第三十話 あの月は今日も優艶だ!⑤
楽しく、賑やかな時間はあっという間に過ぎ去ってしまい、スッカリ夜も更けてしまった。
子供達は騒ぎ疲れたのか、それとも安心したのか、気付いたときには皆大部屋の床で寝てしまった。
風呂も入らず、歯も磨かなかったが、流石にこんなグッスリ寝てしまっているコイツらを叩き起こすわけにもいかず、俺達は子供達を寝室へと運んだ。
レイナ達も手伝ってくれていたのだが、門限が過ぎてしまいそうになっていた。
四人とも(特にジータ)は、最後まで手伝ってあげられなかった事を少し気にしていたが、アイツらは客人なのだ。手伝ってくれただけ嬉しい。
最後、リーンはレイナの手を握り、いつか皆の誕生日も祝うと約束して、勇者一行はテレポートで消えていった。
そして残された俺達で子供達を運び終え、後は魔王城に帰るだけ……だったのだが。
「ハァ……」
俺は未だ料理の良い匂いが残る大部屋で、一人ため息を吐いていた。
そう、俺だけが孤児院に残ったのだ。
子供達を運んだとは言え、まだ後片付けが残っていたので、俺だけ泊まり込み前提で終わらせていたのだ。
……とまあそんなのは勿論建前で、リーンに渡しそびれたプレゼントを渡すためだ。
だけどどうしよう、後はもう寝るだけになっちまったんだよな。
ていうか、あの流れで渡せよこのヘタレ!
折角悩みに悩み抜いて辿り着いた答えだってのに!
いくら他の奴らよりも、高級じゃなくて、欲しがっているものじゃないとしてもだ。
「…………」
俺はソファに寝転がりながら、置き時計を見つめる。
時刻はもう十一時を回っている。
リーンはもう自室でパジャマ姿だろうし、流石に今渡しても困らせるだけかもしれない。
でもやっぱり、今日の内に渡しておきたい。
夜の十二時を過ぎるまでには。
「よしっ、怒られても呆れられてもいい。悔いが残らないように」
俺は自分に渇を入れるように独り言を溢すと、ソファの下からプレゼントが入った紙袋を取り出す。
時間がなくって、紙袋にそのまま入れる事しか出来なかったソレを抱えて、大部屋を出ようと扉へ歩いて行ったとき。
――ガチャ。
「リョータ起きてる?」
「へぅッ……!?」
突然目の前の扉が開き、至近距離からリーンが現れた。
いくらコイツがノックしない事が慣れたとは言え、こうも至近距離で不意を突かれてはマヌケな声も出るし腰も抜ける。
「あっ、ゴメン」
「正直この数ヶ月の間で一番ビビったからもうすんな……ってかいい加減ノックを覚えろお前……」
リーンの軽い謝罪を背中越しに聞きながら、俺は乙女座りの格好で這いずる。
一瞬、紙袋を見られたかと焦ったが、幸いにも俺の背中で見えない角度に立っている。
俺はゆっくり立ち上がり、振り返ると同時に紙袋を背中に隠す。
「な、なんだよ急に……って」
俺は改めて文句を言ってやろうとしたが、リーンの姿に首を傾げた。
こんな真夜中なのに、外出用のコートを羽織っていた。
その視線に気付いたようで、リーンは頬をポリポリと掻きながら。
「今日のパーティー楽しくって、まだちょっと熱が残ってるから、軽く散歩して来ようかなーって」
「なんか、今日のお前はいつもより子供っぽいな」
「う、うっさいわね。いいでしょ、本当に嬉しかったんだから」
リーンは拗ねたようにそっぽを向いたが、視線だけ俺に向けて。
「アンタさえよければ、ちょっと付き合ってくれない?」
「えっ?」
俺はリーンの言葉に、少し目を丸くする。
まさか、リーンから誘われるなんて思ってもいなかったから。
だけどコレはチャンスだ。
そう、プレゼントを渡すためのチャンス。
俺は紙袋の持ち手を握り締めながら、頷いた。
「分かった。先玄関で待っててくれ」
「うん、ありがと」
リーンは少し安心したように小さく息を吐くと、そのまま扉を閉めた。
一人取り残された俺は、ハンガーに掛けてあったコートを羽織る。
そして、そのまま立ち止まった。
……いや、別にただの散歩だろ散歩。
それなのに畜生、何だってこんなドキドキしてるんだよ……。
まあ、原因は分かるっちゃ分かるんだけど。
三日前、フォルガント王国の冒険者ギルドで、エミリーに言われたあの一言。
それがずっと、しつこいほど頭をグルグル巡っている。
そのせいで、リーンの前で平静を装うのも大変だ。
俺は小さく深呼吸をした後、大部屋を出て玄関へ向かう。
「遅いわよ」
「わりーわりー」
先に玄関に出たリーンに軽く謝りながら、俺は雑に靴を履き、リーンの後に付いていった。
そのまま孤児院を出て、街灯の明かりが灯る夜の街を、二人並んで歩いて行く。
だいぶ雪が溶けても、外の空気は相変わらず刺すように冷たい。
だけど、俺もリーンと同じく熱に当てられたか、この空気が少し心地良かった。
「……静かね」
もう皆寝静まっている街中は、俺とリーンの足音と、微かな吐息しか聞こえない。
リーンはゆっくりと街中を見渡しながら、小声で言う。
「ここで大声で歌ったら、どうなるか検証してみたい」
「アンタね……どうしてそんな返答しか出来ないのよ」
そんなの、ふざけてないとこの妙に変な雰囲気に飲まれそうだからだよ。
とは言えず、俺はへっと笑い飛ばすしか出来なかった。
それから俺達は、一言も喋らず、ゆっくりと歩いて行く。
そんな気まずい時間の中、俺は考えていた。
……俺はリーンの事を、どう思っているんだろうか。
エミリーが指摘したように、俺はリーンにそういう感情を抱いているんだろうか。
恋愛小説は好きだけど、その登場人物と同じような現象が俺にも起きているけれど、自分の気持ちに自信がない。
他人の気持ちは大体分かるのに、自分の気持ちは分からない。
だから俺は、確証が欲しい。
しばらく歩いて街の中央の公園が見えた頃、リーンがゆっくり口を開いた。
「ねえリョータ」
「ん?」
「ありがとね、色々。本当に楽しかった」
「そりゃよかった。しかしまあ、まさかお前の泣き顔拝めるとはなぁ」
「ぐっ……」
俺があの時のリーンの顔をボンヤリと思い出しながら言うと、当の本人は恥ずかしそうに頬を染めた。
「忘れなさいよ……」
「嫌だね、リーンの泣き顔なんてそうそうお目に掛かれそうじゃねえもん」
「こんの……」
「ハハッ。でもまあ、俺だって多分、誕生日祝われたら泣くと思うし、別に普通だろ」
「元々泣き虫のアンタが言っても、説得力ないわよ」
リーンはため息を吐いた後、チラと俺の顔を見る。
「で、アンタはいつなのよ?」
「何が?」
「誕生日」
「……まさか祝ってくれるのかよ?」
「そりゃ、今日のためにあんなに動いてくれたみたいだし……なら、私だって祝ってやらないと失礼でしょ?」
「義務感かよ」
だとしても、今度はリーンが俺の誕生日を祝ってくれるってのか。
「えっと俺の誕生日か、意外と早いんだよな」
「そうなの?」
「ああ。えーっと確か……」
俺は頭の中で元の世界のカレンダーとこの世界のカレンダーを照らし合わせる。
「ああ、あの日だ。ホラ、俺がこの国に来たばっかで、お前とメッチャ仲悪かった時あったろ?」
「う、うん……」
俺の言葉に、リーンは今更ながら少し申し訳なさそうに相槌を打つ。
俺はその反応に笑いそうになりながらも、言葉を紡いだ。
「それで、初めてクエスト請けて、ボコボコにされた日があったろ?」
「うん。アンタが魔王なんてやってられるかーって泣き叫んでた日ね」
「その次の日だな、俺の誕生日」
「…………ええ……」
リーンは少し遅れてから声を上げて、その場に立ち止まった。
「いやー、あの日は最悪の誕生日だなーって筋肉痛と傷の痛みとホームシックに見舞われながら過ごしてたな」
「……目一杯、祝ってあげるわよ」
「おう、期待してる」
リーンに同情の目を向けられながら、俺はカラカラと笑った。
あの頃の俺は、想像できなかっただろうなぁ。
あんなに俺を嫌っていたリーンが、俺の誕生日を祝ってくれるなんてさ。
「…………」
いや、その前にやることがあるだろ、俺。
「なあリーン」
「何?」
「まだ、日付変わってないよな?」
「ええ、多分」
俺は、ずっと後ろ手で持っていた紙袋の持ち手を握り締める。
畜生、緊張するな俺。
ただプレゼントを渡すだけ、渡すだけなんだ。
それで、おめでとうって一言言うだけだ。
それだけなんだ……。
「……ッ」
なのに何で声が出ない? 身体が動かない?
本当に、それだけの事なのか……?
呼び止めたまま、ずっと俯いて喋らない俺を、リーンはどんな目で見ているだろうか。
きっと訝しんでいるんだろうなぁ。
ハァ……本当に、俺は根っからのヘタレ野郎……。
「リョータ」
なんて心の中で自嘲していると、ふいにリーンが俺の名前を呼んだ。
俺は弾かれたようにリーンの顔を見る。
リーンは笑っていた。
少し呆れたように、でもどこか嬉しそうに。
「大丈夫」
その言葉に、俺はコイツが何を思っているか察した。
あ~あ~、まったくもう!
恥ずかしすぎて死にそうだ!
リーンが俺の様子を見て察したか、それともアイツらが俺のいない間に言いふらしやがったか!
でも……どちらにしても、ありがとう。
おかげで、全部吹っ切れた。
「遅くなったけど……誕生日、おめでとう」
俺は、背中に隠していた紙袋からソレを取り出し、リーンに差し出した。
リーンは少しだけ驚いたように、ソレを見つめている。
「……マフラー?」
「この前街中で会ったとき、お前寒そうにしてただろ? その時、フッと思いついたんだよ。そういえば、コイツがマフラーしてる姿見てなかったなって」
少しだけ小刻みに震えている手で、真紅のマフラーを受け取ったリーンは、可笑しそうに笑う。
「何よ、別に自信無くす必要ないじゃない。こんなに素敵なプレゼントなんだから」
「いやぁ、周りと比べると俺のって陳腐かなって思っちゃって」
「相変わらずヘタレね」
「わ、悪うございました」
俺が頭をガシガシ掻きながら謝ると、リーンが俺にマフラーを差し出した。
「ねえ、折角だし、アンタが巻いてよ」
「ええっ、俺がぁ!?」
「声が大きい。いいじゃない、やってよ」
リーンはそう言って、少しだけ俺に顔を近づける。
女の子にマフラーを巻くなんて、そんなイケメンにしか許されない行為をしていいものかと思ってしまうが、本人がして欲しいというのだから、やるべきなんだろう。
俺はマフラーを広げると、意を決してその綺麗な首筋に巻いていく。
自分の心臓の音がうるさい。身長差もあるから、絶対リーンに聞かれている。
恥ずかしいし、逃げ出したいけど……嫌じゃない。
「……よし、こんな感じかな?」
マフラーを巻き終わった俺は、一歩後ろに下がって、改めてリーンの姿を見つめる。
綺麗な金髪に、真紅のマフラーがよく似合っている。
さっきまで自信無かったクセに、我ながらセンスいいなと思ってしまう自分が、面倒臭く思ってしまう。
「暖かいわね……コレ、どこで買ったの?」
リーンは嬉しそうに訊ねる。
俺は言って良いのだろうかと一瞬迷いながらも、正直に口にした。
「俺が編んだ」
「……えっ!?」
「だから、俺が編んだんだよ。あの時お前と別れてから毛糸屋さんに行って、それからパーティーの準備の合間合間に編んだんだ。まあ、間に合いそうになくって、徹夜しちゃったけど」
「だからアンタが朝寝坊したのね……ていうか、本当にアンタ女子力高いわね」
「近所のばあちゃんに教わったのが役に立ったな」
俺は多少の恥ずかしさを感じながら、ケラケラと笑ってみせる。
するとリーンは、少しだけマフラーに顔を埋めて。
「ありがとう、リョータ。大切にするわ」
……さて、これでミッションは完了。
後はもう、帰って寝るだけ……。
なんて、出発前は思ってたけどな。
「俺さ、やっぱり根っこの部分はヘタレ野郎で全然ダメな奴だ」
「何よ急に……ヘタレなのはそうだけど、全然ダメな奴ってのは違う……」
「まあまあ、ちょっと聞いてくれよ」
わざわざ自虐を否定してくれたリーンに首を横に振り、俺は続ける。
「でも俺はこの国に来るまで、もっとダメな奴だったと思う。何もしないで、楽な方に逃げて、今じゃ大したことないと思えることで被害者ぶって」
俺は大きく息を吸い込んで、リーンの瞳を真っ直ぐ見据えた。
「そんな俺が少しでも変われたのは、お前のおかげなんだよ」
「……!」
言え、この際全部言ってしまえ。
「お前が誰よりも厳しくしてくれたから、俺を見ててくれたから、俺を支えるって言ってくれたから、俺は魔王である俺を受け入れられたんだよ。逃げ出さないで、戦えたんだよ」
恥なんか捨てて、プライドなんか捨てて。
「それに、お前は俺なんかよりずっと苦しい人生を歩んできてるのに、孤児院開いて子供達を育てる。本当にスゲえよ。でも俺は、そんなお前にも幸せになって欲しいんだ。毎年自分の誕生日が楽しみになれるようにさ」
俺が思っている全てを。
「まだ魔族差別とか、アダマス教団の事とか、ミドリの事とか、問題は山積みだ。でもいつか絶対、お前が悩みなんて何一つ無く誕生日を迎えられるように、俺頑張るよ。だからそれまで、俺が立派な王様になれるまで、俺を見ていてくれ」
顔が熱い、目リーンから視線を逸らそうとしている。
だけど、これだけは絶対、ちゃんと言うんだ。
俺は呆けたように立っているリーンを見つめて。
「この国に来て、魔王になって……リーンに会えて良かった!」
最後に、どうしても言いたかった事を伝え終えた俺は、そのまま固まる。
相変わらずリーンも、固まったまま動かない。
雲に隠れていた月が少し顔を出して、俺達を少しだけ照らした。
「そ、それだけ。じゃあ――」
帰ろうか。
そう言い掛けた瞬間、それを遮るように。
「リョータ、私ね」
リーンは俺を見つめて、マフラーを撫でるようにそっと手を添えながら。
「今この瞬間、人生で一番幸せよ!」
笑った。
頬をほんのり紅く染めて、白い歯を見せて。
その笑みは、普段のリーンからは想像できないような、無邪気な笑顔だった。
「さてと、いい加減戻らなくっちゃね。ずっとここに居たら、また風邪引いちゃう」
リーンはクルリと俺に背を向けると、ゆっくり、ゆっくり歩いて行く。
俺は遅れて頷いた後、一定の距離を保ったまま、リーンの後に付いていく。
「…………」
……そっか。
そうなんだなぁ。
今ようやく、自分の気持ちに確証が持てたよ。
ようやく……受け入れられたよ。
俺の目から、音もなくボロボロと、大粒の涙が零れ出す。
嗚咽は出ない、呼吸も苦しくない。
だけど心臓の鼓動は、うるさい程鳴っていた。
蛇口を捻ったように、俺の目から水が溢れ出ていた。
まるで、今までずっと俺の中でゴチャゴチャしていた感情が、涙となって流れ出したように。
ポタポタと、静かに足下に落ちる雫の音は、俺が雪を踏み締める音で掻き消される。
「…………」
リーンが泣きながら笑っていた顔が、とても綺麗に思った。
リーンが無邪気に笑った顔が、とても嬉しく思った。
俺は、もっとリーンの笑った顔が見たい。
もっとリーンには笑っていて欲しい。
だって、俺は――。
「なあ、リーン」
目元を袖で拭った後、一呼吸置いてからリーンに話し掛ける。
するとリーンは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
俺はチラと、スッカリ雲が消えて、クッキリと空に浮かんでいる青い月を見上げてから、リーンを見つめ返す。
そして俺も、先程のリーンのように、思いっ切り笑って見せながら。
「――月が綺麗ですね」
瞬間、音もなく静かに風が吹いた。
その風は足下の小さな雪の結晶を舞い上がらせ、俺達を包む。
俺達には似合わないけど、まるでドラマのように、ロマンチックに。
雪の結晶達が再び落ちた後に、リーンはマフラーを握り締め、怪訝そうに、でもどこか可笑しそうに笑う。
「確かに綺麗だけど……なんでいきなり敬語なのよ?」
「別に、なんとなく!」
それに対し、俺はニッと笑い返してみせる。
そして足早に、リーンの元へ歩いて行った。
……俺はこの日を、生涯忘れることはないだろう。
何年、何十年月日が流れても思い出すだろう。
この日にあったやり取りも、俺が渡したマフラーも、リーンの笑顔も、この夜空に浮かぶ優艶な月も、絶対に。
だってこの日は、リーンがこの世界に生まれた日。
――そして俺に、初めて恋という感情が生まれた日なのだから。




