第三四話 呪いは今日も残酷だ!⑧
カイン視点から
……どんなに危機的な状況でも、敵の情報を知る度に、俺達が圧倒的に不利だと知らしめられても、にーちゃん達は微塵も諦めちゃいなかった。
全力で敵にぶち当たって、どんなに強い敵と相まみえたって、立ち上がっていた。
絶対に何とかなると、信じて疑わなかった。
だから俺も、信じることが出来たんだ。所謂、ハッピーエンドってヤツを。
でも、こんなの見せつけられて……まだ、信じろっていうのかよ……?
「流石に戦意尽きちまったかぁ。あーあ、勿体ない」
その場に座り込み、茫然自失になっている俺を、顔を顰めながらアカツキが見下ろす。
その隣では、ミロクが勝ち誇ったような表情をしていた。
普段の俺ならぶん殴ってやりたいと思うだろうが、今はそんな意欲すらも湧かなかった。
もう、俺には何も出来る事が無い。
隙を突いて、ミロクから魔道具を取り上げる……?
無理に決まってるだろ、飛び出した瞬間砕かれて終いだ。
もし仮に間に合っても、アカツキに斬られて無駄死に。
誰かの助けを待ち望もうとも、間に合うはずも無いし、今の俺と同じように、何も出来る訳がない。
もう、変えようのない、残酷な運命。
救いようがない、皆の命。
ハハッ、そうか……コレが、絶望ってヤツなのか……。
「では殿……やってしまっても、いいですかな……?」
そう言ってミロクは、水晶をしっかりと握り締めた。
割れやすい材質なのか、ピシピシと亀裂が入る音が聞こえる。
俺はその光景を、ただただ眺めていて……。
「まあ、ちょっと待て」
「何ですか……? まだ何か……?」
唐突に、アカツキがミロクを制止した。
いい加減腹が立っているのか、こめかみをピクピクさせながら、ミロクは聞き返す。
「少しくらいは、コイツと姫に別れの挨拶をさせてやろうじゃないか」
「……殿が敵に対して情を抱くなど珍しいですな……もしや殿、戦いが長引くような転機を待っておられたりは……」
「おっとバレた」
「殿……! まあ、どうせ助けもこないでしょうし、どう足掻いたって此奴らが我らに敵うはずがない……いいでしょう……」
…………。
「……情けなんて、要らねえよ……もっと惨めになるだけだ」
「黙れ……! 我らが情けを掛けてやっているのだ、ありがたく思え……!」
これから自分達を殺そうとしている奴に、ありがたく思える訳ねえだろうが、どんだけ傲慢だよ、コイツ。
……でも、それなら最後。
ミドリと、ちゃんと話しておきたい。
「ミドリ……」
俺が正面に座り声を掛けると、ミドリはゆっくりと起き上がり、涙で濡れた顔を見せてきた。
今まで鉄仮面のような表情だったミドリが、今では泣き出してしまいそうな顔をしている。
俺は爪が食い込むほど握る手に力を込めながら、口を開いた。
「俺は――」
「私の事、嫌いになったよね……失望したよね……?」
だが、それをミドリが遮った。
「ゴメンね……本当に、ゴメン……私結局、何にも守れなかったよ……こうなる前に、こうなる前に死んでおけばよかった……」
ミドリの、今まで綺麗だと思っていたその緋色の瞳には、もう光が見えなくなっていた。
絶望に、染まっていた。
一体彼女は今、どれ程の苦しみを抱いているんだろう。
ミドリは、結局何も出来なかった俺以上に、無力感に苛まれている筈だ。
「ミドリ」
俺は真っ直ぐと、涙に濡れたミドリの瞳を見つめる。
「俺はお前を嫌いになってない。失望もしてない。友達のままだ」
「……本当に、カインは優しい。でも、いいよ? 本当の事、言っても……」
「とっくに本当の事言ってるから、もう言う事ねえよ」
「嘘……」
「嘘じゃねえ!」
「嘘……ッ! 私はさっきリョータを刺したし、これから更に皆を殺すんだよ……!? 私が振り撒いた呪いで……! そんな悪い子、友達だって言ってくれる人、居るわけない……世間知らずでも、それぐらい分かる……」
……確かに、コイツの行動だけ見れば、そうなのかもしれない。
きっと自分がコイツと同じ立場なら、同じような事を思っていただろう。
でも、そうじゃない。ミドリは、悪い奴なんかじゃない。
その根拠だってある。
「じゃあ何で今まで俺に、孤児院の奴らに触れなかった!?」
「ッ」
ミドリの呪いを知って、一番気になっていた事を、そのままぶつけた。
するとミドリは、少しだけ息を呑んだ。
「お前が今までアイツらを避けてたのは、俺が何度手を差し伸べても掴もうとしなかったのは、俺達に呪いを掛けないようにする為だったんだろ!?」
最初は、嫌われているだけかと思った。
でも少しは、照れ隠しなんじゃないかとも期待した。
でも、それはそんな子供っぽい理由じゃなく、俺達を自分から守ろうとしての行動だったんだ。
「…………」
口元を微かに結ばせていたミドリは、ゆっくりと口を開き、掠れたような小さな声で。
「……皆が好き、だから……」
そう言った瞬間、ミドリの目から大粒の涙が溢れ出した。
「今まで独りぼっちだった私に、皆優しくしてくれた……友達になってくれた……家族だって言ってくれた……! だから、どうせ国が滅んで、いずれ死んじゃう事になっても、皆に呪いを掛けるなんて……出来なかった……」
そうか……それが、お前が今までずっと胸の内にしまい込んでた、想いなんだな。
「カイン……このまま、逃げて……?」
「……逃げたって、どうせ捕まって殺されるだけだぞ」
「それでも、カインには少しでも生きてて欲しい……!」
ミドリはそう言うと、涙を溢し続けたまま、微笑んだ。
「好きな人に、死んで欲しくない……」
…………。
お前の、初めて見せてくれた笑い顔が、それかよ。
でも、俺が好きな人……か。
……嬉しいな。
「ミドリ」
「……カイ――」
……耳元で、ミドリの息を呑む音が聞こえる。
俺の首筋に、彼女が溢す涙が落ちる。
その小さくて柔らかい身体が、震えているのがよく伝わる。
「な、何、やって……!」
「お前を一人になんかさせてやんねーよ」
俺は力強く、ミドリを抱きしめた。
決して離れないように、逃げられないように、強く。
戸惑いながらも慌てて引き剥がそうとしていたミドリだが、諦めたように腕を降ろした。
「何で……?」
「……ずっと一緒に居てやる。何度もお前が自分を卑下したって、その度に俺が否定してやる。だから絶対に離してやるもんか」
「……ッ」
「お前が好きな人に死んで欲しくないってんなら、俺は好きな人を一人で死なせたりはしねえ。最後くらい、格好付かせろ」
「カ、イン……ッ」
嗚咽を漏らしながら、恐る恐る俺の背中に腕を回してくる。
このように、誰かと抱きしめ合った事が無いからなのか、ちょっと力加減が出来ていなくて苦しい。
それでも最後……俺にしてやれる事はこれしかない。
「いい話だなぁ」
「そうですかな、子供の臭い茶番に見えますが……」
区切りがいいと判断したのか、今まで俺達のやり取りを黙って眺めていたアカツキは、そういって感動の二文字が微塵も籠もっていない拍手を送る。
一方ミロクは、吐瀉物を見下ろしているような視線をこちらに向けて、顔を顰めていた。
どっちも腹が立つが、俺はそのまま二人を睨みつけた。
「さてと、じゃあやってくれ」
「了解しました……! ああ、やっと我輩の魔術が火を噴く時……!」
アカツキがそう命じると、ミロクは愉悦に染まった笑いを浮かべ、手に持っていた結晶を握り締めた。
ピシッピシと亀裂が走る音がする度、心臓が跳ねる。
……そりゃ怖いさ。
どんなに格好付けたって、虚勢張ったって、怖いもんは怖い。
でも、最後までミドリが腕の中にいると想うだけで、恐怖が薄れていくんだ。
「じゃあなミドリ姫。そしてカイン」
ゴメンな、ねーちゃん。約束破って。
にーちゃん。俺もアンタみたいに、最後まで格好付けられたかな。
……父さん、母さん。
こんなに早く後を追う、親不孝者の息子を、許してくれ。
そして、ミロクの手に握られていた水晶は、音を立てて砕け散った。
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…………………………………………?
「……は?」
「……オイ、何も起きねえじゃねえかよ」
何で、ミロクとアカツキの声が聞こえる……?
死んだ後も、耳って聞こえるのか?
ってか、何で今俺は意識がある?
えっ……?
死んで……ない?
「ミドリ……?」
「……ッ?」
俺がそう呼び掛けると、ミドリはポカンとした顔を俺に見せてきた。
ミドリも、死んでない……。
じゃあ、あのミドリの心臓を潰すっていう魔法は……。
「オイ、お前の魔術が失敗してたんじゃねえのか?」
「そ、そんな筈ありませぬ……! この我輩が失敗などと、殿でも許しませぬぞ……!」
怪訝そうな顔で見つめるアカツキに、ミロクは顔の血管を浮き上がらせて怒った。
そしてその鋭い視線を、こちらに向けた。
「だとしても、直接姫を殺せばいい……! 『火遁・炎牢の術』……ッ!」
ミロクが放ったその真っ赤に燃え上がる業火は、この部屋を埋め尽くすように広まり、迫ってくる。
どう逃げたって躱せやしない。
例えさっきの魔法が失敗したからって、二度目はあり得ない。
「ミドリ……ッ!」
「ん……ッ」
俺はミドリを庇うように、迫り来る業火から背を向けて、ミドリを力強く抱きしめる。
ああ、今度こそ……! 畜生……!
迫る来る熱に、俺は今度こそ死を覚悟して……!
……アレ? 熱くない……というか。
「わ、我輩の炎が、消えた……ッ!?」
俺の身体に触れたその瞬間、今まで俺達を包み込まんとしていた業火が、霧散するように消滅していた。
その事に、俺は驚いて固まっていたが、ミロクの方がもっと驚きに満ちていた顔をしていた。
「そ、そんなバカな……!?」
「またかよ。どうした、腹殴られたせいで、魔力の流れがおかしくなったのか?」
「いえ、確かにしっかりと発動していたのです……! あの小僧に確実に直撃した……! だというのに何故、貴様はそんな呆けたような顔をしている……!?」
「し、知るかそんなもん!」
何だ、何が起こってるんだ……?
俺達は今こうして生きている。
その事にコイツらよりも、自分の方が信じられなかった。
混乱に包まれる中、ミロクは一人ブツブツと呟き思考する。
「我輩の術が消えた時、妙な感覚があった……。まるで、魔力そのものが打ち消されたような…………ま、まさか……ッ」
突然、目を見開き驚愕に満ちた顔をする。
その視線は、何故か俺に向けられていた。
「そうか、そうなのか……! なんと、なんという事だ……!!」
「オイ、どういう事だよ、自分だけで納得するんじゃねえ」
腕を組み首を捻るアカツキに対し、ミロクは震える手で俺を指差した。
「二度にも及ぶ、我輩の魔術の謎の消滅……その原因はこの小僧……!」
「お、俺……?」
「恐らく此奴は姫と同じ呪い……いや、固有能力持ちです……!」
「固有能力……?」
「あー、何時ぞや他所の国で、ユニークスキルとか何とか呼ばれてたヤツか?」
は……?
何言ってるんだ、コイツら……。
ユニークスキル……? 俺に……?
で、でも、そんな能力持ってる覚えは無いし、第一持っていたとして、何かを発動した覚えも無い。
「我輩の推測ですが……恐らくこの小僧、『触れた対象の魔力そのものを打ち消す能力』を持っている……!」
「は……?」
触れた対象の魔力そのものを打ち消す……?
いや、えっ……? 俺に、そんな力が……?
まさか、信じられねえよ。
だってユニークスキルってアレだろ? あの魔王城の男三人衆が持ってる能力。
でも、ユニークスキルを持っている奴は極めて希だって聞いたことがある。
その極めて希な奴が、俺なんかだってのか……?
混乱する俺を他所に、ミロクは少し強ばった声で説明を続ける。
「魔力はありとあらゆる魔術、固有能力、呪いにとって必要不可欠なもの……そんな根本的な力の源を打ち消されてしまえば、どんなに強力な力であっても、風の前の塵と化す……!」
「スゲえなそりゃ……いや、待てよ? コイツ、さっき姫を抱きしめたよな?」
「ええ、即ち――」
「――我輩の契約魔術だけでなく……今まで姫が数ヶ月掛けて魔族共に振りまいてきた、道連れの呪いも……この小僧のせいで、全てが打ち消されてしまった……ッ!!」
…………そう、か。
いや、まだよく分かんねえけど……。
取りあえず、だ。
ミドリの呪いで、もう誰も死ぬことはなくなったって事でいい……のか?
「……ッ」
「と、殿……?」
突然、アカツキが腹を押さえて蹲る。
その行動に、ミロクは顔色を窺うように、怖ず怖ずと声を掛けた。
まさか、計画が全て水の泡になって、怒ってるのか……?
だとしたらマズい……!
ただでさえバケモノなのに、そんな奴が怒りで暴れたら……!
「ク、クククッ……アッハッハッハッハッハッハッ!」
いや、そんな事はなかった。
アカツキは、ガバッと身体を仰け反らせると、豪快な笑い声を上げていた。
「アッハッハッハッハッ! アーハッハッハッ! いやはや、天命というのは何とも奇怪なものだなッ! 触れた者の命を奪うも同然の呪いを持った姫を助けたのは、呪いを打ち消す力を持った少年! 何とも劇的な!」
「と、殿……ッ! 笑い事ではないのですぞ……ッ!! 第一、貴方様が此奴らに時間を与えたから……!」
「おっとそうだった! ハッハッハッハッ!」
「この、戦う事しか出来ぬ能無しが……ッ!」
何がおかしいのか、涙を浮かべて豪快に笑うアカツキに、とうとうミロクの本性が露わになる。
そもそも、そこまでアカツキに忠誠を誓っていたようにも思えなかったしな。
だけど……段々と、実感が湧いてくる。
自分もミドリも死んでなくって、取りあえず皆が助かったって事に。
「さぁて、天はコイツらに味方した。だが同時にコレは、やはり戦争をしろという天啓でもある筈だ」
「「そんな訳あるかッ!」」
だが、嬉しさに浸っている暇なんてない。
思わずミロクとハモってしまったように、いずれ戦争が起きるという事実は変えられない。
早くコイツらを倒して、止めないと……!
でも、どうやって……!?
そう、俺がミドリを背に隠しながら、思考を巡らせていた時だった。
「――いやー、色々腑に落ちたぜ」
「ぁ……」
……一瞬だけ、夢だと思った。幻聴だとも思った。
だって俺の耳に、もう一生聞けないと思った、聞き馴染みのある声が聞こえたから。
でも、やっぱり心のどこかに、確信めいたものがあったんだ。
この人が、こんなところで死ぬような人じゃないって。
その証拠に、皆が一斉に声のした入り口の方向に振り向いた。
「思い返せば、地獄でアズベルと戦って、力が暴走したまま孤児院に放り出された時、カインにぶん殴られた瞬間治まったんだよな……そういやさっき、あの閃光玉の影響で魔眼が使えなかった時も、カイン俺のほっぺ触ってたっけ」
その先には、二人の男が立っていた。
一人は数時間前、森でにーちゃんが話していた、エンとかいうエルフの部隊長。
額から血を流しながらも、しっかりともう一人の肩を支えていた。
そして、そのもう一人というのが。
「にーちゃん……ッ!」
「ようカイン。待たせすぎたな」
そう言って、俺達の魔王様がニヤリと笑っていた。




