第四五話 死人は今日も空っぽだ!⑧
英雄王、アーノルド・ブライト・フォルガント。その名は勇者ユウナの名とと輝かしい功績と共に世界に知れ渡っている。
不遇な扱いにより国から追放された第三王子。勇者を自称していた兄二人とは別の、真の勇者であるユウナと出会い、共に世界を巡り様々な事件を解決し、魔族侵攻により滅亡の危機に瀕していたフォルガント王国に舞い戻り、国全体の指揮を執った。
王位を継ぎ正式にフォルガント王国の国王となった後もフォルガント王国を導き、嘗て完全武力主義であった国を誰もが笑って暮らせるような国に作り替えた。
正しく英雄王、そう呼ぶしかない。
この世界で生まれた子供に『有名な物語の主人公と言えば?』という問いを投げかければ、答えは『勇者ユウナ』か『英雄王アーノルド』の二択になる。
そんな、子供達の憧れであり、英雄であり、ヒーローである二人が。
世界を巡る旅の中で、数え切れない程の苦楽を分かち合ってきた相棒が。
互いに惹かれ合い、最期の瞬間まで愛情を注ぎ合った夫婦が。
今、バルファスト魔王国の草原にて、剣を握り対峙していた。互いに、明確な敵として。
理不尽に殺され、亡骸を操られ、何度殺されようと倒れる事を許されない、今この瞬間最も残酷の二文字が当てはまるであろうこの場においても、この二人が取り巻く状況が、特出して残酷だった。
「陛下……何でここに……!? 世界会議に出てた筈だろ……!?」
「というかお母さん……絶対来ると思ったって……まさか通信魔法を……!?」
「いいや、実は敵の趣向なのだろうが、会場にこの戦場の様子が映し出されていてな。だから全ての事情は把握している。だが、例えそうでなかったとしても……私はこの場に居ただろう」
エルゼの疑問にはともかく、ジータの疑問に対しては答えになっていなかった。だが、妙な説得力があった。
恐らくフォルガント王とユウナ、そして二人の共通の友人であるジルミーナでしか分からない、理屈を超えた繋がりがあるのだろう。
例え遠く離れた場所に居たとしても、例え既に死んでいたとしても、ユウナが居るなら絶対にフォルガント王は駆け付けるという信頼が。
「三人とも、よく頑張った。下がって回復を済ませておきなさい」
三人に向け、いつものように柔らかな笑みを向けて、フォルガント王は背を向ける。
彼がここに来た理由、そんなものは一つしか当てはまらない。だが自分達は止めなければいけない。
「ダメだ、陛……ッ!」
エルゼは何とか立ち上がろうとするが、全身の折れた骨が剣で突き刺すような激痛を走らせ、再び倒れてしまう。
確かに、回復しなければまともに立ち上がることは困難だ。そして今、代わりにフォルガント王が戦ってくれる今が、唯一回復が可能なチャンスだ。
だがいくら英雄王だとしても、彼の強さを身をもって分かっていても、今のユウナに勝てるイメージが湧かなかった。それ程までにユウナは脅威的だ。
「エルゼ……取り敢えず今は、すぐにでも回復しなくちゃ……」
「んな事分かってる、けどよ……!」
「止めたって、今のボクらじゃ何にも出来ないよ……!」
「……陛下…………!」
ジータの意見は妥当だ。今の怪我じゃ、割って入ったところでただの足手纏い。止める止めない以前にフォルガント王と自分の双方に危険が及ぶ。
フォルガント王の登場に気付いた兵士たちも、助けに入ろうにも入ることが出来ない状況にあった。
エルゼは顔を顰めながら、震える腕で回復ポーションが入っているポシェットに手を入れた。
「…………」
その間、改めてユウナと正面から対峙したフォルガント王は何も語らず、ただ剣を構えた。
それに呼応するように、眉一つも動かさず、ユウナも静かに剣を構える。
先程の激闘とは打って変わり、まるで伝統ある決闘でも始まるかのような落ち着きようと静けさだ。
フォルガント王は小さく息を吐き出す。その瞬間、遠くで戦う冒険者でさえも、思わず鳥肌が立ってしまう程の威圧感が溢れた。
そして、その威圧感を放ちながら、フォルガント王は一言呟く。
「お前は……ユウナではない」
フォルガント王は地面を蹴った。
一瞬で間合いに詰め寄ったフォルガント王は、豪快ながらも洗練さの滲み出る一閃を振るう。
対してユウナは容易くそれを受け止める。発生した風圧は、エルゼ程ではなかったものの、鋭いという感覚を覚える。
そのままフォルガント王は流れるような連撃を繰り出し、ユウナもそれを受け流す。
その攻防は決して派手ではなかった。いや、先程の勇者一行との戦いと比べると、寧ろ地味だという印象すら覚える。
しかし、その地味に、周囲の者達は圧倒されていた。地味だからこそ、その無駄を削ぎ落とした洗練さが際立った。
「フッ!」
突然、フォルガント王は姿勢を低くし、薙刀を振るうような足払いを繰り出した。
その足払いは見事にユウナの踝を捕らえ、彼女の身体を時計の針の様に真横に回転させる。
その体制のユウナにフォルガント王は剣を振り下ろす。ガードは間に合ったものの、勢いは殺せずユウナの身体は勢いよく地面に叩きつけられ、大きくバウンドした。
飛ばされていくユウナを追いかけたフォルガント王は跳躍し、剣を切り上げる。
それを身を翻して躱したユウナはそのままフォルガントの眉間目掛けて刺突を繰り出す。
その切っ先が眉間に突き刺さるその前に、フォルガント王の丸太のような左足がユウナの脇腹に重い衝撃を響かせた。
「ぬああぁッ!」
刺突を紙一重で躱し、こめかみから血を流しながら、フォルガント王は全力で左足を振り抜く。
ユウナの身体は再び地面に叩きつけられ、夏草の上を転がった。
「手元に集中し過ぎて足元が疎かなのも、攻撃の瞬間視野の外への警戒が薄れるのも、死体となっても変わらないな」
綺麗に着地したフォルガント王は、こめかみの血を上腕で拭いながら静かに言う。
ユウナは鉄仮面のような表情のまま、ヨロヨロと立ち上がる。
勇者一行の二人とジルミーナの三人がかりでやっとだったユウナに対し、フォルガント王はたった一人で確実にダメージを与えていた。
「つ、強いわ、あの人……」
遠くでジルミーナに回復ポーションを飲ませていたローズは、思わず呆けてしまっていた。
端から見れば、単なるガタイの良い中年男性だ。しかしその動きは身軽であり、王でありながら隙を付いて蹴りを入れるような型破りさ、相手の弱点を確実に突いていく合理さ併せ持っている。
そしてその動きには既視感があった。
「リョータちゃんに、似てる……?」
「まったく……もう若くもないのに、無理をしてるなぁ……」
「ジータちゃんのお母さん、大丈夫なの!?」
「正直あんまり……でも、ポーションのお陰でだいぶ楽になった、ありがとうローズさん……」
ジルミーナは痛む上半身をなんとか上げて、再びユウナの間合いに詰めたフォルガント王を見つめる。
「でも、相変わらず陛下は強いなぁ……流石は最強の凡人、だね……」
「最強の凡人……?」
「ああ、そうさ……彼は、レイナちゃんのように、特別なジョブもスキルも持っていないし、リーンちゃんのような戦闘センスも無い……本当に、何の才能もセンスも無かった……まあ、だから追放されたんだろうけどね……」
「と、友達だって本人も言っていたけど、主に対して結構シビアね……いや、私達もリョータちゃんに対して同じようなものだけど」
「あっはっは……ただ、彼は文字通り死に物狂いで努力し、鍛錬を重ねた……ユウナにまだ届かない、また足りないって、ずっとずっと……ユウナが死んでしまってからも、ずっとね……」
その言葉を聞き、ローズは再びフォルガント王を見る。
確かに、その洗練された剣技には、レイナやリーンのような持ち前のしなやかさや迫力は感じ取れない。
ただ、地道にひたすら積み重ねていったような、泥臭いという言葉が浮かんでくる。
「ハアッ!」
と、フォルガント王の剣が、ユウナの脇腹を捉えた。
致命傷には至らぬとも、深く突き刺さった傷口からは血が流れ出ている。
地道ではあるが、着実にダメージを与えている。
「勇者ユウナは強かった……」
距離を取って身構えるユウナに対し、フォルガント王は静かに口を開いた。
「彼女は転生する前、ずっと床に伏していた。だから勇者のジョブや才能では庇いきれない弱点や癖があったのは否めない。それでも、過去一度だって誰にも負けなかった。それ程、彼女の強さは圧倒的だった」
剣の柄を握る力が強くなった。
「そんな彼女の隣で、私はずっと情けなく思っていたよ。惚れた女性を護るどころか、共に戦う事も出来なかった自分が、どうしようもなく情けなく思った。だから……だから私は、血反吐を吐きながら鍛錬を重ねた。全ては、勇者ユウナを超える為に」
威圧感がより一層増して、空気がピリピリと張り詰める。
「今となっては、胸を張って言える。私は勇者ユウナよりも強いのだと。例え、力や速さが強化されていたとしても、私は彼女に負けない。ましてや、感情も魂も何もないただの亡骸に、後れを取る筈がない」
誰もが固唾を飲んで、フォルガント王の独白に耳を傾ける。そして周囲の者達は胸が締め付けられるような気分になった。
今、彼はユウナに向けて話しているのではない。排除するべき敵に向けて語っているのだ。それは彼の言葉の端々に見える言い回しから察することは容易だった。
「しかし、私の愛した妻の亡骸である事は事実。ならばせめて、私の手で眠らせよう。今度こそ、お前の亡骸を墓まで持っていき、本当の別れとしよう」
そう言い切ったフォルガント王は、一歩足を前に出した。その瞬間、地面が揺れた。
小細工などない、真正面からの突撃。だがその重圧感は、宛ら巨大な山の様に思える。
ユウナは素早く剣を構え直し迎え撃とうとする。しかし、死体とはいえ身体が限界に達していたのか、結局何も出来ずに間合いを許してしまった。
フォルガント王とユウナの瞳が初めて合う。その虚ろな瞳には、勇ましくも気高い、愛しき夫の姿が映っていた。
「終わりだ」
剣を振り下ろす。その刹那。
ユウナの口が、僅かに開いた。
「ノ……」
たった一言、いや一文字の声。
だがその声を聴いた瞬間、フォルガント王は時間が止まったかのような感覚に陥った。
(いいや、違う、そんな筈はない! きっと技を放とうとしているのだ、そうに違いない!)
フォルガント王は、コンマ一秒にも満たない時間の中で自分に言い聞かせる。
だが、彼が望んだ希望は、更に巨大な希望に塗り潰された。
「……ノ、ルド…………」
「――――」
ノルド。それは嘗て、フォルガント王……アーノルドに妻が名付けてくれた略称だった。
完全に世界が止まった。そして、フォルガント王の身体が宙を舞った。
「「「陛下あああああぁ――ッ!!」」」
周囲から、フォルガント王国の兵士の悲痛な叫びが聞こえて来た。だが酷く遠く聞こえた。
右肩から左わき腹に掛けて、妙に熱く感じた。剣を握る手に力が入らず、剣が分厚いマメだらけの掌から滑り落ちた。
やがて、フォルガント王の身体は重力に引かれ、柔らかな夏草の上に落ちた。
「ぐ、がほっ……!」
口から大量の血が溢れ出て、フォルガント王の髭を赤く染める。
生きてはいる。しかし、重症である事は火を見るよりも明らかだった。
何度も咳き込むフォルガント王に、ユウナがゆっくりと歩み寄る。トドメを刺す為に。
しかしその間に割って入った人物がいた。エルゼだ。
「クッソ、お前ええええええ!!」
エルゼは獅子のように叫んだ。陛下に傷を負わせたユウナに対し、何よりも、陛下に傷を負わせてしまった自分自身に対し。
その後方で、ジータがフォルガント王を抱きかかえ、すぐさま回復ポーションを傷口に掛ける。
「ゴメンナサイ、陛下……! ボク達の責任です……!!」
「……違う、私が下がっていろと命じた……お前たちは悪くない……」
回復ポーションによって傷口は徐々にだが塞がっていく。しかし、その途中であるにも関わらず、フォルガント王は立ち上がろうとした。
「安静にして下さい! 運よく致命傷ではないにせよ、その怪我じゃ……!」
「運、よくでは……ない……」
「え……?」
そう、運よく致命傷を免れたのではなかった。
本来ならば、運など関係なく、確実にその身体を二つに切り裂いていた。
だが、今こうして、フォルガント王の命があるのは他でもない。
彼女が、抗ったからだ。
「ノ……ルド…………」
「「ッ!?」」
エルゼとジータは驚愕に目を見開いた。
意識して耳を傾けなければ聞き逃してしまいそうな程、か細くか弱い声。
だがその声には、先程技名を放った時のような機械的な声だけではない、息を吹きかければ消えてしまいそうな程小さな、意思があった。
「ま、さか……そんな……」
「……ッ」
ジータは動揺を隠せなかった。エルゼはただ顔を顰めて睨んでいた。
彼女には……ユウナの死体には。確かに、意思がある。
「止め、てくれ……ッ」
今まで聞いたことない声が聞こえた。
その声に、ジータはハッとしたように手元を見る。エルゼも視線だけ後ろに向けていた。
「……もう、割り切ったんだ……決めたんだ……諦、めたんだ……ッ……」
その声の主はフォルガント王だった。
先程の勇ましさなど嘘のように消え失せ、嗚咽が混じったような、聞いているだけで泣きそうになってしまいそうな程、悲痛な声だった。
……ミタマミトの能力により、言わされているだけならばまだ良かった。
ユウナはとっくに天国に辿り着き、あの変わらない朗らかな笑みで見守ってくれていると信じたかった。
希望なんて、何一つ要らなかった。
「だ、から……」
だが、存在してしまった。
誰もが望み思い描くような、あまりにも都合の良い、害悪なる希望が。
その輝かしい希望を憎しむように、フォルガント王は叫んだ。
「俺に……希望を見せつけないでくれ……ッ!」
その悲痛な顔は、ユウナの虚ろな瞳に吸い込まれていった。




