第三七話 里心は今日も無意識だ!①
フィアが指定していた長い縁側を、俺はゆっくりと歩いていた。
別にフォルガント王が怖いから意図して歩いている訳ではない……ないんだからね!
ただ、ここから見える庭園の景色に、思わず見惚れていたからだ。
やはり初代カムクラ王がこの庭園の造りを伝えたのだろう、何処からどう見ても日本庭園。
床に敷き詰められた白い玉砂利、ひょうたん型の小さなため池、石の灯籠、松の木のような針葉植物。
そしてそれらを幻想的に照らす、青白い満月。
ここは異世界だというのに、まるで京都に観光旅行にでも来ているみたいだ。
思わず、ため息が溢れる。
暫く縁側に沿って進んだその先に、フォルガント王が腰掛けていた。
片手に杯を持って、ボンヤリと月を眺めている。
その脇には徳利が置いてあり、それを挟んだコチラ側にはもう一つ空の杯が。
「やあ、来たか」
フォルガント王は、月を見上げたまま俺に話し掛けた。
距離的に足音では気付かない、恐らく気配で察したんだろう。
流石は先生、強者の風格がある。
「来ちゃいましたよ。一応訊きますけど、怒ってませんよね?」
「怒ってないさ、君がレイナを運んでいる間に頭が冷えた」
「し、信じらんねえ……あのキレっぷりがこの数十分で落ち着くとは思えねえ……」
「わ、悪かった、だからそんなに警戒しないでくれ。折角リョータ殿と一杯月見酒と洒落込もうと思ってたんだから」
苦笑するフォルガント王に、俺は頬をポリポリ掻きながらその隣に並んで、縁側の淵に腰掛けた。
するとフォルガント王は、空の杯に徳利の中身を注いでくれた。
「ありがとうございます。えっと、乾杯」
「お疲れ様。乾杯」
そして軽く杯を合わせると、俺はその白く濁った中身を一口呷った。
「……ふう。美味しいけど、やっぱ慣れねえなぁ」
「そうか? 私はこの辛口が好きだがな」
「俺はまだ16ですよ? まだお子様なんです……いや、気絶してる間に誕生日迎えて今17か」
「それは災難だったな」
「まったくですよ。折角リーンが今年の誕生日祝ってくれるって言ってたのに、一ヶ月も気絶しやがってこの寝坊助が……」
「ハッハッハッ。人生まだ長いんだ、来年を楽しみにすればいい」
「……ですね」
お互い、月を見上げながら他愛ない話をする。
普段なら、目の前のバーテンダーのライムさんの作業風景を眺めているが、換わりに今はこの美しい日本庭園が目を飽きさせないでくれている。
「それで、レイナはどうだった?」
「この他愛ない流れから唐突にぶっ込んできましたねぇ……まあその、色々あったけど頑張って寝かしつけましたと応えておきます」
「…………そうか、娘が迷惑掛けたな」
「今の溜め何ですか止めて下さい逃げますよ? あと、メンタル的に一番迷惑掛けてきたの先生ですからね!? 呼び捨てされた時なんて、マジで心臓止まりましたよ!」
「悪かった悪かった! あの時私も少しばかり酔いが回っていたんだ。アオキに『其方は今でも酒が入るとああなるのか……』と呆れられたよ」
「今でもって……ああ、奥さんにもあの溺愛っぷり炸裂してたんですか。当時のエルフ達ドン引きでしたでしょ?」
「ああ。恥ずかしい話しだな、まったく」
ちなみに、お互い酒が入ると結構ズケズケ言う。
まあ、何も包み隠さず下らない事を言い合えるのも、お酒の力なのかな。
「ハイデル達あの後どうしました?」
「そのまま浴場に行ったよ。多分今頃上がっている頃かな」
「いいなー、俺もお風呂入りたいです」
「朝も解放していると聞いている。だから今夜は私に時間をくれ」
「まあ、こうして飲むのも久しぶりですからね、いいですよ。寧ろ、もうちょっとだけこの風景を眺めてたいです」
そう応えて、俺はもう一口酒を口に含む。
こういう、ちょっと形式的な事するのも結構好きだからな。
縁側で月見酒するというのも、ちょっと憧れてたし。
父ちゃんも、こういうの好きでよくやってたな。
今、日本は昼なのか夜なのか分からないが、今でも父ちゃんはこんな風に月を見上げて缶チューハイを飲んでいるのだろうか。
いつか、俺もその隣に座って飲もうと思っていたけれど、叶わなかったな。
「…………」
「リョータ殿? 何だか物寂しそうな顔をしているな」
「……ちょっと、故郷の事を思い出して」
「そうか……」
隠さずにそう告げると、フォルガント王はそれだけ返して一口呷った。
それから、少しの間沈黙が流れる。
風の音に乗って、微かに虫の声が聞こえてくる。
目を瞑りながらその音を堪能していると、フォルガント王が口を開いた。
「リョータ殿、少し見て貰いたいものがある」
「何ですか?」
唐突なその言葉に首を傾げていると、フォルガント王国は懐からとある物を取り出した。
それはどうも本のようで、用紙の変色具合から見て相当な年代物だろう。
サイズ的にも小説や図鑑のようでは無いし……手記か?
「誰のですか?」
「いいから、ちょっと開いてみてくれ」
「……?」
ヤケに押し付けてくるフォルガント王を怪訝に思いながらも、俺はその手記を受け取りページを開いてみる。
「……!」
えっ……ちょ、コレって……。
そして、ソコに書かれている文章を読んで息を呑んだ。
そんな俺の様子を見て、フォルガント王は小さく息を吐く。
「……分かるか、この手記に書かれている文字の意味を」
「…………」
俺はゆっくりと手記の文面から顔を上げて、そのままフォルガント王を見つめ返す。
フォルガント王は、まるで今の俺の反応を読んでいたように、小さく微笑んでいた。
俺はその表情に思わず視線を逸らすと、そのままポツリと。
「……すいません、達筆すぎて分からないです」
「………………」
……この場の空気が、一瞬変になってしまった。
「た、達筆……?」
「はい。その……俺はここに書いてある文章を全て解読は出来ません」
「そ、そうか……読みが外れたか……? だとしたら恥ずかしいな……」
と、俺の素直な返答にフォルガント王は小っ恥ずかしそうに頬をポリポリ掻いていた。
「フッ、フハハッ!」
「な、何だ、私だってこういう時もあるんだぞ!」
その反応に思わず噴き出してしまうと、フォルガント王が眉をしかめて食い気味に反抗した。
やっぱり、この人は面白いな……それに、凄いや。
「この手記、カムクラ王さんから借りたんですか?」
「ああ、初代カムクラ王が残したと言われる物だ。ワガママを言って、今晩だけ貸して貰った」
「やっぱりか。まあ、本の材質から何まで違いますからね」
俺はページをパラパラと捲りながら苦笑して、最後の一文に目を通してそのまま閉じた。
…………。
このまま話しの話題が変われば、恐らくもうこの機会は訪れない。
……何時までも、誤魔化してしまうのもな。
きっと先生は、俺を気遣ってこの手記を見せてきた。
だから俺も、その気遣いに素直に応えようじゃないか。
それに、良い機会だ。
俺が……皆にこの事実を打ち明ける第一歩として。
「……神座緑葉」
「……!」
「この手記を書いた、カムクラ初代国王の名前ですね。年号は享保十五年……江戸時代後期辺りか」
「リョータ殿……」
「俺は全て解読できないと言っただけで、何も全く読めないなんて一言も言ってませんよ? つっても俺の時代から三百年以上も前の文章です。現代とは書き方も違うから、全部は読めません。まあ、チラホラとは理解出来ます。歴史の授業真面目に受けてて良かった」
俺はそうニヤリと笑って、手記を目を見開くフォルガント王に手渡す。
するとフォルガント王は、一本取られたなと言わんばかりに頭を叩くと、小さくため息を溢した。
「まったく、あまり意地悪しないでくれ」
「さっきの仕返しですよ、ソレに比べちゃ可愛いもんでしょ」
「そうだな」
俺達はそう言い合って、一頻り笑い合った。
そして笑い終わると共に再び月を見上げて、俺は杯の中身を全て飲み干す。
そのまま杯を膝の上に置き、淵を親指でなぞりながら。
「先生」
「……何だ?」
「先生がこの手記を見せたって事は……」
……まったくそんな予感はしなかった。
確かに白米ではしゃいだり着物を知っていたり、色々ヒントは垂れ流してはいたが、気付く人が居るなんて、思ってもいなかった。
それもその人が、この国の住民でもなく、カムクラ王でもなく、フォルガント王だとは。
どうしてフォルガント王なのか、何故そう思ったのか。その疑問は未だ消えていない。
これから全てを打ち明けるのは、少し怖くもあるが。
それでも、嬉しかったんだ。
「気付いてるんですね、俺の正体に」




