り向いた。キュリアスはザックの隣まで行き、振り向いた。
南から二頭引きの白い馬車が北上していた。人々はその馬車に向かって笑顔で手を振っている。
「第二王女様の馬車ですね」
ザックも顔をほころばせ、馬車が迫ってくるのを眺めた。
御者の隣に座った白銀の鎧の女騎士が、キュリアスを見つけて睨みつけていた。キュリアスが肩をすくめてみせると、女騎士は顔を正面に戻した。しかし、眼はキュリアスの動向を探っている様子だ。
警戒される原因に、心当たりが多数ある。キュリアスは苦笑すると、頭を掻いた。
白い馬車の窓の中に、淡いオレンジ色の髪の少女がいた。少女は沿道の人々に応え、にこやかに手を振っている。キュリアスと眼が合うと、手を振って通り過ぎた。
気付くと、ザックも沿道の人々と同様に、手を振って白い馬車を見送っていた。
キュリアスは白い馬車を見送りながら、タイミングを計って道へ飛びだした。後ろから迫っていた馬が、キュリアスに驚いて後ろ足で立ち上がった。その背に乗っていた男が落馬する。
キュリアスは素早く、棒立ちになっていななく馬を回り込んで、落ちた男のみぞおちに拳を打ち込んだ。
「な、何やっているんですか!」
馬のいななきに、人々が振り向いて、キュリアスの行動を見ていた。ザックもその一人である。
キュリアスは返事をせず、辺りを見渡すと、近づいてくる鎧姿の兵士三人に向かって手を上げた。町の守備隊だ。
「そこのクロスボウ、特に矢尻には触るな」
キュリアスは守備隊の兵士にそう声をかけた。倒れた男の右手の傍に、クロスボウが転がっていた。
「姫を狙った賊だ」
キュリアスがそう言うと、守備隊は倒れた男を捉え、クロスボウを確保した。普段ならば、守備隊は冒険者であるキュリアスの方を捕らえようとする。しかし、白い馬車が遠ざかるのを見て、男のクロスボウを確認すると、状況を察したようで、キュリアスの行動は不問とされた。
キュリアスはいななき暴れる馬に触れた。
「驚かせてすまなかった」
そう言って身体をなでてやると、馬はいななくのを止め、足を踏み鳴らして大人しくなった。馬がそっとキュリアスを見つめる。
「よしよし」
キュリアスが馬を優しくなでると、馬は答えるように、鼻先をキュリアスに押し付けた。その顔を撫でてやる。
「さあ、いこうか」
キュリアスは馬から離れると、呆気にとられているザックに声をかけ、歩き出した。ザックが慌てて追いかけてくる。
しばらく歩くとザックも緊張が解け、先ほどのことを理解したのか、思い返すように言った。
「あれは、姫様を狙った暗殺者だったので?」
「そうだ。刺客だ。おそらくあのクロスボウには毒が塗ってあったはずだ」
「よく気が付かれましたね」
「まあ、それが俺たる所以だからな」
「あんなことはよくあるのですか?」
「外に出たがる姫だからな。狙われる機会も多いだろう」
「姫様がいなくなっては困ります」
「庶民の味方、だものな」
「ええ、そうです。姫様を助けてくださってありがとうございます」
「別に礼を言われることではないさ。それに、これで姫に貸しができた。そのうちに役立つこともある」
「第二王女様と面識でも?」
ザックの問いに、キュリアスは答えなかった。ザックも街道を横切るため、左右の往来に気を取られ、それほど意識していていない様子だった。
街道を渡ると、もう一本東側の路地へ入った。そしてさらに北上すると、道の脇に冒険者の宿と書かれた店が現れた。
キュリアスは宿の店主に、荷物を預かってもらう話をつけ、借りていた部屋を空けた。
宿を出る間際に、大柄な店主が後ろから声をかけた。
「この前の新人たち、見かけたか?」
「新人?」
「駆け出しが四人集まって、東のゴブリン退治に向かっただろ」
「ああ、あれか。いや、見てない」
「もう一週間だ」
店主が沈んだ声で言った。
「すぐそこの山だろ?かかり過ぎだと思わんか?」
駆け出しの冒険者が、初めての仕事で命を落とすことはよくある。彼らを見送った立場の店主からすると、いたたまれないのだろう。
「とっとと逃げ帰って、どこかに隠れてるんじゃないのか」
キュリアスは努めて軽く言うと、見かけたら知らせると告げて店を後にした。
「頼んだ」
店主は見かけの割に気の小さい男だ。キュリアスは苦笑した。それだけ親身になってくれる店主だからこそ、冒険者たちに慕われていた。キュリアスも例外ではない。
キュリアスがザックに頷くと、ザックは路地を南に戻り、東へ向かった。その通りは工房が多く並ぶ。なめし革を使った加工場もあるが、臭いの問題や作業スペースの必要ななめし作業は町を出て東側の川沿いで行われていた。
工房の集まる職人街に入ると、独特な匂いとノミや槌の音が絶えず鳴り響く。革製品だけではなく、木材を扱う工房や鍛冶屋もある。衣服の縫製工場や生活雑貨を作って売る店、陶器を焼き、販売している店もあった。
職人街にキュリアスがひいきにしている鍛冶屋があった。老練の職人が、鉱石を溶かして銑鉄を作り、それを打って剣を作る。鋳鉄よりは上質な剣が出来上がるので、キュリアスはこの剣を好んでいた。
ただ、鋳鉄よりは丈夫だというだけで、乱暴な扱いをすれば、簡単に折れる。キュリアスが再三剣を折って買い替えに来るので、鍛冶屋の老人はキュリアスを嫌っていた。
もう一軒、キュリアスがひいきにしている工房がある。革製品の加工工房で、手袋やベルトなど、身の回りの革製品はそこで誂えていた。
ザックは装飾品を扱う工房の一つに入った。中では特に護衛の必要はないというので、キュリアスは外で待った。
日が西の空に沈み始めていた。風が日中より冷えている。気温の低下が、街路の人々を家路へと急がせた。行き交う人の数が次第に減り、町が静かになっていく。すると、通りかかった人の話し声が聞くとはなしに聞き取れた。
「新市街で壁が壊れたって」
「あ、聞いた聞いた。またバンシーでしょ」
「そうそう。派手な服を着た人が吹き飛ばされたんだって」
キュリアスの目の前を通り過ぎていく若い女性二人組の言葉に、興味を引かれた。バンシーとは、マデリシア・ソングのことに間違いない。マデリシアなら、人を吹き飛ばし、壁も破壊できる。
「またあいつは破壊行為を…」
キュリアスが口の中で嘆いていると、ザックが早々と出てきた。取り立てはいたって簡単に終わった様子だ。
「次は新市街の方へ行きます。あたしの担当外なんですけどね」
ザックはそう言って先に立って歩き始めた。キュリアスが横に並ぶと、話を続けた。
「あたしが若いころに世話になった人から頼まれまして」
「貴族にでも貸したのか?」
「そうなんです」
ザックは険しい表情を浮かべて歩いた。
「貴族は金を払わない種族だからな」
キュリアスは、貴族の依頼で仕事をした時、いちゃもんをつけられ、報酬を渋られた経験があった。その貴族はキュリアスとマデリシアの脅しに負けて、報酬は払ったものの、腹いせに、脅迫者としてキュリアスたちを投獄させたことがあった。
「まったくで」
ザックの表情には、それ以外にも思い悩む種があるように見受けられたが、言葉はそこで途切れた。仕事上のことだ。立ち入る問題でもないので、キュリアスも黙って横を歩いた。
東西の中央線を越えて北上すると、二階建ての建物が増えた。高級感のある商店が並び、隣の路地には高い酒を飲ませる店もある。マデリシアは昨夜、その辺りに出かけたのではないかと、キュリアスは予測していた。
北上を続けると、人がたむろしている通路があった。人垣の向こう側に垣間見えた状況から、いくつかの家の塀が粉々になっていることが分かった。人々は崩れた塀の様子を眺め、噂話に興じているようだ。
マデリシアの仕業だなと、キュリアスは苦笑した。しかし、酒場から冒険者の宿へ向かうのならば、ここは逆方向だ。マデリシアは酒に酔い、道を間違えたのだろう。
ザックは人だかりの中を抜けようとはせず、隣の路地を通って北へ抜けた。
「先ほどの…」
ザックが言いかけたところを、キュリアスは先を読んで、バンシーの仕業だと答えた。
「やはり…」
ザックは関わらないことに越したことはないと考えているのだろう。彼はふとキュリアスを見上げ、眼を泳がせた。
「気にするな。エッジとバンシーがセットで噂されるのは知っているさ。事実、つるんでやってるからな」
ザックは愛想笑いでごまかすと、一軒の貴族屋敷の門をくぐった。馬車が出入りできるように、門は広めに作られており、建物の前に円形の道が続いていた。
広そうな二階建てに、庭園がついていた。いかにも貴族と言った屋敷だが、貴族の中では小ぶりな屋敷だった。
ザックが扉をノッカーで小気味よく叩くと、しばらくして使用人が顔を出した。使用人がザックの用件を聞き、奥に引き返す。
貴族の訪問はいつも、待たされることから始まる。いっそのこと、庭からどこかの部屋の窓に飛び込んだ方が早そうだ。キュリアスはそう考えて、庭園から見える窓を眺めていた。
セインプレイスは緑の少ない町だが、町の北側に来ると、庭のある館が多く、そこかしこに葉を散らした木々や、常緑樹の緑が目に飛び込む。この屋敷の庭にも立木が見えるが、茶色が目立った。どこか殺風景な印象を受けた。
よく見ると、枯れた草花らしきものも見えた。手入れが行き届いていないらしい。
裸木の向こうに館の窓が見える。庶民の家と違い、窓にガラスが入っており、部屋の明かりが漏れていた。ガラスの向こうでカーテンが動いた。誰かが窓からこっそりと覗いていたのだ。
ほどなくして使用人が戻ってくると、ザックを中へ案内した。キュリアスは外に取り残された。
辺りは同じ規模の貴族屋敷が建ち並ぶ。日暮れともなると、人の出入りもなくなり、閑散とした町に変わっていた。
ただ、ひと気が全くないかというと、そうでもない。屋敷の中には当然、複数のひと気がある。どこかで馬のいななきも聞こえた。通りを隔てたところから馬車の進む音も聞こえた。
路地は早くも闇に取り込まれ始めていた。空の色が深みを増している。闇が勢力を伸ばし、太陽の光を打ち消していた。暗くなるにつれ、路地の人の気配は減っていった。
路地を抜ける風に冷気が乗っている。このまま冷えるのであれば、今夜は雪でも舞うかもしれない。
キュリアスは空を見上げた。
北に雲はない。太陽は北西に移動して、さらに弱々しかった。まもなく尾根に姿を消すだろう。
鳥たちが集団で寝床となる森を目指して移動していた。
雪雲らしいものは見当たらない。
西の空が赤く染まっている。南西の雲がその光を遮り、黒く闇を生み出していた。
「山の天気は急激に変わる。兆候を見逃すな」
不意に、サム・ガゼルの言葉が脳裏をよぎった。キュリアスの師匠であり、父親代わりの彼から、サバイバルに関する情報や技術を教わったものだ。
セインプレイスは天候の変わりやすい山腹ではない。が、南西の空に雲があり、迫りつつあるように見えた。
風は南から吹いている。
セインプレイスはあまり雪の降らない地方だが、連日の冷え込みと、それを裏付けるような南西の雲から見て、雪が運ばれてくると予想できた。
どうせ運ばれてくるのなら、明日の朝には雪が積もっていればいいのにと、キュリアスは子供じみた期待を寄せていた。
路地が薄い膜を多重に重ね合わせていくように、暗く沈んでいった。西の空もすでに暗く沈んでいる。
ザックが中に入ってから、すでに一時間と少し経っている。
じっと立つキュリアスが不審に映ったのか、鎧姿の兵士が三人、キュリアスを観察していた。全身鎧に身を包み、フェースガードのついていない兜をかぶっている兵士は、守備隊のものだ。町の巡回なのだろう。守備隊からすれば、騒動を起こしがちな冒険者は目障りな存在だ。それも貴族屋敷の前に立つとなれば、小さな騒動でも大問題に発展しかねない。守備隊としても、目が離せない状況になっていた。
あるいは冒険者が問題を起こすのを待っているのかもしれない。面倒の種である冒険者を捕まえたくて仕方ないのだ。守備隊としての務めも果たせるので、自分たちの成績のために、キュリアスを狙い定めているのかもしれなかった。
「やれやれ」
キュリアスは声に出してぼやくと、頭を掻いた。その手の甲に冷たいものが触れる。
見上げると、白いものが南から運ばれて、舞い降りていた。
後ろの屋敷で気配の変化があった。
玄関が開き、ザックと使用人が出てくる。ザックは不機嫌な表情で、大股に玄関を出た。キュリアスはザックと一緒になり、門をくぐった。
「おや、雪ですか。どおりで寒いわけですね」
ザックの表情が和らいだ。
「さあ、早く帰りましょう」
ザックが言い終わるよりも先に、後ろで門が閉まった。歓迎されない客なので、見送りもぞんざいに扱われていた。それが主の指示と言わんばかりに、使用人は背筋を伸ばし、玄関の中へ消えていった。
キュリアスは窓からそっと覗き見る人の気配を察知していたが、気にせず、ザックの後に続いた。
4
マデリシア・ソングが目覚めた時、外は薄暗く、部屋の中は赤く染まっていた。まだ朝かと一瞬思ったが、どうやら違うらしいとすぐに理解した。
下が騒々しい。朝から騒ぐようなことはめったにない。夕方だと考える方が順当だった。裏付けるように、瞬く間に暗くなっていく。
ベッドと小さなテーブルがあるだけの小さな部屋だ。贅沢にガラスのはまった窓が一つある。貴族屋敷のような透き通ったガラスではなく、妙に外の景色が屈折して見える、分厚いガラスだった。それでも明り取りには十分で、狭い部屋も心なしか広く見えた。
マデリシアは起き上がると置き水で顔を洗った。続いて机に投げてあった櫛で若草色の髪をとかす。世間では珍しい髪色で、マデリシアは秘かに自慢に思っている髪である。
キュリアスは黒髪で、世間でもわりと見かける色だ。茶色系統も多い。輝く金髪から、赤茶けた色まで様々だ。王族の赤い髪も、この茶系の派生なのだろう。
まれなものに、銀髪がある。灰色がかったもの、やや青みがかったものあるが、この銀髪系は忌み嫌われる傾向にあった。悪魔の印だという迷信めいたものが根強く広まっているためでもある。先天的に銀髪を持って生まれた人々は迷信や周りの人々の眼を恐れ、魔法の薬で髪を染めていた。
マデリシアの髪の色は珍しすぎて、それ魔法で染めてるの、とよく聞かれる。元は何色とも、興味本位に尋ねられるのだ。
「地毛ですが何か?」
そういう時、マデリシアは堂々と答えてみせた。それでも疑う相手には、解除魔法をかけさせて、色が変わらないところを見せつけてやることもあった。
手鏡で仕上がりを確認すると、手早く化粧を施して部屋を後にした。
そこは冒険者の宿の二階で、廊下を挟んで狭い部屋が並んでいた。廊下の先に階段があり、下に通じている。階段は途中で折れ曲がり、左前方に酒場の喧騒が広がっていた。
階段の手すりから身を乗り出せば、左手にカウンターが見える。さらにその先に、店の出入り口がある。階段途中からでは、その足元あたりしか見ることはできない。
酒場ではその日の仕事を終えた冒険者たちが酒を片手に騒いでいた。屈強な男たち、その男たちに負けず劣らずの女たち。線が細く、冒険者が勤まるのかと疑われそうな人々もいた。
一つのテーブルに人がたむろしていた。マデリシアは興味を引かれ、階段を下り切ると真っ直ぐにそのテーブルを目指した。
マデリシアは人々の合間を縫って器用に進んだ。テーブルにたどり着くと、どういう訳か、マデリシアの手に木製のコップがある。
「あれ?俺のエールは?」
「知らねーよ。てめぇ飲み干したんじゃねぇのか?」
後ろで声が上がり、周りが笑っていた。
マデリシアはコップの中身を一口飲むと、テーブルを覗き込んだ。テーブルの上に木製のカードが数枚あった。冒険者の誰かが作ったお手製のようだ。
カードには、色々な絵と文字が書き込まれていた。青一色に描かれた人物。その人物の足元に、青い稲妻という文字があった。別のカードには派手な色合いの服装のたくましい男が描かれている。カラーの文字が添えられていた。
絵はなく、エッジと書かれただけのカードがあった。同じく、ソード隊と書かれただけのものもある。
「何これ?なんでエッジの名前があるの?」
マデリシアは疑問を口にした。周りが騒然としているにもかかわらず、マデリシアの声は良く通った。
「こりゃあんたの旦那じゃねぇよ。三、四年前まで暗躍していた暗殺者のあだ名さ」
テーブルにいた一人が大声で答えた。
「あら~旦那だなんて」
マデリシアは頬を染めて答えた。が、そこに突っ込みを入れる冒険者はいなかった。マデリシアは気を取り直して、続きを促した。
「それで?いったい何なの?」
「こいつらはみんな暗殺者って話でね。ついでだからみんなの知ってる暗殺者を上げて、ランク付けしてやろうってのさ」
「俺が書いたんだぜ!うまいだろ!」
「またヒマなことで」
「あんたに言われたかないわ!」
テーブルの一同が一斉に言った。それもそのはずだ。マデリシアはここ一ヶ月ほど、仕事らしいことをしていない。そのマデリシアにヒマ呼ばわりされるいわれはなかった。
「あたしは吟遊詩人なのよ」
当人はそう言って、たまに歌っている。それが仕事だと言いたいのだが、彼女が歌うと騒動になるので、中断させられることがほとんどである。吟遊詩人としてもまともに仕事はできていなかった。
だからといって、マデリシアは生活費に事欠くわけでもなかった。マデリシアは遺跡を発見し、その権利から派生する収入で生活していた。
同じ発見者のキュリアスは収入を得ながらも、時々仕事をしているらしい。そのことで昨晩は言い争い、荒れた気持ちを酒で紛らわせるため、外に飲みに出たのだった。
遺跡を発見した時、五人でパーティを組んでいた。残りの三人は冒険者を引退し、それぞれの道へ進んだ。内二人は、セインプレイスの北に建設中の宿場町で、宿屋を始めるつもりだ。残りの一人は、奇特にも、どこかへ仕官するらしい。
マデリシアは気ままな冒険者稼業で十分だった。
マデリシアはテーブルの人垣から巧みに抜け出すと、カウンターの席に着いた。
同じように初老の男が抜けだしてくると、マデリシアの隣のカウンターに背を預けた。白く染まった頭髪を手櫛で撫でつけた。
「暗殺者にランク付けとは。冒険者とはつくづく酔狂な連中だ」
「あんたも冒険者でしょうに」
男のぼやきに、マデリシアは容赦なく突っ込んだ。
初老の男はオールド・ヤングの二つ名でよばれる冒険者だ。本名はジャック・クリント・ヤングという。かなりの熟練冒険者で、彼より長く冒険者をやっている人物などいないと目された。
「俺も酔狂だからに決まってるだろ」
ジャックは他人事のように言い放った。
「じゃあ、あれにも興味あるの?」
「無論」
ジャックはしれっと認めた。
「で、誰が一番だと思うね」
「知らないわよ。興味ないわ」
「本当か?いつかは対峙するかもしれないんだ。知っておいて損はないと思うぞ」
「手に負えるなら撃退。負えないならエッジに押し付けるわ」
マデリシアはカウンターの向こうを通りかかった店主を呼び止め、食事を頼んだ。
「そうか?俺はエッジって暗殺者と一戦交えてみたい」
ジャックが呟いた。手にしていた酒をあおる。
「青い稲妻ってのは、全身青尽くめの剣士で、駆け抜けざまに相手を斬り捨てる。カラーは派手な衣装が特徴で、こいつは素手で相手を殺すらしい」
「あら、詳しいのね」
「俺と戦うに値するか、調べたからな」
「お眼鏡にかなったのかしら?」
「いいや。こいつらは所詮、派手なだけの二流だ。だが、エッジは違う。お前さんのエッジではないぞ」
「あら、あたしのエッジだなんて…」
マデリシアが妙なしなを作って微笑んだものの、ジャックは見もしなかった。
「そのエッジだが」
「連れないわね。もうちょっと乗ってきてよ」
もうちょっと惚気させて欲しいものだわと、マデリシアは不満を抱いた。
マデリシアの言葉を無視して、ジャックは話を続けた。
「奴は一流だ」
「どうだか。名を知られる暗殺者が一流だとは思えないわね」
「エッジの場合はエピソードがある。三、四年前のローウッド侯爵とバイロン男爵の暗殺事件を覚えているか?」
「あったようななかったような…」
マデリシアの前に料理が運ばれてきた。ジャックの話を聞きながら、野菜で肉を包んで口に運んだ。
「まず、何者かによってローウッド侯爵が暗殺された。殺されたのは侯爵ただ一人で、家族、使用人の内にただ一人も、ケガも死人も出ていない。誰一人として、暗殺者の姿を目撃していなかった。物音ひとつ聞いていない」
ジャックはそこで話を区切り、酒を注文した。木製のコップが満たされると、それでのどを潤して、話を続けた。
「それから一週間後にバイロン男爵が、何を思ったのか、エッジを雇ってローウッド侯爵を暗殺したと公言した。その言葉が事実かどうかは定かではない。なぜなら、バイロン男爵はその日のうちに死んだからだ。ローウッド侯爵の時と同様、家族、使用人に全く気付かれることなく、バイロン男爵ただ一人が殺されていた」
ジャックの頬が赤く染まっていた。酒に酔っているというよりは、話に酔って熱くなっているのだ。
「同一犯かどうかも分かっていないが、エッジと名指しされた暗殺者が己の秘匿性を守るためにバイロン男爵を暗殺したと考えるのが、妥当だろう」
「ああ、それなら…」
マデリシアは思い当たることがあり、つい口が滑りかけたが、肉の野菜巻を口に突っ込んで言葉ごとかみ砕いた。
「あたしも話を聞いたことがあったわ」
マデリシアは口の中のものを飲み込むと、思い出したとばかりに言いつくろった。
当時、マデリシアも事件に絡んでいる。
ローウッド侯爵がマデリシアの暗殺を、某国の特殊部隊に依頼した。同時に彼は、別の公人の暗殺も依頼した。
バイロン男爵は公人暗殺の情報を入手し、依頼主のローウッド侯爵の暗殺を企てた。偶然にもローウッド侯爵が依頼したのと同じ組織に依頼を持ち込んだ。
キュリアス・エイクードは当時、その特殊部隊に属していた。公人とマデリシアの暗殺に疑問を抱き、結果的に、ローウッド侯爵を殺した。タイミングよく、バイロン男爵の依頼が来ていたので、キュリアスは責任を問われずに済んだのだった。また、キュリアスのために奔走した、彼が兄と慕う人物のおかげでもあった。
バイロン男爵は、ローウッド侯爵の公人暗殺未遂を公言するつもりだったのだろう。だが、エッジの名前を出したことから、特殊部隊はバイロン男爵の口封じを選択し、キュリアスに実行させた。
それが、事件の大まかな概要だった。
あの一件があったからこそ、マデリシアはキュリアスと行動を共にするようになった。いわば、キュリアスは恩人なのだ。その彼の裏事情を暴露するような真似はできない。
「何か思い当たることでもあるのか?」
ジャックが鋭い勘繰りを入れた。マデリシアは探られたくない事情を顔に出さないように気を付けた。咀嚼しながら考えをめぐらし、酒で飲み下した。
「あの頃、あたしやキュリアスが冒険者デビューしたのよ。正確には事件の数ヶ月後かしら?」
マデリシアは事実を言ったので、疑われる余地などない。案の定、ジャックは驚いた表情で言った。
「おや。お前たち、意外と経歴短いな」
「その割には染まってるでしょ」
「どっぷりと」
二人がコップを打ち合わせ、酒をあおった。
騒々しい酒場に、カンテラを持った大男が入ってきた。入り口でカンテラの明かり窓を閉じている。その明かりがあったからこそ、男が入ってきたことに気付けた。
マデリシアは皿に残った最後のかけらを口に放り込み、エールで流し込んだ。その間、入り口の男から眼を離さない。
どこかで見たようにも思うのだが、思い出せなかった。体格的には冒険者として十分に通じるほどに大きい。だが、四十代くらいだろうか。体力的には冒険者に向かないだろう。体格に似合わず、物腰が柔らかそうだ。
頭髪は綺麗に整えられ、口ひげを蓄えている。カンテラと言い、コートと言い、庶民がそろえて町中を歩く格好ではない。新市街の住人だと分かる。商人か、何かしらの商売をしている男だと推察できた。
導き出されたマデリシアの見立ては、仕事の依頼者に違いない、だった。案の定、男は店主に声をかけ、金を渡していた。
店主は依頼内容を聞き、依頼書を作って酒場内の掲示板に張り出す。冒険者は依頼書の中から受けたい仕事を選び、店主の認可を得て、依頼主に会う段取りだ。
店主には仲介料が支払われる。依頼によっては、報酬まで店主に預けていく場合もあった。
冒険者は、探し物から護衛、遺跡探索まで、何でも請け負う。冒険者も人それぞれで、護衛などの傭兵稼業を主にこなす者もいれば、猫探し、浮気調査、素行調査、難事件の解決などの探索を主にする者もいる。畑を荒らすモンスター退治や、商隊や旅行者の護衛はよくある仕事だ。
冒険者として武芸の実績を積み、どこかに仕官する人たちもいた。
遺跡を発見し、そこでの収益を基に引退し、安穏と暮らすことを目指す冒険者も多い。
彼ら冒険者は一歩踏み間違えば、無法者とも呼ばれることがある。依頼内容によっては、悪事に加担することもあり得た。そこで国は冒険者への依頼を管理することで、一定の秩序を保つことにした。
冒険者の宿の店主は、国に代わって仕事内容を確認し、冒険者に斡旋する仕事を担っていた。それ故に、冒険者の店の看板を掲げることができるのは、国に認められた店だけなのだ。
冒険者の店は、宿に限らない。宿であることが圧倒的に多いものの、ある町では道具屋が担っていた。
国は各町の一軒だけに、その認可を与えた。
仕事を依頼したい人物は、必ずこの冒険者の店、冒険者の宿へ依頼することになる。
店主がマデリシアの前で止まった。その後ろに依頼主の男が付き添っている。
マデリシアはエールを飲みながら、親指で自分を指して、あたしにかと眼で問いかけた。
「ご指名だ」
店主はそう言うと、後ろの男に、彼女がマデリシア・ソングだと紹介し、奥へ戻っていった。
「昨夜は危ないところをありがとうございました」
大男は背中を丸めるようにして頭を下げた。
「昨夜?何かあったかしら?」
マデリシアに明確な記憶はなかった。空になった木製コップをカウンターに置き、大男を見上げた。
「あなたの声のおかげで助かりまして。ああ、申し遅れました。私はアーノルド・シュレイダーと申します」
アーノルドが右手を差し出した。だが、マデリシアは値踏みするように大男を眺めたまま、手は出さなかった。
アーノルドは差し出した手をひきつらせ、躊躇するように引っ込めた。腕にかけたコートによじれがあり、それを直し、しわを伸ばした。
アーノルドがおどおどと辺りを見渡し、用件はなかなか口にしなかった。場の雰囲気にのまれ、動転しているのかもしれなかった。
「用件は何?」
マデリシアはぶっきらぼうに先を促した。
「ああ、ええと、その、私はですね。そう、私は金貸し業を営んでおりまして」
アーノルドはしどろもどろに口を開いた。いったん話し始めると、落ち着いたらしく、説明を続けた。
「仕事柄、人から恨まれて襲われることもあります。大抵はこの体格に怯えて何もできないのですが、中には危ないのもいまして。昨夜のようなことはさすがに今までなかったのですけど。ああ、すみません、話が長いですね。用件は、私の護衛をしていただきたいのです」
「護衛?あたしよりも役に立つの、いっぱいいるわよ。紹介しましょうか?」
「いえ、昨夜助けていただいたのも何かの縁だと思いまして」
アーノルドに再三言われても、マデリシアにこの男を助けた記憶はない。
「それに、聞くところによれば、バンシーと呼ばれて恐れられているそうではないですか。それほどのお方に護衛していただければ、安心だと思いまして」
「何それ。あたしが恐れられているから?魔除けみたいなもの?」
マデリシアはアーノルドを睨みつけた。
後ろでクスクス笑う声が聞こえる。ジャックが立ち聞きして、面白がっているのだ。マデリシアは後ろに向かってかかとを蹴り上げたが、あっさりとかわされた。
「い、いえ、決してそのような…」
アーノルドはポケットからハンカチを取り出し、額に浮いた汗を拭きとった。
「ほ、報酬ははずみます。三食、寝床付きで、一日五十シルトでいかがでしょう?」
一般的な市民の収入を日割りすると三十から四十だ。家のない冒険者は出費も多い。宿代や食費だ。その食費、宿代も浮くことを考えれば、おおざっぱに八十程度の稼ぎになると言えなくもない。一般市民の倍の日当だ。
五十シルトという金額は、護衛任務で言えば、相場の値段だった。そういう意味では、面白みに欠ける依頼だった。ただ、三食寝床付きは魅力的ではある。
キュリアスに働けと言われていた。マデリシアは頭に来て喧嘩したものの、やはり気にはなっていた。そこへ、仕事の依頼である。もう少し旨味があれば、やってもいいと思えた。
「酒も込み?」
マデリシアは素早く計算を働かせると、抜かりなく要求した。
「も、もちろんです」
「雑魚はともかく、強いのが来たら危険手当も欲しいわね」
「もちろんです。必要なら治療費もお出しします」
アーノルドの申し出は、申し分なかった。宿代や治療費など、自己負担が当たり前である。条件によっては食事代まで自己負担もあり得たのだ。
マデリシアは考える風を装って、しかつめらしく腕組みまでしてみせた。
アーノルドは返事を待って、額の汗を拭いた。そのハンカチのしわも気になる様子で、広げてたたみ直した。
「ケガをする気はないわ。ま、いいでしょ。受けますわ」
マデリシアはすました顔で言ってみせた。
「ほ、本当ですか?よかった…」
アーノルドは大きなため息を漏らした。とたんに腰を押さえて座り込んだ。
「昨夜、腰を痛めてしまいまして」
「あらそう。御大事に。支度してくるから、そこに座って休んでらっしゃいな」
マデリシアはそう言うと、後ろのジャックにひと睨み入れ、二階へ上がった。
二階の部屋の荷物を片付け、部屋を引き払うと、不要な荷物を宿に預けた。
マデリシアがコートを羽織ると、アーノルドも腰を押さえながら立ち上がり、あいたたたなどと言いながら、ぎこちなく、コートを羽織った。
5
暗闇から白い粉が舞い降りてくる。
白い粉の一粒一粒が輝いて見えた。雪の結晶が光を浴びて輝いているのかもしれない。
雪が舞い始めたためなのか、辺りの音が消え、静まり返っていた。雪が運んでくる冷気が空気を清め、世界の掃除をしているようでもあった。
小さな雪が舞い降りるたびに、心の中のチリを一つずつ掴んで消えていく。自然と頭の中が軽くなり、夜空から舞い降りる雪を見守った。
辺りはすっかり闇に飲み込まれていた。その闇の中を、雪が躍るように舞い降りた。
先を行くザックは雪に興味がないどころか、逃げるように足を速めた。日が暮れ、雪も降るとなれば、さすがに冷え込む。早く帰宅して、暖炉の暖かさに包まれたいのだ。
キュリアスは上を見上げたまま、器用にザックの後に続いていた。急ぎ足ですれ違う人とぶつかることもない。
通りを行き交う人は一気に減り、残った人々も皆急ぎ足で家路についていた。その足音も、いつもより小さく聞こえた。
路地の向こう側で、少女が駆け抜けていった。ザックは気付いていないが、キュリアスはザックの娘のマリアだと分かった。
こんな時間にどこへ行くのかと、後姿を見送った。その先で、片手を上げる若そうな男が見えた。遠すぎて顔の判別はつかない。マリアと男は辺りを見渡すと、すぐに隣の路地へ駆け込んで姿を消した。
ここにマデリシアがいたら、喜んで様子を見に行ったな。そう思いながら、キュリアスはザックの後に続いた。
マリアもいい年ごろだ。相手の一人や二人、居てもおかしくない。気配りのできるマリアのことだ。男が放っておくはずもない。
キュリアスはふと、昼間に見かけたシャイラベル・ハートのことを思い出した。彼女は立場上、求婚者も多い。地位を利用しようとするものがほとんどだが、中には本気で惚れた若者が熱を上げていることもある。
シャイラベルは求婚のすべてを丁重に断っていた。そのことも市民の間で噂になり、周知の事実となっていた。
十八歳のシャイラベルも、想いの人の一人や二人いると、まことしやかにささやかれていた。身分違いの恋をしているのだとか、異国の王子と恋仲だとか、噂は絶えない。
「キュリアス様」
シャイラベルはそう呼んだ。人々がエッジと呼ぶ中、彼女は名前で呼んだ。その声が今も耳の中で響いていた。
「おい貴様!」
鋭い女性の声が聞こえたが、キュリアスは記憶のシャイラベルに焦点を合わせていた。
ザックがおどおどと、女性とキュリアスを見比べているのが、気配で分かる。
「あくまで無視するのだな。ならば、この場でその首、はねてくれる!」
「人がせっかく気分良く妄想してるってのに、邪魔すんな」
「何を如何わしいことを!やはり打ち首にしてくれる!」
キュリアスは空を見つめていた顔を下ろし、ため息を漏らした。目と鼻の先に白銀の鎧をまとった女騎士がいる。
ザックの自宅の前だ。女騎士はここに用があって来たと思われた。
「そんなだから恋人の一人もできないんだ。フラムクリス・アルゲンテース」
キュリアスはあえて、相手のフルネームを呼んだ。
「貴様…愚弄するか…」
「おっと」
キュリアスは軽く後方へ飛んだ。先ほどまでキュリアスの立っていた辺りに、輝く刀身があった。フラムクリスが抜刀ざまに突き出していたのだ。
「そのカッカしやすい性格、改めた方がいいぜ」
「貴様が愚弄するからだろう!」
「怒った顔も美しい」
「なっ!またそうやって!」
「いや、事実だって」
もう一度突き込まれるとキュリアスは覚悟していたが、予想に反し、刀身は鞘に戻った。フラムクリスは顔を真っ赤にして、キュリアスを眼光鋭く睨みつけている。
「そのような戯言、主の前では言うな」
「気をつけよう。それで?」
「昼間の件を聞きたい。それと、この家の主人に用がある」
フラムクリスは後ろの建物を示して言った。
「それは都合がいい。こちらが主のザック・ケイソンだ」
キュリアスはまるで自宅に客を招くように、女騎士を中へ案内した。雪の舞う夜に、立ち話もなんだろうというキュリアスの言葉に、フラムクリスも素直に従った。
ザックはしばらく呆然と見守っていたが、二人が家の中に姿を消すと、慌てて後を追った。
キュリアスは昨晩酒盛りをした部屋にさっさと上がり込むと、小気味よく燃えている暖炉に薪を追加した。
「まあ適当に座ってくれ」
フラムクリスはキュリアスの言葉には従わず、ザックが座るまで待った。ザックが座ると、腰の剣を外して横に置き、ザックの正面に姿勢正しく腰を下ろした。
「俺に何の用だ?」
キュリアスは暖炉に向かったまま言った。炎の中に見える薪のほとんどが新しい。マリアが出かける前にくべていったのだろう。
「あれはなぜ分かった」
「俺にそれを聞くか?」
フラムクリスはキュリアスを睨みつけると、ため息を漏らし、愚問だったと呟いた。
キュリアスは暖炉から離れ、暖炉から一番遠い場所に腰かけた。
フラムクリスが本来の用件を口にすることに抵抗していると、キュリアスには分かった。フラムクリスの態度で、用件の内容に予想がついた。
「気にするなと伝えてくれ」
キュリアスは微笑むと、まだ聞かれていない問いに答えた。
フラムクリスが再びキュリアスを睨みつけたが、承知したと素直に返した。その反応が、キュリアスの予想が当たっていたことを裏付けた。フラムクリスは少しほっとした表情を見せたようにも思えた。
「それで、ザックには何を聞きたいんだ?」
ザックはフラムクリスの身分が分からず、女騎士がなぜ自分を訪ねてきたのか図りかねていた。
フラムクリスは身分を語らなかった。改めて名乗りはしたものの、すぐに用件に入った。とある人物の名前を口にし、この名前に覚えはあるかと尋ねた。
「その方でしたら、今日も尋ねましたよ。なしのつぶてでして、困ったものです」
ザックはそう言った後、顔色を変えた。話題の人物は貴族である。その貴族に対する不満を述べたので、貴族批判ととられかねないと気付いたからだ。
フラムクリスはとがめることもなく、質問を続けた。
「おいくら用立てられましたか」
「あたしはそれほど貸していません。人伝に急場の資金を頼まれまして」
ザックはそう言ってから、実際の金額を述べた。
キュリアスの意識は会話に無く、外に向かっていた。マリアが音を立てないように帰宅していた。思いのほか早い帰宅だ。音を立てないようにしていることから、親に知られたくないという意思が見え隠れしている。
「差し支えなければ、誰に頼まれたのか教えていただけますか」
フラムクリスはキュリアスへの態度と打って変わり、丁寧な口調で質問を続けていた。鎧などで身を固めていなければ、美しい顔と柔らかい口調に惹かれる男も多いだろう。
キュリアスはキュリアスで、騎士然とするフラムクリスも気に入っており、ついついからかってしまうのだった。かといって、彼女を口説きたいわけではない。からかうと楽しいからやっているのだ。ある意味、たちの悪いことである。
夜分にかかわらず、キュリアスの知らない気配が、ザック家の戸口に立った。押し入るような真似はせず、軽くノックした。だが、誰も反応しないので、今度は強めにノックした。
キュリアスは立ち上がると、玄関へ向かった。マリアも出てきて、玄関へ向かっていた。
「念のため」
キュリアスは小声でマリアに伝えると、マリアに応対を任せ、自分は外から見えない位置で様子を窺った。
玄関の外にいたのは少年だった。マリアが会っていた男とは違う。安っぽい革鎧に身を包み、腰に剣を提げていることから、冒険者と見受けられた。
「何か御用でしょうか?」
マリアが怪訝そうに問うた。
少年は、まだ幼さの残る顔を引きつらせ、目を泳がせながら、しどろもどろに声を発した。
マリアが辛抱強く言葉になるまで待つと、少年はやや甲高い声を張り上げた。
「ここにキュリアスさんがいると聞いてきました」
「え。ああ、はい、いますよ」
マリアがそっと後ろに目配せしたが、キュリアスはまだ出て行かなかった。
「あの、キュリアスさんに会わせてもらえませんか?」
「えっと、どちら様でしょうか。お知り合いでしたら…」
「知り合いではないんです。面識はあるのだけど、覚えてもらえているかどうか」
少年が不安そうに言った。
「僕はラルフ・フォーティスと言います。何とか会わせてください」
ラルフは必死に頼み込んでいた。
キュリアスはラルフに覚えがない。なぜ必死に会いたがるのか分からなかった。少なくとも、ザックに害をなすために来たのではないことは明白だった。が、それ以上は分からない。このまま見物していてもらちが明かない。
「俺に何の用だ」
キュリアスが物陰から姿を現すと、ラルフは飛び跳ねて驚いた。
「すまなかった。後は俺が」
キュリアスはマリアに詫びた。
マリアは小さく会釈だけすると、奥へ戻っていった。
「あの、ラルフ・フォーティスと言います!」
「おう。キュリアス・エイクードだ」
「お会いできて光栄です!」
ラルフは飛びつかんばかりに、目を輝かせてキュリアスを見つめていた。背丈はキュリアスより僅かばかり低い程度だ。身体の線は細く、まだまだ筋力不足がうかがえた。
「それで、俺にどんな用だ?」
「あの、いきなりですみませんが、僕の師匠になってください」
「はあ?」
キュリアスが思わず素っ頓狂な声を上げていた。
「あ、えっと僕、冒険者になったばかりで」
「恰好からして、駆け出しっぽいな」
「初めての冒険に出たんですけど、もう散々で。だから師匠について修業したいと…」
ラルフは興奮したように口早に語った。
「待て待て。少し落ち着け」
「僕、キュリアスさんに憧れて冒険者になったんです」
「俺を師匠に選んだ理由だな、それは。で、散々だった冒険ってのは?」
興奮気味にまくしたてるラルフの意図を、くみ取ってやらないとうまく会話が成り立たないらしい。
「冒険者デビューした人たちとパーティを組んでゴブリン退治に行ったんです。でも、みんな…」
「やられたのか?」
「いえ、逃げ出しました」
「何だ…びっくりさすな」
初心者は最初の戦闘で命を落とす確率が、圧倒的に高い。ラルフだけ運よく助かり、命からがら戻って来たのかと思ったが、違っていた。
「僕は一人でもゴブリン退治しようかと思ったのだけど、数が多くて、何もできませんでした」
「命あっての物種だ。戻ってこれたのならいい」
「でも、僕は受けた依頼から逃げたしたくないんです。だから、僕一人でも勝てるように強くなって…」
その修業にどれほどの時間がかかるか分かったものではない。その間に他の冒険者が依頼を受けて駆除しているのがオチだ。キュリアスはそう思っても、ラルフに指摘しなかった。
「一人で挑むような無謀は止めることだ」
「そりゃ、新しい仲間が出来たら、協力を頼みます。でも、僕らが逃げたせいで、あそこの村が襲われていると思うと居ても立ってもいられなくて」
話を聞いているうちに、キュリアスは冒険者の宿の店主の言葉を思い出した。一週間前にゴブリン退治へ出かけた新人が戻ってこないと心配していた。その新人の一人が、このラルフなのだ。
確か、東の山だったなとキュリアスは思い返していた。その辺りにある村は、半農家、半猟師で、自給自足だ。冒険者に支払う報酬も僅かだろう。そのような依頼を受けるのは、新人くらいだ。
ラルフの自分以外対処するものがいないという心配も、ある意味当たっているのかもしれない。だが、やはりラルフが強くなるまで待ってくれるほど、ゴブリンも大人しくはない。近隣の畑を荒らし、家畜を襲って数を増やしていくだろう。
ラルフが、真剣で、真っ直ぐな表情をキュリアスに向けている。期待に輝く瞳がまぶしい。
「まいったな」
キュリアスは口の中でぼやいた。弟子を取るつもりはないが、このままむげに断るわけにもいかない。ラルフの子犬のような目が、キュリアスに断る勇気を与えなかった。
「とにかく腕前を見せてみろ」
キュリアスはそう言うと、庭へ出た。隣の家との境に柵がある。柵の手前に小さな庭園と、木が一本生えていた。ザックの家との間に落ち葉一つない庭が、僅かばかり広がっていた。
あまり広くはないが、多少動く程度であれば、問題なさそうだ。キュリアスはそう判断して、後ろを振り向いた。ラルフが目を輝かせて立っている。
白い小さな雪がふわふわと舞っている。舞い降りる量が少し増えているように見えるが、この程度では積もらないだろう。
キュリアスは少し残念に思いながらラルフに向き直ると、気持ちもラルフへ向けた。寒空の下でもラルフははずむような呼吸をしていた。頬が赤く染まっている。
キュリアスはラルフに頷いた。
「ほら。俺を殺すつもりで斬りかかって来い」
「え、でも」
ラルフの表情が曇り、キュリアスの手と背中の剣を見比べていた。
「いいから抜け」
「は、はい」
ラルフが腰の剣を抜いた。鋳型で作られた安物の、刀身が少し短い剣だ。ショートソードと呼ばれる部類になる。駆け出しの冒険者の手持ちで買えるものと言えば、その程度だ。鎧も金属製ではなく、ハードレザーと呼ばれる、硬くなめした革だ。
ラルフが恐る恐る斬りかかってきたが、力のないものだった。キュリアスはラルフの剣の持ち手をはらうと、鎧で守られた胸元に拳を打ち込んだ。
ラルフが胸を押さえて咽た。
「そんな気の抜けたことやってると、どんどん打ち込むぞ」
キュリアスの言葉に、ラルフは胸を押さえながらも身体を起こし、剣を構えた。
ショートソードの刀身が右に左に舞う。だが、ラルフの腰が引けているので、たいした脅威にもならない。
キュリアスはラルフの剣の引き際に合わせて肉薄すると、顔面に向かって拳を打ち出した。素人丸出しのラルフなら、軽い振りの拳でも十分当たるはずだった。しかし、ラルフは必死の形相で顔を逸らし、かわしてみせた。
キュリアスは内心、感心しながら、続けてラルフの腹に拳を打ち込んだ。こちらは見事に当たり、ラルフが尻餅をついた。
十分ほど繰り返した。ラルフは希に、勘よくかわしてみせることもあったが、総じて、素人だった。これではすぐにどうこうできるというレベルではない。ゴブリン程度ならば一対一で戦えば勝てるだろう。しかし、たとえゴブリンでも、多対一で勝てるような力量ではなかった。
弟子の件を断るにしても、どう言ったものかとキュリアスは思案しながら、なぜ俺に憧れるのかと尋ねた。
「僕、六年前に、一度、キュリアスさんに会ってるんです」
ラルフは荒い呼吸の合間に答えた。
「六年前?」
「ここから西に二日ほど山に入ったところにある猟師村です。村が山賊に襲われた時に、キュリアスさんが現れて、数十人いた山賊をあっという間に倒して」
呼吸の整ってきたラルフは興奮するように言った。
六年前と言えば、キュリアスはまだ冒険者になっていない。とある機関に属していた時代なので、何かの任務中のことだ。ただ、村を救うことは任務外だ。だから、キュリアス一人だったのだろう。そう思い返していて、ふと脳裏によぎったことがあった。
「こんなところで稽古か」
白銀の鎧をまとった女騎士が庭に出てきた。
舞い落ちる雪がかたまってできた鎧のように見える。
「話は終わったのか」
キュリアスの問いに、フラムクリスは答えなかった。
「ああそうそう。またそのうちに会いに行くと伝えておいてくれ」
キュリアスがそう言うと、
「貴様というやつは!」
と、フラムクリスがうめいた。彼女の主のことだ。またお会いしたいとでも言っていたのだろう。期せずしてその返答となることをキュリアスが言ったので、フラムクリスは面白くないと言いたげだった。
先ほど、一瞬、フラムクリスが安堵の表情を見せたのは、主のお会いしたいとの意思が伝わらずに済んでよかったと喜んだものだったのかもしれない。それが帰り際に覆され、キュリアスを睨み付けていた。
「お前の弟子か?」
フラムクリスはそれ以上追求せず、目の前のことを尋ねた。
「おおそうだ。騎士様なら、こいつをどのくらいでものにできると思う?」
フラムクリスがラルフをじっくりと値踏みした。先ほどの動きを見ていたのだろう。それとあわせて、見えている体格を考慮に入れていた。
「ざっと三ヶ月と言ったところだ」
「なるほど」
「何だ?お前ならもっと早く仕上げられるとでもいうのか?」
「さてね。仕上げるには同じくらいかかるだろうさ」
「何だ。その含みのある言い方は」
「相手の攻撃をかわす程度なら、数日だな」
「攻めもままならん奴が守りだけできるなどとあり得るか」
「なら、証明してみせようか?」
ラルフが心配そうな顔で見上げる中、キュリアスは勝手ことを言い立てた。
「口にしたからには、示してもらおう」
「できたら、ちゃんと言伝を伝えるんだぞ」
「貴様…。よかろう。騎士に二言はない」
フラムクリスは胸を叩いて見せた。反応から見て、キュリアスが主に会いに行くと言ったことは伏せておくつもりだったのだろう。
「よし」
キュリアスは頷くと、ラルフに革鎧を外せと命じた。
「え?鎧ですか?」
ラルフが不安そうに言う。鎧がなければ、キュリアスの拳をもろに受けて、もっとダメージを負うはずだ。
「いいから脱げ」
キュリアスは有無を言わせなかった。ラルフが鎧を脱ぎ終わると、キュリアスは一歩前に踏み出した。
「いいか。攻撃しようと思うな。避けることだけ考えろ」
そう言い置いて、拳を打ち出した。
ラルフが身を引いて拳をかわした。そこへ追い打ちの拳が飛び込む。ラルフはバランスを崩して倒れ込むものの、二撃目も逸れていた。
起き上がる暇もなく、キュリアスの蹴りが飛び込んだ。ラルフは転がって避けると片膝をついて立ち上がった。
先ほどまでは何度も拳を胸や腹に受けていたラルフが、どうしたことか、不格好ながらも何とかかわしている。
フラムクリスも目を見開いていた。
「まだまだ身体が追い付かないが、見込みはあるだろ」
キュリアスはそう言いながら、無造作に抜刀し、ラルフに斬りつけた。
ラルフは寸でのところで避け、再び尻餅をついていた。
「なぜそれほど変わる。たかが鎧一つで」
フラムクリスは半信半疑と言った様子で呟いた。
キュリアスは剣を背中の鞘に戻すと、ラルフに手を差し伸べ、引き起こして立たせた。
「お前、山賊相手に飛び込んでいった坊主だろ」
「え?覚えていてくれたんですか?」
ラルフが喜びに震えていた。キュリアスの手を放さず、強く握りしめている。
「あの時、すべての攻撃を避けてみせた。どうやら、その片鱗は残っているようだ」
「貴様。知っていたのか。それは不正と言うのだぞ」
「いやいや、確信はなかったさ。だいたい、言伝くらいで目くじら立てるな」
「やかましい!主に貴様のような虫の接近を許すわけにはいかない!」
フラムクリスは言い放つと、踵を返して去っていった。
キュリアスはその背中に笑い声を投げかけ、見送った。
6
マデリシア・ソングはアーノルド・シュレイダーに付き従い、路地を歩いていた。塀に囲まれ、庭木のある石造りの建物が並んでいた。
空はどんよりと曇り、今にも落ちてきそうだった。風はないものの、かなり冷え込んでいる。雲がちぎれて落ちてくると感じるほどに低空を漂っていた。
太陽の姿はどこにもなく、厚い雲に隠されていた。
吐く息が白い。
風がないことが幸いだ。この気温で風があると、刺すような痛みを感じることになったに違いない。
マデリシアはコートの前を合わせ、手をポケットに突っ込んで暖をとった。
アーノルドの取引相手は貴族や裕福な商人が多い。貴族や裕福な商人が多く住まう地域、セインプレイスの北東部や北西部を中心に移動していた。
北東部、北西部は日中でも人の通りは少ない。時折、豪華な馬車が通る程度だ。そういった馬車には、高貴な身なりの人々が乗っている。
アーノルドは北西部の各種ギルドの集まる地域に立ち入った。魔術師ギルド傍の魔導技術関連の工房に寄った。
魔道具は開発できれば莫大な利益を生む。その開発にかかる資金源として、アーノルドが貸し付けているのだ。
その後は大きな屋敷を順に回った。貴族の屋敷、富豪の持ち家。どこも金を借りなければならないような家ではない。庭木の手入れに人を雇うような家ばかりである。なのに、アーノルドから金を借りていた。
裕福層に見えれば見えるほどに、借金の返済を待つように粘っていた。アーノルドも強引に回収しようとはしなかった。
世の中間違ってるわ。マデリシアは不満を声に出すことはなかったが、顔を見れば一目瞭然なほどに、不機嫌な表情になっていた。使用人を多数雇う余裕があるくせに、借りた金を返せない通りがあるはずはない。
マデリシアは人の金を借りておいて悪びれもしない人々を毛嫌いしていた。そして、そういうわがままな人々に強く出ないアーノルドに対しても、不満を抱かずにいられなかった。
裕福な館を後にして、マデリシアは思わず、アーノルドに尋ねた。
「ねえねえ。あまり回収できてないようだけど、そんなんで商売になるの?」
我ながら遠回しな言い方ね、とマデリシアは思った。
それでもマデリシアの不満の感情は声に乗っていたらしい。アーノルドは立ち止まると大きな身体ごと振り向いた。
「貴族相手の商売はあまり儲かりませんよ。逆に損をすることも多いです」
「じゃあなんで」
「信用ですよ。貴族のだれそれと取引あるということになれば、それだけで私に箔が付きます」
「へー。そんなものなの?」
「はい。位の高い貴族様と取引があれば、私の信用も上がります」
アーノルドが再び歩き始めた。マデリシアはその後を追いながらも、さらに質問を投げかけた。
「回収できない時はどうするの?」
「その時は人足を雇って、家財一式で回収しますよ。それでも足りないことも多いですけどね」
アーノルドは歩きながら、後ろを振り向き、言った。
「その点、商人相手はいいですよ。ちゃんと利息を添えて返してくれます。返済を延ばすこともありますが、その分の上乗せもちゃんと応じます」
「じゃあ、商人ばっかり相手にすればいいじゃない」
「ところが、商人は人を見るのですよ。私がどの程度の人物なのかを調べて、相手にすべきかそうでないかを判ずるのです」
「へー。あ、だから、貴族との取引で信用をってこと?」
「ご名答です。商売は何事も、急がず回れ、ですよ」
アーノルドはそう言って、マデリシアにも用立てましょうかと付け加えた。
「あたし、これでも裕福なの」
マデリシアはそう言ってあしらった。
「あたしは金を借りる人の気が知れないの。それに、返さない人もね。そんなの相手にしてたら、イライラしちゃうわ」
マデリシアの言葉に、アーノルドが乾いた笑い声を上げた。
「それで機嫌が悪かったんですね」
アーノルドの言葉は事実だったが、それはそれで面白くないマデリシアだった。
次の目的地にたどり着いた。町の北東部に位置する、庭付きの館だ。庭に枯れ木が目立つ。裸木の向こうに窓があり、そこのカーテンが揺れていた。一般的な貴族の屋敷だが、今まで回ってきた中では、一番小ぶりだ。門から玄関までそれほど遠くない。
「あたし、外で待ってるわ」
「え?冷え込んでますよ?せめて暖炉の傍にいらっしゃれば…」
「いいの。それに、このコート、意外と暖かいのよ」
「そうですか?では急いで用を済ませてきます。今日はこれで最後ですので」
アーノルドはそう言うと、門をくぐり、大股で玄関まで行くと、躊躇なくノッカーを打ち鳴らした。
マデリシアは建物を眺めた。二階建てのその建物は、下級貴族から中級貴族が住まう、一般的な大きさだ。庶民の家にはない、ガラスの窓がある。
庭には庭木や庭園もある様子だが、手入れが滞っているのか、茶色く染まっていた。
アーノルドはいつの間にか、玄関の中へ消えていた。
もう一度庭を眺めた。枯れた植物ばかりで、殺風景だ。気温の低さがその景色をさらに寒々と印象付けていた。
アーノルドが飛び出してきた。血相を変え、館を指差しているが、喉から発する音は声になっていなかった。
「ちょっと落ち着きなさいな。ほら、深呼吸して」
マデリシアがそう言って深呼吸すると、アーノルドがまねをするように深呼吸した。次第にアーノルドの表情に恐怖の色が浮かんだ。
「もう、落ち着き、ましたから、止めて!」
深呼吸の合間に言葉を発した。バンシーの声の呪いにかかり、操られているのだ。
「あら、ごめんなさい」
マデリシアが深呼吸を止めて謝ると、アーノルドも開放され、大きなため息を漏らしていた。
落ち着いたのも束の間で、アーノルドは事態を思い出すと、慌てて言い募った。
「夜逃げですよ!誰もいません!」
「夜逃げって、今昼間よ」
「そういう問題ではなくて…」
「だって、さっき二階に人いたもの」
「え」
マデリシアは答えず、屋敷の中に飛び込んだ。
玄関ホールは二階まで吹き抜けだ。吹き抜け部分を囲むように、二階の廊下が見える。正面に幅の広い階段があった。
規模は小さいものの、豪華な雰囲気はある。ただし、調度品が一切なかった。絵画も花を飾る花瓶も、その台すらなかった。燭台や洋服掛けもない。こういう屋敷にはあるはずの、絨毯も敷かれていない。
マデリシアは二階へ駆けあがり、目星をつけた部屋に飛び込んだ。カーテンの動いていた部屋だ。
中央にテーブルが一つあるだけの殺風景な部屋だった。ここも不自然なほどに何もない。
テーブルの上に二枚の羊皮紙がある。マデリシアは急いで眼を走らせた。
二枚とも借用書だ。一枚はアーノルド・シュレイダーのサインがある。もう一枚にはザック・ケイソンとあった。
二枚に共通した名前がある。これが借主の名前だろう。
どういう意図かは不明だが、この借用書は敢えてここに残したもののようだった。マデリシアは二枚の借用書をポケットに突っ込むと、屋敷の裏に面した部屋を目指した。
「もうどうしようもない!大損だ!」
ホールの下で、アーノルドが嘆いていた。
マデリシアは廊下を駆けて別の部屋に飛び込むと、窓に寄った。
裏口に面した路地に馬車が止まっている。荷台に家具が山積みになっていた。
御者台の人物がマデリシアに気付き、慌てて鞭を振った。
屋敷の裏口から男が駆け出し、走り出した馬車に飛び乗った。
「ソングさん。もういいです。諦めます」
アーノルドの声が響いた。
「ちょっとそこで待ってなさい!」
マデリシアも大声で答えた。
「あたしの目の前で逃げられると思わないことね!」
吐き捨てるように言うと窓を開け、二階から飛び降りた。柔らかく着地すると寂れた庭を数歩で駆け抜け、塀を飛び越えた。
馬車が路地を曲がり、西へ向かった。
「街道に出るつもりね」
マデリシアは呟くと、路地の反対側の塀に飛び上がり、塀を踏み台にして、建物の屋根へ移った。
屋根から屋根へ飛び移り、町の中心方向へ進む。路地の度に軽やかに飛び降り、再び塀を踏み台にして飛び上がり、屋根に上がる。
一階部分の屋根から飛び上がり、二階の屋根に手をかけて身体を引き上げた。屋根の上を駆け抜けて空に飛びだす。通りがかった馬車の屋根に着地し、転がるようにして路地へ降り立った。
目の前の塀へ飛び上がると、今度は細い塀の上を駆け抜けた。
路地へ飛びだす。路地の度に、視界の隅に荷馬車が通り過ぎている。
荷馬車に気を取られ過ぎていた。マデリシアは目の前に騎乗の人が来るまで気づかなかった。馬の首に手をついて身体を流す。
騎手の目の前を横跳びに越えた。マデリシアは驚く騎手に向かってウィンクの置き土産をした。
傍から見れば、マデリシアの身体はそのまま反対側の塀へ、頭から突っ込むように見えただろう。マデリシアもウィンクするんじゃなかったと後悔し、焦ったほどである。
しかし、マデリシアは猫のように空中で姿勢を変えると、手をついて身体の軌道を変え、奇麗に一回転して、塀の上に着地した。内心ほっとしつつも、そのまま何事もなかったかのように、塀の上を駆けた。
眼前に迫る壁に向かって飛び上がり、壁を蹴ってさらに上昇すると、かろうじて屋根に手が届いた。マデリシアは腕の力で身体の上昇を促し、羽のように舞い上がった。
屋根を駆け、端にたどり着く。そこは町を東西に分断する街道だった。
休む間はない。
隣の路地から馬車が飛び出してきた。追って来た荷馬車だ。マデリシアはすかさず屋根から飛び、その馬車の荷台に下りた。
揺れて不安定な荷台の上を平然と移動し、マデリシアは御者台に下りた。
「さあ、観念なさい」
いつの間にか取り出したナイフを御者の首に押し当てていた。
「止めなさい」
マデリシアの短く低い声に、御者が悲鳴を上げて手綱を引いた。馬車が速度を落とすと、もう一人の男が逃げ出した。御者も逃げるそぶりを見せたものの、首にナイフが押しあてられたままで、動くことがままならなかった。
馬車の荷台は家財道具がひしめいていた。ただ、これだけという訳もないだろう。何度か往復し、最後の荷を積んで逃げだしたのだと思われる。
マデリシアは御者を脅し上げ、元の屋敷まで戻らせた。
アーノルドは馬車を見ると飛び出してきて、事情も聞かず、荷台を確認していた。
「あの、あっしら、ただの運送屋でして…」
御者が解放して欲しいらしく、言い訳を始めていた。
マデリシアはその男の正体に察しがついていた。いわゆる逃がし屋といわれる業者だ。借金で首の回らなくなった住人を逃がすのが商売だ。
「逃がし屋ね。ここの住人はどこに行ったのかしら?」
「あっしらも存じませんで」
「しらばっくれないで。この荷を運ぶ先にいるんでしょ」
「違うんです。あっしらは別の人に雇われて、家財一式運び出せって」
マデリシアは疑問に思った。逃がし屋は住人と直接やりとりする。間に人が立つことなどあり得なかった。雇われたという時点で、逃がし屋ではない可能性が出てきた。
「誰に?」
マデリシアは有無を言わせない声で迫った。
御者が自分の手で口を押えている。手を放せば喋ってしまいそうなのだ。
「言いなさい」
マデリシアの言葉に、抵抗できる者はあまりいない。この御者も、耐えきれるはずはなかった。
「ザック・ケイソンです」
御者の声に、アーノルドが慌てて駆け寄った。
「ザック・ケイソンですって?あの外道!」
アーノルドはしばらく口汚く罵った。いつも礼儀正しいアーノルドがこれほどに罵倒の語彙を熟知しているとは思っていなかった。マデリシアは呆れ果てて、アーノルドが落ち着くのを待った。
「ザック・ケイソンて誰?」
「薄汚いドブネズミですよ!ドブネズミの娘は泥棒猫でね!」
再び悪態が続く。
アーノルドが聞くに堪えない単語を連発するので、マデリシアは両手を上げて曇り空を見上げると、首を左右に振った。
アーノルドの罵詈雑言を聞き流し、マデリシアは御者の相手をするしかなかった。
「これ、どうする予定だったの?」
「金に換えて依頼主に届ける約束でさぁ」
金に換える。マデリシアはその言葉に引っかかりを覚えた。
「持ち主は別の人でしょ」
「あっしらは知りませんや。言われた通りのことをしているだけでさぁ」
この男は嘘をついている。マデリシアは確信した。男は逃がし屋などではなく、家財泥棒なのだ。ただ、人に頼まれて、盗む家を選んでいるだけだ。そして売った金を、その紹介者と分け合う。
これはギルドの領分ね。マデリシアは別の顔を表に出した。
「あんた、ギルドに属しているのかしら?」
マデリシアの言葉に、御者は顔を真っ青にした。
「そう。あたし、ギルド員なのよね」
マデリシアは何ギルドなのかを言わない。だが、御者は意味を理解し、怯えていた。やはり男は泥棒なのだ。その怯えが証明していた。
「その顔は何をやっていたか、ちゃんと理解していたようね」
御者が慌てて言いつくろおうと声を発するのを、マデリシアは、
「だまらっしゃい」
の一言で止めた。アーノルドまで口を噤んだ。
「あなたのお仲間は?」
「あっしらは二人だけでさぁ」
「隠さない方が身のためよ」
「あっしもギルドに追われたかぁありませんや。ウソなんて言いません」
「いいわ。じゃあ、行っていいわ」
マデリシアの言葉に、男は目を丸くした。希望の光を見出し、顔がほころんでいく。
「え?いいんですか?姉さん」
「いいわよ。さあ、降りて」
「え?」
「馬車はもらうわ。ご苦労様」
「ちょ、ちょっと待って下せぇ!」
ほころんだ顔が一気に青ざめた。商売道具の馬車を取り上げられてはたまらないと、焦っているのだ。
「あら、ギルドの裁定を仰ぐ方がいいかしら?」
マデリシアの言葉に、御者は滅相もありませんやと叫ぶと、御者台から飛び降りて逃げだした。足がもつれて転びかけながらも路地を曲がって逃げ去った。
「逃がしてよろしいんですか?」
アーノルドが走り去る男の背を見つめながら言った。
「いいの。さあ、この馬車もあなたの好きにしていいわ。ただし、馬車の売却分からギルドへの上納金を納めてもらうけど。馬もよ」
「ギルドとは…もしかして…」
アーノルドが顔を引きつらせた。マデリシアの言うギルドが何ギルドか、予測がついたのだ。
「そうよ」
マデリシアはあっさりと認めた。
「その話は終わり」
マデリシアはそう言うと、ポケットから羊皮紙を二枚取り出した。
「これが残っていたわ」
アーノルドが受け取り、羊皮紙を広げて確認した。アーノルドの表情が見る間に曇り、震え始めた。
「やっぱり…。あの外道…人の顧客にちょっかい出して…。そのせいで夜逃げされた…」
アーノルドが歯を食いしばり、呻くように呟いた。
「今度の会合でコテンパンにしてやる…」
アーノルドはいつになく荒い物言いをしていた。




