第三八話 学校は今日も青春だ!①
溜まりに溜まった書類仕事も一段落し、慌ただしかった日々が落ち着き、いつも通りの日常が戻ってきてくれた数週間後。
俺との約束事を護ってくれたリグルさんが、国を旅立った翌日である。
いつも通り修行に付き合ってくれたリーンが、相変わらずボコボコにされて芝生の上に突っ伏していた俺にこう切り出した。
「ねえ、アンタって勉強出来たっけ?」
「……確認だけど、悪口じゃないよね?」
「違うわよ。純粋に勉強出来るかどうか聞きたいの。アンタ、故郷で学生やってたって言ってたじゃない」
そんなリーンの質問に、俺は嘗ての学生時代を思い返す。
「一応、故郷での義務教育は終わってる。成績はまあ……同学年の生徒120人中、30位ぐらい? かなぁ?」
「そこそこ高いわね」
「期末テストだけは全力で取り組む人間だったので。それで、いきなりどうしたんだよ、そんな事訊いて」
と、訊ね返すと、リーンはしばし考え込むような素振りを見せた後、倒れる俺に手を伸ばして。
「ちょっと、後で孤児院に来てくれない?」
何でも今、年長組が最低限の教養を身に着けようと勉強を始めたのだが、自分にはゆっくりソイツらの勉強の面倒を見てやれないので、手伝って欲しいとの事。
勿論そういった頼みであるならば、俺が首を横に振る道理は無い。
ってな訳で、現在俺は孤児院で子供達に勉強を教えていた。
まあ、教師みたいに教壇になってあれこれ言う訳じゃなく、あくまで息詰まった時にヘルプする程度だ。
言わば、臨時の塾の先生だ。
「うーん……」
「おうカイン、悩んでるな」
「いやぁ、掛け算ってのがどーもなぁ……仕組みは分かるんだけど、いちいち頭の中で計算するのが辛い」
「あー、成程ねぇ。辛えよな、掛け算」
ちなみに俺は、出来ない子供の気持ちに寄り添う、を心情としている。
一見簡単な問題でも、それは俺が大人というだけであって、子供からして見たら難問なのだ。
「俺の故郷には九九って覚え方があってな。まあザックリ言うと、1✕1から9✕9までの計算を、まるっと暗記しちゃおうって感じだ」
「えー……出来るのかよ?」
「俺も当時は思ったよ。だけどそれら全部暗記しちまえば、次のステップの割り算がスッゲエ楽になる。ちょっと一枚紙貰うぜ」
「おう」
カインから了承を得て、俺は一枚の紙に九九の計算式を全てペンで書いていく。
その様子を見ていたカインや他の年長組が、こぞって俺の横から紙を覗き見てきた。
「うわ、魔王様すご……ノンストップじゃん」
「凄すぎてちょっとキモイ」
「ひっでえな、お前らもいずれ俺みたいにキモくなれるぞ、喜べ」
「字面が酷くて素直に喜べねえよ」
なんてワチャワチャしている間に、俺は紙に九の段まで全てを書き切った。
「この計81の計算式を覚えれば、もう敵無しだ。ちなみに1✕1から1✕9までのこの列を一の段って言って、いんいちがいち、いんにがに、みたいに語呂良く覚えてくんだ」
なんて、九九について出来るだけ分かりやすく、事細かく説明していく。
カインだけに教えていた筈なのに、いつの間にか俺の周りに勉強していた奴らほぼ全員が集まってきていた。
何だろう、本当に先生になった気分。
「取りあえず、この表見ながらブツブツ呟いてれば、いずれ覚えられるよ。ちなみに0は何掛けても0になるから引っ掛かるなよ?」
「「「おー……」」」
と、説明が一段落し終えた所で、パチパチとまばらな拍手が聞こえて来た。
「にーちゃん、見かけに寄らず頭良いよなぁ」
「印象からして、今までおれ達みたくバカだと思ってた」
「アホ毛立ってるしアホかと」
「拍手喝采しながらディスってんじゃねえよ! あと、アホ毛生えてるからってアホとは限らねえからな!?」
ジータだって、俺よりも立派なアホ毛が生えているのも関わらず、知り合いの中でトップレベルで頭良いしな。
「第一、俺の故郷の国の学校が、ここら辺の国と比べて英才教育だったってだけだ。寧ろ、自主学習でここまで出来るお前らがスゲえよ」
「そうかぁ?」
普通、教科書読んで内容理解出来る奴なんて居ない。
その教科書の内容を分かりやすく解説してくれる教師があってこそ、初めて理解出来る。
少なくとも、俺はそうだ。
と、この世界の子供の学習能力に感心していると、今の扉が開き、お盆を持ったリーンとミドリがやってきた。
「はい、おやつよ」
「……紅茶もあるよ」
「おー、ありがとな」
「どう、順調そう?」
「うん。魔王様、ママより教えるの上手いよ?」
「ッ。そ、そう……」
子供の一人に言われた悪意の無い言葉に、リーンの目元が少しピクッとする。
まあ、屈辱なのは分かるけど……。
俺は話を逸らすようにわざとらしく咳き込むと、ミドリに視線を移した。
「ミドリは勉強とか大丈夫なのか?」
「……私、掛け算割り算は5歳の頃からやってる」
「ええ……?」
「外に出れなかった時間、ずっと勉強してたんだって」
何とも悲しい理由だ、素直に凄いと褒めるべきなんだろうか。
と、悩んでいると、その事実を知ったカインが徐に俺が作った表をマジマジと見始めた。
「お、俺だって、すぐにこんくらい出来るようになってやる」
「男の子のプライドだなぁ。いいぞ、頑張れ」
「うるせー!」
そんな、和んだ空気が孤児院を包み込む中、俺は少し懸念に思っている事があった。
今までのやり取りの中で、いや、皆が孤児院で勉強しているというこの時点で、誰もこの状況に疑問というか、不服感を抱かない。
その、不服感というものは何なのか。
ソレは……学校の存在だ。
「――今更だけどこの国ってさ、学校無いよな」
「そうですね。でも、いきなりどうしたんですか?」
後日。執務室でいつも通り書類仕事を熟し終えた際、開口一番にリムにそう尋ねた。
向かい側のソファに座り、持っていたティーカップの紅茶を冷ます為、念入りに息を吹きかけていたリムは、俺の言葉に顔を上げる。
「いやさ、この前孤児院でアイツらが算数の勉強してたんだよ」
「お兄ちゃん、意外と計算得意ですもんね」
「まあ、一応学校通ってた身だからな。んで、ふと思ったんだよ。何でこの国学校無いのかなって。ホラ、この国の子供の勉強方法、完全に家庭学習じゃん」
そうなのである。
このバルファスト魔王国、教育機関と呼べる場所が、一つたりとも無いのだ。
今まで、そういった教育機関は無い世界なのかなと思っていたのだが、フォルガント王国には普通に国立学校がいくつもあるし、カムクラにも寺子屋のような場所もあるようだ。
そして、調べてみればみるほど、この世界において学校は普通にメジャーな機関であって……。
「学校が無いって、結構国家として由々しき問題じゃね?」
この国の王となって一年と少し、本当に今更ながらその結論に至ったのだった。
真顔でそんな素朴な疑問を口に出すと、リムは少し考え込むように。
「成程……確かに、そうかもしれませんね」
「そんな納得するようなもんなの!? 結構当たり前じゃない、学校って!」
「えっと……お兄ちゃんは他所の人だからかもしれませんが、この国が建国されてから今まで、学校が建てられた事がないんです」
「えっ?」
「歴代魔王様達は、世界征服の為に、国民に学力より武力を身に付けさせたかったようで……あと、国民の頭が悪ければ、駒として扱いやすいとか。まあ、それはパパ……お父さんから教えて貰った知識ですが」
そんな事を、さも平然と言っているリムに、軽い恐怖を覚えてしまう。
今まで、俺が設置した目安箱に入ってる国民の意見に、『学校を建てて欲しい』という要望が一度も無い事に対して疑問に思ってはいたが……。
つまり学校が無い事が、この国にとって常識なのだ。
「相変わらず魔王ってクソだな」
「それなのに、何でお兄ちゃんはこんなに良い人なんでしょうね……?」
「ナチュラルに褒められちった」
「知ってますか? お兄ちゃんが良い人過ぎて、巷では異端児って呼ばれてるみたいですよ?」
「良い奴なのに異端児呼ばわりなのかよ」
素直に喜べねえな……いや、こんな俺が良い奴認定されるレベルで、歴代にクソしか居なかったという事なのだろう。
……うん、だとしたら尚更喜べねえな。
「ちなみにリムは、サラさんに勉強教えて貰ったのか?」
「はい。ママ……は、元々博識だった人ですから。それなりには」
「もうお母さん呼びを諦めちゃったね。そっちの方がいいよ」
「う、うるさいですお兄ちゃん!」
プンスカという効果音が聞こえて来そうな怒り方をするリムを微笑ましく思いながらも、改めて考える。
この一年半の間、この国は何度もアダマス教団の手によって滅ぼされ掛けた。
勿論、その度に俺は命がけで戦ったし、これからもそのつもりだ。流石に毎回死にかけるのは嫌ではあるけど。
アダマス教団をぶっ潰すその日まで、本当の本当に気の抜ける時間は訪れない。
だが、いつ来るかも分からない敵に対して、いつまでも身構えている訳にもいかない。
ならば今こそ、国のこれからを考えるべきなのでは?
そのように、頭の中で考えが纏まった俺は、徐に立ち上がる。
そして千里眼を発動し、窓の外から孤児院の庭で遊ぶ子供達を見つめながら、ポツリと呟いた。
「学校、創ろう」




