第四六話 正義は今日も曖昧だ!⑲
――遥か上空で、巨大な魔力の波を感じた。
その波は、死体兵に止めを刺そうと刺そうとする者、逆に刺されそうになる者、鍔迫り合っていた者。人間魔族動物モンスター関係なく。
バルファスト魔王国全土に居る全ての生物が、見上げてしまう程であった。
……全く同じようで、全く違っていた。
先程、このバルファスト魔王国全土を包み込んだ膨大な魔力。それと同等の魔力の波が、もう一度バルファスト魔王国の空を走り抜けた。
しかし、一回目の様な陽だまりの様な温かさも柔らかさもない。寧ろ真逆だ。
ただただ、生物的な本能に恐怖を直接塗り付けるような、冷たく凍えるような魔力だった。
「何だよ、この魔力……!」
「レイナ……じゃ、ないよね、流石に……でも……!」
「い、今、アソコで一体何が起きてるのよぅ……!?」
この戦場において、バルファスト魔王国で暮らす者達でさえ、勇者レイナの力に気付いた者達でさえ、その魔力の正体は分からなかった。
高く高く持ち上げてから、いきなり叩き落すような対極の魔力の差に、各々が心配そうに天空を見つめていた。
ただ、一人を除いて。
「リョータ……!」
「――ま、魔王、様……?」
生唾を飲み込んだハイデルさんが、恐る恐る声を掛けた。
普段なら、もっと仰々しくもフランクに魔王さんに話しかけているのに、今では酷く怯えた様子だ。
無理もないと思う。あんな魔力のプレッシャーを間近に浴びているのだから。寧ろ、勇気を振り絞って声を掛けたのは、彼の忠誠心の賜物だと思う。
「ぉ、い……リョータッ……」
続いてレオンさんが、魔王さんの名前を呼んだ。
言葉が呼吸ごとつまりそうになるも、何とか声を出して。
二人とも、魔王さんの変貌ぶりに対して恐怖しながらも、それでも彼を心配していた。
それは彼らの絆の表れと言っても過言じゃないだろう。
『おー、どうしたハイデル、そんな顔して。レオンも何だよ、俺の顔に何か付いてんのか?』
きっと普段の魔王さんだったら、こんな風に軽い調子で笑っていた。
そして、そんな慕ってくれる皆が大好きな、魔王さんは……。
「――死ね」
……ハイデルさんとレオンさんが立っていた空間には、全てが無くなっていた。
本当に何もかも……二人が立っていた甲板も、その少し先に居たゴーレムも、その背中に映る真っ白な入道雲も。
魔王さんが黒い電流の迸る腕を振るった先の全てが、消失した。
コンマ数秒遅れて鳴る響くのは、雷鳴の様な轟音と破壊音。
「ぁ……え?」
その光景を見ていたフィアちゃんが呆けたように呟き、ワンドを取り落とした。
「ハ、ハイデ……ル、さ……レオ……レオ、ン……ッ」
「――大丈夫ッ!!」
「……へ?」
「ぅ、あぁ……!?」
叫びだしそうなフィアちゃんに短くそう伝え、咄嗟に両脇に抱えた二人を背後に降ろした。
一秒にも満たない瞬間だった。このエクストラスキルによるブーストが無かったら、まず間に合わなかった。いや、ブーストしていてもギリギリだった。
自分がどういう状況か未だ理解が追い付いていない様子だった二人も、魔王さんの姿を見て目を見開く。
「嘘、ですよね、魔王、様……! 今、私達を、殺そうと……!」
「……いや、確かにあの瞬間聞こえたぞ、『死ね』と。そしてあの殺気は間違いなく本物だった……」
「そんっ、な……! 魔王様が、私達を殺そうなどと……!!」
現実を否定するように、首を横に振るハイデルさん。
そんな彼が見つめる先には、以前膨大な魔力を纏い茫然と虚空を見つめている魔王さんが。
「助かった礼を言う……」
「いえ……それよりも……魔王さんが暴走を……!」
「暴走……? 貴様はアレを知っているのか……?」
「……はい……以前、ソルトの町でヨハンさんと対峙した時に、ボロボロな状態で気絶してた魔王さんが、今みたいになった事があって……」
今でも鮮明に覚えているあの衝撃的な光景を思い浮かべて、私は何とか口を動かす。
「あの時は、リーンちゃんが捨て身で呼び掛けてくれたおかげで、すぐに元に戻ったんです……でも、少しでも遅かったら、間違いなくヨハンさんはおろかアダマス教団の教団員……いや、私達も全員殺しッ」
ここまで言い掛けた途中で、完全に言葉が呼吸と共に止まった。
ゆらりと、魔王さんがコチラに視線を向けたのだ。
虚ろに輝く紅と紫の瞳と目が合う。その瞬間、身体中の血の気が引き、心臓を直接締め付けられるような感覚を覚えた。
……もう、そこには、いつもの優しくて賑やかな魔王さんは居なかった。
そこに居るのは、ただただ機械的に目の前にいる生物を殺そうとしている《《ナニカ》》だ。
「……皆さんは、下がっていてください。私が魔王さんを止め――ッ」
魔王さんの腕が微かに動いた。
その瞬間、サンライズ・ブレイブ・シールドを展開した。
「ぅ、ぐ……!?」
黒い稲妻が盾の向こう側で迸る。まるで、山の様な巨大な拳を叩きつけられた衝撃だった。
通常と比べて遥かに頑丈になった光の大盾に亀裂が走る。
が、すぐにその亀裂は塞がった。
「一人で戦おうとするなです! 覚醒だか暴走だか関係ないですよ!」
「フィアちゃん……!」
「それに、覚醒してるはレイナだけじゃない、です!!」
フィアちゃんの手が背中に触れ、直接魔力が流れ込んでくる。
優しくて温かくて、心も体も全て包み込んで癒してくれるような魔力だ。
私の魔力とフィアちゃんの魔力が混ざり合い、一層金色に輝きだした。
「死ね」
それでも、凍り付くほど重圧な魔王さんの声と共に、凄まじい衝撃波が襲い掛かる。
「ハイデルさん、レオン! 今の内に逃げ……って、居ないです!?」
「えっ!?」
フィアちゃんの声に、私も思わず目を見開く。
でも、さっきまで二人は私の背後に……!
「――『ヘルファイア』ッ!!」
と、突然魔王さんの横から燃え広がった黒炎が彼を包み込んだ。
その奇襲に魔王さんのあるか分からない意識も横に逸れる。
「ハイデルさん!?」
「我々は魔王軍四天王! 魔王様の手足となり、支え、時に力づくでも止めるのが務め!! 皆様だけに任せる訳にはいきません!」
魔王さんの絶対零度の氷柱張りで突き刺すような視線を一身に受けても、キッと睨み返して立っているハイデルさん。
そんな忠義に対し、魔王さんは残酷にも、もう一度腕を振るい……。
「――『ブラック・ワールド』ッ!!」
その直前に、魔王さん足元から浮かび上がった黒い影が彼を包み込み、幾重にも厳重に巻き付いた。
「ハイデルのヘルファイアと共に包み込んだ! 焼け死ぬ事はないだろうが、その直前まで弱らせる!」
「戸惑っていた割には容赦がないです!?」
「今でも戸惑っているわ! だが、リョータなら『俺を殺す気で止めてくれ』と言うだろう!」
レオンさんは鼻血を噴出させながらも、影の繭を縮めて懸命に押さえつけようと試みる。
「それに、『死ね』としか言わぬ辺り、リョータは殺戮衝動に駆られていると見た! もうこの戦艦は、バルファストの真上まで近づいている! このままリョータを暴走させてバルファストに突っ込ませてみろ! 二次災害どころの話ではなくなるぞ!」
「……!」
そうだ。もしこの状態の魔王さんを、皆が居るバルファスト魔王国に向かわせてしまったら。
魔王さんが一番恐れていたであろう惨状が……!
と、影の繭から槍の様に手が突き破って出て来た。そのままその手は、空いた穴を押し広げる。
「この硬度の影を、力づくで押し破るか……! だが、負けるもの、か……!」
再び穴を影で塞ごうとするレオンさん。しかし、僅かに開いた隙間から魔王さんの双眸が覗いた。その直後。
「う、ぐが……ッ!?」
突然、レオンさんは何かに締め上げられたように身体を硬直させ、苦し気な声を漏らした。
その隙に、魔王さんは完全に影の繭から抜け出して、ゆらりと甲板に降り立つ。
これってもしかしなくても、魔神眼の力……!
この距離からでも分かる程に、レオンさんの身体からミシミシと嫌な音が鳴っていた。
「や、止めろですーッ!」
フィアちゃんが、魔王さんに向けて魔力弾を放つ。二人と同じく、多少手荒になっても止める気なのだろう。
しかし魔王さんは、レオンさんの方を見続けたまま、魔力弾が迫ってくる方向へ腕を振るった。
その瞬間、魔力弾は見えない壁にぶつかったかのように弾けた。
「んな……!?」
フィアちゃんが驚愕に声を上げる。でも、ほんの僅かだけど隙が出来た。
「レオンさん!」
私はその隙にレオンさんの元へ駆けつける。そして翼を出来るだけ大きく広げてから、一気に前方へ向けて羽ばたかせた。
その瞬間、大量の羽が私と魔王さんの間に舞い上がり、視界を塞ぐ。
するとレオンさんは何かから解放されたように崩れ落ちた。
「ゲホ、ゴホ……! すまん……!」
「いえ……!」
と、羽で覆い尽くされた前方から突然爆風が吹き荒れ、羽を全て上空に吹き飛ばしてしまった。
そしてその先には、ハイデルさんのヘルファイアの熱で陽炎が揺らぐ中、バチバチと音を立てている右腕を天に掲げた魔王さんの姿が。
オッドアイを空虚な殺意で満たし、一切合切を全て破壊しようとするその姿は……誰が見ても……。
「魔王……さ、ん」
「先程から何なのだ、あの馬鹿げた腕力は……!」
ヨロヨロと立ち上がり、目元を歪ませて魔王さんを見つめるレオンさんを背に、私は先程から脳裏に過る憶測を口にした。
「もしかして、魔王さん……クロハエって技を使っていた時と同じ要領で、腕力を大幅に上げているのかも」
いや、きっとそうだ。さっきから腕を振るって衝撃波を放つ際、黒い電流が迸っていた。でも腕を振るっただけのその技の威力は、大剣を携えて全力で振るうクロハエと同等。いや、それ以上かもしれない。
つまり……。
「魔王さんが強くなってる分、暴走状態も更に強くなってる……!?」
「…………」
胸が締め付けられる。
今まで魔王さんが頑張って培ってきた、国民や友人を護る為の努力や経験の成果が。この瞬間、友人を殺すという最悪な結果をもたらそうとしている。
あまりにも残酷で、あまりにも辛すぎる。
と、ここで。突然ジジジジ……と空気を震わせるような音が聞こえた。
その音は、この戦艦に乗り込んでから何度か聞いたことのあるもので……。
『月城……よくもおれのネビュラ・テンペスト号を破壊してくれたな』
「ユースさん!?」
「しまった、リョータに気を取られて忘れていた……!」
いつの間にか姿を消していたユースさんの声が待機を震わせる。恐らく、バルファスト魔王国にも響き渡っているだろう。
『ガールズ・オートマトン・シリーズも、既に指で数えるしか残っていない。そして、お前の初手の一撃で、既にメインエンジンが損傷してしまった。もうこの戦艦は墜落の一途を辿るしかないだろう』
言葉だけを見れば、まるで降参の前振りにも聞こえる台詞だ。
でもその声には、明らかな攻撃の意思が含まれていた。
『だからせめて、この愛艦には最後の大仕事をして貰う! この最後の一撃で、全てを終わらせる!!』
その瞬間、この上空に満ちていた魔力が一気に何かに吸い寄せられていった。それはフォトン・ブラスター・キャノンとは比にならない程に。
「あんの男!! こんな時に、こんな時にぃー!!」
「こんな時だからでしょう……ですが、最後の一撃というのは、一体……!」
魔力が流れていく方向……その先に、あるのは……。
「船首です! 恐らく船首に、あの砲台よりももっと大きな、何かがあるんです!」
羽で感じ取った魔力の流れ。それはこの戦艦の船首に吸い込まれていた。その魔力の量だけでも悪寒がする。
一体この量の魔力が、あの砲台のようにバルファスト魔王国へ向けて放たれたら、どうなってしまうのか。最悪が頭を過ぎる。
「私が止めます!!」
正体は分からないけれど、その何かを破壊出来れば……!
「皆さんは、まお……ッ!?」
飛翔して船首に向かおうとした身体が、不自然に止まった。
何、これ……身体が、固まって……!
「ま、おう、さ……!」
「……」
何とか振り向いた視線の先に居た魔王さんと目が合った。オッドアイが怪しく輝き、ジッとこちらを見上げている。
「魔王、さん……!! お願いします、このままじゃ、バルファスト魔王国の、皆が……!!」
「……死ね」
「……ッ」
「死ね、死ね、しね、しネ、シネ殺す殺すころすすコロすコロスコロス――」
「あ、ぅぁ……!」
……同じだ。
全く、不気味なほどに、同じだった。
この、ただただ殺意を口から溢すような単語の羅列。
それは、嫌でも記憶に刻まれている光景と……。
『死ね、死ね、しね、しネ、シネ殺す殺すころすすコロすコロスコロス――』
――先代魔王サタンがトドメを刺される直前に口にした憎悪と同じ――。
「『シャドウ・バインド』!!」
「『ヘルズ・カーテン』!!」
黒い影と黒い炎が、魔王さんを包み込む。
その瞬間、私の身体の拘束が消えた。
「行けぇ!!」
「お願いします!!」
短く、だからこそ切実な叫びだった。
私は色々な感情が溢れそうになる心に蓋をして、ただユースさんの最後の攻撃を防ぐべく羽ばたく。
旋回して、船首の真正面に降りる。
「これが……!」
船首の真ん中には、十本もの棒状の何かが円形に突き出ていた。
花弁のように開いているそれらは、それぞれ先端から電流の様な魔力を迸らせ、中心部分に集まっていった。
私などスッポリと収まってしまうそうな魔力の球体。それが一気に一方向に解き放たれたら……!
『魔力補充完了! 不幸中の幸いか、月城がお前を足止めしてたお陰で間に合った!』
「……ッ!」
『皮肉なものだな、一番護りたかったものを自分の手で壊してしまうなんて。だが、魔王なんて悪者にとっては、そんな終わり方がお似合いだよ』
「……終わらせない」
魔王さんは、悪者なんかじゃない。
魔王さんを、悪者としてなんて終わらせない。
『このまま全てを消し飛ばす!! さらばだ、勇者レイナ! そして魔族!!』
「だから絶対に、護る!!」
『『フォトン・ブラスト・バズーカー』――ッ!!』
「『サンライズ・ブレイブ・シールド』――ッ!!」
一気に解き放たれた魔力の塊を、至近距離で受け止めた。
「ぅ、うぐぅ、ぁああ、ああああああああ……!!」
羽を最大限にまで広げて、空気抵抗を生み出して。
真正面に向かって、全力で飛翔して。
身体中に残った全ての力を振り絞って。
けれど押される。盾ごと身体が真後ろに押される。
腕が、全身が、押し潰されそうな痛みで震える。魔力の熱に当てられ、羽が燃えている。喉の奥から、血の味がする。
視界がぼやける。頭に靄がかかる。呼吸が止まる。
意識が、遠のく――。
「「頑張れぇ、レイナあぁ――ッ!!」」
「ッ!!」
遠くから、声が聞こえた。
微かに、微かに。でも、腹の底から叫んでいる事は、明確に分かる声。
そして、いつも耳にしている、私の大切な――。
「レイナ様ー!!」
「勇者様!!」
「勇者ー!! 頑張ってくれええええ!!」
背中から、幾重もの声が聞こえる。
バルファスト魔王国で戦ってくれた、沢山の声が。
そうだ……護るんだ。
私を助けてくれた、応援してくれた、支えてくれた。
仲間達を。友人を。家族を。
「レイナああああああああ!! 頑張れえええええええ!!」
不意に耳に入った女の人の声。
それは、聞き覚えの無い人のものだった。
けど、それでも。誰よりも愛に満ちていた、そんな声だった。
「ああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
皆の声が私の背中を押してくれる。皆が私を支えてくれる。
だから、私は、皆を護るんだ!!
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
全身全霊を込めて、大盾を真上に向かって振り抜いた。
その瞬間、魔力の光線は入道雲を突き抜け、空の彼方まで消えていった。




