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病み垢のエチカ

作者: 客野

「病み垢」と呼ばれる一群がある。要するに「死にたい」とよく呟いているひとたちのことだと思ってもらえればよい。

しかし、少なくともその大半は、別に本当に死にたいわけではない。本当に死にたいならば、そんなことを呟く前に死ぬからだ。

それゆえ、「死にたい」とTwitterで呟くことは、それじたいが現実とのズレを含んだ、ひとつの祈りだ。あるいは、誰かに見つけてほしいという願いである。それは不格好かもしれないが、ひどく愛おしい人間の性だろう。

さて、そんな病み垢だが、そのような祈りを繰り返してくると、だんだんと、誰も自分に関心が無いことに気がつく。「死にたい」と言ったときには「話聞くよ」とすぐにリプライをくれたあのひとは、匂わせツイートくらいでは気づいてくれなかった。さんざん悩んでアカウントを消したあと、こっそり覗いたら、仲の良かったフォロワーは、「元気だといいな」なんて素っ気ないひとことのあとに、「#病み垢さんと繋がりたい」などと、いつものようにツイートしている。かれらは、名前も知らない誰かが死んだときには、「なぜ何もできなかったのか!」と大袈裟に悔やんでみせるひとたちだ。


結局のところ、他の人は私にそんなに興味が無い。しかし当然だろう。私だって、あなたたちに実際のところは興味が無いのだから、お互い様だ。私にとって一番大事なのは私じしんで、それ以外は、せいぜい余裕があるときに傷を舐め合うだけの存在だ。私たちは誰かと繋がれない。でも、それは当たり前ではないだろうか。誰とも繋がれないから、インターネットなんて場所にいるのだから。


病み垢のエチカは、だから至極シンプルなものだ。すなわち、それぞれひとつひとつの病み垢が、孤独で、しかもかけがえのない存在であることを、決して忘れてはならない、という点に尽きる。付き合いの長いFFの、その真意の一端さえ、私たちは知ることが無い。何かが起こってしまった後に、「もっと言ってくれたらよかったのに」は禁句だ。分かったかもなんて言って、そのひとを薄めてはいけない。かれらは、たぶんきっと、ずっと言っていた。私たちがそれに気づかなかっただけだ。

私たちは、各々自分が一番可愛い。「私は病んでいます」なんて喧伝するのは、そういうことでしかない。でも、おそらく他人もそう思っており、私の隣にいるのは、私にはそうは思えないのだけれど、間違いなく、私と同じように可愛い、かけがえのない誰かなのだ。

だからせめて、あなたを大切に思う私は、「こうしてくれたら分かったのに」なんて言って、安易にそのかけがえのなさを奪わないようにしよう。私たちは、ここでは決して重ならない。私たちはお互いに交わらずに、並行して叫び、祈っている。それが辛いのであれば、またもとの日常に帰ればよい。

ただ、私みたいなぬるいやつとは違って、もう本当にどうすることもできないひとたちもいることだろう。そのひととはせいぜい、天国での魂の触れ合いを期待したい。私たちはいずれ死ぬ。俺もいつか死ぬだろうから、今世で交われなかったあなたとは、来世で楽しくお話しよう。そのときの話のネタのために、今はせいぜい生きていようかな。

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