第四七話 セカイは今日も様々だ!④
「初代……魔王って……」
魔王さんの身体を乗っ取ったナニカの口から発せられたのは、一番信じられなくて、それでも一番腑に落ちる存在の名前だった。
初代魔王……今となっては、お伽噺に出て来るような存在だ。
今から三千年前に勃発してしまった、人間、魔族を始めとした全種族の大戦。
その大戦に突如として現れ、その強さ、頭脳、統率力。
何よりその時代ではその人しか持っていなかった始まりの魔眼……魔神眼を用い、戦争を終結させ、世界の崩壊を救った言われている、伝説の魔族。
そして、そんな物語の英雄の様な行いをしたにも関わらず、魔族を率いて世界征服を企み、以後何千年にも渡る魔族と人間の戦争を勃発させた諸悪の根源。
そして……魔王さんをこの世界に転生させ、魔王を継がせた張本人だ。
……魔王さんから、この人の人柄はある程度聞いている。けれど、本当に信用していいか分からない。
もし、彼女の本当の目論見が、魔王さんの身体を乗っ取ってしまう事だったとしたら……私は……!!
「その心配はしなくていいよ。そんなつもりは初めから無いし、そもそもまだ力が戻り切ってないんだ。彼はすぐに戻ってくる」
「えっ……!? 私、今何も言って……!」
「《心理眼》さ。相手の心を読むことが出来るんだ。ああ、あと今同時に《空軸眼》で私の足元の空間軸を歪め固めてるんだ。だから立っていられる」
「…………」
「うーん、まだ警戒しているか。敵意が無い証明に、色々解説してみたんだけどな」
と、魔王さんの声と姿で腕を組んで苦笑いを浮かべる初代魔王さん。
正直、いきなり人の心を読むような人を信用しろというのも難しいと思うけど……あっ。
「すまない、癖になっているんだ。じゃあ今から心理眼は使わない事にするよ」
「えと、その……」
そう一方的に言ってから、初代魔王さんは足元を見下ろした。
そして、雲の隙間から除くバルファスト魔王国の大地を見つめて、目を細める。
「随分と変わったなぁ……」
「……」
「と、感傷に浸っている訳にもいかないか。さっきも言ったけど、別に私は月城亮太君の身体を乗っ取ろうとしている訳じゃないんだ」
「じゃあ、今魔王さんの意識は……?」
「眠っているよ。元々、彼は君を始めとした仲間達を傷付けられ、何より護れなかった自分自身に対する怒りに支配され、暴走した。けれど君のそのユニークスキル、いや、エクストラスキルは自身の能力向上だけでなく、人の魂に安らぎを与え救済を齎す。だから彼の怒りは霧散し、支配されていた魂が救済されたのさ。君が居なければ、彼は魔力が尽きるまで破壊と殺戮の限りを尽くしていただろうね」
「……ッ」
淡々と述べられるその言葉に、最悪な光景が脳裏に浮かんだ。
バルファスト魔王国の皆が大好きな魔王さんが、自らの手で築いた仲間達の屍の山の上で、虚ろな瞳のまま立ち尽くしている姿を。
そして、その妄想が実現していたかもしれないと言う恐怖。
胸が締め付けられる。
「そして、救済された彼の魂だが、ずっと力に抗っていたが為に疲弊し切ってしまった。でもこの状況で自分だけ眠ってお荷物になる訳にはいかない。だから彼の代わりに、私が出て来たという訳さ」
確かに、魔王さんなら『自分がお荷物になるくらいなら』って考えそうだけど……。
「元々、『人の頭の中で勝手に暮らして何もしない隠居ババア』とか内心思われていたみたいだからね。いい加減、何かしないと愛想尽かされそうだったんだよ」
「……」
うん、多分魔王さんなら口に出さなくてもそう考えてそう。
「と言っても、粗方全部片付いたようだし、私がしてやれる事は少ない。精々……」
そう、言葉を区切った初代魔王さんは、視線を墜落して高度が下がっているユースさんの戦艦に向けた。
その瞬間、戦艦が物理法則を完全に無視して空中にピタリと止まる。
「墜落の被害を無くす事ぐらいかな」
「な、あ……!?」
「《静止眼》さ。彼もしょっちゅう使っているだろう? ちなみに、あの少年に静止眼が効かなかったのは、彼が自分自身を纏っている鎧に貝類の様な殻として、つまり『身体の一部として設定』していたからだ。全く、良くやるよ……私も《解析眼》が無ければ分からなかった」
「そうだったんですか……!?」
確か、無機物ならば全てをその場に固定できる魔眼だ。初代魔王さんの説明に納得すると同時に、スケールが違いに目を回しそうだった。
「さて、ここからは解体作業か。勇者レイナ君、付いてきてくれ」
「え、あっ、待って!」
初代魔王さんは何かの踏み外から飛び降りるように一歩前に踏み出し、そのまま落下していった。慌てて私もそれに付いていく。
彼……いや、彼女は時が止まった戦艦の甲板に足から着地しようと体勢を整える。
その時。
「ぬわああにをやっているのだ貴様あああ!! 死にたいのかあああああ!!」
「レイナ様ぁ! 魔王さまを助けてくださいいいいいい!!」
甲板の上から、絶叫を上げるレオンさんとハイデルさんを見てハッとする。
そ、そうだよね!? いつもの魔王さんなら地面に落ちただけで死んじゃうもんね!?
私も今更になって助けようとした時、初代魔王さんは落ち着いた様子で。
「問題ないよっと」
「「ッ!?」」
足元に視線を落とした瞬間、まるで水中に飛び込んだように落下のスピードが格段に落ちた。
そのままゆっくりと、甲板の上に足を付ける。
「《時軸眼》。視界に入った対象の時間軸を操作出来る魔眼だ。今私自身に掛けて、落下のスピードを遅くしたのさ」
「ま、魔王! いつの間にそんな凄まじい魔眼を使えるようになったです!? 焦ったですよもう! 流石に木っ端みじんになったら治しようが……」
「「…………」」
「レオン? ハイデルさん……?」
足首をクルクルと回している初代魔王さんに対し、レオンさんとハイデルさんが、驚愕と困惑と敵意の混じった瞳で睨み付けていた。
「貴方……魔王様じゃありませんね……? な、何者ですか……?」
「いや、魔王様ではあるんだけどね」
「とぼけるな! 彼奴は、リョータは何処へやった!?」
「め、目の前にいるですよ……ど、どうしたです?」
「流石の絆の強さだね。まあ、今まで君達の事も見て来たから、当然と言えば当然だけど」
「ま、魔王……?」
「正確に言えば、私は魔王ツキシロリョータの身体を一時的に借りている、初代魔王だよ。まあ、今はそんな事は置いておいて」
「「置いておける(ます)かッ!!」」
「時間が無いんだ、頼むよ」
レオンさんとハイデルさんが警戒を強めながらも、手を出せないでいる最中、初代魔王さんは私に向き直る。
「私はこれからこの戦艦を空中で解体する。じゃないと街に激突するかもしれないからね。君は船長の方を頼むよ、勇者レイナ君。まだ彼と話したりないんだろう?」
「……!」
「そして、三人はここから降りて貰う。空を飛べない君達を、私の解体に巻き込んでしまうからね」
「……オイ、初代魔王と言ったか。貴様、本当に信用していいんだな?」
レオンさんは私の方をチラと見ると、嫌とは言わずにただ最終確認をするかのように訪ねる。
それに対し、初代魔王さんは深く頷いた。
「……フィア、ハイデル。ここは奴らに任せるぞ」
「よ、よろしいのですか!?」
「そーです、絶対怪しいですよコイツ!」
「不服なのは不服だが、もう我らの魔力と体力は今度こそ尽きただろう。なら、邪魔になる前に退却するべきだ。どの道、この戦艦をどうにかしなくてはならなかったからな。何より、リョータの奴は貴様を信じたいと言っていた。だから我も貴様を信じる事にする」
「……ありがたいよ」
まだ怪訝な表情のままだけど、それでも信じると言い切ったレオンさんに対し、初代魔王さんは嬉しいような申し訳ないような、曖昧な笑みを浮かべた。
「……分かりました。今からヘルズ・ゲートを開きます。なのでどうか、必ずリョータ様に身体をお返しください、初代魔王様」
「ああ、必ずね。でも、転移に関しては問題ないよ。私が送るから」
「へ?」
そう言って、初代魔王さんは三人全員を視界に入れるように、数歩後退する。
その行動にハッとした様子のフィアちゃんが。
「レイナ! 後は任せるですよ!」
「うん! 任せて!」
「また後で必ず会うで――」
最期まで言い切る前に、フィアちゃんとその後ろにいた二人がパッと一瞬にして姿を消した。
「《転移眼》。視界に入った対象を、任意の場所に転移させる魔眼だよ。今三人を、バルファスト魔王国の外壁上に移動させた」
「……何でもあり、ですね」
人の心を読む、解析する、物を固定させる、空間軸や時間軸を操作する、任意の場所に転移させる……。
一つでも凄まじい能力である魔眼……その全ての能力を自由自在に扱える。いや、元々、この世の全てを自由自在に操れる眼が、魔眼の始まりなんだ。
改めて、魔神眼の凄さを。そしてそれらを操れる初代魔王の力に思わず畏怖の念を抱いてしまう。
「……さて、勇者レイナ君。彼の元へ行く前に、最期に君に一つ言っておかなければならない事がある」
視線を雲の下のバルファスト魔王国から私に移した初代魔王は、静かな声で口火を切る。
その表情は先程の様な微笑を湛えたようなものではなく、至極真剣なものだった。思わず心臓が跳ねる。
……わざわざ二人きりにさせてから言わなきゃいけない事って、何――。
「――君、月城亮太君の事が好きなんだろう?」
…………え。
「彼も君の恋心にはとっくに気付いている」
……な、に……を…………。
「でも諦めた方が良い。でなければ――君は間違いなく死ぬ事になる」
言って…………。
「それだけだ。さ、早くあの少年の元へ――」
「待って! 下さいッ!!」
振り返り、そのまま歩き出そうとする初代魔王の背中に、私は叫んだ。
……酷く心臓が冷えているような気がした。
吸っている筈の空気が、肺を擦り抜けている様に思えた。
頬は熱いのに、頭の芯は凍り付いたように感じた。
色々、言いたい事がある。
私が魔王さんの事が好きだとか、彼が私の恋心を知ってるとか、でも諦めなきゃ死んでしまうとか、全部訳が分からない。
どうしてそう思ったのか、何でその結論に至ったのか、事細かに訊き出したかった。
そもそも、私は、魔王さんに対して、憧れているのであって、だから――。
「どうして、ですかぁ……ッ……!」
無意識に口から飛び出したのは、否定でも疑問でもない。
諦めた方がいいという言葉に対しての、憤り……肯定だった。
「知らない方が君の為だ。ただ、君には死なれては困るんだよ。じゃあね」
「あ、待――!!」
初代魔王は答えになっていない答えだけを残して、甲板の上から飛び降りて消えていった。
私はその背中があった場所に、中途半端に手を伸ばしていた。
「……………………」
風と、心臓の音だけが耳に届く。
冷えた身体とは裏腹に、目頭だけが熱くなっていく。
まだ、理解が追い付いていない。初代魔王の言葉に対しても、自分の気持ちに対しても。
でも、それでも、張り裂けそうな程胸が痛かった。
「……ッ……ッ」
せめて、せめて。
彼の姿で、彼の声で、彼の瞳で。
そんな事を、言わないで――。
「……行かなきゃ」
違う、違うよね、私。
今は、そういう時じゃない。まだ何も、終わっていない。
今までのやり取りは、頭の片隅に置いておくだけにしよう。取り敢えず、今は忘れてしまおう。
フィアちゃんの言葉を思い出せ、自分の言葉を思い出せ。
私は今、何の為にここに残っているのかを、思い出せ。
「――ユースさん」
飛翔して、再び薄暗い指令室に足を付ける。
その奥で、ユースさんは目元を歪ませながら、座り込んでいた。
「……眩しいだろうが、その羽仕舞えよ」
「ゴメンナサイ、私もコレ、どうやったら取れるか分からなくて」
「一生そのままかもな」
「流石にそれは嫌ですね」
一歩、一歩、ユースさんに歩み寄る。
彼と、剣と銃を交え戦った痕跡を、確かめるように。
「今、ここには?」
「私とあなたしか居ません。そして、いずれこの戦艦は解体されます」
「そうか……なら、何時までもここには居れないか」
その事実を噛み締める様に頷き、ユースさんはゆっくりと立ち上がった。
「なあ、勇者レイナ……お前は、おれと話がしたいと言っていたな」
「はい……あなたの事を、聞かせて欲しいんです」
「そうか……分かった……なら、さっさとおれを連行しろ……」
そう言い掛けて、ユースさんは顔を上げた。
その瞳には、一切合切の光が灯っていなかった。
「あの、ユースさん」
「何だよ……」
きっと、ダメな事だけど。絶対後で、お父様や皆に怒られちゃうけれど。
勇者として、許されない事だけど。
「その前に――少しだけ、お出掛けしませんか?」
そう言って、笑って見せた。




