卒業パーティで婚約破棄は止めましょう~根回しが無駄になりました
ここは貴族の通う学園の卒業式パーティ会場。
友人と歓談している女性に、近付く一組の男女がいた。
「サンドラ、ちょっといいかい?」
「何でしょう、殿下」
声をかけられ振り返るのは、公爵令嬢のサンドラ。この国の王太子の婚約者である。
にこりと笑い、向き直った先には婚約者の王太子ケネスと、ケネスにエスコートされる男爵令嬢のヘレンが居た。
「君との婚約は破棄し、そして新しくヘレンを婚約者として迎える事にしようと思う」
「…………はい?」
微笑んだケネスの口から出た言葉は、サンドラの表情を固まらせるには十分だった。
「すまないと思っている。けれど、ヘレンを離せないんだ…!」
「ごめんなさい、サンドラ様っ! でも、私っ!!」
自分達の世界に入り込んでいる二人をよそに、サンドラは俯き、握った拳を震わせている。
「………台無しですわ……」
「「えっ?」」
俯いたサンドラから低い声が聞こえ、二人は自分達の世界から戻ってくる。
「そちらの方を愛妾として迎える為に、色々動いていましたのに…!」
「愛妾?……何を言っている?」
悔しそうな顔を上げ、サンドラは二人に言い放つ。
内容が理解出来ず、ぽかんとするケネス。
「既に殿下のお手付きと社交界で噂が広がっている方を、そのまま放置はできませんでしょう? ですから、愛妾として召し上げ、世継ぎを産んで頂く方向で、陛下や宰相であるお父様達を説得していましたのに!!」
「…は?」
初めて聞いた内容に、ケネスの頭には疑問符が飛び交う。
「好きあった者同士の方が、丈夫な子が産まれそうではありませんか。だから手配を進めていたのに……わたくしは、国政に関われればそれで良かったのに…」
悔しさを滲ませた声で、顔で、拳を握りしめサンドラは力説する。
「……君のそういう所だ」
「はい?」
ほんの少し苛立ちを含んだ声で、ケネスが口を開く。
そういう所とは? ときょとんとした顔をしたサンドラにケネスは続ける。
「君は私の事など見もしない! 公務にしか関心が無いではないか!」
「きちんと見ておりますよ?」
声を荒げ、自分への関心が薄い事についてサンドラを責めるケネス。
不思議そうな顔で首を傾げ、サンドラはそんな事は無いと返す。
「ああ、出来の悪い息子を見る様な目でな!!」
『母親の様に』 しか見られていない事に対し、ケネスは不満があったらしい。
しかし、それに関してサンドラも黙ってはいられない。
「……殿下がそうなさったのでしょう?」
「……は?」
返した言葉に、ケネスの気の抜けた返事が返ってくる。
「わたくしを、王妃様の代わりになさったのは殿下でしょう?」
「そっ……そんな事っ」
ケネスは慌てて否定をする。が、しかし実際の所、8歳で婚約し10歳の頃に王妃が流行病で儚くなった後、サンドラに対し 『母上の所作に似ている』 『母上に言われているみたいだ』 『サンドラを見ていると母上を思い出す』 等など、無意識に色々な発言をしていた。
「ほのかに芽生えていた恋心など、疾うの昔に消え去りましたわ。もう殿下を恋愛対象になど見れません」
「なっ…お前が悪いんだろう?!」
2年とはいえ、尊敬する王妃を目標に妃教育を受けていたサンドラの立ち居振る舞いが王妃に似ているのは当たり前で。婚約者から自分の母に似ていると言い続けられれば、思春期の女性の恋愛感情など淡く消えてしまう。
極めつけは香水を贈られた時。素直に喜びつけて行けば、『この香水は母上と同じものなんだ。ああ、母上と一緒に居るみたいだ…』 などとうっとりした顔で言われたら、どんな恋でも冷めるだろう。
婚姻からは逃れられないし、だったら望み通り母親代わりになってやろうじゃないか、と思ってしまうではないか。
それをサンドラが悪いと言い切るケネスに対し、サンドラは自分の中に残っていた家族の情に近いものがボロボロと崩れ去るのを感じていた。
「責任転嫁はお止め下さい。この様な場所を選んで馬鹿な事を言い出すなど……短慮が過ぎるのではありませんか? せめて三人のみでのお話であれば誤魔化しのきいたものを…」
「それはっ」
大声で騒ぎ立てた訳では無いものの、周りは聞き耳を立てているし、指示を受けたであろう使用人達が動いているのも見える。
サンドラはもう手遅れを悟り、話を切り上げる事にした。
「もういいですわ。…とりあえず、婚約破棄の件承りました。殿下の処遇については陛下に直接お尋ね下さい」
「処遇? どういう事だ?」
「こんな場所での契約の破棄。きっと陛下にもご了承頂いていないのでしょう? 何らかの処罰はあって然るべきです」
「ぐぅっ」
何の対策もしていない、行き当たりばったりでの婚約破棄だという事が見て取れる。
処罰を受ける可能性を微塵も考えていなかったと思われるケネスに、サンドラは怒りを通り越して呆れていた。
「わたくしの後釜が直ぐ見つかると良いですわね。殿下もこれまで以上に公務が忙しくなるでしょうし。頑張って下さいね」
「次の婚約者はヘレンに決まっているだろう?!」
自分のしていた公務がケネスより多かった事を知っているサンドラは、国政が滞らないか少し心配になったが、もうどうでも良い。
素直に、自分の愛した女性を婚約者に据えられると思っているケネスに対し、王太子としての教育はどうなっているのかとサンドラは不安を覚える。一瞬自分が甘やかしたのかと思ったが、帝王学部分は自分の範疇では無いし、王族としての最低限の知識だから自分は関係ないと思い直した。
「無理ですわ」
「なんだと?!」
驚き声を荒げるケネスに、サンドラは嘆息しながら続ける。
「わたくしが苦労していたのはそこですわ。その方に能力があれば、わたくしは婚約者を辞退し、お父様の補佐に就くつもりでした。しかし、勉学もマナーも中の下では、側室ですら却下されましたの。ですから、せめて愛妾として迎えようと頑張っていたのに……わたくしの苦労が水の泡ですわ」
「………」
国政に関わりたかったサンドラだが、もしヘレンを正妃に据えられるのであればそれが一番良いとは思っていた。父の補佐として違う形で関わる事は出来るから。しかし、王宮から了承を得られなかったのだ。
せめて子どもはヘレンに産んでもらい、自分は白い結婚を貫こうと頑張っていたのに、この裏切りである。
「今後について当主と話し合いをしなければいけませんので、これにて失礼致します。陛下にもご報告はさせて頂きますので、よろしくお願いしますね」
屋敷に帰り、父と話し合わねばならない事は山ほどある。王宮に賠償も求めたい。自分の身の振り方をしっかりと考えなければ…。と、サンドラの意識はもうここには無い。
「まっ…待て! この話は無かった事に……」
「無理に決まっているでしょう? 親愛の情さえ消え失せましたわ」
顔色を無くし焦り縋ろうとするケネスを一瞥し、制止する。
「サンドラ!!」
「8年もの長い間、お世話になりました。ごきげんよう」
情の一欠けらも無い、作った美しい笑顔でサンドラは、パーティ会場を後にした。
◇◆◇◆◇
「サンドラは居るか?」
公爵家当主は帰るなり、娘のサンドラを呼んだ。
「おかえりなさいませ、お父様。何かございました?」
迎えにエントランスに降りて来ていたサンドラが一歩前へ出る。
「ああ。先日の件の処遇が決まったのでな。お前にも話しておこうかと」
「あれから1週間ですか。思ったより早かったですわね」
二人会話をしながらサロンへと向かう。
「まあ、元々お前が動いていた事で、ヘレン嬢の情報集めからしないで済んだからな」
「お役に立てたのなら何よりですわ」
サロンのテーブルに向かい合って腰掛ける。
「それでだな。とりあえず、ケネス殿下は2年間の再教育。第二王子が学園を卒業するのが2年後だから、それまでに 『可』 とならなければ王太子は第二王子に変更になる」
「あら…」
ケネスに対する思っていたよりも厳しめの処罰に、サーブされた紅茶に手を付けていたサンドラは驚きの声を上げる。
「ヘレン嬢は婚約者候補として妃教育を受ける事になるが、どの位持つのやら」
「え?」
「妃教育の内容を説明している場を覗いてみたが、頑張る気概よりも面倒臭いという雰囲気が強かった」
「そんなに軽い気持ちでしたの…?」
確かにサンドラが目撃した二人は、ふわふわした雰囲気だなとは思っていた。しかし、多分二人で話し合って婚約者を変えるという決定をしただろうに、自分が王太子妃、引いては王妃になるという事に対して何も考えていなかったという事なのだろうか? サンドラの頭に疑問符が浮かぶ。
「ただ好きな男を着飾って待つだけの妃など居らぬのにな。身の程を弁えていれば愛妾としてそれに近い生活を送れたろうに」
「そうですわね。表にはわたくしが立ち、裏で殿下と乳繰り合っていてくだされば平和でしたのに」
嘆息しながら話す公爵につられて、手を頬に当てつつ嘆息して話すサンドラ。
話の内容に、公爵の目が半眼になる。
「サンドラ…」
「下品でしたわね。失礼しました」
公爵の非難を込めた声に、サンドラは一つ咳払いをして謝罪を返す。
「国内外問わず、今は別の婚約者の選定も始まっている。だが、国内ではもう無理だろうな。今は第二王子へすり寄る貴族が増えている」
「だとすると、国外も少し待った方が良さそうですわね」
気を取り直す公爵の話す内容は、中々に難しい所であった。
嫁ぐ前から決まっていれば良いが、王妃になれると思っていたら、王兄妃でした、では争いになる可能性だってある。
「ああ。王太子と婚約なら乗り気の国もあるだろうが、婚姻後に外されては国際問題になりかねんからな。……臣下としてならヘレン嬢との婚姻も有りか?」
「ヘレン嬢が早々に脱落しなければ、ですわね」
妃教育の内容を知っている身としては、ふわふわした気持ちでは乗り切れない事を知っている。元々公爵令嬢として厳しい教育を受けていたサンドラでも、音を上げそうになった事もある位だ。
「せめて2年位は持たぬのか?」
「さあ…どうでしょう? 持たせるのが教育係の腕の見せ所では?」
教育係が通常かそれ以上に厳しくすれば、持って数ヶ月だろう。そこを上手く調整し、ヘレンのやる気を引き出してくれれば2年位ならどうにかなるのではないか思う。
「ううむ…頑張ってもらわねばな」
「それで、わたくしがお願いしていた件はどうなりましたか?」
顎に手を当て、教育係への根回しを考える公爵に、サンドラは問いかける。
「ああ、領地経営の件だな。今回の賠償として少し広めの男爵領を賜った。そこを領主代理として治めてみるか?」
「領主代理…ですか?」
代理、という言葉にサンドラの顔が曇る。
「この国では女性の爵位は許されておらぬ。もしお前が婿を取るのならば、持っている爵位から丁度良い物を与えるが?」
「今すぐは考えられません。……仕方ありませんね、それで手を打ちます」
爵位と自由を天秤にかけられ、少しの逡巡の後サンドラは領主代理を了承する。
「爵位持ちに嫁ぐも良し、婿を取るも良し。お前の好きにしていい」
「……良いのですか…?」
サンドラは婚約破棄の後、婚姻について父親から明言されたのはこれが初めてだった。新しく父親の選んだ人と婚姻する事になると思っていたサンドラはきょとんとした顔を向ける。
「お前が公務に携わっているのを近くで見ていたのだ。これから国政に関われなくなってしまった事への虚脱感もあるだろう。王太子の婚約者として窮屈な数年を送ってきた事が全て無駄になったんだ。これから先、自分の好きに生きてもバチは当たらん」
「ありがとうございます、お父様…」
思ったよりも娘の事を考えてくれていた父親に、サンドラの胸は温かくなる。
「あとで男爵領の資料を渡すから、どの様に治めるかの計画書を作ると良い。添削してやろう」
「………望むところですわ!」
父親を見直していたサンドラに、公爵が不敵に笑う。
甘さを継続させない父親に反発心を覚えつつも、自分の扱いがよく分かっている事に悔しさを隠せないサンドラだった。