第三五話 重さは今日も奮然だ!⑪
カイン視点から
「――いい加減に起きなさい、カイン」
「……んぁ?」
聞き慣れた声と共に、俺の身体を包んでいた布団が消え去る。
すると、寝間着の隙間から身体全体に肌寒い空気が入り込み、嫌でも微睡みから目が覚めた。
「さむ……」
「おかげで目が覚めるでしょ」
気怠い身体を起こしながら目元を擦ると、その声の主はヘッと笑いながら言った。
後ろに束ねた明るい茶髪を肩に掛け、ソバカスだらけの顔で苦笑しながら俺を見つめているその人。
「おはよ」
そう言って気さくに挨拶したのはカナ・トラディ。俺の母親だ。
「部屋に入ってくんなよ……」
「ノックしても起きないアンタが悪い。それとも、何か変な物でも隠してるの?」
「はぁ? ねえよそんなもん。仮にあったとしても、こんな狭い部屋の何処に隠せるんだよ?」
「家の狭さは父さんに言って頂戴。それに、アンタも父さんの血が流れている以上、無いとは言えないわねー」
「……オイ、父さん部屋に何隠してんだよ? 場合によっちゃ俺家出てくぞ」
「そんな失望するようなもんじゃないって事だけは弁解しとく。まあ、アンタもいずれ分かるわよ」
何か含みのある言い方だが、知っても得する事じゃないのは分かりきっているのでこれ以上詮索するのは止めた。
部屋を出てリビングに出ると、パンとスープ、安い紅茶といういつもの朝食を食べている、筋肉質で焦げ茶色の髪色をした父さん、イント・トラディが居た。
「おはようさん。なあ、さっき変にクシャミが出たんだが、俺の話でもしてたのか?」
「べっつにー? ねえカイン」
「フンッ」
「オイ、明らかに息子の機嫌が悪いぞ……母さん、何話したんだよ……」
腕を組んで顔を逸らす俺の反応に、父さんは露骨に眉をひそめた。
そのまま俺は父さんの正面の席に座り、母さんはその間の席に座る。
そして、一家揃って朝食を食べ始めた。
パンを咀嚼しスープを啜り、料理で隠れていた皿の面積が増えていく。
「そう言えば、さっきカインが部屋が狭いって言ってたわよ」
「オイオイ、あんま文句言うなよ」
「文句じゃねーよ。狭いとは思うけど、別に広くして欲しいって訳じゃねーし」
「でも、これからのカインの成長見越すと、流石に今の部屋は狭すぎるかもね。新しく増築する?」
「そんな金があったらなぁ」
「オイ、父さん。バルファストで一番の小麦農家なんだろ?」
「そうだとしても、そもそもこの国で回ってる金が少ねえんだよ。まあいいじゃないか、こんな小さな家だが、逆に味があるってもんだろ?」
「……ハッ」
「鼻で笑いやがって……」
「雨漏りばっかで床板腐りかけてる家の、何処が味なのよ」
「……頑張って働く」
……いつもとまったく変わらない、他愛の無い会話。
だが、ソコには確かに家族の繋がりが感じられる。
そもそも、こんな軽口を叩き合っているが、家族仲は割と良好だと思う。
主に、父さんと母さんが。
何せ、母さんのカナと父さんのイントって名前から俺の名前を付けたらしいし。
かといって、別にイチャつきまくってるって訳でもない。
ただ、お互いの雑な扱いの中にも、信頼がある。そんな感じだ。
だから息子としては、これぐらいが見ていて丁度良い。
「アンタはおっきくなった時、ちゃんと稼いでちゃんとした家に住みなさいよ」
「言われなくても。何だったら、仕送りしてやろうか?」
「バカにすんな、父さんはまだまだ若いぞ。仕送りなんてジジイになって働けなくなったときだけだ……でもまあ、ヤバかったら頼む」
「そこは自信持ちなさいよ」
――父さんの小麦畑は、バルファスト魔王国を上から見た際の、西側の外壁に沿った場所にある。
国の敷地の中ではない為、モンスターや野生動物の被害に遭うことも多々あり。
だがその変わり、面積はかなり広いし収穫量も申し分ない。
その小麦畑を、父さんと母さんの二人が管理している。
と言っても収穫時期以外にやる事は、基本雑草取りと水撒きという、だいぶ地味な作業だ。
その割にかなり身体を使う。
「あ~、腰痛え……」
鎌を手に雑草を毟っていた俺は、上半身を仰け反らせてウンと伸びをする。
すると近くで同じように雑草取りをしていた父さんが、呆れたように。
「そんなんで音を上げてちゃ駄目だぞー。まだ若いんだから、身体丈夫だろ」
「うっせえ。というか、父さんだってまだ三十なのにいつも腰痛そうじゃねえか。いつだったかギックリ腰になっちまってよ。あん時父さんの代わりに俺が色々したの、忘れた訳じゃねえだろーな」
「治った記念に飲食店行ったろ、迷惑掛けたお詫びって」
「……そう考えると、父さんにもういっぺんギックリ腰になって貰いてえな」
「ひっでえ! コイツ父親の身体よりも飯選びやがった!」
父さんは歯ぎしりしながら俺を睨むが、知らんぷりして草むしりを続行した俺にため息を溢し、同じように作業を再開した。
しばらく、黙々と作業が進む。
そよ風がまだ青い小麦を揺らし、遠くから小鳥のさえずりが聞こえる。
そんなのどかな時間は、割と嫌いじゃ無い。
一区切りし終え、集めた雑草を縛っていると、唐突に父さんがこう訊ねた。
「なあ、カインは将来何になりたい?」
「んだよ、唐突に」
「いいじゃねえか。聞かせてくれよ」
将来の夢……そんなもの、特に考えた事もなかった。
将来、将来なりたいものねえ……。
「……まあ、無難に農家かな」
「別に、俺達はお前に後継いで欲しいって思ってるわけじゃねえぞ? そうなら嬉しいが、そういったお堅い方針は好かん」
「だとしても」
変に勘違いさせてしまったようで、眉をひそめる父さんにそう付け足した。
農家は確かに色々面倒臭え。
農業は自然との闘いだし、収入も安定しない。
他にも、もっと安定した職だってあるだろう。
だが、それでも農家がいい、かもな。
草むしり腰は痛えし疲れるが、良い運動にはなるし、よく眠れる。
何より、飯が美味くなる。
だから今までこうして手伝ってた節があるが……やり甲斐みたいなものを、確かに感じていた。
「あくまで今の所は。まだ漠然とそう思ってるってだけだ。でも大人になった時考えがそのままなら、まあ宜しく頼む」
「カイン……お前、本当に良い息子に育ったな……口悪いけど」
「それはアンタのせいだろうが。ホラ、んな事より。母さん昼飯出来たみてえだぞ」
「ああ行こう……腹減ったな」
俺と父さんは、小麦畑を離れバスケットを持って来た母さんの元へ向かって行った。
――スッカリ日も暮れて、夜になった。
いつもよりも、ちょっとだけ豪華だった夕食を終え、後は寝るだけという時間だが。
「ええー、本当に後継ぐの? 厳しいわよ? 年収低いわよ?」
「だから今の所はだって! 父さん、やっぱり継いで欲しかったんじゃねえか」
「あっはは……」
俺は、テーブルに座って父さんと母さんと喋っていた。
それぞれのマグカップに紅茶を注いで、温くなるまで。
下らなくて他愛の無い会話を、遅くまで。
「……さてと、いい加減寝るか」
「そうねぇ。カイン、アンタも早く寝なさい。あと、紅茶飲んだからってお漏らししないでよ?」
「し、しねーよ……」
「自信はねえのかよ、大人ぶっててもまだまだお子ちゃまだな」
「うるせえ」
ケラケラと笑う父さんを睨んだ後、俺は残った紅茶を喉に流し込むと、マグカップをテーブルの上に置き、一呼吸置く。
そしてそのまま自分の部屋に戻る……なんて事はせず。
「なあ、父さん、母さん」
「ん?」
「何?」
二人の顔を、改めて見つめながらこう切り出した。
「俺さ、好きな女の子が出来たんだ」
そんな、突然の告白に、二人は顔を見合わせた。
それを聞いたら、普段の二人なら困惑するか、逆に嘘だろと笑い飛ばすかするだろう。
でも、今回は……今回だから、二人は黙って聞いてくれている。
「ほんの数ヶ月前に知り合ったばかりなんだけどな。顔はスッゲエ綺麗なのに、全然表情顔に出さなくてよ。何考えてるのかもサッパリだったんだ。でも最近になってやっと、アイツが何考えてるのか、ほんの少しだけ分かるようになったんだ。あと、誰よりも責任感が強くて優しい事も」
……父さん、母さん。
「でもソイツ、メチャクチャ自分自身を嫌っててよ。それに、スッゲー厄介な面倒事に絡まれてたんだ。だから何とかしたくって、アイツとちゃんと向き合いたくて、俺、色々頑張った」
俺、嬉しかったぜ。
「勿論ソレは俺だけじゃなくて、色んな人の助けがあったからだけど……俺、アイツを助けられたんだ。だから俺は胸張って言えるぜ、強くなったって!」
最後に、二人に会えて。
「だから――もう俺は、大丈夫だ」
そう、笑顔で言って見せた瞬間、家の天井や壁が霧散するように消えていく。
俺達三人は、いつの間にか広い花畑の上に立っていた。
さっきまで夜だったのに、空は澄み渡った青に染まっている。
足下には、小さなピンクの花弁が寄せ集まっている、可愛らしい花が咲き乱れている。
非現実的な現象に光景。そしてそれを受け入れている自分。
やっぱり、そうなんだな。
「コレは……夢か」
「ああ、そうだ。どうやら霊魂には、親しい人の夢に干渉できる力があるらしい。そもそも、夢の世界ってのが生と死の間の世界って言われてるみたいだからな」
俺の呟きに、父さんがヘラヘラと笑いながら応える。
だがすぐに、困ったように笑った。
「すまねえなぁ。お前を残して殺されちまった挙げ句、最後の最後まで迷惑掛けちまった」
「言うなよ、しょーがねえ事なんだから。でもそっか……やっぱり救えたんだな、あの剣に捕らわれてた魂」
「ええ。皆アンタのお陰だって言っててね。そのお礼に皆が協力してくれて、夢の世界にここまで深く干渉出来たの。だからアンタは、夢の中でも記憶がハッキリしてた」
そういう事だったのか、通りで……。
「ってか、じゃああの夢も二人が見せたってのかよ? 何の意味があるんだ?」
「いいじゃないの、何でも出来る夢の世界だからこそ、あの時の暮らしに戻ってみたかったのよ。というか、ずっと気付かないフリしてたアンタもアンタよ」
「両親の最後のワガママに乗っかってやっただけだ」
別れの挨拶だっていうのに、俺達はいつだってこうだ。
緊張感も無くて、他愛なくて。
でも、ちゃんと温かくって。
「俺達はお前に何もしてやれなかったが、最後にプレゼントがある」
「プレゼントぉ? 何処に? ってかここ夢の中だろ?」
「ちゃんと現実にあるよ。現実の、俺達の家に」
「……もしかして、父さんが隠してるってやつか?」
「御名答。ソレが何かは、後でのお楽しみな」
「えー……」
「嫌そうな顔すんな、父親の最後の贈り物だぞ! 黙って受け取れ」
父さんの贈り物……まあ、折角だし貰っておこう。
…………。
「……さてと、そろそろだな。もうすぐこの夢が終わる」
段々と白くなっていく世界の中、父さんが少しだけ寂しそうに言う。
「……そっか。二人はこれから、どうなるんだ?」
「さあな。ただ、この世界にはこの通り魂も幽霊も存在してるんだ。だから天国みたいな場所もあるだろ。そこでノンビリ、小麦でも作ってるよ」
「ちゃんと、食べて寝て勉強しなさいよ? じゃないと、その好きな子に愛想尽かされちゃうかもだから。それと……リーンちゃんに、ありがとうって伝えてね」
「分かった」
終わってしまう。
この幸福な夢が、終わってしまう。
「カイン、本当にお前は強くなったな」
「言ったろ?」
「でもそれ以上に、優しくなった……母親として誇り高いわ」
「そーだろっ……?」
「……頑張ったな、カイン」
「……本当に、よく頑張ったわね」
「ああ……ああ…………う、ううぅ……ッ!」
だから俺は、全力で泣いて、全力で悲しんで。
「父さん、母さん……元気でなッ!」
全力で笑って、見送ろう。
それが俺に出来る、二人への最高の恩返しだから。
「カイン……ッ」
母さんが、俺を力一杯抱きしめた。
「愛してるわ……ずっとずっと、アンタを愛してる……」
「うん……」
「俺もだ、カイン……愛してるぞ」
……ああ、俺は幸せ者だな。
こんなにも、両親に愛されていたんだ。
こんなにも、二人を――。
「父さん、母さん……俺も……愛してる」
俺はもう、大丈夫だ。
大丈夫だけど、今だけは。
例え本物じゃなくても、全部が夢の中での出来事だとしても。
この夢が終わるまで、ほんの僅かな時間だけでも。
二人の温もりの中に、居させてくれ。




